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2025年7月

2025年7月30日 (水)

ジュリエットの家(Relais Balcone di Giulietta)に宿泊<フィレンツェからヴェローナへ移動>

<今日は第5週ですのでFM放送は音楽特集としていますので医療ネタがありませんので、医療ブログも休みとなります。代わりに2024年のイタリア旅行の後半を記載します>

初めてのフィレンツェ宿泊でこれまでに行かなかった多くの場所を訪ねる事が出来た大満足のフィレンツェ旅行でした。旅の終盤となります。初めて宿泊を伴うヴェネチアを最後にして帰国する予定を立てていました。旅行が決まる1年前から迷ったのが途中のヴェローナで宿泊するかどうかでした。そうなるとヴェネチアは1泊しかできません。

もう若くないけどヴェネチアは眠らなくて夜中まで遊べばいい、逆に若くないから二度とヴェローナに宿泊することはないと決断(←決断という程ではないかも知れませんが旅行者にとっては1日はとても貴重な時間です😆)。今の私にとっては前者は無理でも、後者の可能性は高いと考えて、ヴェローナ1泊、ヴェネチア1泊で帰国としました。

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フィレンツェも最高の宿泊地から徒歩でフィレンツェ中央駅へと向かいました。フィレンツェ駅は多くの観光客や通勤客でごったがえしていました。とにかくイタリアではスリに注意しながら行動です。
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旅も終盤になると、イタリアの駅の乗り方も迷わなくなり、周りを見渡せる余裕も出てきました。今回の旅ではとにかく持ち物を最小限にすることに注力しました。布製のスーツケースは6kg程度でしたので移動や電車の上の棚に置くのも楽ちんでした。私たちのように自撮りや自分達の写真を撮らない旅行者にとって毎回洗って干しておけば2〜3日に1回同じ服をつけても気になりません。
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駅に入り15分程度前に表示されるプラットフォームの番号を確認して電車に乗り込みます。
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今回短い距離で、値段もそう変わらなかったので1号車にしました。上の写真のように1号車にはサンドイッチや飲み物がついてきます。朝早く出たのでこれが朝食となります。移動時間に食事が取れるのは時短にもなりますので有難いことです。
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約90分で長閑な田園地帯を通りヴェローナ中央駅へと向かいます。
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ヴェローナに到着後まずもってやる事が上のヴェローナカードの購入となります。市内のほぼすべての乗り物や観光地も無料で入る事が出来ます。24時間を購入すると、明日早朝の市内からヴェローナ駅まで使用するバスまで無料となります。
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私にとってヴェローナと言えば、オリビア・ハッセが出演した「ロミオとジュリエット」の町となります。 世界中からヴェローナを目指す多くの観光客があのジュリエットの像を見にくるのです。 今回はこのジュリエットの家に宿泊です。 大人気ですので1年前から日時が決まった時点で予約を入れています。
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ヴェローナに早朝の到着ですので、チェックインが出来る時間ではありません。チェックインの前に荷物だけ預かるようメールしたらOKでした。「近くに来たら連絡してくれ」でした。 ヴェローナカードで中に入れますが、人気の「ジュリエットの家」と「アレーナ」はネットで時間指定が出来ます。
入り口にジュリエットの家の案内係がいましたので、私たちは今日ここに宿泊するのですが中に入れますか?と質問しました。そうしたらこの案内の方が電話をかけてくれ宿泊施設の方と話がついたようでした。 まっすぐ行って左のドアに行きなさいとの指示。スーツケースを持ったまま混雑した中を入ることに。左に曲がったドアには宿泊施設の方がいて、私たちが近づくとドアを開けて入れてくれました。
2階のフロントで手続きをして荷物を預けたら、ここを出てヴェローナ観光です。 
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しばらく観光し昼食も済まして、チェックインできる15時ごろ一旦ホテルの部屋へと入りました。
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昔の建物でしょうが、中は近代的にリノベーションされてとても綺麗な部屋でした。
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日本人には有難いバスタブ付きです。
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何と言ってもこのバルコニーから中庭が見える点が素晴らしいです。世界中からジュリエットに会いに来る人々です。ジュリエットの像の右胸を触ると恋が成就し、左胸を触ると財産に恵まれると言われているそうです。皆が順番を待ちながら写真を撮っていました。すごいなと感心したのは皆笑顔ですし、割り込んで写真を撮るのではなくてお互いに撮りあったりしていることでした。ジュリエットの愛の力は偉大です❤️  
ここで皆を眺めていると実に楽しいのです。一応うら若き女性の胸ですので、遠慮がちに触る方、ぎゅっと握り締める方、若い男性では恥ずかしがったり、皆から冷かされてたりしながら触っている方もいました。もちろん私はむぎゅ〜と握りしめました(嘘です🤭)。
右上のバルコニーもロミオとジュリエットが愛を交わすシーンで使われたと想定されるために、代わる代わる出窓から出て自撮りや1階の仲間から写真を撮って貰っています。
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あんなに多くの観光客で賑わった中庭には19時の閉館後は誰もいなくなります。この宿泊の最大の利点は閉館後明日の朝の開館までの間は宿泊者だけが許される場所となるのです。これってやはりすごいことだと思っています。
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部屋から中庭に降りて来ました。宿泊者にとってとても贅沢な空間となります。鍵のかかった入り口から多くの観光客が写真を撮っています。 中に入ったら出られない訳ではありません。ちゃんと宿泊客にはジュリエットの家の入り口のドアの鍵が渡されています。とても念をおされたのは「出る時に絶対外の観光客を中に入れないで」との指示でした。 そうしないと我先にと宿泊者以外が入ってきてホテル側が対応するのが困難になるとのことでした。
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私たちも夕方からの散策や夕食を取るために、入り口のドアを開けて出ましたが、ちゃんと鍵がかかっているかは念には念をおして出かけました。
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夜の22時以降になると入り口付近の観光客もいなくなり、気兼ねなくジュリエット像と対面する事が出来ました。 私たちが降りて来てしばらくすると宿泊のカップル(男性同士)も写真を撮りに降りて来ました。 写真を撮ってもらうようにお願いされましたので撮ることに。 ジュリエットはきっと人種も性別も分け隔てなく愛してくれることだと信じています。
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ヴェローナは1泊だけでしたが、人生の思い出の一つになれました。次回からヴェローナ観光を紹介します❤️‍🩹

2025年7月27日 (日)

ウフィツィ美術館(2014年)

2024年のフィレンツェ旅行で行っていないのがウフィツィ美術館です。まずもってフィレンツェの旅行では大聖堂の見学(外だけの場合も多いと考えますが)とウフィツィ美術館ではないかと考えています。これまでウフィツィ美術館は前回まで3回入ったことがありましたので、2024年はそれ以外に時間を割り振って入りませんでした。

やはりフィレンツェと言えばウフィツィ美術館は外せませんので、2014年の訪問の時の有名な絵画を記載致します。

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2014年の入口の様子です。今でもこれぐらい混むのでしょうか? この時はもちろん予約それも9時のスタートだったと記憶しますが、スタートが少し遅れました・・・何故かって?・・・実は9時までの間労使交渉が行われていて、もし決裂すればこのままストに入り休館になったとのことです。交渉がまとまり何事もなかったように9時から開館しました。 旅行者にとってイタリア(ヨーロッパでしょうか)で怖いのは突然ストになり、閉館したり、電車が運休したりする事態です。 旅行の日程が大幅に狂ってしまうのです・・・私たちにとってはどうしようもないことですが・・・結構頻回に起こるそうです💢
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沢山並んで来館者もその後はスムーズに進みました。まずは階段を登り有名な展示品が多い2回フロアから回りました。1日かけても見れないほどの展示ですので、最低限見たいと思う場所を事前に調べてルートを確認した方が無難だと思います。
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『聖女マルガリータと聖アンサヌスのいる受胎告知』(1333年、シモーネ・マルティーニ)
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『サンタ・トリニタの聖母』(1280-1290年、チマブーエ)

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『ウルビーノ公夫妻像』<対画肖像作品>(1472-74年頃、ピエロ・デラ・フランチェスカ)
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これは前の作品の裏になっている部分となります。
裏に描かれたのは勝利の馬車で、添えられた言葉は出産後に亡くなった奥さんへの追悼文てだそうです。
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『ヴィーナスの誕生』(1483年頃、サンドロ・ボッティチェッリ)
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ウフィツィ美術館がいいのは世界的に有名な作品も間近で見ることができ、フラッシュをしなければ写真も全てOKな点です。難点は人が入ることと照明の光が作品に入り込んで正面からなかなか上手く写真が撮れないことです。上の写真は団体客が一斉に隣に移ったために偶然正面に誰もいないで写真が撮れました。ライトの光の部分は後で修正しています。
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『プリマヴェーラ(春)』(1482年:ボッティチェリ)
春があるなら他に3部作(夏・秋・冬)があるのかと調べたら、作者のボッティチェッリはこの絵画に名前を付けていませんでした。この絵はトスカーナ大公コジモ1世の宮殿ヴィッラ・カステッロに飾られていたそうです。この作品を目にしたジョルジョ・ヴァザーリ(=ミケランジェロの弟子で画家・建築家)が、最初に『ラ・プリマヴェーラ (La Primavera)』と呼称したことから「春」と題名がついたそうです。そのため夏や秋・冬はないと思います。

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『聖母子と二人の天使』(フィリッポ・リッピ1450年-1465年頃)

フィリッポ・リッピ の後年の作品とされ、それ以降の聖母子画の表現に大きな影響を与えたと言われています。そのため美術史家の間では一般に『ウフィツィの聖母』(The Uffizi Madonna)と呼ばれていると記載されています。

 


