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2018年1月14日 (日)

世界を夢みて 70 : スペイン・セゴビア観光。

マドリッドから日帰りでセゴビアに向かいました。これまで3度のスペインですが1回目はバルセロナとマドリッドだけでしたので、セコビアは2回目となります。 24年ぶりですが殆ど変わらない佇まいです。
マドリッドから北西95Kmに位置し、マドリッドから1回のトイレ休憩を挟んでもあっという間に到着です。標高が1002メートルありますので、幾分ひんやりした感じを受けます。 そう言えば、マドリッドから高い場所に上ってきた感じを受けなかったのですが、マドリッドはヨーロッパの首都で一番標高が高い所(海抜655m)にあるので、セゴビアもあまり高いと感じなかったのかも知れません。

セコビアを訪れる観光客の目当ては、保存状態のよいローマ水道橋、ディズニーの「白雪姫」の城のモデルとなったアルカサル(城)、カテドラルの貴婦人と呼ばれるカテドラルの見学だと思います。

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セコビアに着いてバスの駐車場を下りると・・ドドンと目の前に水道橋がみえます。ローマ時代にタイムスリップした感じになります。 ヨーロッパ各地でローマ時代の建造物、特に水道橋を観ることがあります。その都度ローマ人の土木建設の水準の高さに圧倒されます。

古代ローマの人々の街づくりの基礎を作っているのが、道路、水道橋、大浴場かと思うほどヨーロッパ各地で今でもこの痕跡を観ることが出来ます。

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セゴビアの水道橋は15Km以上離れたアセベダ川の水を町まで引くために、ローマ人により紀元前1世紀頃から建築されたそうです。この様な建造物を釘などの接合剤を全く使用せずに石を組み合わせるだけで造っていることは驚きです。

水道橋の下を通り向こう側の広場で見上げると、凄く高いです。高さ、長さともに圧倒されます。橋の袂から階段を登ると水道橋の上層まで上ることが出来、そこからの眺めも素晴らしいです。

Th_dsc08242 丁度広場の向こうには雰囲気のあるレストランがあり、時々歓声が上がっていました。セコビアの名物料理に子豚の丸焼きがあります(ちょっと残酷な気もしますが、脂ものっておらず、外がバリッと仕上がって中がジューシーだそうです)。 この出てきた子豚をナイフで切るのではなくて皿を押しつけて切るそうです(それだけ柔らかいということを見せてくれるようです・・)。その切った皿はどうするかというと、地面に叩き付けて割ってしまうそうで、時々歓声が上がっていたのは、皿を割る瞬間に盛り上がるためのようでした。一種の魔除けのような風習が残っているためとのことです。

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水道橋から雰囲気のある通りを歩いて行くと、マヨール広場に出ます。

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正面にゴシック様式の巨大なカテドラルが眼に入ってきます。今回は中には入らずにカテドラルの横の通りを下りながら白雪姫の城のモデルとなったアルカサルに向かいます。

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アルカサルはローマ時代の要塞の後に13世紀ほどに築かれたお城で城の両サイドをエレスマ川とクラモレス川がながれその合流地点が城の先端となっています。 お城の先が尖っているのはその地形の為なのです。

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深い谷底に架かった橋を渡り内部に入ることが出来ます。 王が結婚式を挙げた「王座の間」など美しい部屋を観ることが出来ますし、この部屋から眺める風景も綺麗です。

一通り城を散策後、今度は城の先端を観ることができるビューポイントへ移動します。日本語の看板もあり、なだらかな散歩道を20分ほど下って行くと、少し開けた芝で被われた公園に出ます。

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それまで城を背にして歩いていたのですが、ここで振り返ると城が正面に見えました。本当に美しい場所です。白雪姫のお城のモデルになったのも頷けます。先端細くなっているのは、上記の川がここで合流した地形のためだったのです。

帰り道をブラブラと歩き駐車場へ。来た道を今度はマドリッドに戻り、レストランで食事。

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タパス、ポテトサラダ、スーフードマリネサラダ、チョリソー(ピリ辛ソーセージ)、スペインオムレツ、生ハム入りコロッケ、イカリング揚げ、マッシュルームニンニク炒め、アイスクリーム・・どれも美味しく完食ですheart04

他の人はホテルに戻りましたが、私はいつものように夜の街を散策後ホテルに戻りバタンキューで睡眠ですscissors(二万二千歩以上歩いたようです)

2018年1月 2日 (火)

1泊2日の台湾旅行・台北101花火

これまで、ヨーロッパを中心に旅行をしていた私は未だアジアを始めとする近隣諸国には行ったことがありませんでした。今回、沖縄から一番違い台湾を急遽旅行しました。

Th__20180102_153424_2 ここ5〜6年は年末に手術をしたり重症患者さんがいたりと、正月も殆ど病院で過ごしていました。今年の年始・年末は落ち着いた状態となりました。2〜3日病院へ行かなくても済みそうです。そうなると即行動開始ですwink
以前旅行の本で台北101という高層ビルにおいて年明け0時のカウントダウンと共にど派手な花火の催しが行われることを知りました。You-tubeでみたら凄いです。 それと年始年間に入っても台湾は旧正月を祝うため、殆どの観光地や旅行関連は通常通りやっています。

