フォト
2024年12月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

« 2024年10月 | トップページ | 2024年12月 »

2024年11月

2024年11月29日 (金)

今週の生け花(令和6年11月第5週)

いよいよ11月も終わりとなり、明後日からは12月となります。長年(?)生きてきたにも関わらず、満足して12月を迎えることは殆どありません。2024年も世界中で戦争のために生きるのが精一杯の人々が多い中で、私などはボケッとしながら何不自由なく生きています。 それにも関わらずいつも何か取り残したような感覚で毎年12月を迎えるのです。何もしないうちに1年が過ぎようとしていることへの焦りみたいなのを感じてしまう年末なのです😢

Th_img_0185

こんな私と比べて、今週の生け花は「シャキッと」としています😅 折り曲げられ直線化したサンゴ水木が有無を言わせぬ力強を引き出しています。まるでプロレス技で決められたり、柔道の押さえ込みが見事に効いて身動きが取れそうもないぐらいです(表現が幼稚で、生け花に申し訳ない🙇)。風が吹いても微動だにしない感じがします。
Th_6115

今週の花器も不思議な形で、初めて見た斬新なものでした。
Th_6115_20241128172801
12月は街も華やぎ活気に満ちていることでしょうが、浮足立たずにしっかり前を向いて歩みたいものです😆
Th_6115_20241128172901
<花材:ガーベラ、サンゴ水木、カーネーション、トルコキキョウ、ルスカス>

2024年11月27日 (水)

過敏性腸症候群の病態と治療薬について

過敏性腸症候群という疾患があります。慢性的に便秘や下痢を繰り返すも、内視鏡や血液検査などをしても異常を指摘できない疾患群です(今の現代医学で解明されていないだけでもっと違う病態があるのかも知れませんが・・)。

多くの方もストレスでお腹が痛くなったり、トイレに行きたくなった経験はしたことがあるかも知れません。

私達の胃や腸(小腸、大腸)の運動は私達が意識的には調節出来ない自律神経がコントロールしています。この胃腸をコントロールする働きに異常が起こると、便秘や下痢などの排便異常、腸蠕動異常による腹痛、嘔気などが出現します。

過敏性腸症候群の診断は一般的には国際分類のRomeeⅣ診断基準を元になされます。

最近3か月間、月に4日以上腹痛が繰り返し起こり、次の項目の2つ以上があること。

 ① 排便と症状が関連する ②排便頻度の変化を伴う ③便性状の変化を伴う

 期間としては6か月以上前から症状があり、最近3か月間は上記基準を満たすこと・・・皆様方はどうなのでしょうか?

 

Th_hl12_08この様な病態は日本人では10%程度の方に認められるそうで、頻度が高いのは20〜40代に多く、男女比では2:3でやや女性に多く認められます。男性では下痢型が多く、女性では便秘型が目立ちます。

過敏性腸炎のタイプは①下痢型、②便秘型、③交代型 ④分類不能型に分かれます。下痢型は突然起こる下痢が特徴です。そのために通勤や通学、あるいは仕事上で支障が出ます。便秘型は腸の蠕動がスムーズに行かずに便が停滞します。コロコロした硬い便となり排便が困難になったりします。交代型は下痢型と便秘型が交互に繰り返します。

潰瘍性大腸炎などの炎症性疾患や、食中毒や感染症では下痢などが起こりますし、腸の動きの弱い女性では便秘になったりします。 過敏性腸炎の便秘は一般的な便秘と違い、腹痛や腹部不快感を伴い、時に強く、また排便後は症状が軽快します。一般的に食事によって症状が誘発されるも、睡眠中は余り症状がないと言う特徴があります。

Th__20241114164001

「腸は第二の脳」と書いてある文献もあります。以前は胃腸の動きは自律神経が担っていますので、私達の意志(脳)とは関係ないと思われていました。しかし今では脳と胃腸は自律神経やホルモンなどを介してお互いに関連しあって調整する仕組みが次第にわかってきています。「脳腸相関」と言われているメカニズムが少しずつ解明されるようになっています。

解り易い例から説明しますと、お腹が減ると食事がいつ入って来ても大丈夫のように胃腸は活発に動く準備をしています。その時に胃が「ぐ〜」となったりします。胃腸から出されるホルモンや血糖などの推移を感じ取って脳は「腹が減った〜」と私達に信号を送っています。

下痢や便秘などを繰り返しても内視鏡や検査をしても異常が見つからない過敏性腸症候群は脳が感じ取るストレスとの関連が重要と言われています。色々なストレスを受けて胃腸の自律神経に乱れがおこり、胃腸の運動障害が起こっているのです。自律神経が乱れることで頭痛や疲労感、抑うつ気分などの胃腸以外の症状も出てきたりします。

過敏性腸症候群は胃腸症状が主ですが、その原因にストレスなどの心的要因も多いため、胃腸科のみならず心療内科や精神科とも相談して治療を進める必要もあるのです。

最後に現在、主に用いられる治療薬を記載致します。

(A)高分子重合体

高分子重合体は、胃では殆ど作用せず、小腸・大腸のような中性~弱アルカリ性条件下では、大量の水分を吸収しゲル化することで小腸や大腸からの水分吸収を抑制する作用があります。便は適度の水分を含み便の容積も増すようになります。殆ど重篤な副作用も報告されていませんので、安全性も高く、現時点でIBS患者さんの基本的な治療薬と考えられています。

(B)セロトニン受容体(5-HT3受容体)拮抗薬

IBSの下痢症状は、朝の通勤通学途中で便意が切迫することが多く著しくQOLを低下させる原因となっています。5-HT3受容体拮抗薬は過剰なセロトニンの作用を抑える薬で、腸の蠕動運動の異常亢進を抑制して、腸管水分輸送異常の改善を促し、下痢や腹痛をを抑制する作用が期待されています。

(C)抗コリン薬

抗コリン薬は昔から使われている薬剤で腸管運動の活発化を抑制します。下痢型IBSの場合に他剤と併用することも可能ですが、様々な副作用もあり使用には注意が必要となります。副作用として便秘、排尿障害、眼圧上昇、口渇、眠気、めまい、心悸亢進などが認められ、前立腺肥大や眼圧の高い緑内障の患者さんに対する投与は禁忌となります。また、高齢者や自動車の運転をなさる方に投与する際は、慎重な判断が求められます。さらに、抗コリン作用を有する三環系抗うつ薬、MAO阻害薬、抗ヒスタミン薬と併用すると本剤の作用が増強されるため注意が必要です。過敏性腸症候群は比較的若い患者さんが多いので副作用に気をつけながら併用も可能な薬だと考えています。

 

(D)便秘治療薬

過敏性腸炎に特化した訳ではなくて、便秘型には従来の便秘薬の浸透圧性下剤、刺激性下剤が適宜使用されています。また近年、便秘治療薬としてクロライドチャネルアクチベーターやグアニル酸シクラーゼC受容体作動薬や胆汁酸トランスポーター阻害薬の新薬も使用可能です。

 

過敏性腸症候群は胃腸症状が主ですが、その原因にストレスなどの心的要因も多いため、胃腸科のみならず心療内科や精神科とも相談して治療を進める必要もあるのです。

2024年11月24日 (日)

サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会(Chiesa di Santa Maria delle Grazie):最後の晩餐

サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会(Chiesa di Santa Maria delle Grazie)と言えば知る人ぞ知る、レオナルド・ダ・ビンチの「最後の晩餐」がある教会です。イタリアは世界遺産が1番多い国ですし、きっとミラノにも沢山世界遺産があると思いきや、ミラノ唯一の世界遺産はこの「最後の晩餐」だけなのです😲
Th_1_20241031081001

サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会は、15世紀にドミニコ会の修道院として建造されたとのことです。「最後の晩餐」は正面の教会ではなく、左側にある修道院の食堂の壁に描かれています。
Th_2_20241031081001
Th_3_20241031081001

前回(2014年)はミサの最中で写真を余り撮れませんでしたが、今回は比較的ゆっくりと説明を受けながら写真も撮ることが出来ました。主祭壇を正面に見て左右に7つずつ、計14の礼拝堂が並んでいます。それぞれの礼拝堂の絵画や装飾も細かいです。言われるまでは礼拝堂が分かれて存在していることに気がつきませんでした😅
Th_4_20241031081001
Th_5_20241031081001

もしもミラノで「最後の晩餐」をご覧になりたい人は、必ず予約をして欲しいと考えています。まず当日券は殆ど手に入らないと考えて下さい。理由は閲覧は完全予約制となっているからです。観覧できるのは15分刻みの1グループの25~30人程度で、完全入れ替え制であること。世界中からこれを見たい観光客(もちろん地元の人もそうでしょうが)が訪れるミラノで1日せいぜい1000人程度しか閲覧出来ないと言うことになります。

まずは「公式予約サイト」からチャレンジしてみて下さい☞「最後の晩餐公式予約サイト」
気をつけるのは予約開始時間です。予約は3ヶ月ごとにオープンします。3, 6, 9, 12月に次の3ヶ月分のチケットが購入可能となります。それもイタリア時間の正午12時開始となります。日本の時差も考えてチャレンジして下さいね。私はこの時間を念入りに調べて予約しようとしたのですが会議が延びて20時に公式サイトを開いたら私の希望の前後全てが売り切れに成っていました。 このことも予測はしていたので、次の現地ツアー会社での申し込みに直ぐに変更しました。公式よりも3倍程度高くなります。仕方ないことですが是非見る価値のある絵だと考えています。 私は「GetyourGuide」から直ぐに申し込みました。 公式サイトから手に入れられなかったのはショックですが、ノンビリ構えていると現地ツアーも直ぐに売れ切れになるので注意して下さいね。

Th_10-8
Th_11-14

教会の前でこのツアー会社の係と待ち合わせで、バウチャーを交換します(上👆がチケットとなります)。現地で係から説明を受けて、手荷物などは教会の横に事務所で全部預けることになります。
1時間のツアーですが、8時に集合して、教会の中などを散策しながら私達の入る時間に合わせて中で待機となります。15分間と短く感じるかも知れませんが、中で見るのは「最後の晩餐」と後ろにある「キリストの磔刑 」 の2作品だけですので、ゆっくりと鑑賞できます。
写真を撮る時間は十分にあります。一度に入るのが20〜30名ですので慌てなくてもそれぞれが写真を撮れます。 私もこの絵を背景に写真を撮りました。 私自身が入る写真はこのイタリア旅行で3〜4枚程度しかありませんが、もう2度と対面することはないかも知れませんので記念の1枚になりました。
Th_15_20241031081001

右側のドアが開いてグループで一緒に中に入ります。全員でこの人数ですので広々です。
Th_16_20241031081001
Th_17_20241031081001

反対側の壁にジョヴァンニ・ドナート・モントルファーノが描いた『キリストの磔刑』があります。これも凄い作品だと思うのですが・・・同じ教会の食堂内であるにも関わらず色がはっきりと残っていて、レオナルド・ダビンチが違う方法で描いていてくれたらと考えてしまうのです。
Th_18_20241031081101

大きさは420 x 910 cmあります。レオナルドは1495年から制作に取りかかり1498年に完成していて、作品1つにかける時間が長いレオナルドとしては異例の速い仕上がりだそうです。ほとんどの作品が未完とも言われるレオナルドの絵画の中で、数少ない完成した作品の一つとされます。
先進的なことを好むレオナルド・ダ・ビンチらしく、通常のフレスコ画としては描かず、テンペラ画法を取り入れた為に教会内の湿気などで損傷が激しく、描いた20年後でレオナルドが存命中に既に顔料が剥げて来たことも記載されているとのこと・・・なんと勿体ないと思ってしまいます😂 
 
Th_19_20241031081101

最後の晩餐を見るのは、実は3回目となります。とても贅沢な話しです。 今回どうしても入りたかったのは、これまでは写真撮影が不可だったので自分のカメラで撮りたいと思ったのです(もちろん写真が不可でもミラノに来たら予約したと思います)。
2015年12月1日から旅行者が拝観する際に写真撮影が可能になったのです(動画撮影は今でも不可です)。私が前回出かけたのは2014年9月でしたので内部の写真撮影は出来なかったのです。 2015年12月以降の旅行者は世界的な名画を自分のカメラに収めることが出来てラッキーだと思います。
Th_20_20241031081101
Th_21_20241031081101

レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」は1977年から1999年にかけて修復されて、鮮やかになりました。しかし修復されたとはいえ痛みがひどすぎた為に現在の修復ではこれ以上は出来ないようです。修復前の写真も入り口に展示されていましたがかなりすすけた感じでした。
元々修道院の食堂にあった為にこの中央部分(キリストの足のある箇所)に食堂と台所を行き来するためのドアが取り付けられたためにその部分が切り取られなくなってしまっています。なんとも悲しい事です。人類の宝のような作品もナポレオン時代には馬小屋として使用されていたり、2度のミラノの大洪水では壁画の上まで水浸しになったとのことです😂
Th_33_20241031081101
昨年のオーストリア旅行で、ウィーンの☞ミノリーテン教会に立ち寄った時に、レオナルド・ダ・ヴィンチ「最後の晩餐」と同サイズのモザイク画でのコピーがあります。モザイク画なので色あせることなく鮮やかです。 フランスのナポレオン1世がミラノで実物の「最後の晩餐」を観て感動し、立ち寄ったウィーンで1809年にジャコモ・ラファエリに依頼して制作されたモザイク画だそうです。完成後はフランスに持ち帰る予定だったとのことですがナポレオンが失脚してこのままウィーンに残されていました。 この時代まではミラノの最後の晩餐も比較的色鮮やかに残り、キリストの足の部分もちゃんと残っていたと思われます。

先ほどネットで調べていたらGoogleのArt&Cultureの中でこの絵の復元が載っていました。


Th_-20241121-163355
もしかしたらこれがレオナルド・ダ・ビンチが描いた最初の時代に近いのかも知れません(これもオリジナルからではなくて弟子などが残したコピー作品から再現したようです)。

