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日記・コラム・つぶやき

2018年7月29日 (日)

人間の価値と生産性

嫌な世の中だと思うことがまたあった。ある馬鹿げた議員が「LGBTは生産性のない」との発言。 生産性から人間の価値を決めつけるような発言。 2年前に起きた「津久井やまゆり園」のことが思い出され(その時のブログ→http://omoromachi.cocolog-nifty.com/blog/2016/07/post-26a7.html )、優性思想に繋がる日本での優生保護法、さらにはナチスの思想にも繋がる一連の発想。                            Th_img_1274       

人の価値ってなんだろう? 人の見方も感じ方も多様だし、人間の価値ってある1つの基準では決めることの出来ない多様な意味を持っていると考えるのです。                                 

私達人間は多種多様性の中で、いつも偶然というファクターを含んで生きています。私はもしかしたらあなたのように成れたかも知れないし、成ったのかも知れないのです。 他人に起こることは自分にも起こり得ることなのです。

自分以外を排除する思想は自分を排除する思想と一緒であることに気がつかないといけないと思うのです。                               
Th_dsc06940 このような方々の発言や行為はアウシュビッツで見た光景と重なってきます。列車から降りた人々をナチの係官が一瞬見ただけで「使えるか使えないかで」収容者をガス室に送るか否かを決たことと同じことだと(→http://omoromachi.cocolog-nifty.com/blog/2017/11/65-5983.html )。                        
人は様々です。1つの事柄で優越などつけられません。他人を認めることは自分を認めることです。人は生きているだけで素晴らしいのです。そんな当たり前のことをまず個人としても社会としても再確認する必要があると思うのです。                
何かを取り上げて人間の価値を決めるような偏狭な人間に人の価値を語る資格などないと怒りを覚えた日曜日の朝でした。                                 

2018年6月23日 (土)

沖縄慰霊の日に;平和って何だろう

今日6月23日は73年目の「慰霊の日」です。沖縄県では太平洋戦争末期の沖縄で組織的戦闘が終了した日を「慰霊の日」定めています。

Th_01ad3c5daacacc0a43cc18fd58fa7588 沖縄では悲惨な地上戦が行われ、非戦闘員が多数巻きこまれて犠牲となりました(以前のブログにも記載しましたhttp://omoromachi.cocolog-nifty.com/blog/2013/06/post-e44a.html )。

私にとっては学校の校長をしていたお祖父さん、県立中学生だった二人の叔父さんが犠牲となった戦争でした。

徴兵され戦後満州から引き揚げて来た父の無念はいかばかりだったかと想像します。

ただ平和を考える時、今の世界をみてみると戦争状態でないことが平和ということなのだろうかと考えてしまいます。

おそらく平和の究極の反対は戦争であろうと考えます。 しかし生活が保障されず不安定な状態や恐喝されたり、いじめを受けている場合は戦争ではなくても平和なのでしょうか?

行き過ぎた格差の中で生きている底辺の人々にとっては平和な世界なのだろうか? 正義が脅かされ、自由を制限される中で生きることは平和なのだろうか?

一昨年旅行で訪ねたアウシュビッツでみた光景。その時代に迫害されたユダヤ人が平和を求めて作ったイスラエルという国。しかしその人々がパレスチナ人を迫害する世界。

虐待されて死んでいった子供達、いわれのない差別の中で生きて来た人々。

何故、人はもっと優しくなれないのだろう。「それが人間だよと」言われても、やはりもっと幸せになりたい、もっと幸せになって欲しいと祈るのです。 

「慰霊の日」に人が寛容で慈悲深いならば、本当の平和が人々に訪れるのではないだろうかと想像するのです。 今日はゆっくりと祈りを捧げたいです。

2018年6月 9日 (土)

