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旅行・地域

2017年4月19日 (水)

世界を夢見て49 : ヴィリニュスのホテルは最高でした

今日は私の旅行記事としては珍しく、滞在したホテルについて書いてみたいと思っています。私自身の旅行スタイル(こんなたいそうなことではありませんが・・coldsweats01)は、とにかく時間があるだけ町歩きをしたい、街の雰囲気を味わいたく、歩き回ることが殆どでした。

特に若い時はそうでした。食事の時間がもったいなくて、マックを片手に食べながら街を歩いたことも何度もありましたし、時間がなければ昼食無しでも美術館周りを行っていました。食事を楽しみたいとかショッピングをしたい、高級なホテルに泊まりたいとも考えたこともありませんでした。

Th__4 20代30代は年に1回の旅行のために1年中日曜日もなしに毎日仕事をしていました。40代から50代半ばまでは、更に忙しくなり、とうとう年に1回の旅行も出かける事ができませんでした。ずっと仲間のことが気になり、自分が休んだらいけないだろうと思ったのです。しかし仲間からも大好きな旅行に行って来て下さいと背中を押されて、年に1回の旅行を再開することが出来たのです(・・感謝ですheart04)。

Th__5 今でも旅の基本的なスタイルは若い頃と同じなのですが、帰路の生涯を歩むなかで、体力差をカバーしたり、肩肘張らずに色々な旅の楽しみも味わってみたいと考えるようになってきたのが大きな変化です。 例えば郊外の高級ホテルより、中心部のホテルが夜まで遊べること、値段は高くなってもビジネスクラスなどを利用することで帰国後直ぐに十分働くことが可能であること、ちゃんと写真を撮って記録として残すことなどの変化がありました。

これまで、ホテルはただ寝るだけの場所としか考えていませんでしたが、今回のヴィリニュスではとてもロケーションが良く豪華なホテルでしたので、このブログを読んで貰っている皆様にもご紹介したいと思います。Th__6

リトアニアの首都ヴィリニュスの中心のヴィリニュス大聖堂に面して宿泊先のホテルはありました。いわゆる3星ホテルです。重厚なドアを開けて入ると広々とした大理石張りのロビーがあります。 なんと入ると直ぐに、宿泊の手続きを行っている間にウェルカムシャンパンのサービスがありました。 柔らかなソファーに腰を降ろし、シャンパンを飲み干します。しばらくして、部屋に案内されましたが、すでに荷物は部屋にいれられたいました。

Th_dsc05355 このホテルの最上階のため、この部屋の天井は途中から斜めになり、大きな窓がついています。室内もとてもシックで落ち着いた雰囲気で、バスタブもついた綺麗な部屋でした。

特にビックリしたのは、この部屋からの眺めでした。斜めになった大きな窓は上方に開放できるようになっています。その窓を大きく開くと、何と目の前にあのヴィリニュス大聖堂が見え、遠くには 展望台を始め旧市街が見渡せます。

この窓から夕暮れが迫り、次第に街の明かりが灯してゆき、Th_ 刻々と違う雰囲気となります。家路を急ぐ人々を眺めながらホッとした時間を過ごしました。その後ホテル内のレストランで夕食。レストランも素敵でワインや食事も美しくておいしかったですheart04

私にとっては日常を離れたこのようなホテルの窓から、この地で暮らす人々の日常の姿を見ることはとても楽しく、時間帯で変わってゆく美しい景色に心が洗われました。なかなかこの様な部屋に泊まることはないと思いますが、ホテルが泊まるだけの場所でないことにこの年になってようやく気づくことができた宿泊経験でした。

まあ、私の方はこのようなホテルに泊まることは余りないでしょうから、今回ご紹介させて頂きましたlovely

2017年4月 8日 (土)

世界を夢みて 50 : リトアニアの新学期は素敵な光景に出会えます

日本では桜の開花の時期に新学期が始まり、今の季節はランドセルを背負った可愛い子供達の登校を見ることができます。

Th_dsc05006 私がリトアニアを訪ねた9月1日は丁度、リトアニアの新学期の開始の日となります。その日の観光に出かけながら、昨日とは違う町の光景がありました。 小学校・中学校の子供さんは、綺麗に着飾った服(制服?)を着て、それぞれが花束を抱えています。そして生徒だけでなく両親も正装して一緒に歩いています。花束を抱えた可愛らしい子供達を見ていると私もつい嬉しくて笑みがこぼれてしまいました。

