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2022年1月

2022年1月30日 (日)

世界を夢みて(276):ボルニア・ヘルツェゴビナの旅(モスタルNo1)

(2013年ボルニア・ヘルツェゴビナの旅) クロアチアのスプリトから陸路で直ぐにボスニア・ヘルツェゴビナ(Bosnia and Herzegovinaの古都モスタルに入ることが出来ます。

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旧ユーゴスラビア共和国は内戦を経て沢山の国家に分離独立しましたので、地図を見ないとどこがどの国なのか分からなくなります。 私の頭の整理のためにGoogleMapを添付しました(上)。 以前からヨーロッパの火薬庫と言われ、多くの民族、宗教、多くの言語を話す人々が小さな地域に生活しています。 長い間、政治的にも混乱した場所となり、常に紛争の火種がくすぶり続けた地域となっていました。 ヨーロッパの火薬庫と称され、第一次世界大戦のきっかけとなり、第二次世界大戦後はチトー大統領というカリスマ的支配者により比較的安定してきたのですが、その後は内戦へと突入し分離した国家が誕生し、現在に至っています。
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クロアチアのアドリア海側を旅行していましたので、モスタルに向かうには内陸へと進むことになります。山岳地帯へと進む感じの光景へと変わった行きます。ボスニア・ヘルツェゴビナについては知識がありませんので、外務省のホームページにはボスニア・ヘルツェゴビナの略歴が簡単に記載されていましたので、参考に載せたいと思います。

6世紀 スラヴ人定住開始
14世紀 ハンガリーに抵抗しつつボスニア王国を確立
1463年 オスマン・トルコによるボスニア征服
1878年 オーストリア・ハンガリー帝国の統治下となる
1918年 セルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国領
1945年 旧ユーゴを構成する共和国の一つとして発足
1992年2月 独立を問う住民投票の実施
1992年4月 本格的紛争に突入
1995年12月 デイトン和平合意成立

流石に余りにも簡単すぎて、現代のボスニア・ヘルツェゴビナについては分かりづらいと思いましたが・・・😃

1990年代に東ヨーロッパとまだ言われていた時代にはこの地はユーゴスラビアと言う共和国の1部でした。その後、内戦を含めた混乱のあと現在は6つの共和国」スロベニア、セルビア、モンテネグロ、マケドニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナと分かれました。世界でも類をみない程、民族(セルビア人、クロアチア人、スロベニア人、モンテネグロ人、マケドニア人 ) 、言語セルビア語、クロアチア語、スロベニア語、マケドニア語に、宗教カトリック、正教、イスラム教が違う人々が小さな地域でモザイクのように入り乱れて住んでいます。

この状況で最も影響を受けたひとつがユーゴスラビアから独立の混乱の中ボスニア・ヘルツェゴビナでした。1992年から1995年まで続いた民族(宗教)間の紛争は、隣どおしが殺し合い、歴史や文化遺産も破壊されました。 テレビで観て私の記憶にも残っているのが古都モスタルの象徴であったオスマン朝時代の古い橋が爆弾によって崩れ落ちた姿でした。

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駐車場を降りてモスタル市街地に向かう建物には生々しい銃弾の痕が見られ、鳥肌が立ちました。恐らく戦跡として残しているのだろうと思うのですが・・・。

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モスタル(ボスニア・ヘルツェゴビナ中でも)で最も有名な橋です。この町がオスマン帝国の前線基地として栄えた16世紀、スタリ・モスト(Stari Mostはトルコ語で古い橋の意)が建設されました。市内を分けているネレトヴァ川に架かって橋は川面から約24mの天空に架かる全長約30mのアーチ型の石橋はこの街の象徴的な建造物となっていました。
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ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争中にあたる1993年11月9日午前3時にクロアチア系のカトリック民兵によって破壊された映像が世界中に流れました。

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紛争の終結後、ユネスコの支援を受けたトルコ企業が 川底から破壊された橋の欠片を引き上げ、足りない箇所は地元の石材を用い、創建当時の技法で2004年「スタリ・モスト」を再建しました。日本でもニュースになりましたので、私を含めて記憶に残っている方も多いと思います。 この橋を渡りながら色々な思いが交差しました。進歩しない人間の愚かさ、逆に破壊してもまた新しく進んで行く人間の強さも同時に感じます。


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橋の上から眺めた風景です。ネレトヴァ川を挟んで東岸(写真では右側)にはイスラム教徒、西岸にはカトリック(写真では左側)を信仰するクロアチア人が主に住んでいます。

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丁度昼時になり、街中の散策の前に昼食となりました。古い石畳の街を歩いて行きました。

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食事は郷土料理の昼食はチェパブチチ(ボスニア風肉団子)です。料理にもオスマントルコの影響が残り、トルコ料理を思わせるメニューも数多くありました。ピタパンのような平たいパンと野菜でサンドイッチのようにして食べるのが本場流だそうです(相変わらず料理については何も判りません😅)。

今回しか行ったことがありませんが、急に天気が変わることにビックリしました。食事を取っている間に急に雨がそれも雹を伴い屋根が凄い音と立てていました。 こりゃ、午後の散策が大変だと思ったのですが、食べ終えて外に出る時には雨も止み、しばらくすると青空に被われるという不思議な世界でした。

2005年に多民族・多文化の共生と和解の象徴として、ボスニア・ヘルツェゴビナ初の世界遺産となった旧市街の古橋地区。スタリ・モストと多文化が交錯する旧市街が周囲の美しい自然にとけ込み、観光客がカフェや土産物店巡りを楽しむのどかな光景が広がります。

次回もモルタル観光の続きを記載予定です。

2022年1月28日 (金)

今週の生け花(令和4年1月第4週)