それではと急遽思いつき、ダメ元でネットで検索。中華航空翼下のLCCのタイガーエアが沖縄ー台北間で空きがありましたが、今度は台北中心部のホテルが色々な旅行検索サイトをみても空きがなくキャンセル待ちの状態。 飛行機代はキャンセル料を取られてもそれ程高くないため、直ぐに購入。その後暫くして比較的安いホテルをとることが出来、台湾行きが決定。

Th_ 60を過ぎて初めて年明けを海外で経験するワクワク感ですheart04 朝早く那覇空港国際ターミナルへ到着。着替えとカメラのみで、小さなリックもガラガラでの海外旅行。あまりにも身軽すぎて自分でもこれでいいのかと思える程coldsweats02(帰りの入国審査の税関で「荷物はこれだけですか」と尋ねられた程でした)。

那覇から台北桃園空港までは1時間チョッとのフライト。到着後、日本のSuicaと似た「Easy card(悠遊卡)」を空港で購入。これでほぼ全ての交通機関やコンビニなどでも使用できます。台北市内のホテルで手続きのみ行い、夜は101の花火をみて帰るためにチェックインは夜中の2時か3時頃になることを告げると、goodと言われ、いざ出発。ほぼ有名どころは2日間で回りきる計画。大晦日の夕方からは千と千尋の神隠しで有名となった九扮(きゅうふん)観光し、士林夜市を散策後、台北101の近くへ。台北の年始の大イベントで30万人ほどが集まるそうです。

見学の場所としてネットで確認したら、いくつかの候補地がありました。迷ったのですが九扮観光の時の地元ガイドに聴いた所、どうせみるなら一番近い101の近くで見たらとのこと。 ただし24時に近づくと101の駅は満員で駅から出られなくなることもあるので早めに場所を確保した方がいいとのことでした。

22時30分に101ビルの近くの道路に座り、時間を待つことに、次第に超満員状態。ただ近すぎて街灯の明かりがもろに入るという撮影条件の悪い場所となってしまいました。今更動くわけにも行かず。次第に0時に近づくと周りはざわつき、いよいよカウントダウン。 0時と共にビルから直接、花火が上がります。 

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まるでビルが炎上してしまうかのような大イベント。なんとこの花火に費やす費用は2億とか3億円と言われています。

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約五分間の大花火大会を満喫してため息。・・・その後も人・人・人です。

Th_1013 101から台北中心部の國文記念館へ移動するも、ここも夜通しのコンサートなどで人で埋め尽くされています。この方向から観た方が良かったのかも知れません(上の写真の下段左と中央の写真)。 人混みに押されながら、駅の方に向かいます。駅内も凄い人波です(下段右)。 それでも地下鉄はフル稼働で対応。地下鉄に乗れるまで2時間ぐらいかかるかと心配しました、2時に乗れてホテルには2時半到着。シャワーを浴びてバタンキューです。朝もゆっくししたいのですが、夕方には沖縄に戻るため、元旦も朝から行動開始でした。

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夜に無事帰国し、2日には病院へ。何となく久しぶりに感じますcoldsweats01。1月2日は病棟はもちろんですが、透析やリハビリ、薬局や材料部門などは出勤していますので、皆に新年の挨拶を済ませてきました。 今年も頑張って一緒に働きたい仲間達です。

1番近い外国、台湾は魅力に溢れ、活気のある街でしたheart04

2017年12月17日 (日)

世界を夢みて 69: プラド美術館とソフィア王妃芸術センター

3度目のスペイン。沢山の楽しみ方がある魅力溢れる国です。そのスペインの魅力の1つに世界有数の独特の芸術作品を楽しめることもがあります。

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ピカソ、ダリ、ミロ、ゴヤ、など独特な画風の著明な作家達、 ガウディーやモンタネールなどの奇抜で斬新な建築群、ヨーロッパ文明とアラブ文化が混ざり合った独自の街並み、文化芸術、闘牛やフラメンコなどに代表される独自文化など・・・スペインは他に類を見ない異質の空間を旅人に提供してくれます。

Th_ 芸術の街マドリッドでもやはりプラド美術館は外せない1つです。世界三大美術館の1つにあげられ、歴代王家のコレクションが所蔵されています。まあ世界三大美術館と言っても確定ではありませんが、ルーブル美術館、エルミュタージュ美術館、プラド美術館、メトロポリタン美術館、大英博物館、ウフィツィ美術館の中から好きなもをでしょうか?happy01)。メトロポリタン以外は何度か訪ねたのですが、どれも素晴らしい美術館です。 プラド美術館の所蔵は三万点以上の絵画や彫刻がありますので、展示品を観るだけでも何日もかかるかもしれません。

Th_dsc08017 私の様に絵の知識がなければ、美術館を廻るにはガイドさんを伴って見ることが1番と思います。 教科書に載っているような有名な美術品を手際よく、解説しながら廻ってくれますし、聞いていいるだけで自分が美術の愛好家になった気分にさせてくれますcoldsweats02

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有名な作品だけでもベレスケス「ラス・メニーナス」、エル・グレコ「羊飼いの礼拝」、ゴヤ「着衣のマハ」「裸のマハ」、ルーベンス「三美神」、フラ・アンジェリコ「受胎告知」、ボッシュ「快楽の園」・・・・ありすぎて書けませ〜ん!

