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旅行・地域

2025年11月 9日 (日)

パステイシュ・デ・ベレン(Pastéis de Belém)で朝食を!

昨日夜に羽田⇨ロンドン⇨リスボンに到着後、ジェロニモス修道院の隣にあるジェロニモス8と言うホテルに宿泊しました。ホテルに朝食付きのプランもあったのですが、あえて素泊まりとしました。 それは朝食をパステイシュ・デ・ベレン(Pastéis de Belém)とう老舗で取るためでした。

前回紹介(⇨早朝のベレン地区散策)したように、早朝あまり人がいない時間帯でベレン地区を散策して、パステイシュ・デ・ベレン(Pastéis de Belém)が開店する8時に合わせて店の前に着きました。

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 <店内を紹介する前に、有名なエッグタルトが生まれた経緯を説明したいと思います>

エッグタルトは、18世紀初頭にポルトガルのリスボンにあるジェロニモス修道院で、修道士が余った卵黄を無駄にしないようにと考案したのが始まりです。

それは当時、修道服の糊付けなどに卵白を大量に利用したため、卵黄だけが余ってしまう事態になりました。余った卵黄に砂糖、クリームなどを加え、カスタードタルトが作られた

修道院で生まれたお菓子は、修道院を訪れた王族や貴族をもてなす献上菓子としても広まった。そのため門外不出のレシビとして扱われることとなっていました。

修道院菓子が一般へと広がるきっかけとなったのは、1820年に起こった自由主義革命。1834年に施行された修道会・教団の廃止令により、ジェロニモス修道院の修道士・修道女たちも修道院から追放されます。 

住居と仕事を失った彼らは、生活の糧を得るために近所でパステイシュ・デ・ナタ(ポルトガルではエッグタルトではなくてナタと呼ばれいます)の販売を始めました。今でもこのレシピはこの店で受け継がれているとのことです。これが元で1837年にこのパステイシュ・デ・ベレン(Pastéis de Belém)のお店が開業となっています。ここから世界中で食べられているポルトガルを代表するお菓子となって広がっていったのです。

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この店がジェロニモス修道院の隣にあるパステイシュ・デ・ベレン(Pastéis de Belém)となります。まだ開店前ですのでほとんど人はいません。


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お店の暖簾にも1834年以来と書かれています(ポルトガル語desde⇨英語sinceだそうです)。
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写真を撮りながら歩いていると10名ぐらいの方々が店内で食べるための列を作っていましたので、私たちも並ぶことに。 上の写真の手前側が店内で食べるための入り口となります。奥の方の入り口はテイクアウトなどができる店舗となります。
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時間通りに店員が中からドアを開けてくれて、皆が入ることに。 壁に貼ってあるメニュー表を見るとナタ以外にも沢山のメニューがあるようです。
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店内は多くの装飾タイルで覆われてとても綺麗な店内です。
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最初に個人まりとした静かなスペースがあり、私たちの前の方々はこの場所で席を取っていました。
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その左奥が厨房で、実際に焼き上がったタナが並べられていました。お店の方にも許可をもらって写真を撮っています。中の方が私に笑顔で手を振っている写真もあるのですが、流石に顔がどアップされていましたので今回は載せませんでした。
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日本でも有名な「エッグタルト」ですが、ポルトガルでは「パステイシュ・デ・ナタ(pastéis de nata:複数形。単数はパステウ・デ・ナタ(pastel de nata)」と呼んでいます。ナタ(=クリーム)のパイ系の軽食・おやつ、という意味だそうです。 ポルトガルの植民地だったマカオでもよく食べる食材で「エッグタルト」と呼んでいます。それが日本にも伝わっために、日本人にはナタよりもエッグタルトで知れ渡ったのかもしれません。

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ここだけで1日に2万個作るとのとのことです。世界中の観光客や地元の方にもすごく人気の高い商品です。
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その奥には厨房と通じるドアがあり、そろそろ注文で忙しくなるようです。

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私たちは写真を撮りながらさらに奥に進むと広々とした場所に出ました。かなり沢山の席が用意されていましたが奥の方はこれから来る団体客の予約席となっていました。まあ誰もまだいないので適当な席に座ることにしました。
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壁に飾られたタイルも美しいですね。
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ものすごく人気のあるお店ですが、入り口の狭さからは想像できませんでしたが、奥には広々としたスペースと多くの客席があり、行列が出来ても程よく入れるのかも知れません(実際はわかりません)。
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建物がこの字型になっていて間が外の空間となっています。ここも朝イチでは入れないようになっていました。
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すぐに係の方がメニュー表を届けてくれました。もちろんナタがメインで注文しました。本当は後一つ朝食用にCoxas de galinha(鶏肉を使ったコロッケ風の揚げ物)注文したのですが、時間がかかるよと言われたのでキャンセルして、ナタとカフェオレを頂くことに。
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表面がカリッとして中はジューシー。思ったより甘くないクリームです。なんといっても作りたてで暖かく香ばしい香りが広がっています。私たちは2個づつで十分でした。普段からよく食べる方なら4個とかでも大丈夫かもしれませんね。
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机の上にはお砂糖やシナモン、チョコなどが置いてありました。これをかけることで味や甘みを変えるそうです。私はこのままで十分でした。 他の場所でもナタを食べてみました。頭の印象操作のせいなのか本当かは私の味覚ではなんともいえませんが、暖かくてここで食べたナタが1番美味しく感じました
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次の予定が近づいて来たのでトイレに寄ることに。入り口のタイルも綺麗です。
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パステイシュ・デ・ベレン(Pastéis de Belém)の中の状態が大きな写真に貼ってあります。
・・・さてさてここはどこでしょうか?🤭・・・・ヒントは先に進むと下の写真となります。

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ここは男性用トイ入れの中の壁となっています。これぐらい綺麗ですと汚さないように気をつけてしまいますね😅  女性のトイレはどうなっているのでしょうか? 

