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2025年8月

2025年8月31日 (日)

サン・マルコ寺院・ドゥカーレ宮殿ツアーNo2

次回の続きです(→サン・マルコ寺院・ドゥカーレ宮殿ツアーNo1)。 

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「サン・マルコ寺院(2階のバルコニーも入ります)➕ドゥカーレ宮殿ツアー」に参加しました。前回のブログの記載の1階部分を見学後、ガイドさんに続いてサンマルコ寺院の2階へと移動します。2階に上がる場所でチケットのチェックがあり、前もって予約しないと入れないようです。 今回はガイドツアーですので、チケットも含まれています。細い階段を上ると2階は博物館になっていました。


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実際のオリジナルのタイルなどが展示されています。
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この展示室の目玉は青銅製の4頭の馬にあります。 サンマルコ寺院の正面入口の上に置かれている4頭の馬の銅像(現在外に置かれているものはレプリカ)は、もともとコンスタンティノポリスの競馬場にあったそうですが、1204年の第四回十字軍の時に略奪され、ヴェネツィアに運ばれたものだそうです。
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それぞれの馬の息遣いも伝わってきそうな見事な騎馬像です。近くで見ると大迫力です。当時の東ローマ帝国の首都コンスタンティノープル(現イスランブール)の芸術の高さがわかります。
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このスタイルを見るとベルリン(ブランデンブルク門)のクアドリガやフランス、パリのカルーゼル凱旋門のクアドリガなどを思い出してしまいます。おそらくヴェネチアのサン・マルコ寺院からこの4頭引きの馬のスタイルがヨーロッパに伝わったと考えます。(*クアドリガまたはクワドリガ(quadriga)は、4頭の並行する馬に引かせたローマ帝国時代の車またはチャリオットであり、古代ギリシアのテトリッポスに相当*)

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サン・マルコ聖堂は、東ローマ帝国の首都コンスタンティノープル(現在のトルコのイスタンブール)にあった聖使徒大聖堂を模して、建てられたといわれています。この2階部分からの眺めも壮大で、教会の広さや高さがよく分かります。 1090年代に建設された聖堂は十字形平面で、中央部に円蓋を持つ典型的なクロス・ドーム形式だと記載されていました。
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ここから屋外のテレスへと移動です。普通の入場券ではここには入れませんので有り難いです。
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外に出ると正面がサンマルコ広場となります。 ただ綺麗だと思われるサン・マルコ広場にも秘密があります。上の写真でも手前に近づくにつれてコの字が大きく開いていくのが分かると思います。遠近法を使って広場がより大きく見えるように、と目の錯覚を利用して、わざとそういう設計にしたいのです(芸が細かい🤭)。
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サンマルコ広場から見ると、私たちがいるのが矢印の部分となります。
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モザイク画に関しては近すぎるために粗く感じますので、これは広場から眺める方が綺麗だと感じました。
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先ほどオリジナルを見たせいで、レプリカ達に思わず「雨にも負けず頑張ってくれと」思わすエールを送ってしまいました😆
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なかなか見ることが出来ない角度からヴェネチアを見ることが出来て、このツアーを選択して良かったと感じました。
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ヴェネチアの浸水は次第に深刻になってきていると思います。昔は冬の時期に起こるものだと考えていましたサン・マルコ広場にわずかに海水が入り込んでいるようです(私たちがツアーに入る時には水はなかったのですが)。
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カナルグレンデからサン・マルコ広場に向かう入り口に2つの支柱が立っています。向かって左側の「聖マルコの柱」の頂上には福音伝道者聖マルコを表す翼のあるライオンが立っています。ヴェネチアのシンボルとなっていますね。 右側は「サン・テオロードのコロネード(柱)」と呼ばれています。彼は3世紀にビザンチン帝国のアマセアのテオドロスで、信仰のために殉教しました。ヴェネツィアでは、聖マルコと共に彼を守護聖人としていました。柱の上には、ワニに似た竜を退治する姿の聖テオドーロの彫刻が飾られています。
私はこの記事を書くまで全く知りませんでしたが、聖マルコと聖テオドーロの円柱の間を歩いてはいけないという言い伝えがあるそうです。これは、ヴェネツィアのサンマルコ広場に立つ2本の円柱の間には、死を象徴する聖テオドーロの像が建っているため、そこを歩くと不幸が訪れるという迷信によるものだそうです。それを知らず私を含め世界中の多くの人が不幸に見舞われたかも知れません😅 🤭
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テラスから反対側を見るとサンマルコの時計塔となります。初期ルネッサンス期の1499年に建てられ、現在も毎時になっています。塔の上にはムーア人の人形が2体あり、正午になるとこの人形が鐘を打ち鳴らします。現在は分かりませんが、1858年には、市の公式タイムキーパーに制定され、ヴェネチア中のすべての時計はこの時計塔の時刻に合わせていたそうです。
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このツアーの後に訪れたサン・マルコ鐘楼からみたサン・マルコ寺院とこれから出かけるドゥカーレ宮殿の写真です。
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次回はドゥカーレ宮殿の見学を機会する予定です。

2025年8月29日 (金)

今週の生花(令和7年8月第5週)

今週で8月も終わり、来週から9月となります。これから日に日に時間が短くなるでしょう。

今週は時間が取れませんので、写真だけでもアップ致します。

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<花材:栗、クルクマ、姫ひまわり、スプレー菊>
(来週から沖縄はお盆となりますので返書が遅れると思いますがご了解下さい)

2025年8月27日 (水)

胆石症

今日のFM放送は胆石症について話をしました。ブログには20年ほど前にテレビ出演した際の懐かしいジェーマを記載したいと思います。

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日本における胆石症の頻度は人口の約1割とされいて、多くの日本人がドックなどで胆石症の診断を受けたことがあると考えます。その全てが手術するわけではなくて、腹痛などの有症状の胆嚢結石症に対しては腹腔鏡下胆嚢摘出術が強く推奨されています。また症状がなくても胆嚢内に結石が充満している場合も手術を勧めています。NCD(手術等の情報を登録するデータベース)によると、日本国内では年間約10万人に胆嚢摘出術が施行されていますので、これまで腹腔鏡下の手術で一番多く手術が行われ、外科医にとっては最も頻度が高い手術の1つだと考えます。

