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2026年1月

2026年1月30日 (金)

今週の生け花(令和8年1月第5週)

日本列島には、2026年1月下旬から寒波が繰り返し押し寄せています。特に北国や雪の多い地域では、日々の生活に大きな影響が出ていることと思います。ニュースでは、朝・昼・晩と雪かきをしなければならない様子も伝えられており、肉体的にも精神的にもご苦労が多いことと案じています。

雪に慣れていない沖縄に暮らす私たちにとって、雪を見る機会がほとんどない環境は、ある意味では恵まれているのかもしれません。同時に、地域ごとの自然環境の違いの中で、それぞれが日常を守りながら過ごしていることに思いを馳せています。

日々の生活に追われるなか、政治の世界も慌ただしく動いています。本来であれば、丁寧な議論を通じて違いを明確にし、国民が納得しながら選択できる社会であってほしいと感じます。寒さ厳しい中で選挙活動に関わる方々のご苦労を思うと、頭が下がる思いです。

 

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そんな慌ただしい世の中とは対照的に、いつもの小さなスペースには穏やかな明るさが広がっています。
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紅いつつじや黄色のフリージャが加わり、全体がぱっと華やいだ印象になりました。寒さの先にある春の訪れを、花たちがそっと知らせてくれているようにも感じます。
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いつものことながら、形も色も大きさも異なる花たちが調和し、美しい世界を作り上げています。人の社会もまた、違いを認め合いながら支え合える存在でありたいものだと感じる、2026年の1月最終です。
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<花材:つつじ、菊、フリージャ、千年木>

2026年1月28日 (水)

脳の不思議 〜なぜ脳はこれほど繊細なのか〜

今日のFM放送はは冬場に多い脳梗塞について話をしました。(以前のブログ➡︎脳卒中の病態と血圧との関係、➡︎脳卒中の病態、罹患率、予防法など

私たちの体の中で、脳ほど不思議で、そして繊細な臓器はありません。

脳卒中や事故、高熱などによって、命は取り留めたものの、脳が回復せず植物状態や脳死に至った、という話を耳にしたことがある方も多いのではないでしょうか。

なぜ脳だけが、これほど深刻な影響を受けやすいのでしょうか。

A:脳は「酸素欠乏(酸欠)」に極めて弱い臓器

脳は、栄養不足、特に低血糖にも弱い臓器ですが、それ以上に、酸素そのものに弱いのではなく、酸素が不足する状態――いわゆる「酸素欠乏(酸欠)」に極めて弱い臓器です。

脳への血液の流れが止まり、酸素が届かなくなると、人はわずか30秒ほどで意識を失います

そしてたった4分で、脳細胞は回復できない致命的な障害を受けてしまいます。これを医学的には「不可逆的変化」と呼びます。

人間の体の中で、これほど短時間で取り返しのつかないダメージを受けてしまう臓器は、他にはありません。


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B:心臓との決定的な違い

例えば心臓の場合、酸素が途絶えると4分ほどでほとんど機能しなくなりますが、心臓の組織そのものが壊れてしまうのは30分以上経ってからです。

つまり、心停止から4分で脳は致命的な障害を受けますが、心臓は30分以内であれば、適切な処置によって再び動き出す可能性があるのです。

この違いが、心肺停止後に「心臓は回復したが、脳だけが回復できなかった」という状態、いわゆる植物状態につながることがあります。

C:一見残酷、でも実は優しい仕組み?

この仕組みは、一見すると非常に残酷に感じられるかもしれません。

しかし別の見方をすると、これは人間にとって、とてもありがたい仕組みなのかもしれません。

もし脳が最後まで機能し続けてしまったら、重い外傷を負ったときの激しい痛みや苦しみを、最後まで感じ続けることになります。

拷問を受けても意識を失わない状態を想像すると、そのつらさは計り知れません。

脳は、酸素欠乏(酸欠)や死が近づいたときに、苦しみや痛みを感じないよう、他の臓器よりも先に機能を失うようにできている――

そう考えると、人間の体はよくできているとも言えるのです。

D:脳は小さいのに、とてつもなく働き者

脳は重さで見ると、実はとても小さな臓器です。

成人で体重が50〜80kgあっても、脳の重さは約1.4kg。体重のわずか2.5%程度にすぎません。

ところが、脳に流れる血液の量は全身の約20%、消費する酸素量も**約20%**に達します。

体重の2.5%しかない臓器が、血液も酸素も体全体の5分の1を使っているのです。

さらに、脳が1日に消費するエネルギーは約400〜600キロカロリー

一日中休まず動いている心臓の消費エネルギーが約140キロカロリーですから、脳は心臓の3倍以上のエネルギーを使っていることになります。

それだけ、脳は膨大な情報処理を行っている臓器なのです。

E:過保護に守られた「最重要臓器」

脳は内部からも優先的に血液と酸素を与えられ、外側はヘルメットのような頭蓋骨に守られています。

人間にとって、それほどまでに重要な存在だということです。

少し言い方を変えるなら、脳は過保護なお坊ちゃまのような臓器なのかもしれませんね。

2026年1月25日 (日)

リスボンケーブルカー(グローリア線)、サン・ペドロ・デ・アルカンタラ展望台、Café Príncipe Real Restaurante & Cocktail Bar

前回からの続きです(➡︎サン・ロケ教会)。

リスボンの街は、坂と光、そして眺めの連続です。高台のマルケス・デ・ポンバル広場からリベルダーデ大通りを歩き、ケーブルカーで丘を上ると、街全体を見渡す風景が待っていました。この日は、リスボンらしい高低差のある街歩きを楽しみました。

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一旦、高台にあるマルケス・デ・ポンバル広場(Marquês de Pombal Square)までトラムで向かい、そこから坂を南へ下りながら、リスボンでも有名なケーブルカー「グローリア線」に乗って、サン・ペドロ・デ・アルカンタラ展望台へと向かいました。
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この広場は、1755年から1777年にかけて宰相を務めた、ポルトガルを代表する政治家ポンバル侯爵(セバスティアン・デ・カルヴァーリョ)にちなんで名付けられています。

