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日記・コラム・つぶやき

2017年10月 1日 (日)

手を挙げる(キレる)前に考えよう

時として人間は感情に支配されてしまいます。 ちょっとしたことがきっかけで怒りがこみ上げてしまいます。いわゆる「切れた」状態になることもあります。

感情や情熱の支配から時として、素晴らしい芸術や文学も生まれることがあります。恋でもそうです。相手を想う感情が溢れ出し、それこそ周りが見えない状態になります。

Th_b252ed5f11bc314e594e18f3545cf73a しかし、実社会においては「切れる」事に対して殆どいいことはないのです。相手を傷つけ、不快にし、敵対し合います。そしてなによりもこの感情が収まった時に1番惨めな思いをするのは、自分自身だと気づくのです。

激情型の人間は、自分がこのタイプの人間であることを、まず認識すべきです。あることが起こった時に、まず一呼吸置くことです。そして冷静に考えるのです。

理論的に解釈するように心がけてゆきます。 最初は上手く行かなくとも、次第に人間の脳は学ぶことが出来ます。 次第に同じことが起こり怒りがこみ上げても、それを冷静に考え処理することが可能となります。今まで自分にあった「切れる」という幼弱性を克服することが可能なのです。

1度出で言葉は、本意でなくても、取り消すことは出来ません。常に冷静に考え、発する言葉に気をつける様にならないといけないのです。 それが成長だと思うからです。

2017年9月10日 (日)

○○ファーストの行き着く先は

最近世界の政治では○○ファーストが溢れている。

それを支持する人々には聞こえはいいのかもしれません。 まず有権者、自分を支えてくれることを第1位と考えて施策を講じることは、為政者にとってある意味正しいのかもしれません。

Th_4df16f41019fbafc6c5f89ce87aa41e0 しかしながら「○○ファースト」がややもすると「他の人々はどうでもいい」との排他的な考えが同時に起こることを危惧するのは私だけではないと思う。

正義や理想、理念なき世界での○○ファースト。 ○○ファーストを掲げる方々の意見と博愛や平等といった全世界共通の理想との整合性をどうするかが難しいと考える。

自分だけが良ければとの考えはいずれ、自分以外との間で軋轢をうみ、衝突が必須であろうと考える。

世界・日本中ではびこる○○ファースト、その追及の行く着く先は殺し合いによる決着しかなくなるかも知れない。 そこで勝つのは正義ではなくて単なる多数者であると言うことを歴史から学ばないといけないと思う。

2017年8月16日 (水)

8月は青春だ

子供の頃から高校まで、夏休みがある8月が1番楽しい時間だった。

そこには紛れもなく私の青春があった。8月は眩しい程いつも光輝いていた。

Th_dsc017012 受験勉強もない田舎でのんびりと過ごして、青春を謳歌していていた自分が、よりによって医学部を目指し、上京。 どんなに頑張っても医学部の入学にかすりもしない成績。 大切なものも失い、沢山の重圧の中で過ごした日々。 泣きながら、心の中でずっと「もう許して」と叫び続けた日々。

医学部に入り必死で勉強し上位で卒業、医者になっても過去のトラウマを思い出したくなくて、ひたすら仕事をした。 あの輝いていた8月は消えてしまっていた。

今年も8月がやって来た。全てが熱く光輝いている季節、今もきっと輝いているはずだ。私が好きだった季節。 残りの人生をかけてゆっくりと思い出したい8月がここにある。

2017年7月30日 (日)

憧れと嫉妬

何かを行動とする原動力に「憧れ」があります。憧れは「夢」を現実化させて、実存する人や生き方を例えにこれからの道標になる。

あの人のようになりたい、あの生き方を真似してみたいと思う。
その憧れが強烈であればあるほど、近づきたいと渇望する。しかし思うように出来ないのが世の常である。そこにはある種の嫉妬が介在する。