ただし無症状の胆石患者でも、毎年約1〜3%の確率で症状が出現する可能性があり、その場合は手術の適応となります。

以前のTV番組用に作ったシェーマがありますので記載します。

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私が外科医になって暫くすると日本で腹腔鏡の胆嚢手術が始まりました。これまで誰もやったことがありませんでしたので、手術の手技のビデオを復讐しながら、初めのうちは直ぐに開腹手術に切り替えるように無理をせずに覚えていった記憶があります。
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40年間で外科医の手術が開腹・開胸から腹腔鏡下、今ではロボットの時代へと変わりつつあります。しかしその反面緊急事態でメスだけで開腹や開胸を行える外科医が少なくなったことも現実です。人間の能力には限りがありますので、特殊手技にのめり込むと他の基本手技ができなくなる状況もあります。これからはバランスを考えながら減少する外科医を育てないと行けないかも知れません。

2025年8月24日 (日)

サンマルコ寺院・ドゥカーレ宮殿ツアーNo1

サンマルコ寺院・ドゥカーレ宮殿ツアー

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これまで3回ヴェネチアに来たのですが、宿泊したこともなく、おおよそ半日でミラノやフィレンツェへ移動でした。ヴェネチアの思い出としては「サンマルコ広場を見学し、ゴンドラに乗って、イカ墨のパスタを食べて、ベネチアングラスの工房を訪ねた」思い出しかあまりありません😅

今回まず見たかったのがサン・マルコ寺院の内部でした。それに隣のドゥカーレ宮殿でした。サン・マルコ寺院 (Basilica di San Marco) は、福音書を記載したサン・マルコにささげられた、イタリアのヴェネト州の州都ヴェネツィアで最も有名な大聖堂です。

他のイタリアの都市では見かけないビザンティン建築様式となっています。サン・マルコ広場 (Piazza San Marco) に面して建ち、ドージェ(総督)の館であるドゥカーレ宮殿 (Palazzo Ducale) と隣接し繋がっています(1番上の写真で見ると位置関係がわかると思います)。これまで毎回旅行の本で内部の様子は知っていたのでぜひ見てみたかったのです。建物内は、黄金に煌く壁や天井と、祭壇には2,000個もの眩い宝石が埋め込まれた黄金の寺院となっています。

 

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キリスト教においてとの地区の中心となる司教座が置かれるどうかでその位置が決まると言われています。 バチカンからサン・マルコ寺院が大司教座教会と認められたのですが、当時のヴェネチアはバチカンとの政治的な距離を計ため、司教座を移していなかったそうです。 その後誰がこの状況を変えたのかというと、私たちもよく知っているフランスのナポレオンなのです。1807年、ヴェネツィアを占領したナポレオンの命により大司教座がサン・マルコ聖堂に移され大聖堂となったが、長らく「司教座聖堂(大聖堂)ではなかった」点もあり、現在も歴史上の呼称に合わせた「寺院(ないしは聖堂)」の呼び名が一般的である(私がいったわけではなくこのように記載されていました)。
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聖マルコに捧げられた最初の教会は、現在のドゥカーレ宮の位置に建てられたものだったそうです。 832年にこの建物は現在の場所に建てられたるも、976年の暴動により消失し、978年に再建されているそうです。 その後900年にわたって建て増しされ、幾度となく改修を受けて今の姿になっています。
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サン・マルコ寺院のファザードの美しさには目を見張るものがありますが、私が出かけた前回と前々回、そして今回も正面のどこかが工事で覆われていました(残念)。古い建物は毎回どこかしら修復を繰り返しています。
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唯一正面が工事で覆われていなかったのだ1998年の写真でした。今みたいな一眼ではなくてフイルム時代でしたのあまり良くありませんが、私にとっては懐かしい写真です(↑)。
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今回の旅行で調べたら、現地のツアーでサンマルコ寺院(➕テラスに登れる)・ドゥカーレ宮殿を同時に回るツアーがありましたので、早速申し込んで参加することにしました。あまり英語はできませんが、なんとなく皆について行けばどうにかなります。

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私たちはツアーでしたの待たずに入ることが出来ました。しかしながら入場には、ノースリーブや短パン、開いた胸元の服、タイトすぎる服は着用できず、大きな荷物やリュックサックは持ち込めません。ここは流行りキリスト教の大聖堂ですので、このようなことには敬意を払って入る必要があると思います。

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寺院の壁面や天井は、聖書にまつわる場面を描いた金色のモザイク画で装飾されています。この金ピラピラの鮮やかさに目が回りそうになります😆

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中央の交差点と4つの腕の先端にドームを配置したギリシャ十字の平面形状をしています。
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サン・マルコ聖堂は、東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルにあった聖使徒大聖堂を模して、建てられたといわれている。1090年代に建設された聖堂は十字形平面で、中央部に円蓋を持つ典型的なクロス・ドーム形式で、その意味ではイタリアにある由緒正しいビザンティン建築の最高傑作と言われています。

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この形を見たらいわゆるヨーロッパのカトリック教会としては違和感がありますね。サンマルコ寺院はやはり東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルにあった大聖堂を模して作られたためサン・マルコ寺院もビザンチン建築物です。コンスタンティノープルは現在のトルコ・イスタンブールだから教会というよりモスクみたい聖マルコに捧げられた大聖堂という不思議な建築物となっています。
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私が想像していたよりもずっと広く、高くやはり豪華です。
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奥に祭壇があります。中に入れますのでまずは入って見学しましょう。
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せっかくの写真だったのですが、中央に人が入ってしまい、動画の中から切り出しました(画質が悪いです🙇‍♀️)。
ここで終わってはいけません・・・必ず裏に回ってみてくださいね。
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ビザンティン美術の最も素晴らしい作品の一つと言われているパラ・ドーロ Pala d’Oroがあります。あまりにもキラキラ過ぎて美しいのかどうかは別として、なんとも贅沢に無数の宝石が散りばめられています。数えると2000個くらいあるとのことです。一つぐらい持ち帰っても分からないはず(違いますね😅 触ってもだめですよ)


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次回はこのツアーの売りの「2階のテラス」の案内もいたします・。

2025年8月23日 (土)

