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2025年5月

2025年5月30日 (金)

今週の生け花(令和7年5月第5週)

今週で5月も最後となります。来週からは6月となります。時間が経つのは本当に速く感じるようになりました。今週も時間が取れずに写真だけアップ致します。

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<花材:ふうせんとらわた、アリアム、紅花、ガーベラ、千年木>

2025年5月28日 (水)

食塩と高血圧

今日のFM放送いきいきタイムはは高血圧について話をしました。今日は塩分と高血圧の関係を話したいと思います。

ご存じの通り人も動物も塩がないと生きて生きていけません。
海に囲まれた日本では塩がある程度手に入りやすいので、その必要度は普段は感じられないと思います。

私は旅行が好きでヨーロッパに何度が行ったことがあります。そこには「塩」にちなんだ町や地方の名前もありますし、金と同じ値段で取引されていたなんて言う話しもよく耳にしました。 ラテン語で塩はサル(Sal)と言い、英語のソルト(Salt)、ドイツ語のザルツ(Salz)、フランス語のサレ(Sel)の語源となっています。

人間の祖先はアフリカで生まれたと言われています。次第に世界各地に広がってゆくのですが、北に進みヨーロッパへ移住すると太陽光線が少なくなり白人となってゆきます。 ヨーロッパへの人類の移動は海岸沿いに進んだそうです。 それは海から離れると塩が手に入らず、生きていけないからなのです。 内陸に住むには塩が絶対的な条件となります。 

 

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オーストラリアのザルツブルグ(Salzburg:塩の城)、ハルシュタット(Hallstatta:Hall はケルト語で塩、 Stattaはドイツ語で場所)はザルツマーグート地方(Salzkammergut:塩の母鉱脈)の有名な観光都市です。サクソン人は製塩所を「ウィッチ:-wich」と呼んでいて、イギリス町にはノースウィッチ(北の製塩所)とナントウィッチ(南の製塩所)と呼ばれる地名があります。

 

これ以上書くと、旅行記なのか健康の話しか判らなくなってしまいそうです  ようするに塩がないと人は生きてゆけないと言うことです。 塩分が必要量取らなくなると、最初は虚脱感・疲労感がきて、次第に精神錯乱、頭痛、食欲不振となり最後は痙攣・昏睡となります。

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なぜ食塩をとり過ぎると血圧が上昇するかを単純な模式図にしてみました。血管の膠質浸透圧を決める大きなファクターにNaCl(食塩)があります。人間の血管内はいつも同じような浸透圧にする仕組みがあります。塩分が増えるとそれを薄めるために血管内へ水分が多く入り込んで行きます。人間の血管は同じ長さですので、同じ量の水分(血液)を蓄えるためには圧が上昇します(=すなわち血圧が上がる)。そのメカニズムがあるために高血圧の方には特に減塩を勧めているわけです。
ただし、世界的に見ても日本食は塩分が基本的に高いために、どうしても日本人の食事は塩分摂取が多くなってしまいます。

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以前より減ってきていますが、2022年で男性で平均10.5g、女性で9.2gだそうです。 厚生省の推奨塩分量は男性で9g未満、女性で7.5g未満、高血圧の治療をしている方は6g以下となります。WHOの世界の減塩目標は5gですので日本人にはかなり厳しい値となっています。

 

旅行記のようになってしまいましたが、塩の取りすぎで高血圧になるメカニズムを図に書きましたので参考にして下さい。 血液中に塩分が増えると、それを薄めるために血管内に水分が増えて来ます。 血管を水道のホースとします。ホースの長さは決まっているので、その中に多くの水を入れるとホースの中の圧が高くなります。 それが塩分の取りすぎたために起こる高血圧のメカニズムです(本当は色々な病態がありますが、単純にはそのような感じです

2025年5月25日 (日)