残念ながらプラド美術館の展示室は写真撮影不可のため個人の写真を出すことは出来ません。 何度見ても魅了されると言うか、私も年をとってベラスケス自身のことを知識に入れることでより「ラス・メニーナス」が好きになりました。 もちろん光の取り入れ方、構図、遠近法など沢山の絵画の要素が含まれた作品で、世界的な名画の1つです(私が言ったことことではありません)。

Th__5 ベラスケスはスペイン南部のセビリアで生まれて、子供の頃より才能が開花し、18歳で画家として独立します。その後国王フェリペ4世の肖像画を描き、それがこよなく芸術を愛した国王に認められて寵愛されます。  

「宮廷画家」というと私にとってはかなり位が高い身分と思っていました。 しかし当時は画家というのは、単なる「職人」としてその他の宮廷に使える人々と同じ身分で同じ生活をしていたのです。そのためベラスケスの絵画には女官や道化なども同じ目線で描かれていると言われたいます。 フィリペ4世は彼の才能を認め、宮廷画家としては異例な扱いで宮廷装飾の責任者として貴族・王の側近としての地位を与えられたそうです。 おそらくベラスケス自身がとても真面目で優しい性格ではなかったかと推測しています。絵画に出てくる人々を平等に描くとともに、自分に与えられた地位以上にもの凄い量の仕事を手抜きせずにこなしていたことから覗えます。

肝心な「ラス・メニーナス」ですが、私の様な芸術を理解しないのが言うのもおかしいのですが、この絵の彼のタッチが凄いです。 近くで見ると荒いタッチにみえる作品が遠くで見るととても滑らかな衣装に見えて来るのです。 まるで王女マルガリータの衣装が滑らかな生地で縫われているかのような質感までも伝えてくれます。 マネがベラスケスのことを「画家の中の画家」と呼んだのは、この写実性がその後の印象派の画家にも多大な影響を与えたのだと思うのです。

Th__6 「裸のマハ」とも24年ぶりの対面です。今でも変わらぬ美しさですcoldsweats01 芸術を解さない私ですので技法については分かりませんが、顔の位置の不自然さもありますが、今も昔もマハの右乳房の位置がいつも不自然に思えてしまうのです。重力からすると左右の胸は外側に向いているなら仰向けの姿勢だと思うのです。左を向いている絵画ですので右の胸はもう少し正面側に向かうのではと・・・変な所に毎回疑問Th_dsc08028 に思いながらみていました・・・やはり私には芸術を理解する素質はなさそうですweep

ただ上手な方の解説を聞いて美術館を廻ると私にも絵が身近に思えてしまうほどです(胸の位置の解説は聞いたことがありませんが・・・)。

プラド美術館をみた後に僅かだけ散策。ゴヤの立像があり、写真をパシャリと・・・その時には気づかなかったのですが、何とゴヤ像の下には裸のマハの彫刻がありました。ちょっと嬉しい発見ですheart04

次にソフィア王妃芸術センターへ向かいます。プラドと近い距離に在ります。ここはピカソのゲルニカの展示で世界的に有名です。 スペイン内戦時にピカソはフランスに在住していたのですが、1937年にフランコ将軍の率いる反乱軍の手助けのためにナチスドイツ軍はゲルニカに無差別爆撃を行い街は壊滅状態となります。ピカソは滞在先でこの報道を新聞記事で読み激怒します。丁度パリ万博が開かれ共和国支持者のピカソは白黒の新聞記事から受けた印象と急遽描いたたためにキャンパス地に白黒で描かれたゲルニカを作成します。 

Th__2 その後この絵は数奇な運命を辿りアメリカへ渡ります。 フランコ将軍が死去しスペインが民主化へ移行することで、この絵もスペインに戻ることになります。 当所プラド美術館の別館?で展示されていました。この絵を私が初めてみたのは30年前のプラド美術館でした。

1992年にソフィア王妃芸術センターが開館する目玉としてゲルニカはここに移され展示されます。 まずゲルニカの絵の大きさに圧倒されます。何となく恐怖を感じる作品です。 これもピカソが何を意味して描いたのかを知らないと理解が出来ません。白黒のキャンバスには、人や馬や牛などが様々な表情で描かれています。牛はファシズム、馬は抑圧された人民を、子供や母親などは無差別爆撃を意味しているなど、色々な解釈がなされているそうです。ただピカソ自身はその様な意味合いを否定しているとのことですが、真意は分かりません。おそらくピカソは観て感じて欲しいと願ったのかも知れません。

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今回初めててこの美術館を訪ねることが出来ました。この美術館は18世紀の病院を元に改築したもので回廊や中庭もあり、中庭に入りくつろぐことも出来ます。 ゲルニカ以外は写真撮影も可能です。そのためサルバドール・ダリやジョアン・ミロの作品も間近で見て、ちゃんと写真に納めることが出来ました。ヨーロッパの多くの美術館は直ぐ近くで絵画が観られるのはやはり素晴らしいことです。

2017年12月10日 (日)

世界を夢みて68: ルフトハンザ航空ビジネスクラス

ヨーロッパへの旅行で1番きついのは,おそらく長時間のフライトではないかと思います。この時間をどう過ごせるのかが問題です。 1人での旅行が多かった私にとって長時間のフライトでは通路側ならばいいのですが、窓際だとだいたいは隣の二座席はカップルが座ることが多かったです。 そうなると隣が寝ている場合などは実に動きにくく、イライラが募ってしまいます。 1度は両サイドを欧米のビッグサイズの方に挟まれた時には大変でした。 向こうの方は体型的には私より辛いのかもしれませんが、両方から挟まれると肘掛けも相手側に占領されてそれはそれは窮屈です。
・・・そう言えば、美しい女性に挟まれて乗った記憶はありませんので、航空会社の配慮?(陰謀?)なのかもしれませんcoldsweats01 

