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2022年1月23日 (日)

世界を夢みて(275):クロアチア・スプリト観光(No2)

前回のスプリットNo1の続きです。
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スプリットの駐車場から案内図のある海岸沿いから城門に入り先に、地下空間を見学後に地上へ出て、前庭のドームを見学しました。その後世界遺産「ディオクレティアヌス宮殿のあるスプリトの歴史的建造物群」の構成遺産の1つ 宮殿の中庭にあたる「ペリスティル」に向かうことにしました。


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広場の入り口に花崗岩で出来たスフィンクスがありました? なぜこんな場所にと思ったのですが、スプリットにはディオクレティアヌス帝がエジプト遠征から持ち帰ったスフィンクス像が12体あるそうです。その後キリスト教に変わったためにキリスト教徒を弾圧した皇帝の反抗のためにスフィンクスの頭を切り落としたそうです(エジプトのスフィンクスは無理矢理故郷から連れ去られてきて、今度は頭まで切り落とされるなんて、人間の身勝手さを感じているかも😢)。そのうち一体だけ、頭が残されたものがペリスティルの入り口に置かれています(上の写真)。
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コリント式の12本の石柱が美しい、スプリットのメイン舞台ともいえましょう。スプリットの歴史を語る上で欠かせないのが、古代ローマ帝国のディオクレティアヌス帝です。 元々は貧困層の出身ながら皇帝にまで上り詰め、政治手腕に才覚があったと有名です。また当時広がりつつあった一神教のキリスト教を危惧し、弾圧を行った人物でもあります。

ローマ帝国が衰えると、スプリットも数百年の間廃墟になってしまったとのことです。7世紀頃に、この宮殿の石材などを再利用して人々が住み始めたのが、新しい現在のスプリットの形となっています。 

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ペリスティルに面する東側にあるのが、「聖ドムニウス大聖堂」です。元々は4世紀前半に古代ローマ皇帝のディオクレティアヌスの霊廟として建設されたものを破壊、大聖堂(聖ドムニウス大聖堂:Cathedral of Saint Domnius)として再建しました。ディオクレティアヌス は 歴史的にはキリスト教を大迫害した皇帝として有名な方です。彼が皇帝時代にキリスト教のドムニウスを処刑しています。 当初はディオクレティアヌス帝の霊廟として建設されたために、皇帝の死後はの石棺が安置されたそうです。 
しかしその後7世紀頃にはスプリトもキリスト教に統一され、この廃墟の街にも人々が住むようになります。街が再興される中でキリスト教を迫害したディオクレティアヌス帝は目の敵にされ、彼の霊廟は破壊されてしまいます。霊廟は現在のキリスト教の大聖堂(聖ドムニウス大聖堂)へと生まれ変わったのです。今でも皇帝の石棺は残っておらずディオクレティアヌス 皇帝の遺体も行方不明のままだそうです。現在は皇帝より殺害されたスプリットの守護神である聖ドムニウスの石棺が安置されているそうです。歴史とは悲しいものです😅 キリスト教には変わっても「汝の敵を愛せよ」という教えはどうも世俗の人の心の中までは浸透しなかったようです😢
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大聖堂の奥の主祭壇はクロアチア有数のバロック作品をみることができます。当時は小さなデジカメで写したので全てピンボケでした。まともな2枚の写真を紹介します😢 また、入り口の扉にはイエス・キリストの生涯を28の場面に分けて描いた彫刻が施されていて、ロマネスク様式彫刻の傑作として名高いとのことです(残念ながら写真に入り口だけしか入っていませんでした😅)。
写真に見えるように聖ドムニウス大聖堂には、中世時代に建造された高さ60メートルの鐘楼があります。ここは階段で上ることができ、スプリットを上空から見下ろせる絶好のスポットとなるそうです。鐘楼に登って、その街を眺める私ですが、スプリットでは全く時間が取れずに、鐘楼に登ることが出来ませんでした。きっとトロギールのような海と赤いレンガの街並みが観れたと思うのですが・・😢


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上の写真はこのブログを書く時に2013年の旅行の写真の中に入っていたのですが、写真を撮ったことさえ記憶にはありませんでした(認知症が進んだか😢)。 現在のネットは実に便利で、この場所が何処なのか他の方のブログで検索して見つけました。ぺリスティル広場の西側に見える少し細い道を進むと、洗礼室(or ジュピター神殿)にたどり着きます。上記の写真は「洗礼室」とまります。

ここもディオクレティアヌス帝が295年から305年にかけて宮殿の中の建築物として建立されます。キリスト教がまだ異教として扱われていた時代のローマ皇帝ですので、この建造物はローマ神話の最高神ジュピターを祀った「神殿」として建てられたものです。しかしながら、この場所も彼の死後キリスト教徒によって破壊され、新たに洗礼室として改築されてしまいます。正面にはキリスト教において洗礼の儀式を行うための洗礼盤(正十時の形をしたもの)が置かれています。ジュビター像は破壊され、今立っているのはキリスト教で重要な聖人ヨハネの銅像に置き換えられています。 このような歴史があるためにガイドブックでも「洗礼室」「ジュピター神殿」あるいは両方併記されていることがあるようです。