シエナの夜景

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シエナは今回が初めてでしたが、期待以上の美しい街でした。ここはフィレンツェのように大きくもなく、観光客でごった返す感じもありません。他の方の評価を見ても治安がいいと感じました(もちろんどんな場所にも観光客を狙う方はいると思い注意しながら観光はします)。
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治安がいい街では夜の散策が楽しいです。美しいヨーロッパの街並みは概して夜もライトアップされて美しいのが特徴です。通りをみてもゴミも少なく、いわゆる物乞いなどの姿も皆無でした。 これはおそらく中世から続くシエナ独自の自治体の結びつきが強いからだと考えました(市街地は17のコントラードと呼ばれる地区に分けられ、それぞれの地区の名誉をかけて年に2回、カンポ広場で行われるパーリオ (Palio) と呼ばれる裸馬のレースは、コントラーダ対抗の形で行われています)。
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比較的人通りの少ない場所で、若い女性が1人で歩いても問題ありません(イタリアで1番治安が良い大都市かも知れません)。
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ゴミなども道に落ちていないのがお分かりになると思います。綺麗な街です。
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やはり夜のシエナ大聖堂を見たくて2日間の滞在で夜も2回ともここまでは散策しました。
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静寂の中で淡く光り輝く大聖堂の荘厳さが印象的です。
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拡張工事ではここまで身廊が伸びる予定だった、シエナ附属美術館の入り口の夜景です。
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仮にシエナを今後訪れたとしても、もうこの位置からカンポ広場を眺めることはないと思う景色です。一生の思い出にに目に焼き付けたいと思います。
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シエナ出発前の夜明けです。雲が広がって来ましたが、シーンとした静寂な時間を過ごすことが出来ました。
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夜明けのカンポ広場です。
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少しずつ歩く人の姿も見えて来ました。
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改めて美しい景色を見させて貰い感謝です💝

2025年5月23日 (金)

今週の生け花(令和7年5月第4週)

今週の生け花(令和7年5月第4週)です。私が時間が取れず写真だけアップ致します。🙇

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<花材:大手まり、向日葵、ダリア、スプレーカーネーション>

2025年5月21日 (水)

世界遺産の街:サンジャミニャーノ(No2)

今日は第3水曜日で私が会議の為、ラジオ放送がなく、医療ネタもありません。旅行記を記載致します。

(前回の続きです→サンジャミャーノNo1)  いよいよ世界遺産の街サンジャミニャーノの中に入ることになります。

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サン・ジミニャーノ ( San Gimignano) は、イタリア共和国トスカーナ州シエーナ県にある、人口約7,500人の基礎自治体(コムーネ)となっています。 美しい塔が立ち並んでいることでよく知られており、1990年には、サン・ジミニャーノ歴史地区としてユネスコの世界遺産に登録されています。街の名はこの地で没した聖ジミニャーノから取ったとされていそうです。標高約324mの丘の上ある街となっています。
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街には5つある城門があるそうです。上の門は観光バスの駐車場や路線バスの乗り場も近い南側のサンジョバンニ門となっています。その門をくぐるとメインストリート「サンジョバンニ通り」が続きます。
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今回旅行するまではなぜトスカーナの田舎にこんな街があるの?と疑問に思っていました。 サン・ジミニャーノに競って塔が建てられるほど栄えたのは、ローマとトスカーナ地方を結ぶ交易路にあったためだと印され納得が出来ました。 この街では権力者がそれぞれ自分の富を見せつける為に争って高い塔を建てて行ったそうです(争いが起きれば守りの塔となります)。最も多いときには70を超える塔が建っていたそうですが、多くは取り壊され、現在残っているのは14のみとなっています。


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門をくぐると一気に中世の街並みにタイムスリップした感じになります(まあ、現代人がたくさんいますのでやはり中世ではありません😅)
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広場に出ると沢山の方が列に並んでいます。看板にGelateria Dondoli(ジェラテリア・ドンドリ)と書いてあります。ジェラートの世界大会で2度1位に選ばれたジェラート屋「Dondoli Gelateria di Piazza」だそうです。わざわざこれを食べに来る方もいらっしゃるとのこと。何時もの通り並んでまで食べたいと思わない私はパスです。隣にもジェラード店がありましたがすいていました。味音痴の私なら隣で食べても「超美味し〜」となっているはずです🥵 


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先に進む前に先ほどの広場から少し戻って東側に抜ける通りがありましたので、そこに入ることにしました。こんな感じで街の先端側から見ることが出来ます。
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少しだけ塔も見えています。
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ジェラート店がある広場に戻ってきました。
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この広場はチステルナ広場 (Piazza della Cisterna)と呼ばれています。「チステルナ」とは井戸のことで、上の写真の中央部分が中世の時代の井戸となっています。今は網で塞がれた状態となっていますが、一応井戸だとは分かります(笑)。
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先に進むと、街の中心地のドォオモ広場に出ました。正面の建物がサンジャミャーノ大聖堂(Duomo di San Gimignano)となっています。