Th__5 あまりビジネスクラスは利用したことがありませんが、今回ルフトハンザのビジネスクラスに乗ることが出来ましたので記載してみます(もちろん自費です。時々会社持ちと思う方もいるようですが、出張の時でも会社持ちの場合はエコノミーしか乗りません)。

ルフトハンザは全日空と同じスターアライアンス系列の航空会社で、国内では全日空と同じラウンジを使うことが出来ます。

今回は関空出発ですので、羽田や成田よりもラウンジは小さめです。ただ沖縄在住の私に取っては関空は便利性が高いです。羽田もいいと思いますが、まだ羽田発の海外は出かけたことがありません。成田へは羽田経由となることが多く時間のロスになってしまいます。

今回は関空を早朝出発ですので、仕事を終え沖縄から最終便で関空に向かい大阪で前泊しての乗り込みになりました。 フルトハンザのビジネス受付カウンターで手続は直ぐに終了。朝食も摂っていないので早めに出国手続きを終えて、ラウンジへ向かいます。 各航空会社のラウンジがいいのは出国(搭乗)手続きを終えた後にラウンジが設けられていることで出発ぎりぎりまでくつろげます。 飛行機ではフォアグラ状態coldsweats01になりますので、軽めの食事と飲み物を頂き、出発時間20分前に乗り組み口に到着。すでにビジネスクラスの搭乗は開始となっていました。

十数年前にドル箱路線だった那覇路線にあったいわゆるジャンボと同じ2階建ての機体です。フルトハンザは多くのボーイング747型機を運用しています。

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ドイツの航空会社らしく堅実な作りとなっています。フルフラットになるシートです。搭乗するとキャビンアテンダントさんが挨拶に来て飲み物を伺いました。普段殆どお酒を飲まない私ですが日本を離れたとたんに呼び出しのことも気にかけず無敵scissorsになりますので、ウェルカムシャンパンを頂くことに。この旅が泡のように消えないことを祈りながら飲みました。

Th__7 胸の高鳴りを押さえつつ、時計をスペイン時間に合わせ、これからの旅を想像します。考える時間も無いほどに定刻通りあっという間に離陸です。さらば日本ですhappy01

暫くして安定飛行に入ると昼食なのか夕食なのかは微妙な時間帯ですが、食事が運ばれてきます。ひとつひとつ綺麗な器に運ばれて来ます。どれも美味しかったです。 私の普段の食事からは想像出来ないような豪華な食事ですcoldsweats01

旅行にさえ行ければ幸せの私にとってはエコノミーで十分に満足です。ただ若いときと比べて体力が落ちてきたのと、行くぎりぎりまで仕事をして、帰りは日本に到着後、すぐに病院に直行する私に取っては本当に体が楽です。 遊んできて疲れた顔なんか患者さんにも職員にも見せてはいけません。 何事もなかったように仕事をするのが私の勤めであると考えていますcoldsweats01  (いつかリタイアして海外旅行が出来るなら、ビジネスクラスのチョイスよりも現地での滞在期間を長くしたいです)                            

Th_ 帰りに寄ったフランクフルト空港内のフルトハンザビジネスラウンジにも寄りましたので、写真に載せて置きます。 

それ程沢山の食事が置いてあるとは思えませんでしたが、30分ほどして行ってみると、同じメニューではなく、違う種類の食事に入れ替えられたいました。いくつかのパターンがあるのかも知れません。それでもまた機内でフォアグラ状態となりますので、軽めの食事とコーヒーを飲んで出発までのんびりと過ごしました。

ビジネスクラスでは機内で便利な小物が入ったアメニティーポーチが置いてあります。 ルフトハンザビジネスクラスのアメニティーはBRBBというTh_th_img_6065_2 ドイツブランドでした。中身は歯ブラシセット、リップクリームと保湿クリーム、アイマスク、耳栓、メガネふき、保温用靴下でした。すでに自分用にこれらの品々は機内に持ち込みでいますのでこのままお土産用に持ち帰りです。帰りの便はどのメーカーのポーチかは知りませんが、中身は一緒でした。

お陰で、関空に早朝に着いて、更に那覇行きのANAに乗り込み、病院に直行。午後からは直ぐに仕事開始となりました。 余韻に浸るのはこのブログにスペインの旅行記を記載する頃からでしょうか。また1年頑張りましょっと!scissors

2017年12月 3日 (日)

世界を夢みて 68 : 3度目のスペイン、マドリッドの夜

那覇空港→関西国際空港・(前泊)→ドイツのフランクフルト空港と乗り継いでスペインのマドリッド・バラハス空港に到着です。今回で三回目のスペインです。

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外に出ると19時半ですがまだ明るい状況でした。空気がひんやり乾燥しています。 この感覚が暑くて湿気のある日本との違いで、いよいよ来たかという気分にさせてくれます。

フランクフルトからの飛行機内で早めの夕ご飯となりますが、腹が減った時のつまみ程度は日本からの持参したお菓子類と飛行機内で調達しております。

21時近くにマドリッドのホテルに着くと流石に日は暮れて、街の灯りが輝きだしています。ホテルに荷物を置いて、さっそく街歩きに出かけました。 毎回そうですが、この時間がもったいなくて疲れていても行動開始です。

