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2026年6月

2026年6月14日 (日)

コインブラ(大学以外の西地区)探索

コインブラ(大学以外の西地区)探索

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モンデゴ川から山手側の旧市街へ入る場所に、ポルタジェン広場があります。正面に見える細長い建物が、前回紹介した私たちの宿泊ホテルです。町を流れるモンデゴ川は、エストレラ山脈を源とする美しい川で、コインブラの町並みに落ち着いた雰囲気を与えていました。



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この広場の一角にある小さな建物は、「CDショップ兼くじ売り場」となっています。以前、テレビ番組『世界ふれあい街歩き』の冒頭で、この店の常連客のおばあちゃんが「くじに当たって皆んなで旅行に行った」と話していた場所でした。
「あっ、本当にここにあった」と、少し嬉しくなりました(笑)。
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モンデゴ川沿いの平地は町のメイン通りとなっていて、菓子店や土産物店などが立ち並んでいます。観光地でありながら騒がしさはなく、どこか落ち着いた雰囲気でした。

コインブラは大学の町として知られ、住民の多くがコインブラ大学やその卒業生、あるいは大学関係者と何らかの関わりを持っているそうです。さすが学問の町だけあって、治安もよく、明るく穏やかな印象を受けました。

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通りを歩いていると、このような彫刻が目に入りました。コインブラはリスボンとは一味違う、ファドの町でもあります。コインブラのファドについては、次回あらためて記載する予定です。
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さらに通りを歩いていると、山手側へ続く道がありました。せっかくなので、門をくぐって中へ入ってみることにしました。
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の角にも、ファドで使われる弦楽器を模した銅像がありました。よく見ると、楽器と一体になった美しい女性の像です。なんともセクシーで、素敵な女性像でした。
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裏に回ると、これまた可愛らしい後ろ姿が見えました。ちょっと嬉しい発見です🤭
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ここから右手に回ると、また別の門がありました。昔は城壁の役目も果たしていたのでしょうか。
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この周辺にもカフェが立ち並んでいました。急な坂道を登っていくと、コインブラ大学へ進めるようです。

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先ほどのモンデゴ川は、かつて「ポルトガルの洗濯女」の歌で有名になったとのことです。その「ポルトガルの洗濯女」を記念した銅像が、カフェの前にありました。


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少し小腹が空いたので、夕食までの間に何か軽く食べようと思い、小さなお店に入りました。そこで注文したのが、このハンバーガーです。

コーラとハンバーガーを頼んだだけなのですが、学生の町だからでしょうか。写真で見る以上に実際はかなりのボリュームで、残さず食べるのにひと苦労でした。

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真っ直ぐ坂を登ればコインブラ大学へ向かうようでしたが、今回は大学には向かわず、山手を右側へ進み、再びモンデゴ川沿いへ下りていきました。
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橋を挟んで、ホテルとは反対側から見た眺めです。
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川の向こうの丘の上には、前回紹介した新サンタ・クララ修道院が見えています。
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このような町の造りを見ると、大学のある地区がかなり急な坂の上に建っていることがよく分かります。
……ということは、歩くと大変だということでもあります。とにかくポルトガルには、健脚でないと大変な町が多いです。
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時計のある建物が、モンデゴ川沿いの町の外れにあるコインブラ駅です。9月初旬でしたので、19時半を過ぎてもまだまだ明るさが残っていました。
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このような帽子が飾られた通りもあり、街歩きがますます楽しくなります。
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この日の夕食は、ジャルディン・ダ・マンガ(Jardim da Manga)という名の、黄色い建物の裏手にあるレストランを予約していました。

最初に「マンガ」と聞いた時は、日本の「漫画喫茶」のようなものを思い浮かべてしまいましたが、もちろん全然違いました。

名前の由来は、1533年、ポルトガル国王ジョアン3世がこの地を訪れた際、広大な空き地に造る庭園の構想を、自分の服の袖、つまり「Manga」にスケッチしたという伝説から来ているそうです。
「漫画」ではなく、「袖」という意味だったのです🤭


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中央には円形のドーム状の礼拝堂、あるいは東屋のような建物があり、そこから4つの架け橋が周囲の円筒形の小礼拝堂へと伸びています。全体が美しい水盤に囲まれており、どことなくアラブ文化の影響も感じられる造りでした。