目黒虐待児の反省文:私達へのメッセージ

目黒虐待児の反省文に関して心が痛くて、眠れない日が続いています。やっと覚えたひらがらで懸命に書いた文書。その言葉ひとつひとつが子供が書く文書、子供が経験すべきことではないと・・・・                                 
「もうおねがい ゆるして ゆるしてください おねがいします」                 
この文が公表されてから寝ようとすると、この子の書いた幼い文字が浮かんで来るのです。胸がちぎれそうな痛みを覚えるのです。                           
Th_4551cc79141c80b99b69d123ba54bf1d 実は日本で虐待死の子供は毎年50人もいるのです。でもその子らは結愛ちゃんのように悲痛な言葉を残さなかった(残しても捨てられたのかも知れません)ために、私達も痛みに感じても他人事のように直ぐに忘れてしまうのです。                             
今思うと、この子は自分と同じ様に命を奪われた子供達のために書き残したのではないかと考えてしまうのです。                                 
子供を大人、社会が守らなくて、いったい誰が守るのでしょう。この子供が書き残した文書は私達への命を賭けた最後のメッセージなのです。                                                  
子供を守ること、親を孤立させないないことなど、やるべきことが沢山あります。親のせい、児童相談所のせい、その他の行政のせい・・・多くは防ぐことが出来たのかも知れないのです。 防ぐことが出来なかったのは誰のせいでもなく私達の無関心のせいなのです。
 
マザー・テレサの有名な言葉に「愛の反対は憎しみではない、無関心だ」と説いています。                                               
子供が子供らしく生きてゆく社会を私達は少しの忍耐と犠牲を払ってでも構築する必要があると思うのです。

2018年6月 1日 (金)

国民栄誉賞は年齢制限をつけてもいいのでは

国民栄誉賞の受賞者がこの2〜3年一気に増えた感じがあります。それ程、多数の優秀な人材が活躍したことでしょうから素晴らしいことだと思います。

私自身はこれまでに老若男女を問わずに尊敬出来る方は差別なく立派な方々だと思っていました。 当然、私自身も国民栄誉賞を取る方はそれだけの価値のある実績を積み上げているからだと考えています。

これを書いたら皆にパッシングを受けるかも知れませんが、私はある程度の年齢になってから、「国民栄誉賞」は差し上げていいのではと考えています。若い方には「国民栄誉賞」と言う名前自体が重りになると考えるのです。

Th_ スポーツや囲碁・将棋などのいわゆる勝負の世界で子供の頃から戦って来た人間です。この一点の世界では世界的に素晴らしい方々です。 しかし実社会やそれ以外の関係では逆に経験不足で未熟な部分も多く残していると考えるのです。

今や高齢化社会でもあり、国民栄誉賞を頂いた年月より実はその後の人生の方がずっと長いと考えます。 あまりにも若くしてこの様な栄誉ある賞を貰うことで、その後の人生の負担にならないかが心配なのです。

若者らしく、自由に生きて行けないのではないか、時には世間の目から逃れたい時期もあるのではないのかと思うのです。自由に恋愛もしたいのではないかと・・

もしも若い時の実績が十分ならば、その方がもう少し大人になってから差し上げてもいいのではないかと思うのです。 

どうしてもなら今回の羽生選手のような方なら、「国民フィギュアスケート大賞」などの違う名称でも良いのではないかと考えてしまうのです。そして彼が今後現役を退いてもなお指導者などとしてフィギュアスケート界の発展に寄与したと言うことで「国民栄誉賞」でも良いのではないかと思うのです。

折角の羽生選手の素晴らしい受賞の喜びに対して水を差すようで申し訳ありません。皆様方はどう思われるのでしょう?

