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2025年7月13日 (日)

早朝のフィレンツェ大聖堂

今回念願だったフィレンツェ大聖堂の目の前の宿泊だった利点を活かして、余り人通りのない早朝のフィレンツェ大聖堂の写真を記載致します。
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昨日の雨も上がり今日は晴れのち曇りの状態でフィレンツェを散策出来そうです。
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中心部に泊まることの最大の利点の1つに早朝のまだ観光客が訪れない時間帯での散策があります。当然まだ教会なども開きませんので外観の写真撮影となります。
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この美しい大聖堂は13世紀に着工されますが、正面のファザードの部分は1871年から1887年にかけて作られたそうで、この教会としては新しい方となります。
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ファザードの中央扉の上方には一番大切な画面が描かれています。王座にキリストが座り、左右の足元に聖母マリアと洗礼者ヨハネが描かれています。キリストが持っている青い球体は地球を表していています。当時から「地球は青かった」のはわかっていたのでしょうか? 中央の金色の花瓶に生けられているのは百合の花になります。マリアの純潔を示す花でもありますし、フィレンツェ共和国のシンボルの花でもあるのです。
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扉そのものの彫刻も細かですが、周りの壁の壁画も一つ一つが芸術作品のような完成度の高さでした。
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人が少ないと写真撮影も楽です。早朝ですと観光客も余りいませんし、イタリア名物のスリ集団もきっとまだ活動していないと思います。
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ジョットの鐘楼(Campanile di Giotto) は、フィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の脇に建っている高さ約84mの鐘楼で14世紀にジョットによって建立されました。大聖堂と同じく赤、白、緑の大理石で作られているゴシック様式の建築となっています。
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Brunelleschi Pass(ブルネレスキ・パス)を利用して登らなかったのがジェットの鐘楼となりました。いつか登ってみたいですが、いつか訪れることがあるのか?来ることが可能でも登る体力が残って要るか? が心配な年になって来ました😅
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大聖堂の裏側に来ました。横のカフェはもう開いていました。大聖堂を眺めながらエスプレッソと甘い菓子を食べるのもいいかも🥰
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ぐるりと大聖堂の周りを一周してきました。
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折角ですので早足でヴェッキオ宮殿前の広場まで来ました。少し時間が経ったせいでしょうか?観光客が目立って来ました。皆私と同じ様に人気がいない写真を撮りたかったのでしょうね。

私たちは部屋に戻り、昨日買って来たパンとコーヒー入れてテラスから大聖堂を眺めながら最高の朝食を摂りました。さあ、今日も1日沢山回る予定です😉

 

2025年7月12日 (土)

ヴェッキオ宮殿・Palazzo Vecchio(秘密の通路ツアー)

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花の都(フィレンツェのイタリア語名「Firenze」が「花咲く」を意味することから)や屋根のない美術館と評されるフィレンツェは徒歩で観光できるような範囲にルネサンス文化の中心地として、数々の美術品や建築物が街全体に点在し、どこを観てもため息が出るほど美しいです(もちろんオーバーツーリズムで観光客は多いですし、スリも多いですが・・・)

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ヴェッキオ宮殿(伊: Palazzo Vecchio)は、イタリアのフィレンツェにある鐘楼を有す宮殿でシニョリーア広場に面しています。この名前の変遷がフィレンツェの歴史を物語っています。この宮殿はもともとウベルティ家を筆頭とする皇帝派ギベッリーニが所有していた場所を、勢力争いに勝利した教皇派グエルフィが没収して政治を司るための建物として使用されます。

当初はヴェッキオ宮殿ではなく、Palazzo dei Priori パラッツォ・デイ・プリオーリと呼ばれて、それはフィレンツェ共和国の政治を司る”プリオーリ(政務官)”の建物という意味だったそうです。

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 その後Palazzo della Sognoria パラッツォ・デッラ・シニョリーア(領主)と政体の呼ばれ方と共に名前が変わり(現在のシニョリーア広場の名前はその名残となっています)。 1540年よりのメディチ家の住居として使われた時代にはPalazzo del Duca パラッツォ・デル・ドゥーカ(公爵)、と呼ばれます。そして、最終的にメディチがピッティ宮殿(新しい宮殿)に居を移した時からは”古い宮殿”Palazzo Vecchio(ヴェッキオ宮殿) と呼ばれるようになりました・・・この宮殿だけでもフィレンツェの歴史を感じさられます。


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ヴェッキオ宮殿入口には有名な彫像が置かれています。左手の彫刻はミケランジェロ作「ダビデ像(レプリカ)」で、右側はバッチョ・バンディネッリ作「ヘラクレスとカークスの像」が建立されています。建物の入口には、街の紋章を持つフィレンツェの獅子像マルゾッコ(Marzocco)が飾られていいます。なお、このマルゾッコ像の複製が、フィレンツェの姉妹都市である岐阜市に寄贈されているそうですよ・・・岐阜市の方なら知っているかも?
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ヴェッキオ宮殿の右側の広場に面してロッジア・ディ・ランツィロッジア・ディ・ランツィ(ランツィの回廊)があります。 柱間の広いアーチが3つ並んでいて、奥もありますのでいい休憩場所ともなります。アーチはコリント式柱頭のある束ね付柱で支えられています。回廊の広々とした空間は壁で覆われたヴェッキオ宮殿と違いのんびりと出来そうな雰囲気です。中にも繊細な彫刻が展示されていて、開放的な野外彫像展示場となっています。

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シニョリーア広場からランツィの回廊とヴェッキオ宮殿の間を右に回るとすぐにウフィツィ美術館があります。

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ウフィツィ美術館はフィレンツェでも1、2位を争う観光客でごった返す世界的名画が数多くある世界的な美術館です。 上の写真はまだ早朝ですので割と人が少ないのですが8〜9時になると行列ができています。イタリア・ルネサンス絵画の宝庫である。展示物は2,500点にのぼりボッティチェッリ、レオナルド、ミケランジェロ、ラッファエッロらイタリア・ルネサンスの巨匠の絵画を中心に見学できます。

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元に戻り、ベッキオ宮殿に入ると、中庭中央にはヴェロッキオ作のイルカを抱くキューピッド(レプリカ)の噴水があります。これはレプリカで実際は雨の落ちない場所にあります(↓)
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現在でも半分は市庁舎として使われるということですが、中庭の彫刻や絵画はすごく立派です。
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ヴェッキオ宮殿を普通に見て回れるのですが、検索したところ秘密の通路ツアーなるものがありました。一応公式サイトはヴェッキオ宮殿 秘密の通路ツアー これ以外にも「GetYourGuide」などでも申し込めますが、これらはツアーだけでなく終わった後に食事がついていたりすることで料金も高めの設定になっています。もし公式サイトでいっぱいでしたらこれらのツアーを申し込んでも良いのかも知れません。

