世界を夢みて(276):ボルニア・ヘルツェゴビナの旅(モスタルNo1)
(2013年ボルニア・ヘルツェゴビナの旅) クロアチアのスプリトから陸路で直ぐにボスニア・ヘルツェゴビナ(Bosnia and Herzegovina)の古都モスタルに入ることが出来ます。
クロアチアのアドリア海側を旅行していましたので、モスタルに向かうには内陸へと進むことになります。山岳地帯へと進む感じの光景へと変わった行きます。ボスニア・ヘルツェゴビナについては知識がありませんので、外務省のホームページにはボスニア・ヘルツェゴビナの略歴が簡単に記載されていましたので、参考に載せたいと思います。
6世紀 | スラヴ人定住開始 |
14世紀 | ハンガリーに抵抗しつつボスニア王国を確立 |
1463年 | オスマン・トルコによるボスニア征服 |
1878年 | オーストリア・ハンガリー帝国の統治下となる |
1918年 | セルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国領 |
1945年 | 旧ユーゴを構成する共和国の一つとして発足 |
1992年2月 | 独立を問う住民投票の実施 |
1992年4月 | 本格的紛争に突入 |
1995年12月 | デイトン和平合意成立 |
流石に余りにも簡単すぎて、現代のボスニア・ヘルツェゴビナについては分かりづらいと思いましたが・・・😃
1990年代に東ヨーロッパとまだ言われていた時代にはこの地はユーゴスラビアと言う共和国の1部でした。その後、内戦を含めた混乱のあと現在は「6つの共和国」スロベニア、セルビア、モンテネグロ、マケドニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナと分かれました。世界でも類をみない程、民族(セルビア人、クロアチア人、スロベニア人、モンテネグロ人、マケドニア人 ) 、言語(セルビア語、クロアチア語、スロベニア語、マケドニア語 )に、宗教(カトリック、正教、イスラム教 )が違う人々が小さな地域でモザイクのように入り乱れて住んでいます。
この状況で最も影響を受けたひとつがユーゴスラビアから独立の混乱の中ボスニア・ヘルツェゴビナでした。1992年から1995年まで続いた民族(宗教)間の紛争は、隣どおしが殺し合い、歴史や文化遺産も破壊されました。 テレビで観て私の記憶にも残っているのが古都モスタルの象徴であったオスマン朝時代の古い橋が爆弾によって崩れ落ちた姿でした。
駐車場を降りてモスタル市街地に向かう建物には生々しい銃弾の痕が見られ、鳥肌が立ちました。恐らく戦跡として残しているのだろうと思うのですが・・・。
ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争中にあたる1993年11月9日午前3時にクロアチア系のカトリック民兵によって破壊された映像が世界中に流れました。
食事は郷土料理の昼食はチェパブチチ(ボスニア風肉団子)です。料理にもオスマントルコの影響が残り、トルコ料理を思わせるメニューも数多くありました。ピタパンのような平たいパンと野菜でサンドイッチのようにして食べるのが本場流だそうです(相変わらず料理については何も判りません😅)。
今回しか行ったことがありませんが、急に天気が変わることにビックリしました。食事を取っている間に急に雨がそれも雹を伴い屋根が凄い音と立てていました。 こりゃ、午後の散策が大変だと思ったのですが、食べ終えて外に出る時には雨も止み、しばらくすると青空に被われるという不思議な世界でした。
2005年に多民族・多文化の共生と和解の象徴として、ボスニア・ヘルツェゴビナ初の世界遺産となった旧市街の古橋地区。スタリ・モストと多文化が交錯する旧市街が周囲の美しい自然にとけ込み、観光客がカフェや土産物店巡りを楽しむのどかな光景が広がります。
次回もモルタル観光の続きを記載予定です。
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院長先生
こんばんは。
今日もお疲れ様でございました。
私の浅はかな知識でも少し記憶しております。
内戦も凄いですが、隣同士の小さい国々の争いにも
大変な犠牲者も出ましたね!