彼は、リスボン大地震後の都市再建を主導したことで知られる人物です。広場の南端には、ポンバル侯爵と権力の象徴であるライオン像を頂いた円柱が建っています。

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マルケス・デ・ポンバル広場から南へ延びる通りは、道幅約90メートル、全長およそ1,100メートルに及ぶリベルダーデ大通り(Avenida da Liberdade)。リスボン中心部を代表する大通りです。

「リベルダーデ(liberdade)」とはポルトガル語で「自由」を意味し、パリのシャンゼリゼ通りを模して造られたと言われています。

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通りの両側には、世界的に有名なブランド店やホテル、航空会社や旅行会社のオフィスなどが並びます。中央分離帯には木々が植えられ、広い石畳の歩道も美しい模様で整備されていて、歩いているだけでも気持ちの良い空間です。

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少し疲れたのでコーヒータイムにしようと思ったのですが、なかなかカフェが見つかりません。

そこで少し奥まった場所に、オーガニック食材を扱うお店を見つけ、入ってみることにしました。1階は自然食品の販売が中心で、飲み物も自然素材を使ったものばかり。どうもコーヒーが見当たりません😅

店員さんに尋ねてみると、地下1階が飲食スペースになっているとのことでした。
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昼間でしたが店内はかなり混雑していて、健康志向の方が多いのか、とても活気がありました。
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私は無難にコーヒーを注文。
グラスやカップにもこだわりが感じられ、店内は静かで落ち着いた雰囲気。ゆっくり一息つくことができました。
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「CONDES」の看板が残っていますが、現在はリスボンのハードロックカフェ(Hard Rock Cafe)となっています。

ハードロックカフェは1971年にロンドンで創業した、音楽をテーマにしたカジュアルレストラン。世界各地の主要都市に展開しており、有名ミュージシャンの衣装や楽器、ポスターが店内に飾られています。

ボリュームのあるハンバーガーやステーキ、カクテルが楽しめることで知られ、リスボンでも人気のスポットのようです。
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ハードロックカフェの向かい側に、グローリア線の乗り場があります。

グローリア線(Elevador da Glória)は、レスタウラドーレス広場と、丘の上のサン・ペドロ・デ・アルカンタラ展望台を結ぶ、全長約200〜265メートルの急勾配を走るケーブルカーで、観光客にも大変人気があります。

私たちがこのケーブルカーに乗った後、後日になって、運行中のケーブルカーで重大な事故が発生したというニュースを知りました。

旅行中にこの知らせを聞き、大きな衝撃を受けました。改めて、事故に遭われた方々のご冥福を心よりお祈りしたいと思います。


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高低差は非常に大きく、最大勾配は15〜17%以上に達します。短い距離を一気に上り下りするため、車内を水平に保つ目的で、車両自体が斜めになる構造になっています。
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途中には急カーブもあり、上下の乗り場を直接見通すことはできません。このようなカーブを曲がりきれずにあの事故は建物の壁にぶつかったのですね。


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グローリア線を降りると、すぐ隣に「サン・ペドロ・デ・アルカンタラ展望台」があります。

視界が非常に開けており、リスボン市内を広範囲に見渡すことができる、素晴らしい展望スポットです。

 
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夕暮れ時も美しいと聞き、夕方にも再び訪れました。西日を受けて輝くリスボンの街並みは、昼間とはまた違った表情を見せてくれました(上の写真)。
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今回の旅行で唯一予約をして昼食をとったのがCafé Príncipe Real Restaurante & Cocktail Barです。サン・ペドロ・デ・アルカンタラ展望台の観光時間とちょうど重なり、食事場所を探していたところ、ネット検索でこちらがヒットしました。公式サイトから簡単に予約が可能です。

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普段は食事にあまりこだわらず、昼に予約をしてしっかり食べることもほとんどありません。

私の旅行記を読んでくださっている方はご存じかもしれませんが、ある意味とても貴重な写真です。

前回のイタリア、オーストラリア、スイス旅行を振り返ると、円安の影響もあり、海外での食事は「馬鹿らしいほど」値上がりしていると感じます。
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予約して訪れてみると、想像以上に豪華なホテル内レストラン。

「いったいいくらかかるのだろう…」と少し不安になりましたが、ここまで来たら値段は考えないことにしました😅


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料理はどれもとても美味しく、お腹も大満足。気になるお会計は・・・なんと一人1万円以下でした。

スイスであれば4〜5万円はしてもおかしくない内容です。 他と比べるほど食べ歩いてはいませんが、ポルトガルは総じて食事がとてもリーズナブルだと感じました。日本人の感覚にも合う国だと思います。

2026年1月23日 (金)

今週の生け花(令和8年1月第4週)

日本列島は、長期間にわたり寒波に襲われているようです。

大雪の影響で、さまざまな面で不自由な生活を強いられている地域も多いことと思います。

沖縄は雪そのものを見ることがほとんどない地域で、雪国のご苦労を知らずに生きてきました。寒さに弱い私にとっては、この寒波では冬眠してしまいそうです。

(熊は冬になると冬眠するものだと思っていましたが、最近では冬眠しない熊も増え、一年中注意が必要になっているそうですね。)

 

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今日は、オートクチュールのドレスをまとったかのような花器の上に、黄色いレンギョウ、花の形に特徴のあるグロリオーサ、そしてオレンジ色の菊が添えられ、色彩の際立つ取り合わせとなっています。
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見る角度によって印象が変わるため、行ったことはありませんが、ファッションショーでモデルが歩く位置によって雰囲気が変わるようなスタイルに、ふと重なって見えました。
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今週も個性的な花々です。

雪国のご苦労を思いながら、南国・沖縄では今週も色彩豊かな花々に心を和ませています。

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<花材:レンギョウ、グロリオーサ、千年木、小菊>

2026年1月21日 (水)

初めてのマカオ・香港旅行(那覇空港から台北桃園国際空港)

