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2022年5月

2022年5月29日 (日)

イギリス旅行記ハワース(England Haworth) : No1

ある方のインスタグラムにイギリス ハワース(England Haworth)の写真が載っていました。そう言えばここは訪ねたことがあったと昔のイギリス旅行記を見たら記載していませんでした。なんとすっ飛ばしてしてしまったようです😅 昔を思い返しながら小説「嵐が丘」「ジェーン・エア」で知られるブロンテ姉妹が過ごしたハワースを紹介したいと思います😊


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ハワース (Haworth) は、イングランドのウェスト・ヨークシャーにある田舎の村で、観光ルートとしては湖水地方から南下する時に立ち寄るかどうか微妙な場所にあるかと考えます😃 ただし小説が好きな人にとっては外せない場所かも知れません。 『嵐が丘』、『ジェーン・エア』、『ワイルドフェル・ホールの住人』などイギリスのヴィクトリア朝文学史に多大な影響を与えたブロンテ姉妹が住んでいた村で、小説の舞台であるムーアの荒野が広がっています。小説の中の風景を見るために多くの読書ファンが訪れる村だとも考えています。 

以前、イギリスの旅行記を書いた時に、湖水地方から一気にコッツウォルズの紹介を書いていましたので、その間にあるハワースを主に書き残したいと思います。湖水地方ではビクトリア・ポターが書いた「ピーラーラビット」やあるいはワーズワースの庭など如何にもイギリスの湖水地方の風景を見てきました。その日もイギリスにしては晴れ渡っていて、気温も暖かい感じを受けていました。早朝湖水地方を出発し南下しました。(以前のブログは→ 英国・湖水地方No1No2(ピーターラビットNo3(ワーズワース)


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バスでの移動でしたのでバスのガラスが映り込んでしまいましたが、長閑な景色に癒されながらハワースへと向かいました。


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3〜4時間もしないうちに空がどんよりとして来て、ハワースに近づく頃には如何にも小説に出てくるような空の色へと変化しました。

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バスを降りて街の中心地に向かって坂道を歩きます。小さな道の両側にダークブランの石造りの建物が並び風情があります

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とても小さな街ですが、石畳の両脇の家々がまた可愛らしく、観光客が多いせいでしょうかレストランやカフェ、土産品店などが沢山あり、日柄ノンビリとたい場所でもあります。


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 教会など博物館を回る前に昼食をとることに。何となく雰囲気のあるレストランですね。
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食事については何時ものように上手く説明出来ませんが、料理の内容を見ても如何にも英国らしい感じがします😅
限られた時間でしたがブロンテ姉妹ゆかりの教会や博物館を回り、急いで ムーア(荒野)まで行きました。しかし雨と強風で写真は上手く撮れない結果となりました。次回紹介致します。

2022年5月27日 (金)

今週の生け花(令和4年5月第4週)

5月も終盤になりました。医療をしているとどうしてもコロナの新規感染者数が気になります。 しかしもう世の中はコロナよりもコロナ以前の社会生活を、元の生活に戻りたいと願って行動しているように思えてきました。 私は職種上でも立場上でも、極端に外出や買い物ましてや飲食などを外で行うことはやっていませんでした。 ただゴールデンウィーク期間中の夕方に自宅から散歩をして、国際通りやその周囲の飲食店や飲酒を提供している地域も回ってみました。 もちろん消毒液やバーティションを設置して対策をとっている店が多くありましたが、観光客や地元の若い人でしょうかマスクなしで飲みながら大声を出して騒いでいるグループもいました。自分と世間のギャップを痛感してしまいました。私などは井の中の蛙で、もう世の中は浮き足だって脱コロナの世界に入っているのだと感じました。 私の頭も軌道修正しなければならないと実感しました。

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今週の生け花は、白い山法師が目立ちます。沖縄では余り見かけませんが、本土の方では6~7月に白い花を咲かせる落葉高木です。ヤマボウシは、本州から九州の山地に自生していて、樹高は5~15mほどに成長します。白い花のように見える部分は総苞 (そうほう) と言って、葉が変化したものです。ヤマボウシの葉は、4~12cmほどのだ円形でやや波うっています。ヤマボウシの果実は熟すと生食でき、紅葉も美しいので人気のある花木です。

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赤い大きなダリアの花も紫の可愛いアガパンサスもどちらかと言うと山ボウシの白を引き立たせる役割になっています。
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今回も少し変わった花器ですね。山ボウシは花びら(苞)が4つですが、6つだとクチナシの花に似ています(私だけか😅)
ではよい週末をお過ごし下さい💖
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<花材:山法師、アガパンサス、ダリア、ハラン、千年木>

2022年5月25日 (水)

血圧の単位

今日のFM「いきいきタイム」の番組は高血圧についての話をしました。

ところで血圧とはなんでしょうか?  人間が生きて行くためには心臓が絶え間なく、収縮と拡張を繰り返して全身に血液を送らなければなりません。心臓から送られた血液はまず動脈を通して全身に供給されて行きます。 血液は水みたいなものですから、遠くへ運ぶためには、水の圧力が必要になります。たとえば、庭の花や木にポンプを使って、散水する光景を思い浮かべてみて下さい。ホースの中の水の圧力がなければ、散水すること出来ないのと同じように、心臓をポンプにたとえると、動脈はそのホースの役目で、このホースの中の圧力のことを血圧と呼んでいます。血圧とは、心臓のポンプ作用によって血液が血管の壁に与える圧力のことになります。

血圧の値・単位は心臓の収縮により血液が全身に押し出された時、上腕(二の腕)の動脈でどれぐらいの圧力があるかを、水銀(Hg)を押し上げる力で測ったものです。最近はデジタル血圧計を使用する機会が多いのですが、今でも病院でショポシュポと目盛りをみながら計っているのは水銀を使った水銀式血圧計です。 mmHg(ミリエイチジー)は血圧の単位です。Hgは化学で習った化学物質の元素記号Hg(水銀)のことです。 つまり血圧が140mmHgならば水銀の柱を140mm=14cm押し上げる圧力があるということです。

