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旅行・地域

2022年5月22日 (日)

1990年バルト海クルーズ(ストックホルム→ヘルシンキ)

スウェーデンの首都ストックホルムからフィンランドの首都ヘルシンキへの移動は飛行機だと約1時間程度です。陸路では湾を回り込まないといけませんが、そこで便利でおすすめなのが船でバルト海を横切る移動です。

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船の旅では12時間程度かかりますが、利用して欲しいのは夕方出航し朝に着く船旅です。1泊ですが豪華客船に乗り込む旅ができます。この時客船での移動は初めての経験でした。


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毎日双方向に大きなフェリー船(豪華客船)がでています。夕方16時半にストックホルムから出港しヘルシンキに着いたのは翌日の午前10時 頃に着く船旅です(フィンランド時間:ストックホルムとヘルシンキでは1時間の時差があります) 。
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毎日スウェーデン~フィンランド間を運航する主なクルーズ船がViking Line (ヴァイキングライン) か Silja Line (シリアライン)があるようです。私はヴァイキングラインを利用しました。

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ネットで調べたらバイキングラインは今も営業しているようです。新しいヴァイキングラインのホームページをみたらこの船とは違うようでしたので、あれから30年以上経っていますので引退しているかも知れません。
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バルト海には小さな島があります。上の写真の小さな島には家が建っています。個人の所有なのでしょうか?
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これ何処だと思いますか? 船内で7〜9階ぐらいの吹き抜けの空間でした。その両側にあるお店は免税品店で、高級ブランド品が沢山並んでいました。当時から買い物に興味のない私はスルーですが・・・船内にはカジノや映画館もあり、動く海上都市のイメージでした😲
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後方のデッキでバルト海の夕陽をみながら過ごしました。客室も綺麗だったはずですが(もう記憶の彼方です)、なんと1枚も写真を撮っていませんでした😭(今なら船室の中や食事風景も撮っていたかも知れませんが・・)
夕食も豪華ですし、個室ですし、内海だからなのか分かりませんが、全く揺れも感じませんでした。船内で楽しく快適に過ごしているとあっという間にフィンランドの首都、ヘルシンキに到着。初めての1泊の船旅も満足して最後の目的地ヘルシンキの観光です。
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ヘルシンキの港が見えて来ました。フィンランドはスウェーデンより時間が1時間進んでいるので、ヘルシンキに着いたら時計を1時間早めることをお忘れなくです。

(ヘルシンキ港は2016年のバルト三国・ポーランドの旅でヘルシンキ港からエストニアのタリン港へ2時間半の船旅を経験しました→ヘルシンキからタリンへ

2022年5月18日 (水)

1990年スウェーデン観光。

(1990年の旅行の健忘録です)ノルウェーの首都オスロ(→前回のノルウェー旅行記)からスウェーデンの首都ストックホルムまでの移動は電車で6時間程度かかりますが、車窓を眺めながら過ごしていたら思ったより近いと実感しました。 夕方に到着し食事をはホテルに移動でした。翌朝から市内観光となりました。

当時としては長らくフィンランドと共に中立政策を保って来たのですが、今回のロシアのウクライナ侵攻を受けてノルウェーとフィンランドがNATOへの参加を表明しています。 地図で確認すると北欧の3ヶ国の中でロシアとの国境線を持たないのはスウェーデンだけで、フィンランドはまさしくロシアの隣国ですし、ノルウェーも僅かですがバレンツ海でロシアと国境を接しています。ロシアの愚かな侵略はNATOの拡大の阻止にありましたが、逆にNATOの拡大を進める結果となっています。

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上の地図のようにストックホルムは広い平原ではなくて実は大小様々な14の島から形成されています。島と言っても橋で繫がっていてそれぞれが近いので通っていても陸続きのように感じてしまいます。



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ストックホルムに到着後、街で一番高いところにあり眺めのよいセーデルマルム地区に向かいました。 セーデルマルムは今でも若者でいつも賑わう話題のお店が立ち並んでいるそうです。最近のストックホルムの写真をネットで見たら手前の旗が同じ様になびいていたのはびっくりしました😊
入り組んだ海の間に島々があるのが伺うことが出来ます。ここが一番高い所と言うのでストックホルムは殆ど平坦な低地にあることが分かります。そこから海の対岸に見えた旧市街地の散策に出かけました。



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ストックホルム観光のメインでもある「旧市街(ガムラ スタン)」の散策ですが、ここを中心に観光スポットが多数あるので便利です。ガムラスタン (Gamla stan) はスウェーデン・ストックホルムの旧市街で、ストッホルムの島の1つ「スターズホルメン島」を占めている。『古い街』を意味し、他に「橋の間の街」(Staden mellan broarna)と呼ばれることもあるとWikipediaに書いたありました。  上の正面に見えているガラムスタンにある大聖堂(Storkykam)となっています。


