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2022年2月

2022年2月27日 (日)

世界を夢みて(279)2013年:ドブロブニクNo1(早朝の城壁巡り)

クロアチアの旅行地でまず有名なのがドゥブロヴニク(Dubrovnik)だと思いますし、私もこの旅行で楽しみにしていた場所でした。紺碧のアドリア海を背景に城壁に囲まれた赤煉瓦の街並み、本当にジブリの魔女の宅急便にでも出て来そうな風景が広がります。丁度半分が海に飛び出したような地形から海に浮かんでいるかのような美しさ町となっています。その美しい姿は「アドリア海の真珠(The Pearl of the Adriatic)」として讃えられ、1979年には世界遺産にも登録されました。しかしここも1991年以降のセルビア・クロアチア内戦で莫大な被害を受けてしまいます。その後住民の懸命な努力で元の姿に戻りつつあります。

前日は夕方にドブロブニクに到着後に近郊で夕食となりました。その後ドブロブニク市内から離れたホテルの宿泊となりました。今回一人参加のツアーでしたので、ホテルを自由に選ぶことが出来なくて残念でなりませんでした。いつもなら帳が降りた後の市街地の散歩をするのですが・・・😂。それでもこのツアーを選んだのは「ドブロブニクの城壁の開門前の早朝に貸し切ることが出来る特典」があったからなのです。 世界的にも有名な場所ですので、城壁に登ったら人だらけとなると私にとっては悲しい限りです(人が入った写真を撮ることが苦手です😅)。

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ドブロブニクは半島に突き出た形の旧市街地は全周を高い城壁に囲まれた要塞都市です。 朝早くホテルを出発し、城壁の門と通り、ドブロブニク市内へと入ります。旧市街への入口には3箇所の門があり、それぞれ名前がつけられています。西のピレ門(Vrata od Pila)北のブジャ門(Vrata od Buze)東のプロチェ門(Vrata od Ploca)の3ヵ所あります。バスの駐車場から近いために、上のピレ門から観光客は入ることが多いようです。
元々は跳ね橋となっていましたが、現在は常時架けられているようです。丁度正面の門のアーチの上にはドブロヴニクの守護聖人である聖ヴラホの彫刻が人々を出迎えています。

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このように入ると改めて城壁の高さを実感します。

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GoogleMapより地図を拝借して主な観光場所を記載しました。上の地図の左側の「ピレ門」から入った所となります。

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ピレ門をくぐってしばらくすると円形の「オノフリオの噴水」の場所に出ました(写真はまだ暗い状態で詳細が分かりづらいですが、それぞれの面に噴水が出ている構造です)。ここで今日のガイドさんと待ち合わせとなっています。この噴水は12キロメートル離れた源泉から天然水を引き込んだものです。そのため、昔から人々ののどを潤す憩いの場として親しまれてきました。私は飲んではいませんが現在もこの噴水の水は飲むことができるそうです。

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ザダルから海岸沿いの美しい夕日を眺めて、その日はドゥブロヴニク郊外のホテルに宿泊しました。そして早朝の「一般の開門の前に旧市街地の城門を貸し切り入場」となりました。それはそれは贅沢な時間であります😊 上の写真の左側の建物は「フランシスコ会修道院」の入り口

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と言うことで、ガイドさんと待ち合わせして、まだ開門前のチケット売り場の横から係員の許可を貰って城壁へと登ることが出来ました。城壁に登る入り口はこの「ピレ門近く」と「プロチェ門近く」「聖イヴァン要塞近く」の3箇所があるとのことです。まずは街を囲む城壁の遊歩道を1周することから始まります😍
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街を1周ぐるっと被っている城壁の距離(約2Km)は結構ありますので、城壁巡りには写真タイムも含めて1〜2時間はかかると見ておいた方がいいと思います(最短でも40分程度)。ガイドさんにも事前に説明がありましたが、城壁の途中にはトイレはありませんので、お手洗いは先に済ませておきましょう。ドブロブニクのメイン通りのプラツァ通りにも人影は殆どありません。