2025年〜2026年の年末年始はマカオ・香港に初めて出かけました。最近は大晦日と元旦に1泊2日で台北に出かけることが多かったのですが思い切って3泊4日の休みをとって出かけることにしました。昨年ポルトガル旅行でかけた折にマカオにはポルトガルの影響が残っているのを耳にして今回ゆく事にしたのです。

今回もお世話になったのはANAマイルを使った特典航空券です(これで期限切れになるマイルは全て使い切ることになりました)。ANAはスターアライアンスのメンバーですので台湾の大手航空会社のエバー航空(EVA Airways) を利用することが出来ます。これを利用するとなると台北経由となりました(那覇➡︎台北乗り継ぎ➡︎マカオ、香港➡︎台北経由➡︎那覇)。 ビジネスクラスが各1席ずつ空いていました。これで私の分は取ることが出来ました👌・・・と言うことは連れの分はないと言うことです。 連れはエコノミーでとって貰いました。 それでも十分です。 これまで毎回台北へはLCCで出かけていましたし、それぞれの区間が短いのであっと言う間に到着します。

 

と言うことで・・・現在ポルトガル旅行記を書いていますが、医療記事や生け花がない時などに「マカオ・香港旅行」記も並列しながら載せたいと考えています。こちらもよろしくお願い致します。

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以前は別々だった国内線と国際線エリアも通路で結ばれ、国際線エリアの1番奥にエバー航空のチェックインカウンターがあります。荷物は一つですのでビジネスクラスの優先ラインを利用してすぐにチェックインしてもらい最終地のマカオ空港で荷物は受け取ることになりました。
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世界遺産の首里城が焼失した後の復興支援として守礼の門のレプリカを通過して出国手続きに入って行きます。横にも大きな看板があります。その対側で日本円を香港ドルに両替しておきました。
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那覇空港の国際線制限エリア内にエバー航空も利用できるラウンジ「ラウンジ琉輪」があります。ビジネスクラスでもスターアライアンスの上級会員でも利用できます。
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以前と比べて食品も多くあり、食事もちゃんと出来る様ですが、今回飛行機の中でも食事が出るためコーヒーだけ頂いて後にしました。
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今回の飛行ルートとなります。それぞれ短時間ですがビジネスクラスは食事が提供されます。
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いつもは台北へ向けてはLCCの利用でしたが、今回初めてエバー航空に搭乗です。なんと今回搭乗の機材はハローキティジェットでおじさんが乗るには掛け離れた可愛らしい塗装のエアバスA321-200となります。
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ビジネス席は8席となっています。短距離路線ですのでシートはこの様な感じとなっています。
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なかなか綺麗なスリッパも備え付けられていました。
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那覇からは福岡より近い短距離路線ですが、一応国際路線ですのでこの様な機内食が提供されました。見た目よりもボリュウームもあり味も美味しかったです。8席はほぼ埋まっていましたが、シートベルトサインが消えるとすぐに食事を提供してもらいました。私もすぐに食事をとってコーヒーも飲んで後片付けがしやすい様に完食いたしました。
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離陸して、食事を頂いいて外を眺めているとあっという間に着陸体制に入り無事台北に到着となります。
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今回は乗り継ぎですので、乗り継ぎの場所に進み、一応手荷物検査を受けて、桃園国際空港の制限エリア内に再入場です。
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いつもはLCCですので、空港の端の部分で過ごしていましたので、桃園国際空港がこんなに広いことに初めて気がつきました😅
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かなり広々とした空港です。時間がありましたのでエバー航空のラウンジを次回紹介したいと思います。

2026年1月18日 (日)

サン・ロケ教会(Igreja de São Roque)と天正遣欧少年使節団

リスボンの中心地のどこからも近い場所にサン・ロッケ教会(Igreja de São Roque)があります。ここは私たち日本に大きな影響を与えたポルトガル(ヨーロッパ)の中でも1番大きな功績を残した場所かも知れません。

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地図上では各名所がすぐ近くにある様に見えます。これがリスボン(ポルトガル)の落とし罠・・・近くてもほぼ坂道の連続です。今回はリスボアカードを購入していますので、地図検索をかけて近くで路面電車などがあると一駅でも使うとだいぶ楽だと思います。
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地図アプリを参考にサン・ロケ教会に向かうとこの様な小さな広場に出会います。なぜか嬉しくて写真を撮ってしまうのです😆
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なだらかな道路の先に三角の形をした教会のファザードが見えて来ました。ここがサン・ロケ教会の正面となっています。
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この教会の原型となった礼拝堂は、1506年から1515年にかけて、マヌエル様式で建てられました。「サン・ロケ(聖ロクス)」は当時ヨーロッパで流行したペスト(黒死病)から信者を守ってくれると信じられ、ジョアン3世は礼拝堂のそばに黒死病で亡くなった人の墓を造らせましたとのことです。

ここまでは日本との関わりは希薄ですが、1553年、イエズス会がサン・ロケ礼拝堂を所有することになり、その後イタリア・バロック様式の教会に建て替えて現在の原型となります(1755年のリスボン大地震でも建物の多くは崩れずに残り、今にいたっています)。


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イエズス会はポルトガルの海外進出と共に海外での布教活動を展開します。イエズス会の本部となったこのサン・ロケ教会から、布教を命じられた宣教師たちが黄金の国「ジパング」へと旅立っていったのです。ここで日本でも有名なフランシスコ・ザビエルが日本へも派遣されるのです。後ほど詳しく記載しますが、天正遣欧少年使節団が宿泊した教会としても有名となっています。このこともあって今回のポルトガル観光では訪ねたみたい教会がサン・ロケ教会だったのです。

ただしイエズス会は1758年にポルトガルから追放され、1768年以降はポルトガルの信仰慈善団体「ミゼリコリダ協会」の所有となっているそうです。

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外観は至ってシンプルですが、中に入ると思わずため息が出るようなゴージャスな教会となっています。外観と内部がこれほど違うのはアルファンブラ宮殿のようなイスラム建築を思い出させます(内部の装飾は全く異なりますが・・)。

