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2021年11月28日 (日)

世界を夢みて(269):ザダル観光No2

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クロアチアに入り、ザブレブ→ラシュトケ見学→プリトビチェ湖群国立公園→ザダルへと旅を続けます。ザダルは、アドリア海に面したクロアチアのダルマチア地域にある港町。私が旅行したのは2013年ですが、2016年の「European Best Destinations (ヨーロッパのベスト観光先)」では1位に選ばれたヨーロッパ有数の人気の観光地となっています。ちなみに2位はギリシャのアテネ、3位はブルガリアのプロブディフの結果です。

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その後は旧市街を抜けて、ザダル先端へと進みました。現在の観光名所の「海の(シー)オルガン」と「太陽への挨拶」があります。名前だけみたら意味が分かりません😅 早速、旧市街から早速海の方に向かいました

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この場所からはアドリア海を広々とみることが出来ます。





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この海岸線から見る夕陽は、映画監督のヒッチコックが「世界で一番美しい」といったそうですが、今回は夕陽をみる時間まではいませんでした。分かっていたら昨日夜に到着してから散歩に出かければよかったと後悔しています😭

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海岸でノンビリしているとこのようなヨットが目の前を走行していました。ヨーロッパの富裕層は結構ヨットなどを所有していたバカンスを楽しむ方が多いようです。その為には時間も必要ですね。駆け足の旅行しかしたことのない私には羨ましい限りです。
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海のオルガンは、海岸の階段の下方に70mに渡って35のパイプを配置したもの。上の写真で階段の横に通気口のような穴が空いているのが判るとおもいます。波が階段の岸壁に当たると空気がパイプに流れ、さまざまな音色を奏でるようになっています。実際にパイプオルガンのような演奏をするわけではなくて、波の力を利用して「ブオゥ〜」などと音程の違う音が階段の通気口から出るのです・・・もう少し美しい音だと想像したのですが、ちょっと残念でした😊
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海のオルガンの隣(先端部分)には太陽への挨拶があります。これは地面にはめ込まれた太陽電池のパネルが、夜になると色とりどりに輝き出す仕組みとなっています。私は日中しかここにいませんでしたので、ただの丸い太陽電池でしかありませんでした😊 (かなり広角で撮っていますので小さく見えますが実際はかなり大きな太陽光発電です)

「海のオルガン」と「太陽の挨拶」はザダルの建築家ニコラ・バシッチが平和を願って作ったもの。それ以前のザダルの海岸は、戦争による被害で観光とは程遠い殺風景な場所になっていました。今では憩いの場としてかつてないほどに復興し、たくさんの観光客が集まります。

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旧市街の見学を終えて海の門を通り新市街地へと向かいました。
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帰りにもう一度市場の方に寄って、少量のイチジクを買って来たのですがオマケに美味しいミカンもつけてくれました😉
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ザダルはやり夕陽をみたり夜の景色が美しい街のようです。私を含めて皆様方ももし行く機会があれば夜の観光を念頭に旅程を組んだ方がよいかも知れません。

2021年11月21日 (日)

世界を夢みて(268):クロアチア・ザダル(No1)

クロアチアに入り、ザブレブ→ラシュトケ見学→プリトビチェ湖群国立公園→港町のザダル(ダザール)へと旅を続けます。

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上の写真はザダルの市内の案内図の写真ですが、アドリア海に面したザダルは海に突き出た長方形の形をした港町で、その形をみただけでも良好な港湾を備えて街だということが分かります。

町の起源は紀元前9世紀まで溯り、その後はローマ帝国の支配になります。更に中世の時期には対岸のベネチア共和国と覇権を争うほどの勢力を誇ったそうです。 ベネチアとの争いの中で、ベネチアと協力した第4次十字軍に攻撃されて、その後はベネチアの支配下に落ちたそうです。 同じキリスト教徒でありながら、十字軍の攻撃を受けるなどは不可思議な運命に翻弄された都市だったのかもしれません。ベネチアはアドリア海の制海権を得たのですが、同じキリスト教徒を攻撃したとして一時的にローマ教皇から破門を宣告された歴史も残っているようです。

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ザダルの駅から海に突き出た四方形の旧市街に入るためにはランド・ゲート(ザダル城門)を通らなければ進むことが出来ません。ランド・ゲートはルネッサンス様式の門で、1543年に建てられています。
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門の上にある、ライオンに翼が生えている彫刻があります。「ライオンに翼」・・・旅行好きな方なら見覚えがあるかも知れません。ベネチアの広場などで見かけたことがあるかも知れませんね。翼の生えたライオンはベネチアの守護聖人である聖マルコのシンボルで、この像がある場所はかつてベネチア共和国の支配下にあったという証拠になります。 
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ザダルの旧市街に入るとそこは旧ローマ帝国の遺跡で埋め尽くされています。タイムスリップしたような不思議な感じがします。
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旅行時には気がつきませんでしたが正面に見える建物が市庁舎だそうです😅
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朝早くの散策でしたが、青空市場には沢山の豊富な野菜や果物が並んでいて、凄く安かったと記憶しています。そのため街中を散策後の帰りにイチゴを買って帰りました。
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旧市街の中心部に進むとローマ帝国にちなむ歴史観光スポット「フォーラム」と呼ばれる場所があります。ここは、ザダルがローマ帝国の植民地だった時代の統治の中心となっていたところです。