私たちが予約した「Jardim da Manga」は、この建物と同じ名前のレストランで、ちょうど真後ろにあります。


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観光地の中心にありながら、地元の人や学生、観光客向けにリーズナブルなランチメニューや日替わりメニューを提供しており、コストパフォーマンスの高さでも評価されているようです。
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日替わりメニューの中から2品を選びましたが、どちらも素朴な味わいで、値段もお手頃でした。

ここでしばらくのんびり過ごしたあと、すぐ近くで行われるファドの生演奏を聴くために店を後にしました。演奏開始は夜10時です。
次回は、コインブラのファドについて記載したいと思います。


2026年6月12日 (金)

サグラダ・ファミリア、祈りの塔が完成した日

(金曜日ですが、生け花クラブが休みだったようで生け花を記載できませんので、代わりにサグラダファミリアの記事を記載します)

1昨日、バルセロナから歴史的なニュースが届きました。サグラダ・ファミリアで最も高い中央塔「イエス・キリストの塔」の祝福と落成を記念する式典が行われたのです。

このニュースを耳にしたとき、私の胸には、これまで40年にわたる旅の記憶が鮮やかに蘇ってきました。

私にとってサグラダ・ファミリアは、単なる観光地ではありません。40年前、30年前、そして10年前。何度かの訪問を通して、この教会の変遷をまるで定点観測のように見守り続けてきた、人生の伴走者のような建築物です。

初めてその姿を見た40年前は、「完成まであと100年」と言われていました。自分が生きているうちに完成に近づく姿を見届けることはないだろうと、どこか遠い未来の物語のように思っていたことを覚えています。それが訪問を重ねるたびに「あと50年」と縮まり、ついに昨日、大きな節目を迎えました。

思えば、30年前までの訪問では、教会の内部にはまだ現在のようなステンドグラスの輝きはありませんでした。コンクリートと石がむき出しになった、静かで、どこか冷厳な未完成の空間。それが、10年前の訪問の際には、劇的な変化を遂げて私を迎えてくれたのです。


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堂内に一歩足を踏み入れた瞬間、言葉を失いました。それまで光のなかった空間に、ステンドグラスを透過した暖かく鮮やかな灯りが満ち溢れていたのです。

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見上げれば、まるで大木のようにそびえ立つ列柱が天を支え、差し込む光によって神秘的な陰影を描き出していました。それは、人間の力をはるかに超えた圧倒的な美しさであり、理屈抜きに魂を揺さぶられる空間でした。

そのとき私が感じたのは、特定の宗教の枠を超えた、普遍的な「祈り」そのものでした。先の見えない霧の中を歩む人の足元を、静かに、しかし確かに照らし出してくれるような、大きな包容力に満ちた光。それはまさに、神様にしか作れない祈りの形のように思えたのです。

世の中にある多くの歴史遺産は、過去の偉業を伝える「過去の出来事」です。しかし、サグラダ・ファミリアは違います。幾多の困難を乗り越え、今まさに完成へと向かっている「現在進行形」の遺産なのです。


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人間が生きられる時間は有限です。天才ガウディも、礎を築いた職人たちも、すでにこの世にはいません。それでも、一人の人間が抱いた永遠とも言える祈りは、世代を超えて現代の技術者や名もなき人々に受け継がれ、今この瞬間も形作られ続けています。

ここで、もう一度問い直してみたいのです。

この教会の名前である「サグラダ・ファミリア(聖家族)」という言葉の本当の意味を。

宗教的な意味としてのイエス・キリストの家族を指すだけでなく、この言葉にはもっと普遍的なメッセージが込められているのではないか、と今の私は思うのです。

一人の人間が遺した祈りのバトンを、何世代にもわたる見ず知らずの他人が受け取り、我がことのように大切に育て、次の世代へと繋いでいく。140年以上もの間、名もなき人々の善意と祈りの石が積み上げられてきたそのプロセスそのものが、人類という名の大きな「家族」の姿ではないでしょうか。

有限の命しか持たない私たちが、時を超えて誰かを想い、未来へ希望を託すこと。その営みそのものが、最も尊い「聖なる家族の祈り」なのだと、サグラダ・ファミリアは現在進行形の姿で教えてくれている気がしてなりません。

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10年前に私を魅了したあの光は、今も私の中で、未来へ向けて大切なメッセージを紡ぎ続ける静かな原動力となっています。全てが完成すると言われるその日を、この目で直接見届けることができるかもしれない。そんな大いなる希望を胸に、今日も一歩ずつ、自分の人生という旅を進めていきたいと思います。

 

2026年6月10日 (水)

「貧血」とはどんな状態?