リアルト橋とDFSからの大運河の絶景

<リアルト橋とDFSからの大運河>

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4回目のヴェネチアですが、これまで半日観光で移動、宿泊をしたことがありませんでした。今回宿泊し、それも最後がヴェネチア1泊で明日朝は帰国となります。老体に鞭打って(😅)できるだけ沢山見て回ることにしました。
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写真はヴェネチアで有名なリアルト橋周辺で、いつも観光客でごったがえしています。
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リアルト橋のすぐ横にヴェネチアのDFSがあります。日頃旅行で買い物をしたことがないので私にとってはDFSは無縁の存在でした。
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ここのDFSは元々ドイツの商人館として建てられたためにFondaco dei Tedeschi (ドイツ人の商人館)と呼ばれ、このDFSも正式には「フォンダコ・デイ・テデスキ by DFS」と呼ばれるようです。 まあ内部も綺麗ですので一見の価値があります。


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高級なショッピングモールですが、このまま最上階まで登ることにしています。
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なぜここに来たかというと無料でベネツィアの街を一望できる「フォンダコ・デイ・テデスキ」の屋上テラス」を予約できたからなのです。単に無料というよりも、この場所からの眺めが最高だからなのです。

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時間が15分おきの総入れ替え制でDFSの公式サイトから予約可能です(→DFS公式サイト)。 3週間前の現地時間12時よりその日の予約が可能だったと思います(予約する方は前もって時間を再チェックしてっ下さいね)。 その日の分はすぐに半日で埋まるようですので、自分の行きたい時間が決まっていればその時間に予約をとった方が良いと考えます。 予約が取れたら上のようなバウチャーがメールに届きますので、時間前にちゃんと着くようにして下さいね。
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どうです、この眺め最高ですよね。この日は快晴でしたので最高の景色を堪能できました。 15分入れ替えですが全員で40人程度ですのでゆっくりと写真を撮ることが可能です。
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このような絶景を提供してくれたDFSには感謝です。 以下は素晴らしい景色を堪能くださいね。
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なんとも言えない一等地からの運河の最高の眺めでした。 これからも続いて綺麗な写真を紹介しますね。

2025年8月22日 (金)

今週の生花(令和7年8月第4週):夏の甲子園決勝戦を翌日に控えて

今年の夏は甲子園で盛り上がっている沖縄です。私も先日、日曜日の試合ということもあって何年(何十年?)ぶりに沖縄の高校の甲子園野球を生で最後まで見ることが出来ました。 そうなるとシーソーゲームにハラハラドキドキで実に心臓に悪いなどと思いながらも楽しめました😅
輝く青春を駆けている彼ら彼女らの姿が実に眩しく思えてたのです。 帰宅後You-tubeなどで振り返ってみる楽しみがあり、試合内容だけでなく沖縄の応援団の姿に感動するものがありました。 あの独特な沖縄の音楽を取り入れた応援の演奏をしてくれているのが市立尼崎高校吹奏楽部の皆様方です。もう44年も応援を続けてくれています。 陸続きでない沖縄県の高校生たちが重い楽器を持って甲子園の応援に出かけることは旅費も含めてなかなか出来ないことです。 偶然当時の音楽担当の先生が沖縄出身でその方に依頼があって担当してくれたそうです。 それを長年続けてくれた市立尼崎高校吹奏楽部には沖縄県民として私も感謝しかありません🙇

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今週もいつもの小さなスペースにお花が飾られていました。今週の生花たちは甲子園球児のように皆が頂上を目指して駆け上がる様子に見えて来ました。
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野球は1人では出来ません。勝つためには仲間が必要です。自主的に競い合うのであって、暴力的な強権で生徒を指導するという考えがまだ日本のスポーツ界には存在します。 甲子園はプロではありません。 子供達の心の成長も促す丁重な指導が求められています。  
この生花のようにそれぞれの特徴を活かして輝くのが高校球児たちです。 暑い中で必死に応援をしている若者たちにとっても素晴らしい青春の記憶としていつまでも残って欲しいと祈るのです。
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特に今年は実力校が順当に勝ち上がって来た年ではないかと思うのです。ベスト16ぐらいからはどのチームが勝ってもおかしくない白熱した試合が多いと感じました 
明日の決勝戦は全国の高校球児が夢見て来た舞台です。 沖縄尚学高校、日本大学第三高等学校の選手たちが全てを出し切って戦って欲しいと願っています。 素晴らしい青春を駆け抜けて欲しいです❤️‍🩹
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<花材:ローゼル、クルクマ、グロリオーサ、小菊>

 

2025年8月17日 (日)

コンタリーニ デル ボーヴォロ宮殿(階段):Palazzo Contarini del Bovolo

今回は螺旋階段に特徴があるコンタリーニ デル ボーヴォロ宮殿(階段)を見学に出かけました。

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ヴェネチア市内は沢山の運河が張り巡らされ、小さな路地にも小さな運河を見渡すことが出来ます。ちょうどゴンドラが通過しました。ヴェネチアならではの風景です😍
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出かける前から多くの方のブログを見たりするとコンタリーニ デル ボーヴォロ宮殿への道が分かりづらいと記載されていました。いったん大運が沿いに出て再びGoogleMapで確認しながら進みました。ヴェネチアは道に迷ってもそこが絵になる風景で思わず写真を撮りたくなってしまうのです。
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このような広場にでました。おおよそMap通り進んで来ているようで、もう少しです。ここまで来ると観光客も少なくて静かな佇まいとなります。
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哲学者の一族として知られ、ヴェネチアで最も裕福で有力な貴族の一家であったコンタリーニ家が、自分たちにふさわしい威厳のある邸宅としてこの建物を建立したそうです、実は有名な外階段(スカラ・コンタリーニ・デル・ボヴォロ)は宮殿を造った後に追加されたとのことです。
ボーヴォロとはヴェネツィア方言でカタツムリのこと。連続したアーチが円筒形のらせん状になっていることから名がついています。

15世紀末に建てられた宮殿に付随して造られている外階段はルネッサンス様式とゴシック様式が混ざり合った美しく印象的な建築で、当時としては建築上の特異的な階段は、機能性と視覚的な美しさを兼ね備えた設計として讃えられているそうです。

