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2022年3月13日 (日)

世界を夢みて(281);ドブロブニクNo3(街中散策)

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ホテルを早朝に出て、一般の開門の前に旧市街地の城門を貸し切り入場でした。期待通りに城壁の散策で他のグループはいないために人が歩いていない城壁の写真を撮ることが出来ました😍 城壁を降りて、旧市街の中の散策開始となります。

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ピレ門を抜けると、正面には「プラツァ通り」、その通りに沿って右手には「オノフリオの噴水」、左手に「フランシスコ会修道院」があり、その教会と城壁の間に小さな救世主教会があります。

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ピレ門から旧市街に入ると、円形のオノフリオの噴水が目に止まります(前々回のブログでは朝早く暗くて分かりずらかったと思いますが、日中はこのような感じとなります)。この噴水は 12 km 離れたドゥブロヴァチュカ川から水を運ぶため、1438 年に建設された給水施設で、水路を通じて飲料水を街の中へ送っています。

今でも特徴的なドームの大噴水は、建設当初は壁などには更に多くの彫刻と凝った装飾で飾りたてられていたそうです。1667 年の大地震でこうした装飾は失われたそうです。昔の図面や絵画などが残っていたら建設当時の姿に復元して欲しいですね。 それでも現在は16面ある水道口にはそれぞれ違う顔のレリーフが飾られています。

旅行後に判ったことですが、大噴水があるなら小噴水もあるようで、実際にストラドゥン通りのもう一方の端には、小規模な噴水があり、ルジャ広場のマーケットに水を供給しるそうです。

Th__20211214131801大噴水の隣(ピレ門のすぐ横に)救世主教会があり、その横の路地を入るとミュージアムの看板があり、そこからフランチェスコ会修道院に入れます。入場料はたしか30クナ程度だったと思います。

フランシスコ会修道院が建設されたのは14世紀です。ここもやはり1667年に起きた大地震で崩壊し、その後に再建されたものです。

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ドブロブニクの大きな通りに面している修道院ですが、中に入る外の喧騒はほとんど聞こえず、厳粛な気分になれます。
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修道院内のロマネスク様式の回廊が美しく、柱には動植物が彫刻されています。中庭から降り注ぐ光が影を作りまたそれも美しいのです。


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フランチェスコ会修道院を有名にしているのが、世界で3番目に古い薬局マラ・プラーチャ薬局です。なんと1317年に開設され、現在でも営業を続けています。
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修道院の奥には小さな博物館があり、昔の秤や薬草を収めた小さな壺や、当時の処方箋が展示されていました。これらは修道院内の薬局で中世時代に実際に使用されていたものです。

1317年に開設された薬局は、クロアチア最古の薬局で、ヨーロッパでも3番目に古い薬局になります(ちなみに一番古いのは1221年のフィレンツェのサンタ・マリア・フラ・レ・ヴィニェ修道院の薬局だそうです)。

内部には、薬局のほかに治療院や病院も作られ、現在に引き継がれています。  修道院の薬局で調合されるクリームは、14世紀から同じ製法でつくられており、観光客にも地元の人にも人気の品です。私は買いませんで私がが、この店オリジナルのハーブやローズを使用した自然派コスメは、日本人女性客に大人気でだそうです。行く機会があれば皆様方もチェックして下しね😃

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修道院を出てドブロブニクの大きなプラツァ通りを歩くと、通りの横にもこのような路地が並んでいます。色々なお店がありそうですよ。

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旧市街西部に位置する「ピレ門」から旧市街中心部の「ルジャ広場」へと続く「プラツァ通り」は、この街のメインストリートとして長く愛されてきました(一番上の地図を参照)。 石畳の約200mの通りを周りには可愛らしいカフェやショップが並びます。プラツァ通りの東側にあたるのが「ルジャ広場」があり、正面にはランドマークである、時計塔が見えてきます。丁度朝日を浴びて眩しいです。


時計塔の高さは31 mで、毎時、美しい鐘の音で時刻を知らせてくれます。もともとは 1444 年に建てられ、この周囲に大被害をもたらした1667 年の大地震でも崩壊することはなかったそうです。

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プラツァ通りの突き当たりのルジャ広場の右側にはドゥブロヴニクの守護聖人ヴラホの名を冠したバロック様式の聖ブラホ教会があります。この広場にはカフェなどもあり多くの観光客で賑わっています。
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教会の屋根の正面に建立されているのが聖ヴラホです。
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ルジャ広場に面して建つレクター宮殿です。もとはラグーサ共和国の総督の邸として1435年に建造されたそうです。その後、火薬庫の爆発や大地震などで何度も被害を受け、その度に修復、再建を繰り返し、その結果、現在のゴシック様式とルネッサンス様式が混在した様式に変わったとのことです。 正面の6連のアーチを持つ柱廊が特徴的です。
現在は文化歴史博物館として公開されているようですが、こちらも時間がなく入館していません😂
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ズボラ宮殿を更に南に進むと、「ドブロヴニク大聖堂」が見えてきます。別名「聖母被昇天大聖堂」と言いますので、聖母マリアに捧げられたカトリック教会と言うことになります。教会の歴史は非常に古く1192年になんと「英国」の「リチャード獅子心王」によって「ロマネスク様式」で建てられました教会とのことです。
なんでイギリスなのと調べたら、十字軍が関係していたようです。イギリスのリチャード獅子王が1192年、第三次十字軍戦争の帰路、嵐のロックルム島付近で船が難破してしまいます。王は生き残ることが出来たら、着いた土地の町に大きな教会建設のためのお金を寄付すると誓ったのです。その誓いを守ったことのようです。そのためにイギリスが支配していた訳ではないのですが、ドブロブニクに英国王の寄付で建てられたこの教会が出来たのです。