屋根裏に入ったり、隠し扉を開いて秘密の通路を通れるこれらのツアーでは通常では入れない箇所も見学できるのでチャレンジしてみて下さいね。

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ヴェッキオ宮殿の正面ではなくて側面の小さな入り口から中に入ります。如何にも秘密のトビラだせ〜っていう感じがします。
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入って直ぐに小さな小部屋があり、ツアーのガイドさんの自己紹介とこのツアーの概要を説明してくれます。
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私たちが一番奥の方に腰掛けて聞いていると、写真(↑)の左側に扉があるので「ここから入るのだな」と思っていましたが・・・
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ガイドさんが私たちと反対側の扉を開けてツアー開始となりました。

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秘密の通路ツアーで出発する隠し扉が開いてその奥の階段を進むと直ぐに「フランチェスコ一世の書斎」に入れました。 秘密の通路ツアーに参加しないと入れない隠れ部屋となっています。
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この部屋はマニエリスム期最後の作品と言われていて、大公フランチェスコ一世の命によってつくられました。フランチェスコの没後、一度は解体されたものの幸運にも再構築する事に成功。錬金術の考えに基づいて、複雑に構成されています。 実はこの部屋は後でゆく500人広間に隣が接する場所にあるとのことです。どのような構造になっているのかは想像しようもありません。500人広間と言われる大きな部屋からはこの部屋を見ることは出来ません。

全面にあるパネル絵は全て開き、中にコレクション品が納められていました。パネルの何枚かは扉になっていて開く事ができ、秘密の通路や部屋に通じています。扉の裏側にはヴェッキオ宮殿のオプショナル秘密の通路ツアーで入る事ができます。(インフェルノツアーはコースが異なります)

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ガイドさんについて歩いて行くのでどこをどう通ったか分かりませんが、一般の方も入れる場所も交差しながら通るようでした。
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ここは一般の見学者は入れないような場所のようです。少なくてもヴェッキオ宮殿の外壁の部分にこれだけの幅の通路や部屋が秘密裏に造られていたことを初めて知りました。
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このような通路を登って行くと、途中からあの有名な2階の「五百人広間」を見下ろす場所に出てきました。

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Salone dei Cinquecento

ヴェッキオ宮殿の広い階段を2階に上がると「五百人広間」と呼ばれる圧巻の大広間があります。総勢500人で構成される大評議会を開催するために、サヴォナローラの時代、1495年に、シモーネ・デル・ポッライオーロ(通称、クロナカ)によって建設されました。長さ54メートル、幅23メートル、高さ18メートルという並外れた大きさでイタリア最大のホールの一つとのことです。

旅行があまり好きでない方でも、トム・ハンクス主演ダン・ブラウン原作の映画「インフェルノ」で観たことがあるかも知れません。映画では主役のトム・ハンクスと、ヒロインのフェリシティ・ジョーンズが、この広間の屋根裏部屋で追いつ追われつの大活劇を繰り広げていました。まあよくこの場所を借りることが出来たもんだと映画会社の交渉スタッフはすごいなと感心してしまいます。

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左右に配置された大絵画が目に入ります。 この壁画はなんとイタリアの2大巨匠である、レオナルド・ダ・ヴィンチと、ミケランジェロに依頼されたものでした。実際にレオナルド・ダ・ヴィンチが描いた絵画の題材とされるのは「アンギアーリの戦い」で、ミケランジェロが描いたのは「カッシーナの戦い」でした。この絵が実現していたらこの500人の間は、想像以上に価値のある部屋になっていたと思いますし、ここに立てば身震いがしたと思うのです。
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ミケランジェロの「カッシーナの戦い」は彼の才能を妬んだ彫刻家バンディネッリによって破壊されてしまいます。
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一方新たな彫刻の技法に取り組んでいたダ・ヴィンチの「アンギアーリの戦い」も画稿を壁に移す段階で乾燥に失敗し、剥がれてしまったとのことです。

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真ん中の椅子に腰掛けて、しばらく周りを見渡すだけでもため息ものです。
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大広間の側面に私の好きなミケランジェロの彫刻(1565年⇧)がしらっと置いてあります(笑)。 おそらく、これはローマ教皇ユリウス2世の墓廟のために準備していた彫刻のうちの一体だったとのことです。
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勝利の守護神(ミケランジェロ作)

もともと教皇ユリウス二世の霊廟(サン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会/ローマ)の一部として製作されたと考えられています。アカデミア美術館にはあと4体、フランスのルーブル美術館にも2体がバラバラに保存されているとのことです。

 


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コジモ1世の時代、1563年から65年にかけて、天井や周囲の壁面もすべてヴァザーリらの手によって豪華に装飾されました。ちょうどヴァザーリの回廊と同じ年に完成し、天井画は合計39枚のパネルで構成されそれぞれに歴史上の出来事を描いています。
まず中央の列『コジモ礼讃』と呼ばれ、中央に王冠を被ったコジモ1世を中心に、フィレンツェの紋章やアルテ(ギルド)の紋章で囲まれ味方陣営を描いています。西側の列
は『ピサ戦争』について描かれています(西側の壁にもフレスコ画もピサ戦争についてです)、そして東側の列は『シエナ戦争』(東側の壁にもフレスコ画のシエナ戦争)を題材に描いています。フィレンツェが周囲の列強諸国を次々に支配下に収めた歴史が描かれていることになります。
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この眺めで、左右の壁画がダビンチとミケランジェロの作品として残っていたらどれだけ凄かったのか想像するだけても鳥肌が立ちます。

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2階(中2階?)の部分は一般の方も入れる部分になっていると思います(分かりませんが、私たち以外にも他の方々がいましたので)
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ここの部屋の装飾もすごいです。
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円形の絵画「聖母子と幼子ヨハネ(作者不詳)15世紀末この絵は右上の空に円盤のような雲?が描かれたことで「空飛ぶ円盤のマドンナ」とも呼ばれる作品です。

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拡大してみると、宇宙船らしきのがあり、空を見上げる兵士のような人物があり、左上には宇宙船から降りてくる宇宙人あるいは宇宙船に人間が引き上げられる場面のように思える姿も描かれています。UFO好きな方には堪らない作品かも知れません。
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ドナテッロ作のブロンズ彫刻「ユーディットとフォロフェルヌス像」。

「ユディトとホロフェルネス」の物語は旧約聖書の中で描かれているとのことです。ヨーロッパで、絵画に彫刻にはたまたモーツァルトの作曲の題材にも用いられています。特に絵画ではよく描かれています。多くの美術館で「若い女性が剣を持っていて男性の生首と一緒に描かれていたらこれが題材と思います。

 アッシリア王ネブカドネツァルが諸地域に討伐のための軍隊を差し向ける。そこでユダヤにはホロフェルネスが派遣され、彼はベトリアという町を包囲します。水源を絶ってベトリアに降伏するよう促します。美しく魅力的で強い信仰心を持っていた寡婦ユディトが一計を案じます。彼女はこれ以上ないほど着飾り、一人の侍女とともに武器も持たずに敵のホロフェルネスの陣営に忍び込みます。泥酔して眠っていたホロフェルネスの首を彼の短剣で切り落とすことに成功します。こうして司令官を失ったアッシリアの軍勢は敗走した・・・・この様子を描いた作品がヨーロッパのあちこちで見ることが出来ます。結構生首の血が滴る様子などエグい場面が多いので記憶に残っているのです😅