憧れへの嫉妬がブレーキをかけてしまい、先に進まなくなる。強烈な憧れほど達しない時に嫉妬も強く感じられる。

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そのような嫉妬は心の負担、マイナス面にしかならない。憧れは目標であり、同一にはなり得ないことを理解せねばなるまい。 そのことを自覚すると心が軽くなり、憧れを斜め前に置いて、見ながら進むことが出来るようになる。

憧れを嫉妬により引きずり下ろし同化するのではなく、常に自分の斜め前に向かって走り続ける存在であって欲しいと願う。 それに近づくことでいつか自分も憧れを掴むことが出来るかもしれないと思いながら生きてゆきたい。

2017年7月19日 (水)

レモンに対する日本人と欧米人での違い

ずっと以前、ビタミンC欠乏症による壊血病について話をした時に、イギリス海軍は海賊よりも当時恐れられていた壊血病の克服に、長期航海で多量のレモンを積んで船員に与えたことで、壊血病を克服し世界の覇者となった記事を書いたことがありました(http://omoromachi.cocolog-nifty.com/blog/2013/03/font.html )。

そのためにイギリス海軍のことをレイミーと呼ぶ場合があることを知りましたが、それはスラングとしてもあまりいい意味ではないので使わない方がいいと教えられたのですが、理由は分かりませんでした。

Th_ 英語力のない私はその疑問を思い出したので調べてみました。

どうもレモンに関するイメージは日本と欧米ではかなり違うようです。特にアメリカ英語ではイギリス英語よりも厳しいようです。

私達日本人にとって多くは、レモンは「爽やか」「清々しい」イメージ、そして「青春」と重なります。しかし欧米ではレモンの皮は厚く硬く、また味も酸っぱくて印象はよくないらしく、レモンを目の敵にした表現が多いですcoldsweats02

「lemon」はバカバカしい人や物をさして表現します。主にアメリカ英語では故障ばかりする電化製品や車のことを「a lemon(不良品、欠陥車)」と呼んだりするようです。イギリス英語では物よりも人に対して「バカ」「ふざけた奴」として扱われるようです。like a lemon だと「出来損ない」「役立たず」を意味するようです。

私達日本人は頭に来るような上司がいても、反論出来ないことが多いので、その時はそっと「部長さんはレモンの様ですね」などと言いましょう。どういう意味?と聞かれたら、英語の意味は言わずに「爽やかですものね」と言えば怒られないでしょうか?(・・冗談ですよ、上司が英語が堪能なら左遷されますcoldsweats01)。

「do me a lemon」は「まさか」、「嘘だろう?」であり、「suck a lemon」は「失せろ!」「どこかで言ってしまえ」の意味となります。・・・・等とあまり言い表現ではありません。

ついでに「lemon」 と違い良い意味で使われることが多いのが「peach:モモ」です。

ですのでShe is a lemon.「彼女は嫌な奴(魅力的ではない)」となりますが She is a peach.なら「彼女はとても魅力的な女性」となります。 日本人男性諸君、レモンとピーチを使い分けないと欧米では痛い目にあいますので注意です。

壊血病のことは知っていましたが、英語力のない私はこの様な「lemon」の使い方は知りませんでしたweep

2017年7月 9日 (日)

孤独の中で光を求めて生きている

私達は生を受け、死ぬまで親や家族、社会と密接に結び付いて生きている。

でも、ふと1人になった時、人は孤独の中で生きていることを実感する。

Th_img_3336 その深く閉ざされた部分は誰も知るよしもない。お前のことは全部知っているよと言われても、誰も知らないのだ。

自分の孤独を素直に見つめることで、冷静に相手を見ようとしている。しかし誰も自分を知らないように、実は自分も相手(世界)のことを知らないのだ。

孤独を超えることは出来ないことを知っている。一瞬でもこの孤独を消し去るために光を求めて妥協する。

孤独という感情の世界から、理性で光を求めて生き抜こうともがいている。 それでいいのだと自分に言い聞かせながら・・・・・

2017年6月25日 (日)