ホテルは中心地から少し離れていましたが、タクシーでスペイン広場へと向かいいました(スペインのタクシーはヨーロッパの中でも安心で使いやすいです)。

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ドンキホーテの像で有名なスペイン広場、この像とも3度目のご対面となりましたが、私は年をとっても向こうは変わらないままですcoldsweats02 

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(次の日の日中のスペイン広場です↑。スペイン広場は1930年にセルバンテスを記念して造られた広場で、中央にセルバンテス像がドン・キホーテと従者サンチョ・バンニ像を見下ろすように立っています)

スペイン広場から近代的な建物が並ぶグラン・ビア通りを歩くことにしました。この通りの歴史はそれ程長くなく、スペインが近代化を進めるにあたり、首都にふさわしい大通りを造る目的で、20世紀に小さな通りを改築してメイン通りとしたことが始まりです。

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沢山の人で賑わい、周りには人気ショップや有名ブランドメーカーが店舗を開いています。若者も多く活気に溢れた繁華街です。この通りはあまり長くはありませんので街の雰囲気を味わいながらこの大きな通りを斜めに下って行くと、その端が丁度「く」の字に曲がっていて、その先はカリャオ広場に出ます。 

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このくの字に曲がった所が、夜景としても綺麗なメトロポリスビルになります。 どうでしょうか? 綺麗ですねheart04 今回はこの夜景を見るためにやって来ました。

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その後ライトアップされたシベーレス宮殿(新市庁舎本部?)とシベーレス広場(アンカラ門)をみて、タクシーをひろいホテルまで戻りました。もしお時間があればこのシベーレス宮殿には3階にカフェテリア、7階にレストランがあるそうです。素晴らしい眺めを見ながら食事でも如何でしょうか・・・私も1度トライしてみたいです。

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タクシーでシベーレス広場の噴水を廻ったとことから写真を・・・丁度奥にメトロポリスビルが見えています・・・美しさに酔いしれながらホテルに戻りました。

一晩寝ると時差ボケ解消で明日からは本格的な観光が始まります。

2017年11月26日 (日)

世界を夢みて 67: 3度目のスペイン

バルト三国・ポーランド旅行記も書き終えたため、今度はスペイン旅行記を書いて行きたいと思います。私自身はずっと仕事人間でした。酒を飲むわけでもなく、ゴルフなどをするわけでもなく、土曜日も日曜日も病院にいました。 おそらく平均しても毎日14〜16時間は働いていました。高校卒業まで沖縄を出たことがない私は未だ見ぬ広い世界に憧れ、子供の頃より海外を旅するのが夢でした。20代30代は旅行以外は1日も休まず働いて、年に1回だけ6日から10日間の休みを貰き、主にヨーロッパを旅行しました。最高の夢の時間でした。

私にとって旅行が1年の区切りとなり、旅行に出かけると1年が終わって、また1年旅行のために頑張ろうと仕事をしていました。

39歳で民間病院移り、病院の再建・移転のために更に忙しくなり、とうとうその年から50代半ばまではその海外旅行も夢となってしまいました。 病院が移転後落ち着いた頃より、ふとしたきっかけでギターを始めたり、海外旅行の復活が果たせるようになりました。

その為に私の旅行は20代・30代の時期と50代後半の二期に別れてしまっています。思い返すと若い頃に旅行に出かけた事が私の人生を豊かにしてくれたと思っています。 

デジタル化していない前半の時期は現像して写真をアルバムにしていました。写真の横に旅行先の場所や感想なども書き込んでいましたので、今ではとても貴重な資料となって見返しても面白いのです。 しかし最近はデジタル写真となり、このままコンピューターの中に入れっぱなしで、暫くすると詳細を忘れてしまいます。そうならないように記録として残すために、このブログに旅行記を書くことにしました。

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今回から3度目となったスペイン記について書いて行きます。暫く続くと思いますが、お付き合い頂けたら有り難いです。

30年前はアンカレッジ経由でロンドン・ヒュースロー空港乗り換えイタリア(ローマ・ベネチア・フィレンチェ)・スペイン(マドリッド・バルセロナ)旅行で、24年前はモスクワ経由でスペイン・ポルトガル旅行でした。今回は関空からフランクフルト経由でスペインとなりました。 

Th__4 経由地だけでも時代の流れを感じます。 冷戦時代はソビエト領空は飛べずに、アンカレッジ経由か南周りでヨーロッパでしたし、途中からはソビエト上空を通過可能となるも外貨獲得のせいでモスクワでいったん降りてからのヨーロッパでした。その後は殆どはロシアに寄らなくともヨーロッパに直接いけるように変わってきました(以前ブログに記載しています:http://omoromachi.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/post-0090.html  および http://omoromachi.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/post-0373.html )。

今回は関空からルフトハンザ航空でフランクフルトに向かいました。 この機体に乗るのは10年ぶりでしょうか? ドル箱路線と言われる沖縄ー東京などではジャンボ機が主流の時期がありましたが、懐かしい大きさです。今回はビジネスクラスを利用しましたので、とても楽な移動となりました。

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世界遺産が現在45カ所、世界で3番目に多い魅力的なスペインの旅です。これからもお付き合いください。

2017年11月19日 (日)

世界を夢みて 66: ヴィエリチカ岩塩坑(世界遺産)

クラクフから南東15Kmにヴィエリチカという小さな町があります。ここは町の美しさのための観光地ではなくて、地下が重要な観光地となっています。

1250年から1950年代まで稼働していた、世界有数の岩塩採掘場がこの町の地下には編み目のように広がっています。この規模や美しさから1978年に世界遺産に登録されています。

