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2022年11月

2022年11月27日 (日)

フランス・アヌシー観光No1

ジュネーブに到着しホテルに移動、受付を済ませて可能ならその日のうちにフランスの人気のあるアヌシーAnnecyの観光をするつもりでいました。スイス国内に関しては日本にいる時にスイストラベルパスをネットで購入して、殆どの交通機関を利用で来る状況にありました。 しかしアヌシーはスイス国境に近いのですが、そこに行くには鉄道ならフランス国有鉄道を利用しないといけません。 ジュネーブ中央駅構内でそのチケットを何処で買えばよいのか分からずに時間を浪費してしまいました。やっとチケット売り場を見つけた時には時間が押してしまいました(アヌシーからジュネーブの最終便が20時45分発)。チケット売り場の方からも今日で往復するのは無理じゃないと言われて断念。近いようで遠いアヌシーです😅

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日本を出発する前からジュネーブ(スイス)の観光をアシストしてくれる方に昨日のアヌシーは予定時間が取れず行けなかったことを報告したら、翌日アヌシーまで車で送ってくれることになったのです。そのため急遽翌日の夕方からのレマン湖クルーズ(ディナークルーズ)を中止しアヌシーに立ち寄ることが出来ました(超ラッキー💖)

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高速からの風景や料金所など何となく、見覚えのあるような風景だと思いながら楽しんでいました。後で気が付いたのですが、2019年の旅行の時にフランスのトゥールーズからルルドを経由してフランスの西海岸のバイヨンヌに向かった光景と似ていたことでした(→ルルドへの道)。

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車で送った貰ったアヌシー旧市街地への入り口付近です。立派な建物が見えて広場もあったので市庁舎か何かと思いましたが、老舗のホテルのようです。
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広場には沢山のバイクもあり、天気もよかったのでツーリングを楽しんで来たのかも知れません。ヨーロッパでは違う国のナンバーブレーとを見かけることも多いです。
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旧市街に入り、真っ先に向かったのだこの風景です。日本でネットなどで見かけた絵になる風景です。ティファニーカラーの水の色に光輝く青空、そしてこの街の風景です👍 
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ジュネーブの旅行を調べる中で見つけたアヌシーでしたが、決めてはこの眺めでした。晴れていたらきっとネットなどでみた美しい水と空と街のコントラストが綺麗だろうと想像したわけです。大当たりでした🤣 その場所に立ってやはりこの美しさは格別でした。
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ペリエール通りにあるペリエール橋からがこの街で一番有名な写真ポイントだと思います。運河の中洲に浮かぶ堅固な佇まいの建物は「パレ・ド・リル」と呼ばれています。1132年にジュネーブ伯爵の宮殿として建てられ、その後、牢獄や裁判所として使われたそうです。現在は歴史博物館として一般公開されています。
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この写真はその上と同じ橋の上から振り返って湖(山)側に向けた写真となります。水の流れは奥から手前へと流れています。
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この街のジェラードはフランスでも有数の美味しい店が立ち並んでいるとのことです・・・がです・・・後で食べようと考えていたのに街歩きをして時間がなくなりジュネーブに帰路についた時に食べてないことを思い出しました😂 😂😂

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人通りの多い街並みから一歩アヌシー城に向かう坂道に入ると、喧騒から離れた緑に囲まれた場所になりました。いきなり違う場所に来た気分になります。

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入口の方から、内部の状態を見て入城はしませんでした(入場料が必要になります)
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アヌシー城を今度は旧市街の中心部に向けて降りてゆきます。周りには小さなホテルや民宿などがありました。時間があればここで1泊したいものです。
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坂の途中からアヌシーの赤い屋根の街並みが見えてきました。この下に川や走っているのが不思議なくらいです。
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高台にあるお城から降りてくると水の音が聞こえてきました。旧市街にあるレピュブリック橋の下には「ティウーの水門」から勢いよく水が流れています。1874年に建築技師のサディ・カルノによって造られた機械式水門で、これにより川岸の製糸工場の水車へ安定した水量を供給できるようになったとのことです。現在は観光地となっていますが、以前は豊富な水を利用した製糸工業などで発展した都市だったとのことです。
丁度お腹も空いてきましたので、昼食をとり、その後街歩きを続けます。(次回へ続きます)

2022年11月23日 (水)

(Ⅱ型)糖尿病のメカニズムと合併症

日本人の糖尿病患者さんは急激に増加し糖尿病を強く疑われる患者さんは1000万人を越え、この50年間に35倍以上に増加しています。同様に糖尿病を否定できない方も1000万いると考えられています。いまや40歳以上の3〜4人に1人が糖尿病または糖尿病予備軍です。日本人の体質がこんなに急激に変われるわけはないのですから食生活を含めた生活習慣の変化が糖尿病急増の原因なのです。

糖尿病を考える場合には「糖分とインシュリン」は欠かせない物質です。

食事(炭水化物、砂糖)を摂ると消化・吸収され、血液中にブドウ糖として供給され血糖(=血液の中のブドウ糖)になります。血液の中の糖分は全身の細胞のエネルギー源として使われ、筋肉や臓器、脳を働かせる源になるのです。 しかし血液の中を流れるブドウ糖が単独で細胞に入り込むことはできません。細胞の中にエネルギー源として取り込まれるためには、膵臓から分泌されている「インスリン」というホルモンが必須です。インスリンの働きを借りて、血糖は細胞の中に取り込まれます。

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もしも私達が必要以上に食事(カロリー)を取りすぎると血糖を下げるため、インスリンを沢山作り出さないといけなくなります。こんな状態が続くと膵臓も次第に疲れはてて、インスリンを出す能力が低下します。 それだけでなく次第にインスリンに対する細胞の反応が鈍くなるのもですから、糖を上手く取り込むことが出来なくなり、ついには高血糖の状態となるのです。これが糖尿病(Ⅱ型糖尿病)の発症のメカニズムです。