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ここから見ると宮殿の外階段だと分かります。ユニークな形で通称「カタツムリ」と呼ばれるのが理解できる構造でした。
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中に入るのは有料ですが、上からは見晴らしもいいとのことで迷うことなく入ることにしました。
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ヨーロッパの階段で螺旋階段は色々と凝った作りが多いのが特徴です。以前行ったオーストリアのグラーツを思い出しました(→ グラーツ王宮の螺旋階段
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次第に階を登りながら、見れる高さの風景も違ってきますので、登りながらも楽しいです。
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上層に来るとヴェネチアの風景をあまり高くない位置から見渡せてきました。遠くにサンマルコの鐘楼が見えてきました。先ほどあそこから歩いてきたのです。
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宮殿の外階段ですが、そのユニークな作りと上からの見晴らしがいいので時間があれば訪ねて欲しい場所です。観光客も比較的少なくて落ち着いて見ることが出来ました。

2025年8月16日 (土)

早朝ヴェローナからヴェネツィアへ移動

早朝ヴェローナからヴェネツィアへ移動

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もしもヴェローナを訪ねることがあれば、是非とも宿泊したい場所がこのジュリエットの家でした。その夢が叶ったヴェローナを急足で回りました。この場所に泊まる最大のメリットがジュリエットの庭が閉館後は宿泊者だけが自由に出入りできることでした。
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庭に面したホテルの入り口です。 早朝出るときには部屋の鍵をジュリエットの庭の入り口の鉄格子の扉を鍵で開けて外に出て、この扉の鍵をかけ閉めます。 では鍵は持ち帰りかというとそうではなくて、なんとその鉄格子から庭の中に投げ入れて出てゆくシステムでした。 昨日説明を聞いた時にはびっくりでしたが理にかなった方法かもしれません。
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昨日購入したベローナカードは24時間使えますので、ヴェローナ駅までのバスまで使うことが出来ました。
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まだ人がほとんどいないヴェローナ駅の朝です。
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駅にヴェネチア行きの電車が定刻通り入って来ました。 私たちはいつものように電車の中で昨日買って来たパンとコーヒーとジュースで朝ごはんです(大々的に食べていいかわかりませんが、周りに乗客も居ませんでしたのでそっと食事をします🤭)。
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私にとって4回目のヴェネツィア・サンタ・ルチーア駅への到着です。 目の前に懐かしい風景が広がります。しかし今回初めてヴェネチアに宿泊です。オーバーツーリズムの対策として2024年からヴェネチアへの入島には入島税という1日5ユーロが必要になりました(時間により免除あり)。宿泊者は必要ありません。

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駅の前にあるチケット売り場で1回券を購入して水上バスでホテルのあるサンマルコ広場まで出かけます。
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9時過ぎですと多少観光客が増加して、水上バスも結構人がいっぱいとなりました。私たちはまずはホテルに荷物を預けるために直行しました。上の写真は有名なリアルト橋を通過した所です。
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定期路線の水上バス停も番号などで示されています。
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水上が唯一の交通手段のヴェネチアでは陸と同じように、大きな水上バスや客船、小回りのきく水上タクシーに昔ながらのゴンドラなどさまざまの乗り物が行き交っています。
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サンマルコ広場の対岸にある丸い尖塔のあるサンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂が見えて来ました。
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対岸のサン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂の尖塔が見えています。

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水上バスを降りるとすぐにサンマルコ広場に面したホテルへと向かいました。今回も素晴らしい宿泊場所です。
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入り口が分かりにくいのですが、事前に入る方法は聞いていました。1階(日本での2階)のドアがありましたが、開け方がわからなかったのですが、ブザーを押すと掃除をしていた係の方が入れてくれました。 おの方がオーナーさんを呼んでくれて宿泊の手続きをしましたが、部屋はもう準備できていると入らせて貰いました。こちらも帰る時には部屋に鍵を置いたまま出てゆけば(オートロックのため)いいだけだとの説明でした。
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部屋に入るとサンマルコ寺院の目の前で、広場や鐘籠が見える最高の立地でした。
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素晴らしい宿泊場所ですが、最後の1日ですので、目一杯朝まで?散策して来ます。
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これまでの中で最高に天気が良かったヴェネチアの素晴らしい風景や寺院の紹介をしたいと思います。あとしばらくイタリア紀行をご一緒ください。

2025年8月15日 (金)

今週の生花(令和7年8月第3週)

今日は終戦記念日でもあり本土の方ではお盆の最終日となっているところも多いと思います。沖縄は今でも旧盆で行いますので今年は9月4・5・6日となります。当院もお盆の最終日(ううくい)は休みとなっています。

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悲惨な第二次世界大戦から80年を迎えて、日本だけでなく世界各地でいろいろなイベントが開かれています。戦争を経験した人の殆どは2度と戦争をしてはいけないと感じ戦後を生きて来たはずです。 次第に世代が変わり戦争経験者が少なくなって来ました。 戦争に突入させる人々はごく僅かでほとんどの人類は戦争を望んでいません。 それでも戦争が絶えません。 世界の指導者は内政でも外交でも敵を作る方が支持を得られます。 敵を作り武器を製造して軍備を固める方が容易なのです。 もしも世界各国が軍備費にかかる費用と同じだけ平和目的に資金を使用しているなら随分と世界は穏やかだと思うのです。 国連が機能しているのであれば、各国が軍備費と同じだけ平和目的の費用を拠出することを義務付ければ戦争など起こらなくなると考えてしまうのです。 
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今週の生花なも花器からして個性的ですし、それぞれが違う方向を向いていそうですのに、全体としてはまとまって見えて来ました。不思議な色や形の世界です。
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個性を殺すのではなくて個性を生かして、生花が作り上げられています。頼もしい生花です。
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今日は本土の盆にも合わせて少しシックにまとめてみました。これからも平和な日本でありますように🙇
<花材:メラリラカ、ストレリチア、クルクマ、トルコギキョウ>

2025年8月13日 (水)

加熱しても予防できない食中毒もあり注意が必要です。

先週に引き続いてFMラジオでは夏場に多い食中毒の話をしました。

多くの皆さまの食中毒のイメージは傷んだ食べ物や保管衛生管理が出来ていない食品にバイ菌が付いて起きると考えていると思います。間違いではありませんが、食中毒は口から入って来た有害・有毒生物・物質により、下痢や嘔吐、発熱などをきたす疾患の総称なのです。

