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日記・コラム・つぶやき

2022年12月21日 (水)

今年もアトリエトトロの子ども達から素敵なクリスマスプレゼントが届きました

今年もアトリエトトロの子ども達から素敵なクリスマスプレゼントが届きました。本当に嬉しい便りです。
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アトリエトトロは童画家のたなかかおるさんが主催する鳥取市にある絵の教室です。小さな子ども達から高校生らが活動しています。 日本では次第に周りの子ども達と一緒に遊んだり、ましてや年齢の異なる子ども達どおしで助け合いながら遊ぶ姿を見かけなくなりました。 この教室のブログを覗くと、子ども達が本当に生き生きと輝いています。本来の子ども達の「キラキラする瞳」が見えてくるようです。私も見ているだけで嬉しくなります。どうぞ素敵なブログですので、皆様方も覗いてみて下さい→「かおるのスケッチブック」
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病院の外来のスペースは限られていますので、総合受付の後方に作品を並べてみました。広々とした場所が欲しいのですが、申し訳ないです。 患者さんが立ち止まって作品をみています。 中には私の方に「遠い所から送ってくれているのですね」「かわいいこと」などと声をかける患者さんもいらっしゃいます。 皆きっと暖かい気持ちになれたと思います。
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アトリエトトロの子供達へ:心のこもったプレゼントをありがとう💖  クリスマスは温かい心で過ごして欲しいです。 これまではクリスマスプレゼントはもらう方が嬉しかったはずです。 他の人のために一生懸命作品を作ってくれた君たちは、他の人に幸せを与える喜びを少しずつ知ることができたはずです。 この優しい想いは将来の自分自身へのプレゼントだと知って欲しいのです。 未来の希望の君たちへ本当にありがとう。おもろまち先生より感謝を込めて。

2022年11月 3日 (木)

第7回世界のウチナーンチュ大会に感激

私の住む沖縄県は小さい島ゆえに、世界中に移民として多くの先人たちが移り住んだ歴史があります。最初の移民は明治32年(1899年)に27名がハワイに移住したことが始りのようです。廃藩置県後の混乱や貧しい故に海外への単純労働力として渡ったり、あるいは国の政策として海外を目指して行ったようです。 第二次世界大戦までの間に総数72134名が海外に渡ったとのことです(県の資料より)。移住先はハワイ、北米、中米、南米あるいは東南アジアなどだったようです。広大な土地が与えられる条件で出掛けたらそこはアマゾンのジャングルの中だったこともあったようで、病気や飢えで亡くなったりと劣悪な環境の中での生活が待っていたこともあったようです。貧しくて大変な中でウチナーンチュとして皆が助け合って苦難を乗り越えた歴史がありました。
第二次世界大戦時には沖縄は唯一の地上戦の戦場となり、全てが焼き払われ、県民の4人に1人が犠牲になります。その後米軍による土地の強制的収容で生きる場所も奪われてしまいます(普天間飛行場などもその一部です)。生活する土地を失い、米軍の支配下で希望を失った方々は海外を目指すきっかけになります。 当時の琉球政府(米国の支配下ですが)の移民政策だけでなく、先に移住したウチナーンチュ達が同胞を呼び寄せたことも多く、その数は約18000名になったとのことでした。
現在、北米・南米をはじめ世界には約42万人の県系人がいるとされているそうです。すごい人数です。
終戦後、焦土と化した沖縄に対して、海外の移民先から多量の食料や衣服、生活支援物資が送られて沖縄県民を支えてくてたのです。
実際私の家族もとてもお世話になったことを祖母や両親から聞かされて育ちました。父の叔父や従兄弟達がハワイや、ブラジルなどにいます。父は招集された旧満州で終戦を迎えます。 その後何年か経って沖縄戦で父や兄弟が亡くなった故郷に戻ってきます。何も無くなった郷里で戦後をあゆみ出します。その後母と出会い結婚となるのです。ボロの服しかない時代に、ハワイの従姉妹たちから沢山の物資が届けられたそうです。その中に沖縄では貴重な背広やズボンも入っていたそうです。そのお陰で結婚式はスーツ姿で行うことができたとのことでした。その話は何度も何度も母から聞かされました。 また私の叔母(母の妹)はハワイ2世の叔父と沖縄で出会い結婚してハワイに住んでいました(昨年その叔母も他界しました)。
私にとっても大切な同胞達なのです。しかし私はこれまでこのようなことを考えすに自分が生きるのに必死で周りを振り返ることもしませんでした。足元を見るよりも何年に一回かの休みは海外旅行に費やしていたのです。
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1899年から始まった海外移民などで沖縄にルーツをもつ海外の沖縄県系人が一堂に集う場所を創りたいとのことで1990年に初めて「第1回世界のウチナーンチュ(沖縄人)大会」が催されました。その後5年に1回行われていましたが、昨年はコロナの影響で延期となり、6年ぶりの第7回目となりました。今年はまだコロナの影響が残っているためにオンラインイベンを多くして海外からの参加者も少なくなったようでした。
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今回2022年10月30日(日)に初めて国際通りで行われるパレードを見学をしました。久々に病院にも行かずに準備万端で出掛けました。 国際通りは終戦後、県下でいち早く復興を遂げたこと、通りの長さがほぼ1マイルであることから、別名「奇跡の1マイル」とも呼ばれる沖縄観光の中心地となっています。 その東側よりパレードが出発するようです。私も今か今かと待ちながら待っていました。