現在残っている2つの支柱のうち、1つは「辱めの柱(Pillar of shame)」と呼ばれ、ローマ帝国の法律にそぐわない人物を縛って見せしめにしたためにこの名前がついたそうです。フォーラムの歩道は2000年前に作られたもので、当時の状態のまま保存されています。


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フォーラムの敷地内には他では余りみることのない円形な聖ドナト教会があります。9世紀に建てられたプレ・ロマネスク様式の円形教会で、ザクレブのシンボル的な建物です。ザダルの枢機卿であった聖ドナトにちなんでつけられたものですが、現在の建物は17世紀に再建されたとのことです。

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聖ドナト教会の内部は円柱が教会の土台となって使われ、全体が均一に壁で囲われています。高さもあり構造上音響効果が抜群で、この中でコンサートなども行われることです。確かに1度この中で聞いてみたいです。
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フォーラムを海岸沿いではなくて奥に進むと、聖アナスタシア大聖堂が見えて来ます。12~13世紀にかけて建造されたローマ・カトリックの教会です。イタリアのトスカーナ地方の建築様式を特徴とた教会で、ユネスコ世界遺産の候補にも挙げられているそうです。今回は時間がなく中には入りませんでした😂
小さな街に沢山の見所がありますので、次回はザダル海岸で有名なシーオルガンなどを記載したいと思います。

2021年11月14日 (日)

世界を夢みて(267):プリトビチェ湖群国立公園No2

前回の続きです(→プリトビチェ湖畔国立公園No1)。

早朝ザグレブをバスで出発しプリトビチェに向かう途中で、保存文化遺産のラシュトケ村を見学しました。昼食はペカ料理(鉄の釜でむした料理)堪能した後、大小16の湖と92の滝からなる美しい自然の中で、プリトビチェ湖群国立公園見学へと向かいました。「プリトヴィッツェ湖群国立公園」は、クロアチアの首都ザグレブから南に位置する、ボスニア・ヘルツェゴビナとの国境近くにある広大な国立自然公園となっています。192km²もある広大な森には大小16の湖が階段状になって点在して、公園内には92の滝があるとのこと。

この湖群は、石灰華(石灰質堆積物)の働きで川に自然のダムが造られたことで生まれたそうです。それぞれの湖に流れる水分のミネラルや有機物の含有濃度、日光の角度などによって湖面の色が変化する景色を楽しめます。また周囲は木々が生い茂り森の緑と共に静謐な風景を造りだしています。 その静かな佇まいの中で白い水煙を上げて流れ落ちる滝が重なり、少し歩くだけで様々な絶景を楽しむことが出来ます。

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森の木々の間から見えるコバルトブルーの湖面が美しいです。
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様々な流れ、高さの違う滝が随所にあり、湖面の中の水草の緑や湖底に沈んだ大木も覗き込むことが出来る散策路となっています。
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広大な公園の中は、歩道や行き先の案内板が充足していてとても判りやすくなっていました。次へ遊覧船乗り場を目指して歩き出します。
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何カ所が船着き場もあるようです。モーターのついた遊覧船がいくつも並んでいます。定刻時間と言うよりある程度旅行者が集まったら出発のようです。
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次第に晴れて来ましたので、白い雲と青い空がコントラストが美しいです。

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船の途中からの写真ですが、上に見えるように手漕きゴートもあるようです。カップルにはいいかも知れませんね。男性は力の見せ所です😃 転覆させたら一生恨まれるかも・・・😢

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どのような段差になっているかも分かりやすく表示されていますし、現在地も分かる様になっていますので迷うことはなさそうです。




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透き通る水の中にはこのような朽ちた木が横たわっているのも観察出来ます。小さなコンデジによる写真ですが、以外と綺麗なことにビックリします。最近はミラーレス一眼を持ち歩くのですが、コンデジでも十分なような気になります😰
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前後になってしまいますが、このような大きな滝もあり、多くの方が思い思いに写真を撮って休憩していました。この場所が1番人が密集していましたので、人気のスポットかも知れません。

Th__20210926161101入り口から上方に向かって歩きながら進みました。帰りも違うコースで降りられるようですが、そこには丁度電動のバス乗り場があります。
 
Th_plitvice-lakes-national-park程よい疲れもありますし、やはり公園内にこのようなシャトルバスがあると、利用して降りることにしました。流石に世界遺産だけあって見応え十分な自然の世界でした。

2021年11月 7日 (日)

世界を夢みて(266):プリトビチェ湖群国立公園No1

早朝ザグレブをバスでプリトビチェに向かう途中で、保存文化遺産のラシュトケ見学。昼食はペカ料理(鉄の釜でむした料理)楽しんだあと美しい自然が織りなすプリトビチェ湖群国立公園見学へと向かいました。「プリトヴィッツェ湖群国立公園」は、クロアチアの首都ザグレブから南に位置する、ボスニア・ヘルツェゴビナとの国境近くにある広大な国立自然公園となっています。192km²もある広大な森には大小16の湖が階段状になって点在して、公園内には92の滝があるとのことです。

