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旅行・地域

2017年5月28日 (日)

世界を夢見て 53 :ヴィリニュスの街並みと教会群

リトアニアの首都ヴィリニュスを散策すると教会の数の多さそれもそれぞれが個性があり美しい教会の多さには驚嘆してしまいます。

歴史的にみると1323年からローマカットリックの影響が強い都市だったようで、熱心なカトリック教信者の多い町だったようです。何キロ四方の中に、ヴィルニュス大聖堂、ヴィルニュス大学の中の聖ヨハネ教会、聖イグナトス教会、聖キャサリーン教会、聖霊教会、フランシスコ教会、ペルナルディン教会、聖ミカエル教会、聖カジミエル教会、聖テレサ教会などなど沢山あります

そして街並みが美しく、ホテルに着いても何時もながら直ぐに、街の散策に出かけました。 昼と夜では印象も違いますが、本当に綺麗な街は昼も夜も美しく、楽しめます。これもバルト三国がヨーロッパの中では治安がいいからできることでしょうが・・・

今回は少し写真を多めに出してみます。まずは夜の街から

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こんな所で飲むコーヒーは格別です

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昼は昼で美しい街並みです

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街を歩きながら、この街の美しさへの配慮も分かって来ます。

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上の写真の中でパネルのような壁面にヴィルニスの綺麗な写真が飾られていました。

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観光案内図かと思いながら、歩き進め奥の広場に入ると、何とこれはボックス型の露店の壁に綺麗な写真が貼ってあることに気づきました。ちょうどこの四方形のボックスを広げて開店の準備をしている方がおり、10分程度でセッティングが終わり、可愛らしいお土産品店に早変わりしていました。閉店後はこのボックスが町の綺麗な写真の展示物となって、通り過ぎる人々の目を楽しませていましたheart04 こんな工夫もあり街が美しいわけです。

私が旅行に出る時に、多くの街をなるべく徒歩で歩くことにしています、歩きながら本当に楽しいですし、沢山の発見があります。風景も建物も人も観察するのに超多忙ですcoldsweats01

家々のドアや看板なども実に楽しいものがいっぱいです。

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ユニークな看板が外に飛び出しています。

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バブ?のドアのオブジェ

街を歩くと沢山の教会があります。ここにも人のぬくもりを感じたり出来ます。

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この街では色々な年代の建築様式を同時に観察出来るのも魅力です。

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私が訪れたのは9月ですが、しばらくすると寒くなります。そんな折、ヴィルニスの人々の優しさなのか、ユーモアなのか木にマフラーが巻かれるそうです。木も暖かくなるばかりか、見ている私の方もホンワカとなってしまいましたthink

教会のことをもっと書こうとしたのですが、沢山の教会がありすぎて今回はこれまでいっぱいでした。まだ紹介したい教会もあるのですが・・・次回書けますでしょうか?

2017年5月17日 (水)

世界を夢みて 52 : トラカイ城

リトアニアのヴィルニスの郊外に、30以上の湖と森に囲まれた景勝地があります。そのなかで北側に突出した半島が昔からの中心地で、その半島を橋で渡り一番奥にある島に有名な赤煉瓦作りのトラカイ(トゥラカイ)城が建っています。今ではリトアニアの有名な観光地となっています。

このトラカイはヴィリニュスに首都が移る前はリトアニアの首都がおかれた場所で、ヴィルニュスから車で40〜50分ぐらいの距離があり、多くの観光客で賑わっていました。バスを降りて、真っ直ぐに伸びた道を歩くと、綺麗な湖と対岸の美しい森の緑が飛び込んできます。心なしか空気も美味しく感じられます。

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観光案内所や教会、湖を眺めながら食事が取れる飲食店や観光客相手の露天などが並ぶ場所を通ってゆくと、奥に湖を挟んで、青い水面から浮かんでくる赤煉瓦づくりのトラカイ城が見えてきます。 湖と空とこのお城の眺めは心が震えるほどの絶景でした。暫く岸辺からこの景色を眺めていました。透き通る水の中で睡蓮が咲いて、水鳥が楽しそうに泳いでします。ヴィリニュスの旧市街地とはまるで違うリトアニアの魅力です。