食中毒といってもその種類別に ①細菌性食中毒(微生物が原因で一番多い)②ウイルス性食中毒(冬場のノロウイルスなど)③化学性食中毒(ヒ素、水銀など)④自然毒食中毒(キノコ、フグなど)⑤その他 に分類されています。

もう一つの分類方法に食中毒を直接的な原因で分けると、原因物質が毒素を持っている為に起こる毒素型と細菌・ウイルスが体内で増殖することで症状を起こす感染型に分けることが出来ます。毒素型は最初から毒を持っていますので、症状も早く出ます。感染型は微生物が体内で増殖するにはある程度時間が掛かるため、症状が出るまで時間がかかる訳なのです。

多くの皆さんにとっては食中毒の範疇は種類別では①と②が殆どで④もありかな・・・そして直接原因では感染型が食中毒と考えている方が多いと考えます。

また多くの方は加熱したら食中毒菌も死滅して食中毒にはならないと考えていると思っています。果たしてそうなのでしょうか?

 

例えば夏場の食中毒の原因ともなる黄色ブドウ球菌について考えてみます。この菌自体は熱に弱く加熱処理すれば死滅します。

黄色ブドウ球菌は特別な菌ではなくて自然界に沢山存在します。例えば私達のニキビやおでき、水虫に混在する感染巣に存在する代表的な菌です。それ以外にも健康な私達の鼻腔や動物の皮膚や腸管にもいます。

 

この菌も夏場の細菌性食中毒の代表菌で、毒素型になります。Th__2この食中毒はブドウ球菌が作り出した毒素(エンテロトキシン)により起こるので、熱処理してブドウ球菌が死滅しても、残ったエンテロトキシンを食事と共に食べてしまい食中毒になります。エンテロトキシンは100度で20分間加熱しても分解されません(フグの肝を鍋で煮て食べてもあたるのと一緒です)。

黄色ブドウ球菌は普通の方の皮膚にも付着していたり、手指などに切り傷や化膿巣の中にもいます。ですから傷のある方は食品に直接手を触れないように工夫して下さい。

直接毒を接種して症状が出ますので、感染型より早く症状が出ます。食事をして30分から6時間で、嘔気、嘔吐、腹痛がでて、下痢になる場合もあります。あまり高熱にはなりません。多くは24時間以内に改善することが多く、特別な治療も有しません。

食中毒は熱処理すれば多くは防ぐことが出来ますが、過信しないで下さい。手や調理器具も綺麗にして新鮮なものをよく水洗いして、加熱して召し上がって下さいね。

2025年8月10日 (日)

ヴェローナ散策No3(サンピエトロの丘/サンタナスターシア教会と大聖堂)

サンピエトロの丘/サンタナスターシア教会

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市内を散策しながらサンピエトロの丘を目指します。ヴェローナの旧市街地はアディジェ川が蛇行した部分に出来ていますので、ほぼ平らな市街地となっています。サンピエトロの丘はヴェローナの美しい景色を一望できる高台にあります。丘の上にはアリーナよりも古い時代のローマ時代の遺跡があり、歴史を感じながら散策することができます。

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スタコラと丘の頂上まで急な階段を登ることも出来ます。ただし時間があればですし結構疲れるようです。何か方法はないかとヴェローナの旅行記を調べていたら、ケーブルカーを利用することが判明。 旧市街から橋を渡り左手に道を進むとケーブルカーの駅が見えてきます。途中に美味しいジェラート屋さんがあるとのことでしたがこのまま進むことに。結構多くの方が並んでいます。中に入ると自動券売機がありますのでタッチ式ですぐに購入できます。結構多くの方が待っていましたが意外と早くはけて行きます。ケーブルカーは往復2ユーロで、楽に頂上まで行けるのでおすすめです。

 

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サンピエトロの丘からの眺めは、ヴェローナの街並みやアディジェ川を一望できます。午前の早い時間か夕暮れ時が一番いい時間帯と思いますが、今回はジュリエットの家も堪能したのでこの時間帯にしました。
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先ほど旧市街から渡ってきた 橋が見えています。
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このように川に囲まれた中世の街並みは本当に美しいです。ヴェローナを見るには高い塔に登るよりも断然サンピエトロの丘をお勧めします。結構色々な施設や中には食事をできる場所もありそうです。この場所で時間があれば夕暮れ時を過ごしたいものです。
時間もないので先ほどのケーブルカーで降りることに(降りる時には待ち時間なしにすぐに乗れました)。
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サンピエトロの丘から再度旧市街へと進み、サンタナスターシア教会(Basilica di Santa Anastasia)を目指します。1290年にドメニコ派修道士達が12世紀のヴェローナ出身の聖ピエトロを奉る新しい教会を当時の君主スカラ家などに持ちかけて建設が始まったとのことです。教会の隣にはドメニコ派修道院となっています。ヴェローナで一番大きな教会となっています。

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ここでもヴェローナカードが使えます。
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入り口の左右の聖水を入れる器を支えれている像がありました。こんなところで何故と思ったのですが、イタリア語でゴッボGobboと呼ばれる猫背の叔父さんの像を触れると幸せがやってくるのとのこどが他の方のブログに書いてありました。
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外観よりも内部の方が豪華で、想像したよりも内廊が大きい教会です。
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後日写真を見返してみると先ほどのサンタ・アナスターシャ教会とは別に、ヴェローナの司教座がある大聖堂(カテドラル)も入っていました。なんと同じ教会だと連続して載せていたら屋根の形が違うけどと・・・と途中で気がついたのでした。サンタ・アナスターシャ教会を見た後で連続して大聖堂に入っていました😅

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先ほどのサンピエトロの丘からみるとサンタナスターシア教会と大聖堂は近いですが全く違う教会でした😂


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<ヴェローナの大聖堂(Complesso del Duomo di Verona )>
サンタ・アナスターシャ教会は、ゴシック様式の大規模な教会で、ヴェローナで最も大きな教会の一つです。一方、大聖堂(カテドラル)は、司教座聖堂であり、ヴェローナの司教の座所です。両方ともヴェローナの重要な教会ですが、それぞれ異なる特徴と歴史を持っています。 サンタ・アナスターシャの後すぐに大聖堂に入りましたので写真が連続してあり混乱してしまいました。大きさからしたらサンタ・アナスターシャ教会 ですが、カトリックの教会としてはヴェローナの教会で最重要なのはカテドラルとなります。