ヨーロッパにはハルシュタット(ハルはケルト語で塩、ショットはドイツ語で場所)やザルツブルグ(ザルツはドイツ語で塩、ブルグは町)など岩塩が見つかった場所を中心に町が発展してゆきます。またイタリアの最古の道といわれるビア・サライアは「塩の道」の意味です。

周りを海に囲まれた私達は比較的塩を簡単に手に入れることが出来たため、この重要性を認識出来ないのかもしれません。

人間は塩がなければ生きることが出来ません。人間の祖先はアフリカ起源とされ、これがヨーロッパへと徐々に移動し、白人となって行きます。 しかし人間は塩がないと生きてゆけませんので、人の移動もヨーロッパの海岸沿いに沿って北上して行ったのです。そのため海から遠い内陸部には人は移動できませんでした。

ところがヨーロッパ大陸にはもともと海であった部分が隆起した所があり、その地下には海水が濃縮され、岩塩となって残っていた場所があったのです。 

この岩塩を探し出したお陰で人が住めるようになり次第に内陸にも人間が進出することが可能となります。 当時は塩は非常に貴重で金と同じ値段で取引されていたのです。この場所が見つかった国家は岩塩の採掘により莫大な富を得て、町を発展させていったのです。そのため国家は採掘場所を保存監視したのでした。

Th_dsc06993_2 このヴェエリチカ岩塩もポーランドの国家財政を支えた一つで、厳重に管理されたいました。現在観光客は地下64〜325mの約2.5Kmの採掘場のほんの一部を見学出来る様になっています。それでも巨大ですので迷子にならないためにガイドさんと一緒に入るようになっています。

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坑道へは抗夫達も使ったエレベータで降りてゆき、そこからガイドさんと共に2〜3時間のツアーとなります。

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後は入り組んだ道や大きな空間を通り奥へと進みます。

最初の空間ですが、補強のための木材以外は全て岩塩です。ちなみに歩きながら壁に付いた手を舐めても塩辛いですcoldsweats01

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全て塩の結晶で出来上がっています

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抗夫達が自分や家族を想い祈りを捧げたのでしょうか

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更に奥へそして深くなってゆきます。道も壁も天井も全て岩塩です。

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突然、地下の岩塩の採掘場に出来た巨大な空間、聖キンガ礼拝堂がみえて来ます。こんな場所が地下奥深くにあるとは想像出来ませんでした。遠景から眺めるだけで身震いする感動に襲われてしまいます。これも全てが塩で出来ています。

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この祭壇も全て塩で出来たものです

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天井から吊された巨大なシャンデリアも全て岩塩の結晶で出来上がっています

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聖キンガ礼拝堂の側面に彫り込まれた「最後の晩餐」のレリーフも全て塩で出来ています。

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地下深くには湧き水が出ますが、岩塩の中をしみ出ていますので、99%の飽和状態の水です。もしも泳いだら、有名なイスラエルの死海よりも軽々と浮くはずです(ちなみに死海の塩分濃度は40%程度です)

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この様に高い空間も存在します。

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ここの売店で売られていた塩の標本です。塩に含まれるミネラルの量で色合いが違うそうです。まるで水晶のような宝石に見えます。

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出口の近くには営業を続けているレストランもあります。この様な所でランチを食べてみたいですね。

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地上に出ると直営店もあり、様々な塩の商品を売っていました。高くもないのでここで自分用と友人用のお土産を買って帰りました。

**今回でバルト三国・ポーランドの旅も最後となります。すでに次回の場所も決めておりますscissors**

2017年11月 5日 (日)

世界を夢みて 65 : アウシュビッツ収容所 ・ ビルケナウ収容所

今回の旅のある意味の目的地アウシュビッツ収容所ビルケナウ収容所を訪ねることが出来ました。私に取って25年前のポーランドでは訪れませんでしたので、今回が初めてとなります。

今回のツアーの中で数人の方はカウナスでのショッピングのため、アウシュビッツを訪れない方がいました。こんなことを書いたら失礼かも知れませんが、ここまで来たらアウシュビッツを見て欲しかったです。 もしも外国の方が広島を訪ねたら、たこ焼きや買い物をするだけでなく、どうか広島の平和公園や原爆ドームを見て帰って欲しいと願うからです。現地のガイドさんも多くの方が負の財産だけどどうか見て感じて帰って欲しいと話をしていました。

その方に大変失礼と思いますが、同じ日本人として悲しく思いました。嫌なことに目を背けては正しい判断が出来ないと思うのです。私自身も旅行の後半で、この様なつらい場所をみる事に心が重くなりました。 しかし本当に訪ねてよかったです。 人間はこうも残酷になれること、それは私自身が残酷な人間にもなり得ることを思い知らされたのです。 そうならない為にはどうすべきか心の奥にこの場所を焼き付けて置きたいと願いました。

今回の旅行は比較的天気に恵まれていたのですが、この日は朝から雨模様で更に気持ちが暗くなりました。 バスを降りて入り口に向かうと世界中から老若男女を問わず沢山の方々が施設の入り口へと列を作っていました。入り口で1人1人チェックがなされて入ることが出来ます。

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アウシュビッツ収容所第1収容所の門にはドイツ語で「ARBEIT MACHT FRE!」(働けば自由になる)と書かれています。しかしここに入った殆どの収容者は悲惨な労働の後に帰えることはありませんでした。収容された方々はユダヤ人が多数を占めますが、政治犯、ロマ・シンティ(ジプシー)、精神障害者、身体障害者、同性愛者、捕虜、聖職者が含まれていました。

