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2025年11月

2025年11月30日 (日)

サンタ・マリア・デ・ベレー教会(Igreja Santa Maria de Belém)

*サンタ・マリア・デ・ベレーン教会(Igreja Santa Maria de Belém)

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🔸正式名称と位置関係

上の写真の大部分は「ジェロニモス修道院」ですが、私たちが一般に“修道院”として認識している部分は写真右側の建物群にあたります。左側の大きな回廊と中庭を持つ建物は、もともと修道士たちの宿舎として使用されていた西棟で、後に改築されて現在は海洋博物館(Museu de Marinha)として利用されています。

つまり、海洋博物館は修道院の一部でありながら、観光客が「ジェロニモス修道院」として見学する豪華な回廊や教会部分とは、入口も展示内容も異なる独立した施設となっています。

共通券も販売されているようですので、西棟の見学=海洋博物館という理解で良いと思います(私はまだ入場したことがありません)。

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ジェロニモス修道院は正式名称を「ベツレヘム(ポルトガル語ではベレン)の聖母マリア王立修道院(The Royal Monastery of Saint Mary of Belem)とのこと(この記事を書いている途中で知りました😅)。
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すぐ隣に建つのが、今回紹介するサンタ・マリア・デ・ベレー教会です。観光の印象としては修道院と一体に感じられますが、厳密には別施設となっています。

 

🔸南門 ― マヌエル様式の傑作
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ジョアン・デ・カスティーリョ作とされる24体の聖人像や紋章がびっしりと彫り込まれ、中央にはエンリケ航海王子、頂部にはベツレヘムの聖母が配されています。

まさにマヌエル様式の最高傑作のひとつと称される南門です。


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🔸1581年、天正遣欧少年使節団も訪れた場所
テレビ番組によると、1581年にポルトガルを訪れた天正遣欧少年使節団もこの南門を目にし、その壮麗さに大きな衝撃を受けたといいます。

当時の日本の少年たちがヨーロッパ建築を初めて目にし、神の存在を強く意識したのも想像に難くありません。
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🔸教会は無料で見学可能 ― 長い列でも進みは速い

ジェロニモス修道院は有料で、入口左側がその列。一方、無料で入場できるサンタ・マリア・デ・ベレー教会は右側の列になります。

私たちは修道院見学後に外へ出て教会へ入りましたが、列は長くてもチェックがないため意外とスムーズに入れました。
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(写真は開館前の教会入口付近)

 

🔸内部 ― 王家の墓廟としての聖堂
この教会は王家の墓廟としても利用され、見学も自由にできます。
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🔸詩人 カモンイスの石棺

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入口近くには、ポルトガルを代表する詩人ルイス・デ・カモンイスの棺があります。

ヨーロッパでは王族だけでなく詩人や哲学者にも大きな敬意が払われており、日本との文化の違いを感じる瞬間でもあります。
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🔸航海者 ヴァスコ・ダ・ガマの石棺
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さらに、誰もが知る偉大な航海者 ヴァスコ・ダ・ガマ の石棺も安置されています。
1498年、喜望峰を経由してインド航路を開拓。これによりヨーロッパとアジアを直接結ぶ貿易が可能となり、ポルトガルは香辛料貿易で巨万の富を築き、アジア進出を本格化させました。





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🔸ステンドグラスと主祭壇
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主祭壇の背後にはキリストの生涯を描いた5枚の絵画が並び、ステンドグラスも見事です。

光が差し込む時間帯に訪れると、色彩がさらに際立ちます。
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🔸金色に輝く礼拝堂 ― 信仰と財力の象徴
入口付近には金色に輝く礼拝堂(祭壇)があり、

おそらく **「アルタール・デ・ノッソ・セニョール・ドス・パッソス(Nosso Senhor dos Passos)」**と呼ばれる形式で、キリストの告発から磔刑、埋葬までの歩みを象徴しているものと思われます。ポルトガルやブラジルでもよく見られる様式です。
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信者ではない私には細かな意味までは理解できませんが、当時の財力と信仰の深さが伝わる圧巻の空間でした😆

2025年11月28日 (金)

今週の生け花(令和7年11月第4週)

那覇市もやっと涼しくなり過ごし易くなりました。今年は11月中旬まで半袖で過ごしていましたが、流石に長袖出勤となりました。

湿気が高い沖縄ですが、最近は乾燥してきています。火の元には注意して欲しいです。

日本でも香港でも大規模な火災が起きて心が痛くなります。日本でも大分県で起きた火災のように、木造の密集住宅地が各地にありますし、高層マンションでの火災も人ごとではありません。これからの冬の時期は特に気をつけたいところです。

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今週の生け花は花材も3種類で少ないのですが、花器もその3種類の花材ともに特色のある輝きを見せています。あえて言えばストックが控えめですが、全てかセンターの位置にいる感じを受けます😊
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斜めから見ると空に向かって矢を放つような勢いにも見えてしまいます。来週から師走です。頑張って突っ切って行きましょう😊
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<花材:トーチジンジャー、メラリウカ、ストック>

2025年11月26日 (水)

過敏性大腸炎の症状・原因・治療(簡単に解説)

過敏性大腸炎(IBS)とは?症状・原因・治療

突然お腹が痛くなって、トイレを必死に探した経験はありませんか?

現代社会で増えている「過敏性大腸炎(過敏性腸症候群:IBS)」は、

大腸に大きな異常がないのに、下痢や便秘、腹痛が繰り返し起こる病気です。

特に若い世代の男性・女性に多く、ストレスで悪化しやすいことが特徴です。

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■ 過敏性大腸炎(IBS)とは?

IBSは、検査でははっきりとした異常が見つからないのに、

・繰り返す腹痛

・下痢や便秘の慢性化

・ガスが溜まりやすい

・トイレが心配で外出しづらい

などの症状が続く状態です(6ヶ月以上継続)。

単なる「お腹の弱さ」と誤解されがちですが、

生活の質を大きく下げる“れっきとした病気”です。

 

■ なぜ起こるの? ―「腸」と「脳」が深く関係しています

人間の腸は「第二の脳」と言われるほど、自律神経の影響を強く受けます。

精神的ストレス、睡眠不足、生活の乱れなどが続くと腸の働きが乱れ、

・腸が過剰に動く → 下痢

・動きが弱くなる → 便秘

・腸が過敏になる → 腹痛

といった状態が起こります。

(細かく言えば過敏性腸症候群の原因は、ストレスや過度の緊張、腸炎などの感染症後、腸内細菌の乱れ、一部の高カロリー食・高脂肪食、遺伝などが考えられていますが前者が殆ど

■ IBSの診断基準(ローマⅳ基準)

A:直近3か月のうち、月に4日以上の頻度で腹痛や不快感が繰り返し起きており

B:以下の3つのうち2つ以上に当てはまる方が該当します。

 ①排便によって症状が和らぐ

 ②症状にあわせて排便の回数が変化する

 ③症状の出現にともない、便の形状が変わる 

 

■ IBSの4つのタイプ

① 下痢型

② 便秘型

③ 交代型(下痢と便秘を繰り返す)

④ ガス型(お腹の張り・ガスが気になる)

 

■ 実際はどうやって診断する?

