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2018年7月15日 (日)

世界を夢みて 87: アルファンブラ宮殿の中心

8世紀頃よりスペインを征服して来たイスラム教国も次第に、キリスト教徒の国土回復運動によって最南端に追いつめられてゆきます。 13世紀、イベリア半島に残る最後のイスラム教国となったのが、半島最南部のグラナダ王国でした。 アルハンブラ宮殿は、この王国を興したナスル朝が、1238年から1391年に完成させた宮殿で、イスラム建築の最高傑作として評価されています。

Th_dsc00144 アルハンブラとはスペイン語で「赤い城」ということのようで、赤い血をイメージする戦闘用の城ではないとこの建築を観ると感じられます。壁が赤いとか建築の時昼夜を問わず進めたために灯りのおかけで赤く見えたからなど諸説あるようです。

当時イスラム教徒は追い詰められたことは当然分かっていたはずですし、戦闘の準備ならこの様な装飾豊かな内装を必要としていなかったと思うのです。 この繊細で美しい城の内部はスペインを征服したイスラム王朝が最後に自分達の文化や芸術、建築の素晴らしさをスペインのキリスト教徒のみならずヨーロッパの人々に見せつける為に造ったのではないかと想像さえするのです。

その繊細な内部を見学するにつけ、最後のイスラムの王様は自分達の文化や美しい城を後世に残そうとしたのではないかと考えるのです。だからこそキリスト教軍に包囲された後、戦闘に及ばず無血開城を決心した思うし、明け渡されたキリスト教徒もこの城の美しさを眺めて破壊してはいけないと考えたのではないかと想いを馳せるのです。

アルハンブラ宮殿の中心ナスル宮に入るのは入場時間が指定されていますので、私達は先にヘネラリーフェ離宮を観てから谷をまたぎ、バルタル庭園の中を進み王宮へと向かいました。イスラムの世界らしく、外観はとても質素に出来ています。外壁も茶色の無味乾燥した形です。ところが中に入ると様子は一変します。

王宮に入ると見所満載です。

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先ずは有名な、王宮の南側の「天人花の中庭」からカマーレスの塔が水面に映り出され本当に綺麗です。左右対称のイスラム建築で、コマーレスの塔のアーチが美しいです。このアーチひとつひとつに素晴らしいアラベスク模様の彫刻が柱全体を覆い尽くしています。

Th_dsc00228中に入ると有名な「ライオンの間」があります。ライオンの間のは124本の列柱が整然と並んでいます。入り口から観るライオンの間も素敵です。下部の部分の柱はスッキリしていますが上部のアーチの部分は緻密で繊細な漆喰細工が施されています。森をイメージした作りとなっています。

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ここから直ぐに、これもアルハンブラ宮殿で有名な「ライオンの中庭」があります。ここから先は王のハーレムで当時は王様以外の男性は入れない場所でした。

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ハーレムにいた女性達の場所だった為でしょうか、このライオンたちの顔がみな優しいのです。 12頭のライオンが1時間おきに1頭ずつが水を出して時間を知らせる水時計として設計されていたそうです。

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ライオンの間の北側奥には二姉妹の間があります。床の敷石に使われた2枚の大きな大理石からこの名前がついたとされますが、圧巻は天井に施されたモカベラという鍾乳石が無数に垂れ下がっているような細かな装飾の円天井です。まるでレースのような緻密な美しさがあります。かつてはハーレムの女性達と王だけが観ることが出来た空間です。

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細部にまで細かな装飾がなされています。拡大して並べてみました。細かすぎて眼がクラクラしそうになります。この天井は7種類のムカルナス(飾りを模った部品)をなんと5000個も組み合わせて造られているそうです。Th_dsc00298

二姉妹の間の奥にもリンダラハの望楼があります。普通では見えないのですが、奥を覗き込むようにすると、天井部分にアルハンブラとしては珍しい、ステンドグラスがあります。イスラム様式の模様が色鮮やかに描かれています。 この広いアルハンブラは至るとことにイスラムの美が隠されていて、一瞬でも気が抜けませんhappy01

Th_dsc00189 今度は「大使の間」の天井です。これは無数の寄木細工を組み合わせて造っています。下から見上げると満点の星空のようです。かつての砂漠の民が見上げた星空だったのかも知れません。部屋の側面のアラベスク模様の彫刻も繊細で、上部の窓も本当に細かい彫刻が施されています。

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タイルの装飾や天井、その他あまりにも、イスラム彫刻の凄いのがありすぎて、ここまで来るとありがたみも分からなくなるほどですcoldsweats02。 何とも贅沢な空間なのだろうかと改めて思います。

国土回復運動によりイスラム支配下であったイベリア半島も、この王朝を残すのみとなりました。最後のナスル王朝の国王も、最後のイスラムの高度の文化をここに残したくて、これ程の宮殿を築いたのでしょうか? イスラム建築の最高傑作として後世に残された人類の宝物は繁栄と衰退、哀愁を漂わせたアルハンブラ宮殿でした。

