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今日のFM放送は国民の1番多く訴える症状の「腰痛症」について話をしました。専門外の腰痛ですが、国民に感心も高いと考えて、放送のテーマとしてもこれまで何度か喋ってきました。このブログにも腰痛症に関して10編ほど書いたと思います。今回新たなネタはありませんので、以前のブログの中から一部をリンクしたいと思います(今回は色々なことがあり書く時間が取れませんでしたので、ご容赦下さい)。
①→慢性腰痛症の85%は原因がつかめず ②→腰痛症と神経ブロック ③→魔女の一撃(ギックリ腰)
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今回3年ぶりに海外に出かけて来ました。第2次世界大戦という悲劇の中から、人類は少しでも愚かな争いを防ぐために、多様性や様々な違いをお互いに認め合って安定した社会を築こうとして努力してきたと思います。私が海外旅行に初めて出かけたのは20代の頃でかれこれ40年近く前になります。当時は日本も世界も次第に活気に溢れ、希望に満ちた世界だった気がしました。そして世界は今よりよりよくなると確信していた時代でもありました。 しかし世界は協調よりも分断の時代に進もうとしています。
政治が混迷して、何が焦点で何を優先的に行なおうとしているのかまったく先が読めない状況となっています。
先日までは違うことを言っていたのに、今日はあたかもそれが正論だったように話を上手くごまかしているように見えてしまう(反省も自己矛盾も語らないまま・・)。 勇ましい言葉を並べると、いかにも力強いリーダーなのだと思わせる。
どんなにカッコ良いことを言っていても、行動が伴っていなければ、その人の中身・品位はいずれ見抜かれてしまいます。
人間の感性は本質を見極めようとするのです。
ただ、その感性が一時的に麻痺し、短絡的な言葉に熱狂してしまうと残るのは対決しかなくなり、人間の残忍さだけが前面に表れて人々や社会を追い詰めてしまうかも知れません。
ロダンの「考える人」を見る時、筋骨隆々とした若者が棍棒を持つのではなく、体を捻って、悩み・考え抜いて、もがいているように感じてしまいます。
30歳の頃にパリのロダン美術館でこの像を見た時は、脚の先まで緊張してこわばった姿勢、どの視点からも、一点の気のゆるみもない姿だったことが印象に残っています。体を捻り、右の肘をあえて左の大腿部の置く、この窮屈な姿が悩みを語っているのかも知れません。
考えるって大変な作業だなと・・・(なんと単純な私の考え😅)。 嫌なことがあったとしても、そこから(歴史から)学ばなければまた同じ過ちを犯してしまうのだろうかと考えた9月でした。
まあこの姿勢(ロダンの考える人)で考えると腰痛になりそうで、皆様方は楽な姿勢で考えて下さいね。
前回のマテーラ観光No1の続きです(→世界を夢みて(311)マテーラ観光)
台風の影響も気になりますが、シルバーウィークの終盤でお休みの方も多かったのかも知れません。沖縄県では長く続いた第7波も少し下がりだしています。オミクロン株にも対応する2価ワクチンの接種も開始となるようです。何度も書いているようにウイルスは自分では移動しません。人の移動とともに感染を広げてしまいます。 重症者が少ないからといってもやはり通常のインフルエンザの2〜3倍死亡率が高いですし、予防薬や治療薬も簡単には手に入りません。 ですから社会経済を再開する中でも気をつけながら感染の予防に努めて欲しいと願っています。
今週は生け花クラブの活動があったようで、いつもの2階の場所にも生け花が飾られていました。
アルベルベッロの可愛らしい街並みと違い、マテーラは、廃墟のような佇まいの一風変わった観光地があります。旧市街地に広がる「サッシ」と呼ばれる住居群がそれで、石灰岩をくり抜いて形成されたことから洞窟住居という別名も。その名前の通り、少し奇妙な雰囲気を感じる街です。
マテーラは1993年に世界遺産に登録されましたが、それまではかなり放置された廃墟の街並みだったようです。初めて出かけた1996年の頃はあまり整地がされてない箇所も多かったのですが、2014年の時にはだいぶこぎれいな街に変貌していました。旧市街地区は、石灰質の岩肌に作られた「サッシ」と呼ばれる洞窟住居があることで有名となっていて「マテーラの洞窟住居」は1993年にユネスコの世界遺産に登録されていますし、2019年の欧州文化首都に選ばれたとのことですので、ここ何年かで街も整理され住みやすい環境に変わったのかも知れません。
廃墟となったマテーラのサッシですが、その後は次第にこの風景が文化遺産として見直され、街を保存・再生させる動きが生まれています。1993年には「マテーラの洞窟住居と岩窟教会公園」として、南イタリアで初めて世界遺産に認定されます。私が最初に出かけた時には丁度そのような背景があったのかも知れません。しかしながら次第に拡張した街は衛生環境の悪化から富裕層は街を離れて、最貧民の街として没落してしまうようです。20世紀に入ると更に衛生環境は悪化の一途を辿り、とうとう行政も強硬手段に出てしまいます。なんとイタリア政府は1950年代には住民を強制移住させ、街は住む人のいない廃墟となってしまいます。これが逆に今の観光地になった要素にもなっていて皮肉な結果となり注目を集めるようになりました。
午後からのアルベルベーロの散策後、宿泊ホテルにもどりまずは食事へと向かいました。今回の宿泊ホテルは「hotel astoria alberobello」でした。小さな4ッ星ホテルで、朝食込みで2人で8000円程度だったと思います。アルベロベッロは小さい町ですのでどこに宿泊しても徒歩で殆どの場所には行くことができます。アルベルベーロまで来たら可愛らしいトゥルッリのある旧市街地の宿泊施設がいいと思ったのですが・・・私の方は前回泊まったので今回は比較的安くて快適なこのホテルにしました。
2022年の7月、8月と新型コロナウイルス感染症の増加により一部医療崩壊となった沖縄県です。8月の終盤からは患者数が僅かに減少するも医療現場は態勢を立て直すのに苦労している状況が続いています。 何度か書いた様に暑い夏は熱中症や食中毒さらには夏場に流行るウイルス感染症も増える時期に、新型コロナウイルス感染症が予想以上に激増すると医療現場は混乱します。 早く通常の医療や救急医療が出来る範囲でCOVID-19の感染が抑えて欲しいと願っています。
台風11号が今度は向きを変えて北北西に向かって来そうです。先島地方はかなり影響を受けそうです。被害が少なければいいのですが・・・
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