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ウフィツィ美術館の窓からアルノ川とベッキオ橋が見えます。
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前のブログで書いたように、フィレンツェの支配者 メディチ家のピッティ宮殿とこのウフィツィを結ぶようにヴァザーリの回廊があります。全長1Km に及ぶ回廊は1565年にメディチ家のコジモ1世の息子の結婚を祝して建設され、メディチ家の関係者しか通れませんでした。その後回廊はウフィツィ美術館の自画像コレクションを展示するスペースとして使われていましたが、2016年より閉鎖され、修復工事が行われていました。2024年12月21日に再公開されましたそうです。この回廊を見学できるツアーもあるとのことですので時間のある方はツアーに参加してもいいかも知れません。
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『キリストの洗礼』(1475年頃、アンドレア・デル・ヴェロッキオ)
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これも見学者が離れたために正面で写真を撮ることが出来ました。キリストの洗礼をしているのですからキリストの弟子のヨハネではなくて洗礼者・ヨハネが右側の人物となります。通例ヴェロッキオとレオナルド・ダ・ヴィンチの合作とされる作品となります。

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『受胎告知』(1475-80年レオナルド・ダ・ヴィンチ)
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大天使ガブリエルがキリスト受胎を告げるために聖母マリアのもとを訪れた場面が描かれている世界的に有名な作品です。ガブリエルがマリアが処女懐胎の奇跡によってイエスと名付けられ「神の子」と呼ばれる息子を授かることを伝えるために父なる神から使わされた場面ですを描いています。天使ですからガブリエルには羽がついています。


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レオナルド・ダ・ヴィンチ「東方三博士の礼拝」
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『ヒワの聖母』(1505-1506年、ラファエロ・サンティ)
やはりラファエロは柔らかいです。
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眠れるアリアドネ(紀元前3世紀)
ルネサンスが古代作品から影響を受けたことを示すためにミケランジェロの部屋にあえて設置したとのことです。
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『聖家族』(1507年、ミケランジェロ・ブオナローティ)
システィーナ礼拝堂の絵画作品もありますが、絵としてはミケランジェロの中ではあまり筋骨隆々ではなく1番素敵では?
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「ウルビーノのヴィーナス」(1538年:ティツィアーノ)
どう見てもうら若い女性の妖艶な姿ですが、当時は女性の裸体を描くことは許されていませんでした。ただ何処も女性の裸には興味があったわけです。その当時も聖書の中に出てくるビーナスは裸で表現されていたために教会も世論も文句の言いようがなかったわけです。旧約聖書の「創世記」に登場するアダムとイブも裸で、最初の人間と表現されています・・・ではヴィーナスと言うためには何か工夫を施さねばなりません・・・それは右手に持っているのは薔薇の花です・・「薔薇はヴィーナスの花」とされていて、愛や美を象徴するとのことです・・世の男性諸君!これはあくまで若き乙女の裸体ではありません、女神様ですので謹んでご覧あれ🤭
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メドゥーサの首(1597年-1598:カラヴァッジョ )

イタリアのバロック期の巨匠ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョの絵画。カラヴァッジョを代表する神話画で、ギリシア神話の英雄ペルセウスによって退治された怪物メドゥーサの頭部を描いている。メドゥーサの首は円形の盾の表面に描かれており、その顔はカラヴァッジョ自身の肖像画であると言われるそうです。この作品が面白いのはキャンバスではなくて盾に描かれている点です。メドゥーサは見たものを石に変えてします怪物ですが、彼は鏡の様に磨き上げた盾で間接的にメドゥーサを見て首を切り落とすのです。そのエビソードも踏まえて盾に描いたのだと推測されています。この表情は「鬼滅の刃」的には消失する前に「俺・・首斬られたの?」とびっくりした様子です🤭

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バッカス (1596年:カラヴァッジオ)
バッカスはギリシャ神話の酒神となっています。ワインを左手で差し出して「お前も飲むか」と誘っているようです。男性とも女性とも見分けがつかない中世的な表情です。その表情や仕草にはカラヴァッジオの個人なことも絡んでいるようです。『バッカス』のモデルは、実際にはカラヴァッジョの弟子であり恋人であった、マリオ・ミンニーティであったのかもしれないとのことです。そう見るとなんとなく理解できる作品となっています。
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Supper Party With Lute Player(1969年:ヘリット・ファン・ホントホルスト)
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ウフィツィ美術館は最低でも半日は見た方が良いと思われます。観たい作品がどの場所にあるのか、どのルートとにするかを前もって考えておくこと、そして時間配分とチケットは事前予約をしてから鑑賞して下さいね。

このような世界的な名画を間近で、フラッシュなければいくらでも撮影できるのが観光客としては有難いことです。しかしながら今年の5月にはイタリアのフィレンツェにあるウフィツィ美術館で、写真のポーズを取っていた入場者がバランスを崩し、後ろにあった17世紀の絵画にぶつかって破損させたとCNNが伝えていました。 自撮りもいいのですが作品にだけは気をつけて欲しいものです。

2025年7月26日 (土)

アカデミア美術館(あのミケランジェロのダビデ像が見られる)

あのミケランジェロのオリジナルのダビデ像が見られるアカデミア美術館を見学しました。

フィレンツェの中でもウフィツィ美術館の次に混むぐらいの人気の美術館ですので、事前にネット予約は必須と考えます。「当日でもいいや」と思わない方が無難な美術館です。私たちは閉館の最後の時間で予約しました。

 

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アカデミア美術館は18世紀にメディチ家の後継者が美術学生のために、メディチ家のコレクションの一部をここに集めたのが始まりです。そのためにフィレンツェ美術学校の美術館となります。アカデミアとついています。私たちも勉強するつもり(?)で入ることにしました。
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美術館に入るとすぐに、 巨像のホールオリジナルの石膏模型などがあります。進むと 部屋の中央に展示されています 「ジャンボローニャ作;サビニの女たちの略奪 」1529~1608年 が展示されています 。オリジナルの彫刻は シニョリーア広場のロッジア・ディ・ランツィ。
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ジャンボローニャ の最高傑作とされるこの作品は、女性が天に向かって逃げるようなそぶりで、それを若い男性が捕まえるように支え、その下には老年の男性が絶望した様子で彼らを見上げています。人間のそれぞれ違う三つの世代を表わしていると言われます。しかしこの作品には名前が付けられておらず、のちに作品名が付けられたとのことです。

 


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この作品の題名《ザビニ女たちの略奪》は、イタリアの国造り神話に基づいたものです。物語を作品に込めているのですが、角度によって見方が違いますし、3次元的に実に上手く表現できています。このことが絵画では表現できない彫刻の違いだと感じさせる作品となっています。ミケランジェロが自身のことをあくまでも「彫刻家」であり、彫刻の肉体表現こそが最も優れた芸術であると述べたことを思い出させる作品です。


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このように沢山の彫刻作品が収められた彫刻ゾーンがあります。実際はすごい作品でしょうが多すぎてありがたみがなくなってしまします🙏

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さていよいよミケランジェロ・ゾーンとなります。世界中の方がここを見るために来館されたと思います。両サイドにミケランジェロ作品が並ぶ先にダヴィデ像が見えて来ました。
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若い奴隷(Schiavo Giovane):ミケランジェロ
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聖マタイ:ミケランジェロ
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髭の奴隷(Schiavo Barbuto):ミケランジェロ
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目覚めた奴隷(Sciavo che si ridesta):ミケランジェロ
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まじかで見て圧倒されるのは、まずその大きさです。なんと5メートル以上ある巨大さです。この大きさの大理石を掘るだけでも大変だと考えるのですが、腕から手の甲へ流れる血管、足先のフォームなど、どの部分をとっても繊細で美しいのです。 作成当初の依頼はフィレンツェ大聖堂のクーポラの屋根に載せるためだったそうですが、実際は重すぎて持ち上げられずに最終的にはアカデミア美術館に展示されてた経過があります。
ミケランジェロはダビデ像を皆が下から見上げることを想定して造ったようです。そのために正面から見ると上半身が下半身と比べて大きくなるよう設計されています。そのために少し下から見上げるように観察したのが1番ミケランジェロの真意がわかるのかも知れません。
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美しい大理石像ですが・・・このダビデ君なにをしている姿なのでしょうか? ダビデとフィレンツェの関係は?  あまり考えたことはないと思いますので記載しておきます。
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あまり後ろは気にすることはないと思いますが注目すべき点があります・・・「お尻が可愛いい」でななくて🤭・・・後ろを見ることで2つのことがわかります。 このダビデ様何をしようとしているのでしょうか? ミケランジェロは旧約聖書のなかの巨人ゴリアテとの戦いに臨む前のダビデを表現したそうです。
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正面から見ると左手は屈曲して、右手首が後ろに返っています。 左手から右手にたすき掛けのような帯状なものが繋がり、右の拳には石が握り締めていることがわかります。 風呂上がりのタオルではありません🤭・・・これは実はスリング(Sling)と呼ばれる投石器なのです。 
旧約聖書で少年ダビデはベツレヘムに住む8人兄弟の末っ子で、父とともに羊飼いをしていました。 竪琴の名手で、羊飼いをしながらこのスリングも使いこなしたようです。容姿も美しく司祭サムエルを通して神が「イスラエルの王とすべき」と太鼓判を押したような人物でした。

当時近隣のペルシテ人がダビデのいるイスラエルを攻めて来ます。その戦士の中に3m近い屈強な戦士「ゴリアテ」がいました。ゴリアテの強さは皆が知るところであったが、ゴリアテからの提案で「お互いに強いのを出して一騎打ちの戦いをして、負けた方が勝った方の奴隷になろう」と提案がなされます。 イスラエル側は誰も名乗りをあげる戦士はいませんでした。 そこでダビデ君が主君サウルに告げます。「私は羊飼いで、時々獅子や熊が羊に襲いかかりますが、スリングで打ち返してしまいました。神は私を守ってくれます」と提案し、サウルから決戦への許可が出ます。 重装備の巨人ゴリアテに対して持って行ったのは5つの石が入った投石袋とスリングだけでした。 少年ダビデを見てゴリアテはバカにしたのですが、ダビデが放った石が額に命中し気絶します。ダビデはその後ゴリアテの持っていた剣を使い彼の首を切り落として勝利します。 