上図を見て戦後日本人が急速に糖尿病が増えた原因が分かるのではないでしょうか?・・・しかし『欧米の方と比べて肥満率がそれ程高くない日本人がなぜ欧米人と同じ頻度で糖尿病になるの?』と疑問に思った方がいらっしゃるかもしれません・・・私も医学部に入る前はそう思っていました。

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そのメカニズムも分かって来ています。白人や黒人と比べて私達黄色人種のインシュリンを作り出す能力が低いことが細胞レベルで分かって来ています。おそらく日本人は粗食に耐えてきた民族で、これまで余り多くのインシュリンを使わずに生活して来ていたのかもしれません😢 食事の環境が急速に変わっても私達の細胞レベルはその変化に追い付いていないのが現実でしょうか。

 

血液中の糖分が高い状態が糖尿病なのですが、血液の中の糖が増えたからっといって通常の値では体に感じる症状は出ません。

無症状だからといって糖尿病を治療せずにいると、高血糖状態は私達の血管(特に微少な血管)を傷め続け「合併症」と呼ばれる様々な病気を起こしてしまいます。糖尿病は別名“合併症の病気と呼ばれるほどです。 

 

糖尿病は極端な話をすると、「血管をボロボロにしてしまう病気」と言えます(糖尿病を専門にしている先生方から大雑把すぎると怒られそうですが・・)

 

高血糖状態はまず微小の血管から障害が発生します。全身の小さな血管がボロボロになると、目の網膜が障害されて視力が低下する「糖尿病性網膜症」(日本人において中途失明の原因の2位)、次に腎臓の働きが低下する「糖尿病性腎症」(人工透析を受けている患者さんの原因の第1位)、それに末梢神経の障害で(手足のしびれ、知覚異常低下、血管閉塞)そのため下肢の潰瘍や切断の原因となります。

糖尿病のため動脈硬化が進み、次第に大きな血管がやられると、心筋梗塞、脳梗塞、閉塞性下肢動脈症など病気が起こって来ます。

健康診断などで血糖値の異常を指摘されていたり、既に糖尿病といわれてる方にとって合併症を如何に防ぐかが最大の目標となります。 図の原因を眺めながら、それにならない生活習慣を付けることが必要ですね。

食欲の秋ですが過食には注意が必要ですね

2022年11月20日 (日)

ジュネーブ市内観光2(宗教改革記念碑〜国際連合欧州本部)

ジュネーブ市内観光の続きです(→ジュネーブ観光1)。 サン・ピエール大聖堂を見学後、市庁舎からジュネーブ大学に接したパスチョン公園にでました。 丁度中央部は長い壁があり、その上は僅かに高台にあるためジュネーブの旧市街が眺めるは絶好の場所かも知れません。 
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この場所にはなんとも長いベンチがあります。こんなに長いのは必要ないなと思っていたのですが、実はこのベンチはギネスに認定されている「世界一長いベンチ」なのだそうで、その長さはなんと、全長126mにあるそうです。もう少し気にかけていたらベンチの1番端の方から角度を変えて写真に収めていたかも知れませんが・・😅

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長ーいベンチから下に降りてゆくと、そこには長ーい壁があります。そこには壁に文字や人物の彫刻が建っています。宗教改革記念碑と呼ばれています。この記念碑そのものは比較的新しいものです。記念碑の建設は1908年に始まるも、第1次世界大戦の影響もあり完成したのは1917年だそうです。ジュネーブを本拠地として活動したカルヴァン生誕400年を記念して作成されたとのことです。予算はスイスやプロテスタント諸国の私的・公的財団からの寄付で建てられたとのことです。 キリスト教徒でない私にとってはジュネーブ旅行の1つのモニュメントでしかありませんが、キリスト教のプロテスタントの人々にとっては重要な場所ともなっているようです。

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中世ヨーロッパにおいてローマ教会の権力集中や腐敗に対して、意義を唱えて抗議(プロテクターリー)し変革を求める宗教改革が16世紀から17世紀に起こります。 昔習ったことのある歴史の本では確かドイツの神学者のマルティン・ルターによる宗教改革が記憶に残っていますが、ジュネーブもその中心的役割を果たしたようです。この宗教改革の嵐の中で、ジュネーブはジュネーブはプロテスタントの地位を確立し、ヨーロッパの他地域に住むプロテスタントが安心して亡命できる場所として、多くのプロテスタントの人々を受け入れて、プロテスタント教徒の1大聖地となっていった歴史があります。
大雑把な豆知識として<イエスとその弟子たちによって広められた「キリスト教」が色々な迫害を乗り越えて313年にローマ帝国の国教となり世界に広がって行きます。しかしその途中でローマ帝国が東西に分裂した煽りで、1054年にキリスト教も東西に分裂します。歴史的に「大シスマ」と呼ばれキリスト教も「東方教会」と「西方教会」に分裂します。東方教会は現在の「正教会」のことで、東ヨーロッパやロシアで多く信仰され、ロシア正教とかギリシャ正教など〇〇正教の名前で呼ばれています。一方西方教会はローマ(バチカン)を本部として西欧諸国で信仰されます。その後に西方教会内で教皇への権威主義や金権体質に対して異を唱える宗教改革が起こり、その一派は抗議を唱えたために「抗議」を意味する「プロテスタント」と呼ばれることになります。これに対してこれまでのローマ教皇を頂点とするキリスト教は「ローマ教会」「ローマ・カトリック教会」とか単に「カトリック教会」と呼ばれています(カトリックとはギリシャ語で「普遍的」とか「世界的」というカトリコスが語源)。西暦500年ごろに 「 キリストが復活した年」を遡って西暦の0年として今の西暦が制定されることになります。現在では、キリスト紀元歴は「主の年」を意味するラテン語、anno domini の省略形である A.D. が使われています)>

