世界を夢みて(300):ナポリ旅行No2

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昨日は沖縄県は慰霊の日で県の施設や学校や保育園などがお休みだったと思います。そのために職員の中には子供の付き添いでお休みをした方もいました。昔大学病院に勤めて居た時には周りは休みですが、大学病院は国立ですので慰霊の日も公休日にはならずビックリしたことがありました。
沖縄地方は梅雨も明けて、青い空が見えています。ただ急激に温度も上昇しますので熱中症に注意の時期に入ります。沖縄だけでなく本土にお住まいの方も暑さにまだ身体が慣れていませんので、この時期は熱中症対策が必要となりますので注意してお過ごし下さい。
77年前の沖縄戦はウクライナのマリウポリよりももっと悲惨な戦争が3ヶ月続きました。逃げ場のない戦場で今の中学、高校生の年頃の私の叔父さん達は通信兵として砲弾の中で死亡しました。これから希望に満ちた子ども達がいきなり、鉄血勤皇隊・通信兵として壕から壕へと兵隊の通信や食料や銃弾を運ぶ役割として、最も過酷な砲弾が飛び交う地上を走らされ死んで行きました。(→沖縄慰霊の日)
どれ程怖かったことか、どれ程無念だったと想像するだけで私は平和を享受し自由に長生きしていることに感謝と共に申し訳なく思うのです。ウクライナの戦争を見るにつけ、沖縄戦がどれ程過酷だったのかと想像出来ます。ウクライナでは少なくても住民は地下シェルターなどで非難することが出来ました(もちろん十分ではありませんが)。時間的余裕があれば国内を移動出来る可能性も残されています。
しかし沖縄戦は3ヶ月の間、日本軍と米軍の戦闘の中で住民は置き去りにされます。米軍も無差別攻撃をしますし身を潜めていた自然壕(ガマ)も日本兵がやってくると追い出されてしまいます。当時の日本兵は住民を守るような教育を受けていなかったと思います。
ロシアの軍事侵攻と同じことがアジアでも起こると訴える政治家が増加しました。外交よりも軍事増強を叫ぶ方が勢いを増しています。外交努力は相手もあることで、これを続けるのは地味で困難なことも事実です。目立ちはしませんが本来は衝突をどう回避するかが政治家の役割です。
軍事増強はとても簡単です。危機を煽って税金を使えばいいだけです。島嶼防衛として沖縄の島々にミサイルなどが配備されました。しかし島にいる以上戦争になれば何処にも住民は逃げられません。今の日本の自衛隊(何処の国も軍隊もそうでしょうが)では戦争をしながら住民を守ることは無理なことです。日本の島嶼防衛ではまずはミサイル配置が優先で住民の保護は整備されていないのです。
77年前の沖縄戦のことを想像すると戦争は本当に怖いことだと思うのです。戦争ほど無意味でばかげたものはないのです。今日の慰霊の日はもう1度平和の大切さを考える1日にしたいです。
今日の「いきいきタイム」は大腸癌について話をしました。 日本で胃癌は減少傾向にありますが、大腸癌は食事の欧米化と共に戦後一貫して増加を辿っています(以前のブログに記載しています→ 増え続ける大腸癌)
今日は折角ですので大腸癌だけに絞らず胃と大腸のポリープについて書いてみました。
バリウム検査や内視鏡検査でポリープを発見することはよくあります。 ポリープを指摘された場合「いよいよ駄目か」とびっくりする方や「な〜んだポリープ」かと平気な方まで反応が様々です。
では「ポリープ」とはどのようなものでしょう?消化管や口や鼻あるいは女性の膣や子宮などの粘膜から発生する隆起性病変(盛り上がった病変)をポリープと呼んでいます。 胃や大腸のポリープ、子宮頸部ポリープ、鼻にできるポリープ(鼻茸)、声帯ポリープなどが有名でしょうか。
ポリープの原因は大きく炎症性と腫瘍性に分かれ、問題となるのは腫瘍性のうち良性なのか悪性(癌)なのかということになります。
ポリープも範囲が大きいので今回は胃と大腸のポリープの絞って説明します。
胃や大腸のポリープを指摘されたことがある方は多いと思いますが、同じポリープでも癌化の発現率に違いがあります。一般的に胃のポリープは大腸と較べて癌化率は低いです(あくまで一般的であって胃ポリープの中でも癌化するのももあります)。