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もう一つの疑問点・・・右足の足元にあるのは?・・・切り株?珊瑚のようなもの?・・・おそらくこれは投石をする時に体を支えるため(右足を固定するため)に使ったと想像されるようです。100メートル競走のスターティングブロックのようなイメージでしょうか? なるほど石を投げる時に軸足が滑ったら命中しませんよね。
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なんだイスラエルの昔話か?なぜフィレンチェと関連あるの? それはミケランジェロはダビデ像を通して当時のフィレンツェの姿を表現したのそうです。上の逸話の話の続きですが、中世のフィレンツェといえば群雄割拠のイタリアの中でもまだ小国でした。ダヴィデに自分たちの国を重ねて合わせ、ミケランジェはまだ小さなフィレンツェ(=ダビデ)が周りの大きな国々(=ゴリアテ )に勝って行けることを暗示したのです。 そのためフィレンツェ市民から支持され、ミケランジェロのダビデ像はフィレンツェの象徴となったのです。
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う〜ん!正面よりやっぱり見上げた方がかっこいいかも。世界中からこれを見に来るのもわかる作品ですね。
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《パレストリーナのピエタ》ミケランジェロの真作かどうかずっと議論されていた作品で一部弟子が手を入れたのではないかと言われますが、現在はほぼミケランジェロのピエタと認定されています。ダビデ像の右側の部屋に設置されています。
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ミケランジョロのピエタに関しては以前のブログを読まれて下さいね(→私を魅了し続けるミケランジェロ
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有名なミケランジェロのダビデ像とピエタ作品の1つを当時に観ることができる贅沢な空間です。
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最後はビザンチン絵画コーナをみて先ほどまでの興奮を覚ましながらゆったりと眺めています。凄いのでしょうが・・・ダビデ様に圧倒されて頭の中は新しい情報を入れられない飽和状態となってしまいました。
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外に出るともう暗くなって来ました。退館時間のアナウンスが流れましたので続々と最後の観覧者が出て来ました。
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部屋に戻りフィレンツェ大聖堂を眺めながら、買って来た夕食を頬張るとしましょう。今日もよく遊びました(笑)。

2025年7月25日 (金)

今週の生花(令和7年7月第4週)

沖縄地方は台風7号の影響で雨と僅かに風が強くなっているのですが、なんと今度は台風8号が週末から日曜日から月曜日に近づく予想です。今年は梅雨が早く開けたので夏の断水が気になったのですが、ずっと雨の日が続いています。

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今週の生花は白い花器の両サイドにホオズキがどっしりと構えて、上方にアセビとストレリチアが力強く伸びています。
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かなり上方に伸びた生花ですが、不安定にならないの大きな白い花器がどっしりと構えているからかも知れません。
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今週も個性は揃いの生花たちです。沖縄地方はせっかく夏休みに入ったはずですのに子供達が海で遊べない状況となっています。これから台風の影響が出ないと嬉しいのですが・・・
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<花材:あせび、ストレリチア、姫ひまわり、小菊、ホオズキ>

2025年7月23日 (水)

薬剤による日光過敏症

先々週に引き続きFM「いきいきタイム」は太陽光線が与える影響について話をしました(皮膚科は専門外ですので、素人と同じレベルの話しか出来ませんが)。その中から、ブログには光線過敏症について記載したいと思います。

 

太陽の下で日に当たると当然、光のエネルギーにより私達の皮膚には日焼けやその後の褐色化、シミ・シワなどの変化が起こります。光線過敏症は普通の方ではなんでもないような量の光にあたっても、様々な異常な皮膚症状(赤み、湿疹、掻痒感、水疱形成、色素沈着など)を生じる現象を呼んでいます。

 

幼少時から起こす遺伝性疾患では色素性乾皮症、ポルフィリン症等があり、青年期では多形日光疹、日光蕁麻疹、光接触皮膚炎などがあります。

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原因疾患も様々で、先天的なものから、薬剤性など様々です。その原因物質の1つにクロモフェアが上げられています。これは太陽の紫外線のUVAとUVBに反応して、エネルギーを放出し、毒性やアレルゲンの原因となると考えられています。

 

中高年になって起こる光線過敏型薬疹については注意が必要でしょう。これは内服薬や外用薬(シップなども含む)を貼った後に太陽光を浴びると、これまでなかった皮膚炎があられることがあります。これを光線過敏型薬疹と呼んでいますが、その原因となる薬剤として私などが使う抗がん剤など特殊な薬剤もありますが、多くは一般的に使われている薬によることがあり、薬が原因と気が付かないこともあります。

 

光線過敏型薬疹は内服や注射で入った薬が紫外線の影響を受けて、アレルギー反応を起こすようになります。この状態を光感作という状況になり、アレルギー反応の準備状態となってしまいます。この状態に体が変化すると次からは少量の紫外線でも反応が惹起されひどい皮疹になったり痒くなったりします。

 

抗生物質、降圧剤、抗コレステロール薬、抗不整脈薬、利尿薬、抗ヒスタミン薬、抗精神病薬、抗不安薬、抗うつ薬、抗てんかん薬、血糖降下薬、抗リウマチ薬、ビタミンB6など多くの原因物質があり、それぞれ特殊な薬ではなくて病院などでよく処方されている薬が含まれいます。またそれらの薬同士の相性でも起こし易くなると言われていて注意が必要となっています。

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病院の処方だけでなく、一般的なドラッグストアでも買えるような湿布薬を貼ったままや外して直ぐの時に日光を浴びるとその部位だけが異常に赤くなったり痒くなったりする場合もよく見受けます。また日焼け止めの成分や虫刺されの治療薬でも日光過敏となる方もいますので注意が必要です。

 

原因も反応も様々ですので、太陽を浴びて通常と違う炎症が現れた場合は内服薬などの見直しや、原因を精査するために薬を出した主治医や皮膚科の受診をお薦めします。

2025年7月20日 (日)

フィレンツェでの昼食(Ristorante Oliviero 1962)とヴェッキオ橋散策

今回はフィレンツェでの昼食とヴェッキオ橋散策について記載致します。

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今回の旅行で唯一予約を入れた Ristorante Oliviero 1962で昼食をとりました。今回の旅行では一般的なホテルには殆ど止まっていませんので食事などもついていません。ただ宿泊地の立地条件は最高の場所ですので夕食は殆ど地元のスーパーや市場で買ってきて宿泊のホテルやアパートメントで食べています。そのため今回の旅行で一番豪華な(値段が高いという意味も含みます😅)食事だったと思います。
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時間が昼食と夕食の間だったせいか、店内には私達とあと1組以外はお客さんもいませんでした。
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単品でそれぞれ頼んだのですが、飾り付けもいちいち手が込んでいます。
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お店の方に私たちは食は細いですが、おすすめの料理はと聞いた後に注文した品々です。どれも味がはっきりしていて実に美味しいものでした。
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食べ慣れないトリュフがのったクリームパスタです。食に疎い私としてはこれまでトリュフの有り難みがわからなかったのですが、この品はトリュフの芳醇な匂いとチーズが絡み合った実に美味しいパスタでした。 会計の時にビビりましたが、もうヨーロッパでは食べた後に日本円に換算しないことにするようにしました・・・円安どうにかならないものでしょうか😂
食事を取った後はヴェッキオを橋を散策しました。

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ヴェッキオ橋の上を歩いています。両サイドに貴金属展がズラッと並んでいるせいでここが橋の上とは思えない風景です。
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橋の中央近くには欄干まで行ける広場があり、アルノ川を見渡せるため観光客の多くが写真を撮っている場所です。
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右側の2階の部分はピッティ宮殿とウフィツィ美術館を結んでいるメディチ家の私的な回廊となっています。
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ヴェッキオ橋の袂まできましたので、このままヴェッキオ橋が見れるもう一つの橋まで進んでみることに。
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ここからみると橋の上に商店街が並んでいる事がわかります。中世のフィレンツェの橋はこのような構造が一般的だったとのことです。今は殆ど残っていません。
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この場所は多くの方が眼にするアルノ側とヴェッキオ橋となります・・・・と言うのはこの写真の右手ては有名なウフィツィ美術館となっています。
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ウフィツィ美術館の中から見たアルノ川とヴェッキオ橋ですが、ピッティ宮殿との関係がわかればこの位置関係で「ヴァザーリの回廊」も理解できる場所となっています。
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ちなみに先ほどヴェッキオ橋を見た橋の反対側の風景はこのような感じとなっています。この辺りを朝に散策するとアルノ川でボートの練習風景を見かけることが多いです。

2025年7月19日 (土)

ピッティ宮殿No2<パラティーナ美術館(ピッティ美術館)>〜ラファエロ作品が堪能できる美術館〜

ピッティ宮殿Palazzo Pitti の中にパラティーナ美術館(ピッティ美術館)とボーボリ庭園(Giardino di Boboli)を含めます。今回はラファエロの作品が有名なバラティーナ美術館について記載します。

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アルノ川を渡りしばらくして、なだらかな斜面を上るとの堂々としたピッティ宮殿が見えてきます。宮殿の前のなだらかな斜面も市民の憩いの場となっています。正面に大きな建物がないためここからもフィレンツェ旧市街地がよく見えます。

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近くでみると大きな石を積み上げて要塞のような建物となっています。(この歴史については前回を参照してください→ ピッティ宮殿No1
今回のブログはピッティ宮殿の中で歴代のフィレンツェ当主達が集めた美術品を展示するパラティーナ美術館の作品を紹介致します。