Th_20241123130301
しかしどんなに鮮やかな色に復刻してもサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会(Chiesa di Santa Maria delle Grazie)のオリジナル作品をみた感動には及びませんでした。私はこれまで3度の訪問で3度ともレオナルド・ダビンチがこの教会の空間の中に実存している不思議な感覚や、時代の重みを感じることが出来ました。

Th_40_20241031081101

15分間の感動を胸に外に出ました。これまでは直ぐに他の場所に移動でしたが今回は、教会の中庭や裏手にも回って観る時間がありました。
Th_41_20241031081101
Th_42_20241031081101

教会の中庭や裏手から見るサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会の方が正面より美しい気がしました。サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会は1296年に着工し、1469年に完成しています。何時も正面からしか見ていませんでしたが、裏手に回ると、ゴシック様式だけでなく、色々な要素の組み合わせで出来ていることが分かります。後方にルネサンス様式の円蓋があり、その上に鐘楼が見えます。不思議な形の教会ですね。


Th_43_20241031081101
願わくばもう一度謁見したい作品の1つでした。

2024年11月22日 (金)

今週の生け花(令和6年11月第4週)

11月後半になると日本列島急に寒くなったようです。 南国の沖縄でも秋らしくなりました。 まだ半袖で通勤なのですが、そろそろ長袖を出そうかと考えています。 日本が南北に長いお陰で季節の移り変わりも変わっています。その土地の気候に合わせて文化も異なり、違う食材も提供されています。 日本の魅力的なところはそれぞれの地方独特の文化が在り、風景が異なることではないかと感じます。 違いは排除するものではなくて共有するものだと改めて思うのです。
Th_img_0167
今週の花器は随分と細長いようで正面と側面では違う雰囲気です。いつも生け花を見て感動するのは全く異なる花材を使用して上手く調和して美しさを醸し出している所です。

Th_6114

次第に世界の分断が進む中で「生け花達」のように違いを乗り越えて大切な地球の中で共存して欲しいと願うのです。
Th_6114_20241122144001
Th_6114_20241122144002
今週はちょっと派手に飾ってみました。これから寒くなると思いますが、短い秋を楽しんで欲しいと願っています😊
<花材:つつじ、ガーベラ、菊、カーネーション、小菊>

2024年11月20日 (水)

ミラノのドゥオーモ(Duomo di Milano )の追加写真

今日は第3水曜日ですので会議の為に私のFM放送はありません。それで医療ネタもなくブログのアップなしで終えようかと思いましたが、前回ミラノのドゥオーモ(Duomo di Milano ) の紹介で写真が多くなり間引いた写真がありましたので、これを記載したいと思います🙇(前回☞ミラノのドウォーモ)。

 

これを見るとやはりミラノのドゥオーモ(Duomo di Milano )は世界的にみても美しい教会の1つだと改めて感じました。

Th_1iphone

夜明けのミラノのドゥオーモ(Duomo di Milano ) と広場
Th_2iphone3

早朝の散歩。色々な所で赤い「M」の看板がありますが、決してハンバーガーのマクドナルドではありません。地下鉄のマークです😊。ドウォーモには地下鉄を利用してミラノ駅などから訪れることが出来ます。
Th_3dji

ドゥオーモ広場から大聖堂の反対側の私達の宿泊施設を見た所です。早朝の散歩では観光客も少なめです。
Th_10dji

個人的には自撮りしませんし、自分が写真を撮られるのも好きではありません。旅行の写真もなるべく人物が入らないようにしているのです。これぐらいですと丁度人物の大きさと比べて大聖堂の大きさがイメージしやすいと思います。扉も大きいですよね。下に拡大したドアの写真を載せてみました。

Th_10_20241119082901
青銅製は、イタリアの彫刻家「ルドヴィーコ・ポリアーギ」の作品で、ドアの表面には細かに 花や果物、動物をモチーフにして聖母マリアの生涯が彫られています。

Th_11dji
Th_15rx

これは宿泊施設から夕陽が当たった大聖堂の正面となります。これだけ見ても表面の大理石の色合いが皆違っていて美しい光沢を放っています。
Th_16rx

135本もある尖塔の先にはそれぞれ異なった聖人像が立っています。
Th_17rx

広場の中央で大聖堂に向かって建つ像はイタリア王国初代国王ヴィットーリオ・エマヌエル2世の騎馬像です(後ろ姿ですが・・😅)。ドウォーモに向かって勇ましく飾られています。統一イタリアの象徴として国民から敬愛された人物だそうです。
Th_18rx

大聖堂の横からみたミラノ市内です。統一感があり街自体が調和が取れて建築されています。
Th_19rx4

夕暮れ時に眺めていると丁度大聖堂の内部に光が灯ったせいで、これまで外からは見えなかったステンドグラスの輝きが確認出来ました。夜の大聖堂の中はどんな雰囲気なのでしょうか?
Th_19rx
数ある尖塔の中で中央にひときは大きな黄金の立像が光っています。聖母マリア像です。

Th_21dji

大聖堂のテラス登った時の写真です。全てに細かな彫刻がなされています。どこもかしこもです・・・手抜きなんかしておりません😃
Th_22dji
Th_23dji
Th_30dji

屋上のテラスを降りた時に教会内部も見れる時間があったので写真を撮ることが出来ました。
Th_31dji

18世紀初頭に造られたこの礼拝堂👆には、7世紀のミラノ司教「ジョヴァンニ・ボーノ」が祭られ、「ジョヴァンニ・ボーノの礼拝堂」と呼ばれています。大聖堂の側面にあるのですが、これだけでも規模的には大きな教会の主祭壇に匹敵する程です。両脇に置かれている像は、守護天使と聖ミカエルです。聖ミカエル相変わらず何処に行っても人気です😊

Th_32dji
Th_40rx

宿泊施設に戻り、ノンビリ。ベットに横になりながら大聖堂が見えました。本当に至福の時間です✨️😍
Th_41rx

2024年11月17日 (日)

Duomo di Milano(ミラノのドゥオーモ)

世界には美しい教会が沢山あります。どれが1番綺麗かどうかは人それぞれですし、時代背景や人々との関わり方や周囲の自然との調和などもあり評価するのは間違いかも知れません。 しかしながらミラノのドゥオーモ(Duomo di Milano ) は世界でもきっと美しい教会と多くの方が賛同する建築物だと思います。
Th_22024

美しい白の外観が特徴的なミラノ大聖堂は、聖母マリアに捧げられた世界最大級のゴシック建築です。建設は1386年にミラノの領主と大司教の号令で着工しますが、完成したのは、ナポレオン最盛期の1813年の事でした。実に500年近くもの歳月が費やされています。

聖堂の総面積は1万1700㎡(全長158m、幅93m、高さ108m)もあり、ゴシック建築の大聖堂としては、バチカン市国のサン・ピエトロ大聖堂に次ぐ大きさです。


Th_3_20241028174301

この外観の美しさを支えているのが外壁の素材です。初めから計算して、建物全体にイタリア北部のCandoglia採石場の大理石を使用することを決定して取り入れたそうです。少し赤みがかった白い大理石それ自体が美しく輝いています。