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会計を済ませて、出ようとすると色々と販売されている通路に面した店舗側にでます。
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美味しそうな食品が並べられていますし、ワインやオリジナルグッズも売られているようです。
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店内ではなくてお持ち帰りの方はこの入り口から店に入り、購入できるようです。時間のない方はここでテイクアウトしてあとで食べるのもOKかも。
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テイクアウト側の入り口です。私たちが店に入る時にはこの窓口はまだ開いていませんでした。

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上の写真はこの店を出たあとジェロニモス修道院などを見学後の11時ごろの写真です。やはり人気店だけあって行列が出来ているようです。それでも外見よりテーブル席は広かったのであまり待たずに入れるのかも知れませんね。皆様方もせっかくベレン地区に来たらこの店発祥のナタを賞味してくださいね❤️‍🩹

2025年11月 2日 (日)

早朝のベレン地区散策(ジェロニモス修道院・発見のモニュメント・ベレンの塔):貴重な1992年の写真も追加

早朝のベレン地区散策(ジェロニモス修道院・発見のモニュメント・ベレンの塔):貴重な1992年の写真も追加

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那覇→羽田(前泊)、羽田⇨ロンドン・ヒュースロー⇨リスボンと移動し、夜にリスボン到着でした。リスボンでは郊外の旅行を含めて3日間滞在予定としました。まず初日に中心部より少し離れたベレン地区を早朝から散策する計画を立てました。そのために到着日はジェロニモス修道院の隣にあるホテルに宿泊地として選びんでいます。
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朝食はホテルのすぐ近くのエッグタルト(ナタ)で有名なパティシエ・デ・ベレンで食べる計画です。そのためホテルは素泊まりとなります。そしていよいよ旅行開始となります。
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ポルトガルでも最も有名な世界遺産であるジェロニモス修道院やベレンの塔は9時30分開始です。その時間帯からは一気に観光客が増えてくることが予想されます。 誰もいない時間帯を散策できるのがこの宿泊地を選んだ最大の利点だと考えています(まあ旅の目的は各々違うので利点もちがいますが・・)
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このホテルは1泊ですので出る前に荷造りは済ませ、早朝7時前にホテルを出ました。 わずかに夜が明け出してバスなども運行したようですが、観光客の姿はここにはありません。世界遺産ジェロニモス修道院もこれから観光客を待ち受ける前の静けさです。
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すごく長い建物で上の写真では手前側がジェロニモス修道院、ドーム上の屋根のある部分がサンタ・マリア教会となります。
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修道院とテージョ川の間にあるイベリオ広場から眺める修道院は全体像も見えて美しいビューポイントとなります。
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夜明けの風景が印象的でした。
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この広場から発見のモニュメントやベレンの塔があるテージョ川河口との間には幹線道路が走っています。車も少ないので横切ろうとしましたが、ちゃんと地下通路がありました。
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誰もいないので恐る恐る降りて行きましたが、やはり中も誰もいません。たしかに多くの観光客がジェロニモス修道院と発見のモニュメントを行き来しますので、このような通路は必要不可欠だと思いました。
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地下通路から地上に出ると、目の前に「発見のモニュメント」がドンと待ち構えています。
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33年ぶりの再会です。昔訪ねた時に「命をかけて新大陸や世界各地へと出発した人々」の姿を想像して感動したことを思い出しました。

発見のモニュメント(Padrão dos Descobrimentos)は、52メートルの高さのコンクリート製で、キャラベル船の船首の曲線に似せて設計されたとのこと。エンリケ航海王子没後500年の記念行事として1960年にコンクリートで再度制作されたと言うことで新しい記念碑となっています。ですのでこれはジェロニモス修道院やベレンの塔と違い「世界遺産ではない」のです

彼は記念碑の先頭に立って世界に繋がるテージョ川を見つめています。エンリケの後方に、その他の同時代の探検家、芸術家・科学者・地図制作者・宣教師らの像が続き、東西両面に約30名のポルトガル人の像が彫刻されています。

私は入ったことがありませんが、記念碑の内部にある小さなスペースには、リスボンの歴史を展示しているそうです。記念碑の頂上(エレベーターで上がれる)に登ると、眼下の世界地図の全体像が見えますし、ベレン地区やテージョ川の素晴らしい眺めが楽しめとのことです。いつかは登ってみたいです。

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彼らの勇気ある行動が新大陸を発見したのですね💖

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記念碑の東側と西側では人物が違うようです。上の写真が東側となります。先頭はヘンリケ航海王ですが、それから上から順にアフォンソ5世 - 大航海時代の王、ヴァスコ・ダ・ガマ - インド航路発見者、アフォンソ・バルダイア - 騎士、ペドロ・アルヴァレス・カブラル - ブラジル発見者、フェルナン・デ・マガリャンエス(フェルディナンド・マゼラン) - 初めて世界一周を成し遂げた、ニコラウ・コエーリョ - 航海士、ガスパル・コルテ=レアル - 航海士、マルティン・アフォンソ・デ・ソーザ - 航海士、ジョアン・デ・バロス - 歴史家、エステバン・ダ・ガマ - 大航海時代の船長、バルトロメウ・ディアス - 喜望峰を初めてまわりインド洋へ到達、 ディオゴ・カン - コンゴ川に到達した最初の人物、アントニオ・デ・アブレウ - モルッカ諸島に到達した最初の人物、アフォンソ・デ・アルブケルケ - ポルトガル領インド第2代総督(副王)、フランシスコ・ザビエル - 日本へ1549年にキリスト教を伝道した宣教師、 クリストバン・ダ・ガマ - 航海士・騎士・・・となっています。

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東面の下から2番目が日本でもお馴染みのフランシスコ・ザビエルとなります(☝)。

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西側は東側とは違う人物像となります。先頭のヘンリケ航海王の後から順にフェルナンド聖王子- ジョアン1世の王子、エンリケ航海王子の弟、ジョアン・ゴンサルヴェス・ザルコ - 騎士、ジル・イアネス - 航海士、ペロ・デ・アレンケーレ - 航海士、ペドロ・ヌネス - 15世紀の数学者、ペロ・デ・エスコバール - 航海士、ジャコメ・デ・マイオルカ - 天文学者、ペロ・ダ・ゴビリャン - 15世紀の冒険家、陸路でインド到達、ゴメス・イアネス・デ・ズラーラ - 作家、ヌノ・ゴンサルヴェス - 15世紀の画家、ルイス・デ・カモンイス - ルネサンス期の詩人。航海者を著作『ウズ・ルジアダス』で讃えた、フエレイ・エンリケ・カルバーリョ - 神学者、フェルナン・ゴンサロ・デ・カルバーリョ - 神学者、ドナ・フィリパ・デ・レンカストレ - ジョアン1世の王妃、エンリケ航海王子らの母、 ペドロ・デ・コインブラ - ジョアン1世の王子、エンリケ航海王子の兄・・・・となっています。

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先頭だけは東西とも先頭で船を持っているのがヘンリケ航海王となっています。