2022年1月も後半となります。各地でオミクロン株の感染爆発で大変な状況と思います。 
本来なら1月の下旬なると沖縄県では北部の方から日本一早い桜祭りの話題が届くのですが・・・もちろん人間界の混乱と関係なく、ヤンバル(沖縄本島北部)の方では寒緋桜が咲き始めたと思います。寒緋桜は寒さによって開花しますので、こらから寒さのピークも来て次第に春へと向かって行くと思います。 私の住む那覇市の桜はもう少しすると咲き始めるのかも知れません。
今週もコロナ対応などで忙しい中、生け花クラブの皆様がお花を飾ってくれていました。
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黄色いレンギョにピンク色のストック、赤いカーネーションが暖かな春の陽気を連想させてくれます。
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華やかな花に目がいってしまいますが、青い千年木の葉があるお陰でより花々の色が強調されています。花器と共に縁の下の力持ちと言った存在です😃
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コロナのことが頭から離れませんが、着実に季節は進みますし、コロナとの関係も変化してゆくはずです。言い古された言葉ですが、「明けない夜はない」し「春の来ない冬はない」のです。 1日1日を大切に過ごしてゆきましょう!
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<花材:レンギョ、ストック、カーネーション、千年木>

2022年1月26日 (水)

めまいについて

2022年1月26日のFMレキオ「いきいきタイム」は久々に「めまい」について話をしました。以前もブログに書いたのですが、もう一度整理して書き直りました。

めまいは日常でも多くの方が遭遇する症状の1つです。めまいと一口に言っても種々の病態が含まれます。簡単に言うと「めまい」は自分あるいは周囲が動いていないのに動いているように感じて、平衡感覚を失ってしまった状態といえます。

めまいと言っても違うタイプのめまいが混在します。

「回転性めまい」:自分や周囲がぐるぐる回っている様に感じるめまいです。また物が左右や上下に流れるように感じることもあります。多くは平衡器官に急激な変化(血流障害、炎症、内耳のむくみなど)が起きた時に生じます、耳の病気でも、脳の病気でも起きます。

「動揺性めまい」:頭や体がグラグラ揺れている感じやフラフラする感じをいいます。①の病態でも起きることがあります。平衡器官がある程度広範囲で冒された場合に多いようです。さらに歩いてフラフラする時や傾いてしまう場合は小脳の障害のこともあります。

「立ちくらみ(眼前暗黒感)」:立ち上がった瞬間にクラッと来たり、長くたっていて目の前が暗くなる感じを呼んでいます。重篤な原因でなくても、子供には時々みられます(起立性調節障害と呼んでいます)。 普段低血圧気味の方も起こしやすいです。 注意しなければならないのが高血圧症や脳動脈硬化症のある方で、急に血圧が下がることで脳梗塞の危険が高まります。

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実際にめまいが起こると、自分ではどうしようもありません。他の方の手を借りたり、救急車で搬送される場合があります。

めまいが起こると脳卒中ではないかと考える方が多いと思います。実際は人間の平衡感覚を司る内耳にある耳石系と言われる細胞と三半規管と関連が深いため耳の障害によって起こることが多く、耳鼻科が担当となります。 

もちろん脳の中の中脳や大脳の梗塞や腫瘍等にて起こる場合もあり、その場合は脳神経外科内科が担当領域となります。この場合には早急な判断を有するために、直ぐに頭部のCTやMRIを施行することがあります。 

また貧血や全身疾患の一部としてあるいは低血圧などや高血圧、糖尿病の治療の影響もありその場合は内科・循環器科が担当となることがあります。

眼震(意志とは無関係に眼球が痙攣したように動いたり揺れたりする現象)に伴う場合は眼科で診る機会もあります。

心因性でめまいが起こる場合もありますので、その場合は精神科で診ることもあります。

同じめまいと思って病院で診察するも、病態も様々ですので、診て貰う診療科が異なる場合もあるのです。

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高齢化社会を迎えたせいでしょうか、外来受診時に「急に立ち上がった時にふらっとなったが、すぐに良くなった」と報告される患者さんが多くなった気がします。

子供達にも起こりやすいのですが、大人になってからの多くの場合は主な原因は加齢に伴う血圧の調節能力が低下したことによります。 私達の体は横になっていても立っていても自動で脳に流れる血液の量を一定に調整しています。重力の関係で横になった状態から急に立ち上がった時は血圧を上げることで脳の血液の量を一定にします。しかしその反応時間が年齢と共に遅くなります。もしも急に立ち上がった時にめまいが起こるようであれば、横から一度座って、それからゆっくりと立ち上がるとこの様な不快な症状から解放される場合があります。試してみて下さい。

私などは綺麗な女性をみるとまぶしくてめまいを起こします

2022年1月23日 (日)

世界を夢みて(275):クロアチア・スプリト観光(No2)

前回のスプリットNo1の続きです。
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スプリットの駐車場から案内図のある海岸沿いから城門に入り先に、地下空間を見学後に地上へ出て、前庭のドームを見学しました。その後世界遺産「ディオクレティアヌス宮殿のあるスプリトの歴史的建造物群」の構成遺産の1つ 宮殿の中庭にあたる「ペリスティル」に向かうことにしました。


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広場の入り口に花崗岩で出来たスフィンクスがありました? なぜこんな場所にと思ったのですが、スプリットにはディオクレティアヌス帝がエジプト遠征から持ち帰ったスフィンクス像が12体あるそうです。その後キリスト教に変わったためにキリスト教徒を弾圧した皇帝の反抗のためにスフィンクスの頭を切り落としたそうです(エジプトのスフィンクスは無理矢理故郷から連れ去られてきて、今度は頭まで切り落とされるなんて、人間の身勝手さを感じているかも😢)。そのうち一体だけ、頭が残されたものがペリスティルの入り口に置かれています(上の写真)。
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コリント式の12本の石柱が美しい、スプリットのメイン舞台ともいえましょう。スプリットの歴史を語る上で欠かせないのが、古代ローマ帝国のディオクレティアヌス帝です。 元々は貧困層の出身ながら皇帝にまで上り詰め、政治手腕に才覚があったと有名です。また当時広がりつつあった一神教のキリスト教を危惧し、弾圧を行った人物でもあります。

ローマ帝国が衰えると、スプリットも数百年の間廃墟になってしまったとのことです。7世紀頃に、この宮殿の石材などを再利用して人々が住み始めたのが、新しい現在のスプリットの形となっています。 