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北欧らしく一つ一つが大きな建物ですが、統一感があって街が綺麗に見えます。
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ノーベル賞の晩餐会が開かれる事で知られるストックホルム市庁舎(Stadshus)となります。毎年ノーベル賞の記念晩餐会が行われる場所で多くの方がご存じの建物と思います。ナショナル・ロマンティシズム建築の傑作としても知られるそうですが、それ程古い建物ではなくて、1909年から1923年にかけて建築されたとのことです。

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30年以上前の写真をスキャナーで取り込んだのですが、画質が悪くて済みません。一応上の「青の間」(写真)ではノーベル賞晩餐会も開催されます😓
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歴代のスウェーデン国王が眠るリッダーホルム教会です。13世紀にフランチェスコ会修道院を改築して建てられています。こちらは歴史が古そうです。丁度ガムラスタンの端の方にあります。

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僅かな滞在で夕方にはストックホルムからフィンランドのヘルシンキに豪華客船に乗り込み一晩の滞在クルーズの移動となります。

2022年5月 8日 (日)

1990年ノルウェーの旅4(公園)

1990年に出かけたデンマーク・ノルウェー・スウェーデン・フィンランドの旅行の写真を記載しました。次回行く機会があれば旅行記をしっかりと書いてみたいと思います。 取り敢えずな懐かしい写真をスキャナーで取り込んで載せてみました。

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私の頭の整理のためにもノルウェーについて書いてみます。ノルウェーは立憲君主制国家ですので、国王がいます。日本の天皇のように政治的なものは内閣にまかせています。象徴的な存在なのです。日本では女性天皇をどうするかの議論あるのですが、ノルウェーでは憲法にて「女子が王位を継承した場合には、女王に属する」と既に定められています。
EUには非加盟ですが、NATOには既に加盟しています(ウクライナ危機の中これまで中立だったスェーデンとフィンランドがNATO入りを検討)。男女平等が浸透しており、徴兵制(19から44歳の間に1年兵役義務)に対しても、2015年からは女性にも義務が課せられ、NATOでも唯一男女ともに徴兵対象となった国となっています。これに関しても凄いなと感心するのは「男女同室の兵舎で生活するとのことに関して、女性兵士の圧倒的多数で賛成している」とのことです。男女差別の甚だしい日本では考えられないことです。これは男性だけでなく日本の女性の意識も変えないと解消されないと考えています。

1990年に出かけた時に既に北欧は福祉国家のイメージでした。その後日本もこのような社会になって欲しいと思いながら経過を対比しながらみて来ました。この30年で日本は経済国家にはなりましたが、基本的な自由や福祉や男女平等は置いてきぼりの状況となり、少子化も進みその差も更に進んでしまいました。 私が時々日本の現状を憂いて話をすると「日本をバカにしているとか、日本人を貶める意見」と非難する方もいます。 しかし嫌なことに蓋をすれば進歩がありません。
ノルウェーは人口は500万人程の小国ですが、1人あたりのGDPは世界第4位(日本24位)。 色々な機関のランキングでは世界の報道自由度ランキイングで世界1位(日本71位)、国民の健康と繁栄を示す人間開発指数第1位(日本24位)となっています。 日本人は北朝鮮などと比べて安堵するのではなくて世界に目を向けてもっと改善すべき点を素直に認めて、もっと幸福度の高い国になって欲しいと希望するのです・・・旅行記とは直接関係ありません、今も昔も北欧に対する考えは変わりません。
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オスロ観光はこのフログネル公園(Frogner Park)が有名です。フログネル公園は首都オスロの都心部から3㎞北西にある都市公園で32万㎡の面積があります。18世紀に貴族の別荘地であった土地をオスロ市が1896年に買い上げ、公園として整備したそうです。日本人からすると緑豊かな市内で、こんな大きな公園を作らなくても十分な気もしましたが😅。 ヴィーゲラン彫刻公園、ドッグラン、テニスコート、バラ園、博物館等様々な施設があるオスロ市内最大の公園となっています。

この公園には200以上の彫刻が置かれているのですが、それらの作品の全てがノルウェーで最も有名な彫刻家グスタフ・ヴィーゲランただ一人の作品となっています。これらの彫刻は「人生の諸相」を表現していると言われ、様々な人間の表情をみることができます。 年間100 万人以上が訪れるノルウェーを代表する観光地で、大型バス用の駐車場も整備されています。


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121人の人物が折り重なった塔「モノリス」は、この公園のシンボルであり、復活や精神性を表現しているそうです。