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なぜか(?)展示室にもダンテ・アリギエーリの葬儀用マスク(ダンテ・デスマスク)が飾られています。だだ私たち日本人には分かりませんが、彼はイタリア文学最大の詩人であり、「イタリア語の父」と呼ばれているのです。彼の作品はイタリア文学の最高峰とされ、特に『神曲』はイタリア語で書かれた最も重要な文学作品の一つとみなされています。実際に『神曲』はイタリアの公立学校では授業で必ず学ぶそうです。そのためイタリアでは絶大の人気を誇っています。
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いくつかの部屋の中に地図の間(クローク)と言われる部屋がありました。この部屋をつくらせたのはコジモ一世、自分の名Cosimoにちなんで”Cosmos” -ラテン語の”宇宙”を表現したそうです。

現在は壁一面の地図と部屋の中央の地球儀のみ見られますが、建設当初は天井からは天体球が吊り下げられ、壁の上部には世界の王や貴族、教皇や枢機卿から文化人にいたる多くの肖像画が飾られていたと考えられているそうです。

実は地図の間にも隠し扉があります。映画「インフェルノ」では別の場所に飛んでしまいますが、実際はビアンカ・カッペッロの秘密の隠し部屋へ行く事が出来るそうです(後でこのようにブログに書いてある方がいたので分かりました)。


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どこを通ったか分かりませんが、更に上に登るとヴェッキオ宮殿の屋根裏(五百人部屋の真上)に来ました。天井の部分は木造の建築物で支えていることがわかります。 ここは一般の方は入れない場所で「秘密の通路ツアー」の方だけがガイドさんと一緒に入ることが出来ました。(他のツアーでも入れるのはあるかも知れませんが・・)
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ランツィの回廊を見渡せる場所に出ました。ランツィの回廊の上がテラスになっていて、カフェなどもあり、そこからフィレンツェ大聖堂が綺麗に見渡せる絶景ポイントの一つにもなっています。
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先ほどのランツィの回廊の上のテラスとは少し違いますが、このようにフィレンツェ大聖堂や鐘楼などを納めて写真が撮れます。
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その後入り口付近で解散となりました。せっかくですのでこのようなツアーもありましたので、皆様方も調べてみたらいかがでしょうか。

 

2025年7月 6日 (日)

夜のフィレンツェ(電動ゴルフカートに乗って)観光

今回、早朝にシエナを出て目一杯フィレンツェを観光したのですが、それでも夜は夜で夜景も楽しみたいと思いました。流石に若くないので疲れも溜まると思い、夜9時から2時間の電動ゴルフカートのプレイベート観光ツアーを予約しました・・・今回も日本出発前にこのツアーも予約していましたが・・・なんとこの旅行初の雨・・・それもこの夜の時間帯は豪雨の予想となりました。 逆にある意味雨の中での観光はできませんのでこのツアーに予約して良かったのかもしれません。

と言うわけで、雨の中のフィレンツェの夜景を載せてみます。

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夜9時に宿泊の入り口まで運転手さんが来てくれました。ゴルフはしたことありませんが、ゴルフで使用するような電動カートに乗り込み案内開始となります。
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フィレンツェは当日は曇りでしたが夜から雨となり、この時間帯からいよいよ本格的な雨と変わったしましました。この乗り物がいいのは小さくて小回りが利くので路地裏も入ることが出来ることでした。なかなか出来ない楽しい経験です😃 大凡のルートはあるようですが、運転手さんと交渉で2時間以内なら自分達で行き先をお願いすることも出来るようです(運転手さんに断られたり、追加料金が発生する場合もあると思いますが)。
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昼頃に入ったサンタ・マリア・ノヴェッラ教会の教会広場となります。雨の中ですので観光客も殆どいません。要所要所では止めてくれて日本語の音声ガイドもありその場所にあった説明を日本語でスピーカーから流してくれます(下調べをして旅行に来ていますので音声ガイドは必要ないかと思いました)。
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このような細い路地も通り抜けるのでちょっとワクワクしてしまいます。
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共和国広場にあるメリーゴーランドは営業は終了していますがライトは付いていて雨でなければいい被写体だったのかもしれません。丸いアーチの所が凱旋門となります。
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ベッキオ宮殿の前に出て来ました。明日の午前中はベッキオ宮殿の屋根裏部屋の見学ツアーも予約してあります。
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やはり雨ですので人通りも少ないようです。
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ベッキオ宮殿から 川の方向に回って、有名なベッキオ橋が見えるところで停めてくれました。
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橋の上で車を停めてもらい、雨の中で写真を撮りました。これはこれで雰囲気があっていいものです。
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雨の中だったこともあり、運転手さんが「コーヒー飲むかい?」言われて、行きつけのお店でカフェタイムとなりました。
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お店の奥に進むとディナーを楽しでいる方々が楽しげに談笑しています。その横から写真を撮らせて貰いました。運転手さんが何やらイタリア語で写真を撮ってもいいかと席のカップルの許可をもらったようでした。 そのカップルからも写真を撮っていいよとのことで撮りましたが、ガラスが映り込んでしまいました。 この場所はベッキオ橋が見える最高の場所のようです。
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雨の中での案内となってしまったので運転手さんもコーヒーとコロッケを私たちにも奢ってくれました(このようなティータイムの予算は含まれていませんでしたので、運転手さんの本当の奢りだったようでした)。
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少し休憩後、夜のフィレンツェ見学再開です。
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明日改めて観光する予定のピッティ宮殿の前です。雨の中の夜景写真も意外といいです。

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2時間のツアーでおおよそのルートは決まっているようでしたが、その運転手さんとの交渉で見たい場所に行けるようです(雨の中でしたのでこのまま時間内にミケランジェロ広場まで行ってくれるようです)
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日本を出る前に一応、最後はミケランジェロ広場に寄って欲しいと希望を伝えていましたので、特に何もなく「次はミケランジェロ広場に向かう」と片言の英語で伝えてくれました。
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この場所からのフィレンツェの街全体の夜景をずっと見たいと思っていたのですが、大雨の中ですが希望が叶えられました。初めての夜のフィレンツェです。

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車から降りて、雨風が強い中、左手で傘を握りしめて右手で写真を撮ることに・・・途中からはブレないように柵の上に肘を載せて撮ることに・・・かがんだ姿勢で写真を撮ったせいでお尻まわりはずぶ濡れとなってしまいました(笑)。
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運転手さんも時間は大丈夫とのことで雨の中でしたが暫くはこの場所を堪能しました。
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もう一度訪ねることがあれば再度トライしたいですが・・・人生何があるか分からない年齢に突入しました😆
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昼間に寄ったミケランジェロ広場からのフィレンツェです(⇧)。この時間帯から雨がボツリポツリを落ち出した時間帯となりました。
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2014年に訪れた時の晴れた日の写真も載せてみます。デジカメの機能が劣るので色々と修正したのですがこれが限度です。それでもやはり晴れると綺麗ですよね🌟
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今回は入りませんでしたがサンタ・クローチェ聖堂の前でしょうか? そこには有名なガリレオ・ガリレイやミケランジェロなどの墓があります。
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フレンツェ中心部へと帰って来ました。
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宿泊のアパートメントの近くまで送り届けてくれました。運転手さんは実に誠実な方でした。お互いに次は晴れた日にお会いしましょうと別れを告げました。
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11時近くとなっていましたの、直ぐにシャワー浴びて翌朝に備えます。あれほどの大雨でしたが翌朝の5時ごろに窓を見ると月が見えました。翌日は曇り時々晴れの天気で観光日和となりました。