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Wikipediaに名前の載った画像がありましたので載せておきます。
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発見のモニュメントから世界遺産のベレンの塔へと向かいます。上の写真の右側がテージョ川となります。奥に見える長い橋は「4月25日橋(葡: Ponte 25 de Abril)」で、リスボンとテージョ川対岸のアルマダとを結ぶ、長さ2,277 mの吊橋です。

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ベレンの塔に向かう途中のトーレ・デ・ベレーン庭園の中に突然飛行機が展示されていました。この記念碑は、1922年にポルトガル人パイロット(サカドゥラ・カブラルとガゴ・コウチーニョ)が南大西洋を横断した初飛行を記念して建立されたそうです。この飛行はブラジル独立100周年を記念して行われました。記念碑は、この偉業を成し遂げた飛行機の実物大レプリカとなっています。

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ベレンの塔を今のデジタル写真で綺麗に残そうと思っていたのですが・・・大規模な工事中・・・それも大がかりな柵で被われていて・・・今回の旅行でこれが一番ショックでした😢 😂 😹 😭 ・・・
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ベレンの塔はリスボンのベレン地区にある塔で、「リスボンのジェロニモス修道院とベレンの塔」の構成資産として世界遺産リストに登録されています16世紀にマヌエル1世によって作られたテージョ川の船の出入りを監視する目的の要塞として建立されました。現実的な要塞でありながら芸術性の高い建築物でもあるのです。1515年に着工し、5年後の1520年に完成した要塞は、6層からなるマヌエル様式の塔となっています。上の写真のようにメインの6層からなる塔が全部覆われていました😂  天球儀や、ロープ、海草、貝など船や海に関したマヌエル様式の装飾が随所に施されています。

 またベレンの塔の地下には潮流により海水が入り込む水牢が設けられ、政変のたびに高位高官が数知れず幽閉されたという牢獄としても使用された時期があったそうです。

 

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泣きそうになりながら(笑)らも取りあえずベレンの塔の周りを一周したのですが、やはり絵になりませんでした。
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旅行から帰ってきた後に、昔のアルバムを引きずり出して、ベレンの塔の写真を確認出来ました。1992年に出かけたのでした。そりゃ!私も年を取る訳です。左に僅かに写った車を見ると年代を感じさせてくれます。


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当時はもちろんデジタルではなかったのでフイルムを帰国後現像してアルバムに貼っていました。久しぶりにスキャナで取り組んで画像処理をしてみました。私が写った写真もありましたが当時は髪の毛もフサフサでした。私の風貌は変わってもベレンの塔は全然変わらずに美しい姿です(今回見えてはいませんが)。
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この塔をぐるっと縛り付けるようにしている飾りは船などに使うロープをイメージして作られたようです。
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単純な要塞だけならこのような細かな装飾をつける必要もないでしょうが、新大陸から持ち込まれた金や財宝、香料なとによる莫大な富を得たポルトガルは財政的に余裕があったのだとうと推測される一面です。
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改めてみると、飛行機が写っていました。今は統合計画があるポルトガル航空便なのでしょうか? 橋の上を歩く家族連れの服装をみても時代を感じるのは不思議な気分です。

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散策を終えてジェロニモス修道院に戻りながら、有名なパティシエ・デ・ベレンで朝食を取ることにしました。次回はこのお店を紹介致します。

2025年10月26日 (日)

2025年ポルトガル旅行記(LHR到着からリスボンのホテルまで)

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最高の旅を提供してくれたANAの座席ともお別れになります。
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羽田から14時間のフライトでロンドンヒュースロー空港までも後わずかになって来ました。
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眼下にいかにもイギリスらしい街の風景が見えて来ました。 いつもはテムズ川あたりが見えて写真を撮るのですが、今回はCAさんと最後のお喋りに夢中になって忘れてしまいました。彼女達もすぐに着席して着陸態勢の準備となりました。少しで機内業務も終了となることでしょう(お疲れ様でした🙇)。 楽しい会話を提供してくれて感謝です💝
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今回は羽田空港で羽田ーLHR間の旅券だけでなく、同じスターアライアンスのポルトガル航空によるロンドンーリスボン間の旅券も通しで発券して頂き、預けのスーツケースもリスボンで受け取れることになっています。

ANAはロンドンヒュースローの第二ターミナル到着です。乗り換えまで2〜3時間ありましたので、空港内を散策してからラウンジに入ることに。 ロンドン乗り継ぎはマイルは使っていませんので、直接ポルトガル航空よりエコノミー席を確保しています。 一応スターアライアンスのGold会員のため、スターアライアンスのラウンジには無料で入ることが出来ます。

ロンドンには4つほどあるようですが、1番近いロンドン・ヒースロー空港(LHR)のルフトハンザビジネスラウンジに少し入ることにしました。 色々と食事や飲み物もあるようですが、ジュースとクッキーを頂いて、ラウンジを後にしました。

 

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パネルの運行表に出発の搭乗口が案内されていましたので、ラウンジを出てポルトガル航空の搭乗ゲートに向かいました。その途中に上のような写真が提示されていて、これを見るとロンドンに来たな〜と感慨深くなります。 The Beatlesは永遠です🤭
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その奥には今度はデビット・ボウイの写真もあり、廊下を歩くだけでなんとなくウキウキしてしまいます。
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搭乗時間より少し遅れて機内へと進みました。結構混んでいてほぼ満席、余裕で写真を撮ることは出来ない状況でこの間の写真はありません😅

TAPポルトガル航空はロンドンを18時45分に出発しリスボンに21時25分到着となっています。出発も到着も30分遅れとなりました。 私たちの席より前はビジネスクラスでしたのでこの短い時間でも機内食がちゃんと出るようでした。