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主祭壇は均整がとれて全体として美しいです。
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この教会の特徴はもう悪趣味としか言えない様な豪華絢爛な金ピカピカの礼拝堂、そしてなんと言っても木で出来た天井とそこに描かれた目の錯覚を利用したフレスコ画なのかも知れません。
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主祭壇の横ににはいくつかの礼拝堂があり、それがまたそれぞれ眩しく輝いていました。それぞれを眺めてゆきましょう。
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ただ上の写真の様に宙に浮かぶ様なキリスト像は見た瞬間信者でない私がびっくりしてしまいます。ポルトガルの教会全体に言えることですが、彫刻などがリアルすぎて血が噴き出ていたり、その下には実際のシャレコウベや骨を入れているのが直接見える機会が多いことでした。夜1人では教会に入りたくありません😅
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どれだけの金を使ったのか分からないほどの金細工で造られています。
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それぞれの礼拝堂には名前がついているようですが、どれも黄金の輝きで当時の教会の財力の凄さが分かります。

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ここまで派手ですと、息を呑む美しさではなくてやや引いてしまいました。マリアを囲む天使達の多さに私の方はやり過ぎの感が強く出てしまいます😅
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側面の礼拝堂と違い上部の側面の絵画やパイプオルガン、天井画は美しくエレガントです。
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特にこの教会の天井画は素晴らしいの一言。 見た目には曲線と思えるのですが実は木の板で出来た平坦な天井なのです。
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私の写真ではイマイチその素晴らしさを伝えることが出来ないので、検索した中からGoogleから上の写真をお借りしました。これが平面の板の天井に描かれていてまるでドームの天井があるような錯覚に陥ります。
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天井部分を拡大すると、それぞれに長方形の板で組み合わされている継ぎ目が良く分かります。 他の方のブログの説明で、石の天井でなく軽い板を使った天井のお陰でリスボン大地震の揺れでも崩れなかったのではとありました・・ガッテンですね。
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1584年、苦難の航海の末にリスボンにたどり着いた日本の天正遣欧少年使節が、1ヵ月ほど滞在したイエズス会の教会。16世紀末にイタリア人建築家によって建てられたイタリア・バロック様式の教会だが、正面ファサードは1755年の大地震で破壊され、その後再建された。教会奥にあるサン・ジョアン・バプティスタ(洗礼者ヨハネ)の礼拝堂は、瑠璃、めのうやモザイクで飾られたリスボンでも有数の美しいチャペルとして知られている。また教会正面に向かって右側には付属の美術館があり、ジョアン5世のコレクションを中心に、宗教画や祭礼用の宝物が展示されている。

 

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天井画に圧倒されて他の場所を撮るのを疎かになってしまいました。動画でさっと撮影した部分に日本との関わりの深いフランシスコ・ザビエルに関する場所がありました。後で他の方のブログを観たらこの聖人の像が「フランシスコ・ザビエル」とのことでした(教会の見学の際に誰が誰なのか分からなかったのです😂)🙏。
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教会に入って一番奥の右側の部屋は「聖具室」となっておりそこの壁には多くの絵画が飾ってある部屋があり気にもとめませんでした。このブログを書こうと調べていたら何とここの絵画の中に「聖フランシスコザビエルの生涯が描かれる連作」があるとのことを知りました(これも後でわかったことで、私のリサーチが甘かったことに反省です)。


この部屋も動画で部分的に撮ったなかからやっと見つけた部分で画質がとても悪い状態となってしまいました😅
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この辺りの絵画がザビエルの日本での布教活動を書いた絵だとことですが、私には分かりませんでした?
今回ここに立ち寄ろうと決めたのは漫画家のヤマザキマリさんがナビゲーターを務めるN〇Kの『世界を見た若者たち-天正遣欧少年使節をたどるヨーロッパの旅-』とう言う番組をみたことが在ったのからです。

**「天正遣欧少年使節」とは
サン・ロケ教会は1553年、イエズス会がサン・ロケ礼拝堂を所有することになりイエズス会の本部となりポルトガルの海外進出と共に世界へ布教を広げる役目もにないます。ここの創設者の1人だったのが「フランシスコ・ザビエル」で、1549年に日本でキリスト教を布教を始めます。

布教活動と共に南蛮貿易の窓口として日本と ポルトガルとの貿易(南蛮貿易)が活発化し、鉄砲や火薬の流入にも繋がります。

特に九州の有力者(大村純忠など)がキリスト教に改宗するなど九州を中心にキリスタン大名を始め信者が増えてゆきます。イエズス会は布教と共に教育機関として「セミナリオ、コレジオ」を設立して、日本の子供達もそこで学びます。ザビエルが帰国後も布教は広まり、九州のキリシタン大名たちが、イエズス会のヴァリニャーノの提案を受け入れ、ヨーロッパ(ローマ)の文化や学問、キリスト教の教えを学ぶため、少年たちを派遣します。

1582年(天正10年)2月20日、九州のキリンタン大名、大友義鎮らの名代として4人の少年たちが長崎の港を出発し、ヨーロッパへと向かった。

これが「天正遣欧少年使節」と言うことになります。

伊東マンショ、チ々石ミゲル、中浦ジュリアン、原マルティノの4人は出航時 13~14歳。当時の子供達が大名の名代としての重圧にも耐えて成長する姿は胸が熱くなるものがあります。 2年以上におよぶ航海の末、1584年8月10日にリスボンに到着します。利発な彼らが航海の間も懸命に学び語学も達者となったようです。

リスボンからエヴォラ、ヴィラ・ヴィソーザなどを経てスペインに入った一行はマドリードでフエリペ2世に、さらにローマで教皇グレゴリウス13世に謁見し、大歓待を受けた。このことは日本では余り大々的には扱われませんがヨーロッパ各国では彼らのことは日本以上に有名だと感じました。