9月1日はリトアニアの新学期ですが、授業はなく午前中は学校に行き先生に挨拶をして午後からは家族や友人達と遊園地などに出かけるそうです。なぜ子供達は皆が花を持っているの?・・・と思っていたのですが・・・それは学校の先生にプレゼントするリトアニアの習慣のようです。花束を家族で持ってゆく教育環境はいいなと純粋に思いながらこの光景を見ていました。

ちなみにリトアニアの教育制度は、小学校(1〜4年)、中学(5〜10年)、高校(11〜12年)の4−6−2制の場合、9〜12学年をギムナジウムという人文学、科学、技術、芸術などの専門化した教育施設で学ぶ生徒もいるそうです(この場合は4−4−4制)。それ以外に11学年から職業訓練学校に進む制度もあります。大学進学については一般入試試験はなく、上記の最終学年に実地される全国統一試験の結果によって決まるそうです。Th_dsc05016

街を観光して、午後になると今度は沢山の花束を抱えた方を見かけました・・・そう彼らは学校の先生の様です。明日からは子供達の為に懸命に教育をしてくれるのでしょう・・未来の子供達の為に頑張って欲しいものです。

その夜はヴィルニュス市内のレストランで夕食となっていました。入るとレストランは超満員の状態でした。新学期を迎えた子供や両親だけでなく、祖母や祖父と思われる方々を含めての夕食会が開かれ、幾つもの家族が子供達を囲んで賑やかに新学期を祝っていたからなのでした。

日本でもこのような習慣があれば素敵だろうなと思いながら過ごしたリトアニアでの9月1日でした。

2017年4月 2日 (日)

世界を夢みて 48 :リトアニアの首都ヴィリニュス(1)

Th_ フィンランドのヘルシンキからバルト三国を南下し、ラドビアの国境を超え、リトアニアの精神的な聖地である十字架の丘を通り、リトアニアの首都ヴィリニュスに入りました。同国の最大の都市で人口は56万人程度だそうです。バルト三国で唯一の海に面していない首都ですが、ヴィルネ川とネリス川沿いに位置し、かつては船による交通の要所でありました。

多くの首都は国の中心部にあるのですが、ヴィリニュスは国の東南の外れに位置しています。ただこれは現在の国境が変わったからで、かつてはリトアニア大公国の時代にはやはり国の中央にあったとのことです。各国が国境を接するヨーロッパ、特にバルト三国を始めかつての東ヨーロッパ諸国の運命は複雑です。

さてこのヴィリニュスも見るべき場所が沢山でした。1994年に旧市街はTh_dsc04934 ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録され、2009年には欧州文化首都にも選ばれた美しく文化に溢れた都市でした。見所も満載で2日間滞在しましたが、それでも全然足りませんでした。

街の外れの小高い丘にはかつてのヴィリニュス城の城壁と西の見張りの塔(ゲディミナス塔)が残っていてます。小さなケーブルカーで昇って行けますが、高くありませんので徒歩でも大丈夫です。 ここは特に旧市街を一望できる絶景ポイントでもあり、後Th__3方には新市街も見渡すことが出来るため、初日の観光では街全体を把握するためにも先に訪れる方がいいと考えます。

城壁から旧市街を見渡すと、木々の緑と赤い瓦の屋根、教会の尖塔があり、他のバルト三国の景色に近いと感じられました。しかしタリンやリガのようなハンザ同盟の影響は受けていない文化圏であるとされています。

旧市街地にはゴシック、ルネッサンス、その後のバロック建築の様式の建物が所狭しと建っています。 そこから東側の山の斜面に大きな十字架が立っている、「3つの十字架の丘」があります。昔フランチェスコ修道会の僧侶が殉職したことに対して17世紀に建てられたそうですが、この十字架もスターリンによって破壊されてしままいます。しかし独立後1989年に祈念碑が再建されています。

