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2023年8月

2023年8月27日 (日)

ルツェルンNo1(ホテルとカペル橋の朝夕の変化)

インターラーケンからベルンを観光し、古都ルツェルンへ移動しました。最初はこのまま風光明媚なピラトゥス山の方に行く予定でしたが断念。生憎の天気予報のためルッツェルンのホテルに荷物を置いて、市内をゆっくりと回ることにしました。

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ルッツェルンはチューリッヒとインターラーケンを結ぶ要衝にあり、インターラーケンから直接向かう路線もありましたが、ベルンに寄りたかったために上記のようなルートとなりました。
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スイスでも古くから栄えた都市で湖やピラトゥス山やリギ山に囲まれたスイスでも有数な観光都市となっています。
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この都市で一番印象的な風景となるのがカペル橋と周囲の景色だと思います。ルッツェルンの観光案内では必ずこの橋は出てきます。 カペル橋は14世紀にロイス川に作られた屋根付き木造の橋となっています。今でも多くの方が利用もしています。もともとは城砦の一部として建造されたそうです。
 
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駅よりまずは今回予約したホテルへと向かいます。駅の周辺はアスファルトの道ですが、旧市街に入ると石畳、それも結構大きめで凸凹な歩道となります。何もなければ風情があっていいのですが・・・この歩道はスーツケースを持った旅行者には厄介となってしまうことも・・・殆ど持ち上げて歩くことに😢 ルッツェルンの旧市街の建物はそれぞれがこのように壁面が個性的に装飾されてました。
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室内も広々としてバリアフリーのフローリングとなっていました。
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何故このホテルを選んだかというと、外から眺めるこの景色です。市内を流れるロイス川の向こうに街のシンボル「カペル橋」を見下ろすことが出来ました。
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窓の正面には川を挟んで、イエズス会の教会が見えます。
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ホテルの窓から右側の景色です。街も綺麗ですし、今日登ることを断念したピラトゥス山が見えています。
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対岸の教会川からみたホテルとなります。
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ホテルの到着後他の場所を散策しました(そのことは次のブログで記載します)。街の郊外に出かけて夜の街の散策となりました。ロイス川に架かるカペル橋のライトが湖面に反射して昼間とは違う幻想的な美しさに変化しました。カペル橋に繋げられた橋の中央部にある八角形のヴァッサートゥルムはカペル橋より早い時期の1300年頃に建てられたとのことです。川の真ん中にあるので橋があったのか、渡し船でもあったのでしょうか? もともと見張り台として建てられたが、その後、文書や宝物の保管庫、牢獄、拷問部屋などに利用されたと曰く付きの建物となっています。
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橋を歩いてみましょう。八角形のヴァッサートゥルムとともにルツェルンのシンボルになっている。橋の天井部分には、ルツェルンとスイスの歴史やルツェルンの守護聖人にまつわる伝説などを描いた絵が架けられています(中央の三角の部分に絵が掛けられています)。
実は日本でもニュースになったのですが、1993年8月の火災により、橋の大部分が焼失してしまいました。1994年4月に再建されたそうですが、黒焦げになった部分や完全に燃え落ちた部分は壁画が残っていませんでした😂
カペル橋に繋げられた八角形のヴァッサートゥルムはカペル橋より早い時期の1300年頃に建てられたもの。もともと見張り台として建てられたが、その後、文書や宝物の保管庫、牢獄、拷問部屋などに利用された。
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ホテルの窓からみた夜の教会です。寝るのがもったいない程の外の風景です。
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朝早く目が覚めたので、外の景色を写真におさめました。雲が多く今日もスッキリした天気は望めなさそうです。
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次第に夜が明けて来ました。人工の光と太陽の光が交差する時間帯です。
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夜が明けて来ました。

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ホテルの立地条件がいいので、朝の清々しい空気を吸いながら朝食の前に散歩に出かけました。
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まだ人通りは少なく、水鳥の鳴き声がこだましていました。
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既に軒先に新鮮な果物が並んでいます。朝食に買って来るお客さんが多いのかも知れません。
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少し青空も見えて来ました。今日も目一杯遊びます😃
***沖縄は明日からお盆となり、その後学会があるためコメントの返事が遅れると思いますがご了承下さい🙇***

