ウィーンは歩いて回れる距離に沢山の名所が並んでいます。街を歩くだけでもワクワクして楽しい街です。
(今回も書き上げた後に量が多くて間延びしたブログになったので、2つに分けて同日アップしました🙇前半で「王宮広場、モーツァルト記念像、ミノリーテン教会」、後半に「プラフッタでの夕食と聖ペーター教会」を分けました)
ヘルデンプラッツ(Heldenplats)にある騎馬像です。奥がホーフブルグ宮殿です。カール・フォン・エスターライヒはカール大公として慕われ、フランス革命戦争、ナポレオン戦争期に活躍したオーストリア帝国の軍人、皇族です。
間違えやすいのにが宮殿の前にあるオイゲン フランツ フォン ザヴォイエン像ですし、ブルグ門の外の美術史美術館の所にはマリア・テレジアの騎馬像もありまり、こんがらがる原因ともなっています😰
少し進むと噴水があり、近づくとなんと鴨がノンビリと日向ぼっこをしたり泳いだりしていました。この鴨たちもしかしたら王宮附属の鴨で間違って食べたら外交問題になるのかも知れません😸
ウィーンは40年前に初めて来た時と印象が変わりません。広々とした道に大きな石作の建物、華やかな装飾、チリも殆ど落ちていない街並み・・・やはり素晴らしいです。 英国の政治経済誌エコノミストの調査部門エコノミスト・インテリジェンス・ユニット(EIU)が、2024年の「住みやすさ指数」を発表、ウィーンが3年連続で「世界で最も住みやすい都市」に選ばれているのです。納得です❤️
右側の緑の建物は元々は王宮の温室パルメンハウス(Palmenhaus)として珍しい植物を植えて楽しんだ場所でした。
現在はガラス張りの温室を利用したカフェ・レストランとなっています。比較的リーゾナブルな値段でこの場所を楽しめるとのことです。私は入っていませんが、時間帯が合えば食事をしても良いかもしれませんね。
懐かしいモーツァルト像です。彼は38年間何一つ変わりませんが、初めて出会った当時ふさふさだった髪の毛が、壊滅状態となった私に取っては年月を感じてしまいます😂 彼の事はザルツブルクの時に色々書きました(→ザルツブルクとモーツァルト)。 ザルツブルク出身のモーツァルトは、25歳の時ウィーンにやってきてから亡くなるまでの10年間に、歴史に残る数々のオペラや交響曲を完成させた天才音楽家です。白い大理石で造られたモーツァルト像は、今でも美しく輝いていました。ウィーン王宮近くのブルク庭園にあり、モーツァルト像の手前にはト音記号の形の花壇が美しく整備されています。花壇の形も昔と変わりません。
ちょっと格好良すぎる気もしますが、また会えて嬉しいです😉
少し前後しますが、ミノリーテン教会を紹介します。ミノリーテン教会では、13 世紀に建てられ、フランス ゴシック様式の特徴である美しい尖頭アーチと八角形の鐘楼が特徴ある教会です。教会の外壁にある美しい彫刻が施されています。
特段興味がある訳ではありませんでしたが、この教会に入ったのは「最後の晩餐のモザイク画」があると聞いていたからです。入場無料でしたが、私が入った時には丁度ミサが行われていて写真を撮れる雰囲気ではなくて、写真機をサイレントモードにして2,3枚撮って退散しました。
ミノリーテン教会にはレオナルド・ダ・ヴィンチ「最後の晩餐」と同サイズのコピーがあります。モザイク画なので鮮やかです。聖母マリアの石像も有名と言うことでしたがミサの最中でしたので断念しました。 何故13世紀に建てられた教会にレオナルド・ダ・ヴィンチ「最後の晩餐」があるのかが興味があって入ったのです。
ネットで調べてもはっきりしませんが、 フランスのナポレオン1世がミラノで実物の「最後の晩餐」を観て感動し、立ち寄ったウィーンで1809年にジャコモ・ラファエリによって制作されたモザイク画だそうです(もの凄く細かなモザイクで一見したらモザイクとは思えません)。ウィーンで作られ、その後はパリに持って行く予定でした。しかし完成した時にはナポレオンは皇帝ではなくなったために、ハプスブルク家が買い取り、このままになった様です(詳細は分かりません)。 オリジナルと同じサイズ幅9.18メートル、高さ4.47メートルで制作されているとのこと。オリジナルは色が落ちたり不鮮明になってしまったのですが、こちらはモザイク画で色が鮮明に残っています。
今回は珍しく、夕食を予約をした素敵なレストランで頂きました。予約時間になりましたのでこれから向かいます(→次回へ)
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