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入り口を振り返った写真です。もう2度と出ることが叶わない場所です

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中に入ると沢山の収容施設が並び、電気が流れた鉄条網に監視小屋があり、逃げ出すことは不可能でした。

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その一角に花束が置かれた「死の壁」と呼ばれる場所があります。この場所に何人もが立たされ銃殺刑に処された場所です。

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各地から集められた収容者は次々と増え、ナチスは効率良く殺す手段を研究します。それが毒室です。その小さな場所に入りきれない程詰め込めた後、毒ガスが注入されて殺戮されてしまいます。その後死体を効率良く移動するために、滑車がしかれています。人間は1度正気を失なうとこの様な事も行うことが出来るのです。これが戦争の正体です。

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アウシュビッツの建物の奥に大きな写真が棟の前に飾られていました。カトリック聖職者のコルベ神父の写真です。最後は収容所で「餓死刑に選ばれた男性の身代わりとなって」殉職した神父さんで「アウシュビッツの聖者」と呼ばれています。この様な方が居たお陰で私達人間は救われる気がします。この場所は人間の残虐さと崇高さを同時に味わう場所となりました。

コルベ神父は多くのカトリック教信者を抱えるポーランドで尊敬を集める神父さんです。実はコルベ神父は1930年から1933年まで長崎を中心に布教活動を行い日本のキリスト教関係者でもとても有名な方だったとのことでした。

アウシュビッツ収容所第1収容所(基幹収容所)だけでは収容できずに、アウシュビッツ市には次々と広大な収容所が作られて行きます。

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私達は今度はバスで15分ほど移動して、アウシュビッツの第2強制収容所(ビルケナウ収容所)に向かいました。この施設は東京ドームの37個分もある広大な収容所で、建設にはソ連兵の捕虜が使われ、その後各地から汽車でユダヤ人が強制収容されます。「死の門」といわれる場所です。列車ごとこの門をくぐり、強制収容されてゆきました。

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死の門から収容所内に伸びる鉄道引き込み線です。今は緑の生えた土地ですが、ここにヨーロッパ各地から汽車に立錐の余地もないほど詰め込まれたユダヤ人が降り立ち、身の回り品を没収され、働けるかどうかで選別されて行った場所です。

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収容所内は何段ものスペースが区切られそれぞれの段に何人もが不衛生な状態で寝て暮らし、強制労働を経て、暫くするとガス室へと送られた行ったのです。

ここまでご覧になって頂き有り難うございます。

気分の良いものではありません。しかし私はこんなひどいことが出来る人間でも、それ以上に素晴らしい人間が沢山いることを信じているのです。いつでも希望の光は私達の心の中にあると考えていたいのです。

2017年10月29日 (日)

世界を夢みて 64: クラクフ市内観光 No2

城門を降りて、今度はクラクフの旧市街地へと向かいました。ポーランドの首都がワルシャワに移る以前の約500年間はクラクフが首都として発展していました(1038年〜1569年:ポーランド王国、1569〜1596年:ポーランド・リトアニア共和国)。

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クラクフの旧市街を外敵から守っていた城壁は19世紀には取り壊されてしまいますが、その一部が残存しており、北の入り口のゲートがフロリアンスカ門で1300年頃に造られたそうです。

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このフロリアンスカ門を防御する砦が1498年に建てられたバルバカンという円形の要塞となっています。

ヴァヴェル城の城門、フロリアンスカ門をくぐると美しく整備されたクラクフ旧市街に出ます。歴史的な建物と綺麗な石畳を歩くと、急に大きな広場にでます。

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この広場がクラクフの中心地の中央広場となります。多くの観光客で賑わったいます。何となくベネチアのサンマルコ広場を思い出す雰囲気がありました。この広場の総面積は4万㎡で、中世から残存する広場としてはヨーロッパでも最大級だそうです。

広場の中央に真っ直ぐ並んで建っているのが、織物会館と呼ばれるルネッサンス様式の14世紀の建物です。当時ここで衣服や布地の交易所だったためにこの名前がついています。

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現在は1階の中央部分はまるでアーケード街の様で、両サイドに民芸品やアクセサリー、刺繍などの店がぎっしりと並んでいます。買い物客や観光客でいっぱいです。2階はクラクフ王立美術館となっています。地下も地下博物館として2010年よりオープンしています。

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中央広場に面して、1222年に造られたゴシック様式の大きな建物があります。広場に面した部分は二つの塔が建っていて、その左側の最上部の窓は開けられる様になっています。モンゴル軍がクラクフを襲撃した際に、襲撃を知らせるラッパがこの部分から鳴らされたのです。しかしその時にモンゴル兵の矢によりこのラッパを吹いた方は死んでしまいます。

そのことを悼んで、今でも1時間おきに、この窓が開いて,実際に本物のラッパ吹きが時間を知らせてくれます。このことを知っていて観光客もこの時間には集まって来ます。最初音は聞こえるのですが、高いためにどこにいるのか気がつきませんでしたが、吹き終わった後に私達に向けて手を振ってくれたのでこの場所が分かりました。

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聖マリア教会は外壁は茶色で余り目立たないのですが、その中に入ると印象が一変します。ステンドグラスや目を見張る装飾品で飾られ、特に15世紀に作られたファイト・ショトーズ(Wita Stwosza)の祭壇は国宝に指定され、光輝く聖母マリアの被昇天を現しています。