2023年8月23日 (水)

尿管(尿路)結石について

2023年8月23日のFM放送「いきいきタイム」は尿路(尿管)結石について話をしました。

尿路結石は高尿酸血症と関連があり、夏場に発症が多い病気の一つになります

私達の尿をつくり、体外に排出する組織は,泌尿器系と呼ばれ、腎臓、尿管、膀胱、尿道から構成されます。尿を実際に作るのは左右にある腎臓で、腎臓以外の尿管、膀胱、尿道は尿を体外に排泄する通路ですので、ひっくるめて尿路と呼んでいます。この尿路に石ができたのを尿路結石と呼んでいます。

膀胱は広くて小さな石があっても症状は殆ど出ませんので、尿路結石の中で腹痛や血尿などを起こしやすいのは腎臓と膀胱をつなぐ尿管なので、尿路結石を尿管結石と呼んでいることが多いのです

人間の体の中には沢山の場所に石が出来ます。その中で多いのは胆石と尿管結石です。胆石は国民の15%、尿管結石は10%程度の方が持っています(必ずしも症状が出るわけではありません)。

同じように腹痛の原因になりますが、胆石(多くの場合は胆嚢結石)は外科で扱う分野で尿路結石(多くの場合は尿管結石)は泌尿器科で扱う疾患です。

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同じ石でも胆石と尿管結石は全く違いますので注意して下さい。私の所にも胆石で紹介された患者さんが、「じゃあ沢山水を飲んで(中にはビールを沢山飲んで)治します」とか、破砕装置で「石を割って下さいと」仰る方が沢山います。 どちらも誤りで、尿管結石のことを言っています。

まず尿管結石なら、水分をとることで尿を希釈し結石を洗い流す効果が期待されます。 しかしビールはよして下さい。 ビールにはアルコールの持つ利尿作用がありますが、尿酸を増やすプリン体や尿を酸性にすることで尿管結石の原因を作ることになります。 夏場は脱水で尿が濃くなるために尿管結石も増えますので、ビールではなくて水やウーロン茶などが良いでしょう。

尿管結石の70%以上は何もしなくても(痛みはありますが・・)自然に排泄し治ります。こんなに痛いのに出てきた石を見ると米粒大の大きさでガッカリします。 尿管結石が大きくなると、超音波を石に当てて砕いて、細かくして排出し易くします。 先ほどの胆嚢結石の場合に体外衝撃波で石を砕いた場合、これが総胆管という管に落ちて、十二指腸に出て行く場所で引っ掛かった場合重篤となる場合があります。胆汁の流れと膵液の流れを塞いでしまい、一気に肝臓を悪くし、膵炎を起こして死亡したケースがあり、今では胆石の治療は腹腔鏡を使用し胆嚢をとる手術が主流となりました。

尿管結石は再発が多く5年間で30〜40%と言われています。期間を限定しなければ80~90%再発すると報告されています。

尿管結石と胆嚢結石は全く違いますのでご理解頂けましたでしょうか?

2023年8月20日 (日)

ベルン観光

スイスの代表的な山岳地帯を満喫して、インターラーケンからベルンへ移動しました。

スイスの人口順にゆくとチューリッヒ、ジュネーブ、バーゼル、ローザンヌ、ベルン となります。スイスの行政区は20の州と6つの準州(カートン)で構成された連邦国家となっています。公用語はドイツ語(62%)、フランス語(23%)、イタリア語(8%)にロマンシュ語(0.5%)の4つとなっています。

日本においても知名度が高いのが「チューリッヒ」でスイスの首都はと聴かれて・・・チューリッヒ?と答える方も多いと考えます。人口比も経済状況も圧倒的に大きなチューリッヒはスイスの北東部に位置しドイツ語が主に使われています。

1848年にスイスが連邦国家としてまとまる時に「国としての首都」をどこにおくかの問題も出たとのことです。 その時の連合体の選挙で、一極集中を避けたいことや、ベルンがスイスのほぼ中央で、フランス語圏の州からの賛同を集めて一応「首都」と指名されたとのことだとのこと。 この曖昧さもあって条文としてベルンがスイスの首都と定める法律も未だにないそうです(なんか不思議な気もしますが、国際的にもスイスの首都はベルンです😃)。