IBSの診断基準に加えて

・他の病気がないか(大腸がん・炎症性腸疾患・脂分の食べ過ぎ・過度の飲酒など)を否定して初めて診断がつきます。

 

■ 治し方・治療方法

① 生活習慣の改善

・規則正しい食事

・睡眠をしっかりとる

・運動(特にウォーキング)

・アルコール・カフェイン控えめ

② 食事の見直し

・脂っこいものを控える

・乳製品で下痢が出る人は控えめに

・水溶性食物繊維を中心に

③ 薬物療法

下痢止め、便通改善薬、腸の過敏さを整える薬、自律神経を整える薬など。

④ ストレスケア

症状が強い場合、心療内科との併用が効果的です。

■ IBSは「治らない病気」ではありません

適切な治療と生活改善で、多くの人が症状をコントロールできます。

 

IBSへの誤解

この病態を知らないと「休みの時には症状改善、仕事や学校の時には悪化」するため仮病と周りから見られる→本人にとって更に辛い病気となる。周りの方の理解も重要となる疾患。

日本人人口の10%程度がこの病気で体質と思って我慢している方も多く、実際の人数は更に多いかも知れない。

気になる症状がある場合は医療機関に相談して下さいね。

2025年11月23日 (日)

ジェロニモス修道院No2:1階回廊で訪れた“奇跡の貸切タイム”と、建築美を味わう贅沢なひととき(後編)

■ 入館直前のトラブルで“写真撮影気力消失”の危機…!

ジェロニモス修道院の開館は9時30分から。

本当は朝いちばんに並びたかったのですが、便利なリスボアカードの受取窓口が9時開店のため、カードを受け取ってから並ぶことになりました。それでも9時10分には到着。前には30名ほどだったので、「よし、途中の階段は後回しにして、誰もいない2階回廊をまず撮るぞ!」と期待していました。

ところが、入館直前になってまさかの機械トラブル発生。しかも 私たちのすぐ前 で止まってしまい入館できず、10分ほどの待ち時間に…。この10分が致命的で(笑)

短い足を駆使し2階に着いた時にはすでに先に入ったグループが散らばっていたため、人のいない写真は完全に不可能に😂 ☞前回の記事(ジェロニモス修道院No1)

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■ 作戦変更!2階から1階へ──これが大正解だった

というわけで、2階は大まかに写真だけ撮って、すぐに1階へ降りることにしました。これが結果的に“神判断”でした😆


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 2階の観光客がまだ下りてくる前のわずかな時間帯、1階回廊がほぼ貸切状態に。

長い廊下に誰もいない光景を撮れるなんて、写真好き(?)としては幸運この上ない瞬間です。私自身、写真に自分が写り込むのも大の苦手なので、この短いシャッターチャンスは本当にありがたかったです。


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2階部分は既に多くの観光客が見学していましたが、1階は5分程度かも知れませんがほぼ誰もいない状況です💪
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■ 人のいない回廊を撮影──美しい装飾をじっくり味わう

人が写らないうちに、まずは廊下の全景を撮影。そのあとで、じっくりと細部を見ることにしました。


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ジェロニモス修道院の1階回廊は、天井アーチから柱、壁面に至るまで緻密な彫刻がびっしりと施されており、当時のポルトガル王国の財力を物語る豪華さ。

大航海時代という栄華の象徴が、これほど見事に建築として残されているのは圧巻です。

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■ ジェロニモス修道院はベレンの塔とともに世界遺産に登録

ジェロニモス修道院とベレンの塔は、どちらも16世紀初頭にマヌエル1世の命によって建てられました。大航海時代のポルトガルの繁栄を象徴する建築として、1983年にポルトガル初の世界遺産に登録されています。

実際に内部を歩いてみても、「これは確かに世界遺産にふさわしい」と感じる場所です。

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■ 朝の曇り空が“いつものように”青空へ

この日は少し曇り気味でしたが、時間が経つにつれ青空が広がってきました。

今回の旅行では、なぜか「朝は曇り → 9時ごろから青空」という日が多く、不思議に思っていました。

大西洋に面しているためか、リスボン・コインブラ・ポルトのような大河のある街では朝霧が発生しやすいのか…?

理由は分かりませんが、結果的には見学の時間帯に晴れてくれるのでありがたい限りです。


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■ 回廊は四方を囲む“聖なる散歩道”──祈り・瞑想の場

回廊は四方を囲む正方形で、1辺は55メートルほど。これだけ広い回廊が完全な静寂に包まれている瞬間に立ち会えるのは貴重です。

修道院における回廊は、修道士たちが祈りや瞑想をしながら歩く「地上の楽園」と呼ばれる場所だそうで、ここを歩くだけで心が整うような雰囲気があります。


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■ 1階と2階で異なる建築家──“時代の違い”が美しさを生んでいた

ブログ仲間の記事にあったのですが、1階と2階では建てられた時代も設計者も異なっています。

・1階:ディオゴ・ボイタック(初期マヌエル様式)

・2階:ジョアン・デ・カスティーリョ(やや後期、装飾性更に上昇)

そのため、統一感はありながら、細部の造形やアーチの形状に特徴的な違いが見られます。ジェロニモス修道院の着工は1502年。主要部分が完成したのは1551年ですが、最終的な工事終了はさらに100年後とのこと。

つまり、1世紀以上にわたって進められた壮大なプロジェクトだったわけです。


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■ 天井に刻まれた“テンプル騎士団の十字”──長年の謎がようやく解けた

天井には、どこかで見覚えのある“テンプル騎士団の十字”が彫られていました。テンプル騎士団は1119年に創立された騎士修道会で、巡礼者の護衛や聖地エルサレムの防衛などを担った武装修道士集団です(マンガや映画、ドラマで出てきそうです😸)。

ヨーロッパ全域に広がったテンプル騎士団は、聖地がイスラム教徒の手に奪い返されて本来の目的を失った後も活動し続けたが、1300年代初頭にフランス王フィリップ4世の策略によって壊滅状態となり、1312年の教皇庁による異端裁判で正式に解体されています。

しかし、ジェロニモス修道院が建てられたのは、テンプル騎士団が解体された後なのに、なぜこの十字が残っているのか? ずっと疑問に思っていました。 その答えは、ポルトガル王ディニス1世にありました。