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出発の挨拶なども済ませていよいよパレードがスタートです。かりゆしウェアをつけたのが玉城沖縄県知事で、白シャツに左手を出している方がラーム・エマニュエル駐日米国大使となります。

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パレードの先頭で来たのはハワイの代表団です。今回はコロナ禍で縮小したとはいえ、約800人が来沖するとのことです。横断幕の「Aloh」の部分を持っている方はハワイ州のデイビッド・イゲ(日本名:伊芸豊(いげ・ゆたか)知事です。彼も沖縄移民3世です。

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国際通りを歩きながら、フラを踊ったりウクレレなどを弾きながらの行進です。 私も久々に大声を出して「おかえりなさい」とか「アロハ」などで答えました。一人一人を見ながら感激して涙が出そうになります。

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米国本土はそれぞれの州が横断幕を掲げながらそれぞれの独自色を出しての行進をしていました。全米各地にも沢山の沖縄ルーツの人々が居たんだと改めて思う瞬間でした。
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グアムからの参加者も多く居ます。私の知り合いもグアムにいますが、今回は来沖していないようです。
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サッカーファンだけでなくこの色を見るとアルゼンチンだとわかります。今回も多くの方が参加しています。現在アルゼンチンの日系移民の8割は沖縄県系が占めていて、アルゼンチンの社会の発展にも寄与しています。
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インドネシアからの参加者は民族衣装を纏って、ところどころで立ち止まってバリの民族音楽を披露していました。今回の為にきっと練習を重ねてきたのでしょうね。見応えありました。

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インドネシアよりさらに南のオーストラリアからの参加者です。時差はほとんどないと思いますが、季節は逆ですが沖縄だと気温差はあまりないのかも知れません。
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カナダからの参加者です。最初の移民一世の方にとっては寒さは大変だったのかもしれません。おかえりなさいです。
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韓国からの参加者も沢山いらっしゃいました。韓国とは那覇からの直行便も再開されているはずですので、台湾同様に身近な国からの参加となっています。近くても文化などの違いもあり、移住者は苦労されたかも知れません。私などは最近では韓流ドラマのお陰でさらに近い存在となっています😅
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キューバにも約100年前に移民として沖縄から渡り、多くの方が農家として生計を立てていたそうです。その4世が今回ルーツを探しに沖縄の親族と出会ったと大手新聞にも記事が載っていました。
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遠いアフリカのザンビアからも参加がありました。この写真の後ろのカメラマンが囲っている方に「高良初子」さんがいらっしゃいます。彼女のことをテレビ放送で知りましたので貼り付けておきます(→波瀾万丈な人生:高良初子
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シンガポールからの参加者もいらっしゃいました。お帰りなさいです💓
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微笑みの国タイからの参加者ですね。民族衣装も素敵です。
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ビール大国ドイツからの参加者です。ドイツの沖縄県人会は29名ほどいるそうです。ドイツ沖縄県人会の会長の外間さんの記事が載っていました(→ドイツ沖縄県人会
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フィリピンからの参加者です。戦前国策もありフィリピン(ダバオなど)の移住した方も多かったそうですが、終戦を期に帰った来た方が殆どで、その後は軍属や一般人として沖縄で勤務していた男性と結婚して海を渡った方が多かったと聞きました。
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パレード出発の前から盛り上がっているブラジル代表団です。黄色いカナリア軍団はサッカーのブラジル代表でも有名でしょうか。