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インターラーケン・オスト駅を出発しトゥーン湖沿いを北に向かい列車は走り出しました。
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湖と山があり、緑の牧草地に可愛らしい街が点在しています。
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今回のスイス旅行はスイストラベルパスの1号車を手配しましたので、全てスマホのアプリで殆どの移動は完結しました。スイスの鉄道網は本当に完璧です(その代わり代金も目玉が飛び出すほど高いです😭)。それほどの料金を払っても旅行者にはメリットの方が大きいと感じました。上の写真は二階建ての1号車となります。階段を上がると、皆でくつろげるソファーなども設置されています。

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ベルンは2回目となりますが、今回は途中下車で半日観光としました。事前にベルン駅のコインロッカーの場所をチェックしていましたので、その場所にまず向かいました。ベルンに着いたら丁度小雨でした。
これまで山では快晴でしたので、ベルンでの雨も気になりません😆  駅内のコインロッカーが大型のスーツケースを入れる所は使用されていました。もう一箇所のコインロッカーの場所に向かいましたが、地図アプリがよくないせいか近いのですがなかなか辿りつきません😅 そこは大型のスーツケースも大丈夫で、中に荷物を入れるとバーコードの控えが出てきます。取るときには近いの料金を支払う機械にバーコードをかざすと料金が表示されます。カードで支払いすると、終了とともにロッカーの鍵が開く仕組みでした。
U字型に湾曲して流れるアーレ川に囲まれ、中世の面影をとどめるスイスの首都ベルンとなっています。1405年の大火後に再建された旧市街の石造りの町並み全体が、世界遺産に登録されています。
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スーツケースを預け身軽になりました。すぐにベルン駅からバスでベルン市内が見渡せるバラ公園と向かいました。無料で入ることが出来ますが、今回はバラ園を散策ではなくて、世界遺産のベルン旧市街が見渡せる場所としてここに移動しました。この旅行で初めて傘をさしての観光となりました。

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細長く伸びた旧市街の茶色い屋根が統一感のある街並みで、ここから見ると本当に川がUターンして折れ曲がっていることが分かります。

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ヨーロッパの風景で美しく感じるのは、統一された屋根の色やそこから伸びる教会の尖塔の美しさだと改めて思う場所です。
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公園内にはこの街とゆかりの深いアインシュタインのベンチがありました。濡れてなければ一緒に座って写真を撮りたくなりますが・・・まあ私が写っても様になりませんので・・・やはり晴れていてもやめます。

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旧市街の入り口には熊公園があります。ベルンは1191年、領主であったツェーリンゲン家によって森を切り開いて建設されたのが始まりだそうです。狩りの最初の獲物を町の名にすると宣言し、捕らえられたのが熊だったことからベルンと名付けられた説があります。ベルンという名前はドイツ語で熊を表す「ベーレン」が由来となり、以降熊は町のシンボルとして大切に扱われているそうです。(そう言えば昔行った、→チェコのチェスキー・クルムロフもU字に曲がった川沿いにあり、そこでも熊が大切に育てられていました)
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公園側から旧市街地へ入る場所で、橋や川を入れるとどこもかしこも絵になる風景です。
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川の水も澄んで綺麗なブルーの流れです。

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旧市街の真ん中のメイン通りを歩くと装飾された建物の壁や小さな噴水や神話を題材としたオブジェがあちらこちらにあり、見つけるだけで楽しい街歩きができます。
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ツェルマットやユングフラウでは雨は嫌だったでしょうが、ベルンの街並みは雨が降っても風情があり、この傘の様に『雨でもOK🙆』と思わず呟きました😆
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正面に見えるのがベルン観光で有名な時計塔です。ベルンの旧市街において、1191年から1250年までの間、西の境界を示す城門の役割を果たしていたのが時計塔です。1405年大火によって基礎部分(ベルン最古の建造物)を残し消失しますが、1530年に時計塔として再建されたそうです。