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聖母子と聖母の物語(フィリッポ・リッピ作 / 1452年)

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この当時の流行りなのでしょうか、四角の画面でなくて円形の絵が多くなります。この円形の絵を「トンド」と言うそうです。リッピ唯一のトンド作品です。伝統的手法が取られており、1枚の絵に複数の時代が収められています。日本の絵巻物みたいな感じか。中央はもちろん聖母子ですが、背景は聖アンナ(マリアの母)の時代の話だとか。

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『パッセリーニの聖母被昇天』

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ラファエロの間と呼ばれていますが、あの世界的に有名な作品も数多くあります。
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椅子の聖母(ラファエロ・サンティ作 / 1513~1514年頃)

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ラファエロの真骨頂の柔らかい優しい眼差しが他のレオナルド・ダ・ビンチやミケランジェロとの違いでしょうか。ラファエロ唯一の円形(トンド)作品とのことです。

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(対比として⇧ウフィツィ美術館にあるミケランジェロの聖家族です。ミケランジェロ作品としては柔らかいのですが、ラファエロと比べてしまうとやはり彫刻のように硬いですね)

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大公の聖母(ラファエロ・サンティ作 / 1506~1508年頃)
この作品は残念なことがあります。トスカーナ大公フェルディナンド3世が所有していたそうですが、劣化を隠すため、背景が黒く塗りつぶされてしまったそうです😭 どんな背景を描いていたのでしょうか?

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『エゼキエルの幻視』ラファエロ・サンティ作 1518年頃
この作品も私が知っているぐらいですので超有名な絵画となります。ラファエロはエゼキエルが見た幻想的な光景を描いてるそうです。Wikipediaによると「預言者エゼキエルが捕囚の人々の中にいたとき、北から激しい風とともに雲がやって来て、その中から4つの生き物が現れた。彼らはみな人の姿で4つの顔と4枚の翼があり、前方に人、右にライオン、左に牛、また後ろに鷲の顔があり、稲妻のように速く行き来した。また彼らのかたわらに4つの輪があった。そして彼らの頭上に火のような輝く青銅色のものに囲まれた神の姿があった。その様子は雨の日に雲に起る虹のようであり、栄光に満ちた神を見たエゼキエルが顔を伏せたとき、神は「人の子よ、立ち上がれ、わたしはあなたに語ろう」と言われた」このような状況を1枚の絵にしたとのことです。ちなみに人、ライオン、牛、鷲はそれぞれ福音書記者である聖マルコ、聖ルカ、聖ヨハネ、聖マタイの象徴とされています。 雲を割いて神が両手を広げて人間界を見下ろすポーズも圧巻です。

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トンマーゾ・インギラーミの肖像(ラファエロ・サンティ作 / 1510年)
インギラーミ枢機卿を描いた作品です。彼は非常に教養に恵まれた方だったよが斜視だったそうです。ラファエロは彼の視線を右上に向けることで斜視を少し柔らかくしながら思慮深さを表現したと思います。そして今にもアイデアが浮かんで右手のペンで記述しようとしているかのような雰囲気です。ペンを握る手も柔らかです。ラファエロは人物の特徴をよく捉えた画家だったのかも知れません。

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「布張り窓の聖母子」(ラファエロ・サンティ:1514年頃)

聖母子を中心に円を描く構図になっています。天使の指先の構図はミケランジェロやレオナルド・ダ・ビンチにからヒントを得たのかも知れませんね。なんとなく似ていますよね(中指でなくてよかったです🤭)。


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ベールの女性(ラファエロ・サンティ作 / 1516年頃)

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『悔悛するマグダラのマリア』ティツィアーノ

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一体いくつ部屋があるのでしょうか?絵画作品だけでなく、建物そのものの壁や天井も装飾で埋め尽くされています。


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『四人の哲学者』ルーベンス(1611-1612年)
四人の哲学者』(伊: Quattro filosofi、英: The Four Philosophers)は、フランドルのバロック期の巨匠ピーテル・パウル・ルーベンスが1611-1612年に板上に油彩で制作した肖像画となります(→ベルギーアントワープのルーベンスの家)。この作品は、1611年に他界したルーベンスの兄フィリップの追悼のために描かれたとされています。絵の中の人物は右から人文主義者のウォヴェリウス、哲学者でありフィリップの師であったリプシウス、そして兄フィリップがモデルとなっており、背後に立っているのはルーベンス自身である。

この絵は1772年にはイギリスのウィンザー城内のロイヤル・コレクションに収められ、その後18世紀末までにピッティ宮殿に移された。更にはナポレオン戦争中に略奪され、1800年にパリに持ち去られたが、1815年にフィレンツェに返還された、現在元のピッティ宮殿(パラティーナ美術館)に展示されています。


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アンナ・マリーアはその死に際し、「メディチ家のコレクションをフィレンツェから持ち出さない」ことを条件に、すべての美術品をトスカーナ政府に寄贈する遺言を残した。これによってメディチ家の収集品は散逸を免れた。彼女の功績はフィレンツェそのものかも知れません。

2025年7月18日 (金)

今週の生花(令和7年7月第3週)

令和7年7月も中盤になりました。この日曜日は参議院選挙もあり、選挙に関わる方々は忙しい日々を過ごしていると思います。日本の国民の民意が偏らずに届いて欲しいと願っています。

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おそらく外では選挙カーや街頭演説で騒々しいと思いますが、病院の2階のいつものスペースは静かな時間が流れています。
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今週の生花は雲竜柳や藪手毬の青い葉のせいか野生味を感じさせる生花となっています。夏の太陽にも強風にも耐えうるような力強い生花です。
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今週の生花は全体的にみると野生的でありながら、個々の花材を取り上げると意外に柔らかな印象となっています。このギャップがまた楽しい生花でした。 
これから暑さが厳しい時間が長く続くと思いますが、熱中症などに気をつけながら皆様方も夏を楽しめたらと期待しています。
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<花材:雲竜柳、藪手毬、マリーゴールド、小菊>

2025年7月16日 (水)

ピッティ宮殿No1(歴史的意味とボーボリ庭園)

(今日は第3水曜日で会議のためFM放送はありませんので、医療ネタもありません。旅行記の続きをアップ致します)

ピッティ宮殿Palazzo Pitti の中にパラティーナ美術館(ピッティ美術館)ボーボリ庭園(Giardino di Boboli)も含まれますが、フィレンツェを知るためにも少し歴史を記載したいと思いました。長くなったのでパラティーナ美術館(ピッティ美術館)は次回(ビッティ宮殿No2)分けて説明したします。

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ピッティ宮殿(ピッティきゅうでん、伊:Palazzo Pitti)は、イタリアのフィレンツェにあるルネサンス様式の広大な宮殿。トスカーナ大公の宮殿として使用された。アルノ川の西岸に位置し、ウフィッツィ美術館とはヴァザーリの回廊を通じて結ばれている

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 フィレンツェの歴史をみる上で重要となるのがピッティ宮殿だと思います(豆知識として最初に記載します)。

フィレンツェと言えばルネッサンスが開花した芸術の都だと思います。その芸術を支えたパトロンが有名な「メディチ家」と言うことは私も分かったいました。そのメディチ家の宮殿ではなくて「ピッティ宮殿と呼ばれる訳は?」 

ピッティとはフィレンツェの銀行家ルカ・ピッティのことで、当時は建国の父と呼ばれるコジモ・デ・メディチのライバルとしてフィレンツェで覇権を争っている家柄でした。 メディチ家はフィレンツェの中心部にメディチ・リッカルディ宮殿 Palazzo Medici Riccardiという私邸を建てていました。 それに対抗すべくルカ・ピッティは1457年ピッティ宮殿の建設に着手します。もちろんライバルであるメディチ宮よりも優れた建物を作るため財力を注ぎ込みます。しかし財政が悪化と共にコジモの子ピエロ・ディ・コジモ・デ・メディチに対する陰謀発覚によって工事は中断され、ピッティ宮殿の完成を見ることなく、ピッティは1472年に死去。ピッティの死とともに、宮殿の建設も中止されたとのことです。

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ピッティの死から約100年を経た1550年頃、初代トスカーナ大公であるメディチ家の当主コジモ1世が、体調を崩しがちになった妻エレオノーラ・ディ・トレドのためにピッティ宮殿を買い取ったとのこと(きっとライバルのビッティはあの世から恨めしそうに眺めたのかも?知れません)。 これにともない中断されていた宮殿の建設が再開された。宮殿の改修は、バルトロメオ・アンマナーティが担当し、宮殿の背後にある庭(現・ボーボリ庭園)の設計は、通称トリボロという芸術家の案に従って造られていったとされています。 庭と宮殿の整備は、1590年頃まで約半世紀近く、コジモ一世、フランチェスコ一世、フェルディナンド一世と三代にわたって続けられます。

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1580年に現在のウフィッツィ美術館が完成し、その建物が政治の場として機能するようになると、コジモ1世およびその家族は私的な時間をピッティ宮殿で過ごすようになる。結果としてコジモ1世の公私の空間は、これら二つの建物に分離されることになります。 さすが金持ち、この2か所を行き来するために「ヴァザーリの回廊」が造られたことになります。 やることがデカすぎて庶民の私達からは想像がつかない結びつきです😅 ピッティ宮殿はこのままの名前を使用して使われることになりました(名前をなぜ変えなかったはわかりません)

**ウフィツィ(Uffizi)"はイタリア語で"事務所(Office)"を意味し、1581年に第2代トスカナ大公フランチェスコ1世・デ・メディチが政庁館(=ウフィツィ)に一族の収集品を陳列したことが、近代西洋最古の美術館ウフィツィの起源となっています**

 