西洋に日本の存在を広く知らしめ、使節としての役割を立派に果たした少年たちは、1590年(天正18年)7月21日に長崎から帰国します。活版印刷機をはじめ航海術や西洋の楽器などを持ち帰り、日本に西洋文化を伝えた。

しかし彼らが帰国した時には日本の状況は一変していました。時代は江戸幕府によるキリシタン禁制へ。このように色々なことを経験した4人には活役どころかどん底の扱いが待っていました。病死、棄教、殉教、追放先で死亡と、波瀾万丈の生涯を閉じてしまうのです。時代はこうも残酷だと考えてしまいます**

 

続いて旅行紀に戻ります。
教会正面に向かって右側には付属の美術館があり、ジョアン5世のコレクションを中心に、宗教画や祭礼用の宝物が展示されていいます。ここからは有料となります。受付でどこから来たのかを問われて「日本」と答えたら歓迎の言葉をかけられました。

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かなり多くの展示室がありましたが、時間がなくてここも素通りの状態です。宗教画や装具、十字架などの装飾器具が多数並べられています。
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今の私達の感覚からすると髑髏が王冠を被っていると悪趣味にしか思えませんが・・
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東方三博士の訪問 Gaspar Dias 1570

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殉教者に囲まれたマリアの栄光 ディオゴ・ティシェイラ
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左側が受胎告知 1656 Bento Coelho da Silveira

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中にも黄金で飾られた十字架や装飾品が並べられて、最後の最後まで教会の財力を見せつけれた気にもなりました。
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次回行く機会があれば、日本との関係、フランシスコ・ザビエル、天正遣欧使節団との関わりをもう少し調べてから見学したいと思いました。リスボンに行く機会があれば、サン・ロケ教会も観て欲しい場所でした。

2026年1月17日 (土)

年末コンサートの模様をFMレキオ・FM21で放送していただきました

コロナ禍による中断はありましたが、毎年年末になると、病院7階にて私のギター弾き語りコンサートを開催しています。会場が大きくないため、多くの方にお声がけできないのが心苦しいのですが🙏、年末のご多忙な中、足を運んでくださった皆さまと一緒に楽しい時間を過ごすことができました。心より感謝いたします🙇。

今回、そのコンサートの模様を FMレキオFM21 にて、2025年12月24日のクリスマスイブに編集・放送していただきました。さらに、その内容を YouTube にもアップしてくださっています。

患者さんから「ぜひ聴きたい」との声もありましたので、このブログでもご案内させていただきます。

 

 

途中には、インタビューに応じてくださった皆さまの声も収録されており、私にとってとても嬉しい内容となりました。

またお互いに元気で、今年の年末にもこのコンサートを開催できればと願っています。ご参加くださった皆さま、本当にありがとうございました。

そして、FMレキオFM21 の放送局の皆さまにも、心より感謝申し上げます😍

2026年1月16日 (金)

今週の生け花(令和8年1月第3週)

今年も第3週となりました。成人の日が終わると、新年というより、日常の延長に戻ってきたような気がします。皆さまも忙しくお過ごしのことと思います。

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今週の生け花は、花器をはじめ構図が実に斬新です。生け花をよく知らない私にとっては、これまで剣山に刺して飾るもの、というイメージがありました。もちろん流派や指導される先生によって作風はさまざまだと思いますが、当院の生け花は、いつも自由な発想で活けられているように感じます。

私はあえて生け花の流派などは聞かないことにしています。それぞれにきっと良さもあれば好みの違いもあるでしょうし、私のように気ままに写真を撮ってご紹介することが、かえって失礼になるのではないかと考えているからです。
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この時期は一年で最も寒い頃だと思いますが、ピンク色のボケ(迎春花)は桜のようで、ひと足早く春を連想させてくれます。もう少し我慢すれば、きっと春は訪れてくれるはずです。

耐える季節もまた、とても大切な時間だと思います。その分、春の訪れを待ちわび、希望に満ちた気持ちをより深く実感できるのではないでしょうか。
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今年も内外でさまざまな出来事が起こるのかもしれません。私たちも、生け花のように静かに、そして確かに時を歩んでいきたいものです。
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<花材:ボケ(迎春花)、ミモザアカシア、菊(巴錦)、雪冠杉>

2026年1月14日 (水)

舌のトラブル:よくある原因から「要注意サイン」まで

今日のFM放送「いきいきタイム」は口腔粘膜疾患について話をしました。皆様方も経験する口内炎については以前何度か書いていますのでこちらをご覧ください(➡︎ヘルペス性口内炎、➡︎アフタ性口内炎 )今回はその他の舌トラブルについて記載します。

 

口内炎と並んで、外来でよく相談を受けるのが「舌の痛み」や「舌の見た目の変化」です。舌は痛覚・触覚の神経がとても多く、体の中でも敏感な部位なので、ちょっとした刺激でも不快感が強く出やすいのが特徴です。今回は、舌の病気について“よくあるもの”から“見逃してはいけないもの”まで、ポイントを整理します。

 

1)いちばん多いのは「外傷」―噛んだ傷、こすれた傷

舌で最も多く不快感を引き起こすのは、外傷性の傷(噛んだ・こすれた・当たった)です。うっかり舌を噛んだ経験がある方も多いでしょう。強い痛みが出ますが、多くは時間とともに治ります。

ただし、入れ歯や歯の尖った部分が当たり続けている場合は、治りが遅くなることがあります。「同じ場所が何度も痛む」場合は、原因となる刺激がないか確認してみてください。

 

2)舌が赤い・すべすべ:貧血やビタミン不足が隠れていることも

舌が赤くなる(発赤)ことは、悪性貧血やビタミン欠乏のサインである場合があります。反対に、鉄欠乏性貧血では舌が白っぽく、すべすべした感じになることもあります。

また、舌がすべすべして赤く、口の中が痛む場合は、ナイアシン(ビタミンB3)欠乏など栄養状態の影響が関係している可能性も考えられます。

「最近、食事が偏っている」「体重が落ちた」「胃腸の調子が悪い」「疲れやすい」といった背景がある方は、舌の変化が“体からのサイン”になっていることがあります。

 