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トラカイ城は14世紀後半にチュートン騎士団の侵略から守るために立てられた城でしたが、その後この城の権力がポーランド側に移ると廃墟となってしまったそうです。その後1961年から本格的な修復が始まり27年程かけて、元の15世紀当時の姿に復元されています。

半島から湖にかかった橋を渡り、更に小さな島を通り、更にトラカイ城のある島へ橋を渡って到着します。今回はこの部分の橋が工事中で、ガイドブックに載っているような、橋を入れたトラカイ城の正面の写真は撮れませんでした。それでも十分美しいお城です。

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ゲートをくぐり城の内部に入ると、広い広場が広がり,奥に本丸、横に二層の建物が連なっていて、現在は博物館となっています。 本丸の間には堀があり、跳ね橋でわたれるように出来ていて、城壁には沢山の小窓が開いていました。昔はそこから重火器を出して城を防御していたのかもしれません。

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お城の展示室では、この地域にかつて傭兵として当地に迎えられたトルコ系の住民の暮らしが再現されていました。彼らはリトアニアに忠誠を誓いながらも、独自の文化を継承してこの地で暮らしていたとのことです。今でもリトアニアでは彼らの民族料理がキビナイなどを食べることが出来るそうです。 お互いに尊敬しあえば、違う民族でも共存出来るのだと妙に関心してしまいました。

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この日は天気も良くて最高の観光日よりでした。どうでしょうか綺麗な景色ではないでしょうか? また行ってみたい景気でしたheart04

2017年4月30日 (日)

世界を夢見て 51 ; ヴィリニュス大学

Th__2 リトアニアの首都ヴィルニュスには沢山の教会や祈念碑、大学などがあり、1日2日で全てが見れることは不可能です。世界遺産となっているヴィリニュス歴史地区の旧市街地でも一番大きな建物がヴィルニュス大学です。世界的に見ても貴重な古書のある図書館、大学構内に あるフレスコ画、当時グリニッジ天文台と双璧をなした天体観測所、聖ヨハネ教会とその鐘楼などヴィルニュス大学は是非みたい場所でした。どうやら校内を廻るツアーもあるようでしたが、時間の関係であきらめていました。市内を回ると、丁度ヴィルニュス大学の校門に出てしまいました。入り口で観光客は ユーロで入ることが出来るのですが、一番行きたい図書館はもう閉まるとのことでしたが、やはり入ることにしました。

Th__3 この地域では、クラクフのヤギュウォ大学(1364年)、ケーニヒスベルク大学(1544年)に次ぐ古い歴史を持った大学です。この地で16世紀に宗教改革が起こると、それに対抗するためにイエズス会が1570年に高等学校が設立しその9年後に大学へと改変してスタートします。この国の歴史と同じで色々な局面を迎えた大学でもあります。帝政ロシア時代は抵抗運動の中心となったため88年間学校は閉鎖となっています。現在は2万人の学生が勉学に励む大きな大学で、なんと日本の山形大学や神奈川大学とも学術交流をしているそうで、日本人の留学生も数名はいるとのことでした。

門の入り口で学生さんの様な方からチケットを購入して、学内に入ります。とても大学とは思えない広さと歴史的な建物です。中に入ると全く大学校内であることを忘れていまいそうです。駄目だと思いましたが、中庭を通り、古書室へと向かいました。ゲートがあり入館出来るか係員に訪ねましたが、もう閉館時間で入ることは出来ないとのことであきらめましたweep

Th__4 更に奥に進むと周囲を建物に囲まれた中庭に出ました。ここは大学らしく、学生さんがノンビリと本を読んだり雑談をしていました。再度入り口に向かうと正面に 教会があり、右手に高い天文台がありました。

