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2024年4月

2024年4月28日 (日)

ホーエンザルツブルク城

ザルツブルグの風景の中でホーエンザルツブルク城(Festung Hohensalzburg) はやはりなくてはならない中心的な城だと思います。単にザルツブルグ城でもいいのではとふと考えたのですが、ホーエンとはドイツ語で「高い」と言うことですので、もしかしたら低い場所にもお城があったのかも知れませんね(全くの憶測です🙏)

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川を挟んで旧市街地と丘に立つザルツブルグの風景は絵になる風景です。
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Wikipediaによるとこのように記載されていました。

ホーエンザルツブルク城(Festung Hohensalzburg)は、オーストリア共和国北西部の都市ザルツブルクにある城。1996年、世界遺産「ザルツブルク市街の歴史地区」の一部として登録されたとのことです。

このお城の歴史としては1077年、神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世とローマ教皇グレゴリウス7世の間に起きた聖職叙任権闘争後に、教皇派の大司教が、皇帝派の南ドイツ諸侯のカノッサの屈辱への報復を恐れて市の南端、メンヒスブルク山山頂に建設した防衛施設が始まりのようです。 私のような宗教にあまり関心のない人間にとって、人の行いを説くような教会のトップが戦争に明け暮れていた歴史もあることを醒めた目でみてしまうのです😅

その後はハプスブルク家、バイエルン公等の周辺諸侯の攻撃や市民の反乱に備えて強化され、鐘楼、薬草塔、鍛冶の塔、囚人の塔、武器庫、穀物貯蔵庫等が建設され、防壁が強化されたとのことです。ナポレオン戦争によるナポレオンのフランス軍の占領後の1816年からは、ザルツブルク市街とともにハプスブルク家の支配下に入ったとのことです。 中央ヨーロッパで莫大な権力を有したハプスブルク家が代々率いてきた都市だと思ったのですが、意外と短かかったです。 トリップアドバイザーの企画「バケットリスト」の「世界の名城25選」に選ばれたそうです。

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右の青い旗のところがケーブルカー入り口となります。私たちはザルツブルグカードを購入していますので、往復一回は無料でした。
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丘の上にあり、このような高い城壁もあり、この城が難攻不落の城であることがわかります。確かに築城以来、700年以上もの間、難攻不落の要塞であり続けながら、ナポレオン戦争によって無血開城され、敵の手に渡ることになったとのことです。

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飛行機などがなかった時代では、この城を落とすのは無理だろうと思えるほどの城壁の高さです。
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お陰でこの城に登ると、360度視界が開け遠くは まで見渡せます。 この日は天気も良くて最高です☀️
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一番外側の城門から入ると中にも教会の他にさらに城壁が築かれています。城の中には「ゲオルク教会」があり、その教会の壁には1495年に大司教となったレオンハルトのレリーフが彫刻されています。彼はこの教会ではなく、この城自体を建設した力を持った人物だったようです
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城門の中にも食事や飲み物を取れる場所もあり、ゆっくりと回っても楽しめる場所だと思います。
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1番上へと昇る途中でこのようなジオラマも展示されています。こう見るとやはりホーエンザルツブルク城はかなり高い場所に築かれていることがわかりますね。
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眼下にはこれまで歩いてきた世界遺産のザルツブルグ旧市街が手に取るように分かります。
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階段の最後まで登り切ると360度視界が開ける場所があります。小さなスペースに多くの観光客がいます。隙間から全周を覗いて観察してみました。
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ザルツブルグは四方を山脈に囲まれた場所にあることが実感できます。
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ザルツブルグへ来て、天気が良ければホーエンザルツブルク城は是非登ってこの景色を堪能して欲しいです。

2024年4月26日 (金)

今週の生け花(令和6年4月第4週)