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公園の前に世界遺産のプレートがはめ込まれていました。自分の写真を撮るのが(撮られるのが)苦手な私としては貴重な写真です😅 禿げオヤジを撮すのが嫌いですので私自身が写っている写真は200〜300枚に1枚程度です😊
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クロアチアのザグレブから南へ約110kmのところに位置するプリトヴィツェ湖群国立公園は、マラ・カペラ山脈斜面の南東端とリチカ・プレシェヴィツァ山脈の間にあり、エメラルドグリーンに輝く湖と滝が織りなす絶景が見られる公園としてクロアチアでも有数の観光地となっています。
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この湖群は、石灰華(石灰質堆積物)の働きで川に自然のダムが造られたことで生まれました。それぞれの湖が近くにあっても、水の中のミネラルや有機物の含有濃度、日光の角度などによってエメラルドグリーンやコバルトブルーに変化する特徴があります。異なる水の色や森の緑と一体化し、静謐な風景を描き出します。また園内には段差があるため多数の滝が存在していますので、流れ落ちる滝の姿も相まって絶妙なバランスを保ち、この奇跡のような景観を生み出しています。
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公園内は綺麗に整備され、しっかりとした遊歩道が設けられています。
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深さによって水の色が変わります。まるで沖縄の海と同じ美しい色の変化を見ることが出来ます。

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公園内の池にはこのような鴨や魚を見ることが出来ます。魚も鴨の足元をノンビリと泳いでいますので鴨が魚を食べる訳ではないと思うのですが・・・
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大小様々な湖や池があり、至る所から水の流れる音が聞こえてきます。水の流れの白色も周りの緑と相まって美しいです。
マイナスイオンを浴びて気持ちより散策となっています。
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岩山には大きな孔が開いています。恐らくこれも水の流れによって出来た空間かも知れません。クロアチアに入る前にスロベニアのシュコツィアン鍾乳洞と同じ様な自然の形態かも知れません。
写真が増えましたので、次回にもう少しプリトビチェ湖群国立公園を紹介致します。

2021年11月 5日 (金)

世界遺産:座喜味城見学へ

11月3日の文化の日は久しぶりに午前中の休みをとって、ドライブがてら世界遺産の座喜味城跡を散策して来ました。どこかに出かける時には毎回朝早く那覇を出て12時までには戻るパターンで過ごしています。座喜味城は那覇から高速に乗って1時間弱で到着する身近なスポットです。火災で焼失した首里城などと共に世界遺産に登録されています(今帰仁城跡、座喜味城跡、勝連城跡、中城城跡、首里城跡、玉陵、園比屋武御嶽石門、識名園、斎場御嶽)

座喜味城は、沖縄が統一される直前の「三山時代」に活躍し、琉球王国統一後の国の安定に尽力した名将護佐丸(ごさまる)によって築かれた城となっています(熊本城を造った加藤清正のように沖縄では護佐丸 が築城の名手と呼ばれています) 。

国王に対抗する勢力を監視する目的でつくられ、1420年頃に完成しています(熊本城は1607年)。あまり大きくはないのですが、城壁や城門の石積みの精巧さや美しさは沖縄の城の中で随一といわれ、当時の石造建築技術の高さを示す貴重な史跡となっています。那覇からも近く、私がいつも朝早く出かけるためか分かりませんが人が少なくて静寂なのもお気に入りです。


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細い道を丘の上に向かうと座喜味城跡の公園が見えて来ます。城跡は第2次大戦において郭内に日本軍の高射砲陣地が築かれ、戦後も米軍のレーダー基地が建設されたために整備が遅れていました。本土復帰後に返還されて、城壁の修復は1982年に修復を終えて、整備が進んでいるようです。

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入口から城門へと進む両側には琉球松が植えられ、木陰を作ってくれますので夏でも爽やかに感じます。思いもしませんでしたが11月だというのにセミの大合唱が聞こえて来ました・・・それにはちょっとビックリです😲
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中を進むと琉球石灰岩で出来た城壁が見えて来ました。城をつくるにあたり、遠く奄美諸島からも人夫を呼び寄せ、それ以前にあった山田城を解体し、新たに石を加えて、築城したと伝えられています。 沖縄でのこのような城壁の石組みは、本土の諸大名が城を築く100年以上まえに行われています。1300年代後期から1400年代初頭には確率された築城の技術のようです。

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この座喜味城跡の最大の見どころは、沖縄戦の戦禍を逃れた、沖縄に現存する最も古い石造りの二の郭のアーチ門とのことです。座喜味城の城門のアーチは、門の強度を高めるために真ん中にクサビ石があるのが特徴だそうです(ネット上からの請負で私は余り理解出来ていません😅)。
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高さは余りないのですが、城壁の厚さは実感致します。綺麗なアーチとなっています。

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最初の城壁の中に入ると、その中にまた城壁が組まれています。奥にある城門から更に中へと入ります。
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2重になった城壁の城門から振り返った写真です。

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城壁に上り東側をみると、市街地と日本海を眺望出来ます。
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北側の城壁からは、北側の奥に伊江島もみることが出来ました。

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城壁に沿って奥へ導かれるように見える通路がありますが、実はこれ以上進んでも最後は行き止まりになります。これは、敵を追い詰めて城壁の上から攻撃を加えるための「袋路」となっているのです。当然でしょうが座喜味城は軍事的な面を考えて作られていたことが分かります。