2018年5月20日 (日)

今年も無事メジロが巣立ちました

何故、都会のこんな小さな庭にメジロが巣を作るんだよと呆れながら、本当は嬉しいメジロの営巣なのですlovely

メジロは巣作りから巣立ちまで本当に音を立てませんし、子育て中の雛の糞も親鳥が口に加えて他の場所に捨てるために、巣があっても全く気がつきません。(以前の動画はここからご覧になれます→https://www.youtube.com/watch?v=H75Zj69Xktc  )

Th_dsc09679 今年も花壇に水をやろうとして、見上げた直ぐ近くに、真新しいメジロの巣が作られています。 そうなるともう我が家は大変(?)です。 巣立つまでの期間、カーテンは開けられないし、外灯もつけられません。 とにかく家の主は静かに過ごす3週間となるのです(普段通りしていても大丈夫と思うのですが、それでも折角の営巣を邪魔する訳にはいけません)

10年程前に初めてこの木でメジロが巣作りをしているのを発見し、その後毎年のように巣を構えていました。1度この木が大きくなりすぎて途中から切ってしまい、その年には巣を作りませんでした。しかしその後また毎年のように巣作りをしています。 メジロの寿命は3〜4年と言われていますので、違うペアか、この場所から巣立った子供達がここで巣を作ってくれたらいいなと想像しています。

Th_ 如何せん、低い位置にありますので、2階から見下ろすと丸見えですが、巣作り以降はこちらのカーテンは開けれません。なるべく遠くの窓より、カメラだけ出して望遠で撮影です。 10日ほどすると雛が孵ったようで、少し慌ただしくなります。しばらくすると雛が首を伸ばしてエサを貰うために、確認出来ます。 例年3(〜4)羽なのですが、今年は2羽のようです。

Th__3 最初は羽が生えずに真っ赤な皮膚で、目も開いていません。その後は日に日に羽が生えて来、親からの食べ物も最初は水様の液を吐き出して与えているようですが、その後は次第に大きな昆虫や実などを一気に飲み込んでしまいます。

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思ったよりもメジロの巣立ちは早く孵化から12から14日程度では巣から飛び出るようです。毎日観察したいのですが、仕事もあるので、何時もは巣立った後のもぬけの殻をみて、無事巣立ったということを気づくことが殆どでした。

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今回は何と、朝起きたら1羽が飛び出し、もう一匹が飛び出す直前の写真が取れました。出かける示度をおえ、仕事場に向かおうとしたら、何と隣とのフェンスに小さなメジロ達が・・・慌ててカメラを取り出して、撮影に成功。親鳥と比べると毬のような感じですが、精悍な面構えhappy02ですのでこれから試練を乗り越えてくれるでしょう。

メジロの親子の懸命さを感じながら命の大切さを教えて貰えるひとときでしたheart04

2018年5月 3日 (木)

改憲の必要性が判らない

あの大戦で、多くの国民が亡くなり、国土が焦土となることを経験した私達日本。日本だけでなく世界中の人々が戦争はもうこりごりで、世界の恒久平和を希望したはずです。

Th_762737 日本は戦後、戦前の反省から世界的にも画期的な積極的平和主義を打ち出し、憲法にも盛り込まれました。

私は沖縄に生まれ、戦争を生き抜いた両親や祖母などを通し、戦後の米国支配下での経験を介して平和とはどれ程貴重であり、それを維持するのは戦争より困難であることを肌を通して分かっているつもりでいます。

第二次世界大戦を経験した世界中の殆どの人々は敗戦国であれ、戦勝国であれ、もう2度と戦争はしたくないと考えたはずです。

しかし、人間はまだまだ未熟です。記憶が薄れ、自分で経験しなくなると、悲惨な戦争を想像できずに、少しでも他者が自分の意に反すれば力ずくでねじ伏せようと考える人が出てくるのです。 

世界が混沌とする中で、政治家が他国と比べて自国の優越性を訴えると、私達も優越感に浸って引きつけられてしまうのです。次第に冷静さを失い、盲目的にそのような訴えを信じてしまうのです。

戦争は為政者同士の交渉の失敗によって起こります(もちろん狂人的な支配者に因っても起こりますが)。 憲法は偽政者が勝手な判断が出来ないための大きな足かせとなります。 自衛隊についても多くの国民に認知されていますし、存在を否定する方は少ないと思います。 自衛隊を明記するために憲法改正が必要なのでしょうか?