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統一された赤い屋根が特徴的な旧市街地です。魔女の宅急便のキキがホウキに乗って飛んで来そうです😃
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上の写真で旗が立っているのは城壁の外にある「ロブリイェナッツ要塞」です(そこまで続いている訳ではありません)。
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海に突き出た岩礁の上にも城壁が造られて、鉄壁の防御を誇ったのかも知れません。
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写真の右側がドブロブニク城壁の部分で、真ん中の市街地は城壁の外の新市街地、左が先ほど見えたロブリイェナッツ要塞となっています。


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城壁の間から見える、アドリア海とエラフィテ諸島(上の島はロクルム島)の風景は見事なもので、美しい絵はがきを見ているかのようでした。
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写真が増えましたので、後2〜3回に分けてドブロブニクを紹介したいと思います。

2022年2月25日 (金)

1989年エジプト旅行No3(カルナック神殿、ルクソール神殿)

今週は生け花クラブが休みのようで金曜日のお花を紹介できません。代わりに庭に咲いたイッペイの花を出したかったのですが、昨日まで雨が多く青空での写真が撮れずに断念しました。 代わりに昔行ったエジプトの旅行記をアップ致します。

以前書いたエジプト旅行記の続きを記載します。→エジプト旅行No1 , エジプト旅行No2

33年前に訪ねたエジプトの旅行記で、アルバムに中にあった写真をスキャナーで取り出して載せてみました。画質は悪いのですが、これも味がある写真となり記念になっています。初めて行ったエジプトの首都はカイロは色々な機関が集まっている雑然とした大都市の印象を受けました。

エジプト観光の目玉の1つにルクソールにある、カルナック神殿ルクソール神殿があります。 ルクソールはかつてエジプトの首都テーベが置かれた都市で、中王国時代の紀元前2000年頃から首都が何度か置かれた都でした。ナイル川の東岸にある神殿群で、かつての栄華がうかがわれます。映画のハムナムトラなどでもよく「テーベ」の名前を聞くことがあります。_0044_20210216143401


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カイロからは船で向かった記憶があるのですが、どの箇所で乗ったか健忘のかなたです。乗り物の記憶として残っているのは、とても時間にルーズな列車が30分の遅れで乗り込めたラッキーな思いでともう1つは飛行機の離陸の時でした。これはアスワンからの飛行機での移動の離陸時の時です。
もとエジプト軍のパイロットだったという機長の操縦でした。凄く上手だったことと、飛行機に乗り込んでドアが閉まって離陸準備と思いきや、すぐに動き出してUターンし滑走路に入りました。これまでの飛行機の体験では、いったん立ち止まる時間があると考えていました。 ところが1度も止まることもなく、もちろん速度を落とすことなく直ぐに加速して飛び出したことは昨日のように覚えています。これまでの経験の中で乗客が乗って離陸するまでの時間の最短記録だと思います😃・・・何故かこんなことは33年たっても記憶に残っています😅

カルナック神殿はアモン神を祭った神殿で、東西540m、南北600mの壁で被われた巨大な神殿建造物となっています。

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神殿に入る前の通路の両側には変わった形のスフィンクスの像が建ち並んでいます。あの大スフィンクスを思い浮かべたのですが、なんと頭は羊で胴体がライオンとなっています。「羊とライオン」奇妙な組み合わせです。

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兎に角何もかもが、やたらデカいです。この大きさに現代人でも圧倒されるのですから、古代の人々はここで神の存在を信じたかもしれません。綺麗に赤や青の装飾が残っている場所もあります。3000〜4000年前の色ですよ・・・凄い!

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カルナック神殿にはこのようなオベリスクがいくつも建ち並んでします。宮殿の支柱は何枚かの石を積み上げて造っていますが、このオベリスクは一枚岩を切り出して造っています。途中で割れたり、ヒビが入ることもあったのでしょう。古代エジプト人の建築術の高さが覗えます・・❗
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カルナック神殿から南へ2〜3Km の場所に今度はルクソール神殿があります。ここもエジプト観光ではきっと立ち寄る場所ではないでしょうか。
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カルナック神殿の正面のオベリスクが一対がかけているのがお分かりでしょうか。パリに出かけてことがあるなら、エジプトに行ったことがなくても、この相棒をみたことがあると思います。 エジプト・シリア戦線においてオスマン帝国がエジプトに軍を派遣し、その後エジプトは一時期オスマン帝国の属州エジプトとなります。トルコ人のムハマド・アリーが1805年から1849年の間、エジプト(ムハンマド・アリー朝)の初代君主となりました。イギリスとの敵対関係もあり、敵の敵は友達とのことで、エジプト政府はフランスと一時的に結びつきを強めた時代がありました。その時(1833年)にフランスのルイ・フィリップ国王にカルナック神殿のオベリスクを贈呈したのです。 今ではパリのコンコルド広場でこの相棒をみることが出来るのです。