少し散歩をして帰る時間になってもまだ9時過ぎですので、少しドライブをしながら那覇に戻ることに・・・少しリフレッシュ出来ました😍・・・コロナ感染者数が少なくなっても立場上何処にも入れません😂・・終息すれば帰りに海の見える喫茶店などでモーニングでも食べて帰れるのですが・・・😃

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ついでに数年前に出かけた、首里城と今帰仁城の写真も載せてみます。首里城の再建は来年度から始まるようです。もう一度あの美しい姿をみたいです😄

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今帰仁城跡
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首里城

2021年10月31日 (日)

世界を夢みて(265):ラシュケト村No2

ザグレブから世界遺産で有名な「プリトビチェ国立公園」へ向かう途中に、「小さなプリトヴィッツェ」と呼ばれる美しい村、ラストケがあります。プリトヴィツェ国立湖群公園から北に約30km、スルンチツァ川(Slunjčica)とコラナ川(Korana)の合流点に位置し、家々の中を川が流れる不思議な渓流の中の村でした。ヨーロッパの美しい村にも推薦されたことがある小さな村です。(前回のブログ→ラシュケト村No1Th__20210722132101村の家屋や公園などの回りを、多くの川が流れています。川の中に家々があるような雰囲気です。バスを降りた高台から村の中へと進んで行きます。 



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よく見ると家の中を川が流れています。とても不思議な光景を目にします。多数の滝や水に囲まれた可愛らしい村のようです。更に村の中心部へと歩いて行きます。緑と川の流れ、鳥たちのさえずりに水の音がマッチして癒されます。

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村の入口の中心部でしょうか、比較的大きな池の周りに可愛らしい三角屋根の家々が建ち並んでいます。


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少し奥に進むと、民宿や喫茶店(レストラン?)などがありました。時間がなくて入れませんでしたが、このような所でゆっくりとコーヒーでも飲んでみたかったです😢 上の写真の右下の三角屋根の家はBelkovi Rastokeと名前の宿泊施設(日本の民宿のような感じ)となっています。このような場所でのんびりと宿泊してみたいです✨️


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釣りも出来るようです。こんな所で1日釣り竿を垂らしてくつろぎたいです・・・本当に時間が欲しいです😄
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村の中は観光地だけあって、道も整地されていて家々の回りにも綺麗にお花が植えられています。池の中にはマスでしょうか?淡水魚が泳いでいました。
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昔ながらの水を利用した臼(水車小屋?)も見学出来ます。そこでは民族衣装を着けた綺麗な女性の方が案内してくれました。その方と一緒にとった写真もあるのですが、公開できません😊
 
日本における水車と違い、動力源はこの作業部屋の下の部分にあります。床に開けた場所から回転する柱が家の真下の川まで続いています。その川の水を利用して柱が回転し、上の作業部屋の臼を回して粉を轢いています。日本で見かける水車とは随分と趣が違います。水車小屋と言っても普通の家にしか見えませんでした。
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家の半地下の作業部屋にはいると、その下には写真のように川が流れています。その流れを動力源として利用して、製粉が行われる仕組みになっているのです。
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小屋から出て外から見てみると写真のようになっていました。ピンボケしていますが、原理は斜めになった水受けに水流が当たるために左回転の運動が生まれて、これが動力源となるように工夫されていました。



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村の中がお花畑のように沢山の花々が咲いていました。丁度9月の初め頃ですので、沢山のお花も咲いていてのでしょうか。ネットなどで見ると雪の降る冬の季節も幻想的で美しかったです。寒いのは苦手ですが、冬にも訪れたい風景でした。
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村を出て世界遺産の「プリトビチェ国立公園」に向かう途中で、昼食となりました。
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昼食はペカ料理(鉄の釜でむした料理)でした。クロアチアの伝統料理『ペカ』は素材を生かした料理で、作り方はいたってシンプル。 土鍋のような容器の中に肉・魚・野菜などを入れて、2~3時間ほど蒸すだけで出来上がります。私のキャンプ料理みたいな感じです😊 お肉とジャガイモがメインだっと記憶していますが、いつもの様に料理の写真は撮っていませんでした🙏

2021年10月24日 (日)

世界を夢みて(264):妖精が住む水上の村ラシュトケ(ラストケ)見学No1

クロアチアの首都ザグレブを大忙しで観光し、ホテルで宿泊。少し夜の街を散策後、ホテルに戻りシャワーを浴びて爆睡😊
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ホテルを早朝に出るも、まだお天気は曇り空です。これから天気予報では次第に晴れて来るとのことでした😉

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戦争の爪痕が残るザブレブ郊外から妖精が住む水上の村ラシュトケ(ラストケ)見学へとなりました。道路の囲いも何となく戦争のイメージで恐怖を感じるような作品でした。
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ザグレブを出て郊外に出ると、少し前まで内戦があったことを知らされることになります。車窓から写真を撮っていると、農家と思われる一般的な家屋ですが、その壁には無数の砲弾の痕を観ることになります。 1軒だけでなく何軒もありましたし、恐らく戦争後建て替えたと思われる新しい家も何軒かありました。 長閑な光景の中にみる戦争の爪痕にはっとさせられる瞬間です。

ザグレブから世界遺産で有名な「プリトビチェ国立公園」へ向かう途中に、「小さなプリトヴィッツェ」と呼ばれる美しい村、ラストケがあります。妖精の住む村とも言われるそうですので、途中の戦争の痕跡をみて直ぐに妖精の住む村と言うのもクロアチアの持つ複雑な側面でしょうか?