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33年前に一度リスボンには来たのですが、その時にはスペインから電車で、帰国時も朝でしたので機内からリスボンの夜景を見るのは初めてです。
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街の灯りと海やティージョ川の光のない部分のコントラストより際立って美しい眺めです。
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入国審査や荷物の受け取りも問題なく行うことが出来、いよいよポルトガル入国となります。ポルトガルは基本的にヨーロッパでも安全性の高い国ですが、パスポートを含めて貴重品は油断することがないように自分に言い聞かせることが大切です。
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今回は夜の到着でしたので、事前にホテルまでのタクシーをBooking.comを通して手配しました。これがいいのが搭乗のエアラインと時間を予約時に知らせておくと、遅延してもこの飛行機が到着後1時間は確実に待って頂けることがあり安心感があります。 
出口付近の指定された場所には、タクシー案内のブースがあり掲示板に予約の名前が張り出されています。付近に2〜3名の係の方がいて「これが自分たち」と名乗ればタクシーの運転手に連絡してがここまで迎えに来てくれます(英語やポルトガル語が出来なくても示せば大丈夫です)。 係の方から15分ぐらい待ってと言われましたが10分ぐらいでは運転手さんが到着して、すぐ近くのタクシー乗り場から出発できました。
ただこれ以降はUberが便利で安いのでタクシーを利用はなかったです。なおポルトガルでの配車アプリとしてUber以外にBoltがありましたが、最後までUberだけ利用したのでBoltについては分かりません。ポルトガルは供給過剰で値段が他のヨーロッパと比べて安いです。
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今回は翌日の早朝からベレン地区の散策を予定のためジェロニモス修道院の隣の「ホテル・ジェロニモス8」を選びました。窓からジェロニモス修道院が見える立地条件です。
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どのように旅程を組むかで、ホテルの立地条件は重要だと思っています。翌朝からリスボンの観光名所のベレン地区を堪能できるのはやはりありがたいことです。
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次のブログからはいよいよポルトガル観光の始まりとなります。次回もよろしくお願い致します。

2025年10月19日 (日)

ANAファーストクラス搭乗(羽田⇨ロンドン)No2

前回の続きです(⇨ANAファーストクラス搭乗(羽田⇨ロンドン)No1

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今年はANAのマイルを使った特典航空券でファーストクラスの席をゲット出来ました。豪華すぎて私にはこの素晴らしさをお伝えすることが出来ないです🙏
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ファーストクラスですのでCAさんが最初に挨拶にこられて「すぐに着替えをしたり、スリッパに履き替えるかどうか」を聞いてくれます。わざわざスリッパも袋から出して並べてくれていました。
・・・これは私のやり方ですので嫌味に聞こえたら申し訳ありません。 ファーストクラスを乗られる方がすぐに備え付けのパジャマに着替えたりスリッパに着替えたりする光景を見ることがありますが、あまり賛成出来ないのです。 飛行機は最高に安全な乗り物だと考えています。しかし100%ではありません。アクシデントの多くは離発着の時間帯で起きます。 そのため私は少なくとも安定飛行に移るまでこれまで靴を履き替えたことがありません。何かあれば直ぐに行動できます。 飛行機に乗るのですから最初から少し余裕のある服装で乗ってくると思いますので、パジャマに着替えるのは寝る前か安定飛行に入った後にすればいいと思います。ファーストクラスでは上下のパジャマを提供してくれますがパジャマが着て来た服よりかっこいいとは思えません🙏・・・

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機内で少しでも時差を調整するために、海外に出かけるときには機内に入った時点で時計を「現地の時間」に合わせています。 ある程度の時間になっためにCAさんに声をかけて「これから寝ようと考えています」と伝えて着替えを済まして来ました。 本当は自分でベットメイキングぐらいはしたいのですが、これもCAさんの仕事ですのでお願いして頂きました(↑ ありがとうございます💝)
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観音開きの扉を閉めると完全個室(上は空いていますが)の状態となります。最近はやりの個室使用です・・・機内でここまでやる意味があるのか疑問です。 乗客の立場から隣の人と目が合わなければこれで十分ですし、ドアが半分開いている方がクルーの皆様方も中の状況が見て取れて対応がやりやすいと思うのです・・・なんか文句だけ言っているようになってしまいました🙇 至れり尽くせりで最高ですのであえて言っているだけです(笑)。
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4時間ほど寝て後は外を眺めたり、巨大なモニターでいま飛んでいる位置情報などを見ながら過ごしています。 横になりながらこのようなことが出来る贅沢を存分に味わうことが出来るのです。ビジネスとの違いはサイズが大きいので足元も広々で自由に寝返りがうてる広さがあることでしょうか。
値段ではなくて座席の利便性を考慮すると、ファーストクラスビジネスクラス>>>プレエコ>>エコノミーという気がしました。
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北回りの路線ですと、自転との関係で「水平線に太陽が出たり沈んだりを繰り返す時間帯」があります。これを眺めながらとうとう今年もヨーロッパ旅行が出来るのだと感慨に浸る時間です。
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地球と飛行機の追いかけっこです。この時期より少し後ですとオーロラが見える確率が増えるかも知れません。機内からオーロラは随分昔に見えたことがありましたが写真は撮れませんでした。
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ロンドンの時間で朝の9時頃になったのでフルフラットの状態から起こして旅行の計画のおさらいをしました。このような時には「起きてますよ〜」とアピールするためにドアを半分開けておきました。 客室乗務員さんも気づいてくれて「何か飲み物でも」と声をかけてくれます。 
朝日を見ながら飲む機上のコーヒーは格別美味しいのです😉
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実は寝る前に食べた機内食が多すぎて最後まで食べられずにいました。 起きたら続きを食べますと伝えてありましたので、朝の食事ではなくて寝る前の続きの和食のメインディッシュとなります(☝)
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普段飲むことがありませんが、まだ到着までに時間がありましたのでおすすめのワインを頂くことに。
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もう暫くすると北極圏近くでは「オーロラ」が見えて来るかも知れませんね。
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グリーンランドなどの上空を飛ぶと眼下に高い峰峰と大きな氷河がいくつも見えて来ます。これを見るのもまた楽しみの1つです。スイスなどでの氷河も大迫力ですが(☞スイスの氷河)、まだ周りの山肌を削らないせいかあるいは人の手が殆ど入っていないせいもあるでしょうが純白の氷河が見えて来ます(氷河に黒色のスジ状の帯が見えません)。
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次第にロンドンに向けて南下してくると氷河が海に流れ、次第に陸から離れた氷塊が海に浮かんで来る景色へと変わり、次第に氷の世界ともお別れになります。
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北極圏までは水平線に太陽が見え隠れしますが、南下して行くにつれて明るくなって行きます。もう現地時間の昼過ぎですがまだ多くの座席は扉が閉まった状態でした。
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圧巻と言えば圧巻ですが、思わず「小さな牢獄」だとも思えて苦笑いです。
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あと2〜3時間でロンドン到着で、もう一回食事が出るのですが私はお腹も余りすいていませんのでサイドメニューを貰うことにしました。 ヨーロッパに行くとラーメンを食べる機会が少ないと思いラーメンにしました。 これも実に美味しいです。
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最後は果物を貰うことにしました。普段食事の写真を撮ることがないので、上の写真も少し食べた後で思い出して撮りました・・・左側のスイカが1個食べられた後です😅
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間もなくロンドン到着となりました。 ヨーロッパへの長距離フライトは「エコノミーはとにかく我慢」「プレエコは少しの辛抱」「ビジネスは嬉しい」「ファーストはまだもう少し乗りたい」でした。
もちろん今回も「もう少し乗っておきたい」と感じる最高のサービスでした。ANAさん有難うございます🙇