Th_dsc00130Th_dsc00133_2 アルハンブラの中心にある中で異質な建物があります。壁も直線的で門構えも全くイスラム的ではありません。そこが「カルロス5世宮殿」です。それもそのはずで16世紀になってキリスト教とのカルロス5世がイスラム建築に負けない宮殿づくりを命じて造られたイタリア・ルネサンス様式の宮殿で建設途中で王が亡くなったため未完のままになったとのこと。規模を小さくしたようなコロッセオをイメージしたかのような作りとなっています。私的にはこれが出来たということはこれまであったアルハンブラのイスラム建築を壊して造ったとのではないかと気になってしまう異質な空間でした。

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最後は「貴婦人の塔」に向かう回廊から、世界遺産に同時に登録されているアルバイシン地区の街並みが綺麗に見えました。今回の旅行では観ることが出来ませんでしたが、2回目の旅行時は街を散策出来、ここもまたイスラムの香りが漂う街並みでした。

2018年7月 8日 (日)

世界を夢見て 86: アルファンブラ宮殿:ヘネラリーフェ離宮

アルファンブラ宮殿といえばおそらく多くの方がご存じと思われる有名な世界遺産です。
名前が宮殿とついているので、1つのお城と勘違いしてしまいますが、その敷地内に沢山の王宮や城塞、庭園などを有する街と捉えて方が分かりやすいと思います。それはそれは広いのです。

Th__2 アルハンブラ宮殿の正式な世界遺産登録名は「グラナダのアルハンブラ、ヘネラリーフェ、アルバイシン地区」となっていますので、その名前からして規模の大きさが分かるのかも知れません。
中心はナスル朝宮殿(これが一般的なアルハンブラ宮殿に相当?)と隣接するバルタル宮があり、チノス坂を挟んで東側の小高い丘(太陽の丘)に夏の離宮のヘネラリーフェが美しい庭とともに存在します。それ以外にも沢山あります。 またアルバイシン地区は、北側の宮殿を一望する丘の斜面に広がる住宅地を占めています。 ようするにこれらがまとめて世界遺産に登録されているので非常に広い範囲全体が世界遺産なのです。

まあアルバイシン地区はアルファンブラ宮殿の散策範囲ではありませんが、夏などにこのアルファンブラ宮殿を散策する際は、散策するのに時間を要しますので、暑さ対策として帽子や水などをしっかり持ち歩く必要があると思います。

Th_dsc09982_2 駐車場を下りると直ぐにアルハンブラへの入り口が見えます。ゲートの左横から階段を降りた所にトイレがありますので、入る前に済ませて置きます。アルファンブラ宮殿の入場に関しては、時間と人数に制限を設けています。            煩雑期には直ぐにいってもチケットが取れないこともありますので注意が必要です。またナスル宮殿への入館時間が決まっていますので、この時間に入らないと入れて貰えないようです。 またリュックサックや大きな手荷物、ベビーカーなどはロッカーに預ける必要がありますので、余計なものは車などに置いて入るのがいいと思います。 また午前・午後・夜間の入場に関しても写真撮影はいいのですが、三脚やフラッシュは禁止です。

私達はナサル宮殿までの入館時間までに時間がありましたので、ヘラネリーフェ離宮を先に見ることになりました。

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入ると少し広々としたバルタルの中庭があります。そこのヒエロ門を通ると、綺麗に裁断された糸杉が並んでいる細い通りを奥へと進んで行きます

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この糸杉は1年に1回選定されるそうで、時間が経つと周りから葉が伸びて来るそうです。剪定してどれぐらい立ったかも推定出来るそうです。ここはシエラ・ネバダ山脈の雪解け水を利用して水路や噴水が設けられ「水の宮殿」とも呼ばれています。

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離宮に着く間にも花壇や池などもあり、アルハンブラやアルバイシン地区を下方に観ながらゆっくりを奥に進んで行きました。小さな古びた門をくぐり離宮内部に入ります。

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特に有名なのが離宮の中央に位置する「アセキアの中庭」に入ると、外観とは違い、細長い池を挟んで左右に花々が植えられ均整のとれた庭園となっています。イスラム=スペイン様式を代表する庭園となっています。

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この建物の中のモザイクや装飾も繊細で素晴らしいです。

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その建物の中から階段を上ると離宮をはじめ奥にアルハンブラ宮殿やアルバイシン地区がみえる絶景ポイントが点在し、時間を忘れてしまいそうになります。

これから後戻りするように入り口に向かい、いよいよアルファンブラ宮殿のメインのナスル宮殿へと向かいました。 この場所も素敵な場所があまりに多く次回のブログに記載することにしました。

2018年7月 1日 (日)