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「怒った子供の像」;この公園の散策中に最も笑ってしまったのが、この作品でした。ちんちん出して怒っても怖くありません😃 もしかしたらこの公園で1番人気の銅像かも知れません。
この公園をしばらく散策してホルメンコーレンジャンプ競技場(Holmenkollbakken)へ移動しました。
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<ホルメンコーレン(Holmenkollbakken):1952年冬季オリンピック>
ノルウェー、オスロ郊外のホルメンコーレン地区に位置するラージヒル(K120m/HS134m)のジャンプ競技場でノルディックスキーの発祥地であるノルウェーにおける代表的な競技場であることから、ノルディックスキーの聖地とも称される場所となっているようです。最初に作られてから現在までに19回改築されたとネットには書いてあいましたので、1990年の写真のあと何度も改築されたのかも知れません。先ほどネットでみたらだいぶ変わっていました。今では貴重な写真かも知れません。
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この時はジャンプ台の高さまで登らなかったと思いますが、学生時代に訪ねた札幌の大倉山のジャンプ台の頂上に立った時には「よくこんな高い場所からジャンプ出来るもんだと」感心しました。飛ぶと言うより落ちて行く感じでした😅

2022年5月 1日 (日)

1990年ノルウェーの旅3(バイキング博物館、コンチキ号博物館、民族博物館)

1990年に出かけたデンマーク・ノルウェー・スウェーデン・フィンランドの旅行の写真を記載しました。次回行く機会があれば旅行記をしっかりと書いてみたいと思います。 取り敢えずな懐かしい写真をスキャナーで取り込んで載せてみました。
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ベルゲンからフィヨルド観光後ファーゲルネス に宿泊し、バスと電車でノルウェーの首都オスロに到着。現在のオスロの人口は約65万人だそうです。

オスロの小高い丘の上に位置する王宮は、現国王ハーラル5世夫妻の居城として使用されているそうです。色使いなどは北欧らしい感じがしますし、緑も多く広々としていました。観光客以外に地元の方の憩いの場になっているかもしれません。

調べてみると月曜から金曜の13時半からは衛兵の交替セレモニーが行われていて、多くの観光客がその見学のために陣取っているとのことです。ただ私のアルバムには衛兵の交替の場面はありませんでしたので、時間が合わなかったと思います(記憶にすらありません😢 もしかしたら当時は衛兵の交替セレモニーはなかったのかも知れません

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<バイキング博物館>
ノルウェーと言えばバイキングでしょって訳でもないですが、直ぐにバイキング博物館を訪ねています。想像以上に船が大きかったことにビックリした記憶があります。(この旅行の時に最初の旅行先がデンマークでしたが)いわゆるヴァイキングにはデンマークとノルウェーからの2系統があり、西洋諸国ではデンマークから来たヴァイキングを「デーン人(Daner,Dane)」と呼び、ノルウェーのヴァイキングは「ノース人(Norsemen,Norse)」と呼んで区別したようです。

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かつては北海からヨーロッパ各国に人々を震え上がらせていたヴァイキング。映画やドラマなどでみるバイキングは独自の文化を築いていたように感じました。 映画やドラマの影響でしょうか私に取ってはヴァイキングといえば、原始宗教を信じ、スカンジナビア地方を根拠地として最先端の港運技術を元に海軍力を活かして北海やバレンツ海を放火略奪などの殺戮行為を専らにした海賊というイメージが強いのです。

まあ今で言えば海からの略奪者集団ですので歓迎されなかったと思います。しかし彼らは海賊という側面と地中海までの南ヨーロッパを含めた通商船団であったとの側面もあります。ヴァイキングが活躍した9〜12世紀にこのような広大な地域の交易に携わったことで、ヨーロッパ圏の色々な文化の交流に一役かった側面もあると考えられています。またヨーロッパ各地にその後定住してフランス東部にノルマンディー公国を、イタリアではヴァイキングの末裔が南イタリアを統一したりと様々な場所でバイキングの痕跡を見つけることが出来るとのことです。

「ヴァイキング博物館」の目玉はヨーロッパ各地を侵略した9世紀頃に造られたバイキング船3隻の展示にあります。上の写真はオーセベリ船です。1,000年以上たっても保存状態良く発見されたのは、ヴァイキングの首長たちが亡くなった際に、死後も首長を守るという目的で、木材が腐りにくい粘土の山中に埋められたためだと言われています。寒い地域だったから更に保存状態が良かったのだと思います。船と一緒に身の回りの品々も一緒に埋葬されたために貴重な資料となって展示されたいました(交流はないと思いますがエジプトのファラオと交差してしまいます)。

先ほど「オーセベリ船」と書いたのは展示された3隻にはそれぞれ発見された場所の名前が付けられています。1867年に最初に発見されたのが「トゥーネ船」です。1867年の発見時は考古学が未熟だったため、発掘作業中に激しく損傷し船体は断片的な状態です。次に、1880年に発見された「ゴクスタ船」は全長24mと3隻の中では最大。1904年に発見された「オーセベリ船」は、全体の9割以上に元の木材を使用し、修復されて展示されています。船には龍や蛇などをかたどった装飾がされており、身分の高い人、おそらく女王の遺体とともに埋葬されたと言われています。