2025年10月15日 (水)

ANAファーストクラス搭乗(羽田⇨ロンドン)No1

(今日は第3水曜日ですので会議の為ラジオ放送の担当ではありません。そのため医療ネタもありません。何もないよりは旅行記の続きを記載したいと思います。宜しくお願い致します。)

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人生初のANA SUITE LOUNGEを経験した後、時間が来ましたので、搭乗口へと向かいました。
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窓際には多くの乗客が待っていましたが、まだ搭乗の入り口に人はいませんでした。
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もう並ぶことがないかも知れないファーストクラスのGroup1の列となります。
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出発時間の45分前ぐらいからはスタッフも慌ただしくなりました。案内があり乗客も続々とならび始めました。 やはりGroup1の列も既に10名ほど並んでいて、この方々は仕事で世界中を駆け巡っているダイヤモンド会員の方々と考えます・・・実際は大変でしょうが私も仕事で世界中を駆け巡りたかったです(私には無理です😅)。 
列に並びながら地上スタッフの方がこの列の方1人1人に「お体の不自由な方を先にご案内しますので少しお待ち下さい」と声をかけていました。 日本らしいと言うのでしょうか、そんな当たり前のことを案内しなくてもいいのではと思ったのですが・・・もしかして俺様が一番先だろうと言う方もいるのでしょうか?
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どこから乗っても指定席ですので同じですが、JALもそうですがANAもわざわざファーストクラスだけは前方のボーディングゲートからの案内となります(⇨JALファーストクラス搭乗記)。
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先ほど前に並んでいた方々は企業戦士のダイヤモンド会員の皆様のようで、このレーンを歩むのは私が初めてだったようです。マイルさまさまです(感謝、感謝です)🙏
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窓からパイロットの皆様方が見えました。これからの14時間の空の旅宜しくお願い致します。
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全日空の羽田ーロンドン間はボーイング777-300ERの新仕様機(4クラス212席)が使用されています。この機材には、ドア付きの個室型ファーストクラス「THE Suite」が導入されています。贅沢なことに全部で8席しかありません。今回は私を合わせて4名の方が乗っているようでした。


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今回1Aの座席となります。なんともまあ!豪華な客席です✨️
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ANAの新しいファーストクラスシートは「THE SUITE」呼ばれる完全個室になるタイプとなっています。ANAのホームページによると「西川とのコラボクッションを採用し居住性と機能性を追求した新しいファーストクラスシート。シートのドアと個室型のシェルによりプライベート感を確保しながら、ゆとりある特別な空間でお過ごしいただけます」と記載してある通りの落ち着いた造りとなっていました。

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普段お酒を飲まない私も旅の始まりにはウェルカムシャンパンを頂くことにしています。これを飲むと旅の始まりを実感致します。
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座席配列は1−2−1の2列の合計8席です。上の写真は中央の席となっています。ここも中央の仕切りをあげて、入り口を閉めると完全個室ともなります。
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正面には43インチの巨大なモニターが搭載されています。改めて大きな画面ですし、座席から距離もありますのでこの大きさは老眼の私にとっては有り難いです。
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日本の空港で見かける風景ですが、世界でこのように離陸の飛行機を見送って手を振るスタッフは少ないと思います。 若かりし頃はどうせ見えないしと思っていましたが、この年になると素直に手を振り返すことも出来るようになりました。「有難う!、行ってきますね🙋」
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機上の人となりました。しばし日本ともお別れです。
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一応アメニティを紹介致します。機内では特に使用することもなく持ち帰りで自宅に帰ってから写真を撮りました。
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ちょっと変わっていたのは茶色の皮製のコイン入れがあったことでしょうか?
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客室乗務員さんは3名いらして、わざわざ挨拶に来てくれました。 慣れない私に対しても色々と教えてくれました。素敵な方々です。 客室乗務員さんとの会話が色々出来ることがファーストクラスに乗る一番の利点かも知れません。 それだけ洗練された方達でした😍 揺れる飛行機内で上手に注いでくれています。流石プロ中のプロですね。
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普段食べることがないような素晴らしい食事が運ばれて来ました。
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今回和食をオーダーしたので、本来は洋食につくキャビアは頂けないかも知れません。 CAさんからキャビアは如何ですかと聞かれましたので、もちろん(味は余り分かりませんが😅)頂きますと答えたら瓶ごと持ってくれました。
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前菜は蛸旨煮、もろこし真丈、酢取り茗荷、穴子寿司、アスパラ黄身酢、ばい貝旨煮大根・・・だそうです。
名前を見ても凄いです。 まあ味音痴の私に取っては「美味しいです」としか表現出来ません😢
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私には勿体ない料理です。上手な方なら美味しさを色々と表現出来ると思いますが、私が書いても信用度は低いので記載しません😊
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これから小鉢や主菜、ご飯類が運ばれることになるのですが、お腹が既にいっぱいになったためにここで一旦中断しました。
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ヨーロッパ時間にあわせて一旦寝ることにしました。CAさんにも一旦寝て起きた後に食事の続きをしたいことを話して休む体制にしました。
長くなりましたので次回に続きます。

2025年10月12日 (日)

ポルトガル出発(羽田:ANAファーストクラスラウンジ)

2025年のヨーロッパ旅行は久しぶりにポルトガル(+サンディアゴ・デ・コンポステーラ)旅行となります。私たちのように沖縄に住んでいると東京や関空から出発の場合は余分に1回飛行機に乗らないといけません。

今回はマイルでANAの羽田ーロンドン間をファーストクラスで確保できましたので、那覇を出た瞬間から旅行モードの突入となります(笑)。実は2022年の旅行もANAのファーストクラスを確保できたのですが、機材変更によりその夢も一瞬で消えてしまいました(⇨2022年の旅行)。今回はギリギリまで心配でしたがちゃんと乗ることが出来ました😉

仕事を終えて19時過ぎに那覇空港にタクシーで向かい相方と待ち合わせして最終便で羽田へと向かいました。

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ANAの国際便は羽田の場合第二ターミナルの集約されていますので、ここに一番近い「羽田エクセルホテル東急・羽田空港第2ターミナル内」に前泊しました。 
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前泊と言っても時間の余裕はなくてホテルでのんびりできず写真もあまり撮りませんでした。