世界を夢見て85: アルファンブラ宮殿の歴史的魅力

アルファンブラ宮殿といえばおそらく多くの方がご存じと思われる世界的に有名な世界遺産です。
名前が宮殿とついているので、1つのお城と勘違いしてしまいます。その敷地内に王宮や城塞、モスク、学校、官庁、庭園などがあり、宮殿と言うより街と捉えて方が分かりやすいと思います。それはそれは広いのです。

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アルハンブラ宮殿の正式な世界遺産登録名は「グラナダのアルハンブラ、ヘネラリーフェ、アルバイシン地区」となっていますので、その名前からして規模の大きさが分かるのかも知れません。
中心はナスル朝宮殿(これが一般的なアルハンブラ宮殿に相当?)と隣接するバルタル宮があり、谷を挟んで東側の小高い丘に夏の離宮のヘネラリーフェが美しい庭とともに存在します。それ以外にも沢山あります。 またアルバイシン地区は、北側の宮殿を一望する丘の斜面に広がる住宅地を占めています。 ようするにこれらがまとめて世界遺産に登録されているので非常に広い範囲全体が世界遺産なのです。

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まあアルバイシン地区はアルファンブラ宮殿の散策範囲ではありませんが、夏などにこのアルファンブラ宮殿を散策する際は、散策するのに時間を要しますので、暑さ対策として帽子や水などをしっかり持ち歩く必要があると思います。

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アルファンブラ宮殿を紹介するにはやはりその歴史を抜かすわけにはいけませんので簡単に・・

スペイン・イベリア半島は、北アフリカのイスラム勢力がジブラルタル海峡を渡り、拡大支配を続け、711年にはキリスト教支配からイスラム勢力支配下に移行します。当時は建築・医療・科学などイスラムの方がキリスト支配のヨーロッパよりはるかに優れていました。 その為にイベリア半島は大きな文化圏を構成し、ヨーロッパ各地から学問を学びに多くの方がやってくる地域ともなっていたのです。
スペイン中・北部に追いやられていたキリスト教の勢力も次第に力を蓄え、イスラム勢力から元々の支配地域を奪い返そうとするキリスト教勢力によるレコンキスタ(国土回復運動)がこの地で起こります。

キリスト教勢力は徐々に領土を奪還します。13世紀、イベリア半島に残る最後のイスラム教国となったのが、半島最南部のグラナダ王国でした。アルハンブラ宮殿は、この王国を興したナスル朝が、1238年から1391年に完成させた宮殿で、イスラム建築の最高傑作として評価されています。

Th__5 なぜ、この素晴らしい宮殿が残ったかというと、戦禍を免れたことが大きいのです。グラナダは周囲を一万人以上のキリスト教軍に囲まれます。イベリア半島の最後のイスラム王朝・ナスル朝の最後の王ムハンマド11世はアルハンブラ宮殿に籠城するのですが、挽回は不可能として降伏し、城の鍵を渡します。それがグラナダの無血開城となり、イベリア半島からイスラム勢力は一掃されます。

もう1つ、キリスト教側として乗り込んだイサベル女王は、このアルファンブラ宮殿の素晴らしさに魅了されます。彼女の遺言で「自分が死んだ時には遺体をアルハンブラ宮殿に安置するように」と記し、実際そのようになったのです。このこともあって、破壊を免れた宮殿は現在も良好な状態を保ち、イスラム建築最高の美と輝きを現在の私達に伝えているのです。

 

「アルハンブラ」とは、アラビア語の「赤いもの」に由来する言葉。宮殿の壁が赤いしっくいで塗られていたからとも、夜を徹した建設工事の際のかがり火で城壁が真っ赤に見えたからだともいわれる。要するに"赤い城"ということになります。

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アルハンブラ宮殿から眺めたアルバイシン地区。町の様子が割れたザクロに見えることから、アラビア語でザクロを意味する「グラナダ」の名が付いたそうです。

次はその内部を紹介したいと思います。

2018年6月17日 (日)

世界を夢見て 84: ミハス(アンダルシアの白い街並み)

Th_ スペイン、アンダルシア地方を代表する風景に「白い村」があります。南スペインの降り注ぐ太陽と白い街並みは如何にも絵になる景色です。 今回は白い村で有名なミハスを訪ねました(24年前も訪ねたようで写真に残っていても記憶に残っていませんweep 国会答弁と違い記憶よりも記録が正しいです)。

私達はロンダからバスで2時間ほど南に下りて地中海沿岸に向かうと有名なコスタ・デル・ソル(太陽海岸)が見えてきます。そこにミハスの村があります。 ミハスは海岸沿いの高級リゾート地のミハス・コスタ(海岸)と私達が目指す山並みの中腹に位置するミハス・ブエブロ(村)に分かれています。その間には、プールがある高級住宅地が介在します。

Th_dsc09849ミハス・ブエブロに到着し、駐車場から街の入り口に来ると、観光用の馬車やロバタクシー乗り場があり客待ちをしています。日差しが強いだけに馬も木陰で待機です。