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この宗教改革記念碑の中央にはこの教義を広めた中心人物4名が並んで配置されています。左から、ジュネーヴの著名人、ギヨームファレル、最初に宗教改革を説いたジャンカルヴァン、セオドアベザ カルヴァンの後継者ベーズ、スコットランドの牧師ジョンノックの4人の偉人が立ち並んでいます。私は知りませんでしたが、ジュネーブは「プロテスタントのローマ」とも呼ばれているとのことです。


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ジュネーブ大学校内にある宗教改革祈念碑から公園内を通り、旧市街を散策しました。
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奥の大きな建物はジュネーブ大劇場(Grand Théâtre de Genève) となります。 手前に建つ像はスイス初の将軍となった英雄「ギョーム・アンリ・デュフール(Guillaume Henri Dufour)」の騎馬像となります。この辺りがジュネーブ旧市街地の中心かも知れません。周りは色々な大きな建物が並んでします。 


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ヨーロッパ国連本部の移動のバス停に向かうために、街の中を散策しながら写真を撮っていました。このタワーのある場所を中心に周囲は、ブランドに興味ない私でも知っているカルティエ、ディオール、ルイ・ヴィトンなどの店舗が並ぶブランド店街になっています。その場所が何処なのか分からないままでしたが、どうも上の時計があるタワーは英名はモラード・タワー(The Molard Tower)のようです。14世紀に軍事用タワーとして建設されたのが起源。1591年に再建された後、改装などが行われ、最後の改装は1906~1907年に行われたと書いてありました。

この近くのバス停からバスに乗って郊外の欧州国連本部へと向かいました。

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バスを降りると国連本部の前の広場があり、有名な「壊れた椅子(英:Broken Chair) 」がありました。
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『壊れた椅子』は、スイス人芸術家ダニエル・ベルセ(Daniel Berset)による巨大な彫刻で、スイス・ジュネーヴのパレ・デ・ナシオン(旧国際連盟本部、現国連連合ジュネーブ事務所)前の広場に設置されています。このモニュメントは強烈なメッセージがあります。


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巨大な椅子は全部で5.5tの木材を使って作られれ、その高さは12mもあるそうです。4本の脚のうちの1本が折れているが見て取れるとおもいます。これは地雷やクラスター爆弾への反対を象徴しており、ジュネーヴを訪れる政治家にこれらの兵器のことを思い起こさせる役目を果たしている。

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広場から道を挟んだ建物が、欧州国連本部となります。こちらに行ったことがある方はなんか違和感があるのかも知れません。実は建物のポールには世界各国の国旗がずら〜と並んでいたはずです。旅行前にみた写真も国旗が舞っていました。
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世界の4箇所に所在する主要事務所のひとつで、ニューヨークの国連本部に次ぐ大きい事務所である。国際連合欧州本部とか国際連合ジュネーブ事務局とも呼ばれるそうです。

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カラフルな国旗が無いのは寂しい気もしますが、なければないで貴重な一枚かもしれません。国連に来たら近くのアリアナ美術館に寄ってみたかったのですが時間がないために、私は急いでアヌシーAnnecyと向かいました。
次回はジュネーブに来たら是非ともよりたかったフランスの景勝地のアヌシーAnnecyを紹介したいと思います。

2022年11月18日 (金)

今週の生け花(令和4年11月第3週)

11月に入り、雨の多い那覇市ですが、今日は午後からよく晴れた日となりました。その分最高気温が27度となる暑い1日となっています。
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今週も生け花クラブの活動があったようで、いつもの2階の小部屋にも生け花が飾られていました。
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全体的に落ち着いた色調の中で、カーネションの白とグラジオラスの白が華やかさを演じてくれています。
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右上の小さな赤い実をつけているのは「つるうめもどき」です。日本では北海道から九州まで分布するそうですが、沖縄にもあるのでしょうか? 果実は葉が落ちても鮮やかさを失わないために、このように生け花の花材としても使われtいるようです。
左下は「源平葛(ゲンオペイカズラ)となります。ゲンペイカズラは赤色の花と白色の萼が対照的で美しく、この対比を源氏と平氏に見立てたことが名前の由来だそうです。私の家で咲いているのはこの白と赤が対象的なのですが、今回の生け花の白い萼の部分がピンクに近いのですがごれも源平葛なのでしょうか?
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もうコロナのことは考えたくないと言いたいのですが、次第に第8波の波がやって来そうですし、今の社会状況をみると冬場にはコロナウイルス+インフルエンザの両方の流行も危惧されています。面倒くさくても手洗い、マスクはこれまで同様に適切に使用して欲しいと願っています。

<花材:つるうめもどき、グラジオラス、カーネーション、源平葛、千年木>

2022年11月16日 (水)

ジュネーブ市内観光1(公園、花時計とジュネーブ大聖堂)

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ジュネーブ駅前のホテルから早朝にジュネーブ湖に向かって今日の1日の観光が始まりました。少し雲がありましたが、今日も比較的天気は良さそうです。

モンブラン橋(Pont du Mont-Blanc)を渡り、旧市街地の観光に出かけました。昨日到着後、ジュネーブ湖周辺は散策しましたので省略します。

ジュネーブのモンブラン橋(Pont du Mont-Blanc)は1862年に完成した橋だそうです。その後は路面電車を走らせるためなどに再建、拡張されて、丁度ホテルのある新市街地から旧市街側に結んでいて、この橋の上から大噴水も綺麗に見えます。

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ただし写真を撮ろうとしたのですが、沢山の通行人が入ってしまいましたので、旧市街に入った後の写真を載せておきます↑。