令和6年4月も第4週となり、いよいよゴールデンウィーク突入となりますでしょうか? 中には明日から10連休の方もいらっしゃるかも知れません。この休みを利用して海外に出かける方もいらっしゃるかも? しかし痛いのはこの円安ですね。 3〜40年近く前にヨーロッパ、エジプト、トルコなどに出かけた時には、現地の食事や土産品が凄く安く感じたのが、今では全く逆になりました。 最近ヨーロッパに出かけると日本で500~1000円で食べられた食事が2000~4000円もすることも多く、ため息が出ることも多くあります。 日本の国力の低下を感じる訳ですが、それが不幸になったかどうかは分かりません。 当時の日本人は馬車馬のように働いていましたし、休みなど取れる環境ではありませんでした。育休なんて考えたことすらなかった社会でした。 日本が内向きになったとは言え、人々の幸福度が上がってくれたら良いなと願ってこの国をみて行きたいと思うのです。

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今週は一風変わった形の白い花器の上に真っ直ぐに伸びた大手まりが印象的です。大手まりは真っ白なボール状の花が連なり先端の部分の葉が青いそれに向かって伸びるの初夏の落葉低木となっています。
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正面からは左上方に伸びる青い花はデルフィニウムで5~6月に花を咲かせます。鮮やかな色ですね。 斜め横から見るとカーンネーションやダリアが放射線状に飾られているのが分かります。 生け花は3次元で楽しむことが出来て楽しいです💖
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同じ赤です、後方にあったのはダリアで前方の2本はカーネーションとなっています。
Th_644_20240425161702天気が良くて、楽しいゴールデンウィークでありますようにお祈り致します😃

 

<花材:大手まり、デルフィニウム、カーネーション、ダリア、トルコキキョウ>

2024年4月24日 (水)

ウンチはどうなっているの?

今日のFM放送は便秘症について話をしました。昨年も話をしましたので便秘の種類と治療についてはこの辺りで確認を(→便秘の種類と治療薬)

今日のブログは以前書いたウンチがどのような成分でなりなっているのかを修正しながら記載します。

Th_本題とは離れますが、どうせなら私達のウンチについてお話をしたいと思います。いや〜先日の綺麗な桜の話題から突然ウンチですかと・・・呆れる方も多いと思いますが・・・。 何となく「ウンチ」といってしまうと「あらまあお下品な」となるのですが、恐らく就学前の子供さん達だったら「ウンチ」の話題は大好きで、大はしゃぎです。 年齢と共に色々な羞恥心が出て大声で話せなくなるのかも知れません。

 

私達が食事をすると1〜3日程度かけて便となって出て行きます。私達の消化管の中には沢山の分泌液が出て食事と混ざり合いながら消化・吸収を助けていきます。 例えば唾液、胃液、胆汁、膵液、小腸からの分泌液など1日おおよそ10リットルも消化管の中に分泌されます。 出ているだけなら人間の体はすぐに干からびてしまいます。 おおよそ8リットル以上が小腸で再吸収され、大腸で1.5〜2リットル更に吸収され、最終的に便として出ていく水分量はおおよそ100〜200ミリリットル(0.1〜0.2リットル)だけになります。

 

その僅かな水分量ですが、それが私達の便の形態と関係してきます。便の中の水分量の割合が60以下ならコロコロした硬い便となりますし、水分の量が90%以上なら下痢となります。バナナ状のウンチはだいたい70〜80%程度の水分量でしょうか。

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さて、私達のウンチの成分となると80%が水分ですが、残る20%が固形成分となります。この固形成分は全て食べ物の残りかすと考えている方もいると思います。 しかし実際はその重量の約30%が食べカス、50%は生きた腸内細菌やその死骸、20%がはがれた腸粘膜などです。 と言う事は、私達のウンチの半分近くは目に見えない腸内細菌が占めているというです。

細菌は顕微鏡でしか見えない小さな微生物です。わずか1gのうんちに、約1兆個の腸内細菌が含まれているのです😲。 一般的いわれる善玉菌20%悪玉菌10%、残りの70%は「日和見菌」といって、良い働きも悪い働きもする菌種が占めています。それぞれの菌が日々勢力争いをしながらも、均衡を保って、私達の健康を保っているのです。

私達の腸の中には100種類以上、その数も私達の身体の細胞の数を上回る100兆個にのぼる腸内細菌が住み着いて私達の便を形作っているのです。なんか不思議な気がします。

私のウンチクもこのあたりで終わることにします😊

2024年4月21日 (日)