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水銀は水俣病の原因となった物質で、あまり良い印象は持てないのですが、非常に有用な物質です。 ではなぜ、水銀は形を変え液体状で扱いやすいのと、ちょうど血圧を測るのによい高さになるからです。水銀は水の重さの13.6倍ありますので、水銀の140mmHgは水の圧力に直すと140mm×13.6(水銀の比重)=1904mmとなり水で血圧を測ろうとすると血圧計の高さは1m90cmあまりになってしまい、2メートル以上の血圧計を持ち運ばなければならないので、実用的でないのですね。それらのことから血圧の単位は水銀の目盛りを使い、その水銀を持ち上げる単位となったのです。(例えは悪いのですが、動脈を切った瞬間には140mmHgの血圧の方なら2メートル近い高さまでピューと飛び出してしまいます)

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そういえば色々なものが水銀計からデジタルに変わりましたね。時代は常に進歩するのです。人間の心も進化して戦争のない平和な時代になって欲しいものです💖

 

2022年5月22日 (日)

1990年バルト海クルーズ(ストックホルム→ヘルシンキ)

スウェーデンの首都ストックホルムからフィンランドの首都ヘルシンキへの移動は飛行機だと約1時間程度です。陸路では湾を回り込まないといけませんが、そこで便利でおすすめなのが船でバルト海を横切る移動です。

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船の旅では12時間程度かかりますが、利用して欲しいのは夕方出航し朝に着く船旅です。1泊ですが豪華客船に乗り込む旅ができます。この時客船での移動は初めての経験でした。


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毎日双方向に大きなフェリー船(豪華客船)がでています。夕方16時半にストックホルムから出港しヘルシンキに着いたのは翌日の午前10時 頃に着く船旅です(フィンランド時間:ストックホルムとヘルシンキでは1時間の時差があります) 。
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毎日スウェーデン~フィンランド間を運航する主なクルーズ船がViking Line (ヴァイキングライン) か Silja Line (シリアライン)があるようです。私はヴァイキングラインを利用しました。

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ネットで調べたらバイキングラインは今も営業しているようです。新しいヴァイキングラインのホームページをみたらこの船とは違うようでしたので、あれから30年以上経っていますので引退しているかも知れません。
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バルト海には小さな島があります。上の写真の小さな島には家が建っています。個人の所有なのでしょうか?
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これ何処だと思いますか? 船内で7〜9階ぐらいの吹き抜けの空間でした。その両側にあるお店は免税品店で、高級ブランド品が沢山並んでいました。当時から買い物に興味のない私はスルーですが・・・船内にはカジノや映画館もあり、動く海上都市のイメージでした😲
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後方のデッキでバルト海の夕陽をみながら過ごしました。客室も綺麗だったはずですが(もう記憶の彼方です)、なんと1枚も写真を撮っていませんでした😭(今なら船室の中や食事風景も撮っていたかも知れませんが・・)
夕食も豪華ですし、個室ですし、内海だからなのか分かりませんが、全く揺れも感じませんでした。船内で楽しく快適に過ごしているとあっという間にフィンランドの首都、ヘルシンキに到着。初めての1泊の船旅も満足して最後の目的地ヘルシンキの観光です。
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ヘルシンキの港が見えて来ました。フィンランドはスウェーデンより時間が1時間進んでいるので、ヘルシンキに着いたら時計を1時間早めることをお忘れなくです。

(ヘルシンキ港は2016年のバルト三国・ポーランドの旅でヘルシンキ港からエストニアのタリン港へ2時間半の船旅を経験しました→ヘルシンキからタリンへ

2022年5月20日 (金)

今週の生け花(令和4年5月第3週)

5月のゴールデンウィーク期間中に梅雨入りした沖縄県ですが、今日も1日雨模様です。ゴールデンウィーク後に新型コロナウイルス感染症の新規感染者が更に増加すると予想していた通り、沖縄県では現在感染者数が高止まりの状態です。 これだけ多くなると医療者の職員が感染に気をつけても子供さんなど家族の方が感染し、濃厚接触者となって出勤できない職員が必ず出て来ます。 感染対策に人手がとられる状況で出勤できない職員が出ると病院はいつも大変な状況が続いています。 どうにか早く収まって欲しいです。
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今週の生け花は、岩をくりぬいたような花器に真っ直ぐに伸びる紫のギガンジュームと黄色のひまわりが特徴的です。
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花器とギガンジュームとひまわりで骨格をなしていますが、その間から柔らかい赤い花をみせているのが金宝樹です。千年木の赤いスジのある葉もマッチしています。 ひまわりの生命力に満ちた黄色の花と対比しているのが左側にある苔松桔梗です。生と死、老と若の対比のようにも感じます。

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個別に近くで見ると特徴のある花々です。千年木の葉もこのような種類もあるのですね。不思議らなストライプです。


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少し上から眺めると影も出て落ち着いた印象を持ちました。

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白黒にすると更に落ち着いた雰囲気となりました。梅雨のジメジメした感じを吹き飛ばしたいです😃
<花材:ギガンジューム、ひまわり、金宝樹、千年木。苔松桔梗>

2022年5月18日 (水)

1990年スウェーデン観光。

(1990年の旅行の健忘録です)ノルウェーの首都オスロ(→前回のノルウェー旅行記)からスウェーデンの首都ストックホルムまでの移動は電車で6時間程度かかりますが、車窓を眺めながら過ごしていたら思ったより近いと実感しました。 夕方に到着し食事をはホテルに移動でした。翌朝から市内観光となりました。

当時としては長らくフィンランドと共に中立政策を保って来たのですが、今回のロシアのウクライナ侵攻を受けてノルウェーとフィンランドがNATOへの参加を表明しています。 地図で確認すると北欧の3ヶ国の中でロシアとの国境線を持たないのはスウェーデンだけで、フィンランドはまさしくロシアの隣国ですし、ノルウェーも僅かですがバレンツ海でロシアと国境を接しています。ロシアの愚かな侵略はNATOの拡大の阻止にありましたが、逆にNATOの拡大を進める結果となっています。