2025年7月 5日 (土)

フィレンツェ大聖堂・クーボラ見学

今回のフィレンツェの旅行でぜひやりたいと思ったことの1つにフィレンツェ大聖堂のクーボラ見学があります。

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公式サイトでドゥオーモと周辺の施設を回れる共通券をオンライン予約できます。「Brunelleschi
Pass(ブルネレスキ・パス)」「Giotto Pass(ジョット・パス)」「Ghiberti
Pass(ギベルティ・パス)」と呼ばれのがありますが、クーポラの展望階に入れるパスはBrunelleschi Pass(ブルネレスキ・パス)しかなく、このクーポラ見学だけは日にちと時間を決定して予約しないといけません。 そのためクーポラに登ることが1番困難だと思います。大聖堂のクーポラに登る時間は前もって時間の予約が必要となります。私たちは日本にいる時に予約しました。

公式サイト(英語)で事前にチケットを予約して入手する方法は、以下の記事にて詳しく解説しております(→公式サイト)。


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フィレンツェ大聖堂の見学にもそれぞれの入り口が決まっています。上の地図の下側の中央部分が、クーポラに登る方の入り口となります。
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30分単位で20〜30人の予約でしょうか? 私たちは最終の18時30分からの入場となります。時間が来たら入り口でバーコードをかざして入場です。
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大聖堂の内部の一部が見えます。ドゥオーモの内部見学の入り口はまた別の場所となります。 以前入ったことはありますが、それほど凄いとは感じませんでした、それよりは圧倒的に美しいのはクーポラ内の壁画と展望階を出たところからのフィレンツェの街の景色だと思います。
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入ると大聖堂の左側に向かい、そこに細い階段の入り口があります。
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細い階段をひたすら登ってゆきます。足の弱い方にはきついかもしれませんが、ゆっくり行けば大丈夫だと思います。
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途中から一段と細くなってゆきます。
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最初の一周できるクーポラの最下部にやってきました。どうですこの天井画・・ただ息を呑む美しさと大きさに圧倒されます。
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転倒防止やここからの物品の落下防止のためにガラス張りの柵があるのがちょっと勿体無いのですが、仕方ないことですね。それにしても美しいです。
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ガラス越しに下を見ると大聖堂の1階部分を覗くことが出来ました。ほとんど見学者はいないため、もう見学は終了となっているのかもしれません。

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先ほどの階から、さらに上へと歩いて行くととうとうクーポラの展望階へと登ることが出来ました。ここからは私たちが泊まったアパートメントも確認できました(ブログの最初の写真はアパートからここを見た写真です)。
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ゆっくりと一周しながらフィレンツェの街を360度写真に収めることができます。
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ジョットの鐘楼も目の前です。ジョットの鐘楼にも同じように階段で登ることができます。今回は時間の関係でジョットの鐘楼はパスしました。
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フィレンツェでも大きなサンタ・クローチェ聖堂(Basilica di Santa Croce)の全体が見えます。この教会も綺麗な教会でミケランジェロやガリレオなどの墓碑などがあります。
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最終の18時30分に入場でしたので、最後はちょうど日が落ちる時間帯まで皆が殆ど残っていました。まだ多くの方が残っていましたが、私たちは降りることにしました。
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登った時とは違う一段上の回廊からクーポラの天井画を見ることができます。ここは邪魔な柵が入りずらいので1番綺麗に見える場所だと考えます。
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圧倒的な美の芸術です。これほどの大きなキャンバスをどのように描いたのでしょうか? ため息しか出ません。
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階下に降りてきました。入った場所とは違う出口から外に出ました。

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ここからは1998年と2014年に入った時の1階部分(身廊) の写真です。
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大聖堂の1階部分(身廊)は今回入っていませんので2014年の旅行の時の写真を追加して載せておきます。内部の方はシエナ大聖堂が美しいと思います(→シエナ大聖堂
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サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の身廊部分の入場料は無料ですが、並ぶ必要はあります。入場の際、簡単な荷物検査と服装チェックがあり、露出が激しい人にはストールを無料で貸してくれるそうです。あくまでここはテーマパークではなくて教会という神聖な場所ですので、常識範囲の服装で入ってくださいね。
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これはもう記憶にないのですがクーポラの真下から見上げて写真を撮ったようです😅 書き忘れましたが、クーポラ内に描かれたフレスコ画は「最後の審判」をモチーフにしています。先日記載した「→サンジョヴァンニ洗礼堂」のモザイク画を参考にして描かれているとのことです。元々は「サンジョヴァンニ洗礼堂」は教会として造られ、この大聖堂が出来上がったために「教会から洗礼堂へ」と置き換わったのです。当然洗礼堂が先に造られたためにそこの天井のフレスコ画が参考にされたのでしょうね。

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大聖堂のクーポラに登るには463段の階段を登る必要はありますが、足が不自由でなければゆっくりと登って行くと良いでしょう。頑張って登る価値のある壁画や頂上からの景色を望むことができます。
Let's give it a go!😉



2025年6月29日 (日)

サン・ミニアート・アル・モンテ教会(Basilica di san miniato al monte)&フィレンツェの眺望

フレンツェを見渡せるサン・ミニアート・アル・モンテ教会Basilica di san miniato al monteへと出かけました。

Wikipediaによると「サンミニアートアルモンテは、イタリア中部のフィレンツェにある大聖堂で、市内で最も高い場所の1つに立っています。トスカーナで最も素晴らしいロマネスク様式の建造物の1つであり、イタリアで最も美しい教会の1つとして説明されています。隣接するオリヴェタン修道院があり、階段を上ると大聖堂の右側に見えます」と書いてあります。

私がこの場所に行こうと思ったのは、フィレンツェの眺望出来る最も有名な場所が「ミケランジェロ広場」だと思います。これまでの旅行でミケランジェロ広場からの眺望は見たことがありました。それに今回は夜にミケランジェロ広場は訪ねる計画でした(ただし夜は雨になる予想となっています)。