3)赤くて痛い:舌炎、そして“焼けつくような痛み”

赤い舌は、舌に炎症(舌炎)が起きていることを示すことがあります。炎症によって舌が赤くなり、痛みや腫れを伴います。

さらに、舌が焼けつくように痛む場合は、口腔灼熱感症候群(こうくうしゃくねつかんしょうこうぐん)などが疑われることもあります。強い潰瘍が見当たらないのに「ヒリヒリ」「ピリピリ」が続くときは、自己判断せず、医療機関で相談してください。

 

4)要注意:片側のしこり、治らない潰瘍、硬いできもの

舌の両側にできる小さなこぶは多くが無害ですが、次のような場合は注意が必要です。

・片側だけにできるしこりが続く ・原因不明の赤や白の変化が続く ・潰瘍(えぐれた傷のようなもの)が治らない ・硬いしこりが続く ・特に「痛みが少ない(または無い)」のに続く

このような場合、がんの可能性もあるため検査が必要になります。



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5)舌がんの特徴:できやすい場所と、受診の目安

舌がんはできる場所にも特徴があります。多くは舌の前3分の2、つまり口を開けて見える範囲内の舌の縁(歯が当たりやすい部分)や舌の下面に発生し、口の中にできるがんの約半分を占めると言われます。

統計上は男性に多く、50〜70歳代に多い傾向があり、喫煙や飲酒歴のある方に多く見られます。また、歯の当たる部分で慢性的な刺激を受けている場所にできやすいとも言われています。

見つかり方としては、潰瘍・しこり・出血などがきっかけになることが多く、潰瘍が2〜3週間たっても改善しない場合は、耳鼻科や口腔外科などの専門機関を受診してください。

 

6)いちばん大切なこと:根拠ある情報で、早めに正確な診断を

毎回お伝えしますが、がんに関しては国立がん研究センターなど、医学的根拠のある情報を見ることが大切です。民間療法や、いわゆる免疫をうたう治療、ビタミン剤だけで治ることはありません。

重要なのは、正確に診断して、必要な治療を受けることです。「大丈夫」と決めつけず、診断をつけてもらうことが大切になります。

 

2026年1月11日 (日)

サンタ・ジュスタのリフト (Elevador de Santa Justa)とモルカ修道院(Convento da Ordem do Carmo)

サンタ・ジュスタのリフト (Elevador de Santa Justa)とモルカ修道院(Convento da Ordem do Carmo)

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ロシオ広場から歩いて数分。

リスボン観光では必ず名前が出てくる サンタ・ジュスタのリフト(Elevador de Santa Justa) にやって来ました。

坂道の多いリスボンでは、高低差のある地区を結ぶケーブルカーやリフトは重要な移動手段です。

それらは観光用というより、**100年以上前からリスボン市民の生活を支えてきた「実用の交通手段」**でした。


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サンタ・ジュスタのリフトは1902年完成。

バイシャ地区と高台のシアード地区(カルモ広場付近)を結ぶ、高さ約45mの鉄製エレベーターです。

ネオ・ゴシック様式の優雅な外観が特徴で、今ではリスボンを代表する歴史的建造物のひとつとなっています。

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この時代の鉄の構造物を見ると、やはり ギュスターヴ・エッフェル の存在の大きさを感じます。

このリフトも、エッフェルの弟子である ルイス・レイナルド が設計し、フランス生まれのポルトガル人技師 ラウル・メスニエル・デ・ポンサルド によって建設されたものです。
(ちなみにエッフェルとその弟子たちの建築物では「➡︎エッフェル塔」はもちろん、「➡︎ビスカヤ橋 (Puente Bizkaia)」:スペイン・ビルバオにある世界初の鋼鉄製運搬橋(世界遺産)。エッフェルの弟子、アルベルト・バラシオが設計し、世界遺産にも登録されています。ポルトガル旅行記の後半で紹介予定のドン・ルイス1世橋 (Ponte Dom Luís I):ポルトガルのポルトにある二層構造の鉄橋。エッフェルの弟子、テオフィロ・セイリグが設計、ペシュト駅(西駅)(ハンガリー、ブダペスト): 現在のブダペスト西駅の駅舎は、エッフェルの会社の設計 ヨーロッパ各地で彼とその弟子たちの影響を受けた建造物を見ることができます。旅をしていると、こうした「技術の系譜」に出会えるのも楽しいところです。)



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今回はリスボアカードも持っていたので「夜にでも乗ろう」と考えていたのですが、結局ほかの場所を優先してしまい、リフトそのものには乗らずじまい

少し心残りですが、その分たくさん歩けたので…これはこれで良しとします(本音はやっぱり少し残念 😅)。
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坂を登りながら見上げたリフトと、シアード地区へ続く歩道橋です。


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シアード地区側へ上がってきました。低地のバイシャ地区との高低差が、ここからよく分かります。


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夜に再び訪れると、ライトアップされたリフトは昼とはまったく違う表情を見せてくれました。
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丘の向こうにサン・ジェルジュ城(後ほど紹介)や私たちが泊まっている近くの➡︎セニョーラ・ド・モンテ展望台も見えています。


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セニョーラ・ド・モンテ展望台方向を拡大した写真です。木が生い茂っている展望台の右下が今回の宿泊場所だと思います。

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歩道橋から入ると、左がリフト乗り場。右側は最上部にある展望デッキへ続く階段です。

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有料ですが、何人かの方が展望デッキへ上っていました。(↑)あの高さからの眺めは、かなり良さそうです。
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エッフェル塔もそうですが、当時の鉄構造物は単純な構造ではなく、装飾の細かさが特徴です。そのため重量感のある印象を受けます。

ちなみに、エッフェル塔は高さ約312m・重量約7,300トン。一方、東京タワーは高さ333mですが、重量は約4,000トン。

これは装飾の違いだけでなく、建築工学の進化によって鉄の使用量が減った結果でもあります。

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こちらはリフト上部から見たバイシャ地区。1755年のリスボン大地震後に再建された街並みだけあって、通りは驚くほど直線的です。