● テンプル騎士団 → キリスト騎士団へ

ディニス1世は騎士団の解体を拒み、国内の資産を没収する代わりに、 1319年「キリスト騎士団」を新設。団員や資産を引き継がせたのです。

ジェロニモス修道院の敷地では、かつてキリスト騎士団の修道士たちが航海の安全を祈願していました。 エンリケ航海王子やヴァスコ・ダ・ガマもキリスト騎士団と深い関係があり、大航海時代を支えた組織として歴史に名を残しています。

つまり、あの十字は“テンプル騎士団 → キリスト騎士団”という継承の証だったわけです。

長年の疑問がようやくスッキリ解けました👍



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今回私は行っていませんがテンプル騎士団の実質的な本拠地(城塞と聖堂)は、リスボンから離れたトマールにある「キリスト修道院」があります。ここも世界遺産であり、テンプル騎士団時代の要塞と、キリスト騎士団時代以降のマヌエル様式の建築が融合した、歴史的に非常に重要な場所となっています。



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■ 見事すぎる彫刻群──イスラム文化の影響も?

柱や壁面を近くで見ると、驚くほど細やかな彫刻に圧倒されます。

その緻密さや装飾性は、どこか イスラム建築のムデハル様式の影響 を思わせる部分もあります。

 

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細部まで細かな彫刻がなされていました、本当に美しく繊細な彫刻です😲Th361
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このような細部の彫刻の数や正確さはイスラムの影響を受けているのかとも考えてしまいます。
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赤い矢印で示した“アーミラリ天球儀”は知恵と知識の象徴で、マヌエル1世が国家のシンボルとして用いたもの。現在のポルトガル国旗にも描かれています。


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食堂(Refectory)の中庭に面する場所のライオン像

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ここのライオン像は厳めしさはなくておどけて見える表情をしています。今は水が出ていませんが、元々は修道士たちが食事の前に手を洗うための「手洗い場(lavabo)」の一部として機能していたそうです。そう言うことなら食堂の入り口近くにあるのも納得です(他の四隅にはありません)。ライオンは、この修道院の守護聖人である聖ヒエロニムス(ジェロニモス)の紋章的なシンボルであるため、修道院内の様々な装飾(レリーフや絵画)だけでなく、この独立した噴水としても存在しています。
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ジェロニモス修道院と教会に入る部分は仕切りはありますが同じ門から入ります。右が教会で左に進むとジェロニモス修道院と思っていたらそうではありません。真っ直ぐ上の階段を登り今度は右に向かうとジェロニモス修道院の2階回廊の見学・・・やっと理解出来ました。私達は教会の奥を見ているのであって、入る前に並んでいた大きな建物(左側)の中に入ってはなかったのです。
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■ 1階の食堂へ──アズレージョに彩られた美しい空間

1階奥には修道院の食堂(Refectory)があり、壁一面を埋め尽くすアズレージョ(タイル画)が見事です。

観光客が増えてくる時間帯でしたが、それでも十分にその美しさを堪能できました。


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■ 隣には“小さな礼拝堂”──石棺の正体は?

食堂の横には、小礼拝堂のような部屋があり、中央には大きな石棺が置かれています。


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「あれ?エンリケ航海王子の棺?」と一瞬思いましたが、ここにあるのは アレクサンドル・エルクラーノ(著名な歴史家・文学者)の棺。

 

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リスボン市内には彼の名を冠した通りがあるほどの人物で、遺灰は1888年にこの修道院へ移されたそうです。

リスボン市内には彼の名を冠した通りがあるほどの人物で、遺灰は1888年にこの修道院へ移されたそうです。 アレクサンドル エルクラーノ通り

Continue reading at https://dailynewshungary.com/ja/hungary-spotted-in-portugals-capital/ | DailyNewsHungary
アレクサンドル エルクラーノ通り

Continue reading at https://dailynewshungary.com/ja/hungary-spotted-in-portugals-capital/ | DailyNewsHungary
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■ ちなみに…ヴァスコ・ダ・ガマの棺はここではありません

有名なヴァスコ・ダ・ガマの棺は、この有料エリアではなく、隣の サンタ・マリア・デ・ベレン教会(無料) にあります。こちらもぜひ次回紹介しますね。

ついでに話をすると有名なコロンブスは実はジェノバ(イタリア)人ですが、スペイン王国によって新大陸を発見したため、スペインのセビリア大聖堂の中に安置されていますセービジャ(セビリア)大聖堂

2025年11月21日 (金)

今週の生け花(令和7年11月第3週)

今週の生け花(令和7年11月第3週)

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今週の生け花は、上品さの中に静かな闘志を感じさせる作品となりました。

ドウダンツツジの枯れ葉と、蛇行する枝の力強いラインがその印象をもたらしているのかもしれません。
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生け花は、観る角度によって表情が変わります。

この点は、平面に描かれる絵画とは大きく異なり、むしろ彫刻に近い芸術なのかもしれません。(違うかな?😅)


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今年は「秋が短い」と予想されていましたが、確かにその気配を感じます。ニュースでも紅葉の話題があまり聞こえてきませんね。

政治的な発言が影響して国際関係が揺らぐ様子を見ると、「言葉は時に武器よりも重い」ということを改めて思います。

曖昧さもまた時には抑止力になるのでしょう。

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そんなことをつい考えてしまう日も、静かに寄り添ってくれる生け花に感謝です。💝
<花材:ドウダンツツジ、菊、ケイトウ、スプレーカーネション>

2025年11月19日 (水)

『白貂を抱く貴婦人』レオナルド・ダ・ビンチ

今日は第3水曜日で会議のため、ラジオ放送がなく、何もアップしないつもりでいました。

今朝、少し早く目覚めてぼんやりしていると、昨夜寝る前に読んだ「Codex Atlanticus(ダ・ヴィンチのスケッチ集がデジタル化されたサイトCodex Atlanticus:https://codex-atlanticus.ambrosiana.it/ )」の記事のことを思い出しました。その時にクラクフでみた『白貂を抱く貴婦人』が何故か同時に浮かんできました。

■ ダ・ヴィンチが描いた女性は4人しかいない

レオナルド・ダ・ヴィンチの作品の中で、単独の女性を描いた肖像画はわずか4点しか現存していないと言われています。

①『モナ・リザ』(ルーブル美術館・パリ) ②『ミラノの貴婦人の肖像』(ルーブル美術館・パリ)  ③『ジネーヴラ・デ・ベンチの肖像』(ナショナル・ギャラリー・ワシントン) ④『白貂を抱く貴婦人』(チャルトリスキ美術館 ・クラクフ)