またその日は夕方にフィレンツェ大聖堂のクーポラに登る予定でしたので、その隙間時間にタクシーにてこの教会までやって来たのです。

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フィレンツェ大聖堂の近くからタクシーを乗り、ミケランジェロ広場から更に上に昇ると教会の横手でタクシー運転手がここだよと下ろしてくれました(教会が見えないけど・・・と思いましたが・・・GoogleMapではあたっているようです)
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裏手から入ると教会の前の広場に出ました。
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なんとなく以前紹介したサンタ・マリア・ノヴェッラ教会に似た雰囲気のファザードとなっていました(→以前のブログ)。
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ファサートの中央部にあるのは、13世紀作の「玉座のキリスト、マリア、聖ミニアート」の黄金モザイク。キリストがここからフィレンツェの町へ祝福を与えているかのようです。
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この教会は、250年にフィレンツェで殉死した聖ミニアートの聖遺物を納めるため、1018年から建設が始まりました。ロマネスク様式のこの教会となっています。内部も美しい作品で埋め尽くされているそうですが、時間がないので殆ど写真を撮らずに外へと出ました。


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観光客でごったがえすミケランジェロ広場から歩いて10分程度の高台ですが、ここは静かです。学校の課題なのか分かりませんが、多くの学生達がフィレンツェの眺望のデッサンをしていました。
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ミケランジェロ広場からの眺めとは違うフィレンツェの大パロノマです。夜からは大雨の予想ですが晴れた日に訪ねてみたいものです。
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天気が良ければもう少しはっきりしていたかも知れませんね😢 (今回の旅行でその夜は本格的な雨の日となりました)
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中央の階段を降りて行くと10分ほどでミケランジェロ広場となります。
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多くの観光客やツアーでのバスもここからの景色を楽しむ一大スポットのミケランジェロ広場となります。
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この広場の後ろにはレプリカのミケランジェロのダビデ像がありますが、そのためにミケランジェロ広場になった訳ではありません。実は1865年イタリア統一がされた時にフィレンツェはこの国の首都に選ばれます。その時には町を囲んでいた中世の城壁が壊され、街を囲む環状道路が整備されることになります。その時にこの展望台が整備されます。今はミケランジェロのダビデ像はアカデミア美術館に保存されていますが、元々はシニョーラ広場に置かれていました。この偉大な彫刻作品を収めるための美術館をフィレンツェ市内を見下ろせる場所に造る計画があり、そのためにミケランジェロ広場となったそうです。
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多くの観光客が訪れるには駐車場もあるミケランジェロ広場が一番利用しやすいビューポイントだと思います。皆様方も時間があればサン・ミニアート・アル・モンテ教会まで足を伸ばしてみて下さいね。

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ミケランジェロ広場から写真を撮ってタクシー乗り場に向かうと、既にタクシーを待っている行列が出来ていて次の予定が差し迫っていて焦ってしまいました。どうにか無事時間内に乗り込めました😅

2025年6月28日 (土)

マーブル紙のIL Papiro(イル パピロ)を見学後フィレンツェ中央市場(Il Mercato Centrale)へ

イタリアの職人芸はローマ時代から時代をかけて醸成されてきたと思います。なんとなく現在のイタリアを見るとインフラの悪さや治安の悪さ、人々の働きぐわいをみるとどうにかならないものかと思うのですが・・しかしながら伝統に培われた芸術の懐の深さには感嘆することが多いのも実感です。

イタリアは革製品も素敵なものが多いのですが、高温多湿の沖縄に済んでいるとメンテナンスの方が大変ですので革製品を購入したことはありません。 しかし今回はマーブル紙の作り方もお店で見せてもらえる IL Papiro(イル パピロ)のことをネットで見つけましたので、この店を訪ねることにしました。 フィレンツェのシニョーリア広場とドゥオーモの間の細道via de' tavoliniタヴォリーニ通りにあるマーブル紙のお店です。

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マーブル紙というのは、日本の墨流しが中国に伝わり、シルクロードを使ってここヨーロッパに入ってきたと言われます。日本の墨流しは白黒のモノトーンのデコレーションですが、1800年代にイタリアらしくアクリルカラーを使ったカラフルなマーブル紙として作られています。イタリアのマーブル紙はここフィレンツェが発祥の地だそうです。マーブル=大理石の様な模様を作りだすという意味だそうです(作品を見て納得)。

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このマーブル紙を使った様々なても文具用品が売られています。とてもカラフルで素敵です。 比較的安いですし私達も自分用にお土産として購入しました。

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店の一角に小さな工房がありました。こんな小さなスペースで創れるのかしらと思ったのですが・・・いくつか購入した時に店員さんから創るの見てみると言われて・・当然お願いしますと・・・写真や動画も許可を貰いましたので今回載せておきます。
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こんな可愛らしい文房具が並んでいると暫く楽しめそうです。 私はやはり食事に時間をかけるよりこのような場所で時間をかけたいです。味音痴で良かった思えてしまいます😅
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自分たち様にいくつか買い物をして支払っていると、作り方見る?とのことでしたので、もちろん見たいと答えました。 店員さんに写真やビデオで撮ってあとでブログなのでアップしていいと尋ねたところ、快く了解を頂きましたのでアップ致します。
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何もない所から、表面にインクを垂らして色づけを行いながら、まさしく刷毛と棒と櫛みたいな金属を使ってあっという間に芸術作品を仕上げてしまいました。1回きりのオリジナル作品です。 僅かな時間ですが息をのむほど美しい変化でした。 日本の芸術も凄いのですがイタリアの芸術も凄いです。色を加えたり操作を繰り返すとより細かな作品も出来るそうです。
<昨夜動画にしましたのでこのままYou-tubeの動画を貼り付けたいと思います。あっという間に出来上がりますのでご覧くださいね😉>
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普段旅行先でも買い物をしない私達ですが、自分用に買ってこれて満足です✨️
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フィレンツェの街の中心地の共和国広場には、このカラフルな年代物のメリーゴーランドが今でも活躍しています。逆にレトロ感とこの場所にあることで、大人も子供も世界中からこれに乗ったり写真を撮ったりしています。 禿げたオヤジ(私です)も乗ろうかと考えましたが、芸術作品を地に落とすかも知れませんので乗らないことにしました😃・・・ちゃんと大人料金も子供料金の設定もあるそうです。
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フィレンツェ中央市場(Il Mercato Centrale)はフィレンツェ市民の胃袋とも言われる巨大の生鮮食品市場で、私達も夕食と明日の朝食用にテイクアウトしました。
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中央市場2階に2014年春オープンしたのが巨大なフードコートがあります。フィレンツェの伝統料理を気軽に楽しめる注目されているスポットだそうです。
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トスカーナ産のお肉でしょうか? 美味しそうです。
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この店で牛肉を食べやすいように一口サイズに切ってもらって焼いて貰いました。夕食はフィレンツェ大聖堂が見えるアパートメントで最高の場所で最高の肉に普段飲まないワインも買ってきて楽しむことが出来ました。
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人気があるのが分かる程色々な食料品店があり、そのまま食事も取ることが出来るので、ここも覗いてみて下さいね。

2025年6月22日 (日)

サンタ・マリア・ノヴェッラ薬局(Officina Profumo-Farmaceutica di Santa Maria Novella)

(前回→サンタ・マリア・ノヴェッラ教会

サンタ・マリア・ノヴェッラ教会に隣接するサンタ・マリア・ノヴェッラ薬局は(Officina Profumo-farmaceutica di Santa Maria Novella)は、イタリア・フィレンツェに所在する、現存する世界最古の薬局として有名です。修道士が作った世界最古の薬局が元で、その設立は1221年ですので、既に800年の歴史を誇っています。