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街の入り口には、日本人の観光客には有名(と聞いている?)なナッツ売りの叔父さんがいて、片言の日本語で陽気に声をかけてくてくれます。その声に惹かれて皆それぞれお買い上げに。

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アンダルシアの強烈な太陽とこの白い家並みは実に似合います。 この白い壁を維持するのは大変で、年に1回塗り替える必要がありますが、ちゃんと行政から補助が出ているそうです。

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Th__2 細り路地と坂道、周りの軒先や壁に花々が植えられ異国情緒(coldsweats01)たっぷりです。ヤシが植えられたビルヘン・デ・ラ・ペーニャ広場が街の中心でお土産品店も揃っています。そこを中心に2時間ほど街歩きを楽しみました。 

私の方は沖縄に住んでいても、朝早く家を出て夜帰る生活で太陽に当たることがないため、毎回のようにヨーロッパの旅行中に日焼けしますweep 

今回は特にアンダルシアの強力な日差しですので、帽子を被っても日焼けしそうで、とうとう地元の薬店に入り日焼け止めを調達。スペイン語で書いてあるので分かりませんが、薬局の方が英語が通じたために間違えないで買えました。 以前フランスで日焼け止めと思っていたらサンオイルだったことがありましたので、今回は慎重に調達ですcoldsweats02

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白い街並みに細い坂道で有名なサン・セバスティアン通りで写真(上)を撮影。人気の撮影スポットだけあり、皆順番待ちで写真を撮っていました。そこからくねくねと曲がった道を散策。

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途中でピカソ(人形)が座ったりしておりました・・・・ピカソに挨拶しながら白い家に囲まれた細い道を歩くと、どこか映画の世界に迷い込んだような感覚になってしまいます。

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今度は展望台に向かって歩くと、小さな闘牛場やラ・ベーニャ聖母礼拝堂がみえて来ました。 

展望台に登ると、遠くに地中海が広がり、海岸沿いにミハス・コスタが見えます。

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眼下にはどの家にもプールがついた豪邸が連なっています。映画に出て来そうな雰囲気です。

やはり青い空と白い街並みは本当に似合う景色ですねheart04

2018年6月11日 (月)

世界を夢見て83 : フラメンコダンスの基本動作

これまで3回スペインに旅行で訪れました。おおよそ30年前、25年前、今回の三回でその3回ともフラメンコショーを見ることが出来ました。場所も舞台も、演出する方の皆違いましたがそれぞれが特徴があったように思います。
Th_2 私自身が全くフラメンコのことは知りませんし、やったこともありませんので、今回フラメンコショーの基本のところを調べてみました。
スペイン南部アンダルシア地方を中心にここなわれている芸術としてフラメンコがあると思います。発祥の歴史も沢山のことがいわれていてそれだけでも大変なページを有すると考えます。 色々な民族、宗教、文化が混在した中からフラメンコも生まれたのでしょう。

フラメンコ舞踊をスペイン語で「バレル・フラメンコ:Barrel・Flamenco」と呼ぶそうです。単にバレルと呼んだりするようです。                      Th__4

フラメンコは幾つかの物語(形式)があってそれに従って踊られるそうです。これまで私は各自バラバラに踊っていると思っていました。それについて今回の旅行の時に基本的な踊りの要素がそれぞれの舞台に含めれているとのことを初めて教えてもらいました。

まず、床を叩く音の出し方でタップと違うことも初めて知りました。 下の図に書いて見ました。足の踵と先端に丸い鋲をその人の好みやスタイルに合わせて靴に鋲を打ち込んでいるのがフラメンコシューズです。それに対してタップダンスの靴は踵と先端に平面のプレートがはめ込まれています。そしてフラメンコでは足を床に打ちつけて音出しをします。タップダンスの場合は靴と床を擦り付けて音出しをする違いがあるようです。

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タップダンスの原型ともなったアイリッシュダンスは多くは床に足を打ち付けて音を出すことが多いようですので、基本的にはフラメンコと同類なのでしょうか?

バレルの基本操作の一例を書いてみます(今回の旅行で教えてもらった通りに記載してみます)

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①イントロダクション: ギターによる演奏が始まります。

②サリーダ : サリーダとは「出発」の意味で、唄い手が歌詞を歌う前に「ア〜イ」とか「ティリティリティリ」などの架け声で歌い出します。これからが本格的なショーの幕開けとなります。

Th__2_2 ③歌い出し(歌振り): サリーダが終わると、踊り手がギターのメロディ、フォルセータに合わせて踊り始めます。 ジャマーダ(合図)のサパテアードを打つと唄い手が歌いだします。それに合わせて踊りだし、身体全体で動きを見せて行き、ジャマーダを打って次第にテンポアップして見せ場を作ります。再びジャマーダを打って停止します。

