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2022年3月27日 (日)

世界を夢みて(283);2013年:モンテネグロ(コトル)No1

クロアチアのドゥブロヴニクからモンテネグロの観光名所のコトルへと観光に出かけました。バスで2時間ほどで到着します。パスポートチェックがあったかさえ覚えていない程で直ぐに到着しました。他の方のブログを読むと国境でのパスポートコントロールでかなり時間がかかったという記述がありましたので、出かける方は注意が必要かも知れません。

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モンテネグロは、ヨーロッパ南東部、バルカン半島に位置する共和制国家で旧ユーゴスラビアに属する国家でした。バルカン半島の複雑な歴史を歩んだ国家で人口は64万人程度ですので、日本では殆ど聞いた聞いたことのない国家かも知れません。前身はユーゴスラビア紛争によるユーゴスラビア社会主義連邦共和国の解体によって成立したユーゴスラビア連邦共和国(1992年-2003年)およびセルビア・モンテネグロ(2003年-2006年)を構成する2つの共和国のうちのひとつ、モンテネグロ共和国でなったそうです。更にモンテネグロ共和国は2006年6月3日に独立を宣言し、21世紀に独立を果たした国家とされています。

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モンテネグロだけの観光でこの国を目指す方は少ないかも知れません。最近人気のクロアチア旅行のおりに立ち寄ることが多いのではないでしょうか? 私の方は陸路でドブロブニクからコトルへ向かい、聖トリフォン大聖堂、旧市街を徒歩観光後は日帰りで、ドブロブニクにて宿泊となりました。

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アドリア海の複雑な入り江の奥にあるコルトは天然の要塞で、15世紀当時この地域を支配していたベネチア共和国がコトルを支配下に置くと、オスマン帝国の侵入を防ぐため、背後の山にまで続く総延長4.5kmにも及ぶ城壁を築きいたそうです。これが現在のコルトの街並みとなっています。

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アドリア海から深い入り江となったコルト湾を通って巨大なクルーズ船が接岸出来るようです。私が到着した時にも既に大きなクルー前から乗客が下船していました。まだあちこち飛び回りたいのですが、いつかはクルーズ船の旅も経験したいものです・・😊

コトル湾の入り江の一番奥にはコルト旧市街があります。街の建築物は古く、12世紀のロマネスク様式をはじめ17世紀のバロック様式など中世の時代に迷い込んだような街並みです。 この旧市街は世界遺産に指定されています。

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港にこのような看板がありました。コルトで書いてるようで全く読めません。"CRNA GORA"は、モンテネグロ語での国名だそうです。英語で書くとMONTENEGROとなるのでしょうか? 

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背面を急峻な山で囲まれて居て、海側から街に入る城壁は非常に高く積み上げられていて、鉄壁な守りになったのかも知れません。
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コトル旧市街の西側の入口である海の門は、その名の通りコトル湾に面しています。常に多くの人が行き交う「海の門」をくぐると、旧市街最大のオルジャ広場が広がります。
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城門の中に入ると狭い区間に建物が密集していて、観光客で賑わっていました。
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2つの塔が特徴的な建物が、聖トリプン(トリフォン)大聖堂(St. Tryphon Cathedral)です。カトリックの教会となります。1160年創建で、地震による損傷を受け1667年と1979年に再建されています。


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中に入るには有料です。もう値段は忘れてしまいました😅(ネットでみると2.5€だと書いてありました)。 カトリックの教会ですが内部は落ち着いた感じで煌びやかさはありません。2階には展示室があり、ベネツィアの商人によってコンスタンチノープル(現イスタンブール)から運び込まれた絵画や宝飾品、金色に輝く聖具なども見ることが出来ます。

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聖トリプン大聖堂の近くに、少し古めかしい建物がありました。聖ルカ教会です。この小さな教会は1979年の地震の被害を受けていないコトルで唯一の建物だそうです。
1195年に建てられたカトリック教会で、後に正教会の教会となります。モンテネグロはちょうどローマカトリックと東方正教会が接する地域にあたり、それぞれの祭壇の特徴が見らるとのことです。


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更に近くには聖ニコラ教会があります。8世紀に焼失した修道院の跡地に建てられたカテドラルで、1902~1909年の築。こちらはセルビア正教会のため、大きな汎スラブ色の旗が掲げられていました。

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城壁の中にある旧市街地には小さな範囲で沢山の教会がありました。それだけ多様な宗教が争うことなく、色々な民族が共存していたのでしょうね。

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石畳に古い建物が並ぶコルトの街はとても美しい街でした。特に街の丘に登り、入り組んだ港には、巨大なクルーズ船が入港するところが見えて来ました。今ではこのように多くの観光客が押し寄せる港町かも知れません。次回は世界一美しい湾とも称されるコトル湾の眺めを紹介します。

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コメント

院長先生
こんばんは。
鉄壁な城塞に囲まれて旧市街は街並が美しいですね。
多民族を反映して様々な教会が建てられて〜!
地震でも被害が無かった教会は堅固な造り
だったのでしょうね?
一見してビル🏢かと見間違ったのは豪華クルーズ船🚢なのですね?
あの横浜港のクルーズ船を思い出して😰すみません。

お天気にも恵まれて良いご旅行でしたね!
続きを楽しみにお待ちしております。

ウクライナへの侵攻が一日も早く終わり、
自由に海外旅行ができる日が訪れますように〜✈️

こんばんは。

以前ベネチアで巨大なクルーズ船を見ました。
あまりに巨大だったので、あれは絶対ビルでしょと言ったら
ツアコンさんがクルーズ船ですと言いました。
それ程巨大でした。
でももう地盤沈下の為、ベネチアには接岸出来なくなる
と言うような事も聞きました。
モンテネグロは知っていましたが、どのような所かは知りませんでした。
背後に山、海側には堅固な要塞。
守りの堅い街なんですね。
聖トリフォン大聖堂はシンプルで質素な佇まいがいいです。
多様な宗教が争うことなく多種民族が共存していたのは
素晴らしい事ですね。

マコママさん、こんばんは。

このような場所の重要性を見つけたのが、海運に力を入れていたベネチアだと言われています。アドリア海から直ぐには入れない、一番奥まった部分にありますので、外敵は直ぐに戻ったり、通過することが出来ません。陸の部分では急峻な山がありますので、城壁で固めたら鉄壁となったのでしょう。

少し遠目からみると海岸沿いにあるホテルかと思うぐらい大きな船でした。 恐らく4000〜5000人ぐらい収容出来るのではないかと考えます。

天気も良く気持ちのいい街歩きが出来ました。

1日でも早くウクライナの停戦が実現して欲しいです。

sharonさん、こんばんは。

本当に大きな船でした。近くで見るとその大きさに圧倒されました。本当に巨大なホテルと同じです。4000〜5000人ぐらい収容でしょうから、1つのホテル以上の大きさかも知れません。

コルトの地理的優位性を見つけたのはベネチアと言われています。入り組んだ海岸沿いでありながら、海面も深く巨大な船も難なく接岸出来る点がベネチア共和国が支配下に置いた理由なのでしょう。

モンテネグロの名前は私も何となく聴いたことがあったのですが、モナコなどのフランス近くにあるのかと昔は想像していました。コルトは半日観光でしたが楽しめましたよ。

聖トリフォン大聖堂はカトリックの教会にしてはシンプルでプロテスタント教会に近い雰囲気でした。海運業で成り立った街なので色々な人々が住んでいたのでしょうね。 相手を認めていれば他宗教、他民族でも仲良く暮らすことが出来ると思いました。

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