Th_23_20230425145501天文時計は、太陽の位置や月の満ち欠けの相互関係を正確に伝えているそうです。確かに複雑です。複雑すぎて私には理解できそうもありませんが・・・。 この時計を有名にしているのがカラクリ時計となります。

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天文時計横のからくり時計は、毎時4分前になると雄鶏が鳴き、道化師の鐘と共に、下段の小熊や騎士などがぐるぐる回りながら登場行進します。そして毎時正時になると中央の「鐘撞き男」と右側の「獅子」が連動して鐘を鳴らして時間を知らせてくれます。そのために1番多くの観光客が正午0時近くになると集まってきます。 私もしっかりと動画にして撮ったのですが、編集の時間がないのと早くスイス旅行記を書き上げたく今回は省略です。面白いですが、昔の仕掛けですのでそれほど奇抜ではなく、あれ!もう終わったのという感じがおおよその観光客の意見の様です😅 拍子抜けした感じで周りの人も散って行きました。

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アインシュタインはこのベルンで過ごした時期があるとのことです。相対性理論で世界で1番有名となった物理学者の住んだ家を観光のアピールとしたベルン市の目論見は功を奏して多くの観光客がこのアインシュタイン博物館を訪れるとのことです。 私も見たかったのですが、時間がなくパスしました😂
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メイン通りを一つ中に入るとベルン大聖堂が見えてきます。1421年に建設が開始されたそうですが、その後工事の中断や宗教改革による破壊などを経て、ようやく完成したのは1893年のことです。ヨーロッパの教会は100〜200年は聞いたことはありますが、着工から、470年以上の歳月をかけて完成した聖堂はあまり記憶にありません。

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ベルン大聖堂は後期ゴシック様式の壮麗な大聖堂となりました。尖塔は、高さ100mありスイスで一番の高さを誇っています。


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大聖堂の正面ファザードには、彫刻家エアハルト・キュングによって作られた234体の像の「最後の審判」があります。向かって左側には、神に選ばれ天国へ向かうもの、右側には地獄へ行き、永遠の苦しみを味わうものが表現されています。
内部は美しいステンドグラスやスイス最大のパイプオルガンなどがあるのですが、内部は写真不可ですので写すことは出来ません。はるばるやってきた観光客のためにも撮影可にして欲しいものです。
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教会の広場にはこの様に装飾されたモーゼの噴水がありました。前述の噴水もそうですが、いわゆる上から流れたり上方に向けて水が吹き上げているタイプではなくて、水平方向蛇口から水が出てきて下の受け皿に溜まる感じですので、噴水ということで探しても見つかりません。泉中央に設置された台座上に旧約聖書に出てくる「十戒」を持つモーゼ像があります。1544年に建造されるも嵐で壊れ、1790-1791年に再建されたそうです。
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12時の時計塔での仕掛けを見た後はベルン駅に向かい、預けたスースケースを無事見つけて取り出して改札へ。改札と言っても何もないのでルッツェルン行きの電車に乗り込みました。次回はルッツェルン観光を紹介いたします。

2023年8月18日 (金)

今週の生け花(令和5年8月第3週)

8月も中盤になりました。台風6号、7号と影響を受けた日本列島、猛暑に豪雨と少雨の地方の混在と気候は落ち着かない日が多くありました。その中でお盆や終戦の日を迎えることになりました。台風でお盆どころではなかった地域も多かったのかも知れません。帰省や旅行にも大きな影響を受けてしまいました。

地球規模の温暖化による異常が顕著になっていると感じます。同じ人類として地球規模で取り組まないと行けない課題が多い中で、相変わらず愚かな政治家達は「敵国をつくることで国内をまとめる手法」をとっています。そこで何かが起こると戦争になります。 敵味方関係なく戦争ほど愚かな行為はありません。 ただひとたび戦争が起きれば自由や平和を叫ぶことさえ出来なくなります。 それは今まで普通に生活していた市民や若者達が過酷な戦争へ追いやられて命を落とすことに繋がるのです。 私はノホホンと戦後の平和の恩恵を受けて老年期まで生きて来ました。 これからを生きる若者達を戦場には送りたくないと考えた終戦記念日でした。