30年以上前に訪れたルーブルでは、『モナ・リザ』と『ミラノの貴婦人の肖像』が写った写真(かなり劣化してしまいました)が手元に残っています。

ワシントンにはまだ行ったことがないので、当然『ジネーヴラ・デ・ベンチの肖像』は未見です。


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チャルトリスキ美術館(波: Muzeum Książąt Czartoryskich w Krakowie, 英: Princes Czartoryski Museum)は、ポーランド南部の都市クラクフにある、ポーランド最古の美術館となります。

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この美術館にダ・ヴィンチの『白貂を抱く貴婦人』があると知り、わざわざ足を運びました。入口に掲示されているポスターだけは撮影(↑)できたのですが、肝心の作品は撮影禁止。☞クラクフ市内観光No1

もちろん、実物と対面できたのは大きな感動でしたが、写真がないため見返すことができず、その時の余韻も次第に記憶の奥へ沈んでいきました。


■ 大塚美術館で再会

ところが数年前、学会の帰りに訪れた大塚美術館で、思いがけず『白貂を抱く貴婦人』と再会したのです。

(もちろん大塚美術館にあるのはタイルによる精巧な複製です。)

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大塚美術館は本当に素晴らしい美術館で、多くの名画が再現されています。ただ、さすがに『モナリザ』は「うーん…」という感じでしたが(🙏)。

『白貂を抱く貴婦人』はオリジナルの背景が黒く塗りつぶされていることもあって、クラクフで見た実物とほとんど印象が変わらず、感動が一気によみがえりました。

・・・今日は思いだした作品を紹介しました💝 あなたにとっての思い出深い作品は何かありますか?

 

2025年11月16日 (日)

ジェロニモス修道院No1(主に2階部分)

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ホテルを出てベレン地区の早朝散歩を行い、8時から開店するパティシエ・デ・ベレンでここが発祥のエッグタルトとコーヒーを飲んで次に向かうは観光に有用なリスボラカードを購入に出かけました。

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リスボアカードは交通公共機関や主な観光施設に入れる旅行者向けのカードとなっています。 私の場合は事前にネットで購入できるのは買うことにしているのですがリスボアカードはネット購入しても、現地でバウチャーを実際のカードに変える必要があります。
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このリスボアカードは購入する場所が限られています。昨夜遅くにリスボン空港に到着したのですが、空港での購入は19時までとなっていて購入できずにいました。 これから入るジェロニモス修道院もこのカードで入れます。ジェロニモス修道院の入場時間は9時30分からで、ベレン地区のリスボアカード売り場は9時開店となっていました。
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開店する前までは長方形の一面がガラス張りの建物がポツリとあります。事前に調べた限りここだと思い待つことに。ちょうど9時前に係の方がその側面から鍵をかけて中に入って行くと、なんと上の写真のようにガラス面が上に上がって来ました。結構みていて面白く動画を撮ってしまうほどです😆
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リスボアカードは24時間、48時間、72時間があり、使用した時間からその時間まで使えます。ほとんどの交通機関で使えますし、多くの観光施設が無料だったり、割引が受けられます。その分高いのですが、時短のためには非常にありがたいカードでした。期間が限られた旅行者にとっては「Time is money 」です。
すぐに購入して公園の反対側のジェロニモス修道院の入り口に並ぶことにしました。


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ジェロニモス修道院(葡: Mosteiro dos Jerónimos)はヴァスコ・ダ・ガマによるインド航路開拓および、エンリケ航海王子の偉業を称え、1502年にマヌエル1世によって着工され、1511年に回廊など大部分が完成したものの、その後、マヌエル1世の死やスペインとポルトガルの同君連合による中断等もあり、最終的な完成には300年ほどかかっている。
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9時に購入して9時5分ごろに列に並びましたが、前にはおおよそ30名ぐらいが並んでいました。リスボアカードが早めに買えたら1番目に並べたのですが・・写真を撮るためにはちょっと残念です。

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33年前に訪ねた時に疑問に思った点があり、今回は調べてみると上の結果になって納得しました。以前訪ねた時も修道院と隣の教会を見学したのですが思ったよりも広くなかったと感じたことでした。(恐らく上の写真の全体をぐるっと1周していたために感じたと思うのですが、教会内部や修道院が思っていたよりもコンパクトだったと思えたのでした。当時はデジタルでないため写真をアルバムに貼っているのですが、自分の説明文に高さは高いけれど余り大きくない教会と書いてあったのです)。 今はGoogleで簡単に写真が検索出ますので実に便利です。
上の写真の大部分はジェロニモス修道院となります。しかし私たちが認識しているジェロニモス修道院と教会は上の写真の右側の建物群となっています。 左側の大きな中庭を持つ回廊は修道院の西棟として増設されたもので、元々は修道院の修道士たちの寮や寄宿舎として使われていたそうです。現在は改築して一部を海洋博物館 (Museu de Marinha)として利用しています (別々の見学ルートとなります)。
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修道院の入場開始時間は9時30分でしたの、9時にリスボアカードを買って9時10分頃に列に並んだ時にはこの程度の方が前にいました。修道院と教会の入り口は同じですが、教会は直ぐ右のドアから入ります。一方の修道院は真っ直ぐ進み階段を登って2階部分から見学となります(左に入る訳ではないのです)。
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9時30分に機械の不具合で最初に入った方々も9時40分からで、私にとって不都合だったのは何と私達の前でまた不具合があって10分程度待たされてしまいました・・・・実はこれが後々響くことに😂 入場口から進むと階段や廊下を進んで2階の回廊部分へとルートが作られています。
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私の当初の計画では(人が写真に写り込むのが嫌いなので)階段や廊下は無視して一目散に2階の回廊までは急いで駆け上がり写真を撮りました。廊下などは後で戻って撮る予定でした(↑↓この部分も実際最後に撮ったのです)。正面の絵画は聖ジェロニモスのテンペラ画(1640~1645。ホセ.デ.アヴェラー.レベロ作)となります。

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入って大理石の階段を上ってすぐの図書館出口の天井には美しい王立修道院の紋章が描かれています。
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先ほどの私達の前の集団が過ぎて10分以上経過して入ることが出来たために、既に前の集団が2階の回廊でばらけて見学してしまっていました。何処を撮っても人が写り込むことになり、写真としては残念な結果に・・・まあ仕方ないです😂
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ジェロニモス修道院の中で最大の見どころは、修道院の中庭をぐるりと囲むように位置している回廊です。この回廊には、まるで純白のレース細工を彷彿させるような、繊細で優美な彫刻が施されているのが特徴的で、壮大な雰囲気の建築空間に華を添えています。建物のダイナミックな外観とは裏腹に、内装のきめ細やかな装飾の数々が、ジェロニモス修道院をより一層壮麗な雰囲気にしています。リスボンを訪れた際には忘れずに訪れたい場所です。


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私達の後はスムーズに受付出来たようで次々と観光客が入場して来ました。
2階の写真を少し撮った時点でまだ先頭にいたグループなどは2階部分にいました。私は2階の細部の写真を撮るのは後にして先に1階の回廊の写真を撮りに降りたのです。少しの時間帯でしたが人が写らない写真も撮れましたので次回は1階部分を紹介したいと思います。

2025年11月14日 (金)

今週の生け花(令和7年11月第2週)

変則的な動きを見せた台風26号も熱帯低気圧に変わり通り過ぎるようです。昨夜は大雨だった那覇市も風は多少強いですが雨も止んでいます。明日には晴れそうです。考えて見たら11月の中旬ですので本来は台風の心配はないはずですが・・・これも地球温暖化のせいでしょうか?