スルニ村ラストケ(Slunj - Rastoke) はプリトヴィツェ国立湖群公園から北に約30km、スルンチツァ川(Slunjčica)とコラナ川(Korana)の合流点に位置し、家々の中を川が流れる不思議な渓流の中の村でした。ヨーロッパの美しい村にも推薦されたことがある小さな村です。Th__20210722132101


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村を見渡せる高台にこのような観光案内の看板がありました。マスなどの渓流釣りも出来るようです。
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バスを降りて、高台の案内板から村の中へと向かいます。とても緑豊かな村のようです
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緑の中から、川の水の音、小鳥たちのさえずりが聞こえて来ます。 先ほど見ていた戦争の後の生々しい風景を見て1時間もたっていない中で別の世界に迷い込んだように感じます。
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と自然の調和により生まれたラストケ村の風景は、三百年以上続いているそうです。大小様々なの滝や湖やせせらぎが、安らぎと自然の美を物語っています。

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緑と川に囲まれたこの村は世界遺産プリトヴィツェ国立湖群公園の北、約30キロにあるスルニ自治区に属する文化遺産となっています。 
写真が増えてしまいましたので、次回は村の中の様子を紹介したいと思います。

2021年10月17日 (日)

ヨーロッパ(教会)建築の変遷(旅の豆知識)

(前回ザグレブの教会について書いてのですが、ここで教会様式についてまとめてみたいと思います。今日はこの辺りを書きました。)

ヨーロッパ旅行をしていると絶対に見逃せないのは教会建築だと思います。無宗教家の私でもヨーロッパ旅行で教会内部の彫刻や絵画、或いは美術館などでキリスト教の主な人物達のことを知っていると理解しすいと考えています。以前そのことは記載しました(→教会の呼び名で混乱。→キリスト12使徒のシンボルがわかると・・  )

これと同時に宗教が中心的な役割を担ったヨーロッパ、イスラム圏ではその時代の建築の粋を集めたものが教会だったと考えています。ヨーロッパ旅行で教会を何度も廻って飽き飽きしたと言うことも旅行者の声としてよく聞こえて来ます。それでも建設様式や絵画や彫刻の意味が分かると少し教会回りも楽しくなるのではと思っています・・・まあ楽しみ方は人それぞれですので・・・😅

簡単にまず建築の大きな様式の変遷を図にしてみました。

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①まずはギリシア建築について・・・(もちろんそれ以前の古代エジプト建築もありますが)。恐らくヨーロッパで初めて建築「様式」の確立がなされたのがギリシャだと思います。紀元前7世紀ごろから建築され、紀元前5世紀ないし紀元前4世紀頃にその頂点を迎えます。有名なのがパルテノーン神殿でしょうか。

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 ②古代ギリシャ建築を引き継いだのは古代ローマ建築でしょうか。ローマ建築ではギリシャと違い神殿だけでなく、神殿やバシリカなどを全てを包括したフォルム(フォールム)として建造されています。またコロッセオに代表される様な円形闘技場、公共浴場、水道橋などの公共施設が有り、これはローマの属国となったヨーロッパの多くの国々で現在も見られる遺跡群として残っています。

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③この頃よりローマでもキリスト教が国教と認められるようになりますが、教会もどちらかと言うと古代ローマ建築を改修して使われることが多い時代です(多神教だった古代ローマ帝国で正式にキリスト教が国教化となったのは392年で、それ以降はキリスト教以外の宗教、宗派を禁止となっています)。

④4世紀頃になるとローマ帝国が西と東のローマ帝国に分裂します(西暦395年)。経済的に恵まれた東ローマ帝国では、教会もビザンティン建築」として独自に造られて行きます。現在の西ヨーロッパ地域を支配した西ローマ帝国は次第に衰退します。

⑤東ローマ帝国の首都は今のトルコのイスタンブール(コンスタンティノープル)で、イスラム圏の優れて建築様式が加わることになり一気に発展します。これがビザンティン建築となり、東ヨーロッパ、イスラム圏にも影響を与えることになります。教会の代表作としては、トルコ、イスタンブールのアヤソフィア(ハギア・ソフィア大聖堂)で、その後このキリスト教会はイスラム教のモスクに利用される様になり、その後のイスラム建築もこの要素が含まれていますし、東ヨーロッパやロシアではロシア建築の要素も加わり新たな建築様式として発展します。

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⑥勢力が衰えていた西ローマ帝国内においては逆に教会の権力が次第に増大し、教会建築も新たな段階を迎えます。これがロマネスク様式となります。時代区分としては、おおよそ1000年から1200年の教会建築で使われ、主にフランス、ドイツ、イタリア、イギリスなどで見ることが出来ます。 この時代の建築はまだまだ未発展で繊細さがありません。大きな教会を造るためには、壁を厚くして支えなかればいけませんし、窓も大きく造ることが出来ません→壁が分厚くて、窓が小さい感じとしては「がっしり、どっしり」で内部は「暗い」「柱も太く、天井も丸い」と言った感じです。つまり繊細さがないのです😀