清く生きる

何となく、残りの人生を清く生きれたらいいなと頭をよぎった。
(それって!俺はこれまで清くなかったと言うことか・・・weep

Th_ 生き方の本などを見ると「清く・正しく・美しく」生きることが何時の時代も人間の生き方の手本のように書いてある。

ただこの3語とも絡み合って同じ意味の人生になる気がしてならない。なぜなら清く生きれば正しく美しいはずだし、正しい生き方は清く美しく、美しい生き方は清く正しいはずだからに違いないと考えてしまう。

ただ、清く生きたいと思うのは、おそらくこれまでのしがらみや過去の遺物に取り付かれることなく、濁りやよどみが無くて、潔く最期を迎えたいとの願望があるからかも知れない。

最近のニュースで、輝かしい(?)経歴を持った国会議員が部下を罵るような録音を聴くと、悲しく痛ましく思う。人として何も学んで来なかったのだろう。この様な「清くもなく・正しくもなく・美しくもない」人が世の中を牛耳っているのはおかしいと感じる。

・・・他人のことは兎も角、自分自身は少しでも清く生きる努力をしなければと思う今日この頃ですcoldsweats01

2017年6月 4日 (日)

これでいいじゃないの・・・思考停止

以前にも深く考えなくなった日本人について書いたことがあるのですが、ますます深刻化して来ている気がして心配です。

今の日本の政治を見ていると、余りに情けない大臣が多かったり、議論も深めないまま、国会議員でさえ内容を答えることが出来ない法案が数の力だけで採決されることが余りに多い。

Th_dsc07766_2 私自身はどの政党がいいとかは全く持っていない。しかし真摯に国民のこと(自分のことではなく)を考えて、納得出来る説明が出来る方を選びたいと思っている。

今の政治は政権がひっくり返るような不祥事や発言があっても、誰も咎めない。私達国民の多くも、もういいんじゃない、野党も代わる人がいないし。もういいんじゃない、東京五輪もあるしテロが起きたら大変だし、もういいんじゃない、俺には関係ないことだし・・・

考えることが面倒になった社会。しかし考えざるお得ない事態になった時、万事休すと諦めるしかないのだろうか。

平和や民主主義を維持するのは実に「めんどくさい」。しかし失って初めて大切さに気がつくものなのかと・・・次の世代のためにも「諦めてはいけない」と考えた日曜日の朝でした。

2017年5月 7日 (日)

飛行機内の無礼な態度

先日、東京の出張の帰りに、プレミアムクラスで帰りました(このような時には当然、職場持ちではなくて自腹での支払いとなります)。

Th_ このクラスは、食事もつきますので至れり尽くせりです。2−3−2の並びで席も広々としています。優先搭乗もあり、早めに機内に乗り込みました。客室乗務員さんから御丁寧な挨拶も受けて嬉しいと感じながら、窓際の席に着きました。

しばらくすると、隣の席の方が大きな荷物を抱えながら、凄い勢いで荷物を棚に入れて、座席に着きました。 その方にも客室乗務員さんは笑みを浮かべて挨拶。「何か新聞でもお持ちしましょうか?」との答えに「○○新聞、持ってこい」と・・・・その後も「水を持ってこい」「ビールくれ}などの礼儀のない言葉が続くのです。 最初は無視していたのですが・・いったいこの方は何か勘違いしているのではないかと考えてしまうのです。 お金を払っているからいいと言う訳ではないと思うのです。 何を威張りたいのでしょう? 自分は偉いと勘違いしているのでしょうか?    