A:胃ポリープは①過形成性ポリープ、②胃底腺ポリープ、③腫瘍性ポリープがあります。
A①:胃過形成性ポリープはピロリ菌の感染や慢性の炎症のために粘膜が肥厚し隆起したもので大きさも形も様々です。大きくなって出血したり胃の出口を塞ぐようになると良性でもポリープの切除を勧めます。癌化率は1%程度です。
A②:胃底腺ポリープは胃底腺と呼ばれる組織が肥大化したもので、小さく多発するのが特徴で検診で最も多く指摘されますが、癌化することはなく大きくも殆どなりません。何もしなくてもよいポリープです。
A③:全体としては少ないですが粘膜が腫瘍化してできた腫瘍性ポリープは良性の腺腫が殆どですが癌のこともあり経過を充分行います。癌化率は10%程度ありますのでこの場合は胃のポリープの切除を早めに勧めています。
B:大腸のポリープは①過形成ポリープと②腫瘍性ポリープに分かれます。
B①:過形成ポリープは腸の粘膜の炎症でポリープ様になったもので一般的に経過観察のみとなります。
B②:腫瘍性ポリープは良性(腺腫)と悪性(癌)との鑑別が重要になります。 大腸の場合、平坦な粘膜がいきなり癌になることは稀で、多くの場合はポリープが徐々に大きくなり癌化することが一般的です。 このことより大腸癌の予防のためにはこのポリープを見つけて早めに処置をすることが重要となります。
B`大腸のポリープは大きくなればなるほどがんが率が高くなってきます。
大腸ポリープの大きさと癌化率は大きさ4mm以下では0.05〜0.1%、5〜9mmで7〜8%、10〜20mmで20〜30%、20mm以上で30〜50%となっています。この殆どが粘膜内にとどまっている癌でポリープを切除するだけで根治が期待できます。30mmを越えると進行癌が多く内視鏡的切除の適応とならないのが殆どです。
近年大腸癌が増加して、女性のがん死亡の第1が大腸癌です(大腸癌>肺癌>膵臓癌>乳癌>胃癌の順)。男性の死亡では第3位です(肺癌>胃癌>大腸癌>膵癌>肝臓癌>前立腺癌の順)。
本来大腸癌は進行もゆっくりで定期の検査(大腸内視鏡など)を行って良性のポリープや早期のがんで発見されれば殆ど治癒出来るがんの1つです。それなのに何故大腸がんが第1の死亡原因になるかと言えば、検査を受けない(受けづらい)ことが原因です。 大腸内視鏡検査は時間もかかりますし、特に女性の方はお尻から挿入される大腸内視鏡検査に抵抗があるかも知れませんが、どうか1度チャレンジしてみて下さい。国民が大腸内視鏡検査を1回でも多くトライすれば大腸癌の死亡率はだいぶ減ると考えています。どうか皆様方も大腸内視鏡検査をトライして下さいね。
アーケードの中央部分から見上げると丸いドーム状の均整のとれた構造となっています。ミラノの「ヴィットリーオ エマヌエーレ2世のガッレリア」と感じが似ていて、このアーケード内ではミラノに来た気分になります。
同じイタリアでも南のナポリと北のミラノでは人々の生活や暮らしぶりや生きる目的も違うのではないかと思う程の同じ民族でも違いを感じます。 日本の南端に住む私としては、暖かい場所で過ごす生活は、時間がルーズでノンビリとしている感じが沖縄ナポリは似ていると考えています。 何となくイタリアの沖縄(=ナポリ)と思いながら街を散策しています😃 ナポリの中を歩くと、腹の出たおやじがTシャツに短パンでサンダルで腰掛けているのを見かけるのに対して、ミラノでは高級なスーツにコーデーネートされた靴や鞄も持って颯爽と歩く如何にも世界のファッションの最先端を歩く方を見かけます。同じ国でも南北に長いと街並みや人々の生活にも違いが出て面白いです。
だからことイタリアは魅力に溢れているのでしょう。治安に不安があっても何度でも行きたくなる魅力溢れるイタリアです😍
今日は第3週水曜日でFM放送の担当ではありませんので、医療ネタはありません。日曜日には定期の旅行記を記載しますが、暫くは日曜日はイタリアについて書く予定でいます。なにも記載しないより昔行ったブルガリアの旅行記No2を追記致します(10年前にブルガリアの首都ソフィアの日曜花市としてブログに書いています。懐かしいです😃→ソフィアの日曜花市)