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ペリスティルに面する東側にあるのが、「聖ドムニウス大聖堂」です。元々は4世紀前半に古代ローマ皇帝のディオクレティアヌスの霊廟として建設されたものを破壊、大聖堂(聖ドムニウス大聖堂:Cathedral of Saint Domnius)として再建しました。ディオクレティアヌス は 歴史的にはキリスト教を大迫害した皇帝として有名な方です。彼が皇帝時代にキリスト教のドムニウスを処刑しています。 当初はディオクレティアヌス帝の霊廟として建設されたために、皇帝の死後はの石棺が安置されたそうです。 
しかしその後7世紀頃にはスプリトもキリスト教に統一され、この廃墟の街にも人々が住むようになります。街が再興される中でキリスト教を迫害したディオクレティアヌス帝は目の敵にされ、彼の霊廟は破壊されてしまいます。霊廟は現在のキリスト教の大聖堂(聖ドムニウス大聖堂)へと生まれ変わったのです。今でも皇帝の石棺は残っておらずディオクレティアヌス 皇帝の遺体も行方不明のままだそうです。現在は皇帝より殺害されたスプリットの守護神である聖ドムニウスの石棺が安置されているそうです。歴史とは悲しいものです😅 キリスト教には変わっても「汝の敵を愛せよ」という教えはどうも世俗の人の心の中までは浸透しなかったようです😢
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大聖堂の奥の主祭壇はクロアチア有数のバロック作品をみることができます。当時は小さなデジカメで写したので全てピンボケでした。まともな2枚の写真を紹介します😢 また、入り口の扉にはイエス・キリストの生涯を28の場面に分けて描いた彫刻が施されていて、ロマネスク様式彫刻の傑作として名高いとのことです(残念ながら写真に入り口だけしか入っていませんでした😅)。
写真に見えるように聖ドムニウス大聖堂には、中世時代に建造された高さ60メートルの鐘楼があります。ここは階段で上ることができ、スプリットを上空から見下ろせる絶好のスポットとなるそうです。鐘楼に登って、その街を眺める私ですが、スプリットでは全く時間が取れずに、鐘楼に登ることが出来ませんでした。きっとトロギールのような海と赤いレンガの街並みが観れたと思うのですが・・😢


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上の写真はこのブログを書く時に2013年の旅行の写真の中に入っていたのですが、写真を撮ったことさえ記憶にはありませんでした(認知症が進んだか😢)。 現在のネットは実に便利で、この場所が何処なのか他の方のブログで検索して見つけました。ぺリスティル広場の西側に見える少し細い道を進むと、洗礼室(or ジュピター神殿)にたどり着きます。上記の写真は「洗礼室」とまります。

ここもディオクレティアヌス帝が295年から305年にかけて宮殿の中の建築物として建立されます。キリスト教がまだ異教として扱われていた時代のローマ皇帝ですので、この建造物はローマ神話の最高神ジュピターを祀った「神殿」として建てられたものです。しかしながら、この場所も彼の死後キリスト教徒によって破壊され、新たに洗礼室として改築されてしまいます。正面にはキリスト教において洗礼の儀式を行うための洗礼盤(正十時の形をしたもの)が置かれています。ジュビター像は破壊され、今立っているのはキリスト教で重要な聖人ヨハネの銅像に置き換えられています。 このような歴史があるためにガイドブックでも「洗礼室」「ジュピター神殿」あるいは両方併記されていることがあるようです。


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観光がメインで見所満載のスプリット街並みですが、見上げると洗濯物が干してあったりと人々の暮らしもあることが分かります。
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古代のローマの中を散策した気分になりながら反対側の城壁へと進みました。
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北側の城壁に開いた城門(金の門)です。そこを抜けると、スプリプの旧市街の外に出ることになります。
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金の門を出ると、巨大な銅像が目に入ります。「グルグールの像」となります。私達には馴染みのない人物ですが、グルグール・ニンスキとは10世紀に実在した司教だそうです。当時開かれた宗教会議で、教会でのスラヴ語の使用が禁止されたことに抵抗した司教で、クロアチアのラテン語化に抵抗しスラブ語の保護に大きく貢献しました。
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この巨大な像は「クロアチアのロダン」とも言われるクロアチアを代表するイヴァン・メシュトロヴィッチの作品となります。「左足の親指を触ると幸運が訪れる」伝説があり、たくさんの人に触れられ、左足の親指だけピカピカに光っています。写真では多くの方が親指を触っていたために、足だけ撮すことは出来ませんが、何となく親指が光っているのは見えると思います😅
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観光後、ホテルに戻ったのですが、ここのドアノブにかける案内がスタイリッシュだったのと、部屋は禁煙ですが、ライターとロウソクが置いてありました。もしかして時々停電することがあるのでしょうか? それとも以前の政治的な混乱の影響が最近まであったせいなのでしょうか。 クロアチアのスプリットはローマを彷彿させる眺めと、キリスト教の影響を感じる街でもありました。

2022年1月21日 (金)

今週の生け花(令和4年1月第3週)

感染力の高いオミクロン株感染が、沖縄県だけでなく全国的に拡大しています。重症化率はデルタ株と比べて低いと言われていますが、数が多ければ重症や死亡者数も増加に転じてしまいます。 現状は元気な若い世代を中心の感染ですが、これから基礎疾患を有する高齢者や乳幼児へ感染が広がると予断を許さない状況になるのかもしれません。

感染が爆発的に広がると、3回ワクチン接種後の医療従事者においても同居家族が感染すると必然的の濃厚接触者となり仕事が出来なくなります。また保育園や学校などが休園、休校になると、子供をみるために休まないといけなくなってしまいます。 それにより医療や検査態勢が滞ると無症状者や軽症者が診断できず、その間に感染が更に広げる悪循環となります。 