④シレンシオ: シレンシオとは「静寂」の意味で、ギターも踊り子もゆったりとして踊ります。ギターの音色も短調の悲しげなメドリーとなります。踊り子は上体の美しさを見せ場とします。

⑤パセイージョ: パセオは「散歩、散歩道」の縮小形で、踊り自体が歩くようにして踊ることからそう呼ばれるようになっているそうです。バセイージョとは短いパセオと言った意味で、文字通りこのセッションでは短く、軽やかに踊られ、ジャマーダを打って一旦停止となります。

⑥エスコビージャ: サバテアード(足の技)によるリズムが中心となるパートとなります。この時は女性の場合はスカートを持ち上げ、足を見せながら踊りますし、男性の場合は上半身は余り動かさずに、足のステップを強調する様に踊ります。次第にテンポを上げて行きます。結構迫力があります。

⑦ブレリアス: ジャマーダが打たれて、歌が歌い始められます。明るい曲調のが多く、踊り子も曲に合わせて全身を使って踊り出して、最後の追い込みとなります。最後やジャマーダを打って静止して終わります。

この様な段階があることをこれまで知りませんでしたがこれを知るだけでもフラメンコショーがこれまで以上に楽しめました。 何事も知識がある方がより楽しめる様ですhappy01

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最後は出演者全員が一斉に踊りだしたり、ギター部門、唄い手部門の方がそれぞり挨拶をして終了しました。 今回のショーでは最後の5分間だけ写真撮影が許可されていました。最後は写真は撮らないといけないは、拍手はしないといけないわで忙しかったです。大満足のフラメンコダンスでしたhappy01

2018年6月 3日 (日)

世界を夢見て 82: フラメンコに酔いしれる

スペイン、アンダルシア地方と言えば闘牛とフラメンコは欠かせない芸術を思います。 闘牛に関しては賛否両論もありますが、私達の価値観で捉えるべきではなく、スペインの方々の意見を尊重すればいいことだけだと考えています。

Th__3 今回で3回目のスペインですが、3回ともフラメンコショーを見学することが出来ました。1回目はバルセロナでいわゆるショービジネス的な場所でした。男女とも見栄えする若い綺麗な踊り子達の演技でした。演技については上手いのか下手なのか分かりませんでしたが、私も若かったせいか(?)、美しい女性が踊る姿に感激を覚えた印象が残っています。

2回目は家族経営のような感じの小さなタブラオ(洞窟フラメンコ?)で両サイドに観客の椅子があり、Th__3 間近で若い子からベテランの女性までが踊ってくれました。間近でみたのと迫力のある体型(coldsweats02)のベテランダンサーの気迫に圧倒された時間を楽しめました。

その時にはもう一つ想い出があります。ショーではなくてスペイン最終日に地元の人が踊りに来るフラメンコ酒場のような所を紹介され出かけたのです。明日の朝は4時起床で5時にホテル出発しマドリッドからロンドン経由で帰国となっていました。 最終日まだ名残惜しい私にとって、現地のツアーコーディネーターから、ホテルのすぐ近くに地元の方々が来る店があるし、私もそこに行く予定なので「よかったら覗いてみますか」と悪魔の囁きcoldsweats02

いつものようにお土産も買いませんし荷物の整理もない一人での参加としては、即OK。 11時ぐらいにその場所に行くと先ほどの方が待ち受けていました。 数名いるぐらいで結構がらんとした雰囲気。遅いからもう殆どの方が帰ったのかと思ったら、そうではなくて早いから少ないので日をまたぐぐらいから賑わうよとのことでした。 冗談かと思いましたが、本当に0時ぐらいから次第に人が増えて、フラメンコギターに合わせて、おのおのが自由に踊り出すようになって盛り上がって来ました。 わたくしと言えばもちろん、訳の分からない状況で皆に囲まれて踊り明かしました。 3時頃にホテルに戻りシャワーを浴びてホテル出発となったのです。 いやはやまだ30代で体力があったのですね。

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今回は3回目のフラメンコショーの見学です。セビーリャはフラメンコの本場で、沢山のタブラオがしのぎを削っています。 

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その中でも洗練され質か高いと評判だったエル・アレナルで予約が取れてみることが出来ました。最初にみたバルセロナとは明らかにレベルが違いますし、2度目の土着のステージとも異なった、美しさ迫力、洗練された身のこなしはこれまでの中で一番感激したステージでした。

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フラメンコにも型があることを初めて分かりました。だだいくつかのスタイルを組み合わせただけでなくちゃんと進行があるのです。私も今回初めて知りましたので、次回のブログで調べたことを記載してみたいと思います。

2018年5月27日 (日)

世界を夢みて 81:セビージャ観光No2 スペイン広場

前回のセビージャ観光の続きです。街のメルクマールとなるカテドラル・ヒラルダの塔を回り、アルカサル庭園の横を歩くとセビージャ大学があります。歳学にも沢山の庭園があるのですが、その横にも緑の生い茂ったマリア・ルイサ公園があります。その道を更に進むと目指すスペイン広場があります。 まあスペイン広場はイタリアにもありました、マドリッドにもあります。 

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木々に囲まれた公園ですので、熱い日差しを避けてはくれますが、8月に旅行した方から連日40度を超える暑さで、日中行動するのが辛かったと聞いています。真夏の旅行は気をつけないといけないかも知れません。日本のように湿度がないのでまだいいのでしょうが・・?