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教会の地下に古代遺跡があり、それをあえて見えるようにしていました。
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ヴェローナは翌日のヴェネチアの2泊を削って1泊をヴェローナで過ごすために慌ただしい中での観光となりました。後で写真を見返すと教会の写真が連続で繋がっていたために、同じ教会内部だと勘違いしていました。本当はもう少し余裕を持って旅をしたいものです😂
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(この写真までサンタ・アナスターシア教会と連続で考えていました。ただ微妙に天井のアーチと床の模様が違う点に気がついてもう一度見直してここはカテトラルと気がついた次第です😅)
ただこの床の模様や色合いは流石芸術の最先端を行ったイタリアならではないでしょうか。
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大きな都市ではありませんが愛の都市ヴェローナも見どころ満載の場所です👍

2025年8月 9日 (土)

ヴェローナ散策No2(ダンテの像、スカラ家の廟)

ダンテの像、スカラ家の廟

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エルベ広場からすぐ隣にはシニョーリ広場(イタリア語: Piazza dei Signori)があります。その一部はエルベ広場共に古代ローマ時代に造られた公共広場フォルムを起源としているとのことです。

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シニョーリ広場の中央には詩人で哲学家でもあったダンテ・アリギエーリの像が立っているため、ダンテ広場(伊: Piazza Dante)とも呼ばれているとのこと。この像はダンテ生誕600年を記念して1865年5月14日に落成されたそうです。
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パラッツォ・ラジョーネは12世紀に市庁舎として建てられた建物で、1262年から1387年のスカラ家による支配期間には法廷として使われるようになった。その後ヴェネツィア共和国統治時代(1405年 - 1797年)の初期には法廷のほか大学や税務署としても使われていたが、1493年に市庁舎機能がシニョーリ広場を挟んだロッジア・デル・コンシリオに移転した後は、この建物は法廷専門となり、名前を市庁舎からラジョーネ宮に変更した
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<ロッジア・デル・コンシリオ>
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パラッツォ・デル・ポデスタは13世紀末頃に建てられ、市の執政官の公邸として使われていた。現在は市長官邸として使われている。日本語のガイドブックなどではポデスタ宮と表記されることもあるそうですが、宮殿ではないとのことでした。 右のアーチの奥に次のスカラ座の廟が見えています。
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シニョーリ広場のスカラ家の宮殿の横にあるアーチを潜ると、なんとも奇妙な建築物が見えて来ます。なんとこれはスカラ家の霊廟なのです。空中庭園ならぬ空中霊廟です(笑)。右に奥にあるのは小さな教会ですが、それもスカラ家のプライベートの礼拝堂となっていました。元々はサンタマリア・アンティカ教会 Chiesa di Santa Maria Antica)で7世紀に建てられ、倒壊後再建されたたロマネスク様式の小さな教会となっています。その後スカラ家が支配するようになりスカラ家のプライベート礼拝堂になったようです
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この位置関係からスカラ家の権力の凄さがわかります。左側が隣接するシニョーリ広場で当時はスカラ家の所有の建物で、左がスカラ家の礼拝堂のサンタマリア・アンティカ教会。その後自分たちの霊廟を真ん中に建ててしまうのはちょっと凄すぎます。

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右の扉の奥が教会へと繋がっているようです。観光客は入れません。一番上の部分の騎馬像は羽が生えているように見えたので大天使ミカエルかなと思ったのですが、スカラ家の当主のカングランデ(1329年没)の騎馬像とのこと・・・天使になりたかったのでしょうか?
そしてアーチのような形の下に安置されているのがそのカングランデの石棺となります。イタリアでも空中にある石棺は見た事がありません。よほどの見栄張りか、死後も上から皆を見ているぞと示したかったのでしょうか?
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最も目立つ墓碑は中央部にある繊細な空中墓碑かも知れません。Mastino Ⅱ(マスティーノ二世)の墓碑です。
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霊廟の中に入るにはヴェローナカードが必要ですが、提示するとすぐに入れて、上のような説明書を貸してくれます(貰えるわけではありません)。それによると最初の説明の2人は空中でしたが、残りの7名は普通に地面に置かれていました。
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スカラ家は、1262年~1387年の間ヴェローナを支配と書いてありましたが、その後の支配者もこのような墓碑を壊さずにいてくれた事がありがたい事ですね。次の支配者が敵対的に全てを破壊していたら私たちも見る事が出来ないわけなのでしょうから・・・
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ちょっと不思議な感じの空中墓碑でした。(一瞬スカラ座と書き間違えそうになりました・・・そういえばミラノのオペラ座はスカラ座と言っていたのでもしかしたらと思って昔の旅行記を見ていたら、以前サンタ・マリア・アラ・スカラ教会があった跡地に新劇場が建設されたのでこの教会から劇場名を取ったとのことでした・・・ここのスカラ家とは関係ありませんでした) 

2025年8月 8日 (金)

今週の生花(令和7年8月第2週)

日本列島が沸騰した8月も第2週となりました。日本各地で40度を超えるような猛暑が起こるなんて想像も出来ませんでした。30年以上前にエジプトの砂漠地帯を観光したときに40度を超えたのを覚えていますが、それでも日陰に入ればやり過ごせる感じでした。しかし日本の場合は湿度も高いので木陰に入っても蒸し暑さは変わらないと思います。本当にこれから大変だと思います。

小雨と思いきや洪水のような雨が降り注ぐこともあり、これまでの日本の危機対応では困難な事例も増えて来ました。これからはこれが普通に起こりうる事態と考えて先に先にと対策を講じる必要があると思うのです。コメ問題もしかり、日米関税の問題も先手を打たずに曖昧にしたためにいつまでも解決せずにモヤモヤ感だけが残ってしまうのです。日本の国力の低下の一番の原因は少子化の問題であって、外国人が入って来たから起こった問題ではありません。

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私のモヤモヤとした気持ちを振り払ってくれるような今週の生花です。一言で「ゴージャス」です。日米交渉でこの生花のように凛としていれば曖昧な交渉もせずに済んだのにと思った次第です😅
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生花はしっとりとして、わびさびのあるのも好きですが、これぐらい相手を圧倒するような姿も対外交渉では必要でなないかと感じてしまうのです・・・🙏生花を利用して私の鬱憤を晴らしてしましました🙇
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竹で編んだ花器も含めて皆、凛としてかっこいいですよね。大雨の影響が出ないことをお祈りしています。
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<花材:山ごぼう、ストレリチア、グロリオーサ、マリーゴールド、トルコ桔梗、ローゼル>