〜めまいや立ちくらみだけではない、身体からのサイン〜

沖縄地方も梅雨が明け、いよいよ夏本番を迎えました。今年は梅雨入りが遅く、しかも梅雨明けは例年よりかなり早かった印象があります。最近は「これまでの沖縄らしさ」が少しずつ変わってきたように感じることも増えてきました。夏場の水不足も少し気になるところです。

さて、今回は「貧血」についてお話ししたいと思います。

外来で患者さんと話していると、「先生、今朝ちょっと貧血になってね〜」という言葉をよく耳にします。実際には、一時的な低血圧や立ちくらみ、軽い気分不良を指していることも多いのですが、「貧血」という言葉は日常の中でかなり広い意味で使われているようです。

では、本当の意味での「貧血」とは何なのでしょうか。

私たちの血液は、「赤血球」「白血球」「血小板」といった形のある成分と、「血漿(けっしょう)」という液体成分からできています。その中で、貧血と深く関係しているのが赤血球です。

赤血球は、肺で取り込んだ酸素を全身へ運ぶ役割をしています。赤血球の中には「ヘモグロビン」という赤い色素が含まれており、このヘモグロビンが酸素と結びつくことで、私たちは全身の細胞へ酸素を届けることができます。

人間の身体にはおよそ20兆個もの赤血球が存在すると言われています。私たちの細胞は酸素がなければ生きていけません。そのため赤血球は、体中の細胞に酸素を届けるために、非常に小さく、効率的な細胞へと進化してきたのです。

貧血とは、この赤血球やヘモグロビンが減少し、身体が酸素不足になった状態をいいます。

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特に女性では、生理による出血の影響もあり、鉄欠乏性貧血が非常に多くみられます。さらに、ダイエットや偏った食事、朝食抜きなどが重なることで、鉄不足になりやすい傾向があります。

「最近、顔色が白くなったね」と言われても、単純に美白ではなく、貧血が隠れている場合もあります。

貧血の症状としては、

・疲れやすい
・だるい
・めまい、立ちくらみ
・動悸、息切れ
・頭痛、肩こり
・顔色が悪い
・冷えやすい
・爪が割れやすい
・髪が抜けやすい
・口の端が切れる
・舌がツルツルする

など、実にさまざまです。

また、「煎餅のような硬いものを無性に食べたくなる」という症状が出る方もいます。

ただし、こうした症状は他の病気でも起こります。そのため、「私は貧血体質だから」と自己判断してしまうのは危険です。

特に注意が必要なのは、「鉄不足だけ」が原因ではない場合です。

例えば、子宮筋腫などによる慢性的な出血、胃潰瘍、胃がん、大腸がんなどが隠れていることもあります。実際に、貧血の検査をきっかけに重大な病気が見つかるケースは少なくありません。

また、赤血球を作る骨髄の病気や、赤血球が壊れやすくなる病気など、専門的な治療が必要な貧血もあります。

ですから、「たかが貧血」と軽く考えず、一度は原因をしっかり調べることが大切なのです。

ここで、よく混同される「低血圧」との違いについても触れておきます。

「朝弱いから貧血」「立ちくらみしたから貧血」と考える方は多いのですが、実は貧血と低血圧は別のものです。

貧血は、赤血球やヘモグロビンが減り、酸素を運ぶ能力が低下した状態です。

一方、低血圧は、血液を送り出す圧力が低い状態です。

どちらも「めまい」や「ふらつき」が起こるため混同されやすいのですが、原因も治療法も異なります。

最後に、鉄欠乏性貧血の予防についてです。

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鉄は、レバー、赤身の肉、魚、あさり、大豆製品、緑黄色野菜などに多く含まれています。また、ビタミンCやタンパク質を一緒に摂ることで、鉄の吸収が良くなります。