もう一度原点に返って全国民が感染対策を講じて欲しいと願っています。 

コロナ禍の中でも縮小しながら今週も生け花が、いつもの2階の場所にも飾られていました😍

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今週の生け花の花材は3種類と少なめです。それでも(それだからこそ?)各自が個性を出して力強い作りとなっています。グラジオラスはまだ蕾の状態ですが、上方に伸ばすことで空間が広がる印象があります。またグラジオラスの細くてシャープな葉は葉材としても使われて一石二鳥の活躍をみせています。
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斜めに見ることで、前後関係もよく分かりますし、カーネーションの赤い色が印象深く写っています。
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ガマズミは日本の北海道南西部、本州、四国、九州に山野に自生する落葉広葉樹の低木で庭木としても見かけることがあります。初夏に白い花を咲かせ、秋から冬にかけて赤い小さな実をつけます。赤い実は甘くなり、ジュースや、果実酒、ジャムにも利用出来るとのことです(私は分かりません😅)。
オミクロン株との攻防は個々1ヶ月が勝負となると思いますので、感染対策、ワクチン接種で対抗してゆきたいですね。皆で頑張りましょう。
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<花材:グラジオラス、ガマズミ、カーネーション>

2022年1月16日 (日)

世界を夢みて(274):スプリットNo1

2022年初めての「世界を夢みて」は、2013年のクロアチア旅行の続きです。今年は海外旅行が再開できることを願っています😊

トロギールからザグレブに次ぐクロアチアの第二の都市スプリト(スプリット)へとエーゲ海をみながら旅を続けました。スプリトの歴史は長く古代ローマ人が1700年以上前に造った都市となっています。

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クロアチア第二の都市スプリットは、アドリア海沿岸最大の港町となっています。アドリア海の沿岸部のためリゾート地としても人気があります。その歴史は古く、ローマ帝国の時代までさかのぼります。スプリットの街自体の魅力はもちろんですが、近郊の街や島々にも観光スポットが多いのも魅力のひとつです。現在の人口は約18万。

また、クロアチアで人気の観光地プリトヴィッツェ」と「ドブロヴニク」の間に位置するスプリットは、クロアチア周遊の経由地としても大変便利な立地です。

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先に観光案内図を示した方がこの都市の成り行きが分かる気がしますので上の写真について説明します。295年-305年、ディオクレティアヌス宮殿を造営されたことが都市の起源となっています。ローマ皇帝ディオクレティアヌス(在位:284年-305年)は病のために皇帝を自ら退き、自分の故郷に近いスプリトに隠居用の宮殿を建てることを命じます。隠居用と行っても上の案内図にあるように、強固な要塞の大建築物となっています。この宮殿を中心に街を形成したのがスプリットのはじまりとなっています。宮殿南側は海に面し、その城壁の長さは170メートルから200メートルに及び、高さは15から20メートルとなっています。 
今回初めてクロアチアを旅行して、特に沿岸部の街々でローマと変わらない風景に出くわすことが多く経験しました。歴史的にも地政学的な意味でもイタリアと深く関わっていたことが伺えました。


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街の入口にあった案内図を見ると、当時は宮殿が海に接していたことが判ります。今では埋め立てにより海岸沿いに大きな舗道が造られています。 また宮殿の水道施設は堅固な作りで、ディナル・アルプス山中のヤドロ水源から水道路により供給されていたとのこと。引退した後の生活のためにこれ程の宮殿を造れるなどはいかに古代ローマ帝国が繁栄していたかを物語っています。 それだけでなく宮殿と周囲には、当時8,000人から10,000人の住民が暮らしてていたそうですが、その住民には、公園と余暇施設が与えられていたそうです。まさに古代ローマ恐るべしです😊

Th__20210822172501城壁で張り巡らされているスプリット旧市街ですが、主な入り口は、東西南北に4箇所あります。それぞれが「銀の門」「金の門」「青銅の門」「鉄の門」と呼ばれていています。


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かつては城壁と海は隣接していましたが、その後は埋め立てが進み、このような広々として遊歩道があり、周囲にはカフェやお土産品展が軒を連ねています。
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広々とした遊歩道に、南国らしいヤシが植えられていると如何にも南のリゾート地の雰囲気です。
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ペリスティルから南の「青銅の門」にかけては、地下通路が通っています。地上を見学する前に、地下宮殿への入口がありましたので先に宮殿の地下を見学することに。

この宮殿の地下も巨大で、今ではその場所も観光地となっています。
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地下の部分は現在では整備されていて、地下中央の両脇には沢山のお土産品展が並んでいました。丁度今回は沢山の観光客がいたために、この場所は上手く撮影出来ずにいます。
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地下室の端の方には、上の宮殿からは、所々に孔が開いていて、塵捨て場のような場所もあり(写真左)、古代ローマ時代の水道管も置かれていました。 遠い場所からこのスプリットへと水を運んだようです。
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モザイクのタイルが敷かれたような場所から、再度地上に出て来て、観光を続けて行きます。

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地下宮殿から地上に上がると眩しいほどの太陽とカラフルな花(ブーゲンビリア?)が咲いています。南国らしい雰囲気です。

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宮殿の中心のペリスティル広場を目指す前に、ぽっかりと天井が開いた「前庭」に出ることができます。 丸く抜けた上部からは青空が見えて気持ちのよい場所です。この場所はかつてはディオクレティアヌス帝の住居の玄関として使われていた場所だといいます。 現在では音響が素晴らしい場所であるため、現在は男性アカペラの「クラパ」の唄声が聴くことが出来ます。私が出かけた時にも丁度ここで唄っていましたので、CDを購入することに。確かに音響はいいと感じました。
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クロアチア南部の街スプリトの中心部、ディオクレティアヌス宮殿の敷地内にあるのが聖ドムニウス大聖堂です。世界遺産「ディオクレティアヌス宮殿のあるスプリトの歴史的建造物群」の構成遺産の1つ。
次回はスプリットの代名詞ともなる、宮殿の中庭にあたる「ペリスティル」に向かうことにしました。 聖ドムニウス大聖堂もある 最もローマの遺跡らしい 場所となっています。

2022年1月14日 (金)

今週の生け花(令和4年1月第2週)