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ドゥオモ広場において、写真の右側が大聖堂、高い塔がグロッサの塔で高さが54メートル(サンジャミニャーノで1番高い塔)、その横の建物が13世紀に建てられてポポロ宮殿(市立美術館)となっています。サンジャミャーノのガイドブックなどで見かける見下ろしの街の写真はこの塔から写した写真となっています。 私も登りたかったのですが、時間がなく諦めました😢 😢 。 もし登りたい方は受付は市庁舎の中にあります。有料ですが徒歩でグロッサの塔の展望台まで登れます。

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かつて、貴族が派閥争いの中、競って街の中に合計72もの塔を建てた事から、別名「塔の街」と呼ばれています。しかし現在は街内で全部で14の塔が残っているのみとなっています。

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少し奥にも見晴台があるとのことで、ここまではどうにか時間内で向かうことが出来ました。
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トスカーナの街並みと丘陵地帯が見渡せ、爽やかな風が通り抜ける場所でした。
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個人旅行ではなかなか向かうことが出来ないサンジャミャーノを駆け足でしたが行けて良かったです。リタイアしたらこの街にも宿泊してのんびりと散策してみたい場所です。帰りのバスのチケットはシエナで購入していましたので、滞在時間は2時間程度でした。もう少しゆっくり楽しみたいですね😢

2025年5月18日 (日)

モンテリジョーニとサンジャミニャーノ(1)

今回シエナに2連泊ですので、郊外の世界遺産サンジャミニャーノ(San Gimignano) に出かけることが可能かと案を練っていました。距離があるので路線バスを利用しようかと考えいましたが、時間がうまく調整できません。では往復タクシーとなると値段も高いですし、路線バスに乗り地元の人々の生活の一部も見たいと思って悩みました。
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その折衝案としてタクシーと路線バスを組み合わせることにしました。行きはタクシー、帰りは路線バスにして時間調整を行いました。

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時間はずれていますが、私が食事の写真を載せる機会は少ないので、昼食で食べたシエナ独自の「ピチ(Pici)」といううどんに似た麺です。軟質小麦粉を使った手打ちパスタです。パスタマシンを使わずに、手で伸ばして作るのが特徴です。うどんに似た太麺で、歯ごたえのあるモチモチとした食感が楽しめます。
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少なく見えますが、これが意外とボリュームがあります。食感が良くて流石イタリアだと思える味でした。
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指定された時間と場所で待ち合わせしました。時間通りに着いたらタクシーも既に待っていてくれました。
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シエナの丘を下り、トスカーナの風景を見ながら進むことになります。
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タクシーの運転手は若い方で「もし可能なら「モンテリジョーニ(Monteriggioni )」が見えるところで写真だけ撮影をすることは可能ですか?と聞いたら基幹道路から外れてこの場所で降ろしてくれました。

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モンテリジョーニは城壁に囲まれた小さな町で中も散策したいのですが、時間がないため写真撮影だけです。小高い丘の上にあるその町は、周囲をぐるりと壁に囲まれており、その姿はまるで丘の上に大きな王冠をのせたようだと表現されています。
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シエナの時に書きましたが中世ではシエナとフィレンツェは隣接する地域で覇権を争っていました。モンテリジョーニはフィレンツェからシエナを守る前線基地として機能した街だったのです。

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私の写真ではイメージがわかないと思いましたので、Google Earth から写真をお借りしました⇧ これなら丸い城壁に囲まれた街の雰囲気が分かりますね😆 壁に囲まれた町の直径は約170メートルととても小さな町で中に入ると中世の時代にタイムスリップした感じとなると書いてありました。時間がある方は是非散策されて下さいね。


10分ぐらい写真タイムをしてもらい、またメインの道路を走り、サンジャミャーノの手前で降ろして貰いました(親切に予定になかったモンテリジョーニにもよってくれたのでその分チップもお渡ししました)。