Th_2_20241117100101
特に夕陽が大聖堂に当たるとその輝きが増して恍惚の世界へと信者を導いたのかも知れません。

Th_4_20241028174301

ミラノのドゥオーモを特別にしているのが135本の尖塔で、それぞれの先端には聖人などが1つ1つ彫刻されています。彫刻家 Gugliotto dell'Amadeo の作品群となっています。

Th_5_20241028174301

聖書の人物、聖人、預言者など、約3500体もの彫刻が建物全体を飾っています。この巨大な大聖堂の外壁には余すことなく細かな彫刻で埋め尽くされています。
Th_6_20241028174301
Th_7_20241028174301
Th_8_20241028174301
Th_202014

ラテン十字型の大聖堂内部はは40本の柱で支えられ、大きく5つの身廊、翼廊、後陣で構成された重厚感漂う構造となっています ています。高さもあることより巨大な空間が存在します。床面積も広く大凡12000平方メートル(3600坪ぐらい)もあるそうで、一度に最大4万人の収容が可能だそうです(実際入ったかどうかは不明ですが・・😸)。


Th_212014

この写真は2014年の写真となっています。
Th_232014
Th_242014
Th_252014
Th_262014

この辺りからは2024年の旅行の時の写真です。工事中だったりミサの関係で入れなかったりしたので撮った時間帯が2014年と2024年の写真が混在しています(🙏)。
Th_302024
Th_322024
Th_332024

改めて確認してもそれぞれのステンドグラスも美しく輝いています。
Th_342024
Th_352024
Th_362024
Th_372024

今回改めて内部のステンドグラスの写真を撮ると、ステンドグラスの多さや美しさを再発見いたしました。
Th_382024
Th_39202411
Th_41_20241028174401

ミラノ大聖堂は聖堂内見学以外にも、面積8000㎡を誇る屋上テラス(画像下)の見学や、地下聖堂、考古学エリアなど、見どころが満載です。30年以上前に初めてミラノを訪ねた時に屋上にも登りましたが、2回目、3回目は屋上には上がりませんでした。今回久しぶりに登るために朝1番のエレベータ付きの予約をしました。歩いても登れるのですが、その後直ぐに移動でしたので今回は楽をしてエレベーターを選びました。
Th_42_20241028174401
Th_43_20241028174401
Th_44_20241028174401

この斜めの橋みたいなのはフライング・バットレスという外壁補強の柱でゴシック建築の特徴です。これがあるお陰で教会の壁を厚くする必要がなくなり、ステンドグラスなどの窓を大きく取ることが出来たために教会の内部も明るくなりました。
Th_45_20241028174401
Th_46_20241028174401
Th_47_20241028174401

ドゥオーモを覆うマッジョーレ湖近くで採れるカンドリア大理石が美しいですね。この大理石は非常にデリケートで変色しやすく劣化すると割れてしまうそうです。そのために絶えず清掃・修復がされているとのことですが、後何百年分の大理石のストックはあると聞いたことがあります(曖昧ですが🙇)


Th_48_20241028174401
Th_49_20241028174501

この尖塔の多さがミラノのドゥオーモの最大の特徴かも知れません。ここが屋上の中央テラスとなります。今回は朝一番で昇りましたのでここで横になりながらのんびりと過ごしている方はいませんでしたが、写真などではここで寝そべって眺めている方が出て来ます。
Th_50_20241028174501
Th_51_20241028174501
Th_52_20241028174501

下部よりも上の階が大きいキノコのような特徴的な形をした建物はヴェラスカ塔(英語: Velasca Tower)と呼ばれ、1950年代にイタリアのミラノでBBPR建築組合によって建てられた超高層ビルだそうです。30年前の記憶には残っていませんでしたので、新しく出来たビルだと思ったのですが当時からあったのですね😅
Th_53_20241028174501
Th_54_20241028174501


Th55_20241117010801
Th_55_20241028174501
屋上テラスから階段を降りて反対側(南側)を眺めた部分となっています。今回で多くを見学できました。改めて世界有数の美しい教会だと感じた次第です。これからもミラノ市民を見守ってくれることでしょうね。

Th_2_20241117100301
一日中見ていたも見飽きない神々しい大聖堂でした。

2024年11月15日 (金)

今週の生け花(令和6年11月第3週)

2024年11月も中旬になりました。沖縄地方は10月後半から11月にかけてスカッと秋晴れという天気がありません。今週もいくつかの台風が南にあって台風25号は次第に速度を落として居座り続ける感じがします。 地球温暖化で台風の動きも読めなくなってしまいました。 これまでの常識ではなくて温暖化の中で、その都度情報を更新しないと予測がつかない地球環境になっているかも知れませんね。

Th_img_0147

台風の動きはどうであれ、何時もの2階の小さなスペースには穏やかな時間が流れています。今回初めて見る、超高層のビルのような(😊)花器の上に真っ直ぐに伸びたストレリチアが印象的です。
Th_113_20241115084801

余りにも直線的な生け花にアクセントを添えているのがツルウメモドキの曲線でしょうか。そのお陰で柔らかい感じになりました。
Th_1131

何時もながら個性溢れる花々を良くまとめて作品にしていると感心してしまいます。早く秋らしい青空が見たい沖縄地方です。
Th_113_20241115084802
<花材:ツルウメモドキ、ストレリチア、小菊>

2024年11月13日 (水)

喫煙と関係がない肺がん(腺がん)が増加していることに注意

肺がんと言っても実は組織学的にだいぶ違うタイプの分かれており、それぞれで治療の選択肢や予後も違って来ます。このことが肺がんを一色単にまとめて説明するのが難しい点ですが、重要ですのでお伝えします。

肺がんは左右にある肺の中に出来る悪性腫瘍(がん)ですが、腺がん、扁平上皮がん、小細胞がん、大細胞がんの4種類に分かれます。喫煙率が高く平均寿命も今より短かった戦後直ぐにはタバコと因果関係が強い扁平上皮がんや小細胞がんが多いために、「肺がん=喫煙者」のイメージが定着しました(もちろんこれは現在でも正しい認識です)。
タバコの有害性に対する啓蒙活動や健康志向になり、現在では喫煙者が次第に減ってきています。そのことを反映して病理組織の分類では腺がんが過半数を占めてるようになっています。腺がんは肺の末梢に発生することが多く、進行は中程度といわれています。

<肺がんのタイプ別の割合と、喫煙との関連(非喫煙者と比べたがん発症率)、罹りやすい年齢・性差>

(A)腺がん:肺がんの約60%。喫煙との関連が比較的弱い(男性で1.5倍、女性で1.3倍)。約半数は非喫煙者

(B)扁平上皮がん:肺がんの約15%。喫煙により発症することが多い(27.5倍)。中高年の男性に多い。

C)小細胞肺がん:肺がんの約15%。喫煙により発症することが多い(7.5倍)。中高年の男性に多い。

(D)大細胞がん:肺がんの約5%。喫煙により発症することがやや多い(5.6倍)。 腺がんと同様に肺の末梢に発生し、進行や転移その速度は比較的早い。

*喫煙による肺がんの発症リスクは、タバコを喫わない人と比較して男性で約5倍、女性で4倍程度とされています。上に記載したように同じ肺がんでも、タイプによって喫煙の影響には大きな差があり、注意が必要です*