年末からしばらく生け花クラブの活動は休止だったようですが、久しぶりに(今年初めて)いつもの2階の場所にお花が飾られていました。 いつもはこの場所以外の多くの箇所にもお花が飾られているのですが、今回は飾られる所は少なかったです。 クラブの皆で集まっての活動と言うより個人個人で活けて飾ってくれたのかも知れません。

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いずれにせよ、今年初めての生け花です。1月の生け花らしい華やかさがあります💖 とても素敵ですね〜✨️

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後面の赤い花を観ると一瞬、沖縄の避寒桜かと思いましたが、ボケの花です。 春先に咲きますので迎春花とも呼ばれるようです。迎春花とはなんとも素敵な名前ですが、どうも私のような人間にとっては「ボケ」は認知症の「惚け」をイメージしてしまいます😅  名前の由来は諸説あるようですが、果実が瓜に似ているために「木になる瓜」で木瓜(もけ)と呼ばれたのが転訛して「ぼけ」になったのだと言うことです。 決して認知症とは関連がありません😃
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上から眺めると、白に青い花々と、如何にも正月らしい黄金色の大きな菊が花を咲かせ元気いっぱいのオーラを放っています。
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外はオミクロン株の脅威にさらされていますが、この場所は元気の出る華やかな場所となっています。お花達に負けないように頑張らなければなりませんね。 生け花クラブの皆さん、今年もよろしくお願いいたします😃

 

<花材:赤目柳、ボケ(迎春花)、雪柳、菊、マリンブルー、さつま杉>

2022年1月12日 (水)

オミクロン株出現による新たな新型コロナウイルス感染症の対応について

今日のFM放送は、これまでの新型コロナ感染のながれとオミクロン株に対応について話をしましたので、ブログでは大まかにまとめてみました。

<新型コロナ感染の発生と変異株への移行>

コロナウイルスの仲間は100種類程度あり、そのうち毎年の様に流行る「風邪」の原因となるのが4種類あります。実に風邪の原因ウイルスの10〜15%を占めます。 

ウイルスは毎年の様に変異を繰り返します。時々変異したものが急速に人間に症状を現すことがあります。2002年のサーズ、2012年マーズと言うのもありました。 これらは致死性が高かったのですが、封じ込めることが出来て世界中に感染は広がりませんでした。

2019年の末頃に中国の武漢市で多くの方が肺炎を起こすような新しいタイプのコロナウイルスが発見されました。2019年に発見されたコロナウイルスですので「Coronavirus Disease 2019」と命名されました。これを短縮したのが、COVID-19と呼んでいる訳です。

日本では2020年2月ダイヤモンド・プリンス号の船内でのクラスター発生で、日本も他人事ではなくなり警戒が強まります。2020年3月には緊急事態宣言の発出がありました。その後は何度も繰り返して、今は第6波と成っている訳です。

ウイルスは常に変異を繰り返していて、感染力や免疫を逃れる力などで新たな変異株に置き換わって感染を広げてゆきます。

ある程度、世界中に感染が広がったウイルスには名前をつけて区別するようになり、アルファ株、ベータ株、ガンマ株・・・株になり、直前まではデルタ株が感染力、重症化リスクも高く、世界各地で猛威を振るいました。

更に、WHOは2021年11月24日に南アフリカから非常に感染力の高い「オミクロン株」が検出され、それが今世界各地に広がりをみせているのです。

パンデミックの中で、世界で初めてm-RNAワクチンが実用化されました。この技術によりこれまでは実用化までに数年から10年かかるワクチン生産が驚異的な速さで実用化しました。日本人が接種しているモデルナ製もファイザー製のこの技術を応用しています。 

m-RNAワクチンはウイルスの表面にある部分を抜き出して製造するのですが、最初の頃のコロナウイルスを元に作成したものですから、ウイルスが変異する中で、一致する部分が少なくなりワクチンの効果も低下することとなりました(→m-RNAワクチン)

特にこのオミクロン株は変異する箇所が多いために、これまで2回接種しても、しばらくすると効果がない変異株ということになっています。これは厄介なことです。

<オミクロン株の特徴>

オミクロン株とは?

オミクロン株は、まだ明らかでない部分がありますが、他の株よりも感染(伝播)しやすいと考えられています。私の少ない知識の中から拾い集めたデータを示します。

・英国で家族内感染を追跡した研究では、接触者に伝播する確率が、デルタ感染者からは約10%であったのに対し、オミクロン患者からは18%でした。

感染拡大が続いている沖縄での症例では

    <症状>発熱(72%)・咳(58%)・だるさ(50%)・のどの痛み(44%)などの風邪症状が中心となり、通常の風邪に似ています。

    <感染から発症までの時間> 潜伏期間が短い可能性:アメリカの報告例によると潜伏期間の中央値は3日に短縮(デルタ株などは5日程度)

  <倍加時間>これまでデルタ株などは、感染者が出てそれが2倍になる日数は4〜5日だったのですが、オミクロン株だと2.8日と短縮されています。

どういうことかと言うと、例えば100人の新規の陽性者が出ると、2.8日後には200人に増えてしまう。これまでの変異株と比べると速いということになります。 →米国や日本においても感染力の高さは驚異的である事が分かります。

・感染力が高いのは分かりましたが、ではオミクロン株の重症化リスクは? 

まだ日本人のデーターは明らかにされていませんが、英国インペリアルカレッジロンドンからの報告では、「オミクロン感染者はデルタ感染者より、病院にかかるリスクが20〜25%、一晩以上入院するリスクは40〜45%低い」という結果。また同じイギリスのエディンバラ大学からは、11月1日から12月19日までの入院データを参考にオミクロンはデルタに比べて入院するリスクが3分の2低下していると発表され、重症リスクはデルタ株より低いと言う結果でした。

・ではなぜ重症化リスクは少ないのか?