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ブラジルの参加者が近づくにつれ、ブラジルのカーニバルで聞かれるような軽やかなサンバのリズムが鳴り響いてきました。このリズムがいいです👍 私もつい踊りたくなってしまうリズミカルな音楽です。華やかな衣装をして踊っている女性達もいて本場のカーニバルを見にゆくたくなります。
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欧州のフランスからの参加者です。私は旅行で何度か行ったフランスですのでお世話になりましたと「おかえり、ありがとう」と声をかけました。フランスの記事がありました(→フランスにも三線を
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ニューカレドニアからの参加者もいました。南太平洋の島ですが、森村桂さんの作品のためなんとなくニューカレドニアは日本では「天国に一番近い島」で有名かも知れません。この島には1982年からニッケルの採掘のために多くの日本人6800人(うち沖縄からは900人)が働いたそうです。戦後は日本人は強制送還され、現地人の母親と日本人との混血児は残されたそうです。戦後苦労された中で「沖縄ニューカレドニア友好協会」が設立されて交流ができたと記事に書いてありました。
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ペルーも移民した方々が多い国です。その大会にも多くの方が参加してくれていました。私の写真には載っていないのですが、ところどころで立ち止まって、ペルーダンス(ラティドス)を披露してくれていました。アンデス調の踊りもありました。
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ボリビアも沖縄の移民が多い国で、沖縄よりも昔の沖縄の文化が残っている側面もあります。既にボリビアに移り住んでいた沖縄移民者が中心になって第二次大戦後の荒廃した沖縄からの移民を引き受けるブロジェクトを立ち上げます。連合国軍や琉球政府の後押しもあり戦後多くの沖縄からの移民が出た歴史を持っています。ジャングルの中を開拓して次第に大きな街へと発展させてゆきます。ボリビアではオキナワ移住地(コロニア・オキナワ)が行政区とし認められており、オキナワの名前を持つ国外で唯一の居住区となっています。
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コロニア・オキナワを中心に里帰りした方々でしょうか。立ち止まっては沿道の方も巻き込んで踊りの輪ができていました。その方々からも地球の裏側から来ましたと挨拶があいました。ちょうど日本の裏側の地域ですね。遠くから来てくれてありがとう!
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香港からも可愛らしい参加者が・・コロナ後は那覇空港から直行便がなくなってしまいましたが、早く再開して欲しいです。
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県外の沖縄県人会など多くの方が参加してくれています。ハワイの東西センターの参加もありました。1961年から沖縄が本土に復帰するまでの11年間に留学生、学者、研究者、各分野の職員400名あまりがハワイで学んだ歴史があり、今でも交流が続いています。今度はJICA(国際協力機構)沖縄では海外からの学生が学んでいます。彼らも参加してくれていました。
まだまだ紹介できませんが、私にとっても素晴らしい経験でした。

1人1人が自身や家族の歴史を背負ってここにいるのだと思うと「人間は本当に素晴らしい」と思えるのです。素敵な感動をありがとう💖

2022年9月28日 (水)

私達の選択(考えることの大切さ)

今日のFM放送は国民の1番多く訴える症状の「腰痛症」について話をしました。専門外の腰痛ですが、国民に感心も高いと考えて、放送のテーマとしてもこれまで何度か喋ってきました。このブログにも腰痛症に関して10編ほど書いたと思います。今回新たなネタはありませんので、以前のブログの中から一部をリンクしたいと思います(今回は色々なことがあり書く時間が取れませんでしたので、ご容赦下さい)。

①→慢性腰痛症の85%は原因がつかめず     ②→腰痛症と神経ブロック   ③→魔女の一撃(ギックリ腰)

 

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今回3年ぶりに海外に出かけて来ました。第2次世界大戦という悲劇の中から、人類は少しでも愚かな争いを防ぐために、多様性や様々な違いをお互いに認め合って安定した社会を築こうとして努力してきたと思います。私が海外旅行に初めて出かけたのは20代の頃でかれこれ40年近く前になります。当時は日本も世界も次第に活気に溢れ、希望に満ちた世界だった気がしました。そして世界は今よりよりよくなると確信していた時代でもありました。 しかし世界は協調よりも分断の時代に進もうとしています。