小さな弁当箱の食事がこのクラスでは出されます。 Th__2 私の夕食でもあり、ボリュームは少ないのですが美味しく頂けました。まあその時でもお隣の方、左手で雑誌を読みながら、行儀悪く食事を取っているのです。

時々世の中には勘違いさんを見かけることがあります。礼節がない態度しか取れない方は見苦しいです。 威張っても誰もそんな方が偉いなんて思っていません。こんなことを知らないなんである意味不幸な方でもいらっしゃるわけです。

知崇礼卑(ちすうれいひ)という言葉を思い出しました。相手がどの人であっても接する態度は自分自身の表れでしかありません。他者に対する態度は自分に跳ね返って来るのです。私ももう少し謙虚でありたいと願うフライトでありました。

2017年5月 4日 (木)

博士が愛した数式

今日はのんびりと映画を観ていました。10年以上前に映画化されていますので、映画や小山洋子さん原著で読まれた方かも多いと思います。

Th_6082f3393d93671ffee6b9e242735671 映画の内容や評判に関してはすでに多くの方が書かれていると思いますが、80分しか記憶が持たない天才数学者とその家政婦と家政婦の子供(博士がルート√と呼んでいます)との関わりのなかで、数式の美しさが表現されています。 (まあ、家政婦さんが次々と交換するほどの博士の状態ではないとか、家政婦さんが余りにチャーミングで、シングルマザーと一人息子関係も良好すぎるほどななど・・多少問題もありますが、こんなものどうでもよいことでした)

数学者が家政婦さんやその息子さんに説明する数式を聞きながら、こちらもその美しさにはまり込みそうになります。次々と数式や公式などが出てきます。素数、完全数、友愛数、π、√、など懐かしい数式ですが、これが美しいとは感じたことが今までなかっただけに、この映画で数学者の頭の中を少し理解できた気がしました。

映画のなかで博士が説明します。「素数とは」;素数の素は素直な素、何も加えない、本来の自分と言う意味、潔く、美しいではないか。つまり1と自分自身以外では割り切れない数字のこと。 例えば2.3.5.7.11.13.17,19.23.29・・・・この素数は夜空に光る星のように無限に存在しますと・・・

「完全数とは」;28の約数を足すと、28になるんです。完全数だ、デカルトは完全な人間が滅多にいないように、完全な数も稀だといっている。 この数千年の間に見つかった完全数の数は30個に満たないんだよ・・・<参考までに28の数字は割れる数字は、1.2.3.4.7.14となります。それを合計すると28となります。6=1+2+3となり6も完全数です、それ以上なら486となるそうです>・・・なるほど凄い数値だと思わず映画を見ながら納得するわけですcoldsweats01

「友愛数とは」;見てご覧、この素晴らしい一続きの数字の連なりを。 284の約数の和は220。220の約数の和は284・・・・友愛数だ(未だ世界で5つしか発見されていない組み合わせ)。 神の計らいを受けた、絆で結ばれた数字なんだ、美しいと思わないかい?  君(家政婦さん)の誕生日(2月20日)と、僕の手首の時計に刻まれた文字(284)が、これほどまでに見事なチェーンで繋がり合っているなんて・・・<参考までに;220の約数の和 1+2+4+5+10+11+20+22+44+55+110=284となり、284の約数の和、1+2+4+71+142=220となります>・・・そうかこんなに少ないのかなどと思いなが映画を進めていましたhappy01

Th_3b84053f54d4907b1fa25fa54ddc02cb 私達はおそらく、先天的に美しいものを感じ取ることが出来ると思います。朝日や夕日、花々、恋人、音楽などなど・・・それは生命を維持するために先天的にDNAに組み込まれたものかも知れません。これに反し「数式の美しさ」は、それを理解して初めて成り立つもので、完全に後天的な捉え方だと考えます。 

私達はこの先天的の持っているものと、後天的に獲得したものが複雑に絡み合って美しいと感じるのだと思うのです。 生涯を通して学ばなければ美しいものを見逃してしまうのかも知れません・・・実にもったいないことですcoldsweats02

この映画のなかで、もう一つ(明日が子供の日だからではありませんが)博士が子供を通して「小さいもの、弱いもの」への愛情を示します。 少子化が進む日本で、どうか「小さいもの、弱いもの」が美しく感じられる社会になって欲しいと思いながら映画を見終わりました。

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