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タクシーでサンジャミャーノの門の前までタクシーに乗ると遠景が撮れません。そのためにここで降ろしてもらったのです。
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この辺りはペンションやレストランがありました。食事をしながらこの景色が楽しめるのはいいですね。
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一旦街へと近づきながら、今度は反対方向から街を眺めることに(事前にネットなどでこの場所は確認してチェックしていました)。
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この場所ならではの眺めです。急いで写真を撮りましたので息切れしそうです(笑)
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トスカーナの丘陵地帯も見れて良かったです。
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いよいよサンジャミャーノの入り口にきました。長くなりましたのでサンジャミャーノの中は次回紹介と思います。

2025年5月16日 (金)

今週の生け花(令和7年5月第3週)

5月も中旬になりましたが、沖縄地方まだ梅雨入りしていません。5月の連休の終わり頃雨模様となりましたのでこのまま梅雨入りかと考えていたのですが・・・今日もよい天気が続いています。

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今日の生け花南国の強力な太陽にも負けないような力強い構成となっています。「太陽に向かって吠えろ」ぐらいの勢いです😰
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姫芭蕉と山法師の青い葉が目立っています。山法師は小さな花を6〜7月頃に咲かせると思うのですが、今回は葉だけのようです。
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今回はカーネーションも控えめに咲いていますし、スターチアの至っては正面からは余り見えない位置にありました。そんな彼らがいて生け花はなりなっているのですね。時には主役になったり脇役になって美しい世界を作り上げているのでしょうね💝

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<花材:姫芭蕉(ビジンショウ(美人蕉))、山法師、カーネーション、スターチス>

2025年5月14日 (水)

加齢に伴う筋肉の衰えによる心身への影響

運動と健康については色々な分野で検討され運動は健康長寿に役立つことは証明されています。 

「長寿科学振興財団が発表した資料」によると「コロナ禍における外出自粛により高齢者の身体活動の時間が3割減少した」と書いてありました。コロナが明けても高齢者の社会生活参加も元に戻っていない報告もあります。 高齢者の身体活動が低下することで、肉体的にも精神的にも急激に衰えることは皆が知っている現実だと思います。

これを最初に医学的な見地から考えたのが1989年のヨーロッパ医学会で「加齢に伴う筋肉の衰えを疾患概念」として扱うように提唱し、サルコペニアと名付けたのが最初といわれています。加齢による筋肉の衰えにより、疾病が増加し、寝たきりや死亡率の増加も起こることに着目した概念で、内科学や老年医学会など使うことが多いようです。

一方、最近耳にする機会が増えた「ロコモ」は2007年に日本整形外科学会が、筋肉だけでなく、関節や軟骨、骨粗鬆症など運動器で衰えた場合でも日常生活が困難となり、要介護や寝たきりになることを考え「ロコモティブシンドローム」を提案しています。

いやいや運動器だけではなくて、栄養が取れないための体力低下、認知症の問題、社会的インフラの問題なども含めて高齢者の生活の質を落とす要素を幅広く含めてフレイル(衰弱・虚弱)と提唱する概念も出て来ました。

私のような部外者からみたら、どちらも重なっている部分が大きいと感じます。これをまとめると、こんなものでしょう😅(専門家らみたら怒られますが・・・そんな時には💨ます😊)

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どの考えも、身体的衰え肉体的衰えを少しでも遅くして健康寿命の維持や延伸を期待している訳です。この運動の促進や栄養管理などは各自で行うことが可能ですし、結果的には病院にかかる方も減ります。結果的には社会医療費の抑制となることより、国としてもバックアックしている訳です。
何となく大まかな考えてとなりますので、下図では実際にサルコペニアかどうかの簡易的な診断を載せてみます。

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歩行速度の1秒で1メートル以下の歩行はおおよそ「横断歩道で青に変わって歩き始めて青の間に渡りきれる速さ」とされています。
握力に関しては20とか25以下になると、ペットボトルのフタが開けにくくなる、あるいは開けれない程度の握力低下と言うことになります。
このいずれかがある場合は「虚弱高齢者」となりますので、意識的に運動や栄養を見直して健康増進を図らないといけないと思われます。
ある研究結果によると握力が低下することで、心血管疾患のリスクは17%、心筋梗塞リスクは7%、脳卒中リスクは9%、それぞれ増加したことが分かったのだそうです(勿論握力を鍛えたらいいというのではなくて、身体能力(握力も1つの指標)が落ちたことを意味しますので、普段から身体を動かすことを心がけることが重要です)。
サルコペニア、ロコモティブシンドロームなど色々な専門的な情報がネットにあるれていますので、気になる方は調べて下さいね。