 天文台は部外者も昇ることが出来、途中までエレベターで上がれます。最後はとても急な梯子が架かっています。足の不自由な人や高所恐怖症の方は昇りにくいかもしれません。 しかしその昇った先の展望は素晴らしく、塔を1周することが出来て、ヴィルニュス旧市内を360度見渡せる絶景ポイントでした。

Th__5 今度は天文台の塔を降りて、正面に見えた教会に入りました。とても大学校内とは思えません。最初にイエズス会が建てただけあって教会は見事です。高い天井、祭壇も豪華な彫刻が施され、ステンドグラスも鮮やかでした。

私が入ると同時に20名ほどの学生や教員が入って来ました。聖歌隊(合唱部)のメンバーの練習を行うということで、私も聴いても構わないとのことでした。私に取ってはサプライな出来事でした。 広く美しい教会を探索しながら、素晴らしい音楽も同時に聴けるというラッキーな機会に恵まれたのです。練習ですので、それぞれのパートの入り方などを入念に行っていました。この教会は音響もよく鳥肌が立つ程の響きでした。 しばし夢のような音楽に浸っていましたheart04

大学内を回る現地ツアーもありますので、もしヴィルニュスに旅行の折には検討して下さいね。素晴らしい図書館などを見ることが出来ると思います。もう一度訪れることがあれば、私もこのツアーに申し込みたいと思いました。世界は見ることが沢山ありますshine

2017年4月19日 (水)

世界を夢見て49 : ヴィリニュスのホテルは最高でした

今日は私の旅行記事としては珍しく、滞在したホテルについて書いてみたいと思っています。私自身の旅行スタイル(こんなたいそうなことではありませんが・・coldsweats01)は、とにかく時間があるだけ町歩きをしたい、街の雰囲気を味わいたく、歩き回ることが殆どでした。

特に若い時はそうでした。食事の時間がもったいなくて、マックを片手に食べながら街を歩いたことも何度もありましたし、時間がなければ昼食無しでも美術館周りを行っていました。食事を楽しみたいとかショッピングをしたい、高級なホテルに泊まりたいとも考えたこともありませんでした。

Th__4 20代30代は年に1回の旅行のために1年中日曜日もなしに毎日仕事をしていました。40代から50代半ばまでは、更に忙しくなり、とうとう年に1回の旅行も出かける事ができませんでした。ずっと仲間のことが気になり、自分が休んだらいけないだろうと思ったのです。しかし仲間からも大好きな旅行に行って来て下さいと背中を押されて、年に1回の旅行を再開することが出来たのです(・・感謝ですheart04)。

Th__5 今でも旅の基本的なスタイルは若い頃と同じなのですが、帰路の生涯を歩むなかで、体力差をカバーしたり、肩肘張らずに色々な旅の楽しみも味わってみたいと考えるようになってきたのが大きな変化です。 例えば郊外の高級ホテルより、中心部のホテルが夜まで遊べること、値段は高くなってもビジネスクラスなどを利用することで帰国後直ぐに十分働くことが可能であること、ちゃんと写真を撮って記録として残すことなどの変化がありました。

これまで、ホテルはただ寝るだけの場所としか考えていませんでしたが、今回のヴィリニュスではとてもロケーションが良く豪華なホテルでしたので、このブログを読んで貰っている皆様にもご紹介したいと思います。Th__6

リトアニアの首都ヴィリニュスの中心のヴィリニュス大聖堂に面して宿泊先のホテルはありました。いわゆる3星ホテルです。重厚なドアを開けて入ると広々とした大理石張りのロビーがあります。 なんと入ると直ぐに、宿泊の手続きを行っている間にウェルカムシャンパンのサービスがありました。 柔らかなソファーに腰を降ろし、シャンパンを飲み干します。しばらくして、部屋に案内されましたが、すでに荷物は部屋にいれられたいました。

Th_dsc05355 このホテルの最上階のため、この部屋の天井は途中から斜めになり、大きな窓がついています。室内もとてもシックで落ち着いた雰囲気で、バスタブもついた綺麗な部屋でした。