2025年8月 6日 (水)

食中毒の基本的な予防方法

日本は世界でも1番と言っていいほど衛生状態の良い国だと思います。しかし戦後殆ど、食中毒の件数は減っていないのです。

食中毒を起こす菌は私達の周りに溢れています。特に高温多湿の夏は食中毒を起こす細菌にとっては極めて増殖しやすい状況となっています。

Th_452601色々な場所で食中毒が起きても、感染ルートさえ分からない場合も多いのです。

同じ感染源の食品をとっても食中毒になる方もいるし、症状の出ない人もいます。その人の体力差や胃酸の強さの状況など様々な要因がそこには潜んでいます。

食中毒を起こす菌の種類その毒性も様々です。

A:菌が体内に入ってから増殖して食中毒を起こすタイプ(感染型の食中毒菌:サルモネラ菌、カンピロバクター菌など)の多くは、加熱処理すれば、食べる前に菌が死んでいますので食中毒にはなりません。

B:もうひとつのタイプは食中毒を起こす原因として菌が出す毒素によって症状がでる毒素型の食中毒があります。その中でも更に2つのタイプがあります。

  B−1:体内に入ってから毒素を作り出して症状を出す菌としては腸炎ビブリオ菌、今話題の病原性大腸菌(0-157)などがあります。これも加熱処理すれば殆ど死滅して問題になりません。 

  B−2:もう一つ厄介なタイプの食中毒は食品内で既に菌が増殖して、毒素を持っているタイプの菌(ボツリヌス菌、黄色ブドウ球菌など)は生体外毒素型といわれ、この場合は加熱によって菌が死んでも、毒素は食品に残ったままです。無味無臭で気づきません。 この毒素は熱に強く、十分に加熱処理しても毒は分解しませんので、食中毒が発生してしまうのです。

 

最後の食中毒は食品や食品会社などの問題で、私達ではどうしようもないことですが、多くの細菌性食中毒はやはり基本通り行っていれば防ぐことが出来ます。

やはり私たちに出来る食中毒の基本は(1)菌をつけない(清潔・水洗い)、(2)菌を増やさない(迅速・冷凍・乾燥)、(3)菌をやっつける(加熱) することです。 これを守り夏場の食中毒を少しでも予防しましょう。

2025年8月 3日 (日)

ヴェローナ散策(エルベ広場 / ランベルティの塔/サン・フェルモ・マジョーレ教会)

ヴェローナ散策(エルベ広場 / ランベルティの塔/サン・フェルモ・マジョーレ教会)

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アリーナ(前回のブログ→アリーナ)を出たあとはまずヴェローナの中心部にある賑やかなエルベ広場へと向かいました。

ヴェローナの住民にとって、エルベ広場はローマ時代から続く集いの場。街を横切る多くの通りがこの広場に続いています。ヴェローナで一番賑やかな通りには地元の味を堪能できる本格的なレストランが揃い、お茶も郷土料理も楽しめます。


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この広場はヴェローナがかつてヴェネツィア共和国とオーストリア(ハプスブルク朝)の支配下にあった時の自治体中心地で、その広場に面して民事・刑事・裁判所の所在地であるコムーネ宮殿(Palazzodel Commune)と、ヴェネツィア共和国の象徴であるサン・マルコの獅子像がそびえる白い大理石の柱が立ち並ぶマッフェイ宮殿(PalazzoMaffeii)と、2つの塔(Torre del LambertoとTorre del Gardello)に囲まれていると記載されていました。 
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広場の中央ではマーケットが毎日開かれ、レストランやバー、カフェのテーブルが歩道に並び、新鮮か果物にそれを絞った生ジュースも楽しめます。私たちも上の写真の右側に絞りたてのオレンジジュースを頂きました。
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広場を取り囲む建物は歴史を感じさせ、伝統的な食事を提供するレストランやカフェなどが並んで、一際賑やかです。
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エルベ広場の中央を飾るのは、マドンナ ヴェローナの噴水です。 この広場がかつてはローマのフォーラムの跡地だったと頷ける場所で、前回訪ねたアリーナと合わさって古代ローマ帝国の支配地だった事がわかる場所でした。最古の像として知られるローマ起源の像とのことです。
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この広場からもよく見える高い塔の一つがランベルティの塔(英Torre dei Lamberti)となっています。コムーネ宮という市庁舎でもあるそうです。この広場から塔に登るのかと思ったら、実はエルベ広場に面している訳ではありません。塔の横のアーチ状の門()をくぐって隣のシニョーリ広場から入る事が出来ます。

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エルベ広場から隣のシニョーリ広場へと向かうとすぐに塔の入り口が見えて来ます。

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ヴェローナカードを持っていると割引料金でエレベーターで塔の上まで登る事が出来ます。
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ズラッと網が張られていますので写真を撮るには残念ですが、ぐるっと一周ヴェローナの中心部を見下ろす事が出来ます。
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屋根の高さや瓦の色が統一されていて整然とした街並みでした。もしも川を超えて高台のサン・ピエトロ城跡まで登る予定があれば、そこからの方がヴェローナの街の眺めもいいですし金網もありませんので、ここはパスしてもいいかも知れません。

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続いてサン・フェルモ・マジョーレ教会へと向かうことにしました。Googleマップで向かうと上の写真の教会と思ったのですが、入り口はここではないようで、少し先にあるようです。後で説明するように入り口が元々2箇所あったことがわかる写真でした(この時は全く知らず😅
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ヴェローナの街を囲んでいるアディジェ川沿いに建つ、煉瓦造りの美しい教会がサン・フェルモ・マッジョーレ教会 (Chiesa di San Fermo Maggiore)です。
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入り口と書いてある案内板の通りに歩くと教会の入り口がありました。ここもヴェローナカードで無料で入る事が出来ます。