沖縄県では旧暦のお盆を行いますので、本土の8月13,14,15がお盆ではありません。今年の旧盆は8月28、29,30日がお盆となり、病院も8月30日はお休みとさせて貰っています。

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今週の生け花は少し落ち着いた感じを受けます。上から光を当てるとモンステラの大きな葉の陰が色濃く投影されて来ます。
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岩のような花器の中心部を深緑色の葉材を配置して、先端部の目立つ花や実をおくことで伸びやかさも出しています。
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今週も個性的な花材です。皆違う色や形を持っています。人類もお互いの良さを活かして地球を戦争のない平和な星にして欲しいと願う8月です。
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<花材:向日葵、ヒペリカム、グラジオラス、モンステラ>

2023年8月13日 (日)

クライネ・シャイデック(Kleine Scheidegg:氷河の後退)

ユングフラウ地方の観光名所の一つに挙げられるのがクライネ・シャイデックだと思います。標高は2016mもあるのですが、アイガーなどの急峻な山に囲まれているため長閑な谷のような雰囲気です😃。アイガー北壁の真下にあるクライネ・シャイデックはドイツ語で小さな(クライネ)、境(シャイデック)からとった地名で、丁度2つのリュッチネ谷の分水嶺になっています。現在は、ヴェンゲルンアルプ鉄道とユングフラウ鉄道の発着駅(合流地)として世界各国からの観光客で何時も賑わっています。私は1987年以来2回目の訪問となりました。

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現地で貰った地図に名前を記載してみると、何となく位置関係が分かると思います。ただし、この地図では上の方が南となっています。
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先ほどユングフラウヨッホ駅から乗ってきたのと同じ鉄道車がクライネ・シャイデック駅に入ってきました。
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やはりクライネ・シャイデックと言えば、緑の草原と後方の氷河を戴いた急峻な山が連なる絶景が見物です。メンヒとユングフラウに間の窪地にポツンと氷河が乗っていない場所が前回紹介したユングフラウヨッホのスフィンクステラスです。それにしても凄い迫力です。
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今日のユングフラウ地方の天気は晴れたり曇ったり、僅かに雨と目まぐるしく変わる天候でした。晴れていたと思ったら大きな雲(ガス)の塊が迫って来ました。
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振り返るとクライネシャイデック駅の方向も一瞬でガスの被われそうです。
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駅の方から小高い丘に向かう途中で霧に囲まれ殆ど見えない状態となりましたが、直ぐにこの霧も流れて視界が開けてきました。
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10分程度ガスに被われたのですが、しばらくすると抜けました。先ほどの雲がアイガー北壁の壁には張り付いて、しばらくみていても抜ける気配がありません。それ程北壁の壁は真ん中の方がより窪んでいることが分かる現象でした。 この場所は1987年にも訪ねたことがありましたので、昔のアルバムを写真をスキャナーで取り込んで比べてみました。

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前回のスフィンクス展望台で見た様に、この場所からも氷河の衰退が分かりました。この先私は生きていないのでしょうが、次の30数年後には氷河も殆どなくなってしまうのではないかと心配になります。
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アイガーの先端の雲はなかなか抜けて行きません。クライネ・シャイデックからはラウターブルンネン経由の西回り・グリンデルヴァルト経由の東回りルートでインターラーケンへと向かうことが出来ます。行きはグリンデルワルト経由でしたので、下りはウンターブルンネン経由としました。

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木製のレトロな車内となっています。この様な感じもなかなか味があり落ち着きますね。
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谷の向こうに光が刺してきました。
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この様な風景はいかにもスイスの田舎だと言えますね。アルプスの少女ハイジの世界観でしょうか😀
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インターラーケンにつきました。スイスの山岳地方を満喫し明日からはベルンなどの都市へと向かいます。

2023年8月11日 (金)

今週の生け花(令和5年8月第2週)

台風の合間に生け花クラブの活動があったようです。

台風の影響でしょうが花材も痛んでいた場所もありました。それでも頑張って届けてくれた花達に感謝を込めて写真だけでも載せたいと思います(今週は時間が全く取れないため写真だけにしました)