Th_dsc05005 ゲディミナス塔の眼下にある大きな教会が、街の中心のヴィリニュス大聖堂です。13世紀に当時の王様がキリスト教を受け入れた時に最初に建造された主教座教会だそうです。かなり大きな建物で、広場も大きく尖塔も建っています。内部も美しい装飾があり見学か可能です。

ヴィリニュスには沢山の教会があり、有名な大学や博物館もあります。今日はまとめることが出来ませんでしたので、何度かに分けてブログに記載したいと思います。

2017年3月15日 (水)

世界を夢みて 47 ; リトアニア:十字架の丘

ラドビアの首都リガから南下し、バルトのベルサイユとも言われる、格式のあるルンダーレ宮殿を見学後、かつてのラドビアとリトアニアの国境線もこのまま通過してしまいます。

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のどかな田園地帯が続きますが、国境の近くに、リトアニア人にとっては象徴的な聖地となっている「十字架の丘」があります。ラドビアの首都リガから、リトアニアの首都ヴィルニュスを繋ぐメイン街道の近くにあり、リガやヴィルニュス辺りから日帰りでバスに乗って来る観光客も沢山いるようです。時間のある方は近隣のシャウレイと言う街に宿泊するのもいいかもしれません。

Th_dsc04664 この国道に、十字架で出来た看板があり、そこを左折して暫く平坦な畑の中を進んでゆきます。考えて見たらバルト三国の多くは東ヨーロッパからの堆積で出来た様な場所で、高い山はなく平坦な道が続いているのです。

間もなく駐車場に着き、バスを降りると、観光案内所や売店があります。そこには大小様々な十字架も売られています。ここで買って十字架の丘に捧げることも可能です。

売店の横の階段を上り、後は整備された歩道を進むと奥に僅かに隆起した丘に沢山の十字架が立っている光景が見えてきます。

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無数の十字架がランダムにおかれた印象で、その数に圧倒されてしまいます。無Th_dsc04662宗教家の私としては十字架が並ぶ風景は欧米では墓地をイメージしますが、ここはお墓ではなくて人々の祈りの場所です。5万以上とも言われる形も年代も異なる大小様々な十字架があり、それを奉納した人々の想いが私の胸に迫って来る感じがしました。

感動していた私の横で「何だこんなものか、綺麗でも何ともないじゃないの」という日本人のつぶやきが聞こえて来ました。 確かにこの十字架の意味した歴史を知らないと十字架置き場、瓦礫の山に見えてしまうのかも知れません。

ここリトアニア十字架の丘リトアニア人の信仰と圧制への抵抗のモニュメントなのです。 たんなる十字架置き場と見るか抑制からの人々の自由の闘いの象徴として捉えるかでこの景色の重さに個人個人の思いの違いが出てくと感じました。宗教にかかわらず自由への渇望は人間が持っている本質の部分で、このモニュメントに共鳴するのだと感じました。

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この場所での十字架の建立の発祥ははっきりはしていないそうですが、1831年のロシアに対する11月蜂起の後と考えられるようです。その時に処刑されたり、シベリア流刑となったリトアニア人を悼んで、人々が十字架を持ち込むようになったそうです。その後ソビエト連邦に支配され、共産主義の名の下の宗教弾圧も始まります。何度もこの場所をソビエト軍はブルドーザーで破壊します。その状況下でもリトアニアの人々は自分達の宗教や文化に忠誠と抵抗を尽くす表現として、この場所に何度も十字架を立て続けたのです。

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旅行者の私には計り知れない民族の独立と自由の象徴がこの場所だったのでしょう。2001年に「リトアニアの十字架の手工芸とその象徴」の一つとして無形文化遺産に登録されています。美しい景色ではありませんが、訪ねる価値のある場所かもしれません。

2017年3月 5日 (日)

世界を夢見て 46: ルンダーレ宮殿 (ラドビア)

ラドビアからリトアニアに向かう途中(ラドビアの南端)場所に バルトのベルサイユと呼ばれるハンダーレ宮殿があります。リーガを離れて行くとのどかな田園風景が続きます。そんなところにベルサイユを言われても、世界中に「○○のベルサイユ」と称する場所をみることがありましたので、余り期待はしていませんでした。そこに入ると自分の認識を恥じるほどの壮大な建物と広く整理の行き届いた庭園が美しい宮殿でした。