シャワーを浴びて寝る時間は午前1時となり、翌朝は6時過ぎに起きてホテルを7時出発です。

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このホテル滞在の最大の利点はホテルを出た場所が羽田第二ターミナルとなっているところです。 今回も小さなスーツケースを転がしながらいよいよ待ちに待った旅行が始まるとテンションが上がります。
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ホテルを出た手前が国内線で奥に国際線の表示が見えて来ました。右手のエスカレーターから上の階へと向かいます。
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朝の7時過ぎですがカウンターでの受付の列が出来ています。 今回マイルを使ってですがファーストクラスをゲットできましたので、受けつも奥にある専用のカウンターに入ることが出来ます。ANAの赤い絨毯(☝)の向こうから入ります。
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 中に入ると先に1組いらしていましたが、全部で専用のカウンターが8列あるようです。上の1番め2番めは使用中でしたので誰もいない6.7.8の受付カウンターを写真に収めました(↑)。 今回も電車やバスの移動を考え機動性重視で私たちのスーツケースはそれぞれ7kg程度でやはりファーストクラス向きではないようでした。横のカップルのスーツケースはリモアのデカいスーツケースで、1個で私達の4個分以上の重さがありました。移動が大変だろうなと最近は思うようになってしまいました。
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ロンドン経由でリスボンへの便は同じスターアライアンスのポルトガル航空にしました。羽田ーロンドン、ロンドンーリスボン間のチケットも羽田で発券してもらいました(ロンドンーリスボン間はエコノミークラスで別途購入しています)。
制限エリア内のANAスイートラウンジの説明を受けたあと、いよいよ出国手続きへと向かいます。受付を出てすぐにこれも専用のファストトラックが準備されて荷物検査、出国手続きもすぐに終了です(↑)。 ファーストクラスの実力をまざまざと見せつけられる瞬間の一つです。 
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制限エリアで特に買い物もないのでラウンジに向かうことに
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今回初めて『ANA SUITE LOUNGE」へと入ることになります。未知の世界を見るのは興味深いです。

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受付して入る階が4階の広々としたラウンジとなります。
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多くの方が記載しているように「和の特徴」を活かした竹の使い方が斬新です。JALのファーストクラスラウンジとは同じ「和」でも様相が随分と違います(⇨JALのファーストクラスラウンジ

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お酒好きな方のとっては嬉しくなるような銘柄が揃っていると思いますが、お酒のことを知らない私にとっては「凄いですね」としか言いようがありません(全く飲めないわけではなくて飲む機会と飲もうとする気力がないだけです😅)。
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時間帯もあるでしょうが奥にはゆったりとしたスペースがありましたが利用者はまばらでした。
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4階のラウンジですが、食べるものも結構置いてありました。本格的に食べなければこの階で十分かもしれません。
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昨日は仕事から直行で最終便に乗って羽田に来ましたので、まともな食事をとっていませんでした。4階フロアではなくて3階のダイニングルームへとエレベータで降りて行きました。
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ここは4階と比べて結構多くの方が食事をとっていて窓際の席は空いていませんでした。造りや人の混雑さや品数に関しては申し訳ないですがJALのファーストクラスのラウンジとは見劣りがしました(ANAが悪いのではなくてJALが利用人数に比べて素晴らし過ぎただけです☞JALファーストクラスラウンジ)。
現在ファーストクラスのある路線は少なく、それも最大8名ですので「ANA SUITE LOUNGE」の利用者の多くはダイヤモンド会員などの上級会員やその同伴者かも知れません。
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見劣りすると知ったかぶりで言っていますが、この写真のような酒類のラインアップを見せられると凄いことに間違いはありません。最高級のラウンジです。
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QRコードでも頼めますが、座った席が有人のカウンターの隣でしたので食べたいメニューを注文する席まで持って来てくれました。
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ヨーロッパ旅行を考えるとやはり日本食の朝ごはんがいいと思い注文したのが上の写真です(昨日は夕食を取らずに飛行機に乗り込んだのでお腹ベコベコです)。
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羽田空港のANAファーストクラスラウンジ(ANA SUITE LOUNGE)では、シェフがその場で調理してくれる「シェフサービス」が提供されており、メニューの中から選んで注文することができます。空港内のラウンジとは思えない風景です。 私の様なものには勿体すぎるサービスです😢
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もう二度と入ることはない(?)ANA SUITE LOUNGEですので、シャワールームも写真を撮るために覗くことにしました。ネットで時間指定をするか直接シャワールームの係の方に空き時間を聞いてもいいかも知れません。私は前日に予約をしました。 夕方の便などの場合はさっぱりして搭乗してもいいかも知れません。

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時間が近づいて来ました。 またいつかマイルが貯まって挑戦できたら入りたいと考えます(無理かな😅)。
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次回は羽田ーロンドン(ボーイング777-300ER)のファーストクラス搭乗を紹介したいと思います。

2025年10月 5日 (日)

2025年ポルトガル+サンディアゴ・デ・コンポステーラ(スペイン)の旅の始まりです。

2025年のヨーロッパ旅行は30年ぶりにポルトガルを中心に訪ねることにしました。ポルトガルは日本人にとっても身近でなんとなくホッとする国の一つです。やはりヨーロッパの国の中で初めて日本に入って来たポルトガルの影響は計り知れないほど大きいと思います。 
ただヨーロッパ大陸の最西端の国ですので日本からみると一番遠いユーラシア大陸の国です。今のところ日本から直行便はありませんので、ヨーロッパや中近東経由で行くしか方法はありません。飛行機が発達して近くなったとは言え往復に時間(時に沖縄ですともう一回余分に飛行機を乗る必要あり)がかかる国です。
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旅行記の前に少しだけ<ポルトガルと日本の関係>をおさらいしたいと思います。


ポルトガルは16世紀に日本に渡来し、特に戦国時代から江戸時代初期にかけて、日本の文化、社会、経済に多大な影響を与えたことは学校の教科書でもよく知っている事実で、その影響は「南蛮文化」として知られ、技術、宗教、食文化、言葉など多岐にわたります。

1:技術

A:鉄砲の伝来: 1543年にポルトガル人を乗せた中国船が種子島に漂着し、火縄式鉄砲が伝わりました。当時の戦国大名たちはこの新兵器を戦いに取り入れ、織田信長をはじめとする多くの武将が天下統一のために活用しました。日本の火薬技術や鉄砲製造技術は急速に発達し、戦国時代の戦い方を大きく変えるきっかけとなりました。