ロマネスクとは「ローマ風の」という意味ですが、美術史・建築史において、繊細さがないために当初は「堕落したローマ風の建築」という蔑称で使われたそうです・・・単に建築技術が追いついてないだけですのに、これは言い過ぎでしょって思ってしまいます😅

フランス:ル・トロネ修道院、サント・マリ・マレーヌ教会。イギリス:カンタベリー大聖堂。イタリア:ピサ大聖堂、サン・ミニアト・アル・モンテ教会。ドイツ:アーヘン大聖堂、シュパイアー大聖堂、ロルシュ修道院、マインツ大聖堂 など


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建築史における大進歩と言えるのがゴシック建築と言われています。当初フランス北部のゴート地方で造られたために「ゴード風の」と言う意味でゴシック建築と呼ばれるようになっています。フライングバットレスという、外部の柱で建物を支える技術が出来たために、教会そのものの壁を薄くすることができ、窓も大きく取れるようになり、大きなステンドグラスが利用でき内部に光が届く明るい教会となっています。また高さも確保出来るようになったために、垂直方向により高くより尖った印象の教会となっています。

フランス:サン=ドニ大聖堂、パリ・ノートルダム大聖堂、シャルトル大聖堂、ランス大聖堂、アミアン大聖堂。イギリス:カンタベリー大聖堂、ウエストミンスター寺院、ソールズベリー大聖堂。ドイツ:ケルン大聖堂、聖エリザベート教会、マルデブルグ大聖堂。チェコ:聖ヴィート大聖堂。 イタリア:ミラノ大聖堂、サッサリ大聖堂。

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高くて、尖った尖塔があればゴシック建築と考えても結構当たる確率は高いと感じます😅
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ルネサンス建築は、ゴシック建築を引き継ぐ感じでイタリアのフィレンツェで1420年代に始まります。この時代には余りに宗教的な価値観に被われて時代に反撥して文芸復興「ルネサンス」がイタリアで始まります。この時代に絵画を中心に芸術が一気に花開きます。建築においても人体比例と音楽調和を宇宙の基本原理とし、教会建築においても外観も内部も整然、均等比率、左右対象、水平指向、全体的にも正方形となったり丸形のドームが好まれるように変化します。またこの頃より地方の貴族や王族なども財力を持つようになり邸宅や礼拝堂などもこの様式で建てられる様になります。

イタリア:サン・ピエトロ大聖堂、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(フィレンツェ)、サン・ロレンツォ聖堂

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⑨ヨーロッパにおいて1590年頃からバロック建築は始まり、盛んになった建築様式である。バロック建築の背景には、宗教改革によって著しく低下したローマ・カトリック教会の権威の失墜を、芸術活動によって補おうと企んだローマ教皇シクストゥス5世、パウルス5世等の活動により16世紀末から17世紀初期にかけてローマで始まった。このような背景によいてより教会を神秘的な空間として表現する必要になったのです。、「バロック」と言う語の語源はポルトガル語の‘Barocco’(歪んだ真珠と言う意味)と言われています。建築の特徴としては外観はうねり、ねじれ、ダイナミックさが重要視され、内部においては豪華な彫刻、彫像、レリーフがふんだんに配置され、壁も直線ではなくて凹凸うねりのあることが多くなっています。またこの時代は柱を2つに並べるダブルコラムの様式もよく見られるようになります。 要は一見ににして豪華絢爛、綺麗ですがゴチャゴチャとした印象を受けるのです。 教会のみでなく、ハプスブルク家の支配したヨーロッパなどの館や広場などでもこの様式を見ることが出来ます。「バロック」と言う語の語源はポルトガル語の‘Barocco’(歪んだ真珠と言う意味)といわれ、元々は余りに装飾が行き過ぎてグロテスクにみえた装飾美術に対する蔑称であったそうです。

サンピエトロ寺院のコロネード(列柱廊、バチカン)、聖カルロ教会(ローマ)、メゾン・ラフィット(パリ)、スペイン階段(ローマ)、トレヴィの泉(ローマ)、シェーンブルン宮殿(ウィーン)、ヴェルサイユ宮殿(パリ郊外)

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⑩やがてイタリアでのバロック建築は衰退するが、ブルボン朝フランス王国に継承されてルイ14世太陽王の支配する宮廷に於いてバロックは絶頂期を迎えることになります。バロック様式は隣国のヨーロッパの各王国にも波及し、われ争って豪華な建物うが造られます。バロックの行き着いた建築様式としてロココ建築が有ります。その様式はロココと同じく女性的な曲線を多用する繊細なインテリア装飾などが特徴となります。しかし、あくまでも後期バロック建築の傾向を表現する用語であるため、この様式は独立した建築様式ではないと書かれていました。主な建築物には、サンスーシー宮殿などが挙げられる。
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 人の感覚は不思議なもので、ゴチャゴチャ感も行き過ぎると、見ただけで満腹になります。フランス料理のフルコースを何日も食べると(食べたことはありませんが・・😅)、きっとお茶漬けやカップヌードルが食べたくなるのと同じ?(←想像力がない😭)

 