ノンベルク修道院(Stift Nonnberg)

ザルツブルグ大聖堂の見学を終えて、細い路地を通りノンベルク修道院(Stift Nonnberg)へと向かいました。この修道院も私を初めて映画が面白いと感じさせてくれた「サウンド・オブ・ミュージック」の舞台となった場所でした。

主人公のマリアが過ごした修道院として使われ、トラップ一家の家庭教師として不安ながらも気丈夫に自分を奮い立たせて旅立つマリアの姿が印象的でした。

まずはノンベルク修道院の歴史について記載します。と言っても私には知識がありませんので、修道院のホームページにはこのように記載されていました。

ベネディクト会ノンベルク修道院は、ホーエンザルツブルク城塞の下、フェストゥングスベルクの東麓に位置しています。私たちの修道院は聖ペテロによって設立されました。ルパートは 712 年から 715 年の間に設立され、それ以来継続的に存在しています。同時に、ノンベルクはドイツ語圏で最古の女性修道院です。

狭い修道院エリアは西側で要塞の周囲の壁に接しており、残りの側面は急な傾斜になっているため、複合施設を拡張することはできませんでした。その結果、修道院の建物は 11 世紀から 20 世紀の建物がコンパクトに集まった複合体を形成しています (建物の最も古い部分はもうありません)。自由に出入りできるのは教会と墓地のみです。

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非常に長い歴史のある修道院のようです。前々回ブログに記載した聖ペーター修道院(聖ペーター僧院教会) と同じ聖ルパートによって創設 されたとのことです(→聖ペーター修道院 ) 。上の地図のようにお互いに近い場所にあります。
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ザルツブルグ大聖堂の前の広場からザルツブルグ城がよく見えます(ザルツブルグ初日は雨または曇り空で翌日からはよく晴れてくれました)
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ザルツブルグの城へ昇るケーブルカー乗り場(上の写真の右側の建物に青い看板が出ているところ)の細い道を進んで行きます。
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この辺りの風景は映画「サウンド・オブ・ミュージック」でマリアが修道院からギターを抱えてトラップ邸へ向かうシーンで使われて、ここから下に向かう階段を降りゆくと有名な馬の噴水へと切り替わる前の場所だと思います(著作権があるのでシーンを載せる事が出来ません😢)。
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ザルツブルグに来た1日目は雨や曇り空でしたが、翌日からは晴れていました。上は晴れた日のほぼ同じ場所からの写真となっています。
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ノンベルク修道院への入り口はいくつかの門がありますが観光客が入れるのは上の矢印でぐるっと回った所となります。
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ちゃんと「ノンベルク修道院」の看板もあります。鉄製のゲートも開いたいましたの自由に入ることが出来ます。
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映画の中ではマリアが教会を出てトラップ一家に向かうシーン(マリアが右手にギターを左手に鞄を握って修道院出てくる)でここが使われます。実際は正面の(今はドアが閉まっていますが)教会を出てこちら門から出るのではなくて、上の写真の右向きの通路をに向かって出て行く場面として撮影されています。
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ゲートの横にあった掲示板には修道女達の活躍が展示されていました。映画のシーンのような衣装ですね。修道女達の唄声も聞こえてきそうです😃
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門から入ると最初は正面の教会への門が閉じていたため入り口だけ見学が出来ると考えました。しばらくすると観光客らしい方がこのドアを開けて出てきたために、私達も恐る恐るドアを開けて入ることに。問題なく観光客も入れるようです(ただしマナーとして静かにです)
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中に入ると賛美歌が流れていて雰囲気があります。今でも修道女の方々ミサを行ったり、唄ったりしているのでしょうか? 思ったより床が響くのですが、写真撮影は消音モードにして撮ることにしました。
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カトリックですが修道院だけあって内部は質素で落ち着いていました。祈る場所としては相応しい静寂さがありました。
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残念ながら今回の旅行でノンベルク修道院の全体像が撮れていませんでした😂。上の写真は翌々日の散歩の時に撮った写真で右上がホーエンザルツブルク城で左上の赤い尖塔があるのがノンベルク修道院です。
<後述>
私もこの修道院を映画「サウンドオブミュージック」の世界と結び付けて記憶していました。 修道院のホームページで私達が誤解していであろう点についての記載が載っていましたので追記します。 
20 世紀において、当修道院の歴史は、いくつかの映画、特に「サウンド オブ ミュージック」(1965 年) を通じて世界的に知られるようになりました。ゲオルグ男爵フォン トラップの家族の歴史とも密接に結びついています。映画の中で描かれている、マリア・アウグステ・クッシェラはまだ修道女ではなく、男爵の家の手伝いをしてほしいとの要請で当時の修道院長から派遣されたとき、ノンベルクにある「修道院の学校の候補者兼教師」に過ぎなかったとわざわざ記載しています。私を含めて映画の影響を受けた人々はマリアがこの修道院の修道女であると勘違いしているので、わざわざ記載したのだと解釈しました。
1927 年、マリア アウグステとゲオルク フォン トラップはノンベルク大学教会 (Nonnberg collegiate church 、Stiftskirche Nonnberg )で結婚しました。マリア・アウグステは、1984 年に亡くなるまで私たちのコミュニティと連絡を取り続けました。しかし、映画「サウンド オブ ミュージック」(1965 年)には、私たちの修道院のオリジナルの内部映像はまったく映っていません。結婚式のシーンも大学教会ではなくモンゼー教会で撮影されました。撮影は墓地と修道院前のみで行われた。