地球は誰の物でもなく全ての生き物たちのもので、それも遙か昔の地球の誕生からの歴史を引き継いで今があるのです。 愚かなリーダーのお陰で地球の急激な変化を少しでも抑えるべき手段を失いつつあります。 利己的な妄想で政策を転換するのではなくて少なくとも今ある科学的な根拠には耳を傾ける必要があると考えてしまうのですが・・・

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私の小さな世界でも言いたい放題言う輩が多くなり、怒鳴りたくなることもしばしばですが(🙏)、この私の愚痴を生け花達がそっと聞いてくれています。お陰さまで喉から先には言葉として出ることを抑えてくれています(笑)。
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誰に感謝していいか分からないので、まずは生け花達に感謝して自分の歩む道を進もうと考えています。今週の生け花は秋色向日葵とサンゴ水木の落ち着いた色合いが気持ちを落ち着かせてくれています。白い花器に黄緑のスプレーカーネションやリンドウも余りケバケバしておらず全体的に色が馴染んで見えます。
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生け花や自然界が放つ美しさは心を落ち着かせる作用があるのかも知れません。夜空や星を眺めたり、焚き火の火を眺めていると自分の営みが小さくみえて来ることがあります。俺は「何を怒っているのだろうか」と。
時々「感謝」を忘れる自分に言い聞かせる今週の生け花達です😊
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民様方にとりましては気温の変化はあると思いますが、これから素敵な秋を楽しんで下さいね💝
<花材:サンゴ水木、秋色ひまわり、リンドウ、スプレーカーネション、ハラン?>

2025年11月12日 (水)

中性脂肪は私達の味方(悪者にしないでね😊)

今日のFMレキオは中性脂肪についてお話をしました。中性脂肪はお腹のたるみだけでなく生活習慣病とかメタボリックの関係で兎角嫌われがちですが、本当にそうでしょうか?


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いつもは悪い側面だけを話すことが多いのですが、本来の中性脂肪は正義の味方であって悪ものではなす。今日は彼ら(中性脂肪)の名誉回復のために記載します

 

中性脂肪を蓄える組織が脂肪細胞でその細胞が集まった組織を、皮下脂肪や内臓脂肪などと呼んでいるわけです。脂肪細胞は成人で250〜300億個あります。その細胞の特徴は内部に中性脂肪を蓄えることで、大きさが3〜4倍まで増大できます。そのため私達は痩せたり太ったりする訳なのです。

 

中性脂肪の役割としてまず上げられるのが「効率のより備蓄用のエネルギー源」です。糖分や蛋白質と較べ同じ重さなら2倍以上のカロリー(糖質と蛋白質は1gで4カロリーですが、脂肪は1gで9カロリー)を有し、食事の間や長時間の運動などではエネルギー源として消費されます。

山で遭難したり、地震災害で何日も水だけで生きていけるのはそのためです。脂肪には「断熱材」としての役割があります。寒い冬などでは外気より体を守り、体温を一定に保つ為に必要となります。衝撃を受けた時には「クッション材」として働き、スポーツなどのコンタクト競技でも骨や筋肉、内臓を守ってくれます。女性の場合は皮下脂肪の比重が多いお陰で柔らかく赤ちゃんを抱っこしても衝撃を吸収してくれます。

 

中性脂肪の不思議を解くために、少し掘り下げみます。中性脂肪の構造はグリセリン脂肪酸からなっています。ですので中性脂肪が分解するとまずグリセリンと遊離脂肪酸になります。グリセリンは肝臓で代謝されブドウ糖になります。糖分をとらなくても、脂肪が分解されブドウ糖が出来、直ぐにエネルギー源になれる訳です。

次いで脂肪酸はどうなるかと言いますと。主に筋肉(骨格筋や心筋)に運ばれて酸素と反応して私達の細胞のエネルギー源であるATP変換され消費されて最終的には炭素と水になります。このことよりウォーキングをはじめてとする有酸素運動が脂肪燃焼にはよいと言うことが分かるかも知れませんね。                        

さっと通り過ぎましたが脂肪を含め栄養素を分解すると体の中で水(代謝水)が作られるのです。おおよそ人間は1日に300mlの水を体内で作っているのです。

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脱線ついでにラクダのコブの中には多量の脂肪組織が含まれているため、ラクダは飲まず喰わずに歩いても、そのコブの脂肪を燃焼させることでカロリーを作り出し、更に代謝水を作り出すことで乾燥地帯でも生きて行く術を身につけた動物となっていったのです。

 

過酷な環境を生き抜くラクダたちも既に自然界ではヒトコブラクダは存在せず、今いるのは家畜だけだそうです。フタコブラクダはモンゴルや中国のゴビ砂漠などにわずかに生き残っているのみで、絶滅危惧種に指定されており、個体数は減少傾向にあります。なんとなくラクダはシルクロードの商隊やアラビアのローレンスをイメージさせてくれる動物です。これからも地球上で生き残って欲しいものです😊

2025年11月 9日 (日)

パステイシュ・デ・ベレン(Pastéis de Belém)で朝食を!

