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日記・コラム・つぶやき

2017年12月16日 (土)

12月16日夢を乗せて

今週もいろいろとありました。土曜日の診療を終え、昼食のために7階職員食堂へ。
窓際から眺める、那覇市内、港、飛行場そして沖合に見える慶良間諸島の島影。
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今日の那覇市は天気がよくて気温も22度以上となっています。空と海の青さが12月の季節でも眩しいです。私の生まれ育った海とは違う景色ですが、都会のビルの向こうに広がる海は何処へでも繋がっていて、子供の頃の記憶にも繋がっています。
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今日も港に大型旅客船が停泊しています。その上を那覇飛行場から飛びだった飛行機が何分か毎に見えて来ます。 旅人のわくわく感を想像しながら、この景色に感謝して食事を摂っています。私のお昼のささやかな楽しみなのですheart04 

(天気が良かったので帰りに車を洗車したら、途中から大雨にweep・・・やはり日頃の行いが悪いせいなのかしら・・crying

2017年12月 8日 (金)

小さな幸せ

沖縄地方も12月に入り、小雨模様の天気が続いています。

今日も朝から小降りの雨の中を出勤。国際通りと交わる交差点。そこには修学旅行や観光客を待っているバスがよく止まっています。バスからガイドさんとおぼしき若い女性が片手にリストを持って降りて来ました。 

Th_ 彼女は濡れないように小走りにバスから交差点へ向かい、左へと方向転換しようとした時、横断歩道を渡ってきた小学低学年の女の子が転倒したのです。持っていた荷物のせいで音がしました。私もアッと思って眺めていたら、この音を聞いたガイドさんが振り返り、子供のもとへ。散らばった子供の荷物を集める手助けをして,横断歩道を渡りきるまで手を引いてくれていました。

とても幸せな気分。ガイドさんも優しかったし、小さな子供がペコって頭を下げたのもとても可愛らしかったのです。 信号が青に変わり車を走らせながら、「今日はなんだかいい日ですね〜」 と矢野顕子さんの春咲小紅の曲に乗せて唄ってしまったのでしたhappy01

今日は楽しい1日のスタートが出来ました。2人からの小さな幸せのプレゼントにお礼を言いたい気分ですheart04

2017年11月29日 (水)

1人1人が輝いている社会

政治家やネット上でうごめく差別発言。いつもなんでだろうと思う。

自分がそも全ての中心であるかのような発言。総務会長たるものが「宮中晩餐会への同性パートナーの出席に反対」と述べ、その理由が「伝統」を理由にとのことであった。伝統を造っているのが自分でもあるかのような発言。伝統も時代の流れと共に変化し、新しいものを取り入れて発展する。排除することではない。 

また前・地方創生相はアフリカ各国との交流に際して「何であんな黒いのが好きなのかと」と述べたとか・・・呆れて開いた口がふさがらない。お前の肌の色が世界最高峰なのかと言いたくもなる。

Th_ 属する部分が多数であることが正義でもないし、意味を持たないことも多いと思う。

性的少数派、人種的・民族的少数派、宗教的少数派、沢山の小数派が日本(世界)にはいる。少ないことが悪いことではないし、逆に偉いことでもない。それがその人にとって普通なのだから人として十分である。 それに対し例えば暴力団だったりカルト集団やヘイト集団で人に危害を加えるのならこれは処分に値し、非難されるべきことだと思う。

日本や世界が以前より確実に住みにくくなっていると感じる。先ずは自分と違う人(意見)を認めることから始めることで、世界は豊かで住みやすくなる。それ以上のこともそれ以下のことも必要ないと思う。

自分と違うことから学ぼう。お前って「結構いい所あるジャン」とねscissors

2017年11月23日 (木)

勤労感謝の日に働く意味を考える

今日は勤労感謝の日で公休日となり、私自身も仕事に行かずにゴロゴロとしています。 病院に行かない日も2ヶ月ぶりかも知れませんが、Th_606827 仕事場に行かずに働くことの意味を考えているのも変ですcoldsweats01

毎年、職場体験やインターンシップ、看護学校の実習現場、あるいは大学などの視察などで多くの若者が職場を訪れます。高校生以上の子供達に対しては実習期間内に30分から1時間ぐらい時間を割いて話をするようにしています(私の昼食時間がなくなりますが・・weep)。 私達の様な小さな病院でも職員が300名近くいます。なぜ医療現場ではこんなに沢山の人が働いているのかを説明しています。医療はおそらく人と人の触れ合いのなかでしかやれない最後の領域かも知れません。どんなに技術が進み、オートメーション化されても多くの人が現場で働いているから医療が出来るのだと考えています。

医療の世界に興味を持って訪れたり、医療の世界に入るための学校に通っている若者達ですので、医療の実際のこと、将来の希望や夢について彼らの意見を聞きながら話をしています。

将来医療の世界で働く意義は?、働く意味とはどのようなものですかと質問を受けることがあります。

現時点で近代化している医療は様々な機器で満たされ、より高度な医療へとシフトしていますし、遺伝子レベルでの治療薬の開発、AIを駆使した情報の集約化が図られて行くと考えられます。