・・世界中から「サウンド・オブ・ミュージック」を観た観光客が押し寄せて、誤解を招いていると考えて記載したと思います。映画の世界がすべて事実を投影している訳でもなく、撮影の場所も必ずしも映画とは違うことを修道院も気にしたのかも知れませんね。それでも私の心の中にはマリアの生き生きした姿がいまでもこのザルツブルグの世界の中に残っています。

2024年4月19日 (金)

今週の生花(令和6年4月第3週)

慌ただしい4月も第3週になりました。今週も時間が取れず生花の写真だけアップ致します。毎日季節外れの暑い日が続いていますが体調管理気をつけてお過ごし下さい。

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<花材:ストレリチア、ナナカマド、ツツジ、千年木>

2024年4月14日 (日)

ザルツブルク大聖堂(Cathedral of Salzburg、Dom zu Salzburg)

ザルツブルク大聖堂は774年に聖ヴィルギルによって創設されたヨーロッパ有数の美しさを誇る教会と紹介されています。長い激動の歴史を持つことで知られ8回にも及ぶ火事での焼失の後に建築家サンティノ・ソラーリによってバロック様式に改築され現在の姿になっています。 奥行99メートル横幅88メートルもあり、どれぐらい入るかは分かりませんが、1万人の信者が大規模なミサを行ったと記載しているブログがありましたので、それぐらい入る大きな教会だと思います。

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宿泊したアパートメントから大学広場と通り、ザルツブルク音楽祭の主会場である祝祭大劇場の横を通り、修道院を観察しました(→聖ペーター修道院)。その後ザルツブルク大聖堂へと向かいました。
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ザルツブルク大聖堂の前にはザルツブルク音楽祭期間中に野外コンサートが出来るように臨時の会場が設置されています。7月中旬から8月31日まで長らく開催される世界的な音楽祭ですが、私達が訪問した8月29日には屋外コンサート会場は演目が終了し解体が始まる所でした。 広場の中央にはマリア像があり、そこから教会の正面を写真で捉えたかったのですがまだ足場があり残念な写真となりました。このマリア像の立つ大聖堂の前の広場では1920年にホフマンスクール作の戯曲イエーダーマンが上演されザルツブルグ音楽祭の始まりになったと言われていて、毎年屋外ステージでザルツブルク音楽祭の期間中色々な演目が行われているとのことです。