昨日夜に羽田⇨ロンドン⇨リスボンに到着後、ジェロニモス修道院の隣にあるジェロニモス8と言うホテルに宿泊しました。ホテルに朝食付きのプランもあったのですが、あえて素泊まりとしました。 それは朝食をパステイシュ・デ・ベレン(Pastéis de Belém)とう老舗で取るためでした。

前回紹介(⇨早朝のベレン地区散策)したように、早朝あまり人がいない時間帯でベレン地区を散策して、パステイシュ・デ・ベレン(Pastéis de Belém)が開店する8時に合わせて店の前に着きました。

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 <店内を紹介する前に、有名なエッグタルトが生まれた経緯を説明したいと思います>

エッグタルトは、18世紀初頭にポルトガルのリスボンにあるジェロニモス修道院で、修道士が余った卵黄を無駄にしないようにと考案したのが始まりです。

それは当時、修道服の糊付けなどに卵白を大量に利用したため、卵黄だけが余ってしまう事態になりました。余った卵黄に砂糖、クリームなどを加え、カスタードタルトが作られた

修道院で生まれたお菓子は、修道院を訪れた王族や貴族をもてなす献上菓子としても広まった。そのため門外不出のレシビとして扱われることとなっていました。

修道院菓子が一般へと広がるきっかけとなったのは、1820年に起こった自由主義革命。1834年に施行された修道会・教団の廃止令により、ジェロニモス修道院の修道士・修道女たちも修道院から追放されます。 

住居と仕事を失った彼らは、生活の糧を得るために近所でパステイシュ・デ・ナタ(ポルトガルではエッグタルトではなくてナタと呼ばれいます)の販売を始めました。今でもこのレシピはこの店で受け継がれているとのことです。これが元で1837年にこのパステイシュ・デ・ベレン(Pastéis de Belém)のお店が開業となっています。ここから世界中で食べられているポルトガルを代表するお菓子となって広がっていったのです。

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この店がジェロニモス修道院の隣にあるパステイシュ・デ・ベレン(Pastéis de Belém)となります。まだ開店前ですのでほとんど人はいません。


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お店の暖簾にも1834年以来と書かれています(ポルトガル語desde⇨英語sinceだそうです)。
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写真を撮りながら歩いていると10名ぐらいの方々が店内で食べるための列を作っていましたので、私たちも並ぶことに。 上の写真の手前側が店内で食べるための入り口となります。奥の方の入り口はテイクアウトなどができる店舗となります。
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時間通りに店員が中からドアを開けてくれて、皆が入ることに。 壁に貼ってあるメニュー表を見るとナタ以外にも沢山のメニューがあるようです。
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店内は多くの装飾タイルで覆われてとても綺麗な店内です。
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最初に個人まりとした静かなスペースがあり、私たちの前の方々はこの場所で席を取っていました。
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その左奥が厨房で、実際に焼き上がったタナが並べられていました。お店の方にも許可をもらって写真を撮っています。中の方が私に笑顔で手を振っている写真もあるのですが、流石に顔がどアップされていましたので今回は載せませんでした。
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日本でも有名な「エッグタルト」ですが、ポルトガルでは「パステイシュ・デ・ナタ(pastéis de nata:複数形。単数はパステウ・デ・ナタ(pastel de nata)」と呼んでいます。ナタ(=クリーム)のパイ系の軽食・おやつ、という意味だそうです。 ポルトガルの植民地だったマカオでもよく食べる食材で「エッグタルト」と呼んでいます。それが日本にも伝わっために、日本人にはナタよりもエッグタルトで知れ渡ったのかもしれません。

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ここだけで1日に2万個作るとのとのことです。世界中の観光客や地元の方にもすごく人気の高い商品です。
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その奥には厨房と通じるドアがあり、そろそろ注文で忙しくなるようです。

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私たちは写真を撮りながらさらに奥に進むと広々とした場所に出ました。かなり沢山の席が用意されていましたが奥の方はこれから来る団体客の予約席となっていました。まあ誰もまだいないので適当な席に座ることにしました。
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壁に飾られたタイルも美しいですね。
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ものすごく人気のあるお店ですが、入り口の狭さからは想像できませんでしたが、奥には広々としたスペースと多くの客席があり、行列が出来ても程よく入れるのかも知れません(実際はわかりません)。
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建物がこの字型になっていて間が外の空間となっています。ここも朝イチでは入れないようになっていました。
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すぐに係の方がメニュー表を届けてくれました。もちろんナタがメインで注文しました。本当は後一つ朝食用にCoxas de galinha(鶏肉を使ったコロッケ風の揚げ物)注文したのですが、時間がかかるよと言われたのでキャンセルして、ナタとカフェオレを頂くことに。
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表面がカリッとして中はジューシー。思ったより甘くないクリームです。なんといっても作りたてで暖かく香ばしい香りが広がっています。私たちは2個づつで十分でした。普段からよく食べる方なら4個とかでも大丈夫かもしれませんね。
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机の上にはお砂糖やシナモン、チョコなどが置いてありました。これをかけることで味や甘みを変えるそうです。私はこのままで十分でした。 他の場所でもナタを食べてみました。頭の印象操作のせいなのか本当かは私の味覚ではなんともいえませんが、暖かくてここで食べたナタが1番美味しく感じました
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次の予定が近づいて来たのでトイレに寄ることに。入り口のタイルも綺麗です。
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パステイシュ・デ・ベレン(Pastéis de Belém)の中の状態が大きな写真に貼ってあります。
・・・さてさてここはどこでしょうか?🤭・・・・ヒントは先に進むと下の写真となります。

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ここは男性用トイ入れの中の壁となっています。これぐらい綺麗ですと汚さないように気をつけてしまいますね😅  女性のトイレはどうなっているのでしょうか? 

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会計を済ませて、出ようとすると色々と販売されている通路に面した店舗側にでます。
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美味しそうな食品が並べられていますし、ワインやオリジナルグッズも売られているようです。
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店内ではなくてお持ち帰りの方はこの入り口から店に入り、購入できるようです。時間のない方はここでテイクアウトしてあとで食べるのもOKかも。
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テイクアウト側の入り口です。私たちが店に入る時にはこの窓口はまだ開いていませんでした。

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上の写真はこの店を出たあとジェロニモス修道院などを見学後の11時ごろの写真です。やはり人気店だけあって行列が出来ているようです。それでも外見よりテーブル席は広かったのであまり待たずに入れるのかも知れませんね。皆様方もせっかくベレン地区に来たらこの店発祥のナタを賞味してくださいね❤️‍🩹

2025年11月 7日 (金)

今週の生け花(令和7年11月第1週)

11月に入り季節は一気に変わりつつあります。今年は短い秋の予報でしたが今頃秋はどの辺りにあるのでしょうか? そう言えば沖縄にいると紅葉が余り気にならなくなってしまいましたが、今年の紅葉はどうなのでしょう? きっと変わらず綺麗でしょうね。

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今週の生け花はこれまでにない横長の構図となっています。2階の小さなスペースですので構図を決めるのも難しいかも知れません。
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黄色や赤みがかった色の葉はクロトンで、紅葉に見えますが基本的にクロトンは紅葉しません。沖縄ではよく見かけるクロトンですがマレー半島や太平洋諸島などに生息するトウダイグサ科の常緑低木です。クロトンはカラフルな葉が美しく、その見た目からカラーリーフと呼ばれているようです。変異が大きく色々な色のクロトンがあります。今回は黄色と赤色があり、沖縄では少ない秋の雰囲気を醸し出しています。

