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2022年11月 3日 (木)

第7回世界のウチナーンチュ大会に感激

私の住む沖縄県は小さい島ゆえに、世界中に移民として多くの先人たちが移り住んだ歴史があります。最初の移民は明治32年(1899年)に27名がハワイに移住したことが始りのようです。廃藩置県後の混乱や貧しい故に海外への単純労働力として渡ったり、あるいは国の政策として海外を目指して行ったようです。 第二次世界大戦までの間に総数72134名が海外に渡ったとのことです(県の資料より)。移住先はハワイ、北米、中米、南米あるいは東南アジアなどだったようです。広大な土地が与えられる条件で出掛けたらそこはアマゾンのジャングルの中だったこともあったようで、病気や飢えで亡くなったりと劣悪な環境の中での生活が待っていたこともあったようです。貧しくて大変な中でウチナーンチュとして皆が助け合って苦難を乗り越えた歴史がありました。
第二次世界大戦時には沖縄は唯一の地上戦の戦場となり、全てが焼き払われ、県民の4人に1人が犠牲になります。その後米軍による土地の強制的収容で生きる場所も奪われてしまいます(普天間飛行場などもその一部です)。生活する土地を失い、米軍の支配下で希望を失った方々は海外を目指すきっかけになります。 当時の琉球政府(米国の支配下ですが)の移民政策だけでなく、先に移住したウチナーンチュ達が同胞を呼び寄せたことも多く、その数は約18000名になったとのことでした。
現在、北米・南米をはじめ世界には約42万人の県系人がいるとされているそうです。すごい人数です。
終戦後、焦土と化した沖縄に対して、海外の移民先から多量の食料や衣服、生活支援物資が送られて沖縄県民を支えてくてたのです。
実際私の家族もとてもお世話になったことを祖母や両親から聞かされて育ちました。父の叔父や従兄弟達がハワイや、ブラジルなどにいます。父は招集された旧満州で終戦を迎えます。 その後何年か経って沖縄戦で父や兄弟が亡くなった故郷に戻ってきます。何も無くなった郷里で戦後をあゆみ出します。その後母と出会い結婚となるのです。ボロの服しかない時代に、ハワイの従姉妹たちから沢山の物資が届けられたそうです。その中に沖縄では貴重な背広やズボンも入っていたそうです。そのお陰で結婚式はスーツ姿で行うことができたとのことでした。その話は何度も何度も母から聞かされました。 また私の叔母(母の妹)はハワイ2世の叔父と沖縄で出会い結婚してハワイに住んでいました(昨年その叔母も他界しました)。
私にとっても大切な同胞達なのです。しかし私はこれまでこのようなことを考えすに自分が生きるのに必死で周りを振り返ることもしませんでした。足元を見るよりも何年に一回かの休みは海外旅行に費やしていたのです。
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1899年から始まった海外移民などで沖縄にルーツをもつ海外の沖縄県系人が一堂に集う場所を創りたいとのことで1990年に初めて「第1回世界のウチナーンチュ(沖縄人)大会」が催されました。その後5年に1回行われていましたが、昨年はコロナの影響で延期となり、6年ぶりの第7回目となりました。今年はまだコロナの影響が残っているためにオンラインイベンを多くして海外からの参加者も少なくなったようでした。
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今回2022年10月30日(日)に初めて国際通りで行われるパレードを見学をしました。久々に病院にも行かずに準備万端で出掛けました。 国際通りは終戦後、県下でいち早く復興を遂げたこと、通りの長さがほぼ1マイルであることから、別名「奇跡の1マイル」とも呼ばれる沖縄観光の中心地となっています。 その東側よりパレードが出発するようです。私も今か今かと待ちながら待っていました。

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出発の挨拶なども済ませていよいよパレードがスタートです。かりゆしウェアをつけたのが玉城沖縄県知事で、白シャツに左手を出している方がラーム・エマニュエル駐日米国大使となります。

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パレードの先頭で来たのはハワイの代表団です。今回はコロナ禍で縮小したとはいえ、約800人が来沖するとのことです。横断幕の「Aloh」の部分を持っている方はハワイ州のデイビッド・イゲ(日本名:伊芸豊(いげ・ゆたか)知事です。彼も沖縄移民3世です。

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国際通りを歩きながら、フラを踊ったりウクレレなどを弾きながらの行進です。 私も久々に大声を出して「おかえりなさい」とか「アロハ」などで答えました。一人一人を見ながら感激して涙が出そうになります。

