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2022年5月 1日 (日)

1990年ノルウェーの旅3(バイキング博物館、コンチキ号博物館、民族博物館)

1990年に出かけたデンマーク・ノルウェー・スウェーデン・フィンランドの旅行の写真を記載しました。次回行く機会があれば旅行記をしっかりと書いてみたいと思います。 取り敢えずな懐かしい写真をスキャナーで取り込んで載せてみました。
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ベルゲンからフィヨルド観光後ファーゲルネス に宿泊し、バスと電車でノルウェーの首都オスロに到着。現在のオスロの人口は約65万人だそうです。

オスロの小高い丘の上に位置する王宮は、現国王ハーラル5世夫妻の居城として使用されているそうです。色使いなどは北欧らしい感じがしますし、緑も多く広々としていました。観光客以外に地元の方の憩いの場になっているかもしれません。

調べてみると月曜から金曜の13時半からは衛兵の交替セレモニーが行われていて、多くの観光客がその見学のために陣取っているとのことです。ただ私のアルバムには衛兵の交替の場面はありませんでしたので、時間が合わなかったと思います(記憶にすらありません😢 もしかしたら当時は衛兵の交替セレモニーはなかったのかも知れません

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<バイキング博物館>
ノルウェーと言えばバイキングでしょって訳でもないですが、直ぐにバイキング博物館を訪ねています。想像以上に船が大きかったことにビックリした記憶があります。(この旅行の時に最初の旅行先がデンマークでしたが)いわゆるヴァイキングにはデンマークとノルウェーからの2系統があり、西洋諸国ではデンマークから来たヴァイキングを「デーン人(Daner,Dane)」と呼び、ノルウェーのヴァイキングは「ノース人(Norsemen,Norse)」と呼んで区別したようです。

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かつては北海からヨーロッパ各国に人々を震え上がらせていたヴァイキング。映画やドラマなどでみるバイキングは独自の文化を築いていたように感じました。 映画やドラマの影響でしょうか私に取ってはヴァイキングといえば、原始宗教を信じ、スカンジナビア地方を根拠地として最先端の港運技術を元に海軍力を活かして北海やバレンツ海を放火略奪などの殺戮行為を専らにした海賊というイメージが強いのです。

まあ今で言えば海からの略奪者集団ですので歓迎されなかったと思います。しかし彼らは海賊という側面と地中海までの南ヨーロッパを含めた通商船団であったとの側面もあります。ヴァイキングが活躍した9〜12世紀にこのような広大な地域の交易に携わったことで、ヨーロッパ圏の色々な文化の交流に一役かった側面もあると考えられています。またヨーロッパ各地にその後定住してフランス東部にノルマンディー公国を、イタリアではヴァイキングの末裔が南イタリアを統一したりと様々な場所でバイキングの痕跡を見つけることが出来るとのことです。

「ヴァイキング博物館」の目玉はヨーロッパ各地を侵略した9世紀頃に造られたバイキング船3隻の展示にあります。上の写真はオーセベリ船です。1,000年以上たっても保存状態良く発見されたのは、ヴァイキングの首長たちが亡くなった際に、死後も首長を守るという目的で、木材が腐りにくい粘土の山中に埋められたためだと言われています。寒い地域だったから更に保存状態が良かったのだと思います。船と一緒に身の回りの品々も一緒に埋葬されたために貴重な資料となって展示されたいました(交流はないと思いますがエジプトのファラオと交差してしまいます)。

先ほど「オーセベリ船」と書いたのは展示された3隻にはそれぞれ発見された場所の名前が付けられています。1867年に最初に発見されたのが「トゥーネ船」です。1867年の発見時は考古学が未熟だったため、発掘作業中に激しく損傷し船体は断片的な状態です。次に、1880年に発見された「ゴクスタ船」は全長24mと3隻の中では最大。1904年に発見された「オーセベリ船」は、全体の9割以上に元の木材を使用し、修復されて展示されています。船には龍や蛇などをかたどった装飾がされており、身分の高い人、おそらく女王の遺体とともに埋葬されたと言われています。


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<オーセベリ船 (ヴァイキング船博物館、オスロ)

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バイキング博物館の隣にはバイキングと何ら関係のなようなコンチキ号博物館があります。昔日本を含めて世界中で有名になったパルザ材を使ったコンティキ号の船による1947年の太平洋横断の記録になります。

ノルウェーの人類学者、海洋生物学者、探検家、トール・ヘイエルダー(1914~2002)は、1947年に筏船のコンティキ号にて漂流航海の実験を行いました。

ヘイエルダーは、南米の石像とポリネシアの石像が似ていることや、植物の呼び方が似ていることで、ポリネシアの人々の起源は南米にあるという論文を発表しましたが、当時の技術では船で行き来するのは無理だと学会の反対を受けました。これを受けて、南米のバルサ材を使ったコンティキ号を作り、1947年4月28日に5人の仲間と1羽のオウムと共に出発。曳航船によってフンボルト海流を越えてから、漂流を開始し、イースター島を目指します。出航97日目にポリネシア諸島の1つに辿り着きましたが、出航102日目にラロイア環礁で座礁しています。