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円柱の間にラムセス2世像がたっています。余程自己顕示欲が強い王様だったかも知れません。まあ皆そうだった時代だったかも知れません。当時の支配者は人間と神の間のような存在として描かれていますし、民もそのように思い込んでいたかも知れません。
現在のルクソールは更に観光地化されていて、夜のライトアップツアーなどもあるようです。いつかまた行く機会があればライトアップされた夜の神殿も訪ねてみたいものです。

2022年2月23日 (水)

間歇性跛行の二大疾患(閉塞性動脈硬化症、脊柱管狭窄症)

今日のFMレキオは間歇性跛行(かんけつせいはこう)について話をしました。

Th__20200310101301 間歇とは一定の時間をおいて、物事か起こったり止んだりすることを示します。

よく温泉地帯で一定の間隔をおいて蒸気が飛び上がるのを「間歇泉」などと呼んでいますが、この字と同じです。(左の写真は2006年頃の写真ですが画像が悪くてすみません😢)

跛行とは足を引きずって歩くという意味です。

間歇性跛行とは歩き始めは普通に歩けるのですが、しばらく(一定の距離を)歩くと足が痛くなったり重くなったり、しびれや冷えが出現し歩けなくなってしまい、休憩するとまた歩ける状態を呼んでいます。

 

この症状を起こす二大原因として、動脈硬化が足の血管で起こる閉塞性動脈硬化症(ASO)と腰の神経が通る脊柱管という神経の通り道が狭くなる脊柱管狭窄症があります。閉塞性動脈硬化症は外科、特に血管外科で扱いますし、腰部脊柱管狭窄症は主に整形外科で扱う疾患になります。

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寒くなると、足が冷える、しびれる、ある程度歩くと足が痛くなる等の症状を訴える方が増えます。特に閉塞性動脈硬化症はもともと血液の流れがよくなくて、足が冷えている状態で寒さに弱いのが特徴です。

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以前にも記載したシェーマですが、もう一度載せておきます(クリックするといつものように大きくなります)。

閉塞性動脈硬化症(ASO)では動脈硬化により血液の流れが悪くなるため、その領域の酸素不足が生じます。 運動すると筋肉の酸素消費量が増えるのですが、血管(動脈)が細いと必要量の血液が流れず酸欠状態となり痛みを感じてしまいます。そこで休むと筋肉も次第に必要な分の酸素が供給され、また歩き出すことが出来るようになります。

同じ症状が起こるのが脊柱管狭窄症です。しかし血管の病気ではありません。背骨の中の神経が通る場所(脊柱管)が元来狭かったり、圧迫骨折やヘルニアで神経が圧迫されるのが脊柱管狭窄です。歩行時には、脊柱管の中を通る神経に血液を送り込む血管も圧迫され、次第にこの神経を介して痛みがきます。横から人間の体を見ると背中の骨はS字に曲がり特に腰の骨は前方に傾斜しています。真っ直ぐな姿勢や逆の背屈の姿勢では神経が圧迫されやすくなり、症状が悪化します。

ASOは姿勢で変化はしませんが、脊柱管狭窄の場合は前屈で神経の圧迫が少なくなり楽となります。これを利用してこの2つの疾患をある程度見分けることが出来ます。

・平地歩行はきついけど自転車(体が前屈みとなりますので)なら何処までもいけるのなら脊柱管狭窄症です。一般的には平地歩行より坂道の上りがきつく、下りは楽なことが殆どです。しかし脊柱管狭窄では登りは前屈姿勢となりますので普通の人と変わりなく、楽になるはずの下りで(後屈姿勢となるため)きつくなるのが特徴です。