変える必要もない憲法に対して、戦後他国から押し付けられたからとか、制定後時間が経っているとかで「変えないといけないような雰囲気(空気)」に飲み込まれている気がしています。 

何故いま憲法を変えないといけないのでしょうか? 本当に変えないと不都合があるのでしょうか? この憲法のお陰で、私達の生活で何か不自由なことがあったのでしょうか? 

新しく取り入れたいことがあれば立法で足したら十分成り立つのだと思うのです。

政治家にとっては不自由さはあっても国民からこの憲法は不自由なのでしょうか? 政治家のための改憲なら必要ないと思うのです。 改憲よりもっとやることが山積している日本の現状だと思えるのです。

今一度、改憲の議論の前に、憲法の重要性を考えないといけないと思う「憲法記念日」です。

2018年4月22日 (日)

微笑むこと

「微笑む」ことに関して、おそらく誰も否定的な意見はなく、自ら微笑むことで相手に対してもよい効果が得られるのだと信じているはずだ。

ただ微笑む行為にも幾つかの違いがあるのだろう?

何も考えずに、何時でも微笑んでいたら、異常としか思えない。場違いな所で微笑まれても、こちらも困惑してしまう。

対価を求めて微笑む場合もあるのだろう。相手に嫌われないため、物を売るため、恋愛対象者に気に入って貰うための微笑みがあるのだろう。

Th_img_0824 自然に微笑む行為もあるだろう。母子の関係など、小さく、愛おしい者への愛情として。

対価ではなく更にプロフェッショナルとなった領域での微笑みもあるかも知れない。訓練に訓練を重ね、状況を判断して,次第にこれが身についた人々の微笑みも。

その中で最強の微笑みは、打ちひしがれ、心に重りを背負いながらも、相手を愛しむ微笑みではないかと思う。

この最後の微笑みにかなうものはないのかも知れない。深く慈愛に満ち、相手の心の中に達し、その人の苦しみを和らげる微笑み。

私には無理だと分かっていても、医療人として何時の日かこの微笑みを手に入れたいと願っている。

2018年4月15日 (日)

忖度のために嘘を重ねる結果に

今の政治のあり方に対しては余りに酷すぎて書く気にも暫くならなかったのですが・・・

憲法は守らないし、都合が悪ければ記憶にないことにし、はぐらかしてまともに答えない。 日本において民主主義が崩れる音が聞こえてきます。 多くの方が危機感を持っている一方、理論的に対応せずに盲目的に信じている方も多いと感じます。

そもそも公文書ってなんなのでしょう。 書き換えてはいけないし、間違えた場合は訂正した文書も公にされるとともに、書き換える以前の文書も残しておかないといけないはずです。保管義務も当然あります。 歴史的な国民の財産なのです。

私のような医師をしていると、診断書を始め様々な公文書を書く機会があります。癌でもないのに、相手が癌保険に入っているからと忖度(?)して「癌」と書いていいのでしょうか?そんなことをしたら1発で行政処分や逮捕となります。

Th_ 私のブログでも何度も書いた通り、私の一番嫌いな人間は「平気で嘘をつく方」「裏表がある方」です。こんなに政治や行政の世界で嘘が蔓延していることに、怒りを通り越して落胆さえ覚えてしまうのです。

嘘を平気でつく方の忖度をして、嘘につじつまを合わせて嘘を書けば、もう真実が何処にあるのかさえ判らなくなります。

政治家より優秀な日本の官僚達にもう一度公僕であること、自分の仕事に誇りが持てるようにさせなといけません。 そのためにはなにをしないといけないのか・・・・まずは「内閣人事局」の制度を刷新しなといけないと考えてしまいます。

政府への忖度を重ねる方ではなく、実力があり正義に基づいてブレない官僚がドップに成れる組織を作らないと隠蔽体質は今後も変わらないと思うのです。

これ程多様で根深い政治がらみの不祥事が起こり続けると、もう何でもありとなって、行政の信頼性、国そのものが崩壊してしまう危機的な状況なのだと考えてしま今日この頃です。