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この宮殿の中に有名なアンナ・マリーア・ルイーザ・デ・メディチ(Anna Maria Luisa de'Medici, 1667年8月11日 - 1743年2月18日)の全身像があります。フィレンツェが今あるのは彼女のお陰かも知れないと言うほどの重要人物です。男子が継承する社会においてメディチ家最後の直系の人物となった方で結婚したのですが子供はいなかったとのことです。

アンナ・マリーアはその死に際し、「メディチ家のコレクションをフィレンツェから持ち出さないこと」を条件に、すべての美術品をトスカーナ政府に寄贈する遺言を残したのです。これによって約400年に渡り、メディチ家を中心として収集された絵画や宝飾品の膨大なコレクションはフィレンツェ以外に散逸を免れます。ウフィツィ美術館のコレクションなど世界最高の美術品が今のフィレンツェに残されたのです。今のフィレンツェ観光を支えるのは彼女のお陰なのです。

今回のピッティ宮殿の中にも数多くの美術品が収集されていました。その美術品を一般公開したのが1833年となります(ピッティ美術館)。メディチ家を中心とした歴代の当主が収集した1000点以上の美術品が公開されている。絵画を中心としたコレクションで別名は「パラティーナ美術館」とも呼ばれます。コジモ2世により1620年頃から収集が始められた。ピエトロ・ダ・コルトーナが内装を手がけたもので、「ヴィーナスの間」「アポロの間」「ユピテルの間」「マルスの間」などに残る壁画は彼の作品である(次回のブログで紹介致します)。

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広大なピィティ宮殿の後方にボーボリ庭園(Giardino di Boboli)が造られます。総面積4万5000m2の大庭園となっています。コジモ1世はアンマンナーティに対して「貴人だけの場所であるから、庭園には誰も入ることが出来ないようにしたい」という手紙を送っている。その後、17世紀にようやく完成をみた。園内にはヴァザーリの回廊のピッティ宮殿側出口や、「ブオンタレンティの洞窟」、「円形劇場」などがある。またかつて要塞として作られ、現在は現代美術の特別展が開催されるフォルテ・ディ・ベルヴェデーレもこの庭園に位置する。バッカスの噴水にある亀に乗った小人像はコジモ1世の忠臣をモデルとしている
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宮殿の後方の出口から庭園に出る事ができます。
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アルノ川の対岸の少し高台にあるせいで、大聖堂やウフィツィ美術館などがあるフィレンツェ中心部を見下ろす事ができます。
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庭園側からピッティ宮殿を振り返ったところです。表の表情とは違う雰囲気です。
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園内にはヴァザーリの回廊のピッティ宮殿側出口や、「ブオンタレンティの洞窟」、「円形劇場」などがある。またかつて要塞として作られ、現在は現代美術の特別展が開催されるフォルテ・ディ・ベルヴェデーレもこの庭園に位置するそうです。私は気づかずに通り過ぎましたが、バッカスの噴水にある亀に乗った小人像はコジモ1世の忠臣をモデルとしているとのことです😅
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庭園は広々として市民の憩いの場ともなっているようです。ここから見る朝夕の景色も綺麗ななのでしょうね。

次回はピッティ宮殿内にあるピッティ美術館(パラティーナ美術館)のコレクションを紹介します(特にラファエロのファンには堪らない美術館です)

2025年7月13日 (日)

早朝のフィレンツェ大聖堂

今回念願だったフィレンツェ大聖堂の目の前の宿泊だった利点を活かして、余り人通りのない早朝のフィレンツェ大聖堂の写真を記載致します。
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昨日の雨も上がり今日は晴れのち曇りの状態でフィレンツェを散策出来そうです。
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中心部に泊まることの最大の利点の1つに早朝のまだ観光客が訪れない時間帯での散策があります。当然まだ教会なども開きませんので外観の写真撮影となります。
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この美しい大聖堂は13世紀に着工されますが、正面のファザードの部分は1871年から1887年にかけて作られたそうで、この教会としては新しい方となります。
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ファザードの中央扉の上方には一番大切な画面が描かれています。王座にキリストが座り、左右の足元に聖母マリアと洗礼者ヨハネが描かれています。キリストが持っている青い球体は地球を表しています。当時から「地球は青かった」のはわかっていたのでしょうか? 中央の金色の花瓶に生けられているのは百合の花になります。マリアの純潔を示す花でもありますし、フィレンツェ共和国のシンボルの花でもあるのです。
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扉そのものの彫刻も細かですが、周りの壁の壁画も一つ一つが芸術作品のような完成度の高さでした。
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人が少ないと写真撮影も楽です。早朝ですと観光客も余りいませんし、イタリア名物のスリ集団もきっとまだ活動していないと思います。
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ジョットの鐘楼(Campanile di Giotto) は、フィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の脇に建っている高さ約84mの鐘楼で14世紀にジョットによって建立されました。大聖堂と同じく赤、白、緑の大理石で作られているゴシック様式の建築となっています。
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Brunelleschi Pass(ブルネレスキ・パス)を利用して登らなかったのがジェットの鐘楼となりました。いつか登ってみたいですが、いつか訪れることがあるのか?来ることが可能でも登る体力が残って要るか? が心配な年になって来ました😅
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大聖堂の裏側に来ました。横のカフェはもう開いていました。大聖堂を眺めながらエスプレッソと甘い菓子を食べるのもいいかも🥰
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ぐるりと大聖堂の周りを一周してきました。
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折角ですので早足でヴェッキオ宮殿前の広場まで来ました。少し時間が経ったせいでしょうか?観光客が目立って来ました。皆私と同じ様に人気がいない写真を撮りたかったのでしょうね。

私たちは部屋に戻り、昨日買って来たパンとコーヒー入れてテラスから大聖堂を眺めながら最高の朝食を摂りました。さあ、今日も1日沢山回る予定です😉

 

2025年7月12日 (土)

ヴェッキオ宮殿・Palazzo Vecchio(秘密の通路ツアー)

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花の都(フィレンツェのイタリア語名「Firenze」が「花咲く」を意味することから)や屋根のない美術館と評されるフィレンツェは徒歩で観光できるような範囲にルネサンス文化の中心地として、数々の美術品や建築物が街全体に点在し、どこを観てもため息が出るほど美しいです(もちろんオーバーツーリズムで観光客は多いですし、スリも多いですが・・・)

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ヴェッキオ宮殿(伊: Palazzo Vecchio)は、イタリアのフィレンツェにある鐘楼を有す宮殿でシニョリーア広場に面しています。この名前の変遷がフィレンツェの歴史を物語っています。この宮殿はもともとウベルティ家を筆頭とする皇帝派ギベッリーニが所有していた場所を、勢力争いに勝利した教皇派グエルフィが没収して政治を司るための建物として使用されます。

当初はヴェッキオ宮殿ではなく、Palazzo dei Priori パラッツォ・デイ・プリオーリと呼ばれて、それはフィレンツェ共和国の政治を司る”プリオーリ(政務官)”の建物という意味だったそうです。

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 その後Palazzo della Sognoria パラッツォ・デッラ・シニョリーア(領主)と政体の呼ばれ方と共に名前が変わり(現在のシニョリーア広場の名前はその名残となっています)。 1540年よりのメディチ家の住居として使われた時代にはPalazzo del Duca パラッツォ・デル・ドゥーカ(公爵)、と呼ばれます。そして、最終的にメディチがピッティ宮殿(新しい宮殿)に居を移した時からは”古い宮殿”Palazzo Vecchio(ヴェッキオ宮殿) と呼ばれるようになりました・・・この宮殿だけでもフィレンツェの歴史を感じさられます。


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ヴェッキオ宮殿入口には有名な彫像が置かれています。左手の彫刻はミケランジェロ作「ダビデ像(レプリカ)」で、右側はバッチョ・バンディネッリ作「ヘラクレスとカークスの像」が建立されています。建物の入口には、街の紋章を持つフィレンツェの獅子像マルゾッコ(Marzocco)が飾られていいます。なお、このマルゾッコ像の複製が、フィレンツェの姉妹都市である岐阜市に寄贈されているそうですよ・・・岐阜市の方なら知っているかも?
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ヴェッキオ宮殿の右側の広場に面してロッジア・ディ・ランツィロッジア・ディ・ランツィ(ランツィの回廊)があります。 柱間の広いアーチが3つ並んでいて、奥もありますのでいい休憩場所ともなります。アーチはコリント式柱頭のある束ね付柱で支えられています。回廊の広々とした空間は壁で覆われたヴェッキオ宮殿と違いのんびりと出来そうな雰囲気です。中にも繊細な彫刻が展示されていて、開放的な野外彫像展示場となっています。

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シニョリーア広場からランツィの回廊とヴェッキオ宮殿の間を右に回るとすぐにウフィツィ美術館があります。

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ウフィツィ美術館はフィレンツェでも1、2位を争う観光客でごった返す世界的名画が数多くある世界的な美術館です。 上の写真はまだ早朝ですので割と人が少ないのですが8〜9時になると行列ができています。イタリア・ルネサンス絵画の宝庫である。展示物は2,500点にのぼりボッティチェッリ、レオナルド、ミケランジェロ、ラッファエッロらイタリア・ルネサンスの巨匠の絵画を中心に見学できます。

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元に戻り、ベッキオ宮殿に入ると、中庭中央にはヴェロッキオ作のイルカを抱くキューピッド(レプリカ)の噴水があります。これはレプリカで実際は雨の落ちない場所にあります(↓)
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現在でも半分は市庁舎として使われるということですが、中庭の彫刻や絵画はすごく立派です。
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ヴェッキオ宮殿を普通に見て回れるのですが、検索したところ秘密の通路ツアーなるものがありました。一応公式サイトはヴェッキオ宮殿 秘密の通路ツアー これ以外にも「GetYourGuide」などでも申し込めますが、これらはツアーだけでなく終わった後に食事がついていたりすることで料金も高めの設定になっています。もし公式サイトでいっぱいでしたらこれらのツアーを申し込んでも良いのかも知れません。