現在日本においても男性の喫煙者の減少により、扁平上皮がんは減りつつあります。しかし、逆に肺腺がんは増加しています。現在、男性の肺がんの40%、女性の70%が腺がんということになります。その結果、「タバコを喫わないのに肺がん(肺腺がん)」というケースが、とても多くなっています。

Th__20241111152201

<何故、タバコを吸わない女性に肺腺がんが多いのでしょうか?>

受動喫煙もない非喫煙者の女性の肺がん(腺がん)のなる影響として注目されているのが「女性ホルモン」との関連性です。現在色々な研究機関で関連性の有無を調べている段階で、まだ結論は出ていないようです。エストロゲンは、肺のがん細胞の増殖を直接促進したり、肺がん細胞中にあるエストロゲン受容体に、エストロゲンがつくことによってがん化を促進したりすることにより、肺がんの発生にかかわると考えられています。


また非喫煙者でも肺がんの原因として、アルミニウムやヒ素、アスベストやPM2.5などの大気汚染などを吸引または浴びることも考えられます。


<増えている肺腺がんの発見が遅れる原因は?>
・個人的には2つの理由があると考えます。前述したようにまだ「喫煙者=肺がん」のイメージが強く相対的に非喫煙者が多い女性は「私は肺がんにならないはず」と思い込む事が多いのではないか、その為に検査を受けない事に繋がっている?
・もう1つは、タバコの煙には70種類以上の発癌物質が含まれています。その為に煙が直接降りかかる、咽頭や気管の太い部分(気管支)などが刺激されてがんが発生。これは主に気管などにおこる「扁平上皮がん」の原因となります。 気管支に起こると「咳や痰、血痰など」が早めに出やすく、本人もタバコを吸っているし気になります⇔「早めに病院を受診」する構図が出来ます。
これに対して腺がんは「気管支などがある肺の中心部ではなくて肺の奥の部分から発生(肺の奥の粘液などを分泌する細胞から発生)☞症状が出にくい、症状が出た頃にはある程度進行している場合がある。
**以上のことを踏まえると、非喫煙者の女性の方も「肺がんのリスク」があることを考えて検診を受けて欲しいと願っています。肺がんのタイプ別の非喫煙者の割合は、腺がんが約半数です。**

2024年11月10日 (日)

ブレダ絵画館(Pinacoteca di Brera)

これまで3回ミラノには来たことがあるのに、いつも半日観光で移動でした。ブレダ絵画館(Pinacoteca di Brera)』 は見るべき美術館の1つだと観光本などにも書いてあることも多く、今回はこれは外せないと考えて旅程に組み込んだのです(もちろんミラノには世界的に有名なウフィツィ美術館がありますが、これまで短時間ですが3回入ったことがあり、今回はパスしました)。

Th_1-20241006-134032


Wikipediaによると、ブレラ美術館はルネサンス期から20世紀にわたるイタリア絵画の宝庫であり、とりわけヴェネツィア派、ロンバルディア派などルネサンス期を中心とした北イタリアの絵画が充実している。中部イタリアの絵画にも重要な傑作が含まれている。

ブレラ美術館の建物は、17世紀に建てられたイエズス会の施設であった。これを1772年、当時ロンバルディア王も兼ねていたマリア・テレジアが入手した。ここに1776年、美術アカデミーが設置され、絵画の収集が始まった。その後、ナポレオンによって美術館として整備され、1809年、彼の誕生日を記念して開館、一般にも公開されるようになった。1882年には国立美術館として開館したとのことです。

Th_27_20241027113501

元々イエズス会の教会だったということですが、宮殿のような佇まいで中庭も広々としています。
Th_34_20241027113501

ブレラ絵画館の中庭中央にはカノーヴァ作の「ナポレオンI世」のブロンズ像があります。前述したように何故ナポレオンかと言うと絵画館として開館したのはナポレオンが統治する1880年代だからだそうです。ご存じのようにナポレオン1世(ナポレオン・ボナパルト)は、フランス革命後のフランス皇帝です。イタリア遠征ではオーストリア軍を破り、ヨーロッパ大陸の大半を勢力下に治めました。ミラノにも1796年に入場し支配下に置くことになります。
Th_415
Th_56_20241027113501

正面から階段を上がり2階の回廊を回ると、ブレダ美術館の入り口があります。
Th_68

ブレダ美術館のいいところは第一級の絵を貯蔵しているにも関わらず比較的空いていて、他の有名美術館よりゆっくりと鑑賞できるという利点ともう一つは分かりやすい展示方法です。 

イタリア美術史を代表する画家の名作が、原則として、徐々に制作年代が下るように見やすく展示されています。美術史を概観するためにも、もってこいです。いつ頃から遠近法が出て来たのとか、その過程では有名な美術作品でも顔と足がアンバランスなような今では気になる点も見つけることが出来るのです。

Th_8_20241027113501
並ぶこともなくチケットを購入できました。私達2名分のチケットですが、それぞれが違う作品が描かれていました。素人の私はチケットを観ながらこの2つの作品は見逃さないように心得ました(笑)。

Th_119
入り口付近には初期のキリスト教の礼拝堂のような部屋がありました。1番古い時期の絵画だと思います。

Th_11_20241027113601

ずらっと初期キリスト教時代の絵画作品が展示されています。この時代の作品はほぼ平面的で遠近法などを意識した作品はありません。
Th_12_20241027113601
Th_13_20241027113601
ジョヴァンニ・ベッリーニ「ピエタ」:

ジョヴァンニ・ベッリーニ(1430~1516)が1470年ごろに描いた「ピエタ」です。 新しい技法を見慣れた私たちにとってはあまり気に止めない作品ですが、これまでは3人が同じ平面に描かれることが多かった時代に、3人の前後左右の遠近感をしっかりと意識して書いた作品と言われています。そのように見ると「なるほど」と思える作品でした。



Th_1411
アンドレア・マンテーニャ「死せるキリスト」

遠近法による非常に斬新な構図が用いられたのが、1480年ごろに描かれたアンドレア・マンテーニャ(1431~1906)の「死せるキリスト」です。画面に対して直角に短縮法で描かれたキリストは今までなく、のちの画家たちに大きな影響を与えたと言われる作品です。恐らくこのような角度からキリストを描いた作品は余りないと思います。 

やはり新しい美術を観て来た私たちにとっては、きっと違和感があるのではないでしょうか?・・・(よく観察してみて下さいね)・・・遠近法や短縮法を用いるのであれば「キリストの顔・デカ🙇、足:小ちゃい🙏」と感じませんか? 遠くは小さく、近くは大きく描くのならもう少し顔が小さくて、足が大きければ完璧だったのかと考えてしまいました。もしかしたら作者が宗教的な意味で顔の方を強調したかったなら別の問題かも知れません?