ここで載せられないほど沢山の綺麗な風景がありますが、夜のクラクフの街もまた素敵でした。

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柔らかい光の中で、中世の世界に迷い込んだようです。

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綺麗に着飾った観光馬車もこの街に溶け込んだ風物詩のようでした。

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沢山写真を撮った中でもお気に入りの一枚です。偶然夕食の待ち合わせ場所で気がついて慌てて写真を撮った場所です。ヤママテイキ広場の騎馬銅像(グルンヴァルト戦勝記念碑)がライトにアップされ、隣の建物に影となって投影されていました。一瞬この幻想的な景色に時間を忘れそうになってしまいました。

美しい空間に身を置くほど贅沢な時間はありません。

遙か東の国と思えたポーランドも13世紀にはモンゴルの襲撃をうけ、クラクフの街も破壊され、人口も減少しますが、次第に復興してゆきます。14世紀からは国王自らユダヤ人を積極的に招き入れ、国力を増してゆきます。そのためにポーランドにおいてユダヤ人が多く住むことになり、そのためにナチスによるユダヤ人の虐殺がポーランドを中心に行われていってしまったのです。

2017年10月18日 (水)

世界を夢みて63:クラクフ市内観光No1

ワルシャワからバルト三国・ポーランドの旅行の最終地点となるクラクフへと向かいました。

クラクフは11世紀から1596年の約550年間ポーランド王国の首都として栄えた都です。当時のクラクフはボヘミアのプラハ、オーストラリアのウィーンと並ぶ中欧の文化都市として発展します。 ヴィスワ川に面したなだらかな丘の上に歴代の王の戴冠式を行ったヴァヴェル城が建っています。

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バス停を降りて、ヴァヴェル城に向かう道の右岸面は芝が植えられており、多くの市民が日光浴を楽しんでいました。その岸辺は遊覧船の発着場となっています。

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次第にお城が近づき、高いお城の城壁の部分に人だかりが出来ている場所がありました。大きな竜の像が立てられていて、多くの方が写真を撮っていました。なんと1〜2分毎にドラゴンの口から火を放つのです。どうりで子供達が熱心に見ている訳です。

この場所は竜の洞窟があった場所で、伝説によると、昔ヴィスワ川に悪い竜が住んでいて、美しい村の娘をさらって食べていたそうです。王の娘もこの危険にさらされます。村の靴職人が、竜を欺してタールと硫黄を染み込ました羊を食べさせます。竜は喉の渇きに襲われヴィスワ川の水をガブ飲みつづけ、とうとう破裂して死んでしまいます。それによって靴職人の若者は王女と結婚できたという伝説があり、立派に国を治めましたとのこと・・・scissors

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なだらかな坂を城門に向かった歩いて行くと、次第にクラクフ全体が見渡せるようになり、心地よい風が吹き抜けてゆきます。その先には大聖堂旧王宮などの建物があります。

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城門の中は思ったより広く、綺麗に花々が植えられているだけでなく、その向こうの美しい形をした大聖堂みえて来ます。その景色はまるで美しい絵画のように思える程です。 

この大聖堂は長い間、ボーランド国王の戴冠式などが行われ、それまでの国王の墓所ともなっています。長い間に幾度も増改築を繰り返したために、様々な建築様式をみることが出来ます。尖塔だったり丸かったりと形も様々ですが、それでもまとまった美しい大聖堂です。Th_dsc06342

この大聖堂の中は撮影が禁止のためにお見せできないのですが、煌びやかな装飾、王墓なども世界的に美しいと言われているほどで、ため息が出るほどです・・・写真が撮れたら最高だと思いますが・・・

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そこから直ぐに旧王宮に入ることが出来ます。四方が囲まれた広場の中央に立つと360度美しい建物の中にいる実感が湧いて来ます。今は博物館として使用されています。

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規模は小さいのですが、この中には世界的にも有名で貴重なレオナルド・ダ・ヴィンチの「白テンを抱く貴婦人」を所蔵しているチャルトリキス美術館でしたが、2012年から2017年5月まではこの王宮の1室に展示コーナーが変更になり、私の方は王宮でこの絵を見ることが出来ました(展示もこの一枚だけで20分単位で20〜30人までの枠で入ることが出来ます)。 世界的にあの有名なダビンチの油絵のポートレートは世界に3枚(4枚?)しかないのです。この一枚をみるために世界から多くの愛好家も訪れるそうです。 

レオナルド・ダ・ヴィンチの作品は沢山ありそうですが、他者を描いた油絵のポートレートは「モナリザ」「ミラノの貴婦人の肖像」とこの「白貂を抱く貴婦人」だけということです(ジネーヴラ・デ・ベンチの肖像を加えると4点?)。

ダビンチの絵はモナリザもそうですが、肖像画の背景も緻密なほど細かく描写されているのですが、この「白貂を抱く貴婦人」では修復の過程で殆ど黒く塗りつぶさてしまい、どのような背景だったのが分からなくなっているとのことです。そのことを考えると複雑な思いですが、背景が黒いお陰でこの貴婦人のやや赤みを帯びた顔の白さが浮き上がって来る気がします。私の様な美的感覚のない者が表しても愚かなことですが、折角だったら、ごつい手ではなくて繊細で華奢な手を描いて欲しいと感じてしましましたcoldsweats01

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