ルンダーレ宮殿はロシアの女帝アンナに愛されたクールランド大公にまでなったロビン公の夏の宮殿として建てられました。建築したのはサンクトペテルブルグの冬宮などを手がけたイタリア人のラストゥレリです。1736年に建築が始まり1768年に完成します。この歳月の中で歴史は動いており、女帝アンナは死亡し、公爵はシベリア流刑になったりしましたが、完成をみます。

Th__8 駐車場から長く続くマロニエの並木道を歩いてやっと宮殿の入口が見えて来ます。時間が早かったのと地理的なことが要因でしょうが、ベルサイユと違い人影も疎らでゆっくりと写真が撮れます。 Th_dsc04582

バロック形式の中庭を通り、入口に向かいます。

チケットを購入し、床を痛めないために入口で靴カバーを履いて、専属のガイドさんと共に見学となります。現在はまだ修復中の段階で、修復の済んでいる2階を見学出来ます。2階に上がる階段は、以前いったことのあるサンクトベルクのエルミタージュ美術館の雰囲気と似ています。

2階に上がり待合室のような部屋を抜けると、公式な戴冠式なども行われた、黄金の広場に入りました。

Th_dsc04387 宮殿の中でも一番豪華な広場かも知れません。ドイツなどから1500人以上の職人が雇われたと言う事です。金箔の漆喰彫刻が四方に散りばめられ、天井画はイタリア人のバロック画家のF. マルティーニとC.ツッキを呼び寄せて書かせたそうです。

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奥の青の間、グランドギャラリーを通り抜けると、今度は舞踏会場となる白い広間に入ります。

Th_dsc04360 白は女性の美しいドレスを引き立たせる為に、天井を含めて白で統一されていま す。ここは黄金の間に負けないほど細かな漆喰彫刻が施された空間です。当時の上流階級はこのような場所で優雅に踊っていたのでしょう。

Th_dsc04374_2 白い広間の奥に小さな小部屋の楕円形の磁器の間があります。覗き込むと45個の東洋の磁器が壁に飾られ、滝をイメージして配置しているとのことです。

Th__9 この後も沢山の部屋を回ることが出来ます。その1つ1つにテーマがあり素晴らしい装飾がそれぞれなされています。(全てを紹介したら写真だけで何十枚となりそうです)。この2階から美しい庭園が見えます。広大な敷地に整然と花々が植えられています。宮殿を出て裏手の庭園を散策です。

Th_dsc04540 平坦な土地に細かな舎利の道、その間にバラの花や葡萄のアーチ、植物園、休憩室が広がっています。

Th_dsc04503 隅々まで手入れが行き届いています。庭職人さんがが何名か整備をしていたのですが、広い庭園のため彼らの移動手段は自転車でした。

Th_dsc04557 私もベンチでのんびりと貴族になった気分で、動乱の時代にここだけは異質の空間だったのだろうかと当時のことを想像していました。

今回は何と、この宮殿内のレストランで昼食を取ることが出来ました。宮殿の中の一角で綺麗で華やかな食事を満喫出来ました。

2017年2月26日 (日)

世界を夢みて45 :  グートゥマーニャの洞窟 マイヤの墓

Th_dsc04047 ラドビアのリガから車で1時間ぐらいの場所に、ラドビアのスイスと呼ばれる、小高い山並みと深い渓谷と緑が美しい場所があります。スィグルダと呼ばれる地域で、中央をガウヤ川が流れています。バスで眺めていても所々に木製で出来た階段やアスレチックが楽しめるようなロープが張り巡らされている箇所が何カ所かみえ、そこをスポーツウエアや山岳用の服を着た人達が歩いていたりしていました。ロープウェイや観覧車もあるようで、多くの方が自然を楽しみに訪れているようです。

Th_dsc04048 ガウヤ川はリーガのあるバルト海まで注いでいて、交通の要所でもあったようです。 先住民のリーヴ人が最初に住んで、13世紀にかけて帯剣騎士団によって占拠された後はこの川を挟んで、西側がリーガの僧正領となり、東側が騎士団領となったとのことです。その対岸に沢山の城が築かれて今は観光の名所となっています。