特にビックリしたのは、この部屋からの眺めでした。斜めになった大きな窓は上方に開放できるようになっています。その窓を大きく開くと、何と目の前にあのヴィリニュス大聖堂が見え、遠くには 展望台を始め旧市街が見渡せます。

この窓から夕暮れが迫り、次第に街の明かりが灯してゆき、Th_ 刻々と違う雰囲気となります。家路を急ぐ人々を眺めながらホッとした時間を過ごしました。その後ホテル内のレストランで夕食。レストランも素敵でワインや食事も美しくておいしかったですheart04

私にとっては日常を離れたこのようなホテルの窓から、この地で暮らす人々の日常の姿を見ることはとても楽しく、時間帯で変わってゆく美しい景色に心が洗われました。なかなかこの様な部屋に泊まることはないと思いますが、ホテルが泊まるだけの場所でないことにこの年になってようやく気づくことができた宿泊経験でした。

まあ、私の方はこのようなホテルに泊まることは余りないでしょうから、今回ご紹介させて頂きましたlovely

2017年4月 8日 (土)

世界を夢みて 50 : リトアニアの新学期は素敵な光景に出会えます

日本では桜の開花の時期に新学期が始まり、今の季節はランドセルを背負った可愛い子供達の登校を見ることができます。

Th_dsc05006 私がリトアニアを訪ねた9月1日は丁度、リトアニアの新学期の開始の日となります。その日の観光に出かけながら、昨日とは違う町の光景がありました。 小学校・中学校の子供さんは、綺麗に着飾った服(制服?)を着て、それぞれが花束を抱えています。そして生徒だけでなく両親も正装して一緒に歩いています。花束を抱えた可愛らしい子供達を見ていると私もつい嬉しくて笑みがこぼれてしまいました。

9月1日はリトアニアの新学期ですが、授業はなく午前中は学校に行き先生に挨拶をして午後からは家族や友人達と遊園地などに出かけるそうです。なぜ子供達は皆が花を持っているの?・・・と思っていたのですが・・・それは学校の先生にプレゼントするリトアニアの習慣のようです。花束を家族で持ってゆく教育環境はいいなと純粋に思いながらこの光景を見ていました。

ちなみにリトアニアの教育制度は、小学校(1〜4年)、中学(5〜10年)、高校(11〜12年)の4−6−2制の場合、9〜12学年をギムナジウムという人文学、科学、技術、芸術などの専門化した教育施設で学ぶ生徒もいるそうです(この場合は4−4−4制)。それ以外に11学年から職業訓練学校に進む制度もあります。大学進学については一般入試試験はなく、上記の最終学年に実地される全国統一試験の結果によって決まるそうです。Th_dsc05016

街を観光して、午後になると今度は沢山の花束を抱えた方を見かけました・・・そう彼らは学校の先生の様です。明日からは子供達の為に懸命に教育をしてくれるのでしょう・・未来の子供達の為に頑張って欲しいものです。

その夜はヴィルニュス市内のレストランで夕食となっていました。入るとレストランは超満員の状態でした。新学期を迎えた子供や両親だけでなく、祖母や祖父と思われる方々を含めての夕食会が開かれ、幾つもの家族が子供達を囲んで賑やかに新学期を祝っていたからなのでした。

日本でもこのような習慣があれば素敵だろうなと思いながら過ごしたリトアニアでの9月1日でした。

2017年4月 2日 (日)

世界を夢みて 48 :リトアニアの首都ヴィリニュス(1)

Th_ フィンランドのヘルシンキからバルト三国を南下し、ラドビアの国境を超え、リトアニアの精神的な聖地である十字架の丘を通り、リトアニアの首都ヴィリニュスに入りました。同国の最大の都市で人口は56万人程度だそうです。バルト三国で唯一の海に面していない首都ですが、ヴィルネ川とネリス川沿いに位置し、かつては船による交通の要所でありました。