重症化リスクが少ない原因として、「オミクロンは口腔・鼻腔から気管支内で主に増殖しやすく、デルタや通常株と比べて肺内での増殖速度は相対的に非常に遅い」ことが考えられています。

口や鼻で感染するのなら普通の風邪と同じ感じとなります。それが奥に進むと中等度の気管支炎と言うことになります。そして炎症が肺そのもに及ぶと一番重症な肺炎という状態になります(以前のブログにも書いていますので参考にされて下さい→風邪と肺炎は似て非なるもの)。 ですので、オミクロン株は軽症や中等度の気管支炎で留まることが多く、従来株やデルタ株では肺炎にまで進むことがあったのが、重症化リスクに反映されているかも知れないのです。

ただし、入院率については以下の理由から慎重に解釈する必要があり、安易に「オミクロン株は重症化しないから感染しても問題ない」と考えるのは危険です。

→私達人間は自分に都合が悪いことは余り耳に入らない傾向があります。 非常に簡単な例を挙げましょう。オミクロン株は入院となるような重症なるリスクは分かりやすいようにデルタ株の半分としましょう。 でも感染力が2倍ならば、同じ人数の方が入院となるのです。 今は若者を中心の感染爆発ですので、これが次第に高齢者に広がると、更に危険がます可能性もあることを注意しなければならないのです。

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<オミクロン株の困った点>

・1番問題なのはワクチン2回接種しても5ヶ月経つと、ワクチンの効果がほぼゼロになる結果

そしてなりよりも、ワクチン2回目接種していても感染の危険が高くなったことが、オミクロン株が問題となる点となります。

<オミクロン株のワクチン効果、内服治療薬の問題点>

これまで、ワクチン接種を2回終了したことで安心した方も多かったのに残念な結果に・・・では打たなかった方が良かったのか・・・まあそうではありません。

この番組でも何度も訴えているように、ウイルスに対する予防はワクチンしかありません。現在のワクチンの主流のファイザー製もモデルナ製もm−RNAというワクチンが使われています。

このワクチンは最初の新型コロナウイルスを元に作られたために、ウイルスの変異が大きければ、効きにくくなる可能性があります。それでも従来型からデルタ型まではある程度の効果を発揮していました。

 

・では、オミクロン株のワクチンの効果はどれくらいあるのでしょうか。

英国健康安全保障庁では、147,597人のデルタ患者と68,489人のオミクロン患者の解析から、ワクチンの効果(2回接種後と3回接種後)で検討されています。

2回接種の場合:オミクロン株に対しての予防効果はある程度見られるもののデルタ株よりも低く、いずれのワクチンでも2回接種後20週経過すると、オミクロン株に対するワクチン効果はゼロに近くなるという、ワクチン接種者や医療関係者に衝撃が走るようなデーターの公表となりました。 

これは私達にも大きな衝撃となって伝わってきました。 なに! 2回もワクチンを打ったのに5ヶ月過ぎたら、予防効果が殆どないということに愕然とした訳です。

 最初はアメリカのデーターを元に2回目接種から8ヶ月程度で3回目の接種を検討だったのが、オミクロン株に変わったために2回目終了から5ヶ月経っていたら3回目を打った方がいいとの方向に諸外国はなりました。

 

<現在の日本での問題点>

若者を中心にワクチンの接種率が低く、現在その若者を中心にオミクロン株の感染が広がっています。それを見るとある程度のワクチン効果もあるようです。 日本の場合には欧米に比べて、ワクチン行政が上手くゆかなかったせいで、欧米より遅れてワクチン接種が始まったために、2回目接種してから諸外国と比べるとまだ時間が比較的短いからともいわれています。

感染者が若い人や家庭内で広がる傾向がある中で、その理由にマスクなしの会話、会食の原因が挙げられています。 マスクなしの会話、マスクなしで食事をしている最中は会話は是非避けて下さい。

<2回駄目だのにワクチン接種の3回接種がオミクロン株にも効果があるか?>

イギリスからの報告によると3回目にファイザー製かモデルナ製のワクチンを注射すると、2〜4週間後にはオミクロンに対するワクチン効果は上昇しますがおよそ60〜70%となりますが、5〜9週後には45%程度となります。

この結果から読み取れることは、オミクロン株がこれからの感染の主流になることより、出来るだけ早めに3回目の接種をすること。ワクチンを2回接種していても、もう一度原点に立ち返って、感染対策を徹底的に行うことで予防するしかありません。

<オミクロン株に対する新しい飲み薬の有効性と注意点は?>

一時日本でも重症化を防ぐ手だてとして、外来で注射でやれる、抗体カクテル療法がもてはやされました(以前のブログ→抗体カクテル療法)。これはオミクロン株が主流になると効果は期待出来ず、推奨されなくなりました(この療法でも新たな変異株に合わせて合成すれば効果が出ると思いますが・・・)。

 一方期待されている、内服薬のモルヌピラビルは、RNAポリメラーゼという酵素を阻害することで、ウイルス複製にエラーを起こさせる薬となっています。

ワクチンや抗体カクテルと違い「理論上は変異した部分の影響は受けない」ため、オミクロン株にも有効とされています。

 入院や死亡のリスクを減らす効果は最初の発表の50%から30%程度に下方修正されて、少し残念な気分にもなります。 それでも、飲み薬で「30%でも抑えられるのなら、ないより良い。安心感を与えることができる」と思います。 

まだ日本では未承認ですが、アメリカでは承認された、ファイザー製の経口抗ウイルス薬は入院あるいは死亡のリスクを89%減少させたという良い結果が出た薬も開発されていますので、日本でも承認されるかも知れません。 いずれにしろ効果がある薬はどの国も必要な訳で、暫くは薬の争奪戦になって自由に使えるまでには時間がかかるかもしれません。

注意点としては①18歳未満、妊婦や妊娠している可能性のある方へ投与できない、②発症後5日以内に投与が必要となる(これは当たり前のことで、体内でウイルスが増殖し終わって使っても意味がないこと。インフルエンザの内服と同じ考えです)③十分な供給量がなく指定の薬局でしか薬がもらえない点があります。誰でも飲めるわけではなくて、細かな適応が決まっています。