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スィグルダ城祉とトゥライダ城の間にグートゥマーニャの洞窟(Gutmana Ala) があります。

Th__6 高さが9m、奥行きが14mで、奥間で光が届きますので洞窟というよりは洞穴に近い感じでしょうか。この壁には一面、それこと上から下まで入り口から奥まで色々年代の沢山の恋人達の「寄せ書きが」書かれているのにびっくりします。その中には16世紀の恋人達の名前もあるそうなのです。

そこから少し離れた場所には、菩提樹の木の下にトゥライダ・ファザの墓(Turaidas Rozes Kaps) があり、週末になると式後の新婚さんが洞窟とこの墓を訪ねてお参りをするそうです。

Th_dsc04081 それは、トゥライダのバラといわれたマイヤさんのお墓なのですが、その悲劇の伝説があったのです。
年代は忘れましたが16世紀の恋人達の寄せ書きもありますので、それ以前の話と思います(間違っているかも知れませんが旅行中に聴いた話しです)。スエーデン軍がトゥラリア城を奪取した時の話です。トゥラリア城の庭師の若者と絶世の美女と呼ばれたマイヤが恋に落ち、結婚することになっていました。その二人の待ち合わせ場所が、グートゥマーニャの洞窟だったのです。彼はマイヤに愛の誓いとして自分の大切な短刀を渡します。 その美女をみていたトゥラリア城のスウェーデン兵が恋人の名前で嘘の手紙を出し、その洞窟に誘い出します。 そのスウェーデン兵がマイヤを襲おうとした時に、恋人から貰った短刀を差し出し、「愛の力で私は死にません」といいながら自分を刺すように嘆願します(これは操を守るために死を覚悟して嘘をついたとのこと)。 そしてその兵士はマイヤを刺して殺してしまうのです。始めその短刀から恋人が容疑者として捕まるのですが、その後真犯人が捕まり処刑されます。

この様な伝説のために、愛のために自分の命を捧げたマリヤの純白さを崇めるようになり、その後この場所は、恋人達の聖地となったとのことです。 今でも結婚式を挙げたカップルはこの洞窟を訪れて、お墓にお花を添える習慣が出来たそうです。

この洞窟の横には綺麗な湧き水が出ていて、今でも飲めます。この水を飲むと美しくなれるそうです。女性の方は飲まれていました。私は・・と言えば、これ以上美しくなると男性から襲われそうですので止めましたcoldsweats01

2017年2月12日 (日)

世界を夢みて44 : スィグルダ城 トゥライダ城

Th_2016 ラドビアのリガから車で1時間ぐらいの場所に、ラドビアのスイスと呼ばれる、小高い山並みと深い渓谷と緑が美しい場所があります。スィグルダと呼ばれる地域で、中央をガウヤ川が流れています。向かう途中のバスで眺めていても森の中に木製の階段やアスレチックが楽しめるようにロープが張り巡らされている箇所が何カ所かみえました。そこをスポーツウエアや山岳用の服を着た人達が歩いいる様子も見て取れました。ロープウェイや観覧車もあるようで、多くの方が自然を楽しみに訪れているようです。

Th_dsc04005 ガウヤ川はリーガのあるバルト海まで注いでいて、交通の要所でもあったようです。 先住民のリーヴ人が最初に住んで、13世紀にかけて帯剣騎士団によって占拠された後はこの川を挟んで、西側がリーガの僧正領となり、東側が騎士団領となったとのことです。その対岸に幾つかの城が築かれて今では観光の名所となっています。

この日は昼頃より雨模様となり、傘をさしながらの観光となりました。

スィグルダ城祉の駐車場を降りると、公園のように整備された歩道を歩いてゆきます。小鳥のさえずりも聞こえのどかな雰囲気です。ニューキャッスルの石造りの建物が見えて来ました。これがスィグルダ城祉かと思いましたが、この中にはレストランや市庁舎の一部の機能が入った新しい建物のでした。

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ここを超えて少しなだらかな谷を挟むようにスィグルダ城祉が見えて来ました。Th_dsc04033

スィグルダ城は帯剣騎士団によってリガ城に次いで建てられた城で1207年に建築が始まりますが、戦乱で幾度も破壊、再建され、最後は大北方戦争で破壊されています。今では外壁しか残っていません。