・ASOは登りの方が筋肉の酸素量が必要となりますので、正常の方と比べても早く足の痛みやしびれなどがきます。

年をとったから長い時間歩けなくなったと感じている方に、実際は年齢のせいではなく病気のせいで歩きづらくなっただけの方もよく見かけます。 診断がついて治療をすると元のように長い距離を歩ける方もいますので、生活の質が向上します。 もしも間歇跛行の症状があって、姿勢で変化があれば整形外科を受診され、自転車をこいでもきつくなるようなら血管外科を選択されたらよいかも知れません。 思い当たる方は一度病院を受診なされて下さいね。

2022年2月20日 (日)

世界を夢みて(278)モスタルからドブロブニクへの街道(絶景ドライブイン)

モスタルから次の旅の目的地ドブロブニクへバスで移動となります(前回のモルタルの続きです→ボスニア・ヘルツェゴビナの旅)。 Th__20220220151301

時々疲れている方は結構バスの移動時間で爆睡の方もいますが、私は余り寝たことがありません・・・と言うか、この時間ももったいなくて車窓からの眺めを楽しみながら写真を撮っています。

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次第に夕方に近づき日も少し斜めになりかけています。 ボスニア・ヘルツェゴビナのモスタルは少し内陸部ですので、アドリア海側のドブロブニクへは丘を降りて行くことになります。上の写真はアドリア海ではなくて、内陸にある湖のようです(名前は判りません😅)。
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道路の下の方には水田のような水と畑が綺麗に区画された盆地が広がっています。
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更に西へと進むと、今度見えて来たのは入り組んだ湾に注ぎ込むアドリア海となっています。日も更に傾きかけて来ました。
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夕日が当たる対岸の街並みが輝いて見えてきました。

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ボスニア・ヘルツェゴビナの古都モスタルから南に南下しネウムへ向かうと、アドリア海側に出ます。フィヨルドのように入り組んだ地形の向こう側はクロアチアとなります。ドゥブロヴニクへと向かう途中でのトイレ休憩を挟むドライブイン(ヤドラン:JADRAN)でしばしの休憩。丁度夕暮れ時で、思いがけない絶景ポイントでした。
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ホテルの併設もあるよう?でしたのでこの場所に泊まりたくなるぐらい美しい眺めでした。右奥に見える教会はカトリック教会Crkva svetog Ivanaとなっています。
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時間が許せばこの場所でもう暫く痛いのですが、バスの時間となり乗り込むことに


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直ぐに目的地のドブロブニクに到着です。夕食を取りホテルへと向かいました。ホテルは綺麗でしたが立地条件は余りよくなく、私の好きな夜の散策も出来ないままとなります。明日は早朝からドブロブニクの観光となります。次回からクロアチア旅行の目玉の1つドブロブニク市内観光を紹介致します。

2022年2月18日 (金)

今週の生け花(令和4年2月第3週)

今週も生け花が飾られていました。ありがたいことですホッ😉 今週は時間が取れませんので、写真だけでも予定通り掲載したいと思います。

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今回は花器の表情とグロリオーサのお陰で少し大人の雰囲気ですね。
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今週は私の余計な話もありませんので、お花の美しさを楽しんで下さいね😍
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<花材:グロリオーサ、雪柳、シターチス、千年木>

2022年2月16日 (水)

春はやってくる

新型コロナウイルスの影響がこれ程長引くと、この暗い世界がずっと続くのではないかと不安に思える方も多いと考えます。もうコロナ以前の世界が思い出せないぐらい長く感じてしまいます。 
人は少しでも不利な状況になると「なぜ自分だけが不幸になるの」とマイナスのスパイラルに陥ることがあります。 今の時代 、 コロナの影響で確かに大変です。特に若い人達に取っては夢や希望を見つけにくい時代かも知れません。
 