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モンブラン橋を渡り、観覧車の向こうに緑豊かな公園が見えてきます。アングレ庭園と呼ばれるそうで、色々と調べたらイギリス公園と書いてある案内書もありこんがらがってしまいましたが、要は同じ公園でした。Jardin Anglais(アングレ庭園)はフランス語で「Jardin=公園、Anglais=英国」とのことで改めてジューネーブはスイスの中でもフランスの影響が強いと感じました。スイスの公用語はドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語だそうですが、ジュネーブ市内での皆さん方の会話は殆どがフランス語のようでした。

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公園の中には噴水や色々な彫刻もあり、ジョギングをしたり散歩をしたりする方の姿をみかけました。
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公園の西側にくると、この公園で1番有名な花時計があります。沢山の観光客が写真を撮っていました。他の方の写真を見ていると皆違いますので、定期的に(?)に花の種類やアレンジも変えているようです。まあこんなもんかと思いましたが・・・それは駄目でしょうね😅 なんたってスイスは時計産業が発達した国ですし、世界の名だたる時計メーカーが沢山ありますので、この花時計はスイスのシンボル的な役割を持っているかも知れません。私自身が有名ブランドに興味がありませんので、昔は1000円程度の時計でしたし、今は実用をかねてアップルの製品を使っています😊 
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花時計の奥に皆が写真を撮っているブロンズ像(Monumennt national)がありました。取りあえず写真は撮ったのですが・・・後で調べたらジュネーブとスイスの統一を代表する二人の女神のブロンズ像です。彫刻家ロバートドレルによる作品で、1814年9月12日にジュネーブがスイス連邦に統合されたことを象徴することを意味しているとのことです。
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イギリス公園から旧市街地のジュネーブ大聖堂を目指しながら散策しました。 上の写真の城壁に赤いペイントがあり、落書きを思っていたらL' Abri – Madeleineというアートセンターのようです。

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なだらかな坂を裁判所(↑)や市庁舎を抜けてゆくと、市庁舎の直ぐ隣に昔の武器庫の後が見ててきました。
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課外授業なのでしょうか 、 子ども達が学校の先生と一緒に作品の説明を聞いていました(フランス語ですので意味は分かりません)。9月上旬ですので学校の新学期が始まり、この様な子ども達の集団をあちらこちらで見かけました。
旧武器庫を過ぎると、ジュネーブで最も有名なジュネーブ大聖堂:サン・ピエール(聖ペテロ)大聖堂(Cathédrale Saint-Pierre de Genève)が見えてきました。
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12~13世紀に建設された大聖堂。300年代に建設された洗礼堂などが起源。災害などの影響で改築や増築が行われたため、ロマネスク様式やゴシック様式が混在しています。ネオ・クラシック様式のメインファサードは18世紀に建設されたものになります。

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サン・ピエール大聖堂が大きすぎて全体像は入りませんでした。ちょうど離れた宿泊ホテルから望遠でこの教会を映していましたので、追加してみます(↑)。写真の右側が教会の入口正面となっています。

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中へ入ってみると、複雑な外観の割に中身は意外とシンプル。典型的なバシリカ式の構造で、身廊とその両側に側廊、祭壇手前には袖廊と中央交差部があって、上空から見ると十字の形をしているのが分かります。縦の長さが64mもある教会なので大きさとしてはまずまずですが、壁面や天井部分も含めて豪華な装飾は殆どなく、あまり豪勢な教会では無いです。


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バラ窓も美しいのですが、そのバラ窓から入る光が教会内部の壁に投影されて外の光具合で変化する様も楽しめました。
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この教会で見逃してほしくないのがもう一つあります。出口の脇には、何やら小部屋への入口があって、自由に入れることができます。この小さなもう一つの礼拝堂のステンドグラスがとても美しいです。ぜひ見逃さずに入って見学して下さいね。パイプオルガンも設置されていて、ここだけで小さな教会のような雰囲気です。


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大聖堂は見どころ満載ですので、中もご覧くださいね。長くなりましたので、次回ジュネーブ旧市街と国連欧州本部を紹介したいと思います。次回も宜しくお願い申し上げます。

2022年11月13日 (日)

世界を夢みて(320);ジュネーブのホテルから思いがけない光景(光り輝くモンブラン):動画編集して

前回のブログで記載したように、夕日が当たることで光輝いたモンブランの美しさを説明しました(→ジュネーブのホテルからの思いがけない風景 )
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色々な色が溶け合う夕暮れはどの場所でも美しいです。人間のDNAには朝・夕の光の変化を美しいと想う感情が組み込まれているのかも知れません。
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宿泊ホテルのバルコニーから200㎜の望遠レンズで撮影した経時的な変化です。夕日が手前のジュネーブ(スイス)側から次第に後方のモンブラン(フランス)へと移動してゆきました。

ジュネーブのホテルから思いがけない光景(光り輝くモンブラン)をタイムラプスでも撮影していましたので、まとめて動画にしてみました。美しい景色を見て頂いた皆様と共有したいと願っています。世界は美しい景色に溢れています✨️

2022年11月11日 (金)

今週の生け花(令和4年11月第2週)+(皆既月食+天王星食)

11月に入って全国的に秋の青空が広がった箇所が多かったと思います。残念ながら私の住む沖縄地方は雨や曇りの多い日が続いています。 コロナウイルス感染に対して、社会活動を重視しているために(これ自体が悪いとは考えませんが)ワクチン接種や感染対策が少し疎かになっている気がして心配となります。 最近のオミクロン株などの状況をみると接触感染よりも飛沫や部屋の換気の状況による感染増加やワクチン接種が進んでいない子供を中心に広がる傾向が如実になっていると考えます。 寒くなるとどうしても屋内の換気が不十分となってしまいますので、寒い北国から順に感染者が増えるのではないかと予想しています。 まだまだコロナの感染は続いて行きますので、侮らずに対応を続けて欲しいと願います。