<オミクロン株の急激な感染拡大に伴う休職者増による社会問題>

日本の中でも突出した感染者の数は沖縄での感染状況は、沖縄特有の状況と12月の米軍基地内での多数のクラスター発生が引き起こしたと考えています。

年始・年末は県民も移動や会食も多くなるでしょうし、成人式のイベントもあります。 何度も何度もこの番組で言っているように「ウイルスは自分で移動しません、人から人へと感染を広げます」 感染力が高いとは言え、ちゃんとお互いにマスクをして、手洗い、アルコール消毒をすればかなりの率で防ぐことが出来ます。 家庭内ではかなり無理なことです。しかし職場や出かける時には出来るはずです。 やむなく外食をするにしても、食べる時以外はマスクをすること、マスクなしでは絶対に会話をしないことなどを改めて徹底する必要があります。

オミクロン株は症状が軽い場合が多い情報に安堵しないで欲しいです。 重症化が半分でも、感染者が2倍なら、重症となる人の数は同じになるのです。

兎に角、皆様方に訴えたいのは感染力は高いので、多くの方が感染者になる可能性があります。感染しても元気な若者が、家庭に持ち込んで、両親や祖父母に、またワクチンを打っていない子供達に感染が急速に広がります。

また無症状の方も多いと言うことは、知らず知らず周りに感染を広げてしまう感染者も多くいることが、更に感染者の増加をもたらします。

陽性者は仕事を休みまなけれがなりません。社会的なコロナの問題点は、短期間で多くの方が感染してしまうと、その数よりも数倍も濃厚接触者が出てしまいます。現在、濃厚接触者なってしまった場合は無症状でも14日間の自宅待機となります。 その結果、社会で仕事に出られない方が続出するのです。

そうなると社会基盤がなりたたなくなるのです。 例えば、病院の職員を例にとりましょう。 ご主人が感染者になると、その職員も濃厚接触者となります。 そしたらその人は休まざるを得ません。或いは保育園の先生が感染者や濃厚接触者で園を閉めてしまいます。そうなると若い医療従事者も子供のために休職をしないといけなくなります。 

患者は増えるのに病院の職員は欠勤で、今度は病院を閉鎖します。それにより早期発見、早期治療をやることが出来ず、その方々がまた感染を広げてしまいます。

このように急激な感染拡大は社会全体が上手く回らない状況となるのです。 私がこの番組で何度もくり返し、訴えているのはコロナ禍で皆が大変な思いをする中で、医療だけを守って下さいではありません。 感染者を診る医療体制が崩壊すると社会全体の崩壊になってしまうのです。

兎にも角にも、感染爆発のリスクを社会全体で考えて行動して欲しいです。そして行政には3回目のワクチン接種の体勢を1日でも早くとって欲しいです。

 

<今後の予想>・・・これからは根拠のない私の考えですので気にしないで読んで下さいね😅

ウイルスは自分が生き残るために変異を繰り返すことで、私達がこれまでに獲得した抗体からの攻撃をかわしながら生きながらえる仕組みを取っています

これから言うのは専門家でもない私の想像ですので、参考までに聞いて下さい。

新しい未知のウイルスが出て来た時に、感染した人間にダメージを与え過ぎる場合(毒性が強すぎる場合)には、その1人の人間が死んでしまい、他人に移ることが出来ません。

感染力もあり過ぎると、地球上の全人類が短期間に感染してしまい全人類がこのウイルスによる抗体を持ってしまいます。するとウイルスも生き残ることが出来なくなります。

ウイルスはバイ菌などの細菌と違い、自分で増殖する工場を持っていません。 ですから、生きた細胞がなければウイルスも生き残れません。 致死率が余り高くなくて、感染力もある程度あるのがウイルスが生き残れる最も適した条件になります。

ウイルスは変異を繰り返すことで、徐々に、感染力もまあまあで、人間の命も奪わない程度の増殖力(細胞の破壊力)を持ったタイプになって、人類と共存を図ってゆくことが予想されます。

早くそのようになれば、100類あるコロナウイルスの中で毎年感染を繰り返してきた4種類のコロナウイルスに加えて、今後は5種類目になるかもしれません。 もういい加減早くこの感染の状況を脱したいです😂

2022年1月 9日 (日)

あの頃のまま

明日は「成人の日」ですね。今年もコロナ禍の中での「成人の日」となります。1度しかない成人式がコロナで中止や規模を縮小して行われると考えます。心待ちにしていた新成人の方々や親御さんにとっては残念な気持ちでいるかも知れません。

私の場合は東京で予備校に通いながら、受験に備えたり、受験用の願書の提出や受験地への手配などを行いながら過ごしていました。今のようにネットなどがある時代ではありませんので、受験日が迫る中で郵便局に投函したり、旅行社に出かけてホテルの予約などを1人で行っていました。 田舎から出て来た私に取っては「東京砂漠」とは言い得ている気がしました。12月の華やかなクリスマスジーズン、同じ年頃のカップルが手を繋いで歩く光景を見ながら取り残された自分がいました。成人式の日に華やかな衣装を着た同じ年の人達と予備校に通うために同じ電車に乗り込む自分がいました。

60代半ばの禿げたおやじになった今でも「取り残された自分」がいつも存在します。二十歳の頃より前を見て歩こうとする自分と取り残された自分の両方が何らかの割合で常に存在してます。

自分の努力ではどうしようもない大規模な災害、事故、ウイルスによるパンデミックな世界に襲われてしまう可能性が常にあります。不可抗力の世界の中で自分が歩む道を見つけなけらばなりません。

コロナ禍で成人の日を迎える皆様方にとっては「生きているだけで素晴らしい」という実感は持てないかも知れません。これは恐らく二十歳の方の何倍も生きた人間として後ろを振り返ることが出来たから実感できることかも知れません。だからこそ、二十歳になった皆様方へは後悔することなく「前を向いて全力でこの時代を駆け抜けて欲しい」と願うのです。

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久々にギターの弾き語りを録音し、動画にしました。作詞・作曲は呉田軽穂(荒井由実のペンネーム)の曲です。年齢の近い荒井由実さんは私の20歳の時には既に才能に溢れた華やかな有名人でした。 人生の最悪の時に最高の音楽を聴いた時期でもあったのかも知れません。