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工事の関係者が解体の打ち合わせをしているようでした。
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正面のファザードには3つの門があり、それぞれに大きな彫像が置かれていました。最初はこの門の意味が分かりませんでしたが、後で教会内に説明書きがありました。中に入るとチケットコントロールがあります。ここはザルツブルグカードで半額?で入る事が出来ました。
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初めて入るザルツブルク大聖堂ですが天井も高く、圧倒的な美しさでした。しばし息を吞むぐらいの感動を味わいました。入って直ぐ左側に案内の看板がありました。
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オーストリアは第2次大戦でドイツに編入されますので、ザルツブルグも連合軍の空爆に遭ってしまいます。写真の右側のようにザルツブルク大聖堂も破壊されたようです。戦後修復を行い元のように復元されて私達もこの立派な教会をみることが出来ています。この教会の修復には日本から多くの寄付が寄せられたようです。この写真の左の上には日本語で「修復の寄付への感謝」が記載されていました。内容を見やすいように左の段に追記しています。
この記載から3つ上の写真に写っている3つの門の意味も回ったのです😅 ドーム広場から大聖堂の正面の大きな黒い3つの扉があり「信仰・愛・希望」を象徴しているそうです。入り口の彫刻像は手前から最初に大聖堂を建立した司教のヴィルギル、中央が火災後に再建した大司教パリス、奥の方は1959年戦後再建時の大司教アンドレアスがモデルのようです。
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ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトや、聖歌「きよしこの夜」の歌詞を作ったヨーゼフ・モールが洗礼を受けたロマネスク様式の洗礼盤でが火災や空爆にも耐えて残されています(何となくライオンの形や姿勢が遠いスペインのアルファンブラ宮殿の獅子と似ていていると感じました→アルファンブラ宮殿 )。洗礼版は14世紀に造られたもので、盤を支えるライオンは12世紀頃に造られたものです。

モーツァルトはここで洗礼を受けて、その後ザルツブルク大司教に使え大聖堂のオルガン奏者を務めました。モーツァルトは20以上のミサ曲を作りましたがその多くは大聖堂で演奏されたようです。世界的な指揮者であるカラヤンの葬儀もこの大聖堂で行われたとしても有名です。

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他の教会にないほどの見所は主祭壇の他に絵画が置かれた祭壇が多数設置されており、その1つ1つが大きな教会に匹敵するほどの壁面のフレスコ画、そして最上部には十字架や彫刻さらには天井画で埋め尽くされておりどれもが美しいことだと感じました
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教会の中に沢山の教会があるようで、それぞれのドームにある彫刻や天井画を見るだけでも価値のある時間を過ごすことが出来ます。
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このように幾つもの構造物が重なりあって奥行きのある美しさがありました。
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モーツァルトも演奏したと言われる大聖堂のパイプオルガンは6000本のパイプを使ったヨーロッパ最大級のオルガンと1つと言われています。大聖堂が広く天井も高いのでパイプオルガンが大きいとは感じませんが、実は非常に大きなパイプオルガンなのです。
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それぞれの部屋の天井部分を見るだけでも圧倒される大聖堂内部です。改めて戦争で破壊されたのにここまで綺麗に修復出来ているのにはビックリしました。
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教会をぐるっと1周した後に地下へと続く階段を見つけましたので降りて見学することにしました。昔の遺構をみることが出来たり、小さな礼拝堂もあるようです。古代と近代が入り混ざった空間でした。
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やはりザルツブルクの中心の教会ですので、こちらには是非入った方が良い場所だと思いました。
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外に出て 広場側からみた大聖堂です。時間に合わせて鐘の音が聞こえてきました。この大聖堂には7つの鐘が設置されているとのことです。その中で有名なのがオーストリアで2番目に大きいと言われるサルヴァトールの鐘で、誰が投票したか分かりませんが(😅)オーストリアで最も美しい音色を出すと言われているそうです。

ザルツブルク旅行記まだまだ続きますので、これからも宜しくお願いします😊

2024年4月12日 (金)

今週の生け花(令和6年4月第2週)

2024年の4月も第2週となりました。慌ただしい毎日をお過ごしのことと思います。今日は私の方も時間が取れませんでしたので、生け花の写真だけアップ致します。花瓶を重ねて立体的になった花々です💖

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<花材:乙女椿、カラー、ヒペリカム>

2024年4月10日 (水)

急性アルコール中毒と対処法

4月10日になりました。新しい職場で少しなれてきましたでしょうか?