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ここも後でわかったことですが、入り口から中庭のような場所にでて、そこから下層と上層の教会に別れて入ることになります。
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この教会は上の断面図にあるように上下の2層構造の建物になっているようです。最初にベネデット会によって1065年から1143年にかけて下層の部分の教会が建設されたそうです。その後にフランチェスコ会の管理教会となり、1261年から上の教会の建設が始まり、1350年に完成しました。中に入っても趣がだいぶ違うようです(私の方は全く知識がなくて、写真をまとめる段階で知りました😅 、そのためにさっと写真だけ撮って何も考えずに次に移動しました。写真もボケたものが多くてまともに取れなくて反省です😢)


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この教会が出来た一番古い下層の教会の看板です。
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入り口から入ってまず下の教会から入りました。華やかさはありませんが、落ち着いた内陣と周囲のフレスコ画が調和が取れていて、街の喧騒から逃れて一休み(🙏)できる教会だと感じました。こちらは下の層の教会(Chiesa inferiore)の祭壇となります。
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教会の壁画の部分を写真にありましたので載せてみます。如何にも初期の頃の絵画だという感じですね。
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ガラスケースに当時の祭祀が使ったのでしょうか古い神具が飾ってありました。
一旦中庭に出てから上層部の教会に入れます。

Th_31_20250701114301上の層の教会部分となります。新しい教会(と言っても古いのですが)の部分はだいぶ華やかになり如何にもカトリックの境界というイメージです。単廊式、ラテン十字形、ゴシック様式とのことです(他の方のブログに記載されていました)


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主祭壇の上のフレスコも綺麗です・・・(お祈りをしている方が居たので、カメラのシャッター音を消して撮っていたら、ほとんどがブレた写真となってしまいました😂)
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主祭壇の部分も下の階の教会と比べて金ピカピカに輝いています。
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全く知識なく入るとどれが重要だったのかも分からすでした・・・「天井がとても特徴がある」とはこれも写真をまとめる時点で知ったものです。今思うとちゃんと撮っておけばよかったと反省です。天井は三山型の木製で「船底屋根-Soffitto a carena di nave」と呼ばれていて、船の底をそのままひっくり返して天井にしたような形をしています。 近くの海洋国家ベネチアの影響を受けているのでしょうか?

もう一つユニークなのはこの木製天井の碁盤の目状に並んだ 四角い窪み一つ一つに、全部で416人の聖人の顔が描かれている事だそうです。
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かろうじて写っていた天井分を拡大するとこんか何時の聖人が416人描かれているとのことでした。随分と古い教会ですが芸が細かいです。
教会を出てまた街歩きを始めると、いきなりこのような遺跡のような場所が出て来ました。
Th_35_20250623103601普通の道の中にこのような場所が出てくるのはびっくりです‼️ 

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ヴェローナの街の彼方此方に古代ローマの遺跡が発掘されるそうです。それほどこの街は古代から栄えていたのでしょうね。 これからもヴェローナの街歩き続きます。

2025年8月 1日 (金)

アレーナ・ディ・ヴェローナ / Arena di Verona(古代ローマ劇場)

(今日は生花クラブが休みだったようで生花が飾られていませんでした。今回も旅行記を記載いたします)
ジュリエットの家に荷物を預けて行動開始です。ヴェローナは小さな町ですのでほぼ歩いて回れます。先に向かったのは有名なアリーナとなります。
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アレーナ・ディ・ヴェローナ(Arena di Verona)は、古代ローマ時代の円形闘技場で、保存状態のよりヴェローナのアレーナは現在は夏期の屋外オペラ公演によって有名となっています。夏のオペラ公演はなかなかチケットが手に入らないほどの人気だそうです。

Wikipediaによると"Arena"とはラテン語で「砂」を意味し、これは闘技あるいは演劇などの催される平土間部分に敷き詰められた砂に由来しているとのことです。

ヴェローナの円形闘技場は長径139メートル、短径110メートルの楕円形のこの闘技場はローマ帝国初代皇帝アウグストゥス(在位 前27年 - 14年)の統治末期か、あるいは遅くとも30年頃完成したと考えられているが正確な日時は特定されていないそうです。もともとはローマ時代の都市を防御していた壁の外側に位置していたが、市域の拡張に伴い、現在ではヴェローナ市街地のほぼ中心に位置しているとのことです。観客席は44段の大理石製で、収容人数は約25,000人であったとされている。

ちなみにローマはコロッセウム(Colosseum)の大きさは長径187.5m、短径156.5mの楕円形で、推定5万人から8万7千人の観客を収容できたとのことですので、大きさではローマですが、保存状態はヴェローナの方がいいかも知れません。

**コロッセウム(Colosseum)とアリーナ(arena)は、どちらも古代ローマの競技場を指す言葉ですが、コロッセウムは特定の場所(古代ローマの円形闘技場)を指すのに対し、アリーナはより一般的な競技場や闘技場を指す言葉として使われます**

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大きすぎてイメージが湧きませんので、Google Earthより上の写真を貼り付けておきます。円形で綺麗なアリーナである事が分かります。
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アリーナへの入場はヴェローナカードで無料で入れます。また事前にネットで時間の指定も出来ますので、私たちは待ち時間ゼロで入れました。
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夏のコンサートようにステージが設けられています。夜のコンサートがあれば予約して見たかったのですが、その日は模様しものがなかったと思います(調べてみましたが丁度その日は何もスケジュールがありませんでした)
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外観は2階建てのアーチ(あるいはアルコーブ)である。創建当初はこのさらに外周に大理石造り、3階構造のアーチをもつ外壁が存在したが、1117年の地震で大部分が倒壊、僅かにその遺構を北西部に留めるのみとなっています(上の写真のアーチのみ現存)。
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毎年6月中旬から9月の第一日曜日まで伝統あるオペラフェスティバルが開催されるそうです。日が沈んだ後、夜の9時開演で真夜中にイベントが終了するとのこと。私たちが尋ねた日はイベントは開催されていませんでした(残念)。

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今でも十分に使うことができる円形劇場で2000年まえの人々もここに座って催しを見ていたのでしょうね。
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外壁と中に入る間の通路となります。このような場所を古代ローマ人たちが談笑しながら歩いていたのでしょうか?
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通路も堅固な作りとなっています。
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まずはヴェローナの有名なアリーナを見学して外に出ました。お昼頃になり観光客も増えたようです。
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さてヴェローナの街の散策は続きます。

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