その後ガウヤ川を挟んだ対岸にある、トゥライダ城に向かいました。何かのゲームにでも登場しそうな名前ですが、トゥライダとはリーヴ語で「神の庭」という意味だそうです。この城は元々リーヴ人の王のカウボ城でした。そこをスィグルダ城を造った帯剣騎士団が13世紀に攻め入って破壊した後地に建てられました。その時の司教アルベルトの夏の城として再建されています。

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赤い煉瓦の塔が目立つお城で、周りの緑や空の色にとても映える城跡です。

Th__5 司教の夏の城として造られたそうですので、当時教会の権力が如何に強かったが分かる気がしました。奥行きもあり、本丸は現在博物館となっていて、この城の歴史について展示されています。

正面に見えた見張り塔ドンジョンにも昇ることが出来ます。折角でしたので、木の階段や煉瓦造りの螺旋階段を登ることにしました。途中の階段でいったんいろい部屋があり、見晴らしがよく周りが見渡せます。更に頂上まで昇って行きます。そこから城全体や周りの山々やガウヤ川が見渡すことが出来ます。

周りには近代的な建物もなく森や川が見渡せ、周りから小鳥のさえずりも聞こえてきます。当時の司教や騎士団も同じ景色を眺めていたのだろう、どんな生活をしていたのだろうかと想像しながら眺めていました。

スィグルダ城祉とトゥライダ城の間にグートゥマーニャの洞窟(Gutmana Ala) があります。色々な中世の物語りもありますので、それは次回書いてみたいです。

2017年1月29日 (日)

世界を夢みて 43 : リガ市内観光No2

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  ラドビアの首都リガは70万人が暮らすバルト三国の中では1番人口が多い都市です。バルト海に注ぐ 川の交通の要所に出来た街で、ハンザ同盟の貿易拠点として13世紀より急速に発展します。旧市街はその頃の建物が再建保存され、街自体が世界遺産となっています。

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前回リガの市内観光をまとめようと思ったのですが、有名な場所を紹介していませんでした。

Th__10 街自体はコンパクトで美しく、石畳の道路も塵一つ無いほど綺麗です。何処を撮っても絵になる風景です。

全体像が分かる様に、上に聖ペテロ教会からの旧市街の眺めを載せました。聖ペテロ教会は13世紀の建物ですが、何度も火災などに見舞われその都度立て直され、第二次世界大戦後もまた修復されています。高さが123mの鐘塔からリガ市内を一望出来ます。

教会の裏手の広場にはブレーメンの音楽隊の像が建っています。グリム童話に出てくる音楽隊ですが、本拠地(?)ドイツのブレーメン市以外にもリガにその音楽隊像があります。下からロバ、イヌ、ネコ、ニワトリの順となっていますがロバの前足を撫でながら願い事をすると叶うとのことで、光っています。その足以外にも突き出た顔面も触るためその部分が皆光っています。多くの方がより高くジャンプしてそれぞれ触っていますが、ニワトリに届くのは余程ジャンプ力がないと出来そうもありません。

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三人兄弟の家はリガでは有名な観光スポットのようですが、説明がないと通り過ぎてしまいそうですcoldsweats01 向かって右の建物は15世紀のリガ最古の石造住宅でゴシック様式の建物、真ん中が17世紀のオランダのマニエリスム洋式の建物、左は17世紀に建てられた末っ子のバロック洋式の建物だそうですが、その当時になるとリガの街も密集して、3番目の兄弟の建物は手狭になってしまったとのことです。

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エストニアのタリンは城壁が概ね保存されていたのですが、リガの方はこのスウェーデン門が唯一現存する城門となっています。かつてこの近くにスウェーデン兵の兵舎があったことより名付けられています。スウェーデン統治時代にリガの娘は外国人と付き合うことが禁じられていたそうですが、恋に落ちてしまいます。それがばれて、娘は罪としてこの門の内部の壁に塗り込められたと言う怖〜い伝説もあるのです。いつの間にかこの門をく ぐると幸せになるとも言い伝えられていましたので、一応coldsweats01通ってみました(手前が旧市街)。