⑪バロックまで行き着いた18世紀後期には、新古典主義建築が花開くことになります。この建築様式はもう一度原点に返り、古代ギリシアや古代ローマの古典建築にある荘厳さや崇高美を備えた様式に戻ろうと試みたのです。

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⑫バロックの後はヨーロッパ全体に及ぶ建築は少なくなり、その国が主だったり、その建築家(ガウディなど)の特色があわれれた建物が多くなっているようです。バルセロナのガウディ建築のように、それぞれの建築者の個性が溢れる建築が多くなった気がします。

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ヨーロッパの旅行では・・至る所で「何々様式の教会、何々様式の宮殿」などと説明を受けますので、旅のマメ知識としてまとめてみました。

服装でも同じですが、時代と共に進化しては元の形に回帰し、また新たな要素を加えて発展するような気がします。いま最先端と思っていたのがいつのまにか古くなり、古いと思っていたのが最先端に置き換わって行きます。技術は進んでも人間の感性はあまり変化しないのでしょうね😃

2021年10月10日 (日)

世界を夢みて(263):ザグレブ市内観光(聖マルコ教会ほか)No3

ザグレブの市内観光も後半となりました。恐らくクロアチアのザグレブの観光案内などではこの聖マルコ教会が出ているのではないでしょうか? カラフルな屋根が特徴的です。


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聖マルコ教会はカトリック教会で、旧市街のグラデツの中心の聖マルコ広場にあります。13世紀にロマネスク様式で建てられ、14世紀には礼拝堂とアーチがゴシック様式で建設され、19世紀にネオ・ゴシック式に改築されたそうです。屋根に有名なカラータイルのクロアチア・スラヴォニア・ダルマチア王国の紋章とザグレブの紋章が置かれた。聖マルコ教会は聖マルコ広場に面していて、そこには国会議事堂(上の写真の右側の建物で国旗が掲揚されている建物)、首相官邸(広場の左側の建物)、最高裁判所(教会の裏側)があり、クロアチアの国葬などの重要な行事は聖マルコ教会で行われるそうです。

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側面は至ってシンプル。後で見返して違う建物かと思った程です(笑)。 内部の写真がなかったので入らなかったようです。後で調べたら、一般公開は期間限定であるようで、観光客は入れないようです・・・どおりで見返しても私のパソコンに教会内部の写真が一枚もなかったのですね。

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左の紋章の右上の部分に3匹の動物が描かれています。この動物は「テン」だそうです。テンの毛皮は貴重価値があり、昔はテンの毛皮を貨幣と同じ様に扱っていたために、現在のクロアチアの貨幣の単位は「クーナ:HRK・クロアチア語でクーナは動物のテンのことです」となっています(1クーナ=17〜18円)。

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聖マルコ教会から下って行く街並みを歴を感じさせる建物が沢山ありました。ヨーロッパの街並みは看板だったり、外灯などがいちいち素敵なのです😊 ぼ〜としていると見逃す風景が沢山あります。
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写真を撮りながら歩いていると、建物の壁に銅像が埋め込まれレいるのがありました。これは偶然とった写真の一枚でした。何と私は旅行を帰ってきてから見直した時に、その人物の名前をみて思わず「ヒエ〜!」叫んでしまいました。
この銅像の人物はニコラ・テスラ」だったのです。 ニコラ・テスラはクロアチアの出身だったのですね。セルビア人の両親の元1856年に現在のクロアチアの西部に生まれ、クラーツ工科大学に学んだあと東欧では飽き足らず、1884年に渡米しエジソンの元で1年間働くも、直ぐに独立します。何と彼は8ヵ国語(セルビア・クロアチア語、チェコ語、英語、フランス語、ドイツ語、ハンガリー語、イタリア語、ラテン語)を話せたそうです。
・・・テスラと言ってもピンとこない方も多いと思いますが、現在の電気の交流発電は彼が発明して今の世界の電気が使えているのですね。それ以外にも無線操縦、蛍光灯も発明しています。
LIFE誌が1999年に選んだ「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」に選ばれて、テスラが遺した技術開発にまつわる資料類はユネスコの記憶遺産にも登録されているそうです。皆様方も出かける時には見逃さないようにされて下さいね。
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世界一短いケーブルカー66m片道4クーナで高台まで登ることが出来ます。可愛い青いケーブルカーです。側に遊歩道もありますので、歩いても問題なく登れます。
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ザグレブ市内を見渡せる高台に建て長いロトルシュチャク塔があります。この塔の一番上の窓枠から毎日正午には大砲(もちろん空砲)を撃って市民に12時の時報を知らせてくれるそうです。今回は残念ながらこの塔の上から市内を眺めることは出来ませんでした。時間がある人は是非訪ねて欲しいです。ザグレブの美しい風景がみれるそうですよ。