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リフトからシアード地区へ進むと、すぐ隣に モルカ修道院(カルモ修道院)跡 が現れます。

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左の壁がモルカ修道院の残った壁となり、正面が先ほどのリフト乗り場となります。
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カルモ修道院は1389年ごろに創建されました。
しかし1755年11月1日のリスボン大地震によって、修道院と教会の大部分が崩壊。図書館と約5,000冊の蔵書も失われたと伝えられています。

その後、修道院は再建されることなく、現在は カルモ考古学博物館 として、そして震災遺構として保存・公開されています。



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こちらがゴシック様式の教会正門です。
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修道院に隣接する歴史博物館。

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カルモ広場の中央には、印象的な噴水がありました。4本の柱が水盤の上に立ち、アーチを描く独特の造形で、クラシックとバロックが融合したような雰囲気を持っています。

夕方に訪れましたが、広場の周囲にはおしゃれなカフェが並び、歩き疲れた体を休めるにはちょうど良い場所でした。廃墟となった修道院と、静かな広場の空気。リスボンという街の「時間の積み重なり」を感じるひとときでした。

 
中世から大航海時代、そして震災と再生の歴史が、今も街の随所に刻まれています。

このあと訪ねたのは、日本と深い歴史的なつながりを持つ場所です。ポルトガルは、日本が歴史上初めて交流を持ったヨーロッパの国。その交流の象徴の一つが、天正遣欧少年使節団が宿泊したと伝えられるサン・ロケ教会でした。

次の記事では、リスボンの街に残る日本とヨーロッパが初めて本格的に出会った時代の痕跡をたどってみたいと思います。

2026年1月 9日 (金)

今週の生け花(令和8年1月第2週)

令和8年、今年初めての生け花が院内に飾られていました。

生け花クラブもいよいよ始動したようです。今年もお世話になります。

美的感覚に乏しい私がご紹介するのもおこがましく、十分に魅力をお伝えできないかもしれませんが、病院の中に花があるだけで、心がふっと和らぎます。

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正面を向いた黄金色の菊と、上へと伸びる啓翁桜のおかげで、全体に勢いのある構図となっています。

午年の始まりだからでしょうか、今にも走り出しそうな躍動感を感じました。


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細長い花器のため、正面から見る場合と斜めから眺める場合とでは、印象が大きく異なります。

こうした違いを発見できるのも、生け花ならではの魅力だと感じます。
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一つひとつを見れば、まったく個性の異なる花々(+葉)です。

それでも見事に調和の取れた作品に仕上がっているのは、生け花クラブの皆さんのセンスの良さの表れだと思います。

海の向こうのリーダーたちにも、違いを尊重しながら調和できる世界を築いてほしい――そんなことまで、つい思ってしまいました。
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<花材:啓翁桜、菊、ストック、椿の葉>
今年も生け花クラブの皆さまには大変お世話になります。

そして、いつもこのブログをご覧くださっている皆さまにも、心より感謝申し上げます。

本年もどうぞよろしくお願いいたします ❤️‍🩹

2026年1月 7日 (水)

今年最初のFM放送となります。小さな目標を立てて健康維持に努めましょう

あけましておめでとうございます。今年初めのFM放送は〜午年に始める、健康への小さな一歩〜と称してざっくばらんに話をしました


2026年も、地域の皆さまの健康を支える医療を大切にしながら努めることが出来ればと考えています。今年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

今年は干支でいうと「午(うま)年」です。

馬が前へ前へと進む姿から、午年は「動き」「前進」「チャレンジ」の年と言われています。

健康づくりも同じで、いきなり大きく変える必要はありません。

できるところから、小さな一歩を踏み出すことが何より大切です。

 

病気の前に整えたい「生活習慣」

がん、心臓病、脳卒中など、多くの病気の背景には、食事・運動・睡眠・ストレスといった日々の生活習慣が深く関わっています。

人間の体には、体調を一定に保とうとする「恒常性(ホメオスタシス)」という働きがありますが、生活習慣の乱れが長く続くと、その力は少しずつ弱くなってしまいます。

怖いのは、初期にはほとんど自覚症状がないことです。

だからこそ、病気になる前の段階で、生活習慣を見直すことが重要になります。

 

今日からできる健康習慣のポイント

今年はぜひ、次のようなことから始めてみてください。

・起きる時間を決め、朝の光を浴びる

・食べ過ぎず、よく噛んで食べる

・毎日10分でも体を動かす

・水分をこまめにとり、塩分を控えめに

・年に一度は健康診断を受ける

どれも特別なことではありませんが、続けることで体は確実に応えてくれます。

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午年らしく「一つだけ」始めてみましょう

すべてを完璧にする必要はありません。「今年はこれだけは続けてみよう」そう決めることが、健康への第一歩です。

2026年が、皆さまにとって元気に、安心して過ごせる一年となることを心より願っております。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

2026年1月 4日 (日)

リスボン中心地観光No3(BICA線、薬物博物館、サンタ・カタリナ展望台、brasileira do chiado lisbon、Livraria Bertrand - Chiado)

(2026年が皆さまにとって、平和で健やかな一年となることを心より願っております。今年もどうぞ宜しくお願い申し上げます)

リスボン中心地観光No3(BICA線、薬物博物館、サンタ・カタリナ展望台、brasileira do chiado lisbon、Livraria Bertrand - Chiado、FNAC )

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130年以上動き続けるケーブルカーと、街に積み重ねられた時間を辿って

リスボンの坂道が連なる風景に、路面電車やケーブルカーが走る姿は、本当によく似合います。

この街を歩いていると、「移動すること」そのものが、すでに観光の一部になっていることに気づかされます。

車両の大きさが似ているため、同じように見えることもありますが、路面電車が通常の電車であるのに対し、ケーブルカーは車両に取り付けられたケーブルを巻き上げながら、急な坂道を上下に移動する仕組みになっています。