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<花材:パンパスグラス、雲竜柳、百合、スプレーカーネーション、クルクマの葉>

2023年8月 9日 (水)

食中毒No2

2023年8月9日のFM放送「いききタイム」は食中毒の第二弾として食中毒が減らない原因や対策等を話をしました。

戦後、日本も豊かになって、冷蔵庫をはじめ様々な電気器機に囲まれた生活をしていますし、食生活も豊かになってあえて腐れかけた食べ物を食しなくてすむようになったと思います。
しかし戦後殆ど、食中毒の件数は減っていないのです。何故なのでしょう? 

人間の五感はあてにならなくなっているです。 五感とは視覚、触覚、味覚、嗅覚、聴覚です。食事を楽しむ方はこの五感を総動員して食べていると思います。五感も鋭い人もいれば鈍い人もいるはずですね(ドキッ・・)。 

まず1つ目は、食中毒の菌が増殖した場合でも、見た目も味も匂いも変化がないのです。 食べ物の色が変だったり、臭かったり、味が酸っぱかったり、糸を引くようなら,五感の鈍い人でも「腐っている、やめておこう」となるはずです。この様な変化は腐敗菌により起こって来ます。

腐ったらやめておこう。そう単純だったら良かったのですが・・・人間の飽くなき追求により、食べ物が微生物により分解され変化する中で発酵食品などは食べれる、食べても大丈夫と経験を積んで来たのです(最初に食するには勇気がいったのかも知れません)。 

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同じ微生物による分解の中で、食品中の糖分が分解されて、乳酸やアルコールなどが生成される過程を「発酵」と呼んでいます。それに対して食品中のタンパク質やアミノ酸などが分解されて硫化水素やアンモニアになるとなる過程は「腐敗」と呼んで、いわゆる腐れた匂い、味がするわけです。

しかし、この発酵と腐敗は厳密に決まっているわけではなくて、私達の五感では区別が出来ない場合もあるのです

もう1つ食中毒が減らない原因のひとつが、大脳の発達によって知識・経験が五感を越えてしまったこともあのようです。 

通常生物にとってブドウ糖などの甘いものは「栄養源」として認識され、苦みは「毒」として感じる味覚センサーを持っています。 しかし人間は大脳皮質が進化したため、経験や学習を受け入れやすくなり、本来回避すべき苦み(コーヒーやビールなど)や辛み(激辛食品など)も取ることが可能となったのです。  きっと(子供の頃?)初めて味わった時は美味しくなかったはずです。 しかし本来の味覚を経験が上回り、次第にコーヒーもビールも「うま〜い」となってしまったのです

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ビールが「旨い」と感じているあなた! 食中毒を区別する五感は既に死んでいる(「北斗の拳」みたいです)と考えて下さい(冗談ですよ・・)

それではまた

 

2023年8月 6日 (日)

スフィンクス・テラス(Sphinx Terassen)とアイスパレス

ユングフラウヨッホ・後半(スフィンクス・テラス)
「Jungfraujoch - Top of Europe」と記載されたユングフラウヨッホ駅から前回はトンネルを通り、アイスパレスを紹介しました。ユングフラウとメンヒの窪地がユングフラウヨッホですが、その中央には小高い岩山があります。その中にユングフラウヨッホ駅があり、今度はこの小高い岩山の頂上に造られたスフィンクス展望台へと向かいました。

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丸い天体観測所が設置された展望台となっています。1950年に天文学研究のために展望台と観測ドームが設置され、現在でも交換で観測員が常駐しているとのことです。

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ユングフラウヨッホ駅からエレベーターでスフィンクス・テラスへと昇ります。
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スフィンクス展望台はユングフラウヨッホの窪地の中央のある岩山の頂上となるために、360度視界が開け、アルプスの大パノラマを臨むことが出来るのです。上の写真の山はメンヒで標高は4099mもあります。展望台からは間近に見えること自体が不思議な気がします(私のような素人でも4000mを越える山を間近に観ることが出来るのですから、120年前にユングフラウヨッホ鉄道を開通させたスイスの先人達には頭が下がります。実にありがたいことです🙏)。メンヒはドイツ語で「修道士」を意味し、アイガー、ユングフラウとともにオーバーラント三山と呼ばれています。