2025年5月11日 (日)

サン ドメニコ教会とサンタ・カテリーナ・ダ・シエナの生家


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シエナに関しては教会といえばシエナ大聖堂が浮かぶのですが、電車やバスなどでシエナに入った方には最初にこのサン・ドメニコ教会(Basilica di San Domenico)が大きな建物として目に入ってくるのかも知れません。シンプルですが大きな教会です。上の写真は前回のシエナ大聖堂付属の美術館、そこから入る展望台から写したサン ドメニコ教会の全体像です。

サン ドメニコ教会はシエナにきたドメニコ会の創始者聖ドメニコ・グツマンが1225年に着工、1465年に完成した総レンガのゴシック様式の教会となっています。

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上の写真はシエナ市内の観光の途中で撮った写真です。その時まではサン ドメニコ教会とは思っていませんでした😅 後で写真を見返したらサン ドメニコ教会が写っているじゃないと思った次第です(笑)。



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近づくと大きくて全体像が捉えられません。レンガ造のシンプルな外面で、なんとなくイスラム建築のような感じがしました。

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同じシエナでも大聖堂とは全く異質の教会です。
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大きなゴシック様式の教会ですが、内部は多くの方を収容できる様に柱が無くてとても広々としています。これを見るとカトリックの教会ではなくてプロテスタントの教会をイメージしてしまいます。一応ドミニコ会は1206年にローマ教皇によって認可されたカトリックの修道会です(→カトリックとプロテスタントの違い)。 そして聖女カテリーナ(→下段の紹介いたします)の礼拝堂の中央部には聖カテリーナの頭部のミイラが置かれています。内部は撮影禁止ですので写真はありません。
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私が一瞬プロテスタントの教会と見間違えて空間ですが、教壇のところではマリアの像があったりしますのでやはりカトリックの教会のようです。このように外観も内廊も簡素だったのはドメニコ修道会の教えに沿った造りとなっているためだそうです。内部には聖女カテリーナの頭部を納めたカテリーナの礼拝堂がありました。 
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中は撮影禁止のため紹介できませんが、それほど写真に収める必要もない造りでした。

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サン・ドメニコ教会を後にしてシエナの中心部へと向かいました。

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ちょうどその場所からシエナの大聖堂など中心部の丘が見渡せるビューポイントがあります。

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私は全く知りませんでしたが、シエナにとってシエナの聖カタリナは非常に重要な存在のようです。聖カタリナはカトリック教会を擁護した最初の女性教会博士として、また神との深い一致を体験した神秘家として知られているようです。

彼女のことはネットで調べたら沢山の記述がありました。私が知っている西洋史の中で、フランスのアヴィニヨンに法王庁がある時期が存在していました。 1305年から、歴代の教皇はローマを離れ、フランス・アヴィニョンおいて王の権力下にあり、そのため教皇不在のローマでは、教会内は退廃し、権力闘争も頻発していたとのことです。カタリナは一介の女性でありながら、教皇グレゴリオ11世のローマ帰還を促すためにその交渉にあたることになります。その当時女性がそのような重要任務に赴くことはなかったそうです。カタリナの強い要望により教皇は1377年1月にローマに帰還し、それ以後教皇はローマを離れたことはなかっとのことですから、彼女が歴史を動かしたことにもなると考えました。

バチカンのローマ法王庁からの彼女の肩書はこのようになっていました。

1461年:聖カタリナはピオ2世(シエナ出身)によって、聖人となった。1866年:教皇庁をローマに帰還させた聖カタリナの功績をたたえ、聖ペトロ、聖パウロに次ぐローマ第2の守護者となった。1939年:聖カタリナはピオ12世によって、イタリアの守護者となった。1943年:聖カタリナはピオ12世によって、イタリアの看護師の保護者となった。1970年:10月4日、聖カタリナはパウロ6世によって、最初の女性教会博士となった。1999年:聖カタリナはヨハネ・パウロ2世によって、ヨーロッパ全体の守護聖人の一人となった。・・・このような記述がネットにありました。


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シエナの中には宗教的な偉業をなしたサンタ・カテリーナ・ダ・シエナの生家があります。

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中には彼女が次々と起こした奇跡の物語を描いた絵画で埋め尽くされいます。