今年はコロナによる行動制限も殆どなくなり、多くの職場や大学などの歓迎会など飲み会が復活すると思います。ただこの時期に心配になるのが急性アルコール中毒です。急性アルコール中毒は「アルコール飲料の摂取により生体が精神的・身体的影響を受け、主として一過性に意識障害を生じるものであり、通常は酩酊と称されるものである」と定義されます。

急性アルコール中毒になると、意識レベルが低下し、嘔吐、呼吸状態が悪化するなど危険な状態に陥ります。若年者・女性・高齢者などでリスクが高く、とくに大学生や新社会人ではこの時期や忘年会シーズンで一気飲みとして飲酒させられ、救急搬送される若者がたくさん出ます。

ここで「アルコールの作用」についてお話します。アルコールは少量なら気持ちをリラックスさせたり会話を増やしたりする効果があります。

その実態はアルコールは分子が小さいので、脳にも入り込み、脳を麻痺させる効果です。 脳が麻痺することにより身体に変化が起きた状態が「酔い」です。お酒は脳を麻痺させるのです。 

酔いの状態は、血液の中のアルコール濃度により違います。アルコールの分解能は遺伝によって決定されます、後天的に強くなるのはありません。 脳の麻痺も①大脳皮質(私達の感情・思考・記憶を司る)、②小脳(平衡感覚)、次に③延髄(呼吸・心拍・体温)の順で一般的に進みます。

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ふだん脳は、必要に応じてブレーキをかけ、その人の言動を適度にコントロールしています。「歯止めが効く」のは、大脳がきちんと働いているからなんですね

でもお酒を飲んで①大脳が酔っぱらうと、人によってはそのブレーキが効かなくなります。普段考えられないようなことを言い出したり、必要以上にハイテンションになったりするのです。本人にとっては楽しい時期です。

次いで②小脳が麻痺してくると、運動・平行感覚の障害が起こります。千鳥足になりますが、足が麻痺するのではなく、平衡感覚を司る小脳が麻痺するのです。めまいや嘔吐も起こってきます。 

最終的に③延髄まで麻痺が来ると呼吸停止、心停止、低体温などが起こり場合によっては命を落とすことになります。

今回の説明は少々乱暴ですが、分かりやすいくすために書きました。

 

最後に「急性アルコール中毒の対処法」について追記しておきます。

一緒に飲んでいる人が次のような状態になったら、急性アルコール中毒の可能性があります。次のように対処してください。

(A)反応がない場合は救急車を手配して

お酒を飲んで次のような症状になったときは、命にかかわるおそれがあります。すぐに119番に通報して救急車を呼んでください。

 ・意識がない。ゆすっても、呼びかけても反応しない。

 ・全身が冷えきっている。呼吸がおかしい。

 ・大量の血や、食べ物を吐いている。

 ・倒れて口から泡を吹いている・・・このような状態は緊急事態ですので、直ぐに救急車を要請して下さい。

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(B)もし周囲に急性アルコール中毒が疑われる人がいる場合

  「1番重要なことは、1人にせず、誰かが必ず付き添う」こと。その時から周りは酔っ払っている状況ではないと認識する必要があります。興醒めるかも知れませんが、誰かがしっかりとしないといけない状況なのです。

必ずだれかが付き添い、一人にしないようにしてください。呼吸をしているか、脈があるかを時々確認しましょう。

  1. 衣服をゆるめて楽にする。
  2. 体温低下を防ぐため、毛布などをかけて暖かくする。
  3. 吐物による窒息を防ぐため、横向きに寝かせる。
  4. 吐きそうになったら、抱き起こさずに横向きの状態で吐かせる。

素人考えで(毒物と同じ様に)、吐けば酔いが覚めて状態が改善すると思いがちですが、酔いつぶれた人を無理に吐かせようとすると吐物が逆流してのどに詰まり、窒息する可能性が出てきます。 1〜4のことを考えながら見守って下さいね。 心配なら救急車を呼びましょう!