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北東側の風景となります。帰国後写真を拡大して観ると、これから出かけるクライネ・シャイデック駅が写ってしました(写真を撮った時には気がつきませんでした😅)。
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急峻な山の間を流れるのは世界遺産となるヨーロッパ最長の「アレッチ氷河(Aletschgletscher)」となります。長さ22km、深さは900mにも及ぶ大氷河です。アイスパレスからだと見えづらいのですが、スフィンクス・テラスからはその壮大な流れを観ることが出来ます。
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白黒写真にすると氷河の流れが分かりやすくなりました。
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拡大してみると氷河の流れが良く分かります。黒く帯状になっている部分はそれぞれの山から流れ出た氷河が合流した部分となっています(真ん中の黒い帯は、氷河が運んでいる岩屑が堆積した「モレーン」と呼ばれています)。アレッチ氷河はメンヒから続く氷河(中央)とユングフラウからのびる氷河(写真左側)アレッチホルンの北側に広がる氷河(写真右側)の3つの氷河が合流して、大河となり流れ出してゆきます。その3つの氷河を総称してアレッチ氷河と呼ばれます。


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アイスパレスからの高さで観ると上の写真となりますので、アスレチック氷河を観るためにもこの展望台には是非登って欲しい場所となります。
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しばらく写真を撮っていると、いつの間にか3匹のキバシカラス(Pyrrhocorax graculus)が停まっていました。全身の羽毛が光沢のある黒色で、嘴は黄色く足は橙色のあるカラスです。4000m級の山でも暮らして行けるようで、スイスの高山で何度か見かけました。人間慣れしているせいか彼らは余り人を恐れていないようです。日本のカラスと違い甲高い声を発しているのは聴いたことがありません。こちら辺のキバシカラスは観光客の手から直接パンなどももらって生活している様です。
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メンヒから展望台を挟んだ逆側には、ユングフラウ(Jungfrau:標高4158m)が見えます。メンヒが比較的形状が丸いのに対して、こちらの山はギザギザした印象を持っていましたので今回2回目でも直ぐに見分けることが出来ました。
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ギザギザの尾根伝いに登頂することが出来ます。よく見ると途中に山小屋が見えて来ました。
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1987年の旅行の時の写真をスキャナで取り込んで、比較してみるとやはりここでも氷河の衰退が分かりました。このままではいずれこの山岳地からも氷河が消えるのかも知れませんね。これからの地球人のためにも地球温暖化を防いでゆきたいですね。
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ユングフラウヨッホ鉄道の100周年を記念してつくられた「アルパイン・センセーション(Alpine Sensation) 」が出来ていました。前回の1987年にはなかった演出でした。丁度スフィンクス展望台から氷の宮殿「アイスパレス」に向かう道に造られているようです。ライトアップされた星のような形はエーデルワイスの花となっています。
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なんかメルヘンチックな演出です。
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更に奥に進むと、ユングフラウヨッホ鉄道建設で死亡した方の名前が書かれたプレートが展示されています。メルヘンの世界から現実の世界へ引き戻された感があります😅
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岩で出来たトンネルと進むと「アイスパレス (Eispalast) 」に出ます。ここは全てアスレチック氷河の中(約30m地下)に掘られた「氷の宮殿」となっています。全面氷の世界で、当然足元も氷です。油断すると転倒します😆 1930年に二人の山岳ガイドが、ピッケルとノコギリだけで氷河の中に掘った巨大な洞窟なのだと書いてありました。昔来た時にはここまで立派ではなかったので、毎年氷河の動きに応じて造り直されているのかも知れません。

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この様な感じで写真を記念に撮ることもできます😆
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色々な氷の彫刻が展示されています。

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この様な大きめな彫刻もあるのですが、もともと氷河の中ですので溶ける心配はないのでしょうね。
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迷路の様ですが、それ程迷うことはありません。