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それぞれの絵には彼女の物語が描かれています。信者の多くは彼女を思い訪れるのだと想像いたします。

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床も細かな絵画で埋め尽くされています。以前は直接この上を歩くことができたそうですが、今はその上に歩道用に床が備え付けれれてオリジナルの劣化が起きないように配慮されています。

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聖カテリーナは最後の最後まで力を振り絞り分裂した教会の一致と和解のために働き、1380年カタリナ33歳の生涯を閉じたそうです。その遺体はローマのミネルバ教会の祭壇の下に安置されているそうです。その臨終の床で、彼女に従ってきた仲間たちの保護を願い、自分の生命はキリストの花嫁である教会のために全て捧げたと語ったとのこと。上の写真の右側にもキリストから直接手を差し伸べられる姿が描かれています

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ここでは聖カテリーナの生涯の逸話を見つけることができますので、興味のある方は見学するのもいいかも知れません。

2025年5月 9日 (金)

今週の生け花(令和7年5月第2週)

ゴールデンウィークも終わり皆様方お疲れ御座いませんか。

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先週は生け花クラブがお休みだったようで2週ぶりの生け花です。私の方は時間が取れず写真だけにしました🙇
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<花材:ピペリカム、お手まりの葉、カーネーション、スプレーカーネーション>

2025年5月 7日 (水)

5月病:頑張りすぎたあなたへ

5月病は元々、受験勉強を勝ち抜き希望を持って大学に入学した学生が、新しい学校になじめず、ゴールデンウィーク明けから気持ちが落ち込む症状を示していました。 学生だけではなく、新しい職場になじめない新入社員などにも同様な症状があり、仕事が本格的になる6月頃に起こりやすいといわれています。

 

5月病は新しい環境や生活に適応できずに、「何とかしなくては」と焦りと頑張りが空回りし、一時的に強いストレス状態に陥っていると考えられています。 厳しい受験勉強や入社試験を乗り越えて希望で胸一
杯なはずなのに、新しい教室や職場、人間関係に馴染めない・・・この様なことは多くの方が経験することだと思います。 

 

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このことを上手く乗り越えることが出来たら、また1つ成長することも可能でしょうが、現実的には自分の適応能力を超えて、仕事や対人関係が上手く処理出来ない場合はそれが大きなストレスとなって襲ってきます。

 

処理能力を超えたストレスは私達の自律神経に影響を与えてしまいます。いわゆる自律神経失調状態が起こってしまいます。

 

自律神経には交感神経と副交感神経があり、この2つが相互に作用しながら私達の体が維持できるように食べたり、寝たり、血圧の調整、呼吸や脈拍の調整、発汗や体温調整、胃腸の運動など高度で複雑な問題を解決してくれています。 

 

自律神経も季節の変化や1日の変化に合わせて私達の体を調整しています。5月は冬から夏へと大きく気候も変動する時期ですが、急激に暑くなったり寒さが戻ったりと外気温の刺激の変化も著しいため自律神経には大きなストレスとなる時期です。

 

自律神経は何も精神的なものだけでなく肉体的にも影響を与えてしまいます。食欲不振、倦怠感、高血圧、動悸、睡眠障害、無気力や鬱症状など体や心に変調をきたします。

 

5月病は決して怠けているわけではありません。肉体も精神もどうにか適応しようと頑張りすぎたために変調をきたしたのです。周囲もこのような方を見た場合は「しっかりしろとか、頑張れ」ではなくて「頑張りすぎたので少し休みなさい」と声をかけて欲しいです。

 

うつ病ではなくて一種の通過儀礼だと思って見守る必要もあるかも知れません。その為、5月病は一種の適応障害(アバシーシンドローム:無気力症候群)とも考えられています。

 

産業医の講習などを受けていると、以前は労働災害への対応が多くの時間を占めましたが,今では職員のメンタル的な問題への対応に時間を費やしています。そのため最近は5月病の対策をとっている大学やTh__2企業も増えてきているようです。

 

ストレスや疲労を感じたら一人で悩まず家族や友人、または専門医に相談(カウンセリング、精神療法など)してグチを聞いてもらいましょう。人に聞いて貰えるだけで気持ちが楽になる場合もあるのです。
また、症状が進んで、不安、焦燥、うつ状態などが強い場合には、専門医(心療内科、精神科など)を受診してみましょう。一時的に抗うつ薬、抗不安薬を使うことも有効です。適量の薬で、はやく症状が改善することもあります。