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上の地図のようにストックホルムは広い平原ではなくて実は大小様々な14の島から形成されています。島と言っても橋で繫がっていてそれぞれが近いので通っていても陸続きのように感じてしまいます。



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ストックホルムに到着後、街で一番高いところにあり眺めのよいセーデルマルム地区に向かいました。 セーデルマルムは今でも若者でいつも賑わう話題のお店が立ち並んでいるそうです。最近のストックホルムの写真をネットで見たら手前の旗が同じ様になびいていたのはびっくりしました😊
入り組んだ海の間に島々があるのが伺うことが出来ます。ここが一番高い所と言うのでストックホルムは殆ど平坦な低地にあることが分かります。そこから海の対岸に見えた旧市街地の散策に出かけました。



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ストックホルム観光のメインでもある「旧市街(ガムラ スタン)」の散策ですが、ここを中心に観光スポットが多数あるので便利です。ガムラスタン (Gamla stan) はスウェーデン・ストックホルムの旧市街で、ストッホルムの島の1つ「スターズホルメン島」を占めている。『古い街』を意味し、他に「橋の間の街」(Staden mellan broarna)と呼ばれることもあるとWikipediaに書いたありました。  上の正面に見えているガラムスタンにある大聖堂(Storkykam)となっています。


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北欧らしく一つ一つが大きな建物ですが、統一感があって街が綺麗に見えます。
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ノーベル賞の晩餐会が開かれる事で知られるストックホルム市庁舎(Stadshus)となります。毎年ノーベル賞の記念晩餐会が行われる場所で多くの方がご存じの建物と思います。ナショナル・ロマンティシズム建築の傑作としても知られるそうですが、それ程古い建物ではなくて、1909年から1923年にかけて建築されたとのことです。

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30年以上前の写真をスキャナーで取り込んだのですが、画質が悪くて済みません。一応上の「青の間」(写真)ではノーベル賞晩餐会も開催されます😓
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歴代のスウェーデン国王が眠るリッダーホルム教会です。13世紀にフランチェスコ会修道院を改築して建てられています。こちらは歴史が古そうです。丁度ガムラスタンの端の方にあります。

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僅かな滞在で夕方にはストックホルムからフィンランドのヘルシンキに豪華客船に乗り込み一晩の滞在クルーズの移動となります。

2022年5月15日 (日)

個人的な沖縄復帰50年目の思い

今日5月15日は沖縄が日本本土に復帰した記念日です。あれから50年を迎えました。復帰は私の中学の時で、これまで使っていた米ドルから日本円に変わり、指で感じる紙幣の差を今でも覚えています。

沖縄は今でも本土との経済格差や差別の問題、基地の問題など多くの問題を抱えています。それを書いたら膨大の量になると考えています(今回以前書いたブログを久々に読み返しました。関連する記事を赤い字でリンクしておきます)。

1945年米軍が上陸し唯一陸上戦を展開して、有形、無形とわず多くものが破壊された沖縄でした(→沖縄慰霊の日→沖縄戦から70年)。美しい那覇の街並みも丁度ウクライナ戦争のマリウポリのように 破壊され尽くされてました。  

1952年のサンフランシスコ講和条約により、日本の主権・平等を認める代わりに、沖縄・小笠原を米国は支配下におくことが承認されました。

占領下の沖縄では日本語教育から英語教育への変換も試みたようですが、これをどうにか拒否して日本本土と同じ教科書を使い勉強出来たのは、幸運なことだと私は考えています。 米国に屈して英語教育を受けていたら、私もきっとネイティブな英語を喋っていたのかも知れません。 その方がグローバルな現在では良かったんじゃないか、復帰せずにグアムのような米国領となった方が良かったと考える方もいるかも知れません。 私は全く同意しません 

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言葉は文化であり、言葉は心(思想)を体現化するものです。人が人であるための考え、感性を磨くのが言語です。

グローバル社会で英語教育が重要だと叫ばれています。英語が使えることはとても視野が広がると考えています。しかし重要なのは英語圏の小学生が使える程度の会話を習得するよりも考える力を獲得する方が大切だと思うのです。 単なる翻訳はこれから進歩するAIにまかせればいいと考えています。あと10年20年もすればタブレット端末で異なる言語の同時会話が可能になると考えています(→語学力とグローバル力の違い)。

時々、本土の方(沖縄でも知らない方もいます)が沖縄の言葉が理解しにくいために、日本語と違うと考えている方もいます。沖縄の方言(ウチナーグチ)は日本語の1方言に過ぎないのです。中国語や英語ではありません。 

沖縄の方言には今でも京都の古語が沢山残っています(→以前のブログ)。もしも米国占領の沖縄で、米国が望む英語教育に代わってしまっていたら、これまで脈々と先祖から繋がった言葉(=文化や思考)を失うことになったのかもしれません。

高校卒業後、初めて沖縄を離れて東京の予備校へ。その時の予備校の仲間から「英語は勉強しなくても満点だよね」と言われたことがありました。恐らく多くの本土の方は沖縄では復帰まで英語教育を受けたと勘違いしていたのかも知れません。

私は戦後の沖縄、それも田舎の村に生まれ育ちました。田舎のお陰で、電気や水道、電話などが子供の頃にない時代を覚えています。子供の仕事として井戸の水汲みなども経験しました。素朴でも一生懸命働くことの大切さを教えて貰った方々がいました(→汗水垂らして働く) 。ユニセフからの脱脂粉乳や小さなパンも経験しました(「1つのパン」がつなぐ社会) 

短期間に色々な生活が激変してゆく過程を実際に経験することが出来ました。電気の明かり、白熱球から蛍光灯に変わった瞬間の家の様子、水道が通った日のこと。高校までキビ畑をはじめ農作業の経験や家畜の世話など。初めて沖縄を出て東京の予備校で過ごした時期の挫折感や孤独も経験しました(→クリスマスに思うこと)。