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秋の主役をクロトンに奪われた今回の生け花ですが、ケイトウや菊などは秋の花ですね。 今年は熊騒動があり秋の紅葉狩りやキノコ狩りにリンゴなどの収穫も思うように行かないかも知れません。 それでも短い秋を楽しみたいものです😍
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<花材:白目柳、クロトン、ケイトウ、菊>

2025年11月 5日 (水)

手のトラブル:爪周囲炎について

今日のFM放送は指のトラブルについて説明をしました。以前のブログには「突き指について」「腱鞘炎とばね指」を書いていますので見て頂けたらありがたいです。

今日は皆様方も時々経験する爪周囲炎(そうしゅういえん(爪囲炎:そういえん))について説明をします。急性の場合が殆どと思いますが、慢性化したり時には、指全体に感染が広がり治癒するまでに時間がかかったり、場合には指を切断することもある瘭疽という病態もあります。

急性爪囲炎は多くの場合は、さかむけ、爪郭の外傷などが原因で細菌が爪の周囲の皮膚に入り込み炎症を起こすことで発症します。子供の場合は指を噛んだり、しゃぶるなどの行為によってもおきます。 慢性的な刺激や急性の爪囲炎を繰り返すことで、爪の横にぶよぶよした肉芽ができる場合もあります(=不良肉芽)。

診断は簡単(?)で、爪の縁側に沿って発赤、熱感、痛みが出ます。の先は皮下脂肪や周りに余裕がないために、腫れ出すと、ズキンズキンとした拍動性の痛みが強く出ます。進行すると爪の周りに膿が貯まり、ぶよぶよしたり、皮膚の色が白く変色したりしてきます。そうなると結構痛くて病院を受診すると思いますが、診察で皮膚の下に明らかに膿が貯まっている場合には小さなメスや注射針で穿刺して膿を出す(排膿:はいのう)処置をします。 

もしも皮膚が一部分白くなりかけれいる場合は皮膚の壊死が始まっていますので、麻酔しなくてもこの部分は殆ど痛みを感じません。切開した部分から多くの場合は褐色状の膿が溢れて、痛みも軽減するはずです。急性の場合の起炎菌は皮膚の表面に多い「黄色ブドウ球菌」が殆どですので、それに効果のある抗生剤を一緒に処方することもあります。

何時ものように文書力がないために図を書いてみました(文書を書くより図を描く方が時間がかかりました・・😰)

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何度も炎症を繰り返していると、上の3段目の様に、爪の周りにぶよぶよしたピンクっぽい盛り上がった組織ができてしまいます(不良肉芽)。塗り薬や抗生剤で様子をみますが、なかなか改善しない場合には、爪の刺激が大きいのでその部分の爪を斜めに切ることがあります。爪が生える頃には炎症も治まっています。
これまでは外来でも皆様方も経験すると思いますが、もっと怖いのは4段目の瘭疽という病態です。菌が指の内部まで入り込んでしまい、指全体は大きく腫れて、色も悪くなります。 激痛と炎症反応も強くなり、指の腱や骨にも炎症が及ぶ場合もあります。 その場合には膿瘍が形成されていると分かれば局所麻酔を行って指を貫通させるようなドレナージ術が必要になることもあります。
最後に爪の周りの炎症ですので、どの科に行けばよいのかと質問されることも多くあります。 個人的な意見しては炎症が軽ければ、皮膚科、整形外科、外科、内科でも構いません。 膿瘍が形成されている場合には、外科>整形外科>皮膚科という感じです。 瘭疽になると、入院施設のある形成外科、整形外科、外科のどちらかで行うことになると考えています。  最近は細分化されていますので、整形外科でも指は得意でない場合もありますし、外科でも瘭疽をみたことのない医師もいると思うのです。 瘭疽の場合は早めに治療が必要ですので病院を必ず受診して下さいね(まあ、ここまで来ると我慢はできないと思いますが・・・糖尿病性神経障害などがある場合には特に注意が必要です)。
手の爪回りの炎症は多くの方が経験すると思いますが、ひどい場合には早めに病院を受診して下さいね。

2025年11月 2日 (日)

早朝のベレン地区散策(ジェロニモス修道院・発見のモニュメント・ベレンの塔):貴重な1992年の写真も追加

早朝のベレン地区散策(ジェロニモス修道院・発見のモニュメント・ベレンの塔):貴重な1992年の写真も追加

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那覇→羽田(前泊)、羽田⇨ロンドン・ヒュースロー⇨リスボンと移動し、夜にリスボン到着でした。リスボンでは郊外の旅行を含めて3日間滞在予定としました。まず初日に中心部より少し離れたベレン地区を早朝から散策する計画を立てました。そのために到着日はジェロニモス修道院の隣にあるホテルに宿泊地として選びんでいます。
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朝食はホテルのすぐ近くのエッグタルト(ナタ)で有名なパティシエ・デ・ベレンで食べる計画です。そのためホテルは素泊まりとなります。そしていよいよ旅行開始となります。
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ポルトガルでも最も有名な世界遺産であるジェロニモス修道院やベレンの塔は9時30分開始です。その時間帯からは一気に観光客が増えてくることが予想されます。 誰もいない時間帯を散策できるのがこの宿泊地を選んだ最大の利点だと考えています(まあ旅の目的は各々違うので利点もちがいますが・・)
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このホテルは1泊ですので出る前に荷造りは済ませ、早朝7時前にホテルを出ました。 わずかに夜が明け出してバスなども運行したようですが、観光客の姿はここにはありません。世界遺産ジェロニモス修道院もこれから観光客を待ち受ける前の静けさです。
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すごく長い建物で上の写真では手前側がジェロニモス修道院、ドーム上の屋根のある部分がサンタ・マリア教会となります。
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修道院とテージョ川の間にあるイベリオ広場から眺める修道院は全体像も見えて美しいビューポイントとなります。
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夜明けの風景が印象的でした。
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この広場から発見のモニュメントやベレンの塔があるテージョ川河口との間には幹線道路が走っています。車も少ないので横切ろうとしましたが、ちゃんと地下通路がありました。
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誰もいないので恐る恐る降りて行きましたが、やはり中も誰もいません。たしかに多くの観光客がジェロニモス修道院と発見のモニュメントを行き来しますので、このような通路は必要不可欠だと思いました。
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地下通路から地上に出ると、目の前に「発見のモニュメント」がドンと待ち構えています。
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33年ぶりの再会です。昔訪ねた時に「命をかけて新大陸や世界各地へと出発した人々」の姿を想像して感動したことを思い出しました。

発見のモニュメント(Padrão dos Descobrimentos)は、52メートルの高さのコンクリート製で、キャラベル船の船首の曲線に似せて設計されたとのこと。エンリケ航海王子没後500年の記念行事として1960年にコンクリートで再度制作されたと言うことで新しい記念碑となっています。ですのでこれはジェロニモス修道院やベレンの塔と違い「世界遺産ではない」のです