Th_ かつて城壁のあった場所にベージュ色の落ち着いた雰囲気の国会議事堂が建っています。そこを通り抜けると、かつての城壁の塔の一部が火薬庫として使用され、現在は博物館となっている塔が見えて来ます。沢山の名所があり、個々を説明出来ません

Th_dsc03837_3 中心部のリーブ広場に面して「猫の家」と呼ばれる建物があります。1階がレストランとなっているのですが、昔はラドビアの商人の邸宅だったようです。今ではネコが向いている道向かえにギルド会館があります。 実は昔この商人がドイツ系の商人が支配的だったハンザ同盟の大ギルドに加盟することを拒否された為に、腹いせとしてこの屋根のネコの象を、わざとお尻がギルド会館に向けるように設置したそうです。その後ギルドに入会出来たために、ネコの顔の向きをギルド会館に向け直したそうなのです。

おそらく、ヨーロッパの観光地はライトアップされて昼とは違う美しさを携えていると思います。今回は治安もよく(よいと聴いている)リガの街をゆっくりと散策出来ました。この街自体の美しさに加えてバルト諸国の国民の生真面目さや街を綺麗に保とうとする気持ちが旅行者である私達にも伝わってきました。 今後観光地化が進んでも、このままの状態であって欲しいと願う気持ちになった国々でした。

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灯りが点ったカフェでくつろぐ人々、パブでゆっくりとお酒を飲んでいる方々、ミュージシャン達の奏でる音楽が聞こえる広場・・・・この空間に身を置くことが出来た幸せを感じながらホテルへ帰りました。

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2017年1月15日 (日)

世界を夢みて42 : リガ市内観光 No1

エストニアの首都タリンから南下して、ラドビアの首都リガに入りました。リガはバルトの真珠と例えられる程の綺麗な街です。1997年に世界文化遺産に登録されています。

Th_2016 リガのホテルに着いて荷も解かずに夕暮れのリガ旧市街の散策に出かけました。市庁舎に面してブラックヘッド会館、聖ローダンド像が建つ広場はこれまでに経験したことのないような美しい場所でした(前回のブログ;http://omoromachi.cocolog-nifty.com/blog/2016/12/41-d751.html )。

夕暮れ時、日が落ちて、そして次の日に訪れた時間帯で違う雰囲気を醸し出す広場でした。

リガは70万人が暮らすバルト三国の中では1番人口が多い都市です。バルト海に注ぐ 川の交通の要所に出来た街で、ハンザ同盟の交易都市として13世紀より発展します。しかしながらこの美しい街も、第二次世界大戦でドイツ軍の爆撃により破壊され殆ど消滅します。 その後古い写真や文献を元に、戦後街並みがほぼ元の形で再建されます。ヨーロッパを旅して感じることは、多くの国の人々が戦争で破壊された街を元通りに再建し復興するパワーにはいつも驚かされてしまいます。

この街の建物も建設当時の面影を残して再建されています。リガ旧市街自体もコンパクトで美しく、石畳の道路も塵一つ無いほど綺麗です。どの角を曲がっても絵になる風景です。Th_dsc03920_3

全体像が分かる様に、先に聖ペテロ教会からの旧市街の眺めを載せました。聖ペテロ教会は13世紀の建物ですが、何度も火災などに見舞われその都度立て直され、第二次世界大戦後もまた修復されています。高さが123mの鐘塔からリガ市内を一望出来ます。

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 リガの街は沢山の教会や広場もありますが、細く綺麗な路地も多く存在します。この様な路地裏を歩くと、その向こうにどんな光景が広がっているのかと想像しながら歩くと期待に胸が高鳴ります。 時には生活の音が聞こえたり、遠くから音楽が聞こえたりまします。

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この街の素敵なところは、それぞれの建物の外壁を飾っている彫刻や色使いがとてもシックで落ち着いていることを感じます。この街の建物や看板なども色々な装飾が施され、何気ない手すりなどにも花が模られたりしています。歩きながら、上も下もみないと素敵な場所を見逃してしまうほどで気を抜けませんcoldsweats02

Th__7 ガイドブックによるとリガはユーゲント・シュティール建築の宝庫だそうです。これは比較的新しいスタイルで、19世紀末に流行ったドイツ発祥の様式だそうです。