そして社会的には民主主義国家である米国が占領下では民主主義的でないことキリスト教徒と称する方が自分の利益を守る為に戦争を行うこと差別された側がより弱い立場を差別する構造。復帰前、復帰後の子供時代に色々な貴重な経験をさせてくれたのが沖縄でした(→何度も繰り返される悲劇)。

今日、復帰50年目を迎えた沖縄。今でも多くの矛盾を抱えたこの地から、冷静な目で日本や世界の動きみてゆきたいと願うのです(→復帰45周年)。

沖縄にとって必ずしもいいとは思えない戦中・戦後の歩みですが、私個人にとっては他の地域で生まれていたら味わえない経験を数多く学べた沖縄に感謝したいです。平和や自由・平等が如何に大切なものか、そしてこれを維持するのは破壊することよりも忍耐が必要であることを卓上の学問からではなく、肌感覚で感じ取れたのが沖縄だったのです。

今日は復帰50年の記念日ですが、明日からもなにも変わらない日常が続きます。その1日1日を愛おしく大切に生き続けたいのです💖

 

<P.S>

愛の反対は憎しみではなく、無関心です(The opposite of love is not hate, it’s indifference.)。しかし関心を持つことは喜びと共に苦しいこともあるのです。いつかこれを乗り越える力を持ちたいと願うのです。

2022年5月13日 (金)

今週の生け花(令和4年5月第2週)

ゴールデンウィークが明けての1週間は皆様方もドドッと疲れが出ているのではないでしょうか? 連休明けから新型コロナウイルス感染症の新規感染者が増加に転じると予想していましたが、すでの沖縄県は過去最高の感染者の報告がなされています。 

5月5日に1日休みをとりました。日頃の運動不足もあり19時から21時頃まで那覇の街を歩きました。コロナ禍で3年近く街中を歩くことはなかったのですが、厳密に感染対策を講じてきた私と旅行者や一般(もちろん一部かも知れませんが)の方とは随分と意識にずれがあることに気が付きました。もしも私自身が感染した場合の影響を考えると必要以上に出歩くこと避けて生活してきました。この散歩で国際通りやその周辺の飲食店、飲み屋街を歩くと「マスクなしで食事後の会話を楽しんでいたり、数人単位でお酒を酌み交わして大騒ぎしている方々を目にすることがありました。私からすると「無法地帯」を歩いている感覚でした。これまでのコロナの抑圧から旅行先では解放された気持ちになりたいのだろうと想像しました。政府も企業も国民の多くの意識も「ある程度の感染はやむなしでコロナ前の日常を取り戻す生活」に舵をとったと感じます。

これまで何度も書いているように、旅行するな飲食するなではないのです。ワクチンをちゃんと接種して、コロナウイルスがまだいることを意識して旅行や飲食を楽しめたら、感染の急拡大、減少を繰り返すことがなく安定した日常生活が送れると想像しているのです。

連休中は生け花クラブも休みだったようで、2週間ぶりにいつもの2階の場所にも生け花が飾られていました。

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今週の生け花は太陽に向かう赤いダリアの花が特徴的でした。ここに最初に目がいってしまいましたが、それを支えるように葉材を上手く配置しています。ナツハゼの緑の葉が春の芽吹きを感じさせてくれ、その間にカーネーションや小菊の可愛らしい花々が顔を覗かせています。
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面白い形の花器の横長い特徴を生かした飾りつけになっています。斜めからみるとまた異なる姿が見えて来ます。
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それぞれの花も近くで見ると個性的で差を感じます。白い小菊も可愛いです😍
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緑の葉を活かすために斜め上から撮ってみました。春らしい(沖縄は梅雨ですが😅)明るい生け花です💖
<花材:ナツハゼ、ダリア、カーネーション、小菊、アレカヤシ>

2022年5月11日 (水)

脱コロナ後の5月病(うつ病との違い)

今日のFMレキオは5月の連休明けですので、3年ぶりに「5月病」について話をしました。
5月病は正式な医学用語ではなく、精神科の先生の中でも若干違うニアンスで捉えているようです。 一般的には適応障害(アバシーシンドローム:無気力症候群)や軽度あるいは双極性のうつ状態と言うことになりそうです。

Th_041015月病は元々、受験勉強を勝ち抜き希望を持って大学に入学した学生が、新しい学校になじめず、ゴールデンウィーク明けから気持ちが落ち込む症状を示し ていました。 学生だけではなく、新しい職場になじめない新入社員などにも同様な症状があり、仕事が本格的になる6月頃に起こりやすいといわれています。

5月病は新しい環境や生活に適応できずに、「何とかしなくては」と焦りと頑張りが空回りし、一時的に強いストレス状態に陥っていると考えられています。 厳しい受験勉強や入社試験を乗り越えて希望で胸一 杯なはずなのに、新しい教室や職場、人間関係に馴染めない・・・この様なことは多くの方が経験することだと思います。 うつ病ではなくて一種の通過儀礼だと思って見守る必要もあるかも知れません。

理想と現実のギャップがでてきて、 精神的なストレスが重なり、食欲不振、睡眠障害、動悸、無気力や鬱症状など体や心に変調をきたします。
5月病は性格的に真面目で几帳面、完全主義、内気で孤立しやすい人がなりやすいといわれています。
本来そのような方は、悪い性格の持ち主ではなく、学校や職場でこれを乗り超えると素晴らしい人間に成長することも多いのだと思うのです。

5月病になるようなら誉めてあげたいぐらいです。「頑張れ」ではなくて「頑張りすぎたので少し休みなさい」と声をかける程度が良いと思います。

新しい環境で頑張った人がゴールデンウィークなどで長めの休暇を貰った時に症状が出やすいようです。 長期の休みを貰った時の睡眠時間、特に起床時間に注意が必要と言われています。 休みは朝寝坊したくなると思いますが、それでも日頃の起床時間の2時間程度に止めるべきのようです。 休みだからといって昼過ぎまで寝てしまうと体内時計もくるってしまい、体調を崩す原因となります。 肉体的にも連休明けに会社や学校に行くことが辛くなります。