Th_20_20241027113801
ベッリー二:アレクサンドリアにおける聖マルコの説教 St. Mark Preaching In Alexandria 1504年 347.0cm x 770.0cm
この作品は大きさも記載しましたが横が7.7メートル、縦が約3.5メートルの大作です。聖マルコはイタリアのベネチアの守護聖人です。それがなぜブレダもあるのかも不思議です。

『アレクサンドリアでの聖マルコ説教』はヴェネツィアのスクオーラ・グランデ・ディ・サン・マルコ(聖マルコ大同心会館)の集会所のために依頼された絵画だそうです。本来はベネチアに飾られる予定でした。それがナポレオンの侵攻の後、1809年にブレラ美術館に送られ現在に至るそうです。本作は、1世紀にアレクサンドリアに住んでいた聖マルコの布教活動を描いていて、イスラム教徒をキリスト教に改宗させる場面を表明しています。当時、国際都市のベネチアにおいてはキリスト教徒のベネチア人と交易で来たイスラム教徒に対して、改宗の場面を見せつける狙いがあったのかも知れません。


Th21_20241027120601
Th_21_20241027113801
パオロ・ヴェロネーゼ「シモン家の晩餐」

Th_2210
Th_23iphone2
Th_2411

ガラス張りの中に絵画が置かれていました。私達が訪ねた時にはその日の作業は終わっていたようです。実際にここでは正面の絵画の修復作業が行われていて、その修復作業を身近で観られるようにガラス張りにしているそうでした(学生さん達への教育の意味合いもあるのかも?)。
Th_25valle-romita-polyptych
Valle Romita Polyptych:ブレダ絵画館

Th_25_20241027113901

カルロ・クリベッリ「蠟燭の生母」
1つ上の宗教画と違い、きめ細かな表情や色使いが分かります。時代の変化と供に表現方法が細かくなったと印象づけられました。
Th_30a7307862

ラファエッロ・サンツィオ「聖マリアの結婚」
Th_30_20241027113901

ラファエロの柔らかい線がイキイキと表された作品です。左右前後の均衡の取れた作品です。背後の寺院の窓を中心とした完璧な遠近法で描かれた作品となっています。
Th_31_20241027113901
やはりラファエッロは人物描写が柔らかで美しいです。

Th_33_20241027114201
ドナート・ブラマンテ「柱に縛られたキリスト」

ドナート・ブラマンテ(1444~1514)が1490年ごろに描いた「柱に縛られたキリスト」も、解剖学的にきわめてリアルで、1500年代の画家へ影響を与えたそうです。この頃になると背景に遠い山や川などの風景を取り込む画風もよく見れるように変わって来たと思います(なんとなく有名なダビンチの「モナリザ」もこんな背景がありました)



Th_36_20241027114201

この絵の面白いのは、どの方向から観ても女性の眼が自分に向けられているような表現をしていることでした(動画じゃないと分からないですね😅)。これもヨーロッパ各地の宮殿などで観る人物画の表現に取り入れられています。
Th_37_20241027114201

「聖母子、諸聖人とフェデリコ ダ モンテフェルトロ」ピエロ・デッラ・フランチェスカ(1412~92)。
チケットの表紙にあった絵画です。背景に古代由来の、幾何学的にバランスがとれた遠近法で描かれていますが、まだまさ2次元的な表現にとどまっているように感じてしまいます。

Th_37_20241027114202
Th_38-1548

『聖マルコの遺骸の発見』 ティントレット (1548年頃)

ティントレット(1518~94)の「聖マルコの遺体の発見」は、現在の写真撮影のお手本になるような遠近法で絵がかれています。右側の一方の面を直線化することで右側の面が奥にゆくに従い次第に小さく変化することでより遠近が強調されることになります。

Th_39-1910
『アーケードでの喧嘩』ウンベルト・ボッチョーニ (1910年)
オルセー美術館で見かけるような絵画ですね😸
Th_39peter-paul-rubens

Peter Paul Rubens 最後の晩餐
最後の晩餐のシーンは多くの方が描いていますが、この絵では裏切り者のユダが誰かとてもはっきりしています。1人だけキリストを向かずにこちらを向いています。

Th_35_20241027114201

ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ「エマオでの晩餐」

ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ(1571~1610)の「エマオでの晩餐」。この作品を見るとまず思い浮かべるのはフェルメールやレンブラント、ヤン・ステーン、ハンスなどのオランダ絵画ではないでしょうか? これまでキリスト教のイエスや周りの聖人などは一般庶民とは違う描き方だされていました。その中でカラヴァジョのこの作品は、当時の薄暗い質素な室内で庶民の服装をした人々とキリストが一緒に描かれています。この作品が与えたインパクトは大きかったのだろうと想像してしまう作品です。

Th_40the-kiss-1859

最後にこの作品を紹介します。ブレが絵画館の絵葉書などで1番売れる作品だそうです。「The Kiss」 フランチェスコ・アイエツ (1859年)
Th_41the-kiss-1859

この作品は男女の愛を示す作品として優れていると思いますが、その時代背景がわからないと通り過ぎる作品かも知れません。これが描かれた時代のイタリアではイタリア統一運動の前の群雄割拠の国々がお互いに攻めぎあう時代となります。 恋人同士であった2人の男女。 この場面の直前に男性はすぐに戦場に向かう命令が下ります。わずかな時間を割いて女性の元へ、最後の別れになるかも知れない接吻です。時間がなくもう行かねばなりません。そんな貴重な一瞬の別れを表現しています。このKissから寂しさを感じるのはそのためかも知れません。
Th_42the-kiss-1859

2024年11月 8日 (金)

今週の生け花(令和6年11月第2週)

ここ何日は流石の沖縄でも秋(本土では冬でしょうか?)を感じる天気になりました。もう11月ですものね・・・あと2024年も残り2ヶ月です・・・速いような遅いような・・・今年は私にとっては掴み所のない1年となりつつあります。 

 

何時もの2階の小さなスペースに生け花が飾られていました。偶然廊下で活けた職員と出会って話をしました。今週のテーマは秋をイメージして活けたそうです。「成る程」と言う出来栄えです😊

Th_img_0132
トクサ、りんどう、鶏頭も秋をイメージするお花達ですね。 今回は茶色の竹の籠のような丸い花器に対して、トクサの直線でメリハリが付いてはっきりした輪郭になっています。
Th_6112
本土の方ではもう冬が近くなっていると考えますが、那覇市はまだまだ秋の時期となります。暫くはこの秋を楽しみたいと思っています。
Th_6112_20241107172001
Th_6112_20241107172002
残り2ヶ月となる2024年ですが、2ヶ月だと言って焦らずに自分のやるべき事を淡々とやれるように努めたいと思う今日この頃です💝
<花材:トクサ、鶏頭、りんどう>

2024年11月 6日 (水)

腱鞘炎とばね指

今日のFM放送は指の障害について話をしました。
私達の指には沢山の関節があって、繊細な動きが可能です。家事や仕事、スマホの操作などでも毎日のように沢山の動きをこなしています。

Th__3_2

このような細かな動きを支えているのが、手を動かす為の筋肉の動きを伝える腱の存在です。腱はスジみたいなものですが、腱鞘(けんしょう)と呼ばれる包みに被われています。腱鞘は腱を取り巻くトンネルの様な構造で、腱が動くたびに周りに引っ掛からない構造となっています。腱が骨と強く結び付いてる部分は指の動きに重要で厚くて硬いトンネル部分があります。これを特に靱帯性腱鞘と名付けています。