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<オーセベリ船 (ヴァイキング船博物館、オスロ)

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バイキング博物館の隣にはバイキングと何ら関係のなようなコンチキ号博物館があります。昔日本を含めて世界中で有名になったパルザ材を使ったコンティキ号の船による1947年の太平洋横断の記録になります。

ノルウェーの人類学者、海洋生物学者、探検家、トール・ヘイエルダー(1914~2002)は、1947年に筏船のコンティキ号にて漂流航海の実験を行いました。

ヘイエルダーは、南米の石像とポリネシアの石像が似ていることや、植物の呼び方が似ていることで、ポリネシアの人々の起源は南米にあるという論文を発表しましたが、当時の技術では船で行き来するのは無理だと学会の反対を受けました。これを受けて、南米のバルサ材を使ったコンティキ号を作り、1947年4月28日に5人の仲間と1羽のオウムと共に出発。曳航船によってフンボルト海流を越えてから、漂流を開始し、イースター島を目指します。出航97日目にポリネシア諸島の1つに辿り着きましたが、出航102日目にラロイア環礁で座礁しています。

この約8,000キロの漂流公開の記録をまとめた「コンティキ号探検記」は、世界62か国で翻訳され、大ベストセラーになりました。この冒険自体の業績は認められていますが、実際は航行機器やアマチュア無線を使って各地と交信したりしていたことや、強力な海流であるフンボルト海流を曳航船で越えてから漂流を始めていることなどから、これでは立証実験にはならないという批判が起こり、その後の研究により南米とポリネシアの関係性はなかったとされています。

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<コンチキ号博物館>
1947年イカダ船コンチキ号:ペルーからポリネシアまで航海

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実証実験は失敗ですが、チャレンジしたことや古代ロマンを駆り立てたために造られた博物館かも知れませんね。

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<ノルウェー民族博物館>
ノルウェー民俗博物館は、オスロの市街地から 5 km 離れたビグドイ半島にあり、中世の教会や農家など、ノルウェーの過去 600年間の歴史の中で造られた本物の建築物を展示する、大きな野外博物館となっています。なかなか他のヨーロッパ諸国とは違う建築様式で今でもこの不思議な形は覚えています。ノルウェー民俗博物館は、屋内の博物館と野外の展示スペースに150 軒以上もの歴史的建造物を展示しているそうです。屋外の広々とした場所にありますので散歩には丁度良いのかも知れません。

2022年4月24日 (日)

1990 年ノルウェーの旅2(ゾグネフィヨルド)

1990年に出かけたデンマーク・ノルウェー・スウェーデン・フィンランドの旅行の写真を記載します。次回行く機会があれば旅行記をしっかりと書いてみたいと思います。 取り敢えずな懐かしい写真をスキャナーで取り込んで載せてみました。
ゾグネフィヨルド(Sognefjorden)は30年以上経った今でもノルウェーの旅行の定番ルートになっているのでしょうか?

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<ベルゲン〜ミルダール〜フロム〜レブスネス〜ファグネス:フィヨルド観光>
1990年の旅行は那覇空港→羽田空港(→成田空港)→ロンドン→デンマーク(コペンハーゲン観光)→ノルウェーへ入国後オスロ観光となりました。この頃からヨーロッパ直行便が出た頃だったと記憶してす(その前は→アンカレッジ経由、その後は→モスクワ経由でした)。アンカレッジ経由の記事をブログに書いたのは2014年のロシアのクリミア併合でウクライナとロシアの戦争が起こったためでした。その後についてもう少し私もウクライナのことに注視すべきだったと反省しています。世界ももう少し感心を持っていたら今年のウクライナへの侵攻も防げたのかも知れません。残念です。(今回のロシアの侵攻でウクライナの支持を早期に出したバルト三国は独裁者からの解放をいち早く成し遂げ、小国を守るためにNATOにも加盟しています。興味のある方は→「バルト三国自由への願い」の記事も読んで頂けたら嬉しいです)

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随分前の旅行ですので、最近のGoogleMapを見ながら、旅行した順を記入してみました。おおよそ上図のように進んだようです😅

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ベルゲン駅から大凡2時間程度かけてミュルダール駅に到着します。長閑な地域をノンビリと進むようです。