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<サンタ・マリア・ノヴェッラ薬局の歴史>

1221年フィレンツェに移住してきたドミニコ会の修道院サンタ・マリア・フラ・レ・ヴィニェ(Santa Maria Fra Le Vigne ブドウ畑の中のサンタ・マリアの意)の修道僧たちが薬草を栽培して薬剤を調合していたのが始まりとなります。この修道院は後のサンタ・マリア・ノヴェッラ教会へと発展します。1612年には薬局として認可され、一般営業を開始。ヨーロッパ諸侯が顧客リストに名を連ねた。創業についての助言と協力のあったトスカーナ大公(メディチ家)からは王家御用達製錬所の称号を受けることになります。

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現在は誰でも入ることが出来ます。見学だけでも楽しめますし、博物館に入るような店内となっています(もちろん入場料は要りません)。かつては教会から直接入ることも出来ると思いますが、観光客は教会を出て裏通りを抜けると小さな入り口ですが飾りつけも素敵ですので、直ぐに分かります。
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入り口は高級ホテルに入るようなドアマン(店員さん)が挨拶してくれます。ちょっとビックリしますよね😊
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店の前のディスプレイもドライフラワーで飾られ、高級貴金属店のような雰囲気です😃
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この薬局を最初に有名にした製品がフランス王家のアンリ2世に嫁ぐカテリーナ・デ・メディチのために考案した「アックア・デッラ・レジーナ(王妃の水)」(L'acqua della regina)だそうです。 これは後の18世紀にイタリア人の薬剤師によってケルンで作られ、「アクア・ディ・コローニア」(ケルンの水、オーデコロン)と呼ばれるようになったというオーデコロン起源のひとつとして伝えられている。「アックア・デッラ・レジーナ」は現在でも「サンタ・マリア・ノヴェッラ」というブランド名を冠したオーデコロンとして売られていると書いてありました(この辺りは興味がないので全く持って知りません😅)。
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広々とした店内で、中の調度品も中世から引き継いだと思いわれる品々でした。店員さん達もシックな出で立ちで薬局と言うよりも高級ブランド店のような雰囲気です(まあ私は高級ブランド店に興味がありませんので入ったことはありませんが美しい建築物は見たいです・・😅)。
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アンティークな調度品や昔の調剤器具なども展示されていました。まさに博物館です。
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古い薬品棚の中には、古いフラスコや薬瓶などが飾られ、前に置かれたポプリや石鹸 やクリーム類なでの商品も展示品の1部に思える程綺麗に並べられています。これが歴史の深さなのかと感嘆しました。現在の量販店の薬局とは異質な空間でした(当たり前か😅)。
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いまでも当時の伝統を守りながら、オーデコロンや石鹸、ボディーケア、スキンケアなどを昔からのレシピに基づいて作り続けているそうです。世界中の顧客に愛されているとのことです。
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天井にもフレスコ画が描かれ、世界最古の薬局であることが伺え知ることが出来ます。
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店内は全体としてほのかなハープやバラ?の香りが漂い、ヨーロッパのあのどきつい香水の香りはしませんでしたので高感度が上がりました。
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店内は石けん、フレグランス、コロンに化粧品以外にもハープティ(?)などの飲み物も売っていました。
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室内用のコロンを買いましたので、奥のレジで精算出来ます。私達は毎回免税するような買い物をしたことがありませんが、沢山買えば免税の手続きもしてくれるかも知れません(分かりません🙇)。薬局だけあって、かつては気絶した際の気付け薬の「アチェート・ディ・セッテ・ラドリ(香料酢)」や、鎮痛剤や目薬の「アックア・ディ・ローゼ(薔薇水、ローズ・ウォーター)」なども製造していたと書いてありましたが、まだ売っているかも分かりませんでした。

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お店の奥にはこのような当時の壁面のフレスコ画も残されている部屋が開放されていました。凄い薬局です。皆様方も買い物でもいいですし見学でもいいので覗いてみては如何でしょう。買う必要はありませんが品位を持って見学されて下さいね。 

2025年6月21日 (土)

サンタ・マリア・ノヴェッラ教会(Basilica di Santa Maria Novella)

4回目のフィレンツェで行ってみたかった教会の1つにサンタ・マリア・ノヴェッラ教会(イタリア語: Basilica di Santa Maria Novella)があります。これまで外観の写真は撮ったことがありましたが中に入ったことがない教会です。

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サンタ・マリア・ノヴェッラ教会も隣接する薬局も大聖堂や中央駅からも徒歩で簡単に行く距離にあります。

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この教会の歴史は古く、1219年に12人のドメニコ会修道士がボローニャからフィレンツェへやって来て、1221年に小さなサンタ・マリア・デッレ・ヴィーニェ教会(ぶどう畑の聖母マリア教会)を入手したのが初まりとのことです。教会の名の通り、当時この地域は耕作地だったそうです。その後何度も改修工事が行われ、現在の形になったのは1858年から1860年にかけてのこと。


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この均衡の取れた美しい大理石ファサードは、ルネサンス以前に建設が開始され、修復を重ねようやく1920年に完成したとのことです。フィレンツェ・ルネサンス期の最も重要な建築作品の一つに数えられ、本当にシンメトリックな美しいファザードとなっています。
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ゴシック建築の特徴的な尖頭アーチが特徴の身廊部分です。奥(主祭壇部分)に向かって柱の間隔が次第に狭くなって造られているとのことで、それにより実際よりも奥行きがあるように設計されているとのことです(芸が細いです😆)。フィレンツェにおいてゴシック様式が適用された最初の建築物だとのことです。


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天井から吊り下げられた十字架は1290年ごろに作成されたジョット作の「十字架磔刑」とのことです。フィレンツェの大聖堂の横に立つ鐘楼は「ジョットの鐘楼」と呼ばれている、そのジョットの作品です。

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ゴシック様式の特徴、尖頭アーチが使われています。
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床の模様も現代に繋がる模様となりますね。このような配列などは1000年経っても受け継がれることなのでしょう。
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昔は聖職者と信者とは入れる場所が違い、信者は入り口から半分ぐらいの場所まで入ることは許されなかったそうです。ここは以前は聖職者しか入れなかった内陣の場所で、トルナブオーニ中央礼拝堂(主祭壇)となっています。フランチェスコ・トルナブオーニは、14世紀から15世紀のフィレンツェの富裕な商人。メディチ家とその関係者たちと商売をしていたとのことです。

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この主祭壇の周りのフレスコ画やステンドグラスもトルナブオーニ家依頼のギルランダイオ(ドメニコ・ビゴルディ)と弟子たちが作成したものとなっています。 ギルランダイオは有名な画家ですが、素人の私には分かりませんが、ミケランジェロが最初に弟子入りしたのは彼の工房なのです。ですのでこの作品の中に若き日のミケランジョロの作品も含まれているとのことです😳 側面のフレスコ画はギルランダイオの「洗礼者ヨハネと聖母の物語」を描いています。