政治が混迷して、何が焦点で何を優先的に行なおうとしているのかPhotoまったく先が読めない状況となっています。 

先日までは違うことを言っていたのに、今日はあたかもそれが正論だったように話を上手くごまかしているように見えてしまう(反省も自己矛盾も語らないまま・・)。 勇ましい言葉を並べると、いかにも力強いリーダーなのだと思わせる。

どんなにカッコ良いことを言っていても、行動が伴っていなければ、その人の中身・品位はいずれ見抜かれてしまいます。 

人間の感性は本質を見極めようとするのです。 

ただ、その感性が一時的に麻痺し、短絡的な言葉に熱狂してしまうと残るのは対決しかなくなり、人間の残忍さだけが前面に表れて人々や社会を追い詰めてしまうかも知れません。

ロダンの「考える人」を見る時、筋骨隆々とした若者が棍棒を持つのではなく、体を捻って、悩み・考え抜いて、もがいているように感じてしまいます。

30歳の頃にパリのロダン美術館でこの像を見た時は、脚の先まで緊張してこわばった姿勢、どの視点からも、一点の気のゆるみもない姿だったことが印象に残っています。体を捻り、右の肘をあえて左の大腿部の置く、この窮屈な姿が悩みを語っているのかも知れません。

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考えるって大変な作業だなと・・・(なんと単純な私の考え😅)。 嫌なことがあったとしても、そこから(歴史から)学ばなければまた同じ過ちを犯してしまうのだろうかと考えた9月でした。

まあこの姿勢(ロダンの考える人)で考えると腰痛になりそうで、皆様方は楽な姿勢で考えて下さいね。

2022年8月12日 (金)

旧盆の3日目(ウークイ):お月様

沖縄県ではお盆は旧盆の日程で行われます。そのため毎年日付が変わることになります。2022年は8月10〜12日となっています。病院は例年通り最後のウークイの日は休診日となっています。この辺りもローカルルールでしょうか? 

本土のお盆のように8月13〜15日とは決まっていないので、毎年チェックが必要となります。沖縄の行事の中でも大イベントなのですが、私個人は高校卒業後は社会的には世捨て人のような生活ですので、実家にも正月とお盆しか出かけないのです😅

特に今年は実家に戻り線香を供えたら直ぐに戻りました。いつもなら食事を取って帰るのですが、今年はこれさえ出来ません。

今週は生け花クラブの活動がなくお花がありませんので、昨日夜に撮った満月の写真をアップしたいと思います。

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カメラのホワイトバランスを動かして写してみました。皆様方はどの色合いがお好きですか?
月から観たらウイルスごときで右往左往している人間社会はどのようにみえるのでしょうか。地球自体も熱くなってきたとみえるのでしょうか・・・きっと御先祖さんも私達を心配してくれているのかも知れませんね。

2022年6月23日 (木)

沖縄慰霊の日:戦後77年

77年前の沖縄戦はウクライナのマリウポリよりももっと悲惨な戦争が3ヶ月続きました。逃げ場のない戦場で今の中学、高校生の年頃の私の叔父さん達は通信兵として砲弾の中で死亡しました。これから希望に満ちた子ども達がいきなり、鉄血勤皇隊・通信兵として壕から壕へと兵隊の通信や食料や銃弾を運ぶ役割として、最も過酷な砲弾が飛び交う地上を走らされ死んで行きました。(→沖縄慰霊の日

どれ程怖かったことか、どれ程無念だったと想像するだけで私は平和を享受し自由に長生きしていることに感謝と共に申し訳なく思うのです。ウクライナの戦争を見るにつけ、沖縄戦がどれ程過酷だったのかと想像出来ます。ウクライナでは少なくても住民は地下シェルターなどで非難することが出来ました(もちろん十分ではありませんが)。時間的余裕があれば国内を移動出来る可能性も残されています。

しかし沖縄戦は3ヶ月の間、日本軍と米軍の戦闘の中で住民は置き去りにされます。米軍も無差別攻撃をしますし身を潜めていた自然壕(ガマ)も日本兵がやってくると追い出されてしまいます。当時の日本兵は住民を守るような教育を受けていなかったと思います。

