(今日は第3水曜日で会議のためFM放送はありませんので、医療ネタもありません。旅行記の続きをアップ致します)
ピッティ宮殿Palazzo Pitti の中にパラティーナ美術館(ピッティ美術館)とボーボリ庭園(Giardino di Boboli)も含まれますが、フィレンツェを知るためにも少し歴史を記載したいと思いました。長くなったのでパラティーナ美術館(ピッティ美術館)は次回(ビッティ宮殿No2)分けて説明したします。
ピッティ宮殿(ピッティきゅうでん、伊:Palazzo Pitti)は、イタリアのフィレンツェにあるルネサンス様式の広大な宮殿。トスカーナ大公の宮殿として使用された。アルノ川の西岸に位置し、ウフィッツィ美術館とはヴァザーリの回廊を通じて結ばれている。
フィレンツェの歴史をみる上で重要となるのがピッティ宮殿だと思います(豆知識として最初に記載します)。
フィレンツェと言えばルネッサンスが開花した芸術の都だと思います。その芸術を支えたパトロンが有名な「メディチ家」と言うことは私も分かったいました。そのメディチ家の宮殿ではなくて「ピッティ宮殿と呼ばれる訳は?」
ピッティとはフィレンツェの銀行家ルカ・ピッティのことで、当時は建国の父と呼ばれるコジモ・デ・メディチのライバルとしてフィレンツェで覇権を争っている家柄でした。 メディチ家はフィレンツェの中心部にメディチ・リッカルディ宮殿 Palazzo Medici Riccardiという私邸を建てていました。 それに対抗すべくルカ・ピッティは1457年ピッティ宮殿の建設に着手します。もちろんライバルであるメディチ宮よりも優れた建物を作るため財力を注ぎ込みます。しかし財政が悪化と共にコジモの子ピエロ・ディ・コジモ・デ・メディチに対する陰謀発覚によって工事は中断され、ピッティ宮殿の完成を見ることなく、ピッティは1472年に死去。ピッティの死とともに、宮殿の建設も中止されたとのことです。
ピッティの死から約100年を経た1550年頃、初代トスカーナ大公であるメディチ家の当主コジモ1世が、体調を崩しがちになった妻エレオノーラ・ディ・トレドのためにピッティ宮殿を買い取ったとのこと(きっとライバルのビッティはあの世から恨めしそうに眺めたのかも?知れません)。 これにともない中断されていた宮殿の建設が再開された。宮殿の改修は、バルトロメオ・アンマナーティが担当し、宮殿の背後にある庭(現・ボーボリ庭園)の設計は、通称トリボロという芸術家の案に従って造られていったとされています。 庭と宮殿の整備は、1590年頃まで約半世紀近く、コジモ一世、フランチェスコ一世、フェルディナンド一世と三代にわたって続けられます。
1580年に現在のウフィッツィ美術館が完成し、その建物が政治の場として機能するようになると、コジモ1世およびその家族は私的な時間をピッティ宮殿で過ごすようになる。結果としてコジモ1世の公私の空間は、これら二つの建物に分離されることになります。 さすが金持ち、この2か所を行き来するために「ヴァザーリの回廊」が造られたことになります。 やることがデカすぎて庶民の私達からは想像がつかない結びつきです😅 ピッティ宮殿はこのままの名前を使用して使われることになりました(名前をなぜ変えなかったはわかりません)
**ウフィツィ(Uffizi)"はイタリア語で"事務所(Office)"を意味し、1581年に第2代トスカナ大公フランチェスコ1世・デ・メディチが政庁館(=ウフィツィ)に一族の収集品を陳列したことが、近代西洋最古の美術館ウフィツィの起源となっています**
この宮殿の中に有名なアンナ・マリーア・ルイーザ・デ・メディチ(Anna Maria Luisa de'Medici, 1667年8月11日 - 1743年2月18日)の全身像があります。フィレンツェが今あるのは彼女のお陰かも知れないと言うほどの重要人物です。男子が継承する社会においてメディチ家最後の直系の人物となった方で結婚したのですが子供はいなかったとのことです。
アンナ・マリーアはその死に際し、「メディチ家のコレクションをフィレンツェから持ち出さないこと」を条件に、すべての美術品をトスカーナ政府に寄贈する遺言を残したのです。これによって約400年に渡り、メディチ家を中心として収集された絵画や宝飾品の膨大なコレクションはフィレンツェ以外に散逸を免れます。ウフィツィ美術館のコレクションなど世界最高の美術品が今のフィレンツェに残されたのです。今のフィレンツェ観光を支えるのは彼女のお陰なのです。
今回のピッティ宮殿の中にも数多くの美術品が収集されていました。その美術品を一般公開したのが1833年となります(ピッティ美術館)。メディチ家を中心とした歴代の当主が収集した1000点以上の美術品が公開されている。絵画を中心としたコレクションで別名は「パラティーナ美術館」とも呼ばれます。コジモ2世により1620年頃から収集が始められた。ピエトロ・ダ・コルトーナが内装を手がけたもので、「ヴィーナスの間」「アポロの間」「ユピテルの間」「マルスの間」などに残る壁画は彼の作品である(次回のブログで紹介致します)。
広大なピィティ宮殿の後方にボーボリ庭園(Giardino di Boboli)が造られます。総面積4万5000m2の大庭園となっています。コジモ1世はアンマンナーティに対して「貴人だけの場所であるから、庭園には誰も入ることが出来ないようにしたい」という手紙を送っている。その後、17世紀にようやく完成をみた。園内にはヴァザーリの回廊のピッティ宮殿側出口や、「ブオンタレンティの洞窟」、「円形劇場」などがある。またかつて要塞として作られ、現在は現代美術の特別展が開催されるフォルテ・ディ・ベルヴェデーレもこの庭園に位置する。バッカスの噴水にある亀に乗った小人像はコジモ1世の忠臣をモデルとしている
宮殿の後方の出口から庭園に出る事ができます。
アルノ川の対岸の少し高台にあるせいで、大聖堂やウフィツィ美術館などがあるフィレンツェ中心部を見下ろす事ができます。
庭園側からピッティ宮殿を振り返ったところです。表の表情とは違う雰囲気です。
園内にはヴァザーリの回廊のピッティ宮殿側出口や、「ブオンタレンティの洞窟」、「円形劇場」などがある。またかつて要塞として作られ、現在は現代美術の特別展が開催されるフォルテ・ディ・ベルヴェデーレもこの庭園に位置するそうです。私は気づかずに通り過ぎましたが、バッカスの噴水にある亀に乗った小人像はコジモ1世の忠臣をモデルとしているとのことです😅
庭園は広々として市民の憩いの場ともなっているようです。ここから見る朝夕の景色も綺麗ななのでしょうね。
次回はピッティ宮殿内にあるピッティ美術館(パラティーナ美術館)のコレクションを紹介します(特にラファエロのファンには堪らない美術館です)
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