忙しい毎日の中では、つい食事が偏ってしまうこともあります。しかし、私たちの身体は、毎日の食事によって支えられています。

「最近疲れやすいな」「なんとなく調子が悪いな」と感じた時、その背景に貧血が隠れていることもあります。

貧血は、身体からの小さなサインなのかもしれません。

気になる症状がある時は、一度血液検査を受けてみることをお勧めします。早めに原因を知ることが、自分自身の身体を守る第一歩になると思います。

2026年6月 7日 (日)

コインブラ(モンデゴ川対岸:東地区)探索

コインブラには1泊しか滞在しないため、ホテルで荷を下ろすとすぐに行動開始です。2013年には、14世紀以降大学として使われている山の手のアルタ地区と、16~20世紀に大学関連施設が置かれた下町のソフィア地区が世界遺産に登録されました。

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モンデゴ川にかかるサンタ・クララ橋を渡り、まずはアルタ地区の散策に出かけました。(*大学が中心とする小高い丘の中心とする「アルタ(Alta=高い)」、今でも様々な商店が並ぶ、川に近い下町エリアを「バイシャ(Baixa=低い)」として2つに分けています*)


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橋の入り口にはこのような案内板があり、コインブラを周遊する列車の形をした観光車両の起点になるようです。坂道が多いので結構便利かも知れません。このような形をした観光用のミニトレイン は、以前ルクセンブルク観光で利用したことがありました(⇨ルクセンブルク観光No2)

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旧市街からモンデゴ川に架かるサンタ・クララ橋を渡って対岸に行くと、道の左側に古い教会が見えてきました。旧サンタ・クララ修道院(Mosteiro de Santa Clara-a-Velha)となります。

 

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このサンタ・クララ修道院は1286年に建立され、1330年には付属したゴシック様式の教会と回廊が完成したそうです。コインブラの守護聖人となったイザベル王妃のがかって納められていたほか、イネス・デ・カストロの遺体がアルコバサ修道院(ポルトガル中部のレイリア県にある世界遺産の教会)に移されるまでここに安置されていたという歴史をもつ。
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場所が川の近くの低地にあるため、たび重なるモンデゴ川の洪水によって被害を受けてついには17世紀に閉鎖してしまいます。そのため施設は丘の上にある現在の新サンタ・クララ修道院 に移転されることになっています。
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その後すっかり荒れ果てて数百年の長い間に放置されていたが、20世紀後半に再建計画が考案され、2009年に修復が完了した。現在はゴシック様式の教会、修道院だった建物の遺構などが見学できる。

 

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植物園(Jardim Botânico)
コインブラ大学付属の研究施設である植物園。一般客に公開されており、地の学生や旅行者にとって悪いの場になっている。敷地内にはヤシの木から針葉まであり、季節の花々が咲いていて美しい。温室では熱帯地方の植物も栽培している。
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涙の館(Quinta das Lágrimas)
イネス・デ・カストロが住んでいたとされる館は現在は5つ星ホテル「キンタ・ダス・ラグリマス」になっています。裏の庭園にイネスとペドロ王子が愛を語らった恋人たちの泉 Fontedos Amoras があり、現在観光名所として管理されています。ホテルの入り口にチケット売り場があり、そこから一般の方も入ることができます。
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このアーチ上の門もかつてのイネス・デ・カストロが住んでいたとされる館の一部と思われます。
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さらに奥に進むと涙の泉 Fonte das Lagrimas があります。広い敷地ですが、小さな案内板の矢印に沿って進みました。イネスがのどを切られて殺されたと伝えられる場所だ。底にある赤い石は、そのときのイネスの血で染まったのだという。現在は廃墟になっている恋人たちの泉