多くの首都は国の中心部にあるのですが、ヴィリニュスは国の東南の外れに位置しています。ただこれは現在の国境が変わったからで、かつてはリトアニア大公国の時代にはやはり国の中央にあったとのことです。各国が国境を接するヨーロッパ、特にバルト三国を始めかつての東ヨーロッパ諸国の運命は複雑です。

さてこのヴィリニュスも見るべき場所が沢山でした。1994年に旧市街はTh_dsc04934 ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録され、2009年には欧州文化首都にも選ばれた美しく文化に溢れた都市でした。見所も満載で2日間滞在しましたが、それでも全然足りませんでした。

街の外れの小高い丘にはかつてのヴィリニュス城の城壁と西の見張りの塔(ゲディミナス塔)が残っていてます。小さなケーブルカーで昇って行けますが、高くありませんので徒歩でも大丈夫です。 ここは特に旧市街を一望できる絶景ポイントでもあり、後Th__3方には新市街も見渡すことが出来るため、初日の観光では街全体を把握するためにも先に訪れる方がいいと考えます。

城壁から旧市街を見渡すと、木々の緑と赤い瓦の屋根、教会の尖塔があり、他のバルト三国の景色に近いと感じられました。しかしタリンやリガのようなハンザ同盟の影響は受けていない文化圏であるとされています。

旧市街地にはゴシック、ルネッサンス、その後のバロック建築の様式の建物が所狭しと建っています。 そこから東側の山の斜面に大きな十字架が立っている、「3つの十字架の丘」があります。昔フランチェスコ修道会の僧侶が殉職したことに対して17世紀に建てられたそうですが、この十字架もスターリンによって破壊されてしままいます。しかし独立後1989年に祈念碑が再建されています。

Th_dsc05005 ゲディミナス塔の眼下にある大きな教会が、街の中心のヴィリニュス大聖堂です。13世紀に当時の王様がキリスト教を受け入れた時に最初に建造された主教座教会だそうです。かなり大きな建物で、広場も大きく尖塔も建っています。内部も美しい装飾があり見学か可能です。

ヴィリニュスには沢山の教会があり、有名な大学や博物館もあります。今日はまとめることが出来ませんでしたので、何度かに分けてブログに記載したいと思います。

2017年3月15日 (水)

世界を夢みて 47 ; リトアニア:十字架の丘

ラドビアの首都リガから南下し、バルトのベルサイユとも言われる、格式のあるルンダーレ宮殿を見学後、かつてのラドビアとリトアニアの国境線もこのまま通過してしまいます。

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のどかな田園地帯が続きますが、国境の近くに、リトアニア人にとっては象徴的な聖地となっている「十字架の丘」があります。ラドビアの首都リガから、リトアニアの首都ヴィルニュスを繋ぐメイン街道の近くにあり、リガやヴィルニュス辺りから日帰りでバスに乗って来る観光客も沢山いるようです。時間のある方は近隣のシャウレイと言う街に宿泊するのもいいかもしれません。

Th_dsc04664 この国道に、十字架で出来た看板があり、そこを左折して暫く平坦な畑の中を進んでゆきます。考えて見たらバルト三国の多くは東ヨーロッパからの堆積で出来た様な場所で、高い山はなく平坦な道が続いているのです。

間もなく駐車場に着き、バスを降りると、観光案内所や売店があります。そこには大小様々な十字架も売られています。ここで買って十字架の丘に捧げることも可能です。

売店の横の階段を上り、後は整備された歩道を進むと奥に僅かに隆起した丘に沢山の十字架が立っている光景が見えてきます。

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無数の十字架がランダムにおかれた印象で、その数に圧倒されてしまいます。無Th_dsc04662宗教家の私としては十字架が並ぶ風景は欧米では墓地をイメージしますが、ここはお墓ではなくて人々の祈りの場所です。5万以上とも言われる形も年代も異なる大小様々な十字架があり、それを奉納した人々の想いが私の胸に迫って来る感じがしました。