セビージャのスペイン広場はかつて宮殿の一部だった公園を、1929年開催のイベロ・アメリカ博覧会の会場として再開発された場所となります。

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公園を通り門をくくり抜けると、大きな装飾タイルが目を楽しませてくれます。その中に入ると本当に美しい広場だと確信します。

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Th_dsc09661 建築家のアニバル・ゴンサレスが手がけた、半円形の建物のが美しいです。

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この建物は沢山のアジュレージュ(絵タイル)に覆われ、本当のどれも美しいです。いくつもある区画はそれぞれにアンダルシア各州の紋章と歴史的な出来事や特徴を描いたタイルアートで構成され、観ているだけでも美しく飽きの来ない空間となっています。世界一美しい広場と言う方もいるほど本当に綺麗です(まあ、世界には沢山の「世界一美しい広場」というのがありますが・・coldsweats02・・まあどれも美しいですlovely)。

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その広場にはボートも楽しめる池が巡らされ、ため息が出る程の美しい空間です。

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この美しい広場は映画のセットでも使用されて、「アラビアのローレンス」ではイギリス軍が駐屯するカイロのホテルとして使われていますし、「スター・ウォーズ:エピソード2」ではアナキンとパドメがナブーに到着したときにR2-D2を従えて歩いた回廊のシーンで使われています。

もし、これらの映画をご覧になることがありましたら、このスペイン広場を思い出して観て下さいね。

スペインまだまだ美しい場所が沢山ですheart04

2018年5月23日 (水)

世界を夢見て 80:セビージャ(セビリア)観光No1 カテドラル

ジブラルタを後にして 海岸を西に北上すると、スペイン第4の都市セビリアに入ります。Sevilla を日本語でセビリアと書いたり、セビーリャ、セヴィージャと書いてあったりする場合もあり唯でさえ混乱するスペインの地名がこんがらかってしまいます。

おそらく日本ではビゼーのオペラ「セビリアの理髪師」が有名となり、その為「セビリア」と呼んでいる気がします(根拠はありませんが)。実際にスペイン人に聞くと「セビージャ」が一番近いとのことです。(日本でおなじみのパエリアPaella もスペイン語で「lla」はジャと呼ぶことが多ので「バエージャ」が近いのと同じ様です:スペイン語は全く知りませんが、ガイドさんが教えてくれました)

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 この都市は紀元前から港湾都市として栄え、アラブの支配、その後の大航海時代に貿易港として栄え、街並みの豪華さ、美しさでも特記すべき場所となっています。

Th_dsc09700 街はローマ時代に遡り西ゴート王国の首都として栄えますが、ジブラルタル海峡を渡ってきたモーロ人によって700年代から500年間イスラムの支配下となり、経済的にも文化的にも栄えます。この時代の建物が街を形作っています。

国土回復運動によってイスラム勢力が衰退する時期と相まって、コロンブスが新大陸を発見します。 コロンブスはアメリカ大陸を最初はインドと勘違いしていました。 これが新大陸だと証明したのはセビリアで船団を率いたのがアメリゴ・ベスプッチ(イタリア人)でした。当時良港として栄えていたセビリアから軍団を率いて、コロンブスが達したのはインドではなくて新大陸であることを証明します。 

コロンブスが初めて新大陸を発見したのでのに、彼はインドだと思ったまま、この世を去ります。コロンブスが航海して辿り着いたのはインドではないことを証明したのがアメリゴ・ベスプッチだったために、彼の名前を記して「アメリカ大陸」と呼バレるようになったのです。

まあ、名前はさておき、その為に新大陸との貿易独占権を確保します。この莫大な富によってセビリアはヨーロッパで最強の地位と財を手に入れるのです。 その為、新大陸発見後、さらに街自体が拡大し繁栄したのです。

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その富を象徴するのが、カテドラルです。なんたってその建築の発想が凄いです。勢いがあるのはこうしたことでしょうか。「後世の人々が我々を正気の沙汰ではないと思わせるほどの巨大な聖堂を建てよう」と1401年の教会参事会で決定しするのです。この基礎はイスラム時代に作られたモスクの跡地を利用して奥行き116m、幅76mの巨大な教会が出来上がります。 スペインで最大の教会で、ヨーロッパの聖堂としては、バチカンのサン・ビエトロ寺院、ロンドンのセント・ポール寺院に次ぐ大きさだそうです。