私達にとってはブルガリアの国を最初にイメージしてしまうのは、ヨーグルトなどの乳製品でしょうか。黒海に面するバルカン半島にある国で、日本の国土の1/3の面積に約700万人が暮らす小国です。紀元前4000年ぐらいの遺跡も多いとのことで、非常に歴史のある国ですが、ローマ帝国やオスマン帝国に支配されたり、戦後はソビエト連邦の衛星国家として歩んだ複雑な歴史を持っています。
1989年に共産党政権が崩壊して、ソ連自体も弱体化すると共にその僅かな援助も届かない、ヨーロッパでも最貧国の1つになったと言われています。私が旅行に行った1994年はソビエトからの石油も滞り、ホテルの部屋も暗く、首都ソフィアでも夜は街灯がまばらで暗い状況の国でした。それでも街ゆく人々は素朴で律儀な方が多い印象でした。
次第にこの国も変わって来ていると思います。また素敵なこの国を旅したいと考えているのですが・・・・
昔の写真をスキャナーで取り込んでトリミングして載せて観ます。懐かしい車や街角の風景ですね。
2019年の旅行記を書き終えたら(2019年南フランス・バスク地方から帰国)、次の旅行(2020年)は北イタリアを予定していましたので、続けてイタリアの旅行記を書いて行くつもりでいました。 一応2020年も2021年も飛行機の手配やホテルにその他の移動手段も予約をしたのですが、はやりコロナの影響で出発さえ出来ませんでした😢・😭・😹・・😭<百個ぐらい😭マークを並べたいぐらいです>
イタリアには1980年代、1990年代、2010年代の3回出かけたことがあります。ただ毎回表面だけ観ているだけで、未だ本当のイタリアの魅力を知っていないと考えます。イタリアは奥が深いですし、南と北では住む人々の感覚も街の雰囲気も随分と違うようだと感じることがあります。いずれにせよ魅力に満ちたイタリアです。
イタリアの旅行は2014年が最後ですので、この時の旅行を中心に昔のアナログの写真も交えて書いてみたいと思います。
2014年はいつものように仕事を終えて最終便で那覇空港から羽田行きの便に乗り込みました。
6月も第2週になりましたが、相変わらず雨の多い沖縄地方です。5月の日照時間も過去最小となったそうです。6月も雨や曇りが多く植物の生育にも影響してこないか心配になります。早く沖縄らしくスパッと晴れわたる青空が見たいです😃
今日(2022年7月8日)のFMレキオは貧血について話をしました(今週は手術が多く時間がないのでブログの記事は昔書いた記事を再編集しました)。
貧血についてはネットや本に沢山書いてありますのでちょっと違う視点で血液のことを書いてみます。
長い間外科医をしていますとホラー映画などで赤い血が飛び出しても怖くなくて、ナイフなどで刺されたりする残虐シーンがあっても、傷の具合からどのようにすれば助けることができるかとか、これは助からないなとかを考えてしまい、全くもってホラーにならないのです。
でも多くの方は赤い血が吹き出るとビックリすると思うのです。赤い色は人間とって危険な出血を意味し敏感に反応するのです。
さて本題に戻って、この赤い血液(赤血球)にはヘモグロビンという赤色色素が含まれています。このヘモグロビンが酸素の受け渡しに重要な役割を果たしています。ヘモグロビンは鉄を含むヘムという赤い色素と、グロビンというタンパク質からできています。このヘムのために私達の血液は赤いのです。
赤血球が少なくなるが貧血です。色々な貧血はあるのですが、貧血の中で1番多いのは(女性では生理を含めた出血や偏食などで)鉄が足りない鉄欠乏性貧血症です。赤血球の材料となる鉄分が足りないために起こる貧血ですので、鉄分を取るように勧められるのはその為です。
では動物の血はみな赤いのでしょうか?
動物の血液は赤い色以外に青い色があるのはご存じでしょうか?
タコやイカ、カニ、エビなどは銅を材料に血液を作っているので青い血液(ヘモシアニン)となるのです。 鉄が酸化して赤くなるように銅の色は10円玉(銅が95%)を思い浮かべたらいいのかも知れませんが銅は酸化すると青色になります。しかしながら漁師さんでもタコやイカを料理しても青い血液を見たことはないはずです。 死んでしまい酸素と結合しなくなったヘモシアニンは無色に変化しますので料理の時には血液が流れても分からないのです。
では青い血液と赤い血液で何が違うのでしょう?