 

現代社会でストレスのない場所は恐らくないと思います。 心や体の不調は、我慢しないで治すことを優先することが大切です。疲れを感じたらしっか
りと体を休める、ストレスを発散するために旅行、趣味などでゆったりとした時間を過ごすなど気分転換をはかったら如何でしょうか

 

 

2025年5月 4日 (日)

シエナ・ドゥオーモ付属美術館(The Cathedral in a Museum)と展望台・.サンタ マリア スカラ救済院

 

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シエナ大聖堂の入り口から見ると右側の広場の突き当たりを再度右に曲がる突き当たりにある大きなアーチとそれに続いて右に延びる建物が見えて来ます。 シエナの財政事情が許せばここまで大聖堂が延長するはずでした。この壁のような建物はかつて計画された新ドゥオーモの未完成の1部となっています。ここを利用して現在は中にドゥオーモ付属美術館がおかれ、シエナ芸術の優れた作品を堪能できるようになっている。
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上の写真は前回紹介した「シエナ大聖堂の天国のツアー」で大聖堂の上の階の廊下から眺めたドウォーモ附属美術館となります。本来はこれが拡張後に新ファザードになるはずだった箇所だったのですが、それを利用して附属美術館とこの壁を利用して展望台となって利用しています。
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大きな目の聖母(マエストロ・ディ・トレッサ)

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シエナ派の画家ドゥッチョ・ディ・ブォニンセーニャの「荘厳の聖母」で1308年から1311年にかけて描かれた、高さ約2m、幅約4m の作品です。 ドゥオモの主祭壇のための祭壇画であったそうですが、オリジナルはここ美術館に収められ公開されています。荘厳の聖母とは、聖母子の周りに聖人や使途たちがずらりと勢揃いしている図とのことです。
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クレヴォーレの聖母(ドゥッチョ)

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前回のブログで紹介した現在の大聖堂に飾ってあるのはレプリカで、この博物館に、ドゥオモの祭壇側にある聖母マリア様の被昇天を描いた丸窓のオリジナルが保管されています。直径が約6mもあります。
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大聖堂の彫刻(オリジナル) (ニコラ・ピサーノ&ジョヴァンニ・ピサーノ)。大聖堂を飾った彫刻群もオリジナルがここに収められています。どの彫刻も下から見上げて丁度いいような角度になっています。


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許しの聖母(ドナテッロ)、これも大聖堂のオリジナル作品となっています。

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昔の司教が身に付けていた法衣のオリジナルだと思います。
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展望台に登る前の部屋となりますが、どれも素晴らしい作品に覆われています。
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この美術館から更に上の階の展望台へ有料で登ることができます。入り口で人数を制限しながら行っているようで、1人出てきたら、1人上がるようなシステムのようです。暫くすると私達も登ることが出来ました。
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この箇所がシエナ大聖堂が拡張した際には外側のファザードになった部分とのことでした。
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展望台の端の方に行くと「カンポ広場」が見えて来ました。
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シエナ大聖堂正面の広場の反対側にある建物がサンタ マリア スカラ救済院となっています。
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2025年5月 2日 (金)

ピッコロミニ家の図書館とサン・ジョヴァンニ洗礼堂(Battistero di San Giovanni)

(金曜日は生け花を紹介したいのですが、今週は生け花クラブが休みのようで花が飾られていませんでしたので、水曜日に続き旅行記を記載致します)

これまでシエナ大聖堂について2回記載しましたが、更にシエナ大聖堂の中に特別にピッコロミニ家の図書館と呼ばれる司祭館とサン・ジョヴァンニ洗礼堂さらには附属美術館などもあります。今回は図書館と洗礼堂を記載致します。


<ピッコロミニ家の図書館>


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シエナ司教のフランチェスコ枢機卿は、大聖堂の左側に隣接する司祭館のいくつかの部屋に、叔父であり人文主義者であり教皇であったエネア・シルヴィオ・ピッコロミニ(1464年没)の貴重なコレクションを収蔵する部屋を1492年から1502年にかけて建造したとのことです。その教皇の名前を取って「ピッコロミニ家の図書館」と呼ばれています。