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リスボンには、3つの主要なケーブルカー(アセンソレス)があります。

ラヴラ線、グロリア線、ビカ線の3路線で、いずれも坂の多いこの街では欠かせない存在です。観光客だけでなく、市民の日常の足として今も使われています。

 

リスボンの3つのケーブルカー路線

ラヴラ線(Ascensor do Lavra)

1884年開業。リスボン北東部、カルモ修道院近くの丘を結びます。

グロリア線(Ascensor da Gloria)

1885年開業。レスタウラドーレス広場とバイロ・アルト地区を結ぶ路線で、利用者も多く人気があります。

ビカ線(Ascensor da Bica)

1892年開業。テージョ川近くのサン・パウロ通りからバイロ・アルト地区へと一直線に延び、リスボンらしい風景を楽しめる路線です。

この中でも特に人気が高いのは②と③。

①は構造上、写真映えしにくいこともあり、観光客はやや少なめのようです。

なお②のグロリア線は、私たちが訪れた直後に大きな事故があり、しばらく運休となっています。

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今回は③のビカ線に乗ることにしました。

すでに乗客が多く正面からの撮影はできませんでしたが、直線的に坂を下るこの路線からは、街並みの向こうにテージョ川まで見渡せる眺めが広がります。
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人気路線だけあって、途中では写真を撮ろうと待ち構える人たちの姿も見かけました。

日本なら混雑になりそうな場面でも、ここではそれすら街の風景の一部のように感じられます。
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坂の多いリスボンでは、この距離を徒歩で移動するのはやはり大変です。

こうしたケーブルカーが、今も生活の中で重要な役割を果たしていることを実感しました。
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どこを切り取っても絵になる路線です。
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オレンジ色の可愛らしい車両、細く長い坂道、その先に広がるテージョ川と南岸の風景。

「これぞリスボン」と思わず言いたくなる光景でした。
1892年開業、すでに130年以上の歴史を刻んできたケーブルカー。

当時この路線を利用していた人たちは、もう誰一人としてこの世にはいません。

そう思うと、この街に積み重ねられてきた時間の重みを、しみじみと感じずにはいられません🤭


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ビカ線の上の駅で降り、左へ進むと、次の目的地であるサンタ・カタリナ展望台へと向かう道が続きます。


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一旦ケーブルカーを離れ、下の駅と平行に歩いていくと、やがて坂道の一部がV字状にくぼんだ細い小道が現れました。

そこをケーブルカーが上下に行き交う様子を、間近で見ることができます。
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まるで谷間を縫うように、静かに動き続けるケーブルカー。

観光用に保存された存在ではなく、今も街の中で“現役”として息づいていることがよく分かる光景でした。
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「薬物博物館(Museu da Farmácia)」
サンタ・カタリナ展望台の手前で、ひときわ目を引く黄色い建物が現れます。

地図を見ると「薬物博物館(Museu da Farmácia)」と表示されていました。
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この博物館は1996年に開館し、ポルトガルにおける薬局・薬剤師の歴史を後世に伝えることを目的に設立されたそうです。

1階では国内の薬局や医薬品の歴史、2階ではメソポタミアやエジプトから、中国、日本に至るまで、世界の薬の歴史が展示されているとのこと。

医師である私としては、正直なところ少し心惹かれる場所でした。

しかし今回は時間の都合もあり、あえて立ち寄らず、次回の楽しみに取っておくことにしました(笑)。


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サンタ・カタリナ展望台:
展望台の前にはカフェがあり、この景色を眺めながらゆっくり過ごす人たちの姿が見られます。

急がず、何もしない時間を楽しむ――そんな過ごし方がよく似合う場所です。
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眼下にはテージョ川、その向こうには4月25日橋、さらに遠くにはキリスト像。

リスボンらしい景色が、広い視界いっぱいに広がります。
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欄干には、地元写真家によるものと思われる作品がいくつか飾られていました。

構図や光の捉え方も見事で、つい足を止めて見入ってしまいます。
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名残惜しさを感じながら、次は歩いてシアド(Chiado)地区へ

展望台から街へと戻るこの道のりも、またリスボンらしい散策です。
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1905年創業、シアド地区ガレット通りにある老舗カフェです。

評判通りの人気で、店内だけでなく店の外まで多くの人で溢れていました。
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店の横には銅像があり、その隣の椅子に腰掛けて写真を撮る人の列が途切れることはありません。

この人物は、ポルトガルを代表する詩人・作家フェルナンド・ペソア。このカフェの常連だったそうです。

多くの芸術家や知識人が集った場所であることが、今も自然と伝わってきます。

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賑わう通りをさらに進むと、今回もう一つ楽しみにしていた場所が見えてきました。
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Livraria Bertrand(リヴラリア・ベルトラン):

1735年創業。ギネスにも登録されている「世界最古の書店」です。

約300年という長い年月を、街とともに歩んできました。

この場所に立つと、時間の流れの長さと、人の一生の短さを自然と意識させられます。

そして同時に、「今ここに立っている」という事実そのものが、ありがたいことだと感じました。

・・生きているからこそ、ここに来ることができたのです。

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店内は木製の書棚が並ぶ落ち着いた雰囲気ですが、決して古びた印象はありません。

現代的な書店として、今も日常の中で使われ続けていることがよく分かります。

300年の歴史があっても「博物館」にならず、現役であり続ける――

その姿勢こそが、この書店の魅力なのかもしれません。

ポルトのレロ書店とは、また異なる趣を感じました。

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こうして振り返ると、ケーブルカーに始まり、展望台の眺め、歴史あるカフェや書店へと続いた今日の散策は、「リスボンという街の時間」を辿る一日だったように思います。

130年以上動き続けるケーブルカーと、300年近く現役を保つ書店。

その間を縫うように、私たちは街を歩いていました。

派手な観光地でなくても、街の日常や積み重ねられた時間に触れることこそが、旅の中で最も深く心に残るものなのかもしれません。

そんなことを感じながら、私たちは次の目的地へと足を進めました。

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