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<フロム駅:フロム鉄道(ミュルダール:Myrdal〜フロム:Flam)>
ネットで調べてみるとフロム鉄道は世界でも有数の急勾配を走る鉄道のようです。このフロム鉄道は、今回の旅行の出発地の西のベルゲンと首都のオスロを結ぶノルウェーの幹線ルート上にあるミュルダールを始発としています。電車を乗り換えてフロム鉄道に乗り換えます。駅からも広大なノルウェーの自然を味わうことが出来ました。この駅の風景は今でも覚えていますので、余程強烈な印象だったと思います。
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フロムまでの山岳地帯の約20kmを1時間かけて結ぶ鉄道で1940年に運行が開始されたそうです。急勾配の山間部を走るために路線は曲がりが多く、途中で20のトンネルを通過する必要があります。ただ乗っている方としては色々と移り変わる車窓からの眺めは旅人達を飽きさせることがありません。
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ミュルダールを出てしばらくすると小さなKjosfossen 駅に停車しますが、直ぐ近くにショース滝 Kjosfossenが大きな音を立てて流れています。観光客のためでしょうか、この駅では5〜10分の停車時間を設けていて、皆記念写真を撮るために降りていました。


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ベルゲンを出て、ミュルダールでフロム鉄道に乗り換え、ゾグネフィヨルド観光の玄関港フロム駅に到着しました。あいにくの天気ですがこれだけは仕方ないことです。
 
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フロム駅を降りると、これから乗る大型の客船が既に出発の準備をしていて、暫くは広大なフィヨルド観光となります。

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ゾグネフィヨルド海岸線から深く入り込んだ入り江の全長は204km。周囲には標高1,700mを超える山々が連なり、最深部の水深が1,308mにも及ぶ世界最大スケールのフィヨルドとのこと。ノルウェーのフィヨルド観光の中でも乗り継ぎの便利性やフロムの山岳鉄道やフェリーを乗り継いでの変化に富んだ旅が楽しめることから、一番の人気を誇っています。
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恐らく2〜3時間のフィヨルド観光とお思いますが、その後宿泊の「ファグネスホテル」に宿泊と1990年のアルバムには書いてあったのですが、最初はファグネス自体がが捜せません😢 しかし昔の写真の裏に「FAGERNES」と書いてあるのを発見! 日本語では「ファーゲルネス」と読むようです。それで検索したらこの場所が分かりました・・・こんな小さな発見も旅好きには嬉しいのです😍😍 
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ともあれ周りはとても長閑で美しいです。このような所で釣り竿を垂らしてのんびり1日過ごしてみたいです✨️
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ファグネスホテルで宿泊し翌朝オスロに向かいました。次回はオスロについて記載します。

2022年4月20日 (水)

1990 年ノルウェーの旅1(ベルゲン)

(しばらく旅行に行けないので今のうちに昔の旅行を少しまとめたいと考えています。昔のアルバムから写真を取り出してスキャナーで取り込んでいます。 次の旅行までしばらく以前の旅行先を紹介する予定です)
1990年に出かけたデンマーク・ノルウェー・スウェーデン・フィンランドの旅行の写真を記載します。次に行く機会があれば旅行記をしっかりと書いてみたいと思います。 取り敢えずな懐かしい写真をスキャナーで取り込んで載せてみました。
ベルゲンはノルウェーの玄関港でもあり、かつてはタラ漁にて繁栄した都市だったようです。街のあちらこちらにかつての繁栄の後が読み取れました。
Th__20210214121901コペンハーゲンからベルゲンへ北海沿岸なのでしょうか?

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ベルゲン市の眺望
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グリーグの家(トロールハウゲン)
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グリーグがその命を終えるまで22年間住んだというグリーグの家は博物館(トロールハウゲン)として公開されています。周囲を取り囲む広い庭園内ではコンサートホール、作曲小屋、お墓ばかりでなく、裏手にはフィヨルド風景も楽しめます。
グリーグの家
の裏にあるノルウェーの作曲家Edvard Grieg(1843~1907)の銅像。私は自分が写る写真を殆ど撮ったことがありません。グリークの銅像だけの写真が見つからず、とうとう私の全身像も入れることに😓 
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グリークの家から直ぐに海が望めるますし、直ぐに海岸線に出ることが出来ました。

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かつてタラ漁で栄えたベルゲンの港
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<ハンザ商人の館群
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ハンザ同盟時代にはドイツの商人が住んでいたブリッゲン地域にある商家(1704年建設)をハンザ博物館にしています。ハンザ同盟の商人達が使っていた倉庫や事務所や寝室などの部屋に、当時の家具や生活用品が展示されています。中の写真も撮ってあったのですが、ここに載せる事が出来ないボケボケな写真でした😢 鱈ななどが屋根のぶら下がっていた記憶があります。
 昔はデジタルではないために写真を撮って帰国後に現像してみたら失敗だったこともしばしばでした・・・今では考えられないですね。
ベルゲンの港に面した北東側の一角にあるブリッゲンはノルウェー語で「埠頭」を意味するそうです。ハンザ同盟時代にドイツから来たハンザ商人たちが居住を許可されたエリアでした。商人の事務所、商館、宿泊地として使用されたこのエリアは、当時の名残を残す建造物として1979年に世界遺産にも登録されています。