これまでが今までの「5月病」の一般的なパターンでした。

しかし3年前からもう長い間コロナ禍で人的交流が減少し、また在宅勤務も推奨されました。そのため5月病の1つの要因となっている対人関係のストレスは逆に減少しているものと考えています(Googleの検索の集計で「5月病」の検索はコロナ以前とコロナ後では後の方が減ったとのことから推測しているだけで、実際に減ったかどうかは今後の医学的な統計をみないと分からないことです)。

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このことから老外科医が推測するのは、これから脱コロナへ社会が動き出すにあたり、在宅やリモート管理だった方々が実際の会社に出かけた時に受けるストレスの増加が気になります。 満員電車に乗り込み、会社で仲間や上司に顔を合わせて会話をする、直接面と向かって叱られることも起きるでしょう。 そのことが解除後の大きなストレスになりかねないかもしれません。 特にコロナ前後で入職した方々はマスクなしの対面での仕事になれば大きなストレスとなることが予想されます。

5月病と言われていた症状が、脱コロナ社会で起こるのではないかと素人の外科医は考えています。そのためには会社も早めに手だてを講じる必要があると考えているのです。

最近は5月病対策をとっている大学やTh__2企業も増えてきているようです。

ストレスや疲労を感じたら一人で悩まず家族や友人、または専門医に相談(カウンセリング、精神療法など)してグチを聞いてもらいましょう。
また、症状が進んで、不安、焦燥、うつ状態などが強い場合には、専門医(心療内科、精神科など)を受診してみましょう。一時的に抗うつ薬、抗不安薬を使うことも有効です。適量の薬で、はやく症状が改善することもあります。

精神科の先生からは怒られるのかも知れませんが、5月病は「相手(学校や会社)が悪い」と考えますし、うつ病は「自分が悪い、自分は価値がない」と内向きに考えてしまう傾向があります。

5月病も長引けば、うつ状態に変化してしまいます。 ですから早めに自分状況を判断して解決する手段を見つけることです。

2022年5月 8日 (日)

1990年ノルウェーの旅4(公園)

1990年に出かけたデンマーク・ノルウェー・スウェーデン・フィンランドの旅行の写真を記載しました。次回行く機会があれば旅行記をしっかりと書いてみたいと思います。 取り敢えずな懐かしい写真をスキャナーで取り込んで載せてみました。

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私の頭の整理のためにもノルウェーについて書いてみます。ノルウェーは立憲君主制国家ですので、国王がいます。日本の天皇のように政治的なものは内閣にまかせています。象徴的な存在なのです。日本では女性天皇をどうするかの議論あるのですが、ノルウェーでは憲法にて「女子が王位を継承した場合には、女王に属する」と既に定められています。
EUには非加盟ですが、NATOには既に加盟しています(ウクライナ危機の中これまで中立だったスェーデンとフィンランドがNATO入りを検討)。男女平等が浸透しており、徴兵制(19から44歳の間に1年兵役義務)に対しても、2015年からは女性にも義務が課せられ、NATOでも唯一男女ともに徴兵対象となった国となっています。これに関しても凄いなと感心するのは「男女同室の兵舎で生活するとのことに関して、女性兵士の圧倒的多数で賛成している」とのことです。男女差別の甚だしい日本では考えられないことです。これは男性だけでなく日本の女性の意識も変えないと解消されないと考えています。

1990年に出かけた時に既に北欧は福祉国家のイメージでした。その後日本もこのような社会になって欲しいと思いながら経過を対比しながらみて来ました。この30年で日本は経済国家にはなりましたが、基本的な自由や福祉や男女平等は置いてきぼりの状況となり、少子化も進みその差も更に進んでしまいました。 私が時々日本の現状を憂いて話をすると「日本をバカにしているとか、日本人を貶める意見」と非難する方もいます。 しかし嫌なことに蓋をすれば進歩がありません。
ノルウェーは人口は500万人程の小国ですが、1人あたりのGDPは世界第4位(日本24位)。 色々な機関のランキングでは世界の報道自由度ランキイングで世界1位(日本71位)、国民の健康と繁栄を示す人間開発指数第1位(日本24位)となっています。 日本人は北朝鮮などと比べて安堵するのではなくて世界に目を向けてもっと改善すべき点を素直に認めて、もっと幸福度の高い国になって欲しいと希望するのです・・・旅行記とは直接関係ありません、今も昔も北欧に対する考えは変わりません。
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オスロ観光はこのフログネル公園(Frogner Park)が有名です。フログネル公園は首都オスロの都心部から3㎞北西にある都市公園で32万㎡の面積があります。18世紀に貴族の別荘地であった土地をオスロ市が1896年に買い上げ、公園として整備したそうです。日本人からすると緑豊かな市内で、こんな大きな公園を作らなくても十分な気もしましたが😅。 ヴィーゲラン彫刻公園、ドッグラン、テニスコート、バラ園、博物館等様々な施設があるオスロ市内最大の公園となっています。

この公園には200以上の彫刻が置かれているのですが、それらの作品の全てがノルウェーで最も有名な彫刻家グスタフ・ヴィーゲランただ一人の作品となっています。これらの彫刻は「人生の諸相」を表現していると言われ、様々な人間の表情をみることができます。 年間100 万人以上が訪れるノルウェーを代表する観光地で、大型バス用の駐車場も整備されています。


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121人の人物が折り重なった塔「モノリス」は、この公園のシンボルであり、復活や精神性を表現しているそうです。