この約8,000キロの漂流公開の記録をまとめた「コンティキ号探検記」は、世界62か国で翻訳され、大ベストセラーになりました。この冒険自体の業績は認められていますが、実際は航行機器やアマチュア無線を使って各地と交信したりしていたことや、強力な海流であるフンボルト海流を曳航船で越えてから漂流を始めていることなどから、これでは立証実験にはならないという批判が起こり、その後の研究により南米とポリネシアの関係性はなかったとされています。

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<コンチキ号博物館>
1947年イカダ船コンチキ号:ペルーからポリネシアまで航海

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実証実験は失敗ですが、チャレンジしたことや古代ロマンを駆り立てたために造られた博物館かも知れませんね。

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<ノルウェー民族博物館>
ノルウェー民俗博物館は、オスロの市街地から 5 km 離れたビグドイ半島にあり、中世の教会や農家など、ノルウェーの過去 600年間の歴史の中で造られた本物の建築物を展示する、大きな野外博物館となっています。なかなか他のヨーロッパ諸国とは違う建築様式で今でもこの不思議な形は覚えています。ノルウェー民俗博物館は、屋内の博物館と野外の展示スペースに150 軒以上もの歴史的建造物を展示しているそうです。屋外の広々とした場所にありますので散歩には丁度良いのかも知れません。

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コメント

院長先生
こんばんは。
お呼び出しもなくてごゆっくりお過ごしで
何よりでしたね!

バイキングは存じていますが、
海賊?と思っておりました。
各国と交流などもあったのですね?
大きな船が保存されて見応えあった事でしょう。
続きも楽しみにお待ちしております。

ご心配有り難うございました。
まだ、少し?症状があります。
明日が主治医の外来診療がありますが、
予約してないので伺っても診て頂けるかどうか?です。
朝、大学病院へ電話してみます。
私事がですみませんm(__)m

こんばんは。

大型客船でのフィヨルド観光も素敵ですね♪
行ってみたいです。
ヴァイキング、海賊と言うと略奪とかあまりいイメージはありませんが
ヨーロッパ圏の文化の交流に役立ったなら有益な存在でしたね。
海賊船と言うとカリブの海賊の結構大きな船を想像していましたが
このオーセべり船は大きくて船首もアートな感じですが
船倉が浅い感じがして、すぐ海水が入って来そうで
長い航海には向いてないように見えます。
この船にはどの位の人数が乗ってどの位の距離を航海したんでしょうね。
キャビンもないし泊まれないですよね^^;
またコンチキ号はバルザ材とありますが
まるで藁で作られたみたいな外観ですね。
この船で遠距離を航海したのは凄いです。
ノルウェー民族博物館のお写真の建物はタイとかにありそうな建物ですね。
どの博物館もとても興味深いです。

マコママさん、こんばんは。

今日は今のところ病院からのコールはありませんので、のんびりとしています。バイキングは何となく海賊のイメージしかありませんが、沢山の国々との交流もありましたので異文化を広める作用もあったようです。

まだ症状が残っているのですね。主治医の外来があれば恐らく診て貰えると思います。外来日で出なければ、連絡をしてからお出かけ下さい。救急車で搬送されていましたので事情を言えばあす診察できるのではないでしょうか。

sharonさん、こんばんは。

前回のフィヨルド観光は楽しかったです。色々と変化のある乗り物にも乗れましたし、私にとってもフィヨルド観光は初めてでしたので間近に迫る山々は圧巻でした。

ヴァイキングは略奪者のイメージが強いのですが、毛皮などの交易も行っていたようです。 

大航海時代の大型船が出る前ですので、当時としては最高のスピードを持った船のようです。エジプトの船とも違い、船底も浅くなっていますね。
これは中央に帆を張って、船上で漕ぐオールと海面が近いので直接力が伝わりやすくスピードが出る構造です。もう一つ浅いために、イングランドやフランスなどの河川を昇って内陸部まで侵攻出来たのです。 奇襲も出来たためにヨーロッパ諸国は恐れていたようです。 多くは100名ぐらい乗って、その後ろに食料などを載せた船を繋なぐことで長期航海も可能だったようです。

コンチキ号は南アメリカの葦の船に似ていると感じました。ノルウェー民族博物館は木造の家で形も不思議で他のヨーロッパでは余り観たことがないです。sharonさんが指摘のように東南アジアの建物にも似ていますね。

世界は不思議なことがいっぱいありますね。旅は止められません😊

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