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3つ連なっている正面のステンドグラスもギルランダイオの作品となっています。

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サンタ・マリア・ノヴェッラ教会の祭壇に向かって右側には「フィリッポ・ストロッツィの礼拝堂」があります。この祭壇はフィリッポ・リッピが設計したものです。
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実際は分かりませんが上の受胎告示の絵があるところまでしか一般信者は入れなかったとのことです。建築当時は聖職者だけが立ち入ることができる聖堂内陣と、信者が入ることのできた身廊との間には大きな障壁が 設けられて、2つに分けていたそうです。それをトスカーナ大公コジモ1世の命によりジョルジョ・ヴァザーリの指揮下で1565年から1571年に実施された改装中にこの仕切りは外されたたとことです。 

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身廊の正面内側、中央扉の上に展示されているルネサンスを代表する画家のボッティッリの作品で1476〜1478年の作品だそうです。目立たない場所にあるので見落としてしまいそうですが、実はこの作品は修復後にボッティッリの作品であることが判明したとのことでした。

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遠近法を用いたマザッチョの「三位一体」。この頃から遠近法が用いられるようになったとのことです。マザッチョはイタリアの初期ルネサンスを代表する画家で、ジョットと同じく「ルネサンスの始祖」と呼ばれることもあります。

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途中で教会内の売店がありました。周りが凄過ぎてショッピングなど出来ませんでした😅
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教会には修道院と3つの大きな回廊が隣接している。緑の回廊、スペイン人大礼拝堂、食堂は今日サンタ・マリア・ノヴェッラ美術館の一部として一般に公開されている。

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緑の回廊の北側に位置する「スペイン人大礼拝堂」はフラ・ヤコポ・タレンティにより建設され、1367年から1369年にかけてアンドレア・ボナイウティによりフレスコ画で装飾されています。1566年にトスカーナ大公コジモ1世の奥さんであったエレオノーラの為に譲渡された礼拝堂です。

エレオノーラがスペイン人で、フィレンツェのスペイン人のコミュニティのために使われたことから「スペイン人大礼拝堂」と呼ばれています。描かれているフレスコ画はルネサンスが開花する前の1365年〜1367年に描かれました。描かれている人物の多さに圧倒されること間違いありません。

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緑の回廊は1350年以降にフラ・ヤコポ・タレンティにより建設され、画家パオロ・ウッチェッロにより15世紀前半にフレスコ画で装飾された。

次回は日本でも有名なイタリアの香水ブランド「サンタ・マリア・ノヴェッラ(santa maria novella)」の本店が教会の隣ですので紹介します。

香水ブランド「サンタ・マリア・ノヴェッラ」は修道士が作った世界最古の薬局が元です。その設立は1221年ですので、既に800年の歴史を誇っています。

2025年6月18日 (水)

ドゥオモ附属美術館

(今日は第3水曜日ですので会議の為ラジオ放送はありませんので医療ネタもありません。イタリア旅行記が終わりそうもありませんので今後は土日も旅行記を記載したいと考えています)

前回も記載しましたが私達はクーポラを登るために日本でBrunelleschi Pass(ブルネレスキ・パス)を公式サイトから予約しています。

前回のブログのサン・ジョヴァンニ洗礼堂 を見学後はドゥオモ附属美術館へと向かいました。

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洗礼堂を出て、洗礼堂の東の門(天国の門)の正面にある大聖堂とジョットの鐘楼を右側から回り込みながら附属美術館へと向かいます。
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フィレンツェ大聖堂の大きさが分かります。こんなにも大きいのに全ての壁面や扉に素晴らしい彫刻が施されています。
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洗礼堂の反対側に美術館の入り口があります。大聖堂が十字架の形をしているのも判りますね。
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附属美術館へと入って行きます。

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想像したよりも広々とした美術館となっていました。
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上の写真の右側にかろうじて見えているのが、13世紀当時のドゥオーモ大聖堂の西側ファサードの様子を再現した模型になります(正面で撮った写真はガラスに光が反射してしまいボツでした😢)。ドゥオーモのファサードは、1296年より彫刻家「アルノルフォ・ディ・カンビオ」によって制作が開始せれるも製作者のカンビオが途中で亡くなり、下部だけが装飾された状態で放置されていました。

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奥の部屋に進むと、先ほどのファサードの下部分だけが巨大模型て再現されています。大きさに圧倒されます。
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中央部分にカンビオ作の「ガラスの瞳の聖母」があります。なぜそう呼ばれているかと言うとカンビオは聖母を生き生きと表現するために、目にガラス素材を使用しました。当時としては斬新なアイデアだったかも知れません。 日本人の私たちにとっては日本の仏像において、眼球を表す手法としては、「玉眼」という技法がありましたので、逆にあまり驚きもなかったのです。これは、水晶やガラス玉を眼球部分に嵌め込むことで、よりリアルな目を表現するものです。玉眼は平安時代末期から鎌倉時代以降に普及し、多くの仏像で採用されていました。
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中央の4体並んでいるのが「教会博士」と呼ばれており、これも初期ドゥオーモのファサードを飾っていた彫刻群の一つだそうです。

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これが実際に洗礼堂の東にあった「天国の門」のオリジナル作品です。
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若きミケランジェロが驚嘆したことも分かる様な細かな彫刻が立体的に施されています。
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天国の門は単なる平面的な彫刻ではなくこのような立体的に描かれています。
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こちらはアンドレア・ピサーノ作の旧東の扉(今は南)「洗礼者ヨハネの物語」のオリジナルです。

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第10室にはミケランジェロが生涯で4体制作したと言われる「ピエタ」シリーズのうちの1体が展示されています。これを見るためにここに寄ったのです。圧倒的な存在感を放っています。
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ミケランジェロに興味のある方は(→ミケランジェロの作品を求めてブルージュ聖母教会)(→私を魅了し続けるミケランジェロ
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ミケランジェロの作品とともに見逃せないのが「マグダラのマリア」です。フィレンツェの彫刻家「ドナッテロ」による傑作で石ではなくて木彫り彫刻です。これまで見て来た「マグダラのマリア」像とは異なる作品です。キリストの母のマリアではありません。マグダラのマリアは、キリスト教美術でよく目にする聖人の1人です。新約聖書によれば、イエスの十字架の死を見守り、復活に立ち会ったことで知られます。マグダラのマリアは、裕福な家庭に生まれ、美貌と富から快楽におぼれた人生を送ってきましたが、イエスに出会いこれまでの人生を悔やんで改悛し、神のために生きることを決めたためです。長い髪と油壺が象徴とされています。 先ほどのバンディー二のピエタ像で横にいる女性が聖母マリアとマグダラのマリアとなっています。