感動していた私の横で「何だこんなものか、綺麗でも何ともないじゃないの」という日本人のつぶやきが聞こえて来ました。 確かにこの十字架の意味した歴史を知らないと十字架置き場、瓦礫の山に見えてしまうのかも知れません。

ここリトアニア十字架の丘リトアニア人の信仰と圧制への抵抗のモニュメントなのです。 たんなる十字架置き場と見るか抑制からの人々の自由の闘いの象徴として捉えるかでこの景色の重さに個人個人の思いの違いが出てくと感じました。宗教にかかわらず自由への渇望は人間が持っている本質の部分で、このモニュメントに共鳴するのだと感じました。

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この場所での十字架の建立の発祥ははっきりはしていないそうですが、1831年のロシアに対する11月蜂起の後と考えられるようです。その時に処刑されたり、シベリア流刑となったリトアニア人を悼んで、人々が十字架を持ち込むようになったそうです。その後ソビエト連邦に支配され、共産主義の名の下の宗教弾圧も始まります。何度もこの場所をソビエト軍はブルドーザーで破壊します。その状況下でもリトアニアの人々は自分達の宗教や文化に忠誠と抵抗を尽くす表現として、この場所に何度も十字架を立て続けたのです。

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旅行者の私には計り知れない民族の独立と自由の象徴がこの場所だったのでしょう。2001年に「リトアニアの十字架の手工芸とその象徴」の一つとして無形文化遺産に登録されています。美しい景色ではありませんが、訪ねる価値のある場所かもしれません。

2017年3月 5日 (日)

世界を夢見て 46: ルンダーレ宮殿 (ラドビア)

ラドビアからリトアニアに向かう途中(ラドビアの南端)場所に バルトのベルサイユと呼ばれるハンダーレ宮殿があります。リーガを離れて行くとのどかな田園風景が続きます。そんなところにベルサイユを言われても、世界中に「○○のベルサイユ」と称する場所をみることがありましたので、余り期待はしていませんでした。そこに入ると自分の認識を恥じるほどの壮大な建物と広く整理の行き届いた庭園が美しい宮殿でした。

ルンダーレ宮殿はロシアの女帝アンナに愛されたクールランド大公にまでなったロビン公の夏の宮殿として建てられました。建築したのはサンクトペテルブルグの冬宮などを手がけたイタリア人のラストゥレリです。1736年に建築が始まり1768年に完成します。この歳月の中で歴史は動いており、女帝アンナは死亡し、公爵はシベリア流刑になったりしましたが、完成をみます。

Th__8 駐車場から長く続くマロニエの並木道を歩いてやっと宮殿の入口が見えて来ます。時間が早かったのと地理的なことが要因でしょうが、ベルサイユと違い人影も疎らでゆっくりと写真が撮れます。 Th_dsc04582

バロック形式の中庭を通り、入口に向かいます。

チケットを購入し、床を痛めないために入口で靴カバーを履いて、専属のガイドさんと共に見学となります。現在はまだ修復中の段階で、修復の済んでいる2階を見学出来ます。2階に上がる階段は、以前いったことのあるサンクトベルクのエルミタージュ美術館の雰囲気と似ています。

2階に上がり待合室のような部屋を抜けると、公式な戴冠式なども行われた、黄金の広場に入りました。

Th_dsc04387 宮殿の中でも一番豪華な広場かも知れません。ドイツなどから1500人以上の職人が雇われたと言う事です。金箔の漆喰彫刻が四方に散りばめられ、天井画はイタリア人のバロック画家のF. マルティーニとC.ツッキを呼び寄せて書かせたそうです。

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奥の青の間、グランドギャラリーを通り抜けると、今度は舞踏会場となる白い広間に入ります。

Th_dsc04360 白は女性の美しいドレスを引き立たせる為に、天井を含めて白で統一されていま す。ここは黄金の間に負けないほど細かな漆喰彫刻が施された空間です。当時の上流階級はこのような場所で優雅に踊っていたのでしょう。

Th_dsc04374_2 白い広間の奥に小さな小部屋の楕円形の磁器の間があります。覗き込むと45個の東洋の磁器が壁に飾られ、滝をイメージして配置しているとのことです。