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ロシアの軍事侵攻と同じことがアジアでも起こると訴える政治家が増加しました。外交よりも軍事増強を叫ぶ方が勢いを増しています。外交努力は相手もあることで、これを続けるのは地味で困難なことも事実です。目立ちはしませんが本来は衝突をどう回避するかが政治家の役割です。

軍事増強はとても簡単です。危機を煽って税金を使えばいいだけです。島嶼防衛として沖縄の島々にミサイルなどが配備されました。しかし島にいる以上戦争になれば何処にも住民は逃げられません。今の日本の自衛隊(何処の国も軍隊もそうでしょうが)では戦争をしながら住民を守ることは無理なことです。日本の島嶼防衛ではまずはミサイル配置が優先で住民の保護は整備されていないのです。

77年前の沖縄戦のことを想像すると戦争は本当に怖いことだと思うのです。戦争ほど無意味でばかげたものはないのです。今日の慰霊の日はもう1度平和の大切さを考える1日にしたいです。

2022年5月15日 (日)

個人的な沖縄復帰50年目の思い

今日5月15日は沖縄が日本本土に復帰した記念日です。あれから50年を迎えました。復帰は私の中学の時で、これまで使っていた米ドルから日本円に変わり、指で感じる紙幣の差を今でも覚えています。

沖縄は今でも本土との経済格差や差別の問題、基地の問題など多くの問題を抱えています。それを書いたら膨大の量になると考えています(今回以前書いたブログを久々に読み返しました。関連する記事を赤い字でリンクしておきます)。

1945年米軍が上陸し唯一陸上戦を展開して、有形、無形とわず多くものが破壊された沖縄でした(→沖縄慰霊の日→沖縄戦から70年)。美しい那覇の街並みも丁度ウクライナ戦争のマリウポリのように 破壊され尽くされてました。  

1952年のサンフランシスコ講和条約により、日本の主権・平等を認める代わりに、沖縄・小笠原を米国は支配下におくことが承認されました。

占領下の沖縄では日本語教育から英語教育への変換も試みたようですが、これをどうにか拒否して日本本土と同じ教科書を使い勉強出来たのは、幸運なことだと私は考えています。 米国に屈して英語教育を受けていたら、私もきっとネイティブな英語を喋っていたのかも知れません。 その方がグローバルな現在では良かったんじゃないか、復帰せずにグアムのような米国領となった方が良かったと考える方もいるかも知れません。 私は全く同意しません 

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言葉は文化であり、言葉は心(思想)を体現化するものです。人が人であるための考え、感性を磨くのが言語です。

グローバル社会で英語教育が重要だと叫ばれています。英語が使えることはとても視野が広がると考えています。しかし重要なのは英語圏の小学生が使える程度の会話を習得するよりも考える力を獲得する方が大切だと思うのです。 単なる翻訳はこれから進歩するAIにまかせればいいと考えています。あと10年20年もすればタブレット端末で異なる言語の同時会話が可能になると考えています(→語学力とグローバル力の違い)。

時々、本土の方(沖縄でも知らない方もいます)が沖縄の言葉が理解しにくいために、日本語と違うと考えている方もいます。沖縄の方言(ウチナーグチ)は日本語の1方言に過ぎないのです。中国語や英語ではありません。 

沖縄の方言には今でも京都の古語が沢山残っています(→以前のブログ)。もしも米国占領の沖縄で、米国が望む英語教育に代わってしまっていたら、これまで脈々と先祖から繋がった言葉(=文化や思考)を失うことになったのかもしれません。

高校卒業後、初めて沖縄を離れて東京の予備校へ。その時の予備校の仲間から「英語は勉強しなくても満点だよね」と言われたことがありました。恐らく多くの本土の方は沖縄では復帰まで英語教育を受けたと勘違いしていたのかも知れません。

私は戦後の沖縄、それも田舎の村に生まれ育ちました。田舎のお陰で、電気や水道、電話などが子供の頃にない時代を覚えています。子供の仕事として井戸の水汲みなども経験しました。素朴でも一生懸命働くことの大切さを教えて貰った方々がいました(→汗水垂らして働く) 。ユニセフからの脱脂粉乳や小さなパンも経験しました(「1つのパン」がつなぐ社会) 