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側面や天井は絵画や彫刻で埋め尽くされ、凄いと感じるとともに、これ以上になると悪趣味に近いじゃなないかと思えるほど埋め尽くされています。下段側面には当時の希少な本が並べられています。
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ロレンツォ・ディ・マリアーノが図書館正面入口の大理石外壁を制作し、入り口上部には、ピントゥリッキオが描いたフレスコ画「ピウス3世の戴冠式」があるそうです(後で調べたらそのようです、実際に見ているとあまりの情報の多さにいちいち気に留めることが出来ないほどでした)
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入り口ドアを縁取る2つのアーチとその下の壁面には、 福音書記者聖ヨハネを描いた トンドが浅浮彫りされているそうです(私には分かりませんでした😢)。
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当時相当貴重であった本が並べられています。今のように印刷技術が進んでいるはずはありませんので、1つ1つが手書きで製本され、挿絵も美しいです。
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上の絵だけは一瞬、手前のある人物を見てもしかしたらラファエロ?と思った次第です。特徴的な顔立ちですし、何度か色々な美術館でラファエロ自身の顔を見たことがあったからです。 ミラノのアンブロジアーナ図書館の<アテナイの学堂>の下絵でもこの顔が出て来ていました(→アンブロジアーナ図書館
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ピントリッキオ とその助手達が図書館の側面のフレスコ画を描いたそうです。 助手の中には、当時すでに有名だったボローニャ出身の画家、アミコ・アスペルティーニと 若き日のラファエロ・サンティがいたそうです。若いラファエロがこのような絵画の中の人物として描かれているのは他の画家たちも若きラファエロの才能を認めていたのかも知れません。

Ththちなみに上の絵画はウフィツィ美術館所蔵の「ラファエロの自画像」です(ウフィツィ美術館は後々書く予定です)。当時の三代巨匠、レオナルド・ダ・ビンチ、ミケランジェロと比べて美男子だったと色々な方が書いてありますので、当時はこのような中性的な顔が好まれたのかも知れません。
ピッコロミニ家の図書館の作成にあたりピントリッキオは下絵を製作する段階で、ピエトロ・ペルジーノ工房にいた若者ラファエロ・サンティと共同製作したことがわかっていそうです。ラファエロ恐るべし(笑)。

 

 

<サン・ジョヴァンニ洗礼堂(Battistero di San Giovanni)>

 

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シエナ大聖堂から外に出て右手の階段を半ば降りた所、 大聖堂後陣の真下に当たる位置に「サン・ジョヴァンニ洗礼堂」があります。もともとは新大聖堂拡張計画に伴い、洗礼者ヨハネの教会として作られました。

前回もブログで説明したようにシエナ大聖堂は建設途中で飢饉やペストなどにて建設途中で中断されてしまいました。本来ならもっと大きくなるはずだったのですが、1355年から20年かけて改装工事が行われ、洗礼堂となったとのことです。今でもファサード上部などは未完のままだそうです。


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シエナ大聖堂の高さより低い場所から洗礼堂の入り口があります。
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洗礼堂の入り口の大理石の彫刻も美しいですね。このような人々が踏み歩く場所も手を抜いていませんでした。
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ここの一番の見所は中央に置かれた洗礼盤で、当時のトスカーナの3大彫刻家であるドナテッロ、ロレンツォ・ギベルティ、ヤコポ・デッラ・クエルチャが製作に参加しています。ロレンツォ・ギベルティはミケランジェロが「天国の門」と称賛したフィレンツェのサン・ジョヴァンニ洗礼堂の門扉を完成させたばかりの超大物建築家で、シエナの財力がそれまでは持っていたのかも知れません。


大理石製の洗礼盤は中央にクエルチャ設計の小さな塔を持ち、頂上にはロレンツォが作成した洗礼者ヨハネ像が、それを支える六角柱の各面には予言者像が彫られています。


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下部には洗礼者ヨハネの生涯を主題とした6枚の青銅製パネルがはめ込まれています。
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それぞれのパネルには聖書の中の重要な場面場面が描かれているとのことです。
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側面や天井を覆い尽くす絵画も凄く、聖書の中の色々なシーンを描いています。教会の中の絵画の多くは当時字が読めない庶民が多かったために絵で聖書の物語を語ることが多く、このような場所で神の存在を信じるようになったのかも知れません。
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次回は大聖堂の附属美術館を紹介したいと思います。

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