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「怒った子供の像」;この公園の散策中に最も笑ってしまったのが、この作品でした。ちんちん出して怒っても怖くありません😃 もしかしたらこの公園で1番人気の銅像かも知れません。
この公園をしばらく散策してホルメンコーレンジャンプ競技場(Holmenkollbakken)へ移動しました。
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<ホルメンコーレン(Holmenkollbakken):1952年冬季オリンピック>
ノルウェー、オスロ郊外のホルメンコーレン地区に位置するラージヒル(K120m/HS134m)のジャンプ競技場でノルディックスキーの発祥地であるノルウェーにおける代表的な競技場であることから、ノルディックスキーの聖地とも称される場所となっているようです。最初に作られてから現在までに19回改築されたとネットには書いてあいましたので、1990年の写真のあと何度も改築されたのかも知れません。先ほどネットでみたらだいぶ変わっていました。今では貴重な写真かも知れません。
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この時はジャンプ台の高さまで登らなかったと思いますが、学生時代に訪ねた札幌の大倉山のジャンプ台の頂上に立った時には「よくこんな高い場所からジャンプ出来るもんだと」感心しました。飛ぶと言うより落ちて行く感じでした😅

2022年5月 6日 (金)

梅雨時期のお花達

今週はゴールデンウィークのため生け花クラブの活動もなくお花を紹介できません。

沖縄はゴールデンウィーク期間中に梅雨入りとなりました。しばらくジメジメする季節が訪れます。

4月からは沖縄では春らしい温かさとなり、適度に雨も降るために植物達にとっては良い環境となると考えます。殆ど手入れをしない我が家でも1番多くの花が咲く時期となります。ちゃんと植物はこの時期を待っていたかのように花を咲かせてくれます。

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以前山原(沖縄北部地方)の公園に出かけた時に、近くの農園の方から「これは捨てるけど貰って行く?」と藍のような枝を頂いて来ました。20年余り花が咲く気配はなかったのですが、突然3年ほど前から花を咲かせるようになりました。今年は沢山連なって咲いています(上の写真に左です)。

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水まきだけは欠かさずにやっているますが、殆ど手入れもせず、たまに追肥をするだけです。我が家では過保護は生き残れません😅 この上の写真の左の下段の小さなお花は、いわゆる雑草だと思います。以前一年草の花を植えていた鉢にどこからか種が飛んで来て育ったものです。邪魔にはならないので、水やりだけはやっていたら、小さな可愛らしいお花を着けてくれています。 周りを見るとやはり南国らしいお花だと改めて思う種類です。
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南国の島でもやはりそれなりに冬は寒くて、春の訪れと共に花々が咲き出します。夏は暑すぎる沖縄ですので、今の時期が植物達にとってはいいのかも知れません。
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20数年来、小さな側溝に水を貯めてモーターで循環させているとそれなりに自然の生態系が出来ているようです。この時期はカエルたちが活動を始め鳴き声がうるさくなり、ヤゴから羽化したトンボがペアリングしながら数組飛び回っています。コロナ禍でも自然は何食わぬ顔をしていつもの春を迎えています。 
コロナのパンデミックが起きたり、ウクライナで戦争が始まったりと人間世界は右往左往していて落ち着きがありません。何が起きるか分からない状況ですが、この動植物たちのように地球の恵みを受けながら何事もなかったように暮らして行きたいですね💖

2022年5月 4日 (水)

放射線検査と被曝量について

現代の医療において放射線診断は欠かすことが出来ない検査となっています。骨折や心筋梗塞、脳卒中など診断だけでなく癌の治療などにも使われています。今日のFM放送は放射線被曝についてお話をしました。

放射線被曝と聞くと日本では医療被曝や原爆による被害を思い浮かべるかも知れません。医療利用に関して原則は、効果や有効性があるだけでなく安全性が担保されなければ利用することが出来ません。薬もそうですが、副作用がない薬はありません。しかしながら様々のデーターをもとに「効果>>副作用」が判明したのが医療薬として認められています。今回のテーマの放射線も被曝というデメリットがありますが、診断や治療に有効というメリットが高い場合に使用が出来るのです。

日本はヨーロッパ諸国と比べてCTの普及率と使用率が高く、医療被曝によるがんの発生が多いのではないかと指摘が以前からありました(最近のデーター(何処で観たかはっきりしませんが🙏)では米国では1台のCTの稼働率が高く、人口比で言うと米国のCT利用率が高いとのこと)。

・・・では日本人の放射線検査(治療を含めて)でがんが増えたかと言うと、結論から言うと「そうではない」ようです。

では、<実際の医療における放射線被曝量は>どれぐらいかと言うと、

①撮影の条件によっても、多少異なりますが、胸のレントゲン撮影では、0.05mSV。胃のバリウム検査では、2.0mSV。頭部のCTでは0.5mSV、胸部のCTでも3.0mSVといったところです。(mSV:ミリーシーベルト:放射線の量の値です)

・・・これまでの原爆による影響や原発事故或いは放射線装置のソフトのミスによる医療事後(米国)などから、人体に対する影響が分かっています。

②人体に影響が出る放射線量は、年間200mSVまでは人体に影響がない値となっています。私達のように放射線検査や治療を行う医療従事者は毎月放射線測定パッチを着けて毎月の放射線被曝量を測定し、年に2回の採血や視力検査、皮膚の状態などが法律で義務づけられて行っています。

放射線に携わる医師や放射線技師、看護師などの職業人などの年間被曝線量は安全の確保からも上限が50mSVまでと定められています。

②のことを頭に入れて①の検査時の放射線量を考えると、一般の方が受ける検査での放射線の危険度は高くないと言える訳です。だからといって不必要な検査を受けるべきではありません。

 

<自然界から受ける放射線量>

・・・外来にて、以前結核を患ったことのある患者さんに、ここ2〜3年胸部レントゲン(被曝線量は0.05mSV)を撮っていませんので(結核後のことやがん発生のことを念頭に)レントゲンを撮りましょうかと説明したところ「被爆したくないのでいいですと」答えられました。時々過度に放射線を怖がる方がいますが、私達は実は周りから年間約3mSVの放射能を浴びています。これは防ぎようがありません。

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胸部レントゲンの被爆が怖くて検査を拒否した方は、実は胸部レントゲンを年間60回撮影をしたのと同じ量を自然界から受けているのです。

私達は何もしなくても年間3.0ミリシーベルトを自然界から受けています。これが多いか少ないかは医療被曝の量と照らしあわせて下さい。 自然放射線による被爆についてどこから放射線を受けているかを今回は主に記載したいと思います。

(1) まず 宇宙より放射線が飛んできます。

 地球には、常にいろいろな放射線が宇宙より降り注いでいます。宇宙線は、海抜高度によって変化します。だいたい,1500m上昇するごとに約2倍になると言われています。

(2)続いて 大地より

 大地からの放射線の源は,地球内部に含まれる放射性の核種です.それらは約45億年前につくられ,大地に含まれるウラン、トリウム、カリウム40(K)などの自然の放射性同位元素です.