屋根裏に入ったり、隠し扉を開いて秘密の通路を通れるこれらのツアーでは通常では入れない箇所も見学できるのでチャレンジしてみて下さいね。

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ヴェッキオ宮殿の正面ではなくて側面の小さな入り口から中に入ります。如何にも秘密のトビラだせ〜っていう感じがします。
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入って直ぐに小さな小部屋があり、ツアーのガイドさんの自己紹介とこのツアーの概要を説明してくれます。
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私たちが一番奥の方に腰掛けて聞いていると、写真(↑)の左側に扉があるので「ここから入るのだな」と思っていましたが・・・
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ガイドさんが私たちと反対側の扉を開けてツアー開始となりました。

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秘密の通路ツアーで出発する隠し扉が開いてその奥の階段を進むと直ぐに「フランチェスコ一世の書斎」に入れました。 秘密の通路ツアーに参加しないと入れない隠れ部屋となっています。
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この部屋はマニエリスム期最後の作品と言われていて、大公フランチェスコ一世の命によってつくられました。フランチェスコの没後、一度は解体されたものの幸運にも再構築する事に成功。錬金術の考えに基づいて、複雑に構成されています。 実はこの部屋は後でゆく500人広間に隣が接する場所にあるとのことです。どのような構造になっているのかは想像しようもありません。500人広間と言われる大きな部屋からはこの部屋を見ることは出来ません。

全面にあるパネル絵は全て開き、中にコレクション品が納められていました。パネルの何枚かは扉になっていて開く事ができ、秘密の通路や部屋に通じています。扉の裏側にはヴェッキオ宮殿のオプショナル秘密の通路ツアーで入る事ができます。(インフェルノツアーはコースが異なります)

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ガイドさんについて歩いて行くのでどこをどう通ったか分かりませんが、一般の方も入れる場所も交差しながら通るようでした。
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ここは一般の見学者は入れないような場所のようです。少なくてもヴェッキオ宮殿の外壁の部分にこれだけの幅の通路や部屋が秘密裏に造られていたことを初めて知りました。
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このような通路を登って行くと、途中からあの有名な2階の「五百人広間」を見下ろす場所に出てきました。

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Salone dei Cinquecento

ヴェッキオ宮殿の広い階段を2階に上がると「五百人広間」と呼ばれる圧巻の大広間があります。総勢500人で構成される大評議会を開催するために、サヴォナローラの時代、1495年に、シモーネ・デル・ポッライオーロ(通称、クロナカ)によって建設されました。長さ54メートル、幅23メートル、高さ18メートルという並外れた大きさでイタリア最大のホールの一つとのことです。

旅行があまり好きでない方でも、トム・ハンクス主演ダン・ブラウン原作の映画「インフェルノ」で観たことがあるかも知れません。映画では主役のトム・ハンクスと、ヒロインのフェリシティ・ジョーンズが、この広間の屋根裏部屋で追いつ追われつの大活劇を繰り広げていました。まあよくこの場所を借りることが出来たもんだと映画会社の交渉スタッフはすごいなと感心してしまいます。

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左右に配置された大絵画が目に入ります。 この壁画はなんとイタリアの2大巨匠である、レオナルド・ダ・ヴィンチと、ミケランジェロに依頼されたものでした。実際にレオナルド・ダ・ヴィンチが描いた絵画の題材とされるのは「アンギアーリの戦い」で、ミケランジェロが描いたのは「カッシーナの戦い」でした。この絵が実現していたらこの500人の間は、想像以上に価値のある部屋になっていたと思いますし、ここに立てば身震いがしたと思うのです。
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ミケランジェロの「カッシーナの戦い」は彼の才能を妬んだ彫刻家バンディネッリによって破壊されてしまいます。
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一方新たな彫刻の技法に取り組んでいたダ・ヴィンチの「アンギアーリの戦い」も画稿を壁に移す段階で乾燥に失敗し、剥がれてしまったとのことです。

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真ん中の椅子に腰掛けて、しばらく周りを見渡すだけでもため息ものです。
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大広間の側面に私の好きなミケランジェロの彫刻(1565年⇧)がしらっと置いてあります(笑)。 おそらく、これはローマ教皇ユリウス2世の墓廟のために準備していた彫刻のうちの一体だったとのことです。
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勝利の守護神(ミケランジェロ作)

もともと教皇ユリウス二世の霊廟(サン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会/ローマ)の一部として製作されたと考えられています。アカデミア美術館にはあと4体、フランスのルーブル美術館にも2体がバラバラに保存されているとのことです。

 


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コジモ1世の時代、1563年から65年にかけて、天井や周囲の壁面もすべてヴァザーリらの手によって豪華に装飾されました。ちょうどヴァザーリの回廊と同じ年に完成し、天井画は合計39枚のパネルで構成されそれぞれに歴史上の出来事を描いています。
まず中央の列『コジモ礼讃』と呼ばれ、中央に王冠を被ったコジモ1世を中心に、フィレンツェの紋章やアルテ(ギルド)の紋章で囲まれ味方陣営を描いています。西側の列
は『ピサ戦争』について描かれています(西側の壁にもフレスコ画もピサ戦争についてです)、そして東側の列は『シエナ戦争』(東側の壁にもフレスコ画のシエナ戦争)を題材に描いています。フィレンツェが周囲の列強諸国を次々に支配下に収めた歴史が描かれていることになります。
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この眺めで、左右の壁画がダビンチとミケランジェロの作品として残っていたらどれだけ凄かったのか想像するだけても鳥肌が立ちます。

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2階(中2階?)の部分は一般の方も入れる部分になっていると思います(分かりませんが、私たち以外にも他の方々がいましたので)
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ここの部屋の装飾もすごいです。
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円形の絵画「聖母子と幼子ヨハネ(作者不詳)15世紀末この絵は右上の空に円盤のような雲?が描かれたことで「空飛ぶ円盤のマドンナ」とも呼ばれる作品です。

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拡大してみると、宇宙船らしきのがあり、空を見上げる兵士のような人物があり、左上には宇宙船から降りてくる宇宙人あるいは宇宙船に人間が引き上げられる場面のように思える姿も描かれています。UFO好きな方には堪らない作品かも知れません。
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ドナテッロ作のブロンズ彫刻「ユーディットとフォロフェルヌス像」。

「ユディトとホロフェルネス」の物語は旧約聖書の中で描かれているとのことです。ヨーロッパで、絵画に彫刻にはたまたモーツァルトの作曲の題材にも用いられています。特に絵画ではよく描かれています。多くの美術館で「若い女性が剣を持っていて男性の生首と一緒に描かれていたらこれが題材と思います。

 アッシリア王ネブカドネツァルが諸地域に討伐のための軍隊を差し向ける。そこでユダヤにはホロフェルネスが派遣され、彼はベトリアという町を包囲します。水源を絶ってベトリアに降伏するよう促します。美しく魅力的で強い信仰心を持っていた寡婦ユディトが一計を案じます。彼女はこれ以上ないほど着飾り、一人の侍女とともに武器も持たずに敵のホロフェルネスの陣営に忍び込みます。泥酔して眠っていたホロフェルネスの首を彼の短剣で切り落とすことに成功します。こうして司令官を失ったアッシリアの軍勢は敗走した・・・・この様子を描いた作品がヨーロッパのあちこちで見ることが出来ます。結構生首の血が滴る様子などエグい場面が多いので記憶に残っているのです😅

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なぜか(?)展示室にもダンテ・アリギエーリの葬儀用マスク(ダンテ・デスマスク)が飾られています。だだ私たち日本人には分かりませんが、彼はイタリア文学最大の詩人であり、「イタリア語の父」と呼ばれているのです。彼の作品はイタリア文学の最高峰とされ、特に『神曲』はイタリア語で書かれた最も重要な文学作品の一つとみなされています。実際に『神曲』はイタリアの公立学校では授業で必ず学ぶそうです。そのためイタリアでは絶大の人気を誇っています。
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いくつかの部屋の中に地図の間(クローク)と言われる部屋がありました。この部屋をつくらせたのはコジモ一世、自分の名Cosimoにちなんで”Cosmos” -ラテン語の”宇宙”を表現したそうです。

現在は壁一面の地図と部屋の中央の地球儀のみ見られますが、建設当初は天井からは天体球が吊り下げられ、壁の上部には世界の王や貴族、教皇や枢機卿から文化人にいたる多くの肖像画が飾られていたと考えられているそうです。

実は地図の間にも隠し扉があります。映画「インフェルノ」では別の場所に飛んでしまいますが、実際はビアンカ・カッペッロの秘密の隠し部屋へ行く事が出来るそうです(後でこのようにブログに書いてある方がいたので分かりました)。


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どこを通ったか分かりませんが、更に上に登るとヴェッキオ宮殿の屋根裏(五百人部屋の真上)に来ました。天井の部分は木造の建築物で支えていることがわかります。 ここは一般の方は入れない場所で「秘密の通路ツアー」の方だけがガイドさんと一緒に入ることが出来ました。(他のツアーでも入れるのはあるかも知れませんが・・)
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ランツィの回廊を見渡せる場所に出ました。ランツィの回廊の上がテラスになっていて、カフェなどもあり、そこからフィレンツェ大聖堂が綺麗に見渡せる絶景ポイントの一つにもなっています。
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先ほどのランツィの回廊の上のテラスとは少し違いますが、このようにフィレンツェ大聖堂や鐘楼などを納めて写真が撮れます。
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その後入り口付近で解散となりました。せっかくですのでこのようなツアーもありましたので、皆様方も調べてみたらいかがでしょうか。