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街の中心でベルゲンで坂道の上にあるのがセントジョーンズ教会(St John’s church、Johanneskirkenです。内部は比較的シンプルです・・・と言う事はプロテスタント教会であると考えます。セントジョーンズ教会は赤色で塗られ壁に緑の突き刺すようにとんがった屋根が特徴です。(宗教 キリスト教プロテスタントのルーテル教会が多数派であり、ノルウェー国教会の所属が78.0%を占めている(2010年現在)とのことでした)。
あと4回にわたりノルウェーの旅行記を記載予定です。しばらくお付き合いください。

2022年4月17日 (日)

1989年エジプト旅行No5(ジェセル王のピラミッド、ムハンマドアリーモスク、カイロ博物館)

コロナの影響で3年間旅行に行けませんので、昔旅行したことのある場所をしばらくの間は記載して行く予定です。デジタルでない時代のは紙の写真はスキャナーで取り込んで紹介します。画質は悪いのですがそれなりに味のある写真が多いです😊。

1989年(平成元年)最後のエジプトの旅行記で、前後するために場所もバラバラとなっています🙇

(これまでのエジプト旅行の記載は→①No1(ギザの三大ピラミット)  ②No2(アブシンベル神殿)  ③No3(カルナック神殿・ルクソール神殿) ④No4(ハトシェプスト女王葬祭殿) )

 

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ジェセル王の階段ピラミットは、サッカラのピラミットとも呼ばれ、エジプトのギーザ県サッカラにあります。大きさは高さ62m、東西125m、南北109mの長方形の底面を持った石灰岩を積み上げたピラミットです。ギザの三大ピラミットとは違い、地下に玄室や回廊などが造られた構造となっています。

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もう場所も定かではありませんが、恐らくサッカラにある絨毯学校の前にあったスフィンクスの像です😅
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このラクダの子孫は今でも観光客相手に頑張っているのでしょうか?

この旅行の最後はカイロに戻って、帰国となっています。

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ムハンマドアリーモスク(Mosque of Muhammad Ali)ムハンマドアリパシャの大モスクまたはアラバスターモスクは、エジプトのカイロの城塞にあるモスクで、1830年から1848年の間にムハンマドアリパシャによって委託されました。
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あの有名なツタンカーメンの像が置いてあるエジプト考古学博物館(Egyptian Museum です。当時は内部は写真撮影は禁止でしたが、この記事を書く時にネットで調べたら、なんと一時期、撮影が許可されていたようです。ツタンカーメンの墳墓もみて来ましたので、あの小さな墳墓の中にカイロ博物館の2階の大部分を占めるほどの装飾品があったことに改めて驚愕致しました。(今書きながら気がついたのですが、英語名では単にエジプト博物館(or美術館)ですが、何故日本ではエジプト考古学博物館(英語ならArchaeological Museum)にしたのでしょうか?)
2021年にはエジプトギザに「大エジプト博物館(Grand Egyptian Museum:GEM」として新装オープンするようでそうです。いつか行ってみたいです。この博物館は日本からの資金援助や技術援助も大きいようです(開館した後は日本人なら大手を振って見学出来そうです、威張っていいわけではありません😊)。実際は写真撮影はどうなんでしょうか?(現在もオープンに向けての最終段階のようです。英語のホームページには2022年9月か10月オープン予定と記載されていました)

2022年4月10日 (日)

世界を夢みて(285):2013年クロアチアの旅の最終日

20代30代の時には1年に1回だけ休みを取って7〜10日の旅行をしました。大学病院を離れて民間病院の再建、移転の時期になり全く休むことさえ出来ない状況となっていました。2013年クロアチアの旅行は14年ぶりに再開した海外旅行となりました。旅行中はもちろんのことですが、旅行前も旅行後も楽しめるのが旅行の利点だと考えています。実際に今現在2013年の旅行記を書きながらもう一度旅行を楽しむことが出来ました。 本当に旅は良いものだと思い出させてくれた旅行でした。