しかし視野を広げてよく考えたら、今の私達は本当に大変なのか疑問も出て来ます。 第二次世界大戦もありました、地震や津波もありました。そして世界には今日の食糧を手に入れるのも大変な人々が暮らしています。                                                                                                                                                    
大変と思っていた私も実は視野を広げると「平和でなに不自由なく恵まれた生活をしている」ことに気づかされ恥ずかしくなってしまうのです。
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こんなアタフタとしている私を尻目に、自然は季節を感じて静かに移り変わります。我が家にも春を告げるイッペイの黄色い花が咲き出しました。
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先日の日曜日に写真を撮ったのですが、黄色の花の周りにはミツバチ達は沢山やって飛んでいました。彼らもこれから活動の時期を迎えるのでしょうか? 
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季節を先取りして咲く花々をみていると、不幸ぶる自分が情けなくなります。
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もう一度、自らを奮い立たせて楽しもうと考えています。 自分を楽しまずに不幸ぶるのは、他人への妬みや批判に繋がります。 批判ばかりしていても幸せにはなれません。
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今日が駄目なら、明日があります。明日も駄目なら、その次ぎに期待しましょう。どんな世界でもきっとボトムがあり、その後はきっと上昇する世界が待っているはずです。
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今日を精一杯生き抜いて、また明日も頑張って行きましょう。自分で幸せを見つける訓練を日々行いたいものです😍

2022年2月13日 (日)

世界を夢みて(277):モスタルNo2

前回のモスタル観光の続きです。
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 ボスニア・ヘルツェゴビナにある世界遺産の町「モスタル」。イスラム文化とヨーロッパ文化が融合した独特の雰囲気を醸し出す街です。 同時に民族的、宗教的な紛争が絶えず起きた戦争の傷跡も残す街となっています。Th__20211201161001モスタルは旧ユーゴスラビアから分離独立したボスニア・ヘルツェゴビナで5番目に大きな都市となっています。 1991年に勃発したボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の最中の1993年にスタリ・モスト橋も破壊されてしまいます。

1995年に紛争終結後、民族交流の平和の象徴であったこの橋の再建計画が始動します。そして2004年に戦争で破壊されたスタリ・モスト橋が再建された映像は日本でもニュースになり感動したものでした。ユネスコは平和の象徴とされる「スタリ・モスト橋」と共に、モスタルの美しい景色や町並み全体が2005年に世界遺産へ登録を決めています。



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街の中を散策すると、観光地として徐々に復興していることが分かります。入り組んだ石畳の街には観光客相手のカフェやお土産品店が軒を並べています。
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少し前まで雨だったために、濡れた石畳を歩きました。小さな道の両サイドには所狭しと、土産品店や喫茶店などが並んでいます。

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お土産品店を除いても、ここがヨーロッパなのかトルコなどのイスラム圏なのなのか分からなくなります。分からないと言うかそれがモルタルの魅力だと感じてしまいます。異文化が混ざり合った混沌とした雰囲気となっています。

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混沌となっている街は時として小さなことでも民族や宗教間の衝突を引き起こしてしまいます。 街の中にはこのようの銃弾の後が生々しく残る箇所が何カ所もありました。こんなに長閑なのに少し前間は銃弾が飛び交い人々の血が流れていた現実を間の当たりすることが出来るのです。
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スタリ・モスト橋から石畳の街並みを進むと、オスマン・トルコ帝国時代の支配層だったトルコ人の大地主が住んでいたと伝わる「トルコの家」という観光スポットがあります。塀に囲まれた敷地の入口には上のような看板がありました。如何にもトルコ人らしい佇まいです。

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家に入ると、噴水のある中庭があり、案内表示に従って先に外の階段をのぼっていくと、ネレトヴァ川が見渡せる広い部屋に入ることになります。 2階の窓は川の上にせりだすような構造で、眼下に川が流れている風景を楽しめます。余り広くない部屋に結構観光客が多くて、内部の写真を撮ると何処も人がもろ写ってしまい、部屋の内部を紹介出来ません😢

Th__20211201161103絨毯に置物を見るとやはりトルコ人の家と言うことも理解が出来ます😄

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この家がいいのは、その家からのスタリ・モスト橋が綺麗に見える場所で在ることでしょうか? 先ほどまで雨雲だった空が青空が見て来ました。
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スプリトからの半日観光ですので、直ぐに戻ることになりました。ここでもし宿泊出来たらどんなに楽しんだことでしょうか? やはり時間が欲しいですね。スプリトが非常にローマっぽくあったせいか、2時間ほどで今度はイスラムの境に迷い込んだ変な感覚になりました。 やはり旧ユーゴスラビアは様々な文化や民族、宗教のモザイク地域だと肌で感じた観光でした。

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(帰る時には晴れて来ました。最後に光が差し込む写真も追加しました😍)
次は楽しみにしていたドブロブニクへと向かいます。

2022年2月11日 (金)

今週の生け花(令和4年2月第2週)

全国的にオミクロン株の感染拡大がまだ続いています。日本は先進国の中で3回目のワクチン接種が一番遅れていますので、オミクロン株の急速な拡大が起こった後の急速な低下は見込めず、しばらくダラダラと感染が続くと予想しています。今後どうなるのでしょうか?