 

を動かす時に腱は腱鞘の中を動いていて、その間には常に摩擦が加わる状態となっています。その為使いすぎるとこの腱を包む腱鞘との間で炎症が起こることもしばしばです。 それを腱鞘炎と言っていて、指を動かしたりすると痛みや違和感が発生します。

 

最初は痛みのため動かし難い場合もありますが、この腱鞘炎が進んで、このトンネルと腱が引っ掛かると,動きそのもにも異常が出てきます。

 

Th_

バネ指(弾発指:だんぱつゆび)は炎症がひどくなり、手を曲げたり伸ばしたりする時に腱鞘炎のため腫れた部分の腱がトンネル(多くは靱帯性腱鞘)の部分に引っかかり、その後通過するときに一気に伸びた腱が縮むため、弾けるように「バキ〜ン」と指が伸びる「バネ現象」が起こる病態を「バネ指」と呼んでいます(図の方は曲げる所を書いてありますが、反対側も同様に腱があり同様な症状が起こります)。

 

バネ指は腱鞘炎ですので、炎症の時には安静が1番です。それ以外は消炎鎮痛薬の内服や湿布、バネ指の起こっている腱鞘部分にステロイドの注射をして様子を見ます。それでも改善ない場合は、図の靱帯性腱鞘の部分で引っ掛かりますので、原因となるこのトンネルを縦に裂いて広げることで治療します(腱鞘切開)。

 

今回も私の専門外ですので、余り深く追及しないで下さいね

2024年11月 3日 (日)

スカラ座(Teatro alla Scala)見学とマリア・カラス特別展

4回目のミラノでどうしても入りたかった場所の1つがスカラ座でした。本来ならこの場所でオペラなどを鑑賞した方が良いと思ったのですが日程が合いませんでした。 それではと「見学ツアー」がないかと申し込むことにしました。随分前に申し込んだせいか最初の時間帯はリハーサルのため不可となってしまいました。その後の時間帯なら入場可能とのことで取り直す事になりました。

Th_1_20241018170301
2024年のスカラ座ですが、改修工事のために外が覆われてしまったいました(残念)。
Th_0_20241030164801
(翌日朝早くのスカラ座の写真です👆)

スカラ座(イタリア語: Teatro alla Scala、あるいは単にイタリア語: La Scala)は、イタリア・ミラノにある歌劇場です。 初代の宮廷劇場以来の歴史のある(イタリア)オペラ界の最高峰とされる劇場となっています。  特にスカラ座は数々の著名なオペラの初演の舞台となっていて、プッチーニの代表作である『蝶々夫人』や『トゥーランドット』はスカラ座で初演されています。

 

あまり知りませんでしたがジュゼッペ・ヴェルディとは切り離すことが出来ない劇場としても有名だそうです。ヴェルディは19世紀を代表するイタリアのロマン派音楽の作曲家であり、「オペラ王」の異名を持つ人物です。代表作は『ナブッコ』、『リゴレット』、『椿姫』、『アイーダ』などがあります。


2024年の旅行時は外部が改装中で天幕が張られて残念でしたので、2014年の旅行時の外の様子を追加しました。

Th_22014


実は現在の建物は2代目のもので、初代の歴史的建築物は1776年2月25日、謝肉祭のガラ・コンサート後に焼失したそうです。

現在の建物は新古典主義の建築家ジュゼッペ・ピエルマリーニが最初の設計案を作ったが、オーストリア長官のフィルミアン伯爵はこれを却下したそうです。1776年、第2案が女帝マリア・テレジアにより承認された(ここにもマリア・テレージの名前が出てくるとは思いませんでした。昨年のオーストリア旅行ではよく聞いた名前でしたが・・)。

新劇場はサンタ・マリア・アッラ・スカラ教会を移転して、その教会があった場所に建設されたために、「スカラ座」と劇場名がつけられたそうです。 2年を費やした新劇場は「公国立スカラ新劇場(イタリア語: Nuovo Regio Ducal Teatro alla Scala)」の名で1778年8月3日に落成したとのことです。 *何時も間違えそうになりますがミラノのオペラ座じゃなくてミラノのスカラ座でございます😅*

Th_32014

更に今の劇場の大きさやスタイルになったのが2002年1月19日から2004年11月までの間、大改修プロジェクトによるもので、その時から内部構造や延長工事で建物自体も大きくなったそうです。


Th__20241101074001
スカラ座の入場券です(オプショナルツアーとは別です)。スカラ座開演当時の様子がプリントアウトされています。昔は馬車で乗り着けたのでしょうね。
Th_10_20241018170301

私達がスカラ座の中に入った時に本格的な音楽が聞こえてきていました。ボックス席に入ると丁度リハーサルが終わる直前でした。ボックス席は透明なビニールのカーテンが仕切られていましたが、時間となりそれも取り外されて見学が可能となりました。(恐らくリハーサルが時間より延長したせいでしょうか、時間通りに入った私達はリハーサルの最後の部分の演奏などを綺麗な写真で克明に撮れたのです。有名な方々の練習中の顔写真もアップされすので、これは載せない事にしました)。
Th_12_20241018170301

舞台を中心に馬蹄形の美しいボックス席が周りを囲まれています。建築当時から建設費はバルコニー席の売上げで賄われ、各ボックスの持ち主は自席を豪華に飾り立てる事ができたそうです。その後は歌劇場と言うより「スカラ座」の名の高貴で裕福なミラノ市民の絶好の社交場として使用されるようになります。 音楽の殿堂よりも社交場に変わった事が一時期あったようです。 1階の平坦な部分には元々座席はなくて、立ち見で食べたり吞んだりしながら音楽を聴いていたそうで、楽団も座席から丸見えの状態だったそうです。

Th_13_20241018170301

更に今の劇場の大きさやスタイルになったのが2002年1月19日から2004年11月までの間、大改修プロジェクトによるもので、その時からだいぶ内部構造や延長工事で建物自体も大きくなったそうです(劇場よりも付属の練習場や舞台装置などが拡張追加されたとのこと)。
Th_14_20241018170301
Th_15_20241018170401


スカラ座は一貫して、バルコニー席の階上に余り裕福でない人でも観劇できるようなガレリア席を設けているそうです。写真の上端の階の部分だと思います。 この部分はロッジョーネ(天井桟敷)と呼ばれいます。ロッジョーネへの入口は、通常の正面入口とは別に建物横に造られているそうです。 

熱狂的なオペラファンが多く、音楽の知識も豊富な人々や音大生など足繁く通う人々が多いそうです。 バルコニー席よりも天井桟敷の人々の評価がそのオペラの完成度を示すことが多いと言われる程だとのこと。その為に大喝采もありますが、歌手がうまく歌えたり失敗したりするのに対しは痛烈に批判され、大ブーイングを浴びることもあるそうです。スカラ座の天井桟敷はオペラ界の炎の洗礼であるとみなされ、失敗は末永く語り継がれのだそうです。