Th__9 この後も沢山の部屋を回ることが出来ます。その1つ1つにテーマがあり素晴らしい装飾がそれぞれなされています。(全てを紹介したら写真だけで何十枚となりそうです)。この2階から美しい庭園が見えます。広大な敷地に整然と花々が植えられています。宮殿を出て裏手の庭園を散策です。

Th_dsc04540 平坦な土地に細かな舎利の道、その間にバラの花や葡萄のアーチ、植物園、休憩室が広がっています。

Th_dsc04503 隅々まで手入れが行き届いています。庭職人さんがが何名か整備をしていたのですが、広い庭園のため彼らの移動手段は自転車でした。

Th_dsc04557 私もベンチでのんびりと貴族になった気分で、動乱の時代にここだけは異質の空間だったのだろうかと当時のことを想像していました。

今回は何と、この宮殿内のレストランで昼食を取ることが出来ました。宮殿の中の一角で綺麗で華やかな食事を満喫出来ました。

2017年2月26日 (日)

世界を夢みて45 :  グートゥマーニャの洞窟 マイヤの墓

Th_dsc04047 ラドビアのリガから車で1時間ぐらいの場所に、ラドビアのスイスと呼ばれる、小高い山並みと深い渓谷と緑が美しい場所があります。スィグルダと呼ばれる地域で、中央をガウヤ川が流れています。バスで眺めていても所々に木製で出来た階段やアスレチックが楽しめるようなロープが張り巡らされている箇所が何カ所かみえ、そこをスポーツウエアや山岳用の服を着た人達が歩いていたりしていました。ロープウェイや観覧車もあるようで、多くの方が自然を楽しみに訪れているようです。

Th_dsc04048 ガウヤ川はリーガのあるバルト海まで注いでいて、交通の要所でもあったようです。 先住民のリーヴ人が最初に住んで、13世紀にかけて帯剣騎士団によって占拠された後はこの川を挟んで、西側がリーガの僧正領となり、東側が騎士団領となったとのことです。その対岸に沢山の城が築かれて今は観光の名所となっています。

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スィグルダ城祉とトゥライダ城の間にグートゥマーニャの洞窟(Gutmana Ala) があります。

Th__6 高さが9m、奥行きが14mで、奥間で光が届きますので洞窟というよりは洞穴に近い感じでしょうか。この壁には一面、それこと上から下まで入り口から奥まで色々年代の沢山の恋人達の「寄せ書きが」書かれているのにびっくりします。その中には16世紀の恋人達の名前もあるそうなのです。

そこから少し離れた場所には、菩提樹の木の下にトゥライダ・ファザの墓(Turaidas Rozes Kaps) があり、週末になると式後の新婚さんが洞窟とこの墓を訪ねてお参りをするそうです。

Th_dsc04081 それは、トゥライダのバラといわれたマイヤさんのお墓なのですが、その悲劇の伝説があったのです。
年代は忘れましたが16世紀の恋人達の寄せ書きもありますので、それ以前の話と思います(間違っているかも知れませんが旅行中に聴いた話しです)。スエーデン軍がトゥラリア城を奪取した時の話です。トゥラリア城の庭師の若者と絶世の美女と呼ばれたマイヤが恋に落ち、結婚することになっていました。その二人の待ち合わせ場所が、グートゥマーニャの洞窟だったのです。彼はマイヤに愛の誓いとして自分の大切な短刀を渡します。 その美女をみていたトゥラリア城のスウェーデン兵が恋人の名前で嘘の手紙を出し、その洞窟に誘い出します。 そのスウェーデン兵がマイヤを襲おうとした時に、恋人から貰った短刀を差し出し、「愛の力で私は死にません」といいながら自分を刺すように嘆願します(これは操を守るために死を覚悟して嘘をついたとのこと)。 そしてその兵士はマイヤを刺して殺してしまうのです。始めその短刀から恋人が容疑者として捕まるのですが、その後真犯人が捕まり処刑されます。