2013年の旅行も最後の1日となりました。

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モンテネグロのコルトを日帰り旅行をして、再度クロアチアのドブロブニクに戻りました。もう既に日が暮れて暗くなっていました。名残惜しくて朝まで遊んでいたい気分です😃😅
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当時は小さなデジカメしか持って行きませんでしたので、夜の景色は上手く撮ることが出来ません。それでもこの美しい街の雰囲気は伝わって来ます。
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ドブロブニク旧港の周りには沢山の土産品店やレストランなどが建ち並んでいます。流石に有数な観光地でこの時間帯でも多くの観光客で溢れていました。
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外にテーブルを出しているレストランをみるとやはりヨーロッパに来たという思いがします。恐らく日本のように雨などが多くないから出来ることでしょうか?
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旧港の近くのレストランで旅行最後のディナーです。食事に疎い私は料理の知識もありませんし、何を食べても美味しいので料理の味のコメントも出来ません😅 最近は少し気にかけて写真を撮っても良いかと聞いて偶に食事の写真も撮ることにしています。
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最後の最後まで街歩きです。ドブロブニクの旧市内から離れた場所のホテルでしたので、これが見納めです😢
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宿泊ホテルは海岸沿いにあるリゾードホテルでした。もう後は帰るだけですしいつものようにお土産もなくスーツケースの荷造りも済ませて、朝食前にビーチの散策に出かけました。
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まだビーチ内には誰もいませんでした。このような所にノンビリ止まりながらドブロブニク観光を楽しめたらいいでしょうにね😃

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いよいよ帰りのドブロブニク空港です。今日も晴天のようです。
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スーツケースを預けてドブロブニク空港よりフィンエアーにて11時出発し、ヘルシンキに15時着。
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マリメッコとコラボしたフィンエアのナプキンが懐かしいです😍
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ヘルシンキ空港から17時15分に出発し、翌日の9時45分成田着となりました。それから羽田空港へ移動し、昼過ぎに羽田から那覇空港へ出発し、夕方那覇に到着。そのまま職場に顔を出して自宅には20時頃帰宅です。 

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楽しい旅の思い出と共に、明日からの通常勤務に備えました。このクロアチアの旅は最後に旅に出て14年ぶりの旅行でした。旅はやはり良いものです。 それ以降は毎年1回の旅行を楽しみに土日も休みなしに働いていたのですが・・・まさかのコロナで旅行に行けず😂😂😂・・・俺の青春(違った、俺の老年)を返してと叫びたくなります😅・・・2022年は旅行に行けたらいいな😍
・・・クロアチアは私の想像以上に歴史・文化、美しい地形と街並みが多く、もう一度訪ねたい国になりました。その為にも世界が平和でありますように🙏 

2022年4月 3日 (日)

世界を夢みて(284);2013年:モンテネグロ(コトル)No2

前回の続きです(→モンテネグロ:コルトNo1)

モンテネグロは、ヨーロッパ南東部、バルカン半島に位置する共和制国家で旧ユーゴスラビアに属する国家でした。バルカン半島の複雑な歴史を歩んだ国家で人口も64万人程度の小さな国家です。2006年6月3日に独立を宣言し、21世紀に独立を果たした国家とされています。クロアチアの人気の観光地ドブロブニクから車で3時間程度ですので、ドブロブニクのついでに訪れる方が多いと考えます。またアドリア海から客船で訪れる方も多いようです。


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小さな国ですが、中世時代から栄えたコルトの街はとても美しく、「コトルの自然と文化歴史地域」として1979年にユネスコの世界遺産に登録されています。特に街の丘に登り、入り組んだ港には、巨大なクルーズ船が入港するところが見えて来ました。今ではこのように世界中から多くの観光客が押し寄せる世界遺産として認知度が徐々に高まっているとのことでした。

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市内の広場から山側を観ると、外敵から街への侵入を避けるために、小さな万里の長城のような城壁が山の上まで続いているのが見えて来ました。ガイドブックによるとここに登ることが出来て、コルト湾を眺望出来るとのことでした。

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市街地を散策すると、案内板もあり、ここの門を通り、山の上の城壁へと向かうことが出来ます。最初に入った旧市街の正門から真っ直ぐ奥に歩いて行ったところにあります。ここを通ると受付があり、そこで入場料(8ユーロ?)を払います。ただと思っていましたが、ここまで来て登らない手はないと思い早速歩き始めます。時間もない中で早足で歩くことに😓

ちなみに頂上まではなんと1,300段以上もあるそうで、さすがにそれは厳しい(時間的にも体力的にも😊)なと思いましたが、帰りの時間を見ながら辿り着けるところまではと登り始めました。


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上の写真の場所は比較的傾斜が緩いのですが、上に登るにつれ傾斜も強いので時間がない中では結構キツいかも知れません😢

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このような景色を眺めると、やはり上るべき場所だと思います。入り組んだコルト湾に巨大な豪華客船が2隻見えました。これだけの大きな船がコルトまで入れるということは、この湾は元々氷河によるフィヨルドなのかと調べてみたら、フィヨルドではなくてリアス式海岸の1部とのことでした。

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1隻に何千人か乗れる客船でしょうから、同時に入港すると小さな街は観光客でごった返すことになるのでしょうね?
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コルト湾にもう一隻巨大な客船が入港して来ました。いつかはこのような船で地中海、アドリア海、エーゲ海などを回ってみたいです。

