Veveyブベー観光
今回のスイス旅行では「スイストラベルパス」を購入していますので、殆どの交通機関は何度でも無料で利用出来ます(世界一?生活物価が高い国ですので交通費も非常に高いのですが、その分便利でこの恩恵を受けることが出来ます)。朝早くジュネーブから宿泊地のモントルーに移動しホテルに荷物を預けた後、通過したローザンヌに向かい散策しました(→前回のローザンヌ観光の続きです)。その後にVevey(ブベー:ヴゥヴェイ )に立ち寄りました。

今回のスイス旅行では「スイストラベルパス」を購入していますので、殆どの交通機関は何度でも無料で利用出来ます(世界一?生活物価が高い国ですので交通費も非常に高いのですが、その分便利でこの恩恵を受けることが出来ます)。朝早くジュネーブから宿泊地のモントルーに移動しホテルに荷物を預けた後、通過したローザンヌに向かい散策しました(→前回のローザンヌ観光の続きです)。その後にVevey(ブベー:ヴゥヴェイ )に立ち寄りました。
ローザンヌ観光のもう1つの目玉に国際オリンピック委員会本部の見学がありました(→ローザンヌ観光N01 →ローザンヌ観光No2)。 スイスは色々な国際機関がありますが、当初はパリの本部があったとのことです。
「近代オリンピック」はフランス人のピエール・ド・クーベルタン男爵が、パリ国際会議でオリンピックの復興を提唱し、これが満場一致で可決されて、1894年6月23日に創設されます。 最初のIOC本部は、パリ市内にあるクーベルタンの生家に置かれたとのことです。第1次世界大戦の勃発を受け、オリンピックが政治的な圧力にさらされることなく「IOCの政治的中立性を確保する」するために、クーベルタン男爵の意向に沿って1915年に中立国だったスイスへ移転したとのことです。
スイスのなかでローザンヌになったかは諸説あるとのことですが、レマン湖を望む美しい街並みを、クーベルタンが気に入っていたからではないかと言われています。随分と当時はクーベルタンの独断場だったのかも知れませんね。
ローザンヌのオリンピック駅を降りて、レマン湖に向けて進むと港やレストランなどが建ち並び、気持ちより風が通り過ぎてゆきました。
前回の続きとなります(→ローザンヌ観光No1)。ローザンヌ観光No2(大聖堂からIOCまで)
2022年も12月30日まで仕事があるため、大晦日に台湾に出かける強行旅行を予定にいれていました。12月に入り、飛行機とホテルは予約を済んでいます。ただし職業柄、直前まで予定は未定です。12月30日に緊急の手術や状態の安定しない患者さんがいたら中止となることも覚悟の上です。 今回は緊急の手術もないために、出かけることが出来ました🙇✌️
12月31日にLCCのタイガーエアー✈️で9時45分に台北(桃園国際空港)へ出発(飛行時間は80分程度ですので、那覇からは福岡よりも近いです)。
台北から台湾の新幹線を乗り継いで台中の13時頃到着(1時間の時差があり、日本では14時頃)し台中観光。台中宿泊。1月1日も夕方まで観光して、20時頃に桃園国際空港近くのホテルに移動。1月2日朝7時の飛行機で那覇に向かい朝の9時頃到着となりました(2泊3日になりますが、実質は1日半もない観光です)。
なにもこんな慌ただしい旅行なんてと・・自分にも呆れかえるのですが・・飛行機に乗って海外(近いですが一応海外です😅)ですので、気持ち(頭?)の切り替えが出来て新年を迎えることが出来ました。 私もそれなりの年齢ですので、後がないのも大きな理由です😃
このホテルを選んだのは駅に近いことと、台中で今一番のホットスポットの「宮原眼科」が目の前にあることです。台中旅行をさっと書くつもりでしたが、結構色々な観光スポットに出かけましたのあと2〜3回に分けて記載します(今週中に書き終われればいいのですが・・・)
2023年も慌ただしいと思いますが、どうぞこれからも宜しくお願い致します🙇
新しく感じたのはやはり内部は建て替えられて21世紀のものだそうです。ただ歴史的には古い教会で、13世紀に最初に建てられたそうです。その後火災や広場の拡張や大通りを作るために一部取り壊しの憂き目を見てきた教会とのことです。そう思うと何となく愛着が湧きます😃
次回は大聖堂から湖畔エリアを紹介したいと思います。
少し時間があった為に、ジュネーブ湖畔の街ニヨンに出かけました。ジュネーブ駅から電車で15分程度で行けます。Wikikpediaによれば次のように記載されていました。ニヨンは、ガリア戦争(紀元前58 - 51年)によってガリアを征服したガイウス・ユリウス・カエサルによって紀元前45年頃に古代ローマの植民市として建設された。この植民市はコロニア・ユリア・エクエストリス(Colonia Iulia Equestris)と名付けられ、その中心部はノヴィオデゥヌム(Noviodunum)と呼ばれた。近年、アンフィテアトルムや神殿などのローマ時代の遺跡が発掘されており、1998年に開館したローマ博物館では出土品が展示されている。12 - 13世紀にはサヴォワ家の支配下に入り、ニヨン城が築かれた。現在、ニヨン城には、18 - 19世紀に盛んであったニヨン焼きと呼ばれる磁器などを展示する歴史・陶磁器博物館が設けられている。現在では、欧州サッカー連盟の本部が置かれていることで国際的に知られる・・・・となっていました。
ジュネーブからフランスの有名な観光地アヌシーAnnecyに向かいました。前回と前々回のブログです→http://omoromachi.cocolog-nifty.com/blog/2022/11/post-cbb3b4.html
→http://omoromachi.cocolog-nifty.com/blog/2022/12/post-98b7c3.html 。
前回の「フランス・アヌシー観光No1」の続きです
アヌシー湖はヨーロッパで最も透明度が高い湖とのことで、透き通るようなコバルトブルーの水面は光がキラキラと反射して本当に美しいです。ネットの紹介ではアヌシー湖は「サヴォワの宝石」と例えられているそうです。(サヴォワと聞いても意味不明でしたが、恐らくアヌシーのある地域は昔の領主のサヴォワ家が支配していた地域で、北をレマン湖、東から南をアルプス山脈、南東部をシャルトルーズ山地、東をローヌ川とギエール川に囲まれた場所のようです。知ったか振りで書いていますが、間違っていたら🙏)
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