今週も規模を縮小して生け花クラブの活動があったようで、何時もの2階の小さなスペースに生け花が飾られていました。

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穏やかな花器と落ち着いたユーカリの葉の上には、気持ちのよい軽やかな黄色の姫水木に、艶やかな赤のカーネーションとピンク色のストックが色を添えています。
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姫水木の細い枝に広がる黄色の花から元気が貰えるようです😍
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花の種類は少ないのですが、春の日差しに手を目一杯広げた様な花達をイメージします。早くオミクロンが落ち着いて、春を迎えたいですね。その為にももう一度、国民一人一人が基本的な感染対策を取って欲しいと祈っています。 少しの辛抱が大きな安定に繫がると思うの今日の公休日の日です😀
<花材:姫水木、ストック、ユーカリ、カーネーション>

2022年2月 9日 (水)

脳細胞は過保護な偏食者

今日のFM放送は脳卒中について話をしました。

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以前ブログでこのこと(→脳卒中の病態・罹患率・予防法)は書きましたので、今日のブログは脳の特殊性についてお話をしたいと思います。

私達の脳は大人でも1,4Kg程度の重量で体重の2〜4%の重さです。しかし血液の量や酸素消費量では体全体の20%程度使用します。それほど脳細胞は莫大な量の情報を処理しているのです。(心臓は絶え間なく収縮と拡張を繰り返した1分間に約4〜5リットル血液を循環させています。なんと1日では5760〜7200リットル(5〜7トン)の血液を全身に送り出したいます。さぞかしエネルギーを消費するだろうと思うのですが、実際の心臓のエネルギー消費量は全体の9%なのです、如何に脳がエネルギーを多量に消費していることが分かります)

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私達の脳細胞は非常に過保護に出来ていて、偏食屋でもあります。

脳細胞は4分程度血液の流れが止まると後戻り出来ない状態となります。その為、心肺停止の人を見たら、まず救急車が到達するまでの初期治療が重要となります。 

脳細胞の弱さは他の臓器と比べても際立っています。 例えば心肺停止状態となって、心臓マッサージなどで血流が再会した場合心臓なら30分程度でしたら、殆ど後遺症なくその後も動き出します。しかし脳細胞は4〜5分で元には戻りません。 脳細胞と他の組織の強さの違いで、心臓が再開しても脳の機能が戻らない、いわゆる植物状態となる時間帯が出来てしまうのです。

もう一つ脳細胞は偏食家で、ブドウ糖しか栄養にしません。 三大栄養をといわれる脂肪、タンパク質、炭水化物の中でも炭水化物が分解されたブドウ糖しか脳細胞はエネルギー源として利用しません。 ですので脳は痛風にはなりません。 ブドウ糖しか摂らない偏食家ですので、時々糖尿病の治療薬を使っている方が低血糖発作を起こすと、めまいやふらつき、意識障害がでます。脳以外の細胞は他の栄養素でも働けますので、低血糖発作で意識がなくなっても、呼吸も心臓も問題なく動いているです。

私達の脳って過保護で育てられた偏食家のお坊ちゃんみたいな存在なのです

2022年2月 6日 (日)

いつでも夢を(ギター弾き語り)

2022年のスタートもコロナで様々なことが制限されました。50代中盤からは再開した年に1回の旅行を励みに仕事を続けていました。これぐらい自粛が続くと夢や希望を持ち続けてモチベーションを保つのも苦労することになります。仕事や役職がら、周りにも自粛を求めている以上自分が出歩くことが出来ない状況はやはりストレスになります。会食はもちろんですが、服や電化製品を買うのも出かけていませんしギター仲間や知人に会うことも出来ません。もういい加減にしてくれと叫びそうですが、ここは理性を保って冷静に対応しようと心がけています😃