しかし、医療は紀元前のヒポクラテスの時代からその精神は変わっていないと思うのです。目の前にいる病める人を救うために自分の持てる知識(科学的なエビデンスに沿っていて、決して偏った見識ではない)を総動員して全力で医療にあたることしかありません。そのために多くの職種の方々の力を借りて、1人のために尽くすのです。

Th_772567 改めて、働くとはどうゆうことなのでしょうか? これからの日本を背負う若者達の質問にどう答えて行くのか。

働くのはお金を得る手段とドライに答えることが出来るかも知れません。ただそれだけ? ならお金があれば働かなくてもいいの? 偶然地球で生まれた私達、それも確実に期限が決められた人生。 何もしないで楽しいのだろうか?  人は社会的な生き物だと認識されています。 社会の一員として何かに役立ちたい、自分を認めて欲しいと願っているはずです。

私達は1人では生きて行けません。あらゆる人々が作ってくれたもので支えられ暮らしています。 自分が働いて、つくったもの(製品の一部、サービス、食糧などなど)をお金に換え、そのお金で他人がつくったものを買って生きているのです。

働くとは社会の一部を担っている行為なのです。人は皆、それぞれが素晴らしいのです。自分の作り出したものが、単に歯車のひとつと考えるのではなくて、この歯車ひとつのお陰で大きな機械(社会)が動いていることを想像しないといけないと思うのです。 それが生き甲斐に繋がると思うのです。 生きる意味を労働という社会生活の中で学んで行くことが重要かも知れません。 若者達に働く苦痛を考えるのではなく働く喜びを見つけて欲しいと期待する今日の日です。

2017年11月15日 (水)

人間の持つ表現の力

東京国立博物館の興福寺中金堂再建記念特別展「運慶」が開催され、多くの方が足を運こびその素晴らしに感動していると想像しています。知人もこの特別展を見学して、直ぐに「まるで生きているようだった、その迫力やエネルギーが強烈に伝わって来た」と感動のメールを送ってきた程でした。

本当に素晴らしい企画で、運慶関連の作品が一同に揃うのは今後もないかも知れないほどだと聞いています。可能なら沖縄から飛んで行って観てみたい思うのですが・・・weep

以前大学の医局時代は年に数回学会発表や研究会のおりに、可能な場合は博物館・美術館周りをしたことがありました。 運慶に関しては奈良東大寺の「金剛力士像」、興福寺の「無著菩薩立像」「世親菩薩立像」「四天王像」、浄楽寺での「阿弥陀如来座像」「不動明王立像」「毘沙門天立像」などを観たことがありました。

今思うと意外に観ていたのだと感心してしまいましたcoldsweats01。 金剛力士像や毘沙門天立像などの圧倒的な力強さだけでなく、今でも強烈に印象に残っているのは「無著菩薩立像」でした。 自分の心を見透かされているような怖さを感じたことがありました。 この印象は強烈に残っていたのですが、その理由がテレビで取り上げていた運慶展の内容で少し判りました。 

あの人を見透かすような眼は「水晶」で造られた「玉眼」だったからのようです。 ミケランジェロの作品は眼も大理石で出来ているためか、生きている人を感じることは出来ませんでした。 運慶の作品群は彫刻であると分かっていても、今も息をしている人の存在(体温)を感じることがありました。これまでは石ではなくて「木」で出来ているからと思っていたのですが、あの眼(玉眼)だったのだと気づきました。 

あまり東西の文化的なことを知らない私ですが、紫式部の時代から引き継がれる文学作品、北斎や歌麿などの浮世絵とヨーロッパ絵画、現代のアニメの原型になったのかと思うほどの鳥獣人物戯画の表現力、私が好きなミケランジェロの作品をも上回るような運慶の彫刻力などなど・・・・

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ヨーロッパと日本との距離、皮膚の色も体型、言葉さえもかけ離れているにも関わらず、表現様式は違えど、どれも素晴らしい作品を残している人間。ホモサピエンスの素晴らしさを実感してしまいます。

日頃、外科を専門としていることで、人間の体の仕組みを科学的な見地から理解しようと試みているだけでも、人間の身体の素晴らしさが分かる気がしてきます。

ただ人間の体(生命)の仕組みが素晴らしいだけでなく、人間が作り出す作品もまた素晴らしく感じます。 

美に関して、先天的なのか後天的なのかと論じられることもあります。 

私がヨーロッパや日本での文学、美術、音楽などを直接観て感じるのは、「美」を作る出す本質的な部分は先天的であり、後天的な環境により異なる表現方法になるのではないかと考えてしまいます。 人間はそれぞれの環境の中で皆等しく素晴らしい力を持っているのだと思うのです。人間の英知に乾杯です!heart04

2017年10月22日 (日)