友人ご夫妻がかつて此処を訪れて
銃弾の跡を載せていました。
そして、こうして復興できたのは凄い努力でしたね。
多民族国家は狭い島国の日本では考えも及びません。
美しい川と特徴ある橋も見事ですね。
続きを楽しみにお待ち申し上げております。
投稿: マコママ | 2022年1月30日 (日) 17時38分
こんばんは💕
このような場所にも出かけたのですね。
街並みの銃弾の痕が本当に現実にあった
出来事だったのですね。観光客でも
つい最近まで戦争があったのだと認識
させられますね。
トルコの影響を受けた街と言うのも不思議
でした。スプリトはローマの影響が強かった
ですのに、バスで何時間もしないうちに
今度はトルコの影響・・・日本にいると
ピント来ません。
次回も楽しみに待っています😘
投稿: 舞子 | 2022年1月30日 (日) 18時05分
マコママさん、こんばんは。
マコママさんは色々なことをご存じですので、謙遜しないでもいいですよ。ボスニア・ヘルツェゴビナについては私も含めて殆どの日本人は余り知らないと思います。
旧ユーゴスラビアの内戦はその時まで隣どおしで生活していた人々が敵味方に分かれて殺し合いする状況になり、戦争中はもちろん戦後も心に多くの傷を残したと思います。 改めて戦争は政治の失敗で起こることを認識しました。 火付け役の誰かがいなければ、殺し合うことまではしないと考えています。
この場所だけでなくヨーロッパの多くの国々は国境を接していますので、日本とは明らかに違う感覚だと思いました。
戦争さえ起きなければ、綺麗な川を挟んだ静かな地域だったのかも知れません。 次回もこの続きを書きますので、読んで頂ければ嬉しいです。
投稿: omoromachi | 2022年1月30日 (日) 19時04分
舞子さん、こんばんは。
想像はしていましたが、やはりまだまだ戦争の傷跡があちらこちらに残っていました。今では観光業が大きな柱で平穏ですが、少し前には人々がお互いに殺し合っていたのですから、同じ地域に住む葛藤は大変なものだと想像します。
舞子さんも同じことを考えていたのですね。つい先ほどまではローマの遺跡がいっぱいのスプリトから今度はトルコの影響が強いモスクを見ることになるのですから、不思議な気分になりました。
次回は街並みを紹介したいと思います。いつもありがとうございます。
投稿: omoromachi | 2022年1月30日 (日) 19時09分
先生、こんばんわ。
日本史も不得手、まして世界史はもっと不得手な私ですが、
先生のお話は、わかりやすく理解出来ました
スタリ・モストの再建には、大変感動しました。
川底から壊れた欠片を引き上げてまで再建したなんて、
凄い事ですね。
そして、この橋が多民族を結ぶ希望の橋となったのですから。
今日は大変興味あるお話を読ませて頂き、有難うございました。
投稿: ガルボ | 2022年1月30日 (日) 19時54分
こんばんは。
陸続きのヨーロッパでは侵攻したりされたり、
民族間の争いがあったりで複雑な国家形成になっていますね。
島国の日本はそういう点では平和でいいですね。
近くの数か国が中々クセがありますが^^;
ボスニア・ヘルツェゴビナは一時期報道でよく耳にしましたが
この民族紛争の時だと思います。
モンテネグロは美しい所でしたが、このボスニア・ヘルツェゴビナは
建物の生々しい銃痕のせいかお天気のせいでしょうか
暗い印象がありますね。
ネレトヴァ川でイスラム教徒とカトリック教徒が分かれているんですね。
東岸にはモスクのような建物が見えます。
もう二度とこの象徴的なスタリ・モストが破壊されるような事態に
ならない事を祈ります。
投稿: sharon | 2022年1月30日 (日) 21時02分
ガルボさん、こんばんは。
日本史、世界史は不得意でしたか・・・確かに学校で習う歴史は丸暗記が多くて私も好きになりませんでした。
苦手なお陰で、今では自分に分かるように書くようにしていますのでガルボさんも理解出来て嬉しいです。
スタリ・モスト橋は歴史のある建造物ですし、破壊された大きな切片は真下の川にありましたのでそれを使ったと考えます。やはり敢えて建築当時の石材を使う意義は高かったと思います。
今後は人間の交流には役だっても戦争で破壊されては欲しくないですね。
投稿: omoromachi | 2022年1月30日 (日) 21時23分
sharonさん、こんばんは。
ヨーロッパを旅行すると、本当に国境線が分からない場所も多いですし、両足の片方ずつを国境を跨いでいると同時に2ヶ国に立つ事も可能ですよね😅
ボスニア・ヘルツェゴビナを報道でよく耳にしたのは、この橋が破壊された時と再建された時だったと思います。それ程象徴的な橋だったのでしょうね。
モンテネグロは入り江が美しく街並みも整っていますので綺麗でしたね。戦禍はそれ程強くなかったのかも知れません。
イスラム教もカトリック教もユダヤ教も元は一緒の宗教ですのに何でこんなにいがみ合っているのでしょうか?
この橋が宗教を越えて人々の交流に役だって欲しいです。もう2度と戦争で破壊されて欲しくないと思いました。
投稿: omoromachi | 2022年1月30日 (日) 21時31分