2024年4月 7日 (日)

聖ペーター修道院(聖ペーター僧院教会)と聖ペータ修道院附属墓地

最高のロケーションの宿泊施設(→前回のブログ)から直ぐに街歩きとなります(初日は曇りで、2日目3日目は晴れていましたので、写真には晴れた日と曇りが混在しますがご容赦を!)

大学広場から歩いて直ぐに今回のザルツブルク音楽祭のメイン会場の祝祭大劇場があります。そこを通って最初の紹介するのが聖ペーター修道院(聖ペーター僧院教会)と聖ペータ修道院附属墓地となります。墓地の方はサウンド・オブ・ミュージックの最後のシーンでトラップ 一家がコンサート会場から逃げる時に身を潜める設定の舞台となっています。

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グーグルマップに示したように世界遺産の旧市街には至るとことに有名な箇所がひしめき合っています。私もサウンドオブミュージックの映画の世界を想像しながら街歩きを楽しみました。
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歩いて2~3分でザルツブルク音楽祭のメイン会場の祝祭大劇場となります。左手の建物が会場です。私はこの旅行が決まった時点でザルツブルグ宿泊の日程を決めました。世界的に有名なザルツブルク音楽祭は7月中旬から8月31日まで行われます。 年が明けてザルツブルク音楽祭の公式チケットが売り出された時点で直ぐに8月29日と8月31日の祝祭大劇場で行われるコンサートのチケットを入手しました(ザルツブルク音楽際のコンサートについてはザルツブルグ旅行記の最後に記載したいと考えています)。
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2023年のザルツブルク音楽祭のポスターや垂れ幕などが飾られていました。
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いったん祝祭大劇場と反対側の道を大聖堂側へと散策しました。
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門をくぐると聖ペーター修道院(聖ペーター僧院教会)の中庭に入るとことになります。

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初日の中庭です。曇っていてぱっとしませんでしたが・・・😅
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2.3日目の晴れた空の元ではこのような感じとなります。

この修道院の歴史は古くて696年に遡ります。聖ペーター教会は、ドイツ語圏最古の男子修道院とのことです。創設は、サウンドオブミュージックの主人公のマリアが入っていたノンベルク修道院と同じ聖ルパートによって創設されています。

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中庭から教会附属の聖堂に入る事にしました。余り目立たない入り口でしたが、入るとビックリです。ただし毎日8:00~12:00、14:30~18:30の間は見学可能ですが、ミサなどのイベントがある場合は観光客は入れないとのことですので、見学したい場合は時間帯もチェックが必要かも知れません。13世紀にロマネスク様式で建設され、7~18世紀にかけてバロック様式のものに改築されたとのことです。

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身廊の白地の天井の間に、聖ペトロの生涯がフレスコ画で描かれ、その周囲の壁にも絵画が飾られていました。気品にみちた優美な印象を与えてくれます。
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修道院内にある土産品店で、ハガキや本などを売っています。
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修道院を出て直ぐの墓地へと足を伸ばしました。私達にとっては聖ペーター修道院(聖ペーター僧院教会)よりも聖ペータ修道院附属墓地の方が印象に残っています。映画サウンド・オブ・ミュージックの最後の方のシーンで、音楽会の後にナチスに追われたトラップ一家が身を潜めていた修道院の墓地のモデルとなった場所です。実際の映画の撮影ではセットを準備して行われていますが、ここの墓地をモデルに作られていますので、実際映画の世界に入り込んだ気になります。
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このように柵の奥にある墓碑の後ろにトラップ一家が隠れているシーンではナチスに見つからないかとハラハラしながら映画を観た方も多いと思います。
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教会内の墓地はメンヒスベルクの山肌をくりぬいて作られたカタコンベ(納骨堂)や岩窟礼拝堂などもあり、ザルツブルクで活躍した作曲家ミヒャエル・ハイドン(交響曲の父とよばれたフランツ・ヨーゼフ・ハイドンの弟)もこの墓地に眠っています。

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メンヒスベルクの岩壁に沿って建つ建物の中は、カタコンベになっているとのことですので、今回私達は入りませんでした(前回のハルシュタットの納骨堂でみたので今回はパスです→ハルシュタットの2つの教会)。もし見たい人がいれば教会、墓地は無料ですがカタコンベは大人2ユーロとなります。なおザルツブルクカードをお持ちの方は入場無料になります。
これから引き続きザルツブルクの有名所を観て廻りたいと思います。これからも引き続き宜しくお願いします。