Th_dsc09737_2 確かに大きいです。周囲を歩くだけでも呆れる程大きいです。 ひときはそびえ立つのが高さ97mのヒラルダの塔です。 この様な形、アンダルシア地方でよく見かけます。 これも12世紀にモスクのミナレット(礼拝などの時間を告げる場所)を利用して造られたからなのです。 

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塔に天辺に聳えるブロンズ像が風を受けて回転することより、ヒラルダ(風見)と呼ばれる所以だそうです。風見鶏ではなくて女神像です。 この大きさにもビックリします。 このブロンズ像は高さ4mでなんと重さは1288kgもあるそうです。 こんな重いのが風を受けて回るなんて信じがたいのですが、実際に回るようですcoldsweats01

今回の旅行では内部には入る時間がなかったので、24年前の内部の写真を載せて置きます。

Th__2 内部は天井が高くステンドクラスや王室の礼拝堂などが眼に止まります。

Th__3 ここカテドラルで有名なのが「コロンブスの墓」です。スペインに莫大な富をもたらしたコロンブスですのでここで丁重に葬られています。コロンブスの墓を担いでいるのは当時のスペインを構成した、レオン、カスティーリャ、アラゴン、ナバーラの国王達です。

カテドラルの展望台まで昇った記憶が全くなかったのですが、どうやら24年前には登ったようです(国会答弁とは違い、記憶より記録(写真)の方が正しいようですcoldsweats02) 

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カテドラルの展望台(高さ70m)からはカテドラルの全体像やセビージャの街が見渡せます(24年前の写真をスキャナーで取り込んでみました)。

 

2018年5月16日 (水)

世界を夢みて79: ジブラルタル観光

Th__3 3度目のスペインで初めて訪れるジブラルタル、いったいどんな感じだろう? 中学の教科書から時々出てくるジブラルタル海峡、スペインの南の先端に飛び出したイギリスの海外領土・・・初めて訪ねる地にワクワクとしてします。

対岸はアフリカ大陸となる6.5キロ平米の小さな土地に3万人のイギリス国民が暮らしていいる街。経済的にはイギリス軍の駐屯地として成り立ち、ジブラルタル港が中継地として使用されたり、船舶の給油や造船業も盛んな土地、それでも自立するほどの経済圏ではないとのことをガイドさんが話していました。

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Th__google 今回私の方はロンダから小高い丘が繋がるスペイン南部アンダルシアの地方の山道を眺めながら進むと、途中からは次第に下って行きました。暫くすると、ジブラルタルのシンボルとなる高さ426mの巨大な一枚岩のザ・ロックが見えて来ました。 

ヤシ並みが両サイドに植えてある如何にも南国の雰囲気のスペイン側でバスを降り、横断道路を渡るとジブラルタルとの国境に近づきます。 国境の近くは撮影が禁止となるため、残念ながら国境の通過は写真に収めることが出来ませんでしたweep

国境ですので、スペイン側とイギリス側にそれぞれ各々のパスポートチェックがあります。その対応の違いが実におかしいです。 スペイン側はジブラルタは我々の領土であるので「自分のところに入るのになんでチェックするの」という感じです。ですので一応パスポートは提示しますが、ほぼチェック無しです。
その小さな建物を出ると、直ぐにイギリス側のパスポートチェックと、荷物のチェックがありますが、ここはイギリスに入国とのことでちゃんとパスポートをみて通してくれます。アングロ・サクソンとラテンの気質の違いではなさそうですcoldsweats02

それでも時間もかかりません。外に出ると、ここはイギリスとなります。

ヨーロッパの最南端イベリア半島のほんの僅かの場所ですので、イギリス領だとしても、車は他のヨーロッパ諸国と同じ様に左通行となっています。これは事故の防止のようです。この辺りは冷静です。

ここまで来るとやはりロックの岩肌が間近に迫って来ます。凄い迫力です。 小さなバスに乗り市内を走り、展望台に昇るロープウェイに向かいます。窓の外に小学生や高校生が歩いていたりしています。ここは高校までしかないため大学に進む場合はイギリス本土に渡らなければならないそうです。

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これまで意味が読み取れないスペイン語からここでは英語表記となっていますので判りやすいです。止まっていた救急車も英語表記で英国と同じ仕様となっているとのことです。

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ロープウェイは往復で大人で14.5ユーロ(約1900円)ですのでやや高い気もしますが、ここまで来たら乗るしかありませんcoldsweats01  殆ど待たずに乗れました。 結構急なロープウェイですが、眼下に広がる街並みやジブラルタル湾の展望が素晴らしいです。 面白いのは小さなチケットの裏に山頂で使えるWi−Fiのパスワードが書いてありました。余り長居しないので必要ありませんが・・・