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だだ建築当初の教会は「1667年の大地震」で「全壊」してしまい、後に「バロック様式」で再建され教会となっています。現在はこのバロック様式の大聖堂となっています。私は時間がなくて入りませんでした。素晴らしい宝飾品が納められているそうです。

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来た道を戻って、旧ドブロブニクの港に出ました。

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急に海の匂いがして来ました。私の住む沖縄の海の匂いと同じです😃

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ドブロブニクの猫ちゃんも沖縄と同じで大きな違いはなさそうです(一緒にしないでよと・・言っているかも知れませんが・・)
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このような城壁の門をみていると、旧市街には大きなトラックは入りそうもないですね。大きな工事をする時にはどうしているのでしょうか😅
次回は、一番ドブロブニクらしい景色が見渡せるケーブルカーでスルジ山展望台から旧市街の写真を紹介したいと思います。

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コメント

院長先生
こんばんは。
今日もお疲れ様でございました。

ここも大きな地震に見舞われていたのですね!
でもきちんと再建されて、住民の方々の努力だった
でしょうか?
教会や修道院はちょっとした?美術館を思わせますね!
中にお入りになられたら、きっとその素晴らしさに
感嘆されたかもしれなせん。
続きを楽しみにお待ちしております。

今、ウクライナの歴史的建造物も破壊され、
何の罪もない人々を恐怖に追いやり
あの狂った大統領は何とかできませんかね?
いたいけな子供たちを見ると心がいたみます。

こんばんは。
ウクライナのことで先生も心を
痛めていると思っています。
戦争犯罪者の大統領を世界は
どうにか止められないかと
願っているのですが・・・
ドブロブニクは高い場所からの
写真しか殆ど見当たらなかった
のですが、城壁内もこんなに
沢山の教会などがあったのですね
いつかはクロアチアに行ってみたい
です😍

こんばんは。

旧市街は歴史を感じる建物が多いですが
オノフリオの噴水は面白い形状ですね。
レリーフの人物の口から水が出ているんでしょうか。
円形と言うか多面の方が水口を沢山配置出来ますものね。
フランチェスコ会修道院の陽の差す回廊も美しいです。
フィレンツェの最古の薬局は訪れた気がするんですが
定かではないです^^;
クロアチア最古の薬局と言うのも魅力的ですね。
14世紀から同じ製法で作られているクリームも興味深いです。
英国のリチャード獅子王は生き残ったらその土地に
教会建設のための資金を寄付するなんて
粋な計らいをしたんですね。
ヒコーキ耳の猫ちゃんの写真はモノトーンで雰囲気が出ています^^
次回も楽しみにしています♪

マコママさん、こんばんは。

1677年に起きた地震は大きかったようで、クロアチアの多くの都市でも被害を受けたようです。 日本人にとっては複雑なプレートが入り組んでいる日本に地震が多いことは知っていて、ヨーロッパは地震がないように考えてしまいます。イタリアのボンペイも火山で壊滅しますし、ボルトガルのリスボンも地震で壊滅しました。

ドブロブニクは実質1日程度しかいませんので、旧市街地にある教会や宮殿をみる時間がありませんでした。ネットなどでみると素晴らしいようです。もう一度行く機会があればじっくりと散策してみたいです。

ウクライナへの侵攻が始まって以降、私も精神的な気力がなくしてしまいそうでした。 昨日や今日は色々な機関や民泊などの宿泊予約(実際には泊まれませんが)して、ウクライナ関連の寄付を試しています。本当はそのようなことより早くあのプー太郎大統領をどうにかして欲しいです。

舞子さん、こんばんは。

本当に、日本人の多くがウクライナの惨状をみて心を痛めていると思います。今日は何カ所かのウクライナの民泊施設に予約を入れました(実際にはもちろん泊まれませんが、その宿泊代がオーナーに渡るようになっています)。そのオーナーの半分ぐらいからは感謝のメッセージや周りの状況の写真も添えてくれました。キエフなどの宿泊施設の中で返事もなかったのが有りましたので、安否が心配です。

ドブロブニクは山からみた城壁に囲まれた都市とアドリア海の写真が有名ですね。私もここにゆくまではこの景色が目当てでしたが、市街地も歩きやすくて見所満載でした。

舞子さんも是非クロアチアを旅行先の1つにして下さいね。

sharonさん、こんばんは。

旧市街地は教会に博物館、宮殿など多くのみるべき施設がいっぱいありました。その殆どを観て回っていませんので、もったいない限りです。

オノフリオの噴水は12面ある顔の部分から水が出るようになっています。アルファンブラ宮殿のライオンの間にある12体の噴水とイメージが似ていますね。

フランチェスコ修道院の薬局は有名のようで、私は他のところの写真を撮るのに夢中で買い物はしませんでした。 フィレンツェの最古の薬局も店舗が道に面していたと思いますので、多くの方が色々と買って帰ったのかも知れません。sharonさんも出かけているかも知れませんね。

ベネチアなどとは関わりはあっても英国との関係は?と思って調べたら、このような歴史があったようです。

猫ちゃんの背景などを見たら白黒の方が雰囲気が良かったのでこのような写真にしました・・・よく気がつきましたね😊

次回は一番目にするドブロブニクの写真を紹介したいと思います。

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