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今週も生け花クラブの活動があったようで、いつもの2階の小さなスペースにも生け花が飾られていました。真っ赤なアンスリウムが存在感を出していますが、その横のガーベラの白からピンクへと変わる色彩が実に可愛らしく萌えています😊
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丸い茶色の花器の上にシンプルながらも上品に花々を配置しています。雲竜柳が脇役として花々を際立たしてくれています。
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いつもながらそれぞれが個性のある花材達です。単独でも美しく輝いていますね💖
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秋の爽やかな空気感を運んでくれた今週の生け花です。
<花材:雲竜柳、アンスリウム、ガーベラ、千年木、グラジオラス>
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今週の火曜日には何やら何百年に1度の天体ショーなどとマスコミでも取り上げられたために、私もいつもより1時間早く帰宅して夜空を撮影しました。沖縄県は残念ながら雲の多い空でしたが、それでも雲の間で月を観察することが出来ました。 見上げると肉眼でもいつもの月よりも赤みがかっていることが分かりました。 私達はその仕組みも理解しているから怖くないのでしょうが、昔の人々にとってこの「赤い月」を見た時には恐ろしく感じたのではないでしょうか? この現象をみて「これは良い兆候」などと考えた御先祖様は居なかったと思います。 地球の滅亡かと右往左往したのかも知れませんね それと比べたら私達は皆既月食を観て楽しげにはしゃいでいます。 理解出来ると恐怖から楽しみへと変わるのですね。 物事を理解出来ると恐怖や敵対心がなくなります。人間に対しても自然現象にしても当てはまることかも知れません。
先週から442年ぶりの「皆既月食+天王星食」として大々的に報道されていました。前回は織田信長の時代でその時の武将も観ていたかも知れないと書いてある記事もありましたが、いくら目の良い方でも惑星食は観えなかったと思うのですが・・・・と言うのは、昨日火曜日に撮影した写真を拡大して見たら、もしかして「天王星」と思う小さな点がありました。撮影している時もまったく気が付きませんでした。パソコンに移して拡大し、時間を追ってみるとその点も移動していました。素人ですのでこれが天王星の星影か分かりませんが、記載したいと思います(間違っていたら御免なさいです🙇)。

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国立天文台によりますと、次の機会は322年後の2344年の土星食と予想されるということです。それでは皆さんも頑張って次回を楽しみましょうか(無理か😅)

2022年11月 9日 (水)

改めてメタボリック症候群を考える

今日のFMレキオ・FM21は中性脂肪についてお話をしました。最初にこのブログで記載したのは10年以上前だったと思いますが、その当時はやたらと「メタボリックシンドローム」という言葉が流行り、検診やドックではそのことを中心に生活習慣病について話をすすめることが多くあった記憶があります。

私は外科医ですので手術をして実感するのは男女における脂肪の付き方の違いです。女性は皮下脂肪が多くても内臓脂肪が少なく手術は容易で、男性は内臓脂肪が多く手術は脂の中で腫瘍や血管などを処理しないといけませんので難しくなります。 内臓脂肪の多さは血液中の中性脂肪や悪玉のコレステロール値と関連があり、女性が男性より長生きできるのもうなずけます。

中性脂肪はかつては栄養を蓄える役目だけと考えられていましたが、増加した脂肪細胞からインシュリンの働きを弱める物質が分泌され、糖尿病が発生しやすくなり、動脈硬化を進める作用のある悪玉のコレステロールの値を増やす物質が分泌されます。 中性脂肪が増えると糖代謝が悪化し、コレステロールが増え、内臓脂肪も増え、さらには血圧も高くなる悪循環が出来てしまします。(以前書いた記事です→脂肪細胞の特徴

Photo30・40年前は高血圧、高脂血症(高中性脂肪、高コレステロール)、糖尿病はそれぞれが違う原因と考えられそれぞれに治療を行っていたのですが、それらの根本的な原因に肥満があることが解るようになって、メタボリック症候群という概念が生まれたのです。

メタボリック症候群の指標に腹囲がありますが、男性が85Cm以上、女性の場合は90Cm以上を異常とします。男性が身長も高いのに逆差別じゃないかと怒る男性諸君もいます動脈硬化を進行させる内臓脂肪に関してはCTの検査などから、腹囲で比較すると男性の85Cmと女性の90Cmが同じ内臓脂肪の量であることが分かり、日本ではこの値を基準として採用されたのです(最近はその単純な基準よりも実際の採血の結果を見てから個人個人にアドバイスをすることが殆どになったと考えますが・・・

外科医にとってはこれまでの手術の経験から男女差については理解していましたので、改めてメタボリックの概念が提唱された時には納得のいく数字でした。
 
世の男性の皆様やはり女性には勝てません。無駄な抵抗はやめましょう

2022年11月 6日 (日)

世界を夢みて(319);ジュネーブのホテルから思いがけない光景(光り輝くモンブラン)

今回の旅行では、コロナの感染を少しでも予防するために、スーパーで食材を買ってきてホテルの自室で食べることを決めていました。そのためホテルから眺望のよい場所を選らびました。更に可能なら小さなテラスやバルゴニーがあるならベストだと考えていました。 いろいろな予約サイトを見ながら、宿泊地の場所や評価、室内から見える景色もGoogleマップなども使って念入りに検討しました。また個人旅行ですので、スーツケースを持っての移動がスムーズに行えるかも重要なポイントとなります。

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今回の旅行は感染リスクを少しでも減らすために自室で食べることにしました。旅行に行って地元のレストランなどで摂らないのは勿体無いのですが、遊びに行ってコロナにかかって帰国したら職員に申し訳ないのでやむを得ずです。