**ペドロ王子とイネスの悲恋物語
父アフォンソ4世の言いつけによりカスティーリャ王国のコンスタンサ姫と結婚したペドロ王子は、その侍女のイネス・デ・カストロと恋に落ちてしまう。国王の怒りをかったふたりは引き離されるが、コンスタンサが亡くなるとペドロはイネスを側室とし、3人の子供も生まれた。しかしカスティーリャ王国の圧力を恐れた国王と家臣によって、イネスは殺されてしまう。やがて王位に就いたペドロ1世は、イネスを正式な妻として教会に認めさせ、イネスの殺害にかかわった者はすべて処刑したという**

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↑イネスが殺害されたという涙の泉


涙の泉にある石碑には、カモンイスの『ウズ・ルジアダス」の一節が刻まれている。モンデゴの妖精たちは涙を流し続け彼女の悲しい死を記憶に刻みこんだ。そして永遠の記憶を求めて流された涙は美しい泉となった。あの処刑の場所にできた泉に妖精たちはイネスの愛という名を付けた。泉はいまでも湧き続けていていて、その下の池へと流れ込んでいます。湧水だけあって澄んだ綺麗な水で、決して血は流れいません(笑)。


現在ペドロ1世の遺骸は、彼の遺言によりイネスの棺と一緒に、アルコバサにあるアルコバサ修道院に安置されている。

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敷地内には不思議な根をもつ大木もあり、時間があればのんびりと散策ができそうです。
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この施設を出て、さらになだらかな坂を上へと歩いてゆきます。

新サンタ・クララ修道院(Mosteiro de Santa Clara-a-Nova)
モンデゴ川の洪水を避けるため、川沿いにある旧修道院の代わりに、17~18世紀にかけて新しく建てられた。コインブラの守護聖人であるイザベル王妃の棺が納められている。ディニス王の妻であったイザベルは慈悲深い王妃として市民に愛された。修道院前にはコインブラの町を見下ろすようにしてイザベル王妃の像が立っている。

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しばらく曲がりくねった急坂を登ることになります。
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最初は新サンタ・クララ修道院の入り口(上の写真の正面が入り口です)がわからずに、さらに登ってしまい、また戻ってきました。
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上の写真の矢印とところが門かと思い覗いたら、巡礼者の宿のようで、男女の2人が出てきたので聞いた見たところ、入り口を教えてもらったのです。
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教会の入り口でチケットを購入。その方に何処からと聞かれたので「日本から」と答えたらにっこりとして貰いました。実はコインブラ大学にも日本人の方が勤めていて、その方は教会関係にも精通されているようでした。おかけでコインブラでは日本人も歓迎されるようです。
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いきなり入ってびっくりの礼拝堂です😲 予想しているより凄かったです。黄金に輝く正面祭壇には圧倒されます。

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両サイドの彫刻や壁画、天井なども豪華絢爛です。それほど大きくない都市の教会で、中心地でもないので想像を遥かに超えていました。
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地下聖堂では、聖イザベラ女王 の注目すべき14世紀ゴシック様式の石棺が石灰岩で彫られており、繊細な彫刻は今でも綺麗に残っています。
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回廊を中心部には中庭があり、教会というより修道院に近い造りかも知れません。
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このような金箔で覆われた部屋はポルトガルのかつての栄華を見ているようです。南米大陸からたくさんの財宝が持ち込まれたのだと思います。
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先ほど教会の横に巡礼宿があったように、ポルトガルからサンディエゴ・コンポステラ(スペイン)への巡礼者のシンボルとなっている帆立貝が売られていました。

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教会を見終えて、少し降るとモンデゴ川対岸からコインブラ市内が見てて来ました。これから向こう岸へと向かいます。
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一旦ホテルで水分補給をして、今度は山の手のアルタ地区の散策となります。

2026年6月 5日 (金)

今週の生け花(令和8年6月第1週)

6月に入り、1日は台風のためいきなり休診となってしまいましたが、火曜日以降の那覇市内は比較的穏やかな天候が続いています。

現在、制度上の大きな変更があり、対応すべき業務に追われる日々です。しかし、そんな大きな時代の流れや慌ただしさの中でも、飾られた生け花は、いつもと同じように穏やかな姿で私たちを迎えてくれています。