短期間に色々な生活が激変してゆく過程を実際に経験することが出来ました。電気の明かり、白熱球から蛍光灯に変わった瞬間の家の様子、水道が通った日のこと。高校までキビ畑をはじめ農作業の経験や家畜の世話など。初めて沖縄を出て東京の予備校で過ごした時期の挫折感や孤独も経験しました(→クリスマスに思うこと)。

そして社会的には民主主義国家である米国が占領下では民主主義的でないことキリスト教徒と称する方が自分の利益を守る為に戦争を行うこと差別された側がより弱い立場を差別する構造。復帰前、復帰後の子供時代に色々な貴重な経験をさせてくれたのが沖縄でした(→何度も繰り返される悲劇)。

今日、復帰50年目を迎えた沖縄。今でも多くの矛盾を抱えたこの地から、冷静な目で日本や世界の動きみてゆきたいと願うのです(→復帰45周年)。

沖縄にとって必ずしもいいとは思えない戦中・戦後の歩みですが、私個人にとっては他の地域で生まれていたら味わえない経験を数多く学べた沖縄に感謝したいです。平和や自由・平等が如何に大切なものか、そしてこれを維持するのは破壊することよりも忍耐が必要であることを卓上の学問からではなく、肌感覚で感じ取れたのが沖縄だったのです。

今日は復帰50年の記念日ですが、明日からもなにも変わらない日常が続きます。その1日1日を愛おしく大切に生き続けたいのです💖

 

<P.S>

愛の反対は憎しみではなく、無関心です(The opposite of love is not hate, it’s indifference.)。しかし関心を持つことは喜びと共に苦しいこともあるのです。いつかこれを乗り越える力を持ちたいと願うのです。

2022年5月 6日 (金)

梅雨時期のお花達

今週はゴールデンウィークのため生け花クラブの活動もなくお花を紹介できません。

沖縄はゴールデンウィーク期間中に梅雨入りとなりました。しばらくジメジメする季節が訪れます。

4月からは沖縄では春らしい温かさとなり、適度に雨も降るために植物達にとっては良い環境となると考えます。殆ど手入れをしない我が家でも1番多くの花が咲く時期となります。ちゃんと植物はこの時期を待っていたかのように花を咲かせてくれます。

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以前山原(沖縄北部地方)の公園に出かけた時に、近くの農園の方から「これは捨てるけど貰って行く?」と藍のような枝を頂いて来ました。20年余り花が咲く気配はなかったのですが、突然3年ほど前から花を咲かせるようになりました。今年は沢山連なって咲いています(上の写真に左です)。

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水まきだけは欠かさずにやっているますが、殆ど手入れもせず、たまに追肥をするだけです。我が家では過保護は生き残れません😅 この上の写真の左の下段の小さなお花は、いわゆる雑草だと思います。以前一年草の花を植えていた鉢にどこからか種が飛んで来て育ったものです。邪魔にはならないので、水やりだけはやっていたら、小さな可愛らしいお花を着けてくれています。 周りを見るとやはり南国らしいお花だと改めて思う種類です。
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南国の島でもやはりそれなりに冬は寒くて、春の訪れと共に花々が咲き出します。夏は暑すぎる沖縄ですので、今の時期が植物達にとってはいいのかも知れません。
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20数年来、小さな側溝に水を貯めてモーターで循環させているとそれなりに自然の生態系が出来ているようです。この時期はカエルたちが活動を始め鳴き声がうるさくなり、ヤゴから羽化したトンボがペアリングしながら数組飛び回っています。コロナ禍でも自然は何食わぬ顔をしていつもの春を迎えています。 
コロナのパンデミックが起きたり、ウクライナで戦争が始まったりと人間世界は右往左往していて落ち着きがありません。何が起きるか分からない状況ですが、この動植物たちのように地球の恵みを受けながら何事もなかったように暮らして行きたいですね💖

2022年5月 3日 (火)

憲法記念日とウクライナ危機へのジレンマ

毎日毎日ウクライナの惨状を目にするにあたり心を痛めている方も多いと思います。 一方的に普通の生活を破壊され、多くの難民を出し、多くの死傷者が出ています。非人間的な行為に対して怒りも込み上げて来ます。怒りの向こうにロシア人に対する憎しみも生まれかねません。被害妄想から冷静さを失ったプー(プーチンとも言いたくない程です)が一方的に侵攻を命じました。戦争は人を恐怖にそして残酷にします→アウシュビッツ・ビルケナウ収容所)。ロシア兵の多くも好きで人を殺してないはずです。ロシア国民もプロパガンダを信用したり、恐怖のために声を上げれないことを私達も冷静に判断をしなければいけないと思います。  