 

2025年7月11日 (金)

今週の生花(令和7年7月第2週)

令和7年7月第2週となりました。選挙運動も中盤になり選挙カーが各党の訴えを流しながら通り過ぎて行きます。選挙の度に各党とも素晴らしい公約を訴えますし、立候補者は低姿勢で握手を求めてくる光景を目にします。 私がいつも落胆するのは選挙前と当選後の政策と態度の急変がある場合です。 もしも公正なAIあるのなら、少なくとも再選を目指す議員に対しては、選挙前の公約をどれぐらい実行できたかを点数で示して欲しいですし、失言も点数化して見えるようにして欲しいと思うのですが・・・こんな便利なツールがあれば政治家も真摯に取り組むでしょうし、私たち国民の不信も払拭できるのではないかと期待もしてしまいます🤭

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外は色々とうるさくても、いつもの2階の小さなスペースには静かな時間が流れています。ハランの大きな葉や赤い鶏頭、紫のリンドウ、黄色のエレムルスが直線的にまとまっています。 正面からだと花器どこにあるのかも分からない状態となっています。
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斜めから見ると細長い花器が見えてきましたし、赤系の鶏頭と後ろのクルクマが対をなしているようにも感じられます。生花は色々な角度から楽しめますね。
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今回も全く色も形も異なる花々がよく協力して美しい形態を作り出していますね、ブラボ〜🤭
皆様方の地域も猛暑だっり、豪雨だつたりと気象が落ち着かないと思いますが、体を大切にお過ごし下さいね❤️‍🩹
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<花材:エレムルス、ハラン、ケイトウ、リンドウ、クルクマ>

2025年7月 9日 (水)

日光が身体に与える影響

今日のFM放送は太陽光線が人間の肌と目に与える影響について話をしました。ずっと以前にも記載した事がありますが、まとめながら追記いたします。

 

太陽光線(主に紫外線)から肌を守るために、メラニン色素の誘導が起こります。太陽光線には私達の体に良い部分と悪い部分があります。

太陽光線を浴びると皮膚を守るためにメラニン色素が誘導されます。太陽光線が強いとメラニン色素が増え褐色の肌になり、紫外線が皮膚の中まで入ることをブロックしてくれます。人間の皮膚の防衛反応と言うことが出来ます。

人間の肌の色は、長年の太陽光線を浴びる量によって変化しました。黒人は日光に対して抵抗性がありますが、白人は弱く、日本人は中間でしょうか? ただ日本人でも太陽光線に関しては、それぞれ個人差があり違いがあります。

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これまでの経験で、太陽光線を浴びると、①直ぐに日焼けするが色が黒くなりにくい、②日焼けもするがあとで黒くなる、③日焼けしづらいが後で白くなりにくい・・・大きく日本人を分けるとこんな感じでしょうか?  お解りと思いますが①、②、③の順に日光に弱い肌で、日焼け対策がより重要となります。 

 

紫外線が私達の肌のしなやかさ保っている真皮のコラーゲン(膠原繊維)やエラスチン(弾性繊維)に影響を及ぼすと、次第に皮膚の弾力が失われて「シワ」となってしまいます。

 

子供の夏休み期間は海や山のレジャーに出かける機会もあると思います。 大人は日傘に日焼け止めを充分に塗って対策をしていると思いますが、子供達にも帽子や日焼け止めクリームを適切に塗ってあげて欲しいですね。今の両親は子供達にもこのような対策をする方が増えましたが、私の子供の頃は大人は無頓着でした。

夏休み明けの教室で、皆の顔が真っ黒に日焼けしていて教室内の雰囲気が変わったことを今でも思い出します。 昔は何も対策を取らずに、日焼けして水ぶくれなって、皮がむけて、痛て〜と思いながら、夏休みを楽しく過ごしていました・・・いかん!医療ブログなのに私の思い出に浸ってしまいました🙏

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日光を浴びるとその紫外線の影響で表皮の部分が火傷を起こし、水脹れや発赤を起こしますし、真皮のコラーゲンやエラスチンを硬くして後々シワの原因にもなります。 近年はこのような日光による傷害も判るようになったため、あえて無防備に太陽光線を浴びることも少なくなりました

(昔救急医療をやっていると、夏場になると沖縄の太陽の下で海水浴などを行って、夜中から日焼けによる痛みや水膨れで救急外来を受診する観光客が非常に多かったです。次第に少なくなっています・・・沖縄の海を楽しいで欲しいでしが、沖縄の夏の太陽を侮ってはいけませんよ😆)

 

2025年7月 6日 (日)

夜のフィレンツェ(電動ゴルフカートに乗って)観光

今回、早朝にシエナを出て目一杯フィレンツェを観光したのですが、それでも夜は夜で夜景も楽しみたいと思いました。流石に若くないので疲れも溜まると思い、夜9時から2時間の電動ゴルフカートのプレイベート観光ツアーを予約しました・・・今回も日本出発前にこのツアーも予約していましたが・・・なんとこの旅行初の雨・・・それもこの夜の時間帯は豪雨の予想となりました。 逆にある意味雨の中での観光はできませんのでこのツアーに予約して良かったのかもしれません。

と言うわけで、雨の中のフィレンツェの夜景を載せてみます。

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夜9時に宿泊の入り口まで運転手さんが来てくれました。ゴルフはしたことありませんが、ゴルフで使用するような電動カートに乗り込み案内開始となります。
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フィレンツェは当日は曇りでしたが夜から雨となり、この時間帯からいよいよ本格的な雨と変わったしましました。この乗り物がいいのは小さくて小回りが利くので路地裏も入ることが出来ることでした。なかなか出来ない楽しい経験です😃 大凡のルートはあるようですが、運転手さんと交渉で2時間以内なら自分達で行き先をお願いすることも出来るようです(運転手さんに断られたり、追加料金が発生する場合もあると思いますが)。
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昼頃に入ったサンタ・マリア・ノヴェッラ教会の教会広場となります。雨の中ですので観光客も殆どいません。要所要所では止めてくれて日本語の音声ガイドもありその場所にあった説明を日本語でスピーカーから流してくれます(下調べをして旅行に来ていますので音声ガイドは必要ないかと思いました)。
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このような細い路地も通り抜けるのでちょっとワクワクしてしまいます。
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共和国広場にあるメリーゴーランドは営業は終了していますがライトは付いていて雨でなければいい被写体だったのかもしれません。丸いアーチの所が凱旋門となります。
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ベッキオ宮殿の前に出て来ました。明日の午前中はベッキオ宮殿の屋根裏部屋の見学ツアーも予約してあります。
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やはり雨ですので人通りも少ないようです。
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ベッキオ宮殿から 川の方向に回って、有名なベッキオ橋が見えるところで停めてくれました。
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橋の上で車を停めてもらい、雨の中で写真を撮りました。これはこれで雰囲気があっていいものです。
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雨の中だったこともあり、運転手さんが「コーヒー飲むかい?」言われて、行きつけのお店でカフェタイムとなりました。
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お店の奥に進むとディナーを楽しでいる方々が楽しげに談笑しています。その横から写真を撮らせて貰いました。運転手さんが何やらイタリア語で写真を撮ってもいいかと席のカップルの許可をもらったようでした。 そのカップルからも写真を撮っていいよとのことで撮りましたが、ガラスが映り込んでしまいました。 この場所はベッキオ橋が見える最高の場所のようです。
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雨の中での案内となってしまったので運転手さんもコーヒーとコロッケを私たちにも奢ってくれました(このようなティータイムの予算は含まれていませんでしたので、運転手さんの本当の奢りだったようでした)。
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少し休憩後、夜のフィレンツェ見学再開です。
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明日改めて観光する予定のピッティ宮殿の前です。雨の中の夜景写真も意外といいです。

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2時間のツアーでおおよそのルートは決まっているようでしたが、その運転手さんとの交渉で見たい場所に行けるようです(雨の中でしたのでこのまま時間内にミケランジェロ広場まで行ってくれるようです)
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日本を出る前に一応、最後はミケランジェロ広場に寄って欲しいと希望を伝えていましたので、特に何もなく「次はミケランジェロ広場に向かう」と片言の英語で伝えてくれました。
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この場所からのフィレンツェの街全体の夜景をずっと見たいと思っていたのですが、大雨の中ですが希望が叶えられました。初めての夜のフィレンツェです。

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車から降りて、雨風が強い中、左手で傘を握りしめて右手で写真を撮ることに・・・途中からはブレないように柵の上に肘を載せて撮ることに・・・かがんだ姿勢で写真を撮ったせいでお尻まわりはずぶ濡れとなってしまいました(笑)。
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運転手さんも時間は大丈夫とのことで雨の中でしたが暫くはこの場所を堪能しました。
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もう一度訪ねることがあれば再度トライしたいですが・・・人生何があるか分からない年齢に突入しました😆
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昼間に寄ったミケランジェロ広場からのフィレンツェです(⇧)。この時間帯から雨がボツリポツリを落ち出した時間帯となりました。
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2014年に訪れた時の晴れた日の写真も載せてみます。デジカメの機能が劣るので色々と修正したのですがこれが限度です。それでもやはり晴れると綺麗ですよね🌟
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今回は入りませんでしたがサンタ・クローチェ聖堂の前でしょうか? そこには有名なガリレオ・ガリレイやミケランジェロなどの墓があります。
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フレンツェ中心部へと帰って来ました。
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宿泊のアパートメントの近くまで送り届けてくれました。運転手さんは実に誠実な方でした。お互いに次は晴れた日にお会いしましょうと別れを告げました。
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11時近くとなっていましたの、直ぐにシャワー浴びて翌朝に備えます。あれほどの大雨でしたが翌朝の5時ごろに窓を見ると月が見えました。翌日は曇り時々晴れの天気で観光日和となりました。