実は酸素を運ぶ力に大きな差があって銅は鉄の10分の1しか酸素の運搬量がありません。 私達ほ乳類などは脳を進化させたため多量の酸素を必要とします。人間の血液は鉄を材料としたため効率よく酸素を取り入れ脳機能を発達させることが可能となったのです。もし人間の血液の材料が銅なら進化はあり得なかったと思われます。
人間の血液の赤さにも意味があったわけです。赤は血の色から生命や情熱、躍動感を感じさせ目立つ色彩です。外傷などで赤い血を見ると一大事ですので赤い色をみるとビックリするのです。赤い血液になった人間はより赤い色に反応するように適合したのかも知れません。
以前書いたイギリス旅行記で書いていなかったハワースの旅行記を追記します(前回のハワース旅行No1の続きです)
ハワース (Haworth) は、イングランドのウェスト・ヨークシャーにある田舎の村で、観光ルートとしては湖水地方から南下する時に立ち寄るかどうか微妙な場所にあるかも知れません😃 ただし小説が好きな人にとっては外せない場所かも知れません。 『嵐が丘』、『ジェーン・エア』、『ワイルドフェル・ホールの住人』などイギリスのヴィクトリア朝文学史に多大な影響を与えたブロンテ姉妹が住んでいた村で、小説の舞台であるムーアの荒野が広がっています。小説の中の風景を見るために多くの読書ファンが訪れる村だとも考えています。 小説にあまり詳しくありませんのでWikipediaからブロンテ姉妹業績を拝借しました。
以前、イギリスの旅行記を書いた時に、湖水地方から一気にコッツウォルズの紹介を書いていましたので、その間にあるハワースを主に書き残したいと思います。湖水地方ではビクトリア・ポターが書いた「ピーラーラビット」やあるいは「ワーズワースの庭」など如何にもイギリスの湖水地方の風景を見てきました。湖水地方を朝にバスで出発し昼には到着となりました。
何となくもの悲しい世界に浸った気になる風景でした。このような景色が小説の「嵐が丘」にも影響を与えたかも知れませんね。
ここを離れて、シェイクスピアの生家のあるストラットフォード・アポン・エイボン(Stratford-upon-Avon)へと向かいました。
今週から6月に入りました。沖縄県では5月は本当に雨が多かったようです。私の場合はかなりの時間帯、手術場に入っているために大雨や雷が鳴っていても気が付かないことも多々あります。今年は例年より早くゴールデンウィーク期間中に梅雨入りし5月の月降水量は、沖縄、奄美地方では平年の降水量の2倍から3倍になったと発表がありました。また、沖縄・奄美地方では、5月1か月の日照時間は、平年の40%以下にとどまり、那覇は62.7時間、石垣島は71.9時間など、5月としては観測開始以来、最も少ないとのことです。農家さんは大丈夫でしょうか? 殆どを病院で過ごす私は世の中の動きに疎くて情けなくなります😢
今日のFM放送(FMレキオ、FM21同時生放送:18〜19時)で放送したヘルニアについて話をしました。ヘルニアについては以前書いたので参考にされて下さい→鼠径ヘルニアについて
沢山あるヘルニアの中で外科で対応する機会が多いのは鼠径ヘルニアになります。
俗に脱腸と言われている鼠径(そけい)ヘルニアは子供の病気と思われていますが、実際は子供よりも成人に多くみられます。しかしその発症のメカニズムも治療・手術方法も子供と大人の場合では異なってきます。
<鼠径ヘルニアの手術方法 >
鼠径ヘルニアと診断されたら治療法は手術しかありませんので手術の次期のご検討をされて下さい。
おおよそ、小学校入学までに起こる小児の鼠径ヘルニアは先天的に鼠径部のヘルニアの通り道が通常より大きいために起こります。それに対し大人ではヘルニアの通り道の筋肉を含めた周囲組織が緩んできてヘルニアが発生します。子供の場合はヘルニアの出口を縛ってしまえば手術は終了で、筋肉をよせたり補強する必要はありません。
大人では基本的にメッシュという補強用の布を使用して、広がった穴(ヘルニア門)をカバーして修復する手術を行います。そけい部の皮膚を切開して、直接上方から腹膜の上まで剥離してからメッシュを挿入して補強する方法と、腹腔鏡を使って、お腹の中からヘルニアの入り口をメッシュを被せて塞ぐ方法が主流です。
それぞれ一長一短がありますので、担当医と相談して方法を選択されたらいいと考えます。外科医に取っては両方の手術を理解しないといけないと考えます。最近は何でもかんでも腹腔鏡とかロボット手術に目が向きますが、老外科医の視点からするといつでも開腹や直達法などが出来ないといけないと思うのです。それぞれにメリット、デメリットがありますが、緊急事態(突然の出血、あるいは装置の故障など)で命を救えるかどうかも外科医の経験と技量にかかる場面もあるからなのです。
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