2024年4月 5日 (金)

今週の生け花(令和6年4月第1週)

新年度の開始が月曜日でしたので、新しく入職した方は1週間が長かったことだと思います。慣れないし、緊張するしで大変疲れたと思います。週末は休めたら良いですね。

本土では染井吉野の開花が満開を迎えている所も多いと思います。週末は花見客でごった返す地域も多いかも知れません。天気が良ければいいですね😍

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今週もいつもの小さな2階のスペースに生け花が飾られています。今日はこの季節らしく桜もいけられています。この桜は染井吉野ではなくて「ボタン桜」と呼ばれる品種のようです。牡丹桜は八重咲きの桜だそうです。花びらがたっぷりと詰まった咲き方が牡丹の花を思わせるため「牡丹桜」と呼ばれるようになったとのこと。
 ついでにこれもネットに書いてあったのですが「5枚の花びらをつけるものを一重咲き、それ以上の花びらをつけるものを八重咲き」と咲き方で分ける場合もあるとのことです(知りませんでした😅)。
今回の牡丹桜は染井吉野などと違い花が大きくて、1輪1輪が目立っています。
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ボタン桜の後ろに隠れていますが、赤い色の百合の花が凄く大きいのにビックリします。ボタン桜の色合いと桜が大きいためにこの百合の存在が顕著にならなくて済んでいるようです。
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今回は大きさでも存在感を示している花々です。さあ、皆様方も春に向かって楽しんでゆきましょう💖
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<花材:ボタン桜、百合、菊、ソリダコ>

2024年4月 3日 (水)

恋をすると相手が眩しい?

2024年4月3日のFM放送は春先の体調不調について話をしました(→春先の体調不調・咳喘息)。ブログにもこれまで何度か書きましたので今回は違う視点で自律神経を考えてみたいと思います。

「恋をすると相手が眩しく見える」・・このことは本当でしょうか?・・・これを解く鍵は自律神経にあります。

私達の神経系統には随意神経と不随意神経(=自律神経)に分類する方法があります。

随意とは意のままに従うことですから、随意神経とは自分で考えたとおりに行動を起こすことが出来る神経系統です。例えばコーヒーが飲みたいのでコップに手を持っていき飲むことが出来る訳です。              

しかし心臓を早くしようと思っても私達は勝手に出来ません。

でもビックリしたり、走ると心臓はバクバク早く動きます。この様に私達の意志の下で動くのではなくて、神経自身が自律して働いている神経を自律神経と呼んでいます。同じ神経ですが、神経側から見たら自律して働いているので自律神経、私達主人側からみたら勝手に動かせないことより不随意神経と呼ぶのです。

この自律神経は交感神経と副交感神経からなっています。非常におおざっぱな言い方をすると交感神経は緊張状態で活躍、副交感神経はリラックス状態で作用します。

人間を含めて動物の世界では何かに襲われたりすると交感神経が優位になります。心臓は高ぶり、呼吸回数も増しいつでも逃げる態勢を作ります。瞳孔は開いて周りが見やすい状態に変化します。ずっとこのような状況は続きませんので、緊張が解かれると交感神経よりも副交感神経が優位になり落ち着いてきます。

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ここまで説明して「恋をすると相手が眩しい」という今日のタイトルと相成ります。 

恋する相手に贈り物をしたり、初めて手を握ったりすると心拍は速まりドキドキします。その時相手の顔をみても眩しいはずです。これは緊張状態で瞳孔は何時もより開いているのですから交感神経に支配されている瞳孔散大筋という筋肉が作用し散瞳します ・・・・・相手が眩しくてキラキラ輝いていると思います😸


相手もプレゼントを渡されて心臓ばくばくなら脈ありです。 「今日は眩しい?」ってさりげなく聴きましょう。 眩しいと答えたら・・心の中でガッツポーズ!「やった〜!」と叫んで下さい。 

 

それではご健闘を祈っております💝

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