私の90代の患者さんから「先生はまだ若いから😅コロナでも大丈夫ですよ。もう後がない私が最後に色々と楽しみしていることが中止になって大変ですよ」と・・・また癌の患者さんからも最後は色々な所に旅行に行こうと思っていたのに残念ですと話す方もいらっしゃいました。

こんなことを言われると、改めて私自身は幸せ者だよと思わざるを得ません。 考えてみたら私と比べたら多くの子供達にとっての3年間はもの凄く貴重で大切な時間ですものね。

凹んでも仕方ありません。夢を持ち続けなければ明日の楽しみもやってこないです。先週の日曜日に少しでも希望のある唄を歌って元気を出そうと曲を選んでみました。 2月2日のFM放送でも流したいために、出来るだけ古い曲を選んで録音しました。

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1962年(昭和37年)に橋幸夫さんと吉永小百合さんがデュエットで歌った「いつでも夢を」という曲です。まだ生まれていない(←ウソです)・・ではなくてまだヒヨコの私ですので当時のことは覚えていませんが第4回日本レコード大賞を受賞し、翌年には同名の映画も製作されて大ヒットしたようです。テレビを観ない私は知りませんでしたが2013年のNHK連続テレビ小説「あまちゃん」の劇中でもしばしば歌われた曲だったようです。

この曲を選んだのは歌詞の途中に「言っているいる、お持ちなさいな、いつでも夢を、いつでも夢を・・」の部分があった為です。

即興でギター弾き語りを3〜4回録音しましたが、途中で歌詞を間違えたり、ギターの音が狂ったりしました。流石に歌詞の間違えはアップ出来ませんので、ギターの音は勘弁して下さい。 いつものように下手さをカバーするように写真を添えて動画にしました。聴いて頂ければ嬉しいです。

 

2022年2月 4日 (金)

今週の生け花(令和4年2月第1週)

全国でのオミクロン株の感染拡大が続いています。早く落ち着いて欲しいですね。 沖縄県の状況より判断すると、本土の各地ではもう暫く感染者数の増加が起こり、その後重症化しやすい高齢者や乳幼児に感染が推移してゆくのではないかと考えています。オミクロン株の重症化が少ない面を捉えて、感染の回避行動に緩みが出ることが心配です。気を引き締めてゆきましょう!
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2月に入ると沖縄県の至る所で桜が咲いている風景を目にするようになります。 沖縄で咲く桜は淡い色合いのソメイヨシノではなくて、桃の花のようなピンク色の寒緋桜です。 寒緋桜は寒さによって開花しますので、1年で1番寒い時期に花が咲き出します。そのためにこれが咲き出すと冬から春へと向かう気分になれます。
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早速生け花の花材にも寒緋桜が使われています。やはり染井吉野とは随分と印象が違うと思います。 今週の花器は横から見るとH型の形で前後に口が開いていて生け花をさすことが出来ます。そのために奥行きのある飾りが出来るようです。今回は特に大きなハランがあるために、正面、左右の斜めから長めの印象が違ってきます。

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フリージアが艶やかな黄色の花で存在感を出しています。花言葉はフリージアの色によって異なるようです。白はあどけなさ、黄は無邪気、赤は純潔、紫はあこがれ、淡紫は感受性を表すとのことです。今回は無邪気な色合いなのですね。
 淡いピンク野バラと比べても寒緋桜はより赤みが強いことが分かります。 染井吉野は春の風に舞う花吹雪をみせてくれますが、寒緋桜は花全体がバタンと落ちて行きます。余り風情はありません😂 また花は下向きに咲きますが、見上げる場合には丁度花びらが正面に見えてきます。

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2月はまだまだオミクロン株との攻防が続くと思いますが、侮ることなく感染対策を続けて、重症化を防ぎたいと思います。 皆で頑張って行きましょう!
<花材:寒緋桜、フリージア、薔薇、小菊、ハラン>

2022年2月 2日 (水)

認知症について

今日のFM放送は認知症について話をしました。外科医が説明する認知症の話ですので間違いも多いと思いますがご了承下さい。

厚生労働省が行っている「日本における認知症の高齢者人口の将来推計に関する研究」の推計では、2020年の65歳以上の高齢者の認知症有病率は16.7%、約602万人となっており、6人に1人程度が認知症有病者と言えます。