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奥には丸い小さな広場があり、このような氷の彫刻の前で多くの方が写真を撮っていました。余程ユングフラウ鉄道は「Top of Europe」の文字が好きなのでしょう。あちらこちらでこの文字を見かけました😀
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駅に向かう通路にこの方の写真が・・私の方はウクライナ侵攻が始まってからよくウクライナの記事を読んだりしていました。この顔写真で直ぐに気がつきました。ウクライナのキーウのビタリ・クリチコ市長です。現キーウ市長ですが元キックボクサー、元プロボクサーという変わった経歴の方で、元WBO世界ヘビー級王者、 元WBC世界ヘビー級王者だったそうです。

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ユングフラウ地方を代表する山としてアイガー、メンヒ、ユングフラウと続くのですが、ユングフラウヨッホはメンヒとユングフラウの間の窪地にできた場所(ユングフラウヨッホ)にあるスフィンクス展望台からはアイガーを望むことは出来ません。これから向かうクライネ・シャイデックからはその三山を見ることのできる絶景ポイントです。次はクライネ・シャイデックを紹介いたします。

2023年8月 2日 (水)

食中毒No1

2023年年8月2日のFMレキオ「いきいきタイム」は夏場に多い食中毒について話をしました。

多くの皆さまの食中毒のイメージは傷んだ食べ物や保管衛生管理が出来ていない食品のバイ菌に因って起こされると考えていると思います。間違いではありませんが、食中毒は口から入って来た有害・有毒物質により、下痢や嘔吐、発熱などをきたす疾患の総称なのです。

ですので食中毒といっても ①細菌性食中毒(微生物が原因で一番多い)②ウイルス性食中毒(冬場のノロウイルスなど)③化学性食中毒(ヒ素、水銀など)④自然毒食中毒(キノコ、フグなど)⑤その他 に分類されます。

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食中毒で90%以上を占めるのは①と②で、飲食店や家庭での料理あるいは弁当などや夏の屋外でのバーベキュウ、冬場の生牡蠣などで感染することがあります。また小児などで感染が広がるウイルスの中でヒトに下痢症を起こすウイルスには、rotavirus(ロタウイルス)、adenovirus(アデノウイルス)、astrovirus(アストロウイルス)、coronavirus(コロナウイルス)などが有名ですが、これらもウイルスが下痢や吐物などが手を介して、経口的に広がる場合は食中毒の範疇に入るかもしれません。

食中毒を考える意味で、経口摂取して症状が出るまでの時間も注意が必要です。では、もし皆さまが食あたり(食中毒)と考えた場合、1番最後に食べた食材から考えていくと思います。先ほど食べた昼の食事の・・・が原因かとか、昨夜の食材が・・などと考えると思います。

多くの場合2日前、3日前に食べた食材を原因とは考えないと思うのです・・如何でしょう(私などは先ほど食べた食材も思い出せませんので、ましてや2日前となると無理です

しかし夏場に1番多く発生するカンピロバクターによる食中毒は原因の食事をとってから2〜3日してから下痢や嘔吐、発熱が出てきます

夏の食中毒の御三家は、食肉を介して感染しやすいカンピロバクター菌魚介類を介することの多い腸炎ビブリオ卵や卵製品介して起こしやすいサルモネラ菌があり、夏場の食中毒の多くを占めます。

食中毒を直接的な原因で分けると、原因物質が毒素を持っている為に起こる毒素型と細菌・ウイルスが体内で増殖することで症状を起こす感染型に分けることが出来ます。

毒素型は最初から毒を持っていますので、症状も早く出ます。感染型は微生物が体内で増殖するにはある程度時間が掛かるため、症状が出るまで時間がかかる訳なのです。

夏の食中毒の御三家のうち、腸炎ビブリオは毒素型で数時間程度で症状が出てきます。感染型のサルモネラは半日程度たってから更にカンピロバクターは時間を有して2〜3日たってから症状が出るのです。

食中毒も色々です。食中毒予防の基本は、1.菌をつけない(清潔・水洗い) 2.菌を増やさない(迅速・冷却・乾燥) 3.菌をやっつける(加熱)です。

日本列島猛暑の夏が続きます、沢山食べて夏を乗り切っていきましょう。

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