2025年7月 5日 (土)

フィレンツェ大聖堂・クーボラ見学

今回のフィレンツェの旅行でぜひやりたいと思ったことの1つにフィレンツェ大聖堂のクーボラ見学があります。

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公式サイトでドゥオーモと周辺の施設を回れる共通券をオンライン予約できます。「Brunelleschi
Pass(ブルネレスキ・パス)」「Giotto Pass(ジョット・パス)」「Ghiberti
Pass(ギベルティ・パス)」と呼ばれのがありますが、クーポラの展望階に入れるパスはBrunelleschi Pass(ブルネレスキ・パス)しかなく、このクーポラ見学だけは日にちと時間を決定して予約しないといけません。 そのためクーポラに登ることが1番困難だと思います。大聖堂のクーポラに登る時間は前もって時間の予約が必要となります。私たちは日本にいる時に予約しました。

公式サイト(英語)で事前にチケットを予約して入手する方法は、以下の記事にて詳しく解説しております(→公式サイト)。


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フィレンツェ大聖堂の見学にもそれぞれの入り口が決まっています。上の地図の下側の中央部分が、クーポラに登る方の入り口となります。
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30分単位で20〜30人の予約でしょうか? 私たちは最終の18時30分からの入場となります。時間が来たら入り口でバーコードをかざして入場です。
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大聖堂の内部の一部が見えます。ドゥオーモの内部見学の入り口はまた別の場所となります。 以前入ったことはありますが、それほど凄いとは感じませんでした、それよりは圧倒的に美しいのはクーポラ内の壁画と展望階を出たところからのフィレンツェの街の景色だと思います。
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入ると大聖堂の左側に向かい、そこに細い階段の入り口があります。
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細い階段をひたすら登ってゆきます。足の弱い方にはきついかもしれませんが、ゆっくり行けば大丈夫だと思います。
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途中から一段と細くなってゆきます。
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最初の一周できるクーポラの最下部にやってきました。どうですこの天井画・・ただ息を呑む美しさと大きさに圧倒されます。
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転倒防止やここからの物品の落下防止のためにガラス張りの柵があるのがちょっと勿体無いのですが、仕方ないことですね。それにしても美しいです。
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ガラス越しに下を見ると大聖堂の1階部分を覗くことが出来ました。ほとんど見学者はいないため、もう見学は終了となっているのかもしれません。

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先ほどの階から、さらに上へと歩いて行くととうとうクーポラの展望階へと登ることが出来ました。ここからは私たちが泊まったアパートメントも確認できました(ブログの最初の写真はアパートからここを見た写真です)。
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ゆっくりと一周しながらフィレンツェの街を360度写真に収めることができます。
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ジョットの鐘楼も目の前です。ジョットの鐘楼にも同じように階段で登ることができます。今回は時間の関係でジョットの鐘楼はパスしました。
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フィレンツェでも大きなサンタ・クローチェ聖堂(Basilica di Santa Croce)の全体が見えます。この教会も綺麗な教会でミケランジェロやガリレオなどの墓碑などがあります。
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最終の18時30分に入場でしたので、最後はちょうど日が落ちる時間帯まで皆が殆ど残っていました。まだ多くの方が残っていましたが、私たちは降りることにしました。
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登った時とは違う一段上の回廊からクーポラの天井画を見ることができます。ここは邪魔な柵が入りずらいので1番綺麗に見える場所だと考えます。
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圧倒的な美の芸術です。これほどの大きなキャンバスをどのように描いたのでしょうか? ため息しか出ません。
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階下に降りてきました。入った場所とは違う出口から外に出ました。

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ここからは1998年と2014年に入った時の1階部分(身廊) の写真です。
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大聖堂の1階部分(身廊)は今回入っていませんので2014年の旅行の時の写真を追加して載せておきます。内部の方はシエナ大聖堂が美しいと思います(→シエナ大聖堂
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サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の身廊部分の入場料は無料ですが、並ぶ必要はあります。入場の際、簡単な荷物検査と服装チェックがあり、露出が激しい人にはストールを無料で貸してくれるそうです。あくまでここはテーマパークではなくて教会という神聖な場所ですので、常識範囲の服装で入ってくださいね。
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これはもう記憶にないのですがクーポラの真下から見上げて写真を撮ったようです😅 書き忘れましたが、クーポラ内に描かれたフレスコ画は「最後の審判」をモチーフにしています。先日記載した「→サンジョヴァンニ洗礼堂」のモザイク画を参考にして描かれているとのことです。元々は「サンジョヴァンニ洗礼堂」は教会として造られ、この大聖堂が出来上がったために「教会から洗礼堂へ」と置き換わったのです。当然洗礼堂が先に造られたためにそこの天井のフレスコ画が参考にされたのでしょうね。

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大聖堂のクーポラに登るには463段の階段を登る必要はありますが、足が不自由でなければゆっくりと登って行くと良いでしょう。頑張って登る価値のある壁画や頂上からの景色を望むことができます。
Let's give it a go!😉



2025年7月 4日 (金)

今週の生花(令和7年7月第1週)

令和7年も7月となりました。2025年も半年が終わり後半の半年に突入です。私などはダラダラと生きているせいで何もしないうちに後半戦となっ焦ってしまうのです。

参議院選挙が公示されて各党の政策が出てきたと思います。国民の1人1人が政治を動かして自分が描くより良い未来づくりを選挙を通して考えて欲しいと願います。いま民主主義は危機的な状況となっています。 民主国家と言われていても、自由で公正な選挙、法の支配、人権の尊重、三権分立などが弱体化すると、独裁的な権力行使を招きやすくなります。 世界的に分断が進み、民主主義から独裁主義的で、軍事力での支配が蔓延るように変容しつつあります。 日本も世界もここで踏みとどまらないと正義とか平等という概念も消失するかも知れません。

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今週の生花もそれぞれの花は色も形も皆違う個性的な花々から成り立っています。 違いがありながらも纏まればより美しく調和の取れた世界が広げられています。
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いつもの2階の小さなスペースは皆が個性を生かしながらもいきいきと輝いている世界が広がっていました。
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1つ1つをみるとやはり全く違う個性的な花々ですね。オーケストラと同じ感じをふと感じました。個々の楽器は別の音色ですが、上手くまとまれば調和の取れた美しいメロディーを引き出すことが出来ます。
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<花材:ピンクジンジャー、リンドウ、オンシジューム、けむの木>

2025年7月 2日 (水)

汗の正体

今日のFM「いきいきタイム」は梅雨明けのこの時期から起こりやすくなる熱中症について話しました。これまで何度かメカニズムや症状、対策についてはこのブログでも書きましたので、暑いときにかく汗について記載します。

私達恒温動物は、暑さ寒さに関係なく体温を一定に保つ様になっています。日々の活動や休んでいてもエネルギーを使い続けていますので、体から熱と出しています。寒いと体をブルブル震わせて(筋肉運動)エネルギーを産生し、体温を維持します。 

熱を造ることは出来ますが、熱を奪うことは体内では出来ません。それを可能する最も大きな因子は、私達の皮膚の汗腺から出る汗の作用です。暑いと皮膚の表面から汗がでます。汗(水分)は蒸発する時に多量の気化熱が発生します。この気化熱により皮膚表面を冷やすことで体温を保っています。Th_728539

 

汗の成分の99%は水分です。汗を舐めると塩辛いのは汗には約0,6%のナトリウム(塩分)が含まれているせいで、それ以外に僅かながらカルシウム、マグネシウム、尿素、塩素、乳酸などが含まれます。

 

ではでは・・・汗の元のなるのは・・・そう私達の血液ですね。暑くて非常に汗をかいた時に水分が失われて脱水になります。

①汗をかいた場合はその分小まめな水分補給が必要となります。 

②多量の汗をかいた時にはナトリウムも不足となります。ですから水分と塩分の補給が必要となります。 

③更に作業や運動で多量に汗とエネルギーが消費される場合は、水分+塩分+糖分の補給が必要となるのです。

この様な状況下での飲み物として開発されたのが、スポーツ飲料です。大して汗もかかないのに夏場だからといってスポーツ飲料を中心に飲むと、水分の補給は出来たとしても、塩分と糖分は必要以上に摂りすぎとなりますので注意が必要となります。

 

<余談ですが汗には2種類あります>

多くの方がご存じと思いますが、汗を出す汗腺には2種類あります。エクリン腺とアポクリン腺が存在します。全身にあり多くの発汗と関係があるのがエクリン腺で、アポクリン腺は腋や陰部など限られた場所にあります。

アポクリン腺の役割は体温調節作用ではなくて、主に体臭の原因となる匂いを出す器官です。 今でこそワキガの原因となり嫌われていますが、本来は異性などを引きつけるためにあったと考えられています。

Th_698714ですのでアポクリン腺は子供の時は小さく、思春期になると増大し、老年期になると退縮して来ます。アポクリン腺からはタンパク質、脂質、糖質、アンモニア、ピルビン酸、色素リポフスチンなどが分泌されます。 これらは通常の汗よりも皮膚の常在菌にとっても栄養源が高く、増殖しやすくなることで、更に菌の発酵臭も混ざってあのワキガの独特な匂いとなります。

この様なことを防ぐ為にも様々な制汗剤が市販されています。その作用には、①ひんやりとして汗をかきにくくする成分と、②消臭剤+芳香剤、それに③細菌の増殖を防ぐ殺菌成分が含まれていることが多いと思います。 アポクリン腺の作用を打ち消すように考えられているわけです。

最後は横道にそれてしまいましたでしょうか? 暑いときには体を冷やすために汗がでます。汗が出ても大丈夫なように水分(その次ぎに塩分、最後に糖分)を小まめに補給して暑い日本の夏を乗り切りましょう。

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