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確かにザグレブ旧市内には高い建物は制限されてきたようです。遠くには近代的なビルが沢山あるようです。
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昇りは世界一短いケーブルカーでしたが、帰りはこのような坂を歩いて下りてゆきました。
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宿泊ホテルが近くにある街の中心にあるイェラチッチ広場に向かいました。広場にそびえるのは、国民的英雄と言われるイェラチッチ1801~1859)の騎馬像です(これも聖ゲオルギオス像かと思いました😅・・・足元に龍はいません)。彼はオーストリア帝国時代の政治家で軍人だったそうです。
この広場は17世紀ごろから「調和広場」としてあり、1886年にイェラチッチ総督の騎馬像が設置されたころからイェラチッチ総督広場と呼ばれるようになったそうです。 しかし旧ユーゴスラビア時代の1947年には騎馬像は取り払われて、「共和国広場」と名称も変わったそうです(歴史的にこのようなことはよく耳にしますね)。1991年のクロアチアの独立と共に騎馬像も広場へ戻されて、名称もイェラチッチ広場に戻ったとのこと。 英雄も祭られたり引きずり下ろされたりと忙しいです😅
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イェラチッチ広場には噴水もあり、奥の可愛らしいトロッコ列車で旧市街を観光するのもいいかも知れません。今回の宿泊ホテルはSHERATON ZAGREB HOTELで、夕食は肉料理だったようですが、相変わらず食事の写真はありませんでした😅。

2021年10月 3日 (日)

世界を夢みて(262):ザグレブ市内観光No2

雨のスロベニア共和国の首都リュブリャナからクロアチアの首都ザグレブへ移動し観光開始。先にザグレブで最も大きな聖母被昇天教会を見学後、市内観光の続きです(→ザクレブ市内観光No1ザグレブ・聖母被昇天大聖堂)。

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旧市街の建造物に対して、奥に見える大きなビルはバン・イェラチッチ広場に面して建てられたオフォスビルで1957年頃建てられたようです。実は1970年から1980年代にザグレブでは高層建築物がいくつか建てられたようですが、その後は高層建築物は一時的に制限されて、都市景観が保たれているそうです。
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この看板をみて分かる人もいるかも知れません。私は旅行まで知りませんでしたが・・・。クロアチアはネクタイ発祥の地だそうです。もともとクロアチアでは、若い男女が信頼の証に相手の首にスカーフを巻く習慣があったそうです。ヨーロッパ30年戦争の頃(1618年-48年)にクロアチアの軽騎兵団がパリに到着します。その時にクロアチア兵は自国の伝統的な衣装の一部として、様々な色鮮やかなスカーフを首に巻いて入場します。流行に鋭いパリの貴族達を虜にし、一気にパリで広がったそうです。フランス語でネクタイは「Cravat」、クロアチア人を意味する「Croat」に由来していると他の方の旅行記に書いてありました😅。ちなみに、日本人ではじめてネクタイを締めたのはジョン万次郎なんだそうです・・・確かにあり得る話かも知れません。

ザグレブ旧市街の坂を上った場所に、クロアチアの超老舗ネクタイ店「クロアタ:KRAYATA」があります。かなり有名なお店らしくお店の前では多くの観光客が写真を撮っていました。老舗らしい上品な店内で、ネクタイは品質の高さに定評があり、1柄に対して32本しか生産せず、希少価値の高いものになっています(←ネットに書いてあり、後で知ったことです😅)。 私も自分用に2本のネクタイを買って帰りました👍

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このような看板をみながら歩くのも楽しいですね。 ラディチェヴァ通りと石の門近くの看板と標識です。

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ラディチェヴァ通りを北に行くと石の門の前に聖ジョージ(聖ゲオルギオス、聖ユライ)の騎馬像がありました。最初馬で踏みつけているのは大蛇かナマズかと思いましたが、これはドラゴンです😅 ラディチェバ通りにある銅像です。 このモチーフは基本的に「聖ゲオルギオスと竜退治」の伝説から始まっています。竜が定期的に人間の生け贄を要求して、応じぬと村々に危害を加えていたそうです。次ぎに生け贄として選ばれたのは王女で、聖ゲオルギオスはドラゴンを退治して王女を救ったという伝説で、東西ヨーロッパ(中東も?)で色々な所でモチーフとなっています。以前訪ねたポーランドのクラクフでは聖ゲオルギオスは靴職人の若者でドラゴンを欺して退治し、王女と結ばれる物語でした(→ポーランド:クラクフ市内観光
この銅像についてネット上で「聖ゲオルギオス」とか「聖ジョージ」いやいや「聖ユラユ」が正しいとそれぞれの方が書いてありました。要は同じ人物なのです。古代ギリシャ語では「ゲオルギオス」、アラビア語では「ジルジス」、英語では「ジョージ」、イタリア語では「ジョルジョ」となり、クロアチアでは「ユライ」となっているだけです。

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石の門は13世紀に作られ、18世紀に現在の姿となりました。もともとザグレブはザグレブ大聖堂を中心とした聖職者の町「カプトル」と、聖マルコ教会を中心とした商人の町「グラデツ」というふたつの町に分かれていたそうです。それぞれも中世の街と同様に、異民族の侵入から守るために石の壁で囲まれていました。以前はグラデツに入る門は6ヶ所あったそうですが現在は壁も取り壊され、現存している門もこの「石の門」だけとなってしまったそうです。                        
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中世の頃より門の中には聖母マリアを祀る礼拝堂があったそうですが、18世紀のザグレブ大火災でもこの礼拝堂は奇跡的に損傷を受けることがありませんでした。よりそのことがマリア信仰を強めたのかも知れません。私の写真は鮮明ではありませんが、鉄の扉の向こうに小さな礼拝堂の空間があり、正面には聖母子像の祭壇画が描かれていました。今でもたくさんの市民がお祈りしています。

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