(3)そしてもう一つ 「食物より」

 飲料水中に含まれる自然放射能には、ウラン、トリウムなどでこれらは非常に微量ながら存在します。食事と水をとっている限り体内被曝を浴びていることになります。

 

(1)、(2)、(3)のように自然界から受けて来た放射線量は人類発生時から受け続けていて現在があるわけです。毎年放射線を3mSVを受け続けて人類は進化したのです。

無駄なレントゲン検査を受ける必要はありませんが、過度に不安がる必要もありません。専門家ではありませんが、皆様も心配しないで、検診を受けていただいて、水もお食事も普通にお取りになって下さいね😊

 

2022年5月 3日 (火)

憲法記念日とウクライナ危機へのジレンマ

毎日毎日ウクライナの惨状を目にするにあたり心を痛めている方も多いと思います。 一方的に普通の生活を破壊され、多くの難民を出し、多くの死傷者が出ています。非人間的な行為に対して怒りも込み上げて来ます。怒りの向こうにロシア人に対する憎しみも生まれかねません。被害妄想から冷静さを失ったプー(プーチンとも言いたくない程です)が一方的に侵攻を命じました。戦争は人を恐怖にそして残酷にします→アウシュビッツ・ビルケナウ収容所)。ロシア兵の多くも好きで人を殺してないはずです。ロシア国民もプロパガンダを信用したり、恐怖のために声を上げれないことを私達も冷静に判断をしなければいけないと思います。  

徹底的に破壊されたマリウポリの中でも世界中がアアゾフスタリ製鉄所に閉じ込められた子どもを含めた避難民の安否が心配だと思います。 殆ど常任理事国の拒否権で機能しなくなった国連の努力によりロシアとウクライナの同意で一部の方々が救出されたのは嬉しいニュースでした。 救出された方の中に子ども達や乳児も含まれており、その子らの笑顔に涙が止まらない状態です。

私のココロブの旅行記でも様々な国のことを書いています。丁度今はノルウェーの旅行記をアップしています。その中で2014年のクリミア危機で西側諸国の飛行機がロシア上空を飛べないことに関して、記事を書いたりしました。その時は遠い国の話のように感じていました(→アンカレッジ経由)。そしてバルト三国やポーランド旅行などを介して自由がどれ程重要かも知っていたつもりでした(→バルト三国自由への願い)。

2014年の危機に私はもっとウクライナのことを知るべきだったと反省しています。そして国際社会がもう少しこの重要性を共有していれば今のロシアの無謀な侵略も阻止出来たのかも知れないと考えています。

ロシアの侵略が成功すれば「自由や人権を含め国際法の秩序」が失われる危機があるこを知っています。ウクライナに勝って欲しい。しかしその為には戦争が長引き、死傷者が増え続ける現実を受け入れないといけない矛盾を解決出来ずに悶々とした日々を送っているのです。  

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戦争は愚かなリーダが起こします。そのリーダーを作り出す人間社会の未熟さも現実にあるのです。答えのないなかで最良の方法を捜し続けるしか方法はないのかと悩む朝です。

今日は憲法記念日です。世界で随一の平和憲法です。ロシアの一方的な軍事力の力で破壊されるウクライナの危機で日本の軍事力を高め憲法を改定しようとする機運が高まっています。私はこのような危機的な状況で物事を安易に進めるべきではないと考えています。 人間がパニックになりかけた時には冷静になる時間が必要です。 国連が機能することで日本国憲法は輝きます。 そのための努力がいま日本に求められています。 

もう既に日本の軍事力は世界第6位です(米国、ロシア、中国、インド、フランスに次いで6位)。 軍拡競争を行っても行く着く先は戦争以外ありません。 恐らく軍拡で安心するためには日本の防衛費を高め世界一(少なくともロシア、中国より上)の軍事力をもつ国にならなければなりません。  

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年々GDPの世界比率が落ちてくる日本において国防費の増額のためには福祉や年金、日々の生活を犠牲にすることが必要です。今ウクライナ問題でガソリン代や燃料費、食糧品の値段が上がっただけで、生活苦を感じる国民が世界一の軍事力が必要かどうかを考えるために冷静になる時間が必要だと思うのです。 

「力対力」を信奉する政治家のプロパガンダに乗る必要はありません(なにも自衛のため軍事力を否定する気はありません。既に世界第6位の軍事大国ですので運用を考える必要はあると考えています)政治家に取って平和の維持より戦争する方が簡単だったのは歴史が証明しています。 地道に福祉とか平和や幸せを追求する政治家は目立ちませんが、勇ましく隣国と対決姿勢を示す方が政治家に取っては点数が簡単に稼げるのです。 しかし実際の戦争になると、死んで行くには政治と関係のない若者や子ども達です。

大変な時にこそ冷静に考える必要があります。憲法は政治が暴走する抑止力になることを今一度立ち止まって考えたい憲法記念日です。

2022年5月 1日 (日)

1990年ノルウェーの旅3(バイキング博物館、コンチキ号博物館、民族博物館)

1990年に出かけたデンマーク・ノルウェー・スウェーデン・フィンランドの旅行の写真を記載しました。次回行く機会があれば旅行記をしっかりと書いてみたいと思います。 取り敢えずな懐かしい写真をスキャナーで取り込んで載せてみました。
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ベルゲンからフィヨルド観光後ファーゲルネス に宿泊し、バスと電車でノルウェーの首都オスロに到着。現在のオスロの人口は約65万人だそうです。