ユーゲント・シュティール(青春様式)は「構成と装飾の一致」を理念とし、柔らい曲線美を特徴としているようです。この建築の旗手のミハイルがリガで沢山の建物を残したため、この様な様式の建物が残っているとのことです。本当にリガの街は観て飽きない場所です。

Th__4 石畳の街を歩きながら、色々なお店のウインドゥを眺めるだけでも楽しいですね。その土地ならではの品々やパン屋さんなどではそこに住む人々の生活も見えて来ます。 はやり旅行はいいです。 

今回はリガ市内の有名な観光スポットを紹介出来ませんでした・・次回はなるべくリガ市内の有名観光地について記したいと思います。

2016年12月28日 (水)

世界を夢みて 41:リガの夜景(ため息の出る美しさ)

エストニアの首都タリンから南下して、ラドビアの首都リガに入りました。ラドビアは面積は九州の1.7倍で、総人口は230万人の共和国です。他のバルト三国同様1991年にソビエト連邦から独立しました。人口比ではラトビア人が62%、ロシア人が27%を占め、バルト三国の中では最もロシアと関係が深いとのことですが、急速に欧米と接近しています。

ラドビアの首都リガは人口70万のバルト三国随一の大都市です。ラドビアは「世界一美しい国」とも言われ、特に世界遺産のリガ歴史地区は300棟以上のアールヌーボー調の建築物が立ち並らび、その美しさは旅行雑誌からも高い評価を受けています。

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リガは1201年にブレーメンの僧正がこの地に要塞を築いた頃より発展し、その後は帯剣騎士団が結成され、リガはドイツ人によるバルト地方征服の本拠地として発展します。

13世紀にはハンザ同盟に加入し、交易にて発展しますが、その頃の教会や商家が現在も保存され、バルトのパリと称されるほど綺麗な街並みが広がっています。

世界遺産の旧市街を眺めるダウガヴァ川の対岸に私達の泊まるホテルがありました。夕食を済ませた後にホテルに入ったのですが、寸暇を惜しんで直ぐに行動開始です。

この川の岸辺に立ち、次第に夜のとばりが降りて、対岸の旧市街の灯りが鮮やかになってゆきます。 ゆっくりと深呼吸をします。 なんで素晴らしい景色なのでしょうshineflair 旅行前からリガの地図を頭に入れておきます。どのルートで散策したらいいのか、この角を曲がるときっと教会がみえるかも知れない、おおよそどれぐらい歩けばいいのかとシュミレーションしておきます。

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治安がいいとはいえ、初めての夜の街並み、自分で出来る可能なだけの身支度はしながら、ワクワク、ドキドキしながらの散策開始です。

ホテルの前のダウガヴァ川の対岸から旧市街の尖塔をみながら、 Akmens橋の歩道を渡り旧市街地に入ってきます。この頃には少しずつ日が落ちて、よりいっそ街の灯りが輝き出しました。

Th_dsc03674_3 雄大に流れダウガヴァ川の岸辺には、ナイトクルーズを楽しめる船が人々を待っています。その横を通り抜けると、ブラックヘッド会館が見えて来ます。決して大きくはないのですが、なんと美しい広場でしょう。この美しさに暫く立ち止まってしまいました。 ブラックヘッド会館は、ギルド同盟に加わったドイツ商人の中で未婚の若手の集会場として建立された会館でした。中には豪華な大ホールがあります。 しかし第二次世界大戦でドイツ軍の爆撃で破壊され、1948年にはソ連軍によって解体されてしまいます。1999年にリガ建都800年周年を記念して当時の状態で再建された歴史を持つ建物です。

 建物の形、壁面を飾る装飾、建物の煉瓦の色どれを見ても繊細で美しいです。 奥には高い尖塔をもつ市庁舎が接しています。この会館の広場にはリガの保護聖人、聖ローダンドの像があり、聖剣デュランダルを携えてる姿はまさしく神々しく輝いていました。

このローダンド像からブラックヘッド会館、市庁舎が見渡せる広場は、本当にため息が出るほどの美しさでした。今回の旅行の中でもお気に入りの場所となりました。またいつの日か訪れたいですgood

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(次回はリガの街並みを紹介致したいと思います)

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