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米国本土はそれぞれの州が横断幕を掲げながらそれぞれの独自色を出しての行進をしていました。全米各地にも沢山の沖縄ルーツの人々が居たんだと改めて思う瞬間でした。
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グアムからの参加者も多く居ます。私の知り合いもグアムにいますが、今回は来沖していないようです。
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サッカーファンだけでなくこの色を見るとアルゼンチンだとわかります。今回も多くの方が参加しています。現在アルゼンチンの日系移民の8割は沖縄県系が占めていて、アルゼンチンの社会の発展にも寄与しています。
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インドネシアからの参加者は民族衣装を纏って、ところどころで立ち止まってバリの民族音楽を披露していました。今回の為にきっと練習を重ねてきたのでしょうね。見応えありました。

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インドネシアよりさらに南のオーストラリアからの参加者です。時差はほとんどないと思いますが、季節は逆ですが沖縄だと気温差はあまりないのかも知れません。
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カナダからの参加者です。最初の移民一世の方にとっては寒さは大変だったのかもしれません。おかえりなさいです。
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韓国からの参加者も沢山いらっしゃいました。韓国とは那覇からの直行便も再開されているはずですので、台湾同様に身近な国からの参加となっています。近くても文化などの違いもあり、移住者は苦労されたかも知れません。私などは最近では韓流ドラマのお陰でさらに近い存在となっています😅
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キューバにも約100年前に移民として沖縄から渡り、多くの方が農家として生計を立てていたそうです。その4世が今回ルーツを探しに沖縄の親族と出会ったと大手新聞にも記事が載っていました。
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遠いアフリカのザンビアからも参加がありました。この写真の後ろのカメラマンが囲っている方に「高良初子」さんがいらっしゃいます。彼女のことをテレビ放送で知りましたので貼り付けておきます(→波瀾万丈な人生:高良初子
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シンガポールからの参加者もいらっしゃいました。お帰りなさいです💓
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微笑みの国タイからの参加者ですね。民族衣装も素敵です。
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ビール大国ドイツからの参加者です。ドイツの沖縄県人会は29名ほどいるそうです。ドイツ沖縄県人会の会長の外間さんの記事が載っていました(→ドイツ沖縄県人会
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フィリピンからの参加者です。戦前国策もありフィリピン(ダバオなど)の移住した方も多かったそうですが、終戦を期に帰った来た方が殆どで、その後は軍属や一般人として沖縄で勤務していた男性と結婚して海を渡った方が多かったと聞きました。
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パレード出発の前から盛り上がっているブラジル代表団です。黄色いカナリア軍団はサッカーのブラジル代表でも有名でしょうか。

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ブラジルの参加者が近づくにつれ、ブラジルのカーニバルで聞かれるような軽やかなサンバのリズムが鳴り響いてきました。このリズムがいいです👍 私もつい踊りたくなってしまうリズミカルな音楽です。華やかな衣装をして踊っている女性達もいて本場のカーニバルを見にゆくたくなります。
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欧州のフランスからの参加者です。私は旅行で何度か行ったフランスですのでお世話になりましたと「おかえり、ありがとう」と声をかけました。フランスの記事がありました(→フランスにも三線を
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ニューカレドニアからの参加者もいました。南太平洋の島ですが、森村桂さんの作品のためなんとなくニューカレドニアは日本では「天国に一番近い島」で有名かも知れません。この島には1982年からニッケルの採掘のために多くの日本人6800人(うち沖縄からは900人)が働いたそうです。戦後は日本人は強制送還され、現地人の母親と日本人との混血児は残されたそうです。戦後苦労された中で「沖縄ニューカレドニア友好協会」が設立されて交流ができたと記事に書いてありました。
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ペルーも移民した方々が多い国です。その大会にも多くの方が参加してくれていました。私の写真には載っていないのですが、ところどころで立ち止まって、ペルーダンス(ラティドス)を披露してくれていました。アンデス調の踊りもありました。
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ボリビアも沖縄の移民が多い国で、沖縄よりも昔の沖縄の文化が残っている側面もあります。既にボリビアに移り住んでいた沖縄移民者が中心になって第二次大戦後の荒廃した沖縄からの移民を引き受けるブロジェクトを立ち上げます。連合国軍や琉球政府の後押しもあり戦後多くの沖縄からの移民が出た歴史を持っています。ジャングルの中を開拓して次第に大きな街へと発展させてゆきます。ボリビアではオキナワ移住地(コロニア・オキナワ)が行政区とし認められており、オキナワの名前を持つ国外で唯一の居住区となっています。
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コロニア・オキナワを中心に里帰りした方々でしょうか。立ち止まっては沿道の方も巻き込んで踊りの輪ができていました。その方々からも地球の裏側から来ましたと挨拶があいました。ちょうど日本の裏側の地域ですね。遠くから来てくれてありがとう!
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香港からも可愛らしい参加者が・・コロナ後は那覇空港から直行便がなくなってしまいましたが、早く再開して欲しいです。
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県外の沖縄県人会など多くの方が参加してくれています。ハワイの東西センターの参加もありました。1961年から沖縄が本土に復帰するまでの11年間に留学生、学者、研究者、各分野の職員400名あまりがハワイで学んだ歴史があり、今でも交流が続いています。今度はJICA(国際協力機構)沖縄では海外からの学生が学んでいます。彼らも参加してくれていました。
まだまだ紹介できませんが、私にとっても素晴らしい経験でした。