B:活版印刷: イエズス会の宣教師によって活版印刷術がもたらされ、西洋の書物や宗教書が印刷されました。

 

2:宗教

  キリスト教(カトリック)の伝来: 1549年にイエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸し、キリスト教の布教を始めました。九州を中心に多くの大名や民衆が改宗し、キリシタン大名も登場しました。日本人が初めてヨーロッパの地を踏んだのもポルトガルで天正遣欧少年使節の少年たちでした。 彼らのことは日本よりもヨーロッパのキリスト教の国々で知名度が高いほどです。

 

3:文化・食文化(これは現代にも繋がっていますね🤭)

    言葉: 日本語には今も日常的に使われているポルトガル語由来の言葉が数多くあります。

        食べ物: パン(pão)、カステラ(castella)、金平糖(confeito)、てんぷら(têmpora、一説あり)など。

        その他: カルタ(carta)、コップ(copo)、ボタン(botão)、シャボン(sabão)、じょうろ(jarro)など。

    食文化: ポルトガルから伝えられた食文化は、日本の食生活に大きな影響を与えました。特に、それまで薬用とされていた砂糖が菓子に使われるようになり、カステラや金平糖などが広まりました。この辺りはポルトガルの方も知っている方が多いようで、日本から来ましたと言ったら「カステラ」「コンペイトウ」「テンプラ」は同じだよと言われたほどでした。

 4:美術: 南蛮文化の影響を受けた美術様式が「南蛮美術」として発展しました。屏風に描かれた南蛮船や南蛮人の様子は、当時の異国情緒を今に伝えています。

5:学問: 西洋医学、天文学、地理学、航海術といったヨーロッパの学問が日本にもたらされました。

 

・・・まあ色々とありますが、なんとなく遠いけれど懐かしさも感じるヨーロッパの国です・・・・

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今回もいつものように必死に(⇨必死にするのが旅行ではないと思うのですが😅)駆け巡る旅行になりました。まだまだ色々見たいところが多くのんびりとする旅行が出来ていません。 早くリタイアしてのんびりとした旅がしてみたいです🤭
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ポルトガルだけでもまだ見たいところはあったのですが、最後はスペインの世界的な巡礼路の1つサンディアゴ・デ・コンポステーラも回る旅にしました。これまで4度ほどスペインに行ったのですが、主な旅行先からコンポステーラは遠くて行けなかった場所です。巡礼路を歩く旅でもないとなかなか行けない場所の一つです。
2025年のヨーロッパ旅行も大きな事故やトラブル、病気もなく無事帰ってこれました。全てに感謝です❤️‍🩹
これから1年かけてポルトガルについて記載予定です。これからもよろしくお願い申し上げます🙇

2025年9月30日 (火)

イタリア旅行帰国(ヴェネチア⇨ミュンヘン⇨関空⇨那覇)

今回で2024年のイタリア旅行記の最後となります。次回からは2025年の新たな旅行記を記したいと思います。また一年よろしくお願い致します。


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前回の動画の水上タクシーでサンマルコ広場から空港まで向かいました。
ヴェネリア・テッセラ空港(マルコ・ポーロ国際空港)は個人まりとした綺麗な空港でした。朝が早いせいか比較的人も少なく出国手続きも済んでラウンジで朝食を取りほっとしたところです。
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まずはヴェネチアから経由地のミュンヘンへと向かいます。この区間はLCCですがスターアライアンスのゴールド会員はラウンジに入ることが出来ます。
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本朝は早くから行動していましたので、ラウンジで朝食を頂きました。
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ヴェネチア・テッセラ国際空港は別名マルコ・ポーロ国際空港とも呼ばれるだけあって私達も知っているマルコ・ポーロの絵がラウンジの前に飾られていました。
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小さな空港ですので、旅客数としてはイタリアで4番目に多い空港とされています。待たされることはないかと期待したのですが・・・・
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本当は国際線の乗り継ぎ時間は最低でも2時間は確保すべきだとこれまでの経験上も考えています。しかし今回は日本からロンドンまではマイルを使って乗ることが出来たのですが、復路はマイルでの席を確保できませんでした。 
私の場合は沖縄に到着後翌日からは普通に手術などが組まれていました。そのため眠れるビジネスクラスを考えていましたが、実に値段が高騰しているのです😢 コロナ以前と比べると2倍以上に高くなっています。
ずっと探すながでポツンと格安のビジネスクラスが出ていました。 ヴェネチアからミュンヘン経由関空の便でした。 他の日系の便と比べて半額程度で2席だけ空いていました。即購入です。 しかし大きな懸念点はミュンヘンでの乗り継ぎ時間が50分となっているのです。 かなりやばいかもと思いながらも値段の誘惑に負けてポチってしまいました😅 この後はちょっと後悔。
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国際線の最低乗り継ぎ時間は、航空会社や空港の契約状況によって異なり、「ミニマムコネクティングタイム(MCT)」と呼ばれるのがそれぞれの国際空港でおおよそ決められています。これはあくまで物理的に乗り継げる最低時間となります。
遅延リスクを考慮し、一般的にはMCTに1時間以上の余裕を持たせ、全体で3時間から4時間程度を目安に計画することが推奨されます。特に大きな空港では、国内線から国際線への乗り継ぎでは180分(3時間)以上、国際線同士でも3時間以上見ておくと安心です・・・このようなことは知っているつもりですが、なかなか出ない安さのチケットでしたのでポチってしまったのです(反省)。

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ミュンヘンの飛行場は比較的コンパクトで使いやすい飛行場とのことです。昔使ったことはありますが記憶に残っていません。今回はミュンヘンがシェンゲン協定国の最後となりますのでミュンヘンで出国手続きが必要となります(イタリア(ヴェネチア)からミュンヘンは国内移動と同じ扱いとなります)。
ネットで色々と調べて到着したらどの順序で走ればいいかどうかを何度もシュミレーションを行い臨むことにしたのです(笑)。