オスロの小高い丘の上に位置する王宮は、現国王ハーラル5世夫妻の居城として使用されているそうです。色使いなどは北欧らしい感じがしますし、緑も多く広々としていました。観光客以外に地元の方の憩いの場になっているかもしれません。

調べてみると月曜から金曜の13時半からは衛兵の交替セレモニーが行われていて、多くの観光客がその見学のために陣取っているとのことです。ただ私のアルバムには衛兵の交替の場面はありませんでしたので、時間が合わなかったと思います(記憶にすらありません😢 もしかしたら当時は衛兵の交替セレモニーはなかったのかも知れません

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<バイキング博物館>
ノルウェーと言えばバイキングでしょって訳でもないですが、直ぐにバイキング博物館を訪ねています。想像以上に船が大きかったことにビックリした記憶があります。(この旅行の時に最初の旅行先がデンマークでしたが)いわゆるヴァイキングにはデンマークとノルウェーからの2系統があり、西洋諸国ではデンマークから来たヴァイキングを「デーン人(Daner,Dane)」と呼び、ノルウェーのヴァイキングは「ノース人(Norsemen,Norse)」と呼んで区別したようです。

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かつては北海からヨーロッパ各国に人々を震え上がらせていたヴァイキング。映画やドラマなどでみるバイキングは独自の文化を築いていたように感じました。 映画やドラマの影響でしょうか私に取ってはヴァイキングといえば、原始宗教を信じ、スカンジナビア地方を根拠地として最先端の港運技術を元に海軍力を活かして北海やバレンツ海を放火略奪などの殺戮行為を専らにした海賊というイメージが強いのです。

まあ今で言えば海からの略奪者集団ですので歓迎されなかったと思います。しかし彼らは海賊という側面と地中海までの南ヨーロッパを含めた通商船団であったとの側面もあります。ヴァイキングが活躍した9〜12世紀にこのような広大な地域の交易に携わったことで、ヨーロッパ圏の色々な文化の交流に一役かった側面もあると考えられています。またヨーロッパ各地にその後定住してフランス東部にノルマンディー公国を、イタリアではヴァイキングの末裔が南イタリアを統一したりと様々な場所でバイキングの痕跡を見つけることが出来るとのことです。

「ヴァイキング博物館」の目玉はヨーロッパ各地を侵略した9世紀頃に造られたバイキング船3隻の展示にあります。上の写真はオーセベリ船です。1,000年以上たっても保存状態良く発見されたのは、ヴァイキングの首長たちが亡くなった際に、死後も首長を守るという目的で、木材が腐りにくい粘土の山中に埋められたためだと言われています。寒い地域だったから更に保存状態が良かったのだと思います。船と一緒に身の回りの品々も一緒に埋葬されたために貴重な資料となって展示されたいました(交流はないと思いますがエジプトのファラオと交差してしまいます)。

先ほど「オーセベリ船」と書いたのは展示された3隻にはそれぞれ発見された場所の名前が付けられています。1867年に最初に発見されたのが「トゥーネ船」です。1867年の発見時は考古学が未熟だったため、発掘作業中に激しく損傷し船体は断片的な状態です。次に、1880年に発見された「ゴクスタ船」は全長24mと3隻の中では最大。1904年に発見された「オーセベリ船」は、全体の9割以上に元の木材を使用し、修復されて展示されています。船には龍や蛇などをかたどった装飾がされており、身分の高い人、おそらく女王の遺体とともに埋葬されたと言われています。


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<オーセベリ船 (ヴァイキング船博物館、オスロ)

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バイキング博物館の隣にはバイキングと何ら関係のなようなコンチキ号博物館があります。昔日本を含めて世界中で有名になったパルザ材を使ったコンティキ号の船による1947年の太平洋横断の記録になります。

ノルウェーの人類学者、海洋生物学者、探検家、トール・ヘイエルダー(1914~2002)は、1947年に筏船のコンティキ号にて漂流航海の実験を行いました。

ヘイエルダーは、南米の石像とポリネシアの石像が似ていることや、植物の呼び方が似ていることで、ポリネシアの人々の起源は南米にあるという論文を発表しましたが、当時の技術では船で行き来するのは無理だと学会の反対を受けました。これを受けて、南米のバルサ材を使ったコンティキ号を作り、1947年4月28日に5人の仲間と1羽のオウムと共に出発。曳航船によってフンボルト海流を越えてから、漂流を開始し、イースター島を目指します。出航97日目にポリネシア諸島の1つに辿り着きましたが、出航102日目にラロイア環礁で座礁しています。

この約8,000キロの漂流公開の記録をまとめた「コンティキ号探検記」は、世界62か国で翻訳され、大ベストセラーになりました。この冒険自体の業績は認められていますが、実際は航行機器やアマチュア無線を使って各地と交信したりしていたことや、強力な海流であるフンボルト海流を曳航船で越えてから漂流を始めていることなどから、これでは立証実験にはならないという批判が起こり、その後の研究により南米とポリネシアの関係性はなかったとされています。

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<コンチキ号博物館>
1947年イカダ船コンチキ号:ペルーからポリネシアまで航海

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実証実験は失敗ですが、チャレンジしたことや古代ロマンを駆り立てたために造られた博物館かも知れませんね。

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<ノルウェー民族博物館>
ノルウェー民俗博物館は、オスロの市街地から 5 km 離れたビグドイ半島にあり、中世の教会や農家など、ノルウェーの過去 600年間の歴史の中で造られた本物の建築物を展示する、大きな野外博物館となっています。なかなか他のヨーロッパ諸国とは違う建築様式で今でもこの不思議な形は覚えています。ノルウェー民俗博物館は、屋内の博物館と野外の展示スペースに150 軒以上もの歴史的建造物を展示しているそうです。屋外の広々とした場所にありますので散歩には丁度良いのかも知れません。

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