2018年3月18日 (日)

美しい瞬間

Th_dsc09629 季節は一気に春へと向かっています。周りを見渡すと春を感じさせる花々も沢山咲いてきています。多くの方にとっては桜が春と一番一致する花かも知れませんね。

毎年3月中旬頃、拙宅に1本植えた「イペー」が一斉に真っ黄色な花を咲さかせ、私にも春が来たことを実感させてくれます。

イペー(学名: タベブイア・クリソトリカ、英名: ゴールデントランペットツリー和名: コガネノウゼン/黄金凌霄花)はブラジルの国花で白、黄、紫の花を咲かせます。

沖縄に広く普及したのは、オリオンビールが会社創立30周年の記念事業で、沖縄の南米移住地であるボリビアより多量の種子をとりよせ、緑化事業の一つとして無料で県民に配布したからだそうです。  桜と同じ様に冬に葉が落ちて、春に花が咲き、その後新芽が出てきます。夏の暑い時期には葉が繁茂しますので、適度な日陰を作ってくれます。

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この花はおおよそ1〜2週間で一気に咲き誇るため、その鮮やかな黄色の花を楽しむのも1年で僅かな時間しかありません。この花が咲く僅かな期間が我が家での「一番美しい瞬間(とき)」です。

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あまり手入れもしないのですが、3月は様々な花が咲き誇っています。南国らしいブーゲンビリアの赤も鮮やかです。
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花が咲く時期には蜜を求めてかメジロが頻回に訪ねてくれます。これまでこの木には時々、メジロが巣作りをしてくれていました。中にはこの木から巣立ったメジロもいるのかも知れません(http://omoromachi.cocolog-nifty.com/blog/2015/06/post-3f8f.html )。
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あまり四季のない沖縄ですが、植物は敏感に春を感じているのですね。美しい花々に感謝するひとときですheart04

2018年3月11日 (日)

東日本大震災から7年目

あの大震災から7年目の3.11がやって来ました。 
本当に未曾有な震災で、直後に起きた津波の破壊力、その後の原発のメルトダウンによる放射能により未だふるさとに帰れない多くの方々。 Th_dsc03187 何も罪のない被害者がうけたその後の差別、健康被害・・・幾十の苦難に立ち向かって今を生きている方々が未だに多くいらっしゃいます。                

時は川の流れのように戻ることはありません。私達は川の水の流れのように、沢山の場所から集まって一つになり、そして別れてゆきます。海へとなり世界中の全てのものが混ざり、そして水蒸気となって大地を潤し、川となってゆきます。その中に身を委ねることしか出来ません。

時は流れます。しかし記憶は後戻りが出来ます。その記憶のよりどころにふるさとがあります。その故郷をバカにしたり非難する方もいます。福島にしてもそうですし、私自身の住む沖縄に対しても自分と異質なものとして排除しようとする方も中にはいます。 

故郷を変えることは出来ません。それは自分自身の存在を否定してしまうことになりかえないことなのです。

どこで生まれようが、どの肌を持っていようが、どの民族、どの宗教、どの言語を話そうが、私達は何も変わらないのです。全てを含んだ海の水が水蒸気となってどこに降り注ぐかは誰も知りません。それと同じで私達は偶然この地球のこの場所で生まれただけなのです。

Th_dsc03323_5 私はあの東北大震災の時に沖縄に居て、地震も感じず、何も変わらない朝を迎え仕事をしていました。

しかし同じ時間に沢山の命が奪われ、故郷をなくした方々が沢山いたのです。その後も放射能事故のせいで一生故郷にも帰ることが出来ない方々も沢山いるのです。

地球の何処かで誰かに起こったことは私自身にも起こり得ることです。

今年も3月11日が訪れました。きっと今日の海は何事もなかったように穏やかに人々を迎えていると思います。また新たな気持ちで東北大震災で犠牲になった方々のご冥福をお祈りし、経験した方々の胸の内を想像したいと考えています。

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