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今週の生け花は、スモークツリーやかすみ草がまるで「霧」のような幻想的な雰囲気を醸し出しており、その中でギガンジウムの丸く紫色の花がひと際鮮やかに目を引きます。ギガンジウムはヒマラヤ原産のネギの仲間で、他のアリウム同様、長い茎の先に小さな花を大きな球状に咲かせます。すっきりと伸びた細い茎に、真ん丸な花の組み合わせがとても独特ですね。

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……とその姿を眺めながら、私は思わず全く違うことを考えてしまいました。

「頭の毛だけ残して、首から下を綺麗に刈り取られたアルパカに似ている……?」

少々、想像が飛躍しすぎましたね😆



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気を取り直して、アルパカではなく、この美しい生け花の姿をしっかりと心に留めたいと思います。色々と重なる業務で、私の頭も疲れすぎてスパーク寸前なのかもしれません(笑)。
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何かと忙しい6月ですが、元気に頑張って乗り切って行きましょう✌️
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<花材:ギガンジウム、スモークツリー、カンパニューラ、かすみ草、ハラン>

2026年6月 3日 (水)

大腸の機能とポリープからがんができる仕組み

ひさしぶるに那覇を直撃した台風6号の影響で6月1日は終日休診となりましたが、2日からは通常通りとなりホットしました。今後は本土の方の影響が心配です。被害が出ませんように。

さて、今回のテーマは「大腸がん」です。

現在、日本人の死亡原因の第1位は「がん」です。そして、その中でも大腸がんは、私たちにとって非常に身近ながんとなっています。

2020年のデータでは、日本人男性の62.1%、女性の48.9%が生涯のうちに一度はがんにかかるとされています。つまり、男性では約6割、女性でも約半数が「がんになる時代」ということです。

さらに女性のがん死亡原因では大腸がんが第1位、男性でも肺がんに次いで第2位となっています。これほど多い病気でありながら、大腸内視鏡検査を受けたことがない方がまだ多いのも現実です。

大腸は約1.8メートルほどの長さがあり、小腸から流れてきた水分の多い内容物から水分を吸収し、形のある便を作る働きをしています。大腸がんは、その内側を覆う「粘膜」から発生します。

大腸がんの多くは、「ポリープ」と呼ばれる小さな隆起から発生します。特に「腺腫性ポリープ」は、時間をかけてがん化することがあります。

ポリープは小さいうちに切除すれば、多くの場合は内視鏡だけで治療が終了します。例えば数ミリ程度の小さなポリープであれば、がん化率は極めて低く、仮にがんになっていても粘膜内に留まっていることがほとんどです。

しかし、ポリープが大きくなるにつれて、がん化率は上昇します。3センチを超える頃には進行がんの割合も増えてきます。

つまり、「小さいうちに見つける」ことが何より重要なのです。

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大腸がんの怖いところは、早期ではほとんど症状がないことです。

症状が出る頃には、ある程度進行している場合も少なくありません。

代表的な症状としては、

・便に血が混じる
・黒っぽい便が出る
・便秘と下痢を繰り返す
・便が細くなる
・お腹が張る
・便意が何度もあるのに出ない
・貧血や疲れやすさを指摘される

などがあります。

ただし、「出血=がん」ではありません。痔などでも出血します。しかし問題なのは、「昔から痔だから大丈夫」と自己判断してしまうことです。

実際、進行した大腸がんで来院された患者さんの多くが、「痔だと思っていた」とおっしゃいます。

また、健康診断で「便潜血陽性」を指摘されても、「症状がないから」と放置する方も非常に多いのが現状です。

便潜血検査は、大腸がんを見つけるための大切な入り口です。もし陽性を指摘された場合には、「念のため」で構いませんので、大腸内視鏡検査を受けてほしいと思います。

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最近では、大腸内視鏡検査も以前より安全に受けられるようになってきました。もちろん検査前に下剤を飲むなどの準備は必要ですが、早期発見によって命が救われる可能性を考えれば、とても大切な検査だと思います。

大腸がんは、比較的「治りやすいがん」と言われています。特に早期で発見できれば、根治できる可能性が高いがんなのです。

だからこそ、「症状がない今」こそが大切なのです。

40歳を超えたら、一度は大腸検査を受けてほしいと思います。

自分自身のために。そして、自分を大切に思ってくれている家族のためにも——。

早期発見に勝る治療はありません。

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