正月に録音したのですが、イントロが難しく上手くゆきませんでした。まあ何時ものことですので、動画の写真で誤魔化したいと思います。宜しければ「あの頃のまま」をお聴き下さいね💖

 

2022年1月 7日 (金)

今日の昼食は七草がゆ

予想していたとは言え、オミクロン株の感染力の強さに驚くと共に当院を含めて医療の逼迫(崩壊)が近づいているようで恐怖心を覚えます。 感染力がいくら強くてもオミクロン株もコロナウイルスです。 ウイルスが自分で出歩いて人に感染する訳ではありません。 人が人へと移してしまうのです。 年始年末はこれまでの自粛の反動でコロナが無くなっていない状況にも係わらず一気に人の移動が起きました。 

取り分け沖縄県では12月中に米軍基地内で1000人規模の集団感染が起きました。 在沖米軍関係者の数は4〜5万人ですので、東京の人口比に直すと28万人が感染したのと同じ極めて高い感染密度になっていました。米軍関係者の多くはワクチン接種2回終了者で強靱な肉体の若者が中心ですので、感染しても無症状か軽症で済んでいると考えます(米軍からオミクロン株かどうかや重症者のことの公表がありませんので詳細が分かりません)。 多くの米国人にとってクリスマスは最大のイベントの1つですので、クリスマスの時に若い彼らの中にはマスクもせずに飲み歩く姿が確認されています。 

医療関係者では米軍の基地内の感染力の高さなどからオミクロン株と考えていました。基地内の日本人従業員や米軍関係者が出歩いた先で感染を広めてゆくことに。 それがまた日本人の移動も活発になる年末・年始を迎えましたので、この時期の感染爆発となってしまったのです。 

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ため息をつきながら昼食のために7階の職員食堂に向かいました。そのメニューをみて初めて今日が1月7日「七草がゆ」だということに気づきました。 今日の昼食は通常の弁当(↑)に、一品「七草がゆ」(↓)がついています。勿論いつもの300円の料金です。

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沖縄ではまだ旧暦での祝い事も多く残っています。旧暦の1月7日(今年は新暦で2月7日)にはナンカヌク(七日節句)を頂く習慣があります。考えは同じで正月で疲れた胃を休め、無病息災、豊年を願う年間行事です。

沖縄の定番のナンカヌクの素材は本土とは違います。①ンサナバー(ふだんそう)②フゥチバー(よもぎ)③ゥンチェーバー(えんさい)④カラシナー(からしな)⑤デェークニバー(大根葉)⑥チリビラー(にら)⑦スーチカー(豚肉の塩漬け)をいれて作ります。⑦番なんて沖縄らしいですね。これも必ずしも定番では無くて、色々とアレンジして7つとも野菜で作ることもあるようです。

・・・これを食べて、コロナをやっつけたいです😊

2022年1月 5日 (水)

睡眠と夢について

コロナ禍で自粛が続いた反動で年末年始は人の移動が活発になったようです。それに伴い懸念されたコロナウイルスの新規感染者の増加が危惧されていましたが、いよいよ戦いがまた始まった感じがします。沖縄県の新規感染者が昨年の8月以来の600人越えとなりました。 

今年最初のラジオ放送{いきいきタイム」となりました。毎年の様に初夢にかけて睡眠と夢について話をしました。

<眠りのメカニズム>

多くの方は夜になると自然に眠くなり、朝に目覚めます。(醒めなければ大変です😅)

このリズムは脳の中の時計「生体時計」と「深部体温」にコントロールされています(更に細かなことは以前書いています→睡眠傷害と眠りのホルモン)。

 私達の体温は明け方に最も低く、日中は上昇して夕方にピークを迎え、また下がっていくというカーブを描きます。人間は体温が下がり始めると眠くなります。ここで言う体温とは手足の体温ではなく脳や腸などの体の内部の温度「深部体温」のことです。生体時計や深部体温により、人間は眠くなったり目が覚めたりするわけです。

 

<眠りには二つのパターンがセット> 

眠りには性質の異なる「からだの眠り」と「脳の眠り」の二つのパターンがあります。 ひとつは「レム睡眠」(REM睡眠)で、眠っているにも関わらず、眼球が素早く動いている(英語でRapid Eye Movement)時間帯があり、その頭文字を取ってREM睡眠と呼んでいます。もうひとつは、このような眼球運動を伴わないので、ノンレム睡眠と呼ばれる眠りです。この2つの眠りのうち、レム睡眠を「からだの眠り」、ノンレム睡眠を「脳の眠り」とも呼んでいます。

 寝入りばなには、脳はすみやかに深い眠りに達するノンレム睡眠から始まります。そして1時間半か2時間続いたあと、いったん脳の眠りが浅くなり、最初のレム睡眠が現れます。このとき、まぶたの下で眼球の急速な動きが観察出来ます。 「レム睡眠」は5分ほど続き、再び深い眠り(ノンレム睡眠)へと入っていきます。 

 このように、ノンレム睡眠とレム睡眠は1つのセットになって、1時間半程度のこきざみなリズムをつくり、一晩に4〜5回くり返すのが、私たちの睡眠の一般的な型とされています。

 レム睡眠のとき、脳は活発に働いて、記憶の整理をしているのではないかと言われています。その一部分を時々夢として覚えているのです。人間は誰にもレム睡眠があって、夢を見ている状態を持っています。「夢を見たことがない」とおっしゃる方も、ただ目覚めた時に夢を覚えていないだけのことなのです。 

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以前「寝る前にネットサーフィンをしたり、スマホの画面を見るのはよくないのは、交感神経が働いて脳が眠りの状態にならないからですか?」と質問を受けました。そのこともありますが、最近よく聞く「ブルーライト」も影響があるようですので追記します。ブルーライトは、LEDを使ったパソコンやスマホ、タブレットなどのディスプレイからも発せられています。可視光線のうちで最も波