彼は記念碑の先頭に立って世界に繋がるテージョ川を見つめています。エンリケの後方に、その他の同時代の探検家、芸術家・科学者・地図制作者・宣教師らの像が続き、東西両面に約30名のポルトガル人の像が彫刻されています。

私は入ったことがありませんが、記念碑の内部にある小さなスペースには、リスボンの歴史を展示しているそうです。記念碑の頂上(エレベーターで上がれる)に登ると、眼下の世界地図の全体像が見えますし、ベレン地区やテージョ川の素晴らしい眺めが楽しめとのことです。いつかは登ってみたいです。

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彼らの勇気ある行動が新大陸を発見したのですね💖

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記念碑の東側と西側では人物が違うようです。上の写真が東側となります。先頭はヘンリケ航海王ですが、それから上から順にアフォンソ5世 - 大航海時代の王、ヴァスコ・ダ・ガマ - インド航路発見者、アフォンソ・バルダイア - 騎士、ペドロ・アルヴァレス・カブラル - ブラジル発見者、フェルナン・デ・マガリャンエス(フェルディナンド・マゼラン) - 初めて世界一周を成し遂げた、ニコラウ・コエーリョ - 航海士、ガスパル・コルテ=レアル - 航海士、マルティン・アフォンソ・デ・ソーザ - 航海士、ジョアン・デ・バロス - 歴史家、エステバン・ダ・ガマ - 大航海時代の船長、バルトロメウ・ディアス - 喜望峰を初めてまわりインド洋へ到達、 ディオゴ・カン - コンゴ川に到達した最初の人物、アントニオ・デ・アブレウ - モルッカ諸島に到達した最初の人物、アフォンソ・デ・アルブケルケ - ポルトガル領インド第2代総督(副王)、フランシスコ・ザビエル - 日本へ1549年にキリスト教を伝道した宣教師、 クリストバン・ダ・ガマ - 航海士・騎士・・・となっています。

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東面の下から2番目が日本でもお馴染みのフランシスコ・ザビエルとなります(☝)。

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西側は東側とは違う人物像となります。先頭のヘンリケ航海王の後から順にフェルナンド聖王子- ジョアン1世の王子、エンリケ航海王子の弟、ジョアン・ゴンサルヴェス・ザルコ - 騎士、ジル・イアネス - 航海士、ペロ・デ・アレンケーレ - 航海士、ペドロ・ヌネス - 15世紀の数学者、ペロ・デ・エスコバール - 航海士、ジャコメ・デ・マイオルカ - 天文学者、ペロ・ダ・ゴビリャン - 15世紀の冒険家、陸路でインド到達、ゴメス・イアネス・デ・ズラーラ - 作家、ヌノ・ゴンサルヴェス - 15世紀の画家、ルイス・デ・カモンイス - ルネサンス期の詩人。航海者を著作『ウズ・ルジアダス』で讃えた、フエレイ・エンリケ・カルバーリョ - 神学者、フェルナン・ゴンサロ・デ・カルバーリョ - 神学者、ドナ・フィリパ・デ・レンカストレ - ジョアン1世の王妃、エンリケ航海王子らの母、 ペドロ・デ・コインブラ - ジョアン1世の王子、エンリケ航海王子の兄・・・・となっています。

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先頭だけは東西とも先頭で船を持っているのがヘンリケ航海王となっています。

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Wikipediaに名前の載った画像がありましたので載せておきます。
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発見のモニュメントから世界遺産のベレンの塔へと向かいます。上の写真の右側がテージョ川となります。奥に見える長い橋は「4月25日橋(葡: Ponte 25 de Abril)」で、リスボンとテージョ川対岸のアルマダとを結ぶ、長さ2,277 mの吊橋です。

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ベレンの塔に向かう途中のトーレ・デ・ベレーン庭園の中に突然飛行機が展示されていました。この記念碑は、1922年にポルトガル人パイロット(サカドゥラ・カブラルとガゴ・コウチーニョ)が南大西洋を横断した初飛行を記念して建立されたそうです。この飛行はブラジル独立100周年を記念して行われました。記念碑は、この偉業を成し遂げた飛行機の実物大レプリカとなっています。

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ベレンの塔を今のデジタル写真で綺麗に残そうと思っていたのですが・・・大規模な工事中・・・それも大がかりな柵で被われていて・・・今回の旅行でこれが一番ショックでした😢 😂 😹 😭 ・・・
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ベレンの塔はリスボンのベレン地区にある塔で、「リスボンのジェロニモス修道院とベレンの塔」の構成資産として世界遺産リストに登録されています16世紀にマヌエル1世によって作られたテージョ川の船の出入りを監視する目的の要塞として建立されました。現実的な要塞でありながら芸術性の高い建築物でもあるのです。1515年に着工し、5年後の1520年に完成した要塞は、6層からなるマヌエル様式の塔となっています。上の写真のようにメインの6層からなる塔が全部覆われていました😂  天球儀や、ロープ、海草、貝など船や海に関したマヌエル様式の装飾が随所に施されています。

 またベレンの塔の地下には潮流により海水が入り込む水牢が設けられ、政変のたびに高位高官が数知れず幽閉されたという牢獄としても使用された時期があったそうです。

 

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泣きそうになりながら(笑)らも取りあえずベレンの塔の周りを一周したのですが、やはり絵になりませんでした。
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旅行から帰ってきた後に、昔のアルバムを引きずり出して、ベレンの塔の写真を確認出来ました。1992年に出かけたのでした。そりゃ!私も年を取る訳です。左に僅かに写った車を見ると年代を感じさせてくれます。


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当時はもちろんデジタルではなかったのでフイルムを帰国後現像してアルバムに貼っていました。久しぶりにスキャナで取り組んで画像処理をしてみました。私が写った写真もありましたが当時は髪の毛もフサフサでした。私の風貌は変わってもベレンの塔は全然変わらずに美しい姿です(今回見えてはいませんが)。
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この塔をぐるっと縛り付けるようにしている飾りは船などに使うロープをイメージして作られたようです。
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単純な要塞だけならこのような細かな装飾をつける必要もないでしょうが、新大陸から持ち込まれた金や財宝、香料なとによる莫大な富を得たポルトガルは財政的に余裕があったのだとうと推測される一面です。
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改めてみると、飛行機が写っていました。今は統合計画があるポルトガル航空便なのでしょうか? 橋の上を歩く家族連れの服装をみても時代を感じるのは不思議な気分です。

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散策を終えてジェロニモス修道院に戻りながら、有名なパティシエ・デ・ベレンで朝食を取ることにしました。次回はこのお店を紹介致します。

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