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観光がメインで見所満載のスプリット街並みですが、見上げると洗濯物が干してあったりと人々の暮らしもあることが分かります。
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古代のローマの中を散策した気分になりながら反対側の城壁へと進みました。
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北側の城壁に開いた城門(金の門)です。そこを抜けると、スプリプの旧市街の外に出ることになります。
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金の門を出ると、巨大な銅像が目に入ります。「グルグールの像」となります。私達には馴染みのない人物ですが、グルグール・ニンスキとは10世紀に実在した司教だそうです。当時開かれた宗教会議で、教会でのスラヴ語の使用が禁止されたことに抵抗した司教で、クロアチアのラテン語化に抵抗しスラブ語の保護に大きく貢献しました。
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この巨大な像は「クロアチアのロダン」とも言われるクロアチアを代表するイヴァン・メシュトロヴィッチの作品となります。「左足の親指を触ると幸運が訪れる」伝説があり、たくさんの人に触れられ、左足の親指だけピカピカに光っています。写真では多くの方が親指を触っていたために、足だけ撮すことは出来ませんが、何となく親指が光っているのは見えると思います😅
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観光後、ホテルに戻ったのですが、ここのドアノブにかける案内がスタイリッシュだったのと、部屋は禁煙ですが、ライターとロウソクが置いてありました。もしかして時々停電することがあるのでしょうか? それとも以前の政治的な混乱の影響が最近まであったせいなのでしょうか。 クロアチアのスプリットはローマを彷彿させる眺めと、キリスト教の影響を感じる街でもありました。

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コメント

院長先生
こんばんは。
日曜日もお出かけでお疲れ様でございました。

ローマが色濃く残るスプリットですね。
城壁、城門も歴史を感じられますし
コリント式の列柱も大聖堂も立派ですが、
一時、廃墟になっていたとは思えません。
キリスト教の影響も凄かったのですね!

左足の親指に触れると幸運が💞
何処かで?同じようなお御足に触れましたが〜?

ドアノブに掛かっているのは一目瞭然で良いアイデアです。

続きも楽しみにお待ち申し上げます。
今日も有り難うございました。

こんばんは〜
東京もコロナの感染が凄いことになって
います。怖い感じになって来ました😢
それにしてもクロアチアはイタリア以上
にイタリアらしい気がします。
ローマだけでなくエジプトのスフィンクス
まで搭乗するとはビックリです!
舞子もクロアチアに本当に行きたく
なりました。
最後のホテルのドアノブのイラスト
素敵ですね😍
来週も楽しみにしています😘

マコママさん、こんばんは。

今日は少し顔を出しただけで帰ってこれました。後はブログを書いたりして過ごしました。

スプリトを見学したら、イタリア旅行をしている気分になります。それ程イタリアの影響が強かったと感じました。 
イタリアでキリスト教が国教となったのは3〜4世紀頃ですので、それまではキリスト教は異教徒として迫害の対象だったのですね。その後のキリスト教化は今度はその他の迫害に繋がる事に・・・ドホホです。

世界各地で色々な銅像などで「ここを触れると御利益がある」なんてありますね。 その場所がピカピカに輝いています😄

ドアノブは見ただけで判るので良いイラストですよね。いつもコメント頂きありがとうございます💖

舞子さん、こんばんは。

いよいよ全国各地でコロナ感染の爆発が起こっていますね。混乱が起きなければ良いのですが・・・私も毎日がヒヤヒヤです。

今回が実質的に初めてのクロアチア旅行でしたので、ここまでイタリアの影響があったとは思いませんでした。

このようなことがあるとエジプトの古代遺物は世界中に持ち去れれたことを実感します。正直クロアチアにスフィンクスがあるとは考えもしませんでした。

舞子さんも、クロアチアも旅行先の候補にされて下さいね。いいところですよ✨️

こんばんは。

前回はピンときませんでしたが、ディオクレティアヌス帝と言うと、
バルセロナ大聖堂のエウラリアを思い出します。
キリスト教を改宗しなかった年端も行かない彼女を、聞くに耐えない拷問の数々で
痛めつけ、挙句の果てに殺害と言う非道な行い。
キリスト教徒にとって彼の所業は許しがたいものだったのでしょう。
皇帝にまで昇り詰めた人の霊廟が壊され、遺体も行方不明と言うのは
何とも哀れな話ですね。
洗礼室の正十字の洗礼盤は初めて見るもので、何か印象に残りました。
元々スプリットはディオクレティアヌス帝の宮殿から栄えた所なんですよね。
彼の功罪と言うか歴史は皮肉なものですね。

sharonさん、こんばんは。

バルセロナ大聖堂のエウラリアへの拷問は聞くに耐えられないほどだったようです。それでもキリスト教を捨てなために殉教者となった女性ですね。今ではバルセロナ大聖堂に彼女の大きな墓所が造れていたと思います。

無宗教の私にとっては宗教は救いと怖さを感じてしまいます。迫害する立場と迫害される立場では同じ宗教でも違いがあることへの矛盾が私には残ってしまうのです。

本文にも書いたように、巡礼室のことは旅行後写真を整理して分かったことです。ちょっと恥ずかしいです・・・😅 不思議な形の洗礼盤ですよね。

スプリトはローマ皇帝がどれ程の権力を持っていたのかを窺い知る場所でした。

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