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スイス1日目・2日目のホテルはジュネーブ空港からジュネーブ駅に移動しますので、駅から歩いて近くの場所で、なおかつジュネーブのランドマークである大噴水が見える場所を確保しました。このホテルに入りると小さなバルコニーがあり、そこから上のような景色が見えました。予想通りで大満足です👍 もちろんレマン湖や大噴水が目の前に見える、何倍も料金が高いホテルはありますが、いろいろな条件でここが最適だと判断したのです。

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買ってきた食事をバルコーのテーブルに並べながら夕暮れ時の移り変わる景色を感動しながら見ていました。時間と共に夕日が近い場所から次第に奥の山の方へと照らしてゆきます。すると先ほどまであまり気にしていない奥の山の方に光が当たり出して輝いて見えてきたのです。「あれ!向こうの光っている山はなに?」と考えながら、慌てて望遠機能のあるカメラに切り替えて写真を撮ってみました。想いもかけず感激するような景色が現れてきました。
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バルコニーから手前の山の稜線の奥の山が光って、先程まで気にしていなかった更に奥の山が光出しました(最初は雲に隠れていたようです)。

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夕陽はさらに奥の高い山に当たり、雪で覆われている山を際立たせる結果になりました。その変化は鳥肌が立つほどの美しい景色となりました。
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この光り輝く山はスイスのジュネーブからほど近いフランスのシャモニーにあるモンブランです。「ジュネーブからも晴れた日にはモンブランが見えることがある」というのは事前の調べて知ってはいたのですが、余りに神々しく光輝く山にびっくりしました。
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光り輝く山モンブランはヨーロッパ最高峰の4807mで、ジュネーブからの距離はおおよそ80Kmとなります。モンブランはフランスとイタリアの国境にありますので、この写真ではジェットのあるスイス、モングランのあるフランスが見え、その奥はイタリアとなっています。

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バルコニーで買ってきたパンやハムや野菜類などをこの景色を眺めながら至福の瞬間を味わいました💌   月明かりとジェットのライトアップが幻想的で、1日前までは沖縄にいた自分が不思議な気になりました😊
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(追記)スイスには2大スーパーマーケットの「コープ(Coop)」と「ミグロ(MIGROS)」があり、世界一物価が高いスイスでは観光客にとっては財布に優しい存在となります。ありがたいことに何処の(主要な?)駅の近くにもこの二つがありました。この旅行では毎日おせわになりました😅 

2022年11月 4日 (金)

今週の生け花(令和4年11月第1週)

10月後半からスッキリしない天気が続いている那覇市内でしたが昨日、今日は晴れ間がでて沖縄らしい天気となっています。昨日まで第7回の世界のウチナーンチュ大会が開催され世界中から沖縄にルーツを持つ方々が集まってくれています。地球の裏側からも沢山の参加者が来県してくれました。移動だけでも大変だったと思いますが、1人1人に感謝したいと思います。

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今週も生け花クラブがあったようで、いつもの2階の小さなスペースにも生け花が飾られていました。私の頭の中にはまだ世界のウチナーンチュ大会のパレードの余韻が残っているせいか、生け花が大海を進んで行った船のように思えてしまいました。それぞれが違う目的地、違う理由で乗り込んだ船ですが、互いに助け合わない進むことが出来なかったように映ってしまいました。
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色鮮やかな唐辛子が可愛らしいです。観賞用唐辛子と呼ばれていますので、食べることは出来ないか不味いのでしょうね😊。 リンドウも鮮やかな紫で太陽に輝いているようです。 きっと夏までは可愛らしい小さな黄色の花を付けていたヒペリカムも赤い小さな実となっています。もう11月ですものね・・・季節の移り変わりは早いです。
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<花材:唐辛子、ストレリチア、ヘリコニア、りんどう、ヒペリカム>

2022年11月 3日 (木)

第7回世界のウチナーンチュ大会に感激

私の住む沖縄県は小さい島ゆえに、世界中に移民として多くの先人たちが移り住んだ歴史があります。最初の移民は明治32年(1899年)に27名がハワイに移住したことが始りのようです。廃藩置県後の混乱や貧しい故に海外への単純労働力として渡ったり、あるいは国の政策として海外を目指して行ったようです。 第二次世界大戦までの間に総数72134名が海外に渡ったとのことです(県の資料より)。移住先はハワイ、北米、中米、南米あるいは東南アジアなどだったようです。広大な土地が与えられる条件で出掛けたらそこはアマゾンのジャングルの中だったこともあったようで、病気や飢えで亡くなったりと劣悪な環境の中での生活が待っていたこともあったようです。貧しくて大変な中でウチナーンチュとして皆が助け合って苦難を乗り越えた歴史がありました。
第二次世界大戦時には沖縄は唯一の地上戦の戦場となり、全てが焼き払われ、県民の4人に1人が犠牲になります。その後米軍による土地の強制的収容で生きる場所も奪われてしまいます(普天間飛行場などもその一部です)。生活する土地を失い、米軍の支配下で希望を失った方々は海外を目指すきっかけになります。 当時の琉球政府(米国の支配下ですが)の移民政策だけでなく、先に移住したウチナーンチュ達が同胞を呼び寄せたことも多く、その数は約18000名になったとのことでした。
現在、北米・南米をはじめ世界には約42万人の県系人がいるとされているそうです。すごい人数です。
終戦後、焦土と化した沖縄に対して、海外の移民先から多量の食料や衣服、生活支援物資が送られて沖縄県民を支えてくてたのです。
実際私の家族もとてもお世話になったことを祖母や両親から聞かされて育ちました。父の叔父や従兄弟達がハワイや、ブラジルなどにいます。父は招集された旧満州で終戦を迎えます。 その後何年か経って沖縄戦で父や兄弟が亡くなった故郷に戻ってきます。何も無くなった郷里で戦後をあゆみ出します。その後母と出会い結婚となるのです。ボロの服しかない時代に、ハワイの従姉妹たちから沢山の物資が届けられたそうです。その中に沖縄では貴重な背広やズボンも入っていたそうです。そのお陰で結婚式はスーツ姿で行うことができたとのことでした。その話は何度も何度も母から聞かされました。 また私の叔母(母の妹)はハワイ2世の叔父と沖縄で出会い結婚してハワイに住んでいました(昨年その叔母も他界しました)。
私にとっても大切な同胞達なのです。しかし私はこれまでこのようなことを考えすに自分が生きるのに必死で周りを振り返ることもしませんでした。足元を見るよりも何年に一回かの休みは海外旅行に費やしていたのです。
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1899年から始まった海外移民などで沖縄にルーツをもつ海外の沖縄県系人が一堂に集う場所を創りたいとのことで1990年に初めて「第1回世界のウチナーンチュ(沖縄人)大会」が催されました。その後5年に1回行われていましたが、昨年はコロナの影響で延期となり、6年ぶりの第7回目となりました。今年はまだコロナの影響が残っているためにオンラインイベンを多くして海外からの参加者も少なくなったようでした。
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今回2022年10月30日(日)に初めて国際通りで行われるパレードを見学をしました。久々に病院にも行かずに準備万端で出掛けました。 国際通りは終戦後、県下でいち早く復興を遂げたこと、通りの長さがほぼ1マイルであることから、別名「奇跡の1マイル」とも呼ばれる沖縄観光の中心地となっています。 その東側よりパレードが出発するようです。私も今か今かと待ちながら待っていました。