まず認知症と加齢に伴う物忘れとは違うことを認識下さい。 脳細胞は加齢と共に減少しますが、認知症の場合は通常より減少が速く確実に進行してゆきます。 認知症は物忘れを含む様々な知的能力の低下により、仕事や社会生活ができなくなった状態です。

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認知症の主症状に「記憶障害」「見当識障害」「判断力の低下」があります。

①記憶障害とは単なる物忘れは体験の一部を忘れるのに対し、全体を忘れるのが認知症です。例えば、単なる物忘れは朝食のメニューを思い出せなくても食べたことは判るはずです。認知症の場合は食べたこと自体を覚えていないことがあります。  

②見当識障害とは「今が何時なのか、ここは何処なのか」かがわからなくなる状態です。 

③判断力の低下とは「寒くても薄着のまま外に出たり、真夏でもセーターを着たり」と自分がどうすればよいのかを判断出来なくなります。 それ以外に、怒りっぽくなったり、不安なったり、異常行動が見られることもあります。

 

認知症に対して「本人はわからないからいいよね」と思っていらっしゃる方がいると思います。 しかし認知症の始まりは本人も何かおかしいことを気づいています。他人から間違いを指摘されると思い出すことが出来ずに焦ってしまいしばしば作話(場所あわせや話のつじつまを合わせる)が見られるのも特徴です。  

認知症の患者さんを家族だけで支えるのは無理があります。医療や行政さらに地域と協力して増加する認知症患者を支えるシステムづくりが重要となってきています。

 

認知症を引き起こす病気のうち、もっとも多いのは、脳の神経細胞がゆっくりと死んでいく「変性疾患」と呼ばれる病気です。

認知症で最も多いアルツハイマー病(67.6%)を始めレビー小体病 (4.3%)、前頭・側頭型認知症(1.0%)、などがこの「変性疾患」にあたります。 続いて多いのが、脳梗塞、脳出血などで、脳の神経の細胞が死んだり、神経のネットワークが壊れてしまうために起きる脳血管性認知症(19.5%)となります<()内は認知症に占める割合です>。

アルツハイマー病の特徴の一つは、病理学的に診て患者の脳に老人斑と呼ばれる沈着ができることが原因といわれています。この沈着する物質はAβという短いたんぱく質と判明しています。 アルツハイマー病を早期に発症する家族性の患者などの研究から、認知機能に障害が出る20年ほど前から、脳内ではAβの沈着が始まり、その後タウというたんぱく質が神経細胞内に凝縮して、神経細胞の機能が奪われ、死滅することがわかってきた。 そのためこの沈着物質を取り除ければ、認知症の進行を遅らせたり、認知症を改善する効果が期待出来る訳です。

この薬を日本の製薬メーカーが共同で開発して、認知症治療薬として18年ぶりに米国で認可されました。一筋の光が見えてきましたが、まだまだハードルは高くEUでは認可されませんでしたし、日本では継続審査となっています。それでも今後、変性疾患の病態の解明とともに特効薬が開発されるかも知れません。 

記憶の働きに関わる神経伝達物質アセチルコリンの減少が特に強いことが明らかにされています。現在使用されるお薬は進行を遅らせるため、治療薬として、アセチルコリンを下げないように働く薬がよく使われています。現時点では早期診断、早期治療により進行を遅らせることが重要です

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私達のささやかな抵抗として動脈硬化を防ぐ生活習慣を身につけたり、精神活動や社会活動を活発にしている方が脳神経細胞の減少を遅らせることが解っています。 ボランティアや趣味を持つのもよいかも知れませんね。

私は遅ればせながら50歳を過ぎてギターを始めましたが、脳細胞の減少に歯止めをかけてくれたらいいのですが・・・もう手遅れと医者からいわれたらどうしようと考えています・・

 

(余談)昔は「痴呆」と言われていたのが「認知症」の名称に変わったのは平成16年(2004年)とまだ日が浅いのです。

・「痴呆」と言う言葉に対して国民が抱く感情として侮辱的な表現と認識していること、1度痴呆と言われたら治療法もなく、このまま進行してしてしまうイメージがあることより、「認知症」と言う名前に変更した経緯があったのです。少しずつ日本も人権意識が高まっているのかも知れませんね😍

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