徹底的に破壊されたマリウポリの中でも世界中がアアゾフスタリ製鉄所に閉じ込められた子どもを含めた避難民の安否が心配だと思います。 殆ど常任理事国の拒否権で機能しなくなった国連の努力によりロシアとウクライナの同意で一部の方々が救出されたのは嬉しいニュースでした。 救出された方の中に子ども達や乳児も含まれており、その子らの笑顔に涙が止まらない状態です。

私のココロブの旅行記でも様々な国のことを書いています。丁度今はノルウェーの旅行記をアップしています。その中で2014年のクリミア危機で西側諸国の飛行機がロシア上空を飛べないことに関して、記事を書いたりしました。その時は遠い国の話のように感じていました(→アンカレッジ経由)。そしてバルト三国やポーランド旅行などを介して自由がどれ程重要かも知っていたつもりでした(→バルト三国自由への願い)。

2014年の危機に私はもっとウクライナのことを知るべきだったと反省しています。そして国際社会がもう少しこの重要性を共有していれば今のロシアの無謀な侵略も阻止出来たのかも知れないと考えています。

ロシアの侵略が成功すれば「自由や人権を含め国際法の秩序」が失われる危機があるこを知っています。ウクライナに勝って欲しい。しかしその為には戦争が長引き、死傷者が増え続ける現実を受け入れないといけない矛盾を解決出来ずに悶々とした日々を送っているのです。  

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戦争は愚かなリーダが起こします。そのリーダーを作り出す人間社会の未熟さも現実にあるのです。答えのないなかで最良の方法を捜し続けるしか方法はないのかと悩む朝です。

今日は憲法記念日です。世界で随一の平和憲法です。ロシアの一方的な軍事力の力で破壊されるウクライナの危機で日本の軍事力を高め憲法を改定しようとする機運が高まっています。私はこのような危機的な状況で物事を安易に進めるべきではないと考えています。 人間がパニックになりかけた時には冷静になる時間が必要です。 国連が機能することで日本国憲法は輝きます。 そのための努力がいま日本に求められています。 

もう既に日本の軍事力は世界第6位です(米国、ロシア、中国、インド、フランスに次いで6位)。 軍拡競争を行っても行く着く先は戦争以外ありません。 恐らく軍拡で安心するためには日本の防衛費を高め世界一(少なくともロシア、中国より上)の軍事力をもつ国にならなければなりません。  

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年々GDPの世界比率が落ちてくる日本において国防費の増額のためには福祉や年金、日々の生活を犠牲にすることが必要です。今ウクライナ問題でガソリン代や燃料費、食糧品の値段が上がっただけで、生活苦を感じる国民が世界一の軍事力が必要かどうかを考えるために冷静になる時間が必要だと思うのです。 

「力対力」を信奉する政治家のプロパガンダに乗る必要はありません(なにも自衛のため軍事力を否定する気はありません。既に世界第6位の軍事大国ですので運用を考える必要はあると考えています)政治家に取って平和の維持より戦争する方が簡単だったのは歴史が証明しています。 地道に福祉とか平和や幸せを追求する政治家は目立ちませんが、勇ましく隣国と対決姿勢を示す方が政治家に取っては点数が簡単に稼げるのです。 しかし実際の戦争になると、死んで行くには政治と関係のない若者や子ども達です。

大変な時にこそ冷静に考える必要があります。憲法は政治が暴走する抑止力になることを今一度立ち止まって考えたい憲法記念日です。

2022年4月11日 (月)

春は花を選ぶのか食を選べばいいのか?(番外編)

当院では生け花クラブの皆様方が生け花を練習した後に、その作品を外来などに飾ってくれています。このブログを書き初めてしばらくすると、2階の小さなスペースにも生け花が飾られるようになりました。元々は公衆電話を設置する場所として計画したのですが、携帯電話が普及した現在はもう必要がないだろうと設置を見送った場所でした。そのために余り外部からは目立ちません。折角の生け花を多くの方にも見て欲しくてこの場所の生け花をこのブログにも紹介を始めたのです。