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出発の挨拶なども済ませていよいよパレードがスタートです。かりゆしウェアをつけたのが玉城沖縄県知事で、白シャツに左手を出している方がラーム・エマニュエル駐日米国大使となります。

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パレードの先頭で来たのはハワイの代表団です。今回はコロナ禍で縮小したとはいえ、約800人が来沖するとのことです。横断幕の「Aloh」の部分を持っている方はハワイ州のデイビッド・イゲ(日本名:伊芸豊(いげ・ゆたか)知事です。彼も沖縄移民3世です。

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国際通りを歩きながら、フラを踊ったりウクレレなどを弾きながらの行進です。 私も久々に大声を出して「おかえりなさい」とか「アロハ」などで答えました。一人一人を見ながら感激して涙が出そうになります。

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米国本土はそれぞれの州が横断幕を掲げながらそれぞれの独自色を出しての行進をしていました。全米各地にも沢山の沖縄ルーツの人々が居たんだと改めて思う瞬間でした。
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グアムからの参加者も多く居ます。私の知り合いもグアムにいますが、今回は来沖していないようです。
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サッカーファンだけでなくこの色を見るとアルゼンチンだとわかります。今回も多くの方が参加しています。現在アルゼンチンの日系移民の8割は沖縄県系が占めていて、アルゼンチンの社会の発展にも寄与しています。
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インドネシアからの参加者は民族衣装を纏って、ところどころで立ち止まってバリの民族音楽を披露していました。今回の為にきっと練習を重ねてきたのでしょうね。見応えありました。

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インドネシアよりさらに南のオーストラリアからの参加者です。時差はほとんどないと思いますが、季節は逆ですが沖縄だと気温差はあまりないのかも知れません。
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カナダからの参加者です。最初の移民一世の方にとっては寒さは大変だったのかもしれません。おかえりなさいです。
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韓国からの参加者も沢山いらっしゃいました。韓国とは那覇からの直行便も再開されているはずですので、台湾同様に身近な国からの参加となっています。近くても文化などの違いもあり、移住者は苦労されたかも知れません。私などは最近では韓流ドラマのお陰でさらに近い存在となっています😅
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キューバにも約100年前に移民として沖縄から渡り、多くの方が農家として生計を立てていたそうです。その4世が今回ルーツを探しに沖縄の親族と出会ったと大手新聞にも記事が載っていました。
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遠いアフリカのザンビアからも参加がありました。この写真の後ろのカメラマンが囲っている方に「高良初子」さんがいらっしゃいます。彼女のことをテレビ放送で知りましたので貼り付けておきます(→波瀾万丈な人生:高良初子
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シンガポールからの参加者もいらっしゃいました。お帰りなさいです💓
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微笑みの国タイからの参加者ですね。民族衣装も素敵です。
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ビール大国ドイツからの参加者です。ドイツの沖縄県人会は29名ほどいるそうです。ドイツ沖縄県人会の会長の外間さんの記事が載っていました(→ドイツ沖縄県人会
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フィリピンからの参加者です。戦前国策もありフィリピン(ダバオなど)の移住した方も多かったそうですが、終戦を期に帰った来た方が殆どで、その後は軍属や一般人として沖縄で勤務していた男性と結婚して海を渡った方が多かったと聞きました。
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パレード出発の前から盛り上がっているブラジル代表団です。黄色いカナリア軍団はサッカーのブラジル代表でも有名でしょうか。