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展望台に着くと有名なザ・ロックの風景のある北向きに進みます。この日は天気も良く素晴らしいです。ここまで来た価値がありました。ここからはジブラルタル湾、スペイン方面、右は地中海と眺望が開けています。もう一つのジブラルタルの名物のお猿さん達も出迎えてくれています。 何処の国も猿もそうですが、エサなどを持っていると追いかけられます。食べ物を持たない、バックなどは前にちゃんと持ちさえすれば危険は少なくなると思います。

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南側の展望台に移ると、今度はジブラルタル海峡を挟んでアフリカ大陸が見えて来ます。何となく地の果てまで来た気がして来ました。 素晴らしい景色です。海峡には大きな船舶が何隻も列をなして走行しています。この地が軍事的な意味合いもあってイギリスとスペインの領土問題になっているのも肌で感じることが出来ました。

Th_dsc09592 ジブラルタルのロック周辺の多くは自然保護区となっていて貴重な動植物や渡り鳥などが暮らしているそうです。その中で1番目立っているのが猿になるのですが、ヨーロッパには猿は住んでいませんので、ヨーロッパで唯一猿が住む場所となっています。元々はアフリカから持ち込まれた猿が繁殖して現在250頭ほどが生息しているようです。いつしか「猿がいる限りイギリスの統治は続く」という伝説が生まれたために手厚く保護されているようです・・・・そう言えばイギリスを旅行した時にロンドン塔とカラスの関係を思い出しました。ロンドン塔では大切にカラスが飼育されています。これは「カラスがいなくなると、ロンドン塔もなくなり、英国も滅びてしまう」という伝説に基づいてだそうです。ジブラルタルとお猿の関係を似ています。イギリス人はこの様な言い伝えが好きなのでしょうか?

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ザ・ロックを下りてジブラル半島を南下すると南端の岬の灯台がみえて来ます。この先はジブラルタル海峡で向こうはアフリカ大陸です。

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壮大な景色の中で、教科書の中にあったジブラルタル海峡をみながら、感慨にふけってしまいました。旅行ってやっぱりいいいな!heart04

2018年5月 6日 (日)

備瀬の福木並木を散策

私の場合はこれまで自宅と病院の行き帰りが殆どの生活。思い切って休みを取る時には、ヨーロッパに出かけることが多いため、足元の沖縄のことを殆ど知らないで過ごしています。
Th_img_5500 この連休中に朝7時前に家を出て沖縄本島北部に向かいました。高速に乗るのも1年ぶりです。車にETCが付いているのですが、1年に1回程度しか使いませんので、毎回ちゃんと開くかどうかが不安にもなってしまいますcoldsweats01

連休中は北部へ向かう車で昼前には大渋滞となります。今回出かけたのは沖縄本島北部の備瀬という集落です。福木の街路樹が繁茂する昔の面影を残す集落で、海洋博会場の近くにあり、対岸には伊江島がみえる綺麗な所です。

この場所を訪ねるのはおそらく20年ぶりだと記憶しています。 いまでは随分と整理されて、水牛が牽く観光牛車やレンタサイクルもあり、だいぶ変わっていました。素朴さは無くなりましたが、その分整理が行き届いていました。

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この集落はサンゴ質の石垣や暴風対策として防風林として福木が家の周りに植えられ、白い砂地の道路を木々の葉が覆い被さるような自然なトンネルとなっています。 福木は常緑高木で樹皮は黄色染料として使われています。 昔の沖縄や離島の島々の面影を残しています。 まだ暑くはありませんが、真夏だとこの木陰はとても爽やかな風を運んでくれるのだろうかと想像しました。

その細い道には、食事が出来たり、コーヒーを楽しんだり、小さな貝の細工などを売っているお店もありました。 直ぐに綺麗な海岸もあることよりペンション風のリゾート宿泊施設も何軒か点在していました。 何処も同じなのですが、私が子供の頃から訪ねた、慶良間諸島、石垣や西表も本土からの移住者が沢山いて、島や地域の魅力を発信しています。 この備瀬地区も道で会った方と会話しても、その方を含めて「本土から移り住んだ方々が沢山いますよ」とのことでした。 都会の喧噪から逃れてリタイヤ後はこのような場所で過ごすのもいいのかも知れません。

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緑の小道を散策し海岸沿いに向かいます。急に目の前に海が広がります。対岸には尖った岩山が象徴的な伊江島が見えます。 なんと言っても海が透き通って綺麗です。 この日はやや曇り気味で、太陽の日差しは強くないのですが、それでも海の色が光の強さや海の深さによって違いが鮮やかです。遠くでは海と空が1つに溶け合うような景色です。

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子供の頃に見た海の色がここにはまだあります。沖縄も次第に美しい沿岸が埋め立てられています。 開発(あるいは基地建設)で美しい自然が消えてゆくのは寂しく思えてしまいます。 これからもこの豊かな海が残ってくれることを希望しながら、12時には那覇へと帰りました。もう一般道路も高速も北に向かう道路は大渋滞でした。

今日で5月の連休も終わりです。鈍った身体を鍛え直して明日から頑張りましょうscissors

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