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息を切らしながら、どうにか右手の教会(救世処女教会)の上までは来ました。この風景は旅行の前からチェックしていたポイントでした。晴れていて本当によかったです✨️ 写真を撮って帰りの時間までは、坂道を猛ダッシュです😅。なかなか出かけることは少ないと考えると登って良かった眺めでした。 本当はこれからもっと上まで昇りたかったのですが断念です😂😢 この街で1泊出来たら、この場所に朝夕立って移り変わる光の変化をみてみたいです。想像するだけでもう一度訪ねたくなる場所となりました。

2022年3月30日 (水)

1989年エジプト旅行No4(ハトシェプスト女王葬祭殿)

(2022年3月30日は第5水曜日となりFM放送「いきいきタイム」は医療情報ではなく私の音楽特集となりますので、ブログの医療ネタもありません。以前書いた昔のエジプト旅行の続きを記載致します→(前回)エジプト旅行N03:カルナック神殿、ルクソール神殿

1989年のエジプト旅行の続きを記載します。勿論当時はデジタルカメラなんかありませんので、撮影後日本に帰って現像したら写っていなかったなんていう失敗もありました。 久しぶりにアルバムの中から何枚かをスキャナーで取り込んで載せてみます。

ルクソールに到着後、カルナック神殿とルクソール神殿を観光し、そこからバスにてハトシェプスト葬祭殿に向かいました。1980年代までイスラム原始主義などもあまり聞くこともありませんでしたし、エジプトやトルコなどのイスラム教国はヨーロッパ旅行よりもむしろ安心だというイメージがありました。実際に歩いていてもいわゆる神の恵みを的な呼びかけはありましたが、ものを盗まれたり、危害を受けるような心配は少なかったように感じたのです。

私が旅行から帰って8年後の1997年にルクソール事件が起きてしまいました。ハトシェプスト葬祭殿にてイスラム原理主義派の「イスラム集団」が外国人観光客を狙った無差別殺傷テロ事件でした。観光業で成り立つエジプト政府への財源を断つ手段として選ばれました。その事件で日本人10名を含む外国人観光客58人と警察官2名、エジプト人4名が犠牲になったのです。 その後の世界は宗教間の分断や国家間の争いが頻発してしまっています。これから先、安心、安全に旅行が出来るようになるのか不安でもあります。

長くなりましたが、当時は安心だと考えていたエジプト旅行です。

この建造物は葬祭殿ですので死者のためのものです。ですからナイルの西側になっています(カルナック神殿やルクソール神殿は生きた人のための神殿ですので、ルクソールのナイル川の東側に位置しています)。

遠くからこの神殿をみると、これまでのエジプトの建造物とは異なるような直線的で近代的な外観でした。現在の建築でも通用しそうな感じです。ハトシェプスト女王は古代エジプト唯一の女性ファラオで、その側近の建築家センムトが設計したとのことです。



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崖を利用した建物は3階建ての、3つのテラスで構成された直線的な建物です。長いスロープも特徴的です。2階にはハトホル女神の礼拝堂があります。ハトシェプスト女王は平和的なファラオだったようで、壁画にも戦争の光景ではなくて、貿易の様子があったり、プント(現在のソマリア)から持ってきた樹木などが描かれています。残念なことにハトシェプスト女王が亡くなると義理の息子トトメス3世がファラオに即位します。トトメス3世は生前から仲が悪かった女王に関する記載を削り取ってしまい、残っていないのです。残念ですが、歴史上の問題ですので仕方ありません。人間はなかなか進歩しないようです😢


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南方の国プントとの交易図、ハトシェプストの誕生伝説のレリーフなどが残されています。この葬祭殿の壁のレリーフの色が色鮮やかに残っているのがとても印象的でした。天空を飾る青い色彩と星は今でも色々なモチーフにされています。
このハトシェプスト女王葬祭殿の山を挟んだ向こう側に有名な「王家の谷」があります。

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ツタンカーメンの墳墓の入り口にある看板です。私が訪ねた時はまだオリジナルのツタンカーメンの墓に入ることが出来ました。観光客が増えて観光客の蒸気で内部にカビが生えて保存状態が悪化したとのことで、直ぐ横に同じ様な作りのレプリカを作る構想がでていました。出来上がった後は本当のお墓は閉鎖され、観光客は新たに造ったレプリカの墓の中に入るようになっているそうです。 当時の内部の写真は残っていませんので、撮影禁止だったのかも知れません。現在はどうなんでしょうか?まあ本物ではありませんが・・。
(時々医療ネタや生け花のネタがない時には昔の旅行の写真を追記しる予定にしています、これからも宜しくお願いします。)

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