風の中に答えが

私の好きな曲の中にボブ・ディランの「風に吹かれて」があります。

なあ友達よ、その答えは風の中に・・・

・・・私達はいつも答えを見つけ出そうとしているかも知れません。その答えは掴むことが出来ない風の中、それも淀んだ空気ではなく、常に移り変わる風のなかです。 爽やかな風、優しい風、叩き付ける強風、冷たい風・・・色々な風を感じながら生き続けています。

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答えは掴むことが出来ない。しかし掴むために日々を生き抜いているのが人間ではないのかと・・・ふと珍しく哲学的なこと考える秋の1日です。

 

2017年10月 1日 (日)

手を挙げる(キレる)前に考えよう

時として人間は感情に支配されてしまいます。 ちょっとしたことがきっかけで怒りがこみ上げてしまいます。いわゆる「切れた」状態になることもあります。

感情や情熱の支配から時として、素晴らしい芸術や文学も生まれることがあります。恋でもそうです。相手を想う感情が溢れ出し、それこそ周りが見えない状態になります。

Th_b252ed5f11bc314e594e18f3545cf73a しかし、実社会においては「切れる」事に対して殆どいいことはないのです。相手を傷つけ、不快にし、敵対し合います。そしてなによりもこの感情が収まった時に1番惨めな思いをするのは、自分自身だと気づくのです。

激情型の人間は、自分がこのタイプの人間であることを、まず認識すべきです。あることが起こった時に、まず一呼吸置くことです。そして冷静に考えるのです。

理論的に解釈するように心がけてゆきます。 最初は上手く行かなくとも、次第に人間の脳は学ぶことが出来ます。 次第に同じことが起こり怒りがこみ上げても、それを冷静に考え処理することが可能となります。今まで自分にあった「切れる」という幼弱性を克服することが可能なのです。

1度出で言葉は、本意でなくても、取り消すことは出来ません。常に冷静に考え、発する言葉に気をつける様にならないといけないのです。 それが成長だと思うからです。

2017年9月10日 (日)

○○ファーストの行き着く先は

最近世界の政治では○○ファーストが溢れている。

それを支持する人々には聞こえはいいのかもしれません。 まず有権者、自分を支えてくれることを第1位と考えて施策を講じることは、為政者にとってある意味正しいのかもしれません。

Th_4df16f41019fbafc6c5f89ce87aa41e0 しかしながら「○○ファースト」がややもすると「他の人々はどうでもいい」との排他的な考えが同時に起こることを危惧するのは私だけではないと思う。

正義や理想、理念なき世界での○○ファースト。 ○○ファーストを掲げる方々の意見と博愛や平等といった全世界共通の理想との整合性をどうするかが難しいと考える。

自分だけが良ければとの考えはいずれ、自分以外との間で軋轢をうみ、衝突が必須であろうと考える。

世界・日本中ではびこる○○ファースト、その追及の行く着く先は殺し合いによる決着しかなくなるかも知れない。 そこで勝つのは正義ではなくて単なる多数者であると言うことを歴史から学ばないといけないと思う。

2017年8月16日 (水)

8月は青春だ

子供の頃から高校まで、夏休みがある8月が1番楽しい時間だった。

そこには紛れもなく私の青春があった。8月は眩しい程いつも光輝いていた。

Th_dsc017012 受験勉強もない田舎でのんびりと過ごして、青春を謳歌していていた自分が、よりによって医学部を目指し、上京。 どんなに頑張っても医学部の入学にかすりもしない成績。 大切なものも失い、沢山の重圧の中で過ごした日々。 泣きながら、心の中でずっと「もう許して」と叫び続けた日々。

医学部に入り必死で勉強し上位で卒業、医者になっても過去のトラウマを思い出したくなくて、ひたすら仕事をした。 あの輝いていた8月は消えてしまっていた。

今年も8月がやって来た。全てが熱く光輝いている季節、今もきっと輝いているはずだ。私が好きだった季節。 残りの人生をかけてゆっくりと思い出したい8月がここにある。

2017年7月30日 (日)

憧れと嫉妬

何かを行動とする原動力に「憧れ」があります。憧れは「夢」を現実化させて、実存する人や生き方を例えにこれからの道標になる。

あの人のようになりたい、あの生き方を真似してみたいと思う。
その憧れが強烈であればあるほど、近づきたいと渇望する。しかし思うように出来ないのが世の常である。そこにはある種の嫉妬が介在する。

憧れへの嫉妬がブレーキをかけてしまい、先に進まなくなる。強烈な憧れほど達しない時に嫉妬も強く感じられる。

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そのような嫉妬は心の負担、マイナス面にしかならない。憧れは目標であり、同一にはなり得ないことを理解せねばなるまい。 そのことを自覚すると心が軽くなり、憧れを斜め前に置いて、見ながら進むことが出来るようになる。

憧れを嫉妬により引きずり下ろし同化するのではなく、常に自分の斜め前に向かって走り続ける存在であって欲しいと願う。 それに近づくことでいつか自分も憧れを掴むことが出来るかもしれないと思いながら生きてゆきたい。

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