なんとなんと始発のヴェネチアからミュンヘンへの飛行機がこともあろうことか「出発が50分遅れ」・・・周りの方もソワソワしていますが「私の方はもう完全に諦めムード」・・・ヴェネチア空港ではLCCですのでカウンターで事情を話して帰国便を変えるかどうかも迷いました。 もうダメでしょうからミュンヘンからは全日空ですので、そこの窓口で変えた方が良いと判断し、遅延の50分後に飛行機に乗り込みました。
とりあえずミュンヘンに降りてからは、最速で出国手続きを行い、かなりの距離を息が切れて酸欠状態(笑)になりながら走り続けました。
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なんと全日空のミュンヘン発関空行きも遅延したようで「遠くから最後の方は入るのが見えて」いる状況でした。私達2人は最後に機内へ入ることが出来たのです🎊 🎉・・・今回は神様が許してくれましたが次はないと反省しきりです。
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ともあれ次回からはやはり原則に従ってミニマムコネクティングタイム(MCT)から1時間以上余裕を持つべきだと反省しました。
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今回のイタリア旅行での最大の難所を通過できて素晴らしい旅の思い出を乗せて帰国の途につきました。
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走り疲れて足も頭もグタッとなった状況でしたが、やっと疲れが取れて頭の興奮も冷めて冷静になれました。
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眼下にドイツの広大な農地が見えて来ました。
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ビジネスクラスでありがたいのは、この「ウエルカムシャンパン」が頂けることです。普段飲まない私も旅の飛行機ではこれをまず頂いて旅行頭に切り替えています。
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今回の旅行でも地元のスーパーなどで食材を買って宿泊施設で食べることが多かったのですが、久しぶりの和食はやはり美味しいです。
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ご飯に漬物・・慣れ親しんだ味はやはり美味しいです😆
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1時間近く遅れた出発でしたが、関空にはほぼ予定通り到着となりました。
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沖縄に住んでいる私たちにとってはあと一回飛行機に乗り込まなければいけません。予定通り到着して、私はこのまま午後に職場へ出かけて書類などに目を通して翌朝からは通常の勤務となりました。 
1年後の2025年はマイルで往復とも最高の座席が取れましたので、次回からは新たなヨーロッパ旅行記を記載いたします。改めてまた1年間よろしくお願い申し上ます。

2025年9月28日 (日)

水上タクシーでヴェネチア市内から空港まで移動(動画)

前回の続きで水上タクシーからの眺めを動画にしてみました。

2024年のイタリア旅行はこれまでにない充実した旅行を経験することが出来ました。本当に感謝したいと思います🙇‍♀️🙏  

直前までは水上バスかヴェネチア本島の入り口にバスで空港まで行こうと考えたのですが、時間的に街が綺麗になる早朝にヴェネチアを離れるのは勿体無いと考えて水上タクシーを予約しました。お陰で早朝の街歩きも出来ました。水上タクシーからの眺めが想像以上に最高でした。

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旅の最終日、前日の夜中まで街歩きをし、早朝にはまた街歩きをしました。それほどヴェネチアは絵になる世界でした。
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サンマルコ広場の近くで水上タクシーと待ち合わせしました。7時20分の待ち合わせでしたので5分前に着いたら運転手さんはもういらしていて直ぐに出発となりました。
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運河の発達した街や海からの要所だった都市は水平線(船の上)から見るのが美しいと言われています。ヴェネチアもやはりその一つでした。
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日が出てしばらくの間は空も街も刻々とグラデーションが変化する美しい時間帯です。
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直ぐに外洋に出るのかと思っていましたが、このように街の中を通ってくれました。嬉しいハプニングでした😍
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次第に船は速度を上げて、街を離れると結構なスピードで走って行きました。それが乗っている私たちには爽快で楽しい時間でした。
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あっという間にヴェネチア国際空港に到着。奥に飛行場の管制塔も見えてきました。
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なんと乗っている正味時間は25分程度でした。素敵な運転手さん有り難うございました。
〜*〜*〜(動画を見て頂けたら幸いです)〜*〜*〜

 

2025年9月23日 (火)

ヴェネチア出発の朝

素晴らしい旅だった2024年のイタリア旅行も帰国の朝を迎えました。最後の1泊がヴェネチアのサンマルコ広場に接したホテルでしたので老体に鞭打って(笑)夜中まで街を散策し、早朝も街歩きをしました。 
夜明け前のヴェネチアも静かで穏やかな顔を見せてくれました。
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昨夜で荷物はまとめていましたので、少し寝てホテルから出てサンマルコ広場から最後の街歩き出発です。 あれほど賑わっていた広場も早朝は殆ど人の姿を見ることはありません。
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多くの観光客を乗せたであろうゴンドラも今日の出番に備えて寝床に付いています。
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ほのかな街の光に少しだけ空が明るくなって来ました。
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ヴェネチアらしいお着物の数々。三十数年前に買った仮面の置物は今でも私の部屋にあります。殆ど旅行の買い物をしたことがないので貴重な品となっています。
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ヴェネチアでも1番人気なリアルト橋も人はまばらです。 私自身が写真を撮られるのが嫌いなので旅行の写真も人が入らない時間はありがたいです。
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昨夜の24時を超えた時点でも多くの観光客がこの橋桁に立っていましたが今は誰もいません。
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早朝から水上バスや水上タクシーなどは運用されています。早朝移動の観光客にとってはありがたい存在です。
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誰もいないリアルト橋を撮ることはもう無いのかも知れないと対岸にも渡って写真を撮りました。
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徐々に夜が明けて来ました。そろそろホテルに戻って空港に向かうことにしましょう。
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今回宿泊のホテルからの最後の眺めです。
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ホテルを出て運河に向かいます。
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今回は水上タクシーを予約して、空港に向かうことにしました。ヴェネチアの空港にはヴェネチア本島の入り口近くのバスターミナルを利用する方が多いと思います。私たちの泊まったサンマルコ広場からは船でそこに向かう必要があります。歩いては橋が多くて荷物を持っては無理だと思います。 定期の水上バスも便利だと思い、そのことを考えていました。 
ヴェローナの宿泊を入れたためにヴェネチアは1泊となり、最後の最後まで街歩きの時間が欲しかったのと水上タクシーからの眺めを堪能したかったために前日に予約を取りました。 予定時間に指定の場所に着くと既に私たちを待ってくれていました(イタリアでもこのあたりは時間通りで助かります)。
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中はゴージャスな革張りのシートの水上タクシーです。
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やはり水の高さから見る「水の都」ヴェネリアは格別です。
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(途中景色を省きましたが次回動画で紹介したいと考えています)

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空港到着です。最後の最後まで楽しめました。水上タクシーの運転手のダ🙆デさんからは写真を撮ってもいいよと許可はもらっていますので載せたいと思います。最後まで有り難うございました。

*次回は「水上タクシーからのヴェネチアの風景」の動画を創りましたので記載したいと思います*

より以前の記事一覧