この場所の生け花は大凡週末には撤去されていることが殆どでした。週明けの今日その場所を通ったら先週と違う花が飾られていました。まあブログにも書くことはないと思ったのですが、春らしいお花達だと思わず写真を撮ってしまいました。

ところが今度はお昼の弁当(職員用で300円)を取りに7階の職員食堂まで上がって行くと、こちらは「新年度開始応援キャンペーン」と銘打った特別弁当になっていました。7階の職員食堂は外部委託で、当院の管理栄養士と一緒に入院食も手がけて頂いています。フレッシャーズ応援と書いてありましたが、私も40年近く前はフレッシャーズだったと私も弁当をゲット出来ました。

・・・・と言うことで、番外編の生け花と職員弁当を急遽紹介致します。

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この春先は食欲が先でしょうかお花見が優先されるのでしょうか? 皆様方はどちら(笑)?

2022年3月16日 (水)

ウクライナへの支援の在り方

気が重くても観なければならないウクライナの情報を集めながらため息が出ます。昨夜は勢いでこれまでの世界の動きについて書きました。なにも出来ない自分でもやれる援助を先週から試しています。そのことを今日は追記したいと思います。

ロシアが進行してから、ウクライナをどのように支援すべきかを悩んでいました。あの様な一方的な破壊、なによりも人を殺すことを決して許してはいけません。特に医療者として病院が破壊され、電気も消えた中でライトを頼りに懸命な治療を行っている医療者を観た時には彼らの怒りや辛さも理解でき、申し訳なく思ったのです。 本当にウクライナの人々は頑張っています。しかし私はなにも出来ません。それでも出来る範囲で公的な機関への寄付も行いました。

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そして先週からは旅行が好きな私としては、サンフランシスコに本社がある民泊大手の「Airbnb」が行っているウクライナ支援の企画に参加しました。この会社が「実際には行かなくてもウクライナ国内の宿泊を予約をすることで手数料なしに宿泊料金全額がそのオーナーに届く」支援を行っていることを知りました。

これまでキエフ市内やキエフ郊外、オデッサなどの10件の予約を行いました。もちろんそのオーナーがウクライナ人なのかどうかは確認出来ませんが、大手のホテルではなくてクロアチア国内の民泊ですのでウクライナ人の可能性が高いと考えました。

予約を確定すると、オーナーへの要望などメッセージを書き込むことが可能となっています。私はそれぞれに、大変な状況の中で耐えている皆様方を日本を含めて世界中が支援していること、どうか無事にいて欲しいこと、平和になった美しいウクライナで会えることを楽しみにしているなど」を沿えて送っています。

その方々からもお礼のメッセージが返って来ました。「ロシア軍の侵攻地域にある自宅(予約の宿泊提供場所)から離れて避難しているため、既にこの家は破壊されたかも知れませんが、絶対再建します」「妻や子どもは妻の実家の西部に移動させたが、自分は最後までキエフに残ります。必ず勝ちます」「1匹の犬と4匹の猫がいます、私はキエフを離れません。どうか神のご加護を」「ご寄付はウクライナの子ども達のために使います、ありがとう」「キエフに居ます。ええ、戦争が終わったら美しいキエフの街でお会いしましょう、ありがとう」など生の声を聞くことが出来ました。

またこのような返事を貰っていた途中で「丁度いま妹や妹の子ども達がポーランドに着いたとメールと写真が送って来た」と安堵と喜びの内容の返答がありました。その後何とこの方からこのポーランドに着いた家族の写真の添付もありました。「多少疲れ気味の妹さんでしたが、子ども達は元気そうでした」。私もとても嬉しいですとお答えしました。初めてメールをした方々ですが、どうか無事でいて欲しいと願わずにはいられません。

ただ中には返事が貰えない方がいらっしゃいます。交信手段が駄目なだけならいいのですが・・・もうケガ人や人の死はみたくありません。1日も早く停戦して欲しいと願うばかりです。

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支援や援助のやり方は様々な形態があると思います。だだ祈るだけでも十分です。このような理不尽な殺戮を決して許さないと心にとめたいと思います。

「愛の反対は憎しみではない。無関心だ。」(マザー・テレサ)

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