この様な伝説のために、愛のために自分の命を捧げたマリヤの純白さを崇めるようになり、その後この場所は、恋人達の聖地となったとのことです。 今でも結婚式を挙げたカップルはこの洞窟を訪れて、お墓にお花を添える習慣が出来たそうです。

この洞窟の横には綺麗な湧き水が出ていて、今でも飲めます。この水を飲むと美しくなれるそうです。女性の方は飲まれていました。私は・・と言えば、これ以上美しくなると男性から襲われそうですので止めましたcoldsweats01

2017年2月12日 (日)

世界を夢みて44 : スィグルダ城 トゥライダ城

Th_2016 ラドビアのリガから車で1時間ぐらいの場所に、ラドビアのスイスと呼ばれる、小高い山並みと深い渓谷と緑が美しい場所があります。スィグルダと呼ばれる地域で、中央をガウヤ川が流れています。向かう途中のバスで眺めていても森の中に木製の階段やアスレチックが楽しめるようにロープが張り巡らされている箇所が何カ所かみえました。そこをスポーツウエアや山岳用の服を着た人達が歩いいる様子も見て取れました。ロープウェイや観覧車もあるようで、多くの方が自然を楽しみに訪れているようです。

Th_dsc04005 ガウヤ川はリーガのあるバルト海まで注いでいて、交通の要所でもあったようです。 先住民のリーヴ人が最初に住んで、13世紀にかけて帯剣騎士団によって占拠された後はこの川を挟んで、西側がリーガの僧正領となり、東側が騎士団領となったとのことです。その対岸に幾つかの城が築かれて今では観光の名所となっています。

この日は昼頃より雨模様となり、傘をさしながらの観光となりました。

スィグルダ城祉の駐車場を降りると、公園のように整備された歩道を歩いてゆきます。小鳥のさえずりも聞こえのどかな雰囲気です。ニューキャッスルの石造りの建物が見えて来ました。これがスィグルダ城祉かと思いましたが、この中にはレストランや市庁舎の一部の機能が入った新しい建物のでした。

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ここを超えて少しなだらかな谷を挟むようにスィグルダ城祉が見えて来ました。Th_dsc04033

スィグルダ城は帯剣騎士団によってリガ城に次いで建てられた城で1207年に建築が始まりますが、戦乱で幾度も破壊、再建され、最後は大北方戦争で破壊されています。今では外壁しか残っていません。

その後ガウヤ川を挟んだ対岸にある、トゥライダ城に向かいました。何かのゲームにでも登場しそうな名前ですが、トゥライダとはリーヴ語で「神の庭」という意味だそうです。この城は元々リーヴ人の王のカウボ城でした。そこをスィグルダ城を造った帯剣騎士団が13世紀に攻め入って破壊した後地に建てられました。その時の司教アルベルトの夏の城として再建されています。

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赤い煉瓦の塔が目立つお城で、周りの緑や空の色にとても映える城跡です。

Th__5 司教の夏の城として造られたそうですので、当時教会の権力が如何に強かったが分かる気がしました。奥行きもあり、本丸は現在博物館となっていて、この城の歴史について展示されています。

正面に見えた見張り塔ドンジョンにも昇ることが出来ます。折角でしたので、木の階段や煉瓦造りの螺旋階段を登ることにしました。途中の階段でいったんいろい部屋があり、見晴らしがよく周りが見渡せます。更に頂上まで昇って行きます。そこから城全体や周りの山々やガウヤ川が見渡すことが出来ます。

周りには近代的な建物もなく森や川が見渡せ、周りから小鳥のさえずりも聞こえてきます。当時の司教や騎士団も同じ景色を眺めていたのだろう、どんな生活をしていたのだろうかと想像しながら眺めていました。

スィグルダ城祉とトゥライダ城の間にグートゥマーニャの洞窟(Gutmana Ala) があります。色々な中世の物語りもありますので、それは次回書いてみたいです。

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