1人1人が自身や家族の歴史を背負ってここにいるのだと思うと「人間は本当に素晴らしい」と思えるのです。素敵な感動をありがとう💖

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コメント

院長先生
こんばんは。
よくお撮りになられましたね!
世界各国から参加されて感慨も
一入だったと思います。
お迎えされた沖縄の方々も感動された事でしょう!

私の母方の伯父夫婦はブラジルへ〜!
従姉がもう40年以上前でしょうか?
帰国しました!拙宅へも来て頂き、勿論、初対面で
大変な苦労をされたようでした。
伯父夫婦はもう、とっくに亡くなったそうです。
やはり、母の姉は先にカナダへ移住した
義理の伯父夫婦に子供がいないので養子夫婦としてカナダはバンクーバーへ行きレストラン経営も戦争で日本人は奥地へ追いやられ
そこで果樹農園の経営も大変な苦労だったそうです。
戦後、先生宅のように色々な物資が送られて
助かったと母の一番上の姉のいとこ達から聞きました。
現在、バンクーバーや近くに日系二世として
いとこ達が住んでおります。

日本は狭い国土で当時は本当に貧しい国だったのですね?
遠い国々へ行かざる得なかった方々に感謝せずにはいられません。
今回、こうして院長先生の記事とお写真を拝見して
どうにか?穏やかに暮らせる事に感謝致します。
長々とすみません。

omoromachi様、こんばんは。

先日このようなイベントがあることを新聞記事で読みました。素晴らしい企画ですね。私は東京生まれ東京育ちで引退後に長野で過ごしています。 沖縄の苦難な歴史をみているようですし、このご苦労のお陰でこのような世界的なネットワークができていたのですね。

このブログを読みながら何となく先生が辿ってきた思いも伝わる気がしました。先生の中にはお祖母さんや両親の教えが染み付いているのでしょうね。以前ブログで紹介された沖縄の民謡に「てぃんさぐぬ花」の歌詞が受け継がれているのではないかとふと感じました。

私などでは想像が付かなかった沖縄の歴史が凝縮されたイベントだと思います。いよいよ首里城の復興が始まるようですね。私も可能ならもう一度首里城を眺めたいと思います。

お忙しい中ご紹介して頂きありがとうございます。先生もどうぞ無理なさらずにお体に気をつけてお過ごしくださいね。

マコママさん、こんばんは。

この日曜日は病院も行かずにこのイベントを楽しみにして早くから国際通りに出かけて来ました。参加者と言葉を交わしたりハイタッチしたり、お菓子などもいただきました。見ているだけで涙が溢れそうになる感動を覚えました。これまで周りと関わりを持って来ませんでしたが、これからは時間が作れたら少しずつ関わりを持てたらと思います。

マコママさんのブログでカナダからの従兄弟さんやその子供達との交流を記載していましたね。それからブラジルとも縁があったのですね。戦争中は敵国人として辛い思いをした日系人ですが、彼らの苦労があったからこそ戦後の日本人が認められたのでしょうね。

そして戦後多くの日本人が海外の日系人のお陰で苦しい時代を生き抜くことができたことに感謝しないといけないと感じました。

いつも本当にありがとうございます。

信州の隠居おやじさん、こんばんは。

いくつかの大手新聞でも取り上げられていましたね。私も沖縄の新聞社以外にもこのイベントの記事を読みました。本土の方々にも知って貰えてありがたいことです。

沖縄は廃藩置県後に階級制度がなくなったり、貧しい中で大陸を目指さねばならないこともあり、120年以上前から移民として国外に出た方がいました。 

戦争で何もかも無くなった沖縄でしたが、さらに米軍基地を作るために住民の土地を強制摂取したために住む土地さえなくした多くの県民が出たのです。そのために南米などの未開の土地に活路を見出して移住した県民がいたようです。とても苦労されたことをその方々を取り上げた新聞やテレビ番組で知りました。