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ブラジルの参加者が近づくにつれ、ブラジルのカーニバルで聞かれるような軽やかなサンバのリズムが鳴り響いてきました。このリズムがいいです👍 私もつい踊りたくなってしまうリズミカルな音楽です。華やかな衣装をして踊っている女性達もいて本場のカーニバルを見にゆくたくなります。
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欧州のフランスからの参加者です。私は旅行で何度か行ったフランスですのでお世話になりましたと「おかえり、ありがとう」と声をかけました。フランスの記事がありました(→フランスにも三線を
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ニューカレドニアからの参加者もいました。南太平洋の島ですが、森村桂さんの作品のためなんとなくニューカレドニアは日本では「天国に一番近い島」で有名かも知れません。この島には1982年からニッケルの採掘のために多くの日本人6800人(うち沖縄からは900人)が働いたそうです。戦後は日本人は強制送還され、現地人の母親と日本人との混血児は残されたそうです。戦後苦労された中で「沖縄ニューカレドニア友好協会」が設立されて交流ができたと記事に書いてありました。
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ペルーも移民した方々が多い国です。その大会にも多くの方が参加してくれていました。私の写真には載っていないのですが、ところどころで立ち止まって、ペルーダンス(ラティドス)を披露してくれていました。アンデス調の踊りもありました。
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ボリビアも沖縄の移民が多い国で、沖縄よりも昔の沖縄の文化が残っている側面もあります。既にボリビアに移り住んでいた沖縄移民者が中心になって第二次大戦後の荒廃した沖縄からの移民を引き受けるブロジェクトを立ち上げます。連合国軍や琉球政府の後押しもあり戦後多くの沖縄からの移民が出た歴史を持っています。ジャングルの中を開拓して次第に大きな街へと発展させてゆきます。ボリビアではオキナワ移住地(コロニア・オキナワ)が行政区とし認められており、オキナワの名前を持つ国外で唯一の居住区となっています。
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コロニア・オキナワを中心に里帰りした方々でしょうか。立ち止まっては沿道の方も巻き込んで踊りの輪ができていました。その方々からも地球の裏側から来ましたと挨拶があいました。ちょうど日本の裏側の地域ですね。遠くから来てくれてありがとう!
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香港からも可愛らしい参加者が・・コロナ後は那覇空港から直行便がなくなってしまいましたが、早く再開して欲しいです。
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県外の沖縄県人会など多くの方が参加してくれています。ハワイの東西センターの参加もありました。1961年から沖縄が本土に復帰するまでの11年間に留学生、学者、研究者、各分野の職員400名あまりがハワイで学んだ歴史があり、今でも交流が続いています。今度はJICA(国際協力機構)沖縄では海外からの学生が学んでいます。彼らも参加してくれていました。
まだまだ紹介できませんが、私にとっても素晴らしい経験でした。

1人1人が自身や家族の歴史を背負ってここにいるのだと思うと「人間は本当に素晴らしい」と思えるのです。素敵な感動をありがとう💖

2022年11月 2日 (水)

突き指の対処法と槌指

2022年11月2日のFM放送いきいきタイムは「手指のトラブル」について話をしました。

指の病気といっても、けがなどの外傷やタイピングなど指の使い過ぎによる腱鞘炎、リウマチなどの膠原病に伴う指の変形や痛みなど様々です。

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どなたも経験はしたことのある外傷に「突き指」があります。

運動や、何気ない日常で、何かに指をぶつけた時に「いて〜、突き指した〜」と騒いだ経験をお持ちだと思います。

手や足の指の関節等が何らかの原因で損傷を負う「けが全般」のことを突き指といっていますが、中には骨折だったり靱帯の断裂だったりと重症もあり、それと診断された時点で、○○骨折、○○靱帯損傷・・と言う病名に置き換わってしまいます。

突き指をすることによって引き起こされる症状は、打った瞬間の痛みがあります。その後、患部が皮下充血・内出血して腫れる事もあります。その場合はしばらく痛みが続きます。 

多くの場合は捻挫(ねんざ)の状態になっているのですが、それより強い損傷では(剥離)骨折や脱臼、靭帯や腱の損傷といった場合があります。 痛みや腫れのひどい場合は、単なる突き指と侮らず、病院で的確な、診断・治療を行うことが重要となります。このまま放置していると、指が変形する事もあります。

今回覚えてほしいのは「突き指でやってはいけないことと応急処置」です。

①やってはいけないことは、「指を引っ張ったり」「痛いのに一生懸命動かしたり」しないことです。よく、部活の先輩や、親などから「突き指」したら引っ張られたりしたことないですかね。私はあります。昔は正しいと思っていました。

突き指の応急処置は「冷やす」と「固定する」ことです。この2点は覚えて下さいね。

突き指の患部を冷やす事によって、血管が復旧・正常化する作用があり、また、神経感覚を鈍化させる作用がありますので、痛みや腫れ上がったりした症状を緩和する効果があります。  

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突き指は外因による急性の炎症ですので、野球のピッチャーが投球後に肩をアイシングしたのを見たことがあると思いますが、その要領で治療します。

手軽なアイシングとしては、ビニール袋に氷を入れて患部を冷やす方法があります。冷たすぎる場合には、タオルなどの上からアイシングをします。

痛みが強い場合や、腫れが強い場合は、我慢せずに、テーピングや、割り箸でも良いですので、動かさないように固定して、病院に行った方が良いでしょう。

通常は次第に痛みもひいて来ますが、痛みがひどい場合などは靭帯の断裂や骨折を伴うこともあり注意が必要です。

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関節リウマチなどはなくて、外傷後にこのような指の変形を見たことがありますか? これはマレット変形(マレットフィンガー:槌指(ついし、つちゆび))と呼ばれています。

上記したように、単なる突き指と思っていたのが、実際は腱の断裂や指先の骨折を伴う場合もあります。昔は病院に行く機会も少なくて指先の第1関節が曲がって変形した方を見かけることがありましたが、最近はだいぶ少ないのではないかと思います。 突き指した後で思うように指先が動かないとか変形している場合には最寄りの整形外科に受診して槌指になっていないかを判断して貰った方がいいと考えます。私の専門は整形外科ではありませんので、簡単に病態を書いてみました。

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突き指ならしばらくしたら元に戻ると思います。腱の断裂の場合でも固定など保存的に済むことが多いようですが、骨折を伴う場合には手術が必要になる場合もあります。担当の先生と相談して決めて下さい。

私などは偶に自室で、机の角に足指をぶつけた場合は怒りの矛先が見つからず思わず机を蹴りたくなってしまいますが・・・ここは大人として辛抱です(笑)。皆様方もきっと経験があるのではないでしょうか😃😅

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