Th_16_20241018170401

中央の天井を飾るシャンデリアもゴージャスです。
Th_17_20241018170401
Th_18_20241018170401

正面のボックス席には特別席(ロイヤルシート)があります(👆)。政治家や国賓として招かれた方などが鑑賞できるようです。
Th_19_20241018170401
Th_20_20241018170401

ボックス席の後ろにはこのようなホールが在り、この劇場と関係した有名な作曲家や関係者の銅像などが展示されています。休憩時間ではこの辺りでワインなどを飲んで過ごすのでしょうか?
Th_23_20241018170401

私達が出かけた時に「マリア・カラス」の特別展が行われていました。
Th_30_20241018170401

またミラノのスカラ座には博物館(Museo Teatrale alla Scala)があります。スカラ座博物館は、毎日9時30分から17時30分まで開館しており、特別展に入る前に見学しました。
Th_31_20241018170401
Th_32_20241018170401
美しく装飾された17世紀のスピネットが展示してありました。当時のヨーロッパ貴族の間では華やかな絵画や装飾が施されたチェンバロが装飾品の1部として飾られていたそうです。その中で、奏者に対して弦が斜めに張られた形のチェンバロを「スピネット」と呼ぶとのことです。ピアノの原型になった感じもしますが・・?


Th_33_20241018170401
Th_34_20241018170401

バロック期の版画家ジャック・カロ(1592-1635)の作品が展示されている部屋がありました。彼は、ルネサンス期のイタリアで生まれた仮面劇、コメディア・デッラルテ (Commedia dell'arte)の登場人物を模した陶器の人形などを制作しているそうで、ヨーロッパ各地でこの手の喜劇役者?の人形を観ることがあります。

Th_35_20241018170401
Th_36_20241018170501

スカラ座と関係が深かった作曲家のこちらはヴェルディのデスマスク、髪の毛、右手の型です。そして遺品が展示されています。


Th_40_20241018170501

マリア・カラスの『椿姫』はスカラ座の歴史上において最大の成功作のひとつであり、記録的な収益をもたらした舞台であったそうです。今でもマリア・カラスのスカラ座での「椿姫」の公演は歌唱力や彼女の表現力に対して賞賛の声が聞こえる程です。

マリア・カラスの上演が余りにも素晴らしかった為に、その後1964年12月17日にカラヤンとミレッラ・フレーニのコンビでの上演が完全に失敗して以来、スカラ座での『椿姫』の上演が封印されることとなったそうです(「カラスの呪い」と呼ばれているとか)。 1992年になってムーティが上演を強行し、30年近くに及ぶ封印を解く事となったとのこと。これが成功かどうかは私には分かりません😅


Th_41_20241018170501

マリア・カラスがスカラ座で出演した写真が数数展示されていました。
Th_42_20241018170501
Th_42_20241018170502
Th_43_20241018170501

スカラ座の展示室の目立つところに飾れているの黒髪の女性の肖像画が、ギリシャ人のソプラノ歌手マリア カラス(1923〜1977)です。
マリア・カラスが名声を極めた頃、スカラ座にはカラス派とレナータ・テバルディ派というものがあったため、『椿姫』の公演の最中に天井桟敷に陣取ったテバルディ派の観客から野次と口笛が鳴らされたという伝説も残っているとのことです。
Th_44_20241018170501

上の写真の金髪の女性が「レナータ・テバルディ」です。とても上品な美しい方でマリア・カラスとは生い立ちや社交的な派手さが異なる2人となっています。マリアカラスがスカラ座でデビューする頃にはレナータ・テバルディは既に名声を得た方だったようです。
イタリアのサッカーのように劇場内でも市内でもカラス派とテバルディ派 に分かれて論争が続いたそうです。その様子に嫌気がさしたレナータ・テバルディはニューヨークのメトロポリタン歌劇場を主舞台にするようになったそうです。
Th_45_20241018170501

マリア・カラスも演じた『トゥーランドット』のスコアも展示されていて、その表紙だけで歩ルターになりそうな飾りつけでした。
Th_46_20241018170501
マリア・カラスはギリシャ人で生い立ちも、その後の交友関係の派手さも優等生のイタリア出身のテバルディとはかなり違うようです。
マリア・カラスは、当時100kg近くあった体重を落とし声楽のトレーニングも積むなどして、名実ともにスカラ座のプリマに成長してゆきます(劇場では彼女が実際に使用した衣装も展示されていて、ウエストも細く節制して取り組んでいたことが覗えます)。 その後世界的な大富豪のオナシスと愛人関係になって世間のマスコミにも頻回に登場するようになします。しかしながらやがて不摂生がたたり歌が歌えなくなってしまいます。オナシスとも破局になり引退し、その後隠遁先のパリで53歳で死去する悲しい運命を辿ります。

私はオペラに関して殆ど分からないのですが、アリア・カラスの凄さは「彼女の持つ歌への表現力」だと聞いたことを思い出しました。 オペラの魅力は歌唱力だけでなく視覚や感情にも訴えかける総合芸術で、その頂点を極めた方に1人がマリア・カラスさんだったのかも知れません。

7年ぶりにスマホを購入(iPhoneXから16へ)

7年ぶりにスマホを購入して、昨日の午後からは新しいiPhone16へデータの移行などを行い、おおよそ終了しました。

Thdsc06254

アップルからのサポートも1昨年でiPhoneXは終了。これまでバッテリーを交換して持ち堪えてくれていました。若い人みたいにスマホで色々とやることもありませんし、iPhoneで写真を撮ることもほとんどありません。唯一写真を撮っていたのがこのブログでの「生花」だけでした。

毎年のようにカメラの性能が良くなったと言うiPhoneですが、私にとって唯一写真を撮る海外旅行ではミラーレス一眼で撮影しています。ただ病院の職員のiPhoneの写真を見ると旅行の写真もスマホで十分と思えるほど画質の性能が向上しています。実際スマホで十分と思うのです。まあ私は使いこなすことが出来ませんが・・・😂

ただ私の場合は海外ではスマホは地図アプリとして重宝しますし、飛行機や電車のチケットから買い物の決算、情報収集が重要となってしまうために写真は写真機に任せればいいと割り切っているのです。スマホに様々な情報を入れているためにパスポートの次に無くしたり落として破損することがあれば旅行が持続できない怖さがあるのです。

Thiphone

まだまだiPhoneXで私は十分なのですが、2回目のバッテリー交換が必要であったり、海外で使用したいeSIMに対応できなかったり新たなソフトに対応ができない不便さも生じでしまいました。

今回とうとうiPhone16へ乗り換えることになりました。いま写真を撮って思うのですが、形の方は16よりもXの方が薄くてカッコいいと私は思ってしまいました。当然カメラ性能が気にならない私としてはProは必要なく無印にしました。

7年間ですごい進化を遂げていると思いますが、まだ2〜3時間しか触っていません。写真の顔認識の精度の向上、ディスプレイの美しさや音響も随分と良くなったと感じました。私にとっては写真の進化よりも、世界どこでも通じる同時翻訳がもっと実用的に使えるように進化して欲しいと願うのですが・・・🤭

« 2024年10月 | トップページ | 2024年12月 »