首里城が戦後復元された時には戦前首里城内にあった師範学校で学んでいた父は本当に喜んでいました。今度は私が首里城の再建された姿を見たいと考えています。信州の隠居オヤジさんも一緒にこの勇姿を見たいですね。

私も高齢者となりましたので、気をつけながら仕事を進めたいと思います。いつもありがとうございます。

こんばんは!
こんなイベントがあったんですね。
「おかえりなさい」か・・・いいなぁ。

私の母は、満州の生まれです。
祖父は満州鉄道で勤務していて、戦後、一家で命がけで引き上げてきたそうです。
母は子供だったのであまり怖い事は憶えておらず、満州の豊かだった生活の話ばかり私に話してくれました。
それで、子供心に私は中国大陸に憧れた訳です。
私が中国語を学ぶキッカケです。

沖縄の戦跡は、随分前ですが一通り回りました。
ひめゆりの壕や海軍壕、摩文仁・・・行くと絶対に泣くことになるので、夜のお酒がちっとも美味しくなかったのが思い出です。
そう言えば、先生の病院も激戦地だったシュガーローフにあるんでしたよね。
あの場所は先生と何かご縁があったのでしょうか?
当時の敵、米国とは安保で軍事同盟、今は中国が砲艦外交とも言える様な態度で向かってきます。
さて、これから先、沖縄は、日本はどうなって行くのでしょうねぇ・・・。

先生 こんばんわ。

ウチナーンチュ大会は恥ずかしながら初めて知りました。
巷ではハロウィンのようなバカ騒ぎ(言い過ぎでしょうか)に巻き込まれ
尊い命を落とされた方がいます。
沖縄の、この大会とは比較にもならないですね。
沖縄のルーツを持つ方々が、世界各地から一斉に里帰りをして
交流を深めるなんて、なんと素晴らしい事でしょう。
県知事さんまでお出ましで、マスクをしていても、嬉しそうな表情が伝わってきます。
このような大会は、末長く伝えて欲しいものです。

先生の記事を読んで感動致しました。

FUJIKAZEさん、こんばんは。

素晴らしいイベントでした。多くの参加者の背景や思いを感じると涙が出そうになりました。

お母さんは旧満州の生まれだったのですね。大変だったでしょうが子供だったせいで良い思い出が残ったのでしょうね。私の父は満州で戦った人間でその後捕虜となってしまいます。そして帰国できた時には父や兄、仲の良かった弟二人も沖縄戦で亡くなってしまいました。もともと寡黙な父でしたが、私たちに戦争のことを話すことはなく他界しました。

私はおばあちゃん子でしたので、どんなことがあっても戦争だけはしてはいけないと何度も教えられて育ちましたし、その後の沖縄の状況を冷静に見て来たつもりでいます。

戦後、誰もが2度と戦争はしないと誓ったと思うのですが、戦争の記憶が薄れると、愚かな政治家は自分たちの利害のために敵を作って国民を煽ります。 戦争を仕掛けるのは簡単ですが平和を維持するのは政治家にとって困難なことになります。 淡々と防衛力をつけながら平和を思考する政治家が出て欲しいものです。

私の病院が立っていたのは沖縄の激戦地のひとつです。もう2度と人が殺し合うことがないことを祈りたいです。

ガルボさん、こんばんは。

ハロウィンには全く興味がありませんが、この世界のウチナーンチュ大会には関心がありました。ただこれまで日曜日も病院でしたので、大会を見たり参加する機会はありませんでした。

地球儀では点にしかならない沖縄から世界中に飛び出した方々が大勢いるのは凄いことですし、大変だっただろうと想像しています。このように国を超えて人々が交流し、困っていることがあればお互いが助け合う。このような庶民が行えることが広がれば平和な世界を維持できるのではないかと期待しています。

これからは、最初に出て行った移民1世の方から2世、3世、4世の時代に変わってきて、沖縄への伝承も難しくなってしまうでしょう。しかし次第に若者達を中心にネットなどでの交流事業が盛んになり、これからの大会の中心となる世界の若者達に期待できると思います。

今後も期待したいですね。ありがとうございました。

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