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この像の高さは188cmほど、ポプラの木を材料にして表面には金メッキも施されているそうです(他の方のブログにこのように記載されていました)。元々はサン・ジョヴァンニ洗礼堂に置かれていましたが、1966年の洪水で大きな被害を受け、大規模修復が完了した1972年からここに展示されています。
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2階に登ると第14室「ジョットの鐘楼のギャラリー」になります。このギャラリーでは、ジョットの鐘楼の一部だった装飾や彫刻のオリジナルを見学ができます。
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やはり作品を守るためにオリジナルはこのような美術館で管理されていることが多いです。 オリジナルを見るためにも時間があれば付属の美術館などは訪ねた方が良いかも知れません。

2025年6月15日 (日)

フィレンツェ:サン・ジョヴァンニ洗礼堂 (Battistero di San Giovanni)

 

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フィレンツェ中央駅からドォーモ方向に歩くと、最初に見える白亜の建物がサン・ジョヴァンニ洗礼堂となります。

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チェックインの前でしたので宿泊のアパートメントに荷物を預けて、フィレンツェの街歩き開始です。丁度昼時でお腹も減ったので、礼拝堂の前のピザ屋さんで注文して、目の前のテーブル席が2席空いたのでここで頂くことに・・・私のブログをご覧の方は私が食事に無頓着なのはご存じと思います。街の写真は撮っても食事を撮り忘れるのもしばしばです。上の写真も一口かじった後に思い出して撮りました(一片がかけています🙇)。 コーラとピザを食べて行動開始です。
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サン・ジョヴァンニ洗礼堂 (Battistero di San Giovanni) は、フィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂付属の洗礼堂となります。

大聖堂の正面玄関に向き合って立っている八角形の建築物で、ロマネスク様式の最も重要な集中形式の教会建築のひとつだそうです。この洗礼堂の起原は4世紀から5世紀となっているとのことですが、大聖堂、鐘楼よりも古く、現存の3つの建築物の中では最も古く11世紀に起工されています。最初は礼拝堂として使用され、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の建立にともなって、1355年から1375年まで改修を行い、礼拝堂に入る前に洗礼を施す洗礼堂として使われるようになったとのこと。

この洗礼堂で洗礼を受けたダンテ・アリギエーリは、『神曲』地獄篇で「わが美しき聖ジョヴァンニ」とこの洗礼堂に言及しているそうです(Wikipediaに書いてありました😅)。

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『天国への門』
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この礼拝堂の入り口は東と南北の3箇所あり、観光客は北の門(?)から入ります(何故か私が調べた範囲では西の門はなさそうです?)。しかし有名なのはロレンツォ・ギベルティによる東側の扉(1452年完成)で「天国の門」と呼ばれています。これは幼いミケランジェロが初めてこの扉を見た時に「天国のような門」だと言ったとかで、後に「天国への門」と呼ばれるようになったとのことです。この門だけが特別扱いされるようになっています。しかし1966年の洪水でオリジナルが損傷した際にレプリカと入れ替えられ、現在設置されている扉はレプリカで、本物はドゥオーモ付属博物館に所蔵されています(後ほどこのブログでオリジナルを紹介します)。
東側扉上彫刻『イエスの洗礼』アンドレーア・サンソヴィーノ作とされています。
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これはレプリカですが、大彫刻家ミケランジェロにも影響を与えた「天国の門」となっています。
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北側の扉は『キリストの生涯』を表し、多くの方が参加し製作されたとのことです。この扉は大聖堂と面する東の扉として作られたそうですが、後に出来た東の門(天国の門)と置き換えられたそうです。


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 洗礼堂内部の直径約26mほどで、高い位置に多くの窓があることより自然光だけで中は十分に明るいです。

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洗礼堂内部の1番の見どころは、何と言っても天井一面に描かれた黄金のモザイク画です。このモザイク画の製作にあたっては当時最先端だったベネチアのモザイク職人を雇って製作したとのことです。何と製作期間は1225年〜1330年まで1世紀以上かかったそうです😲


このモザイク画を実際に製作したのはヴェネツィアのモザイク職人達ですが、構図や原案は14世紀初頭のフィレンツェを代表する芸術家たち(チマブーエ、メリオーレなど)によってつくられたそうです。製作期間は1225年〜1330年まで1世紀以上に渡りました。

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ネットの情報によると装飾は下画像の様に大きく6つシーンに分類されているそうです。① 最後の審判、② 天使の階級、③ 天地創造、④ ヨセフ物語、⑤ 新約聖書、⑥ 洗礼者ヨハネ。

「① 最後の審判」と「② 天使の階級」を除く、③〜⑥までは、それぞれ時計回りに物語が繋がっています。

 

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2024年は修復中で中央部の大きな矢倉が組まれていて、写真は上手く撮れていません(残念)
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洗礼堂内部は、床は一面のモザイク模様、壁面は外装と同じく大理石による幾何学模様が施されていとのこと。👆の写真は実際の写真ではなくてポスターが貼ってあったので撮したものです。
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2024年の写真は櫓のお陰で綺麗に中央部が撮れませんでしたので、画質は悪いのですが2014年の旅行時の写真を追加しました。


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洗礼堂の天井の黄金の壁画は圧倒的ですね。
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今回泊まった場所からの洗礼堂の眺めとなります。

 

サン・ジョヴァンニ洗礼堂 チケットの種類と料金

「サン・ジョヴァンニ洗礼堂」だけに、単体入場できるチケットはありません。公式サイトなどでオンライン予約できる「Brunelleschi Pass(ブルネレスキ・パス)」「Giotto Pass(ジョット・パス)」「Ghiberti Pass(ギベルティ・パス)」と呼ばれる、複数のドゥオーモ関連施設に入場できる共通パス(チケット)のいずれかを購入する形になります。私達はBrunelleschi Pass(ブルネレスキ・パス)を日本にいる時に予約しました。大聖堂のクーポラに登る時間は前もって時間の予約が必要となります。クーポラに登る予定ならBrunelleschi Pass(ブルネレスキ・パス)しかありません。

Brunelleschi Pass(ブルネレスキ・パス)

料金

  • ・30ユーロ(大人)
  • ・12ユーロ(7-14歳)
  • ・無料(6歳以下)

入場可能施設

  • ・クーポラ(ドゥオーモの展望階)
  • ・ジョットの鐘楼
  • ・サン・ジョヴァンニ洗礼堂
  • ・ドゥオーモ付属美術館
  • ・サンタ・レパラータ教会跡

Giotto Pass(ジョット・パス)

料金

  • ・20ユーロ(大人)
  • ・7ユーロ(7-14歳)
  • ・無料(6歳以下)

入場可能施設

  • ・ジョットの鐘楼
  • ・サン・ジョヴァンニ洗礼堂
  • ・ドゥオーモ付属美術館
  • ・サンタ・レパラータ教会跡

Ghiberti Pass(ギベルティ・パス)

料金

  • ・15ユーロ(大人)
  • ・5ユーロ(7-14歳)
  • ・無料(6歳以下)

入場可能施設

  • ・サン・ジョヴァンニ洗礼堂
  • ・ドゥオーモ付属美術館
  • ・サンタ・レパラータ教会跡

公式サイト(英語)で事前にチケットを予約して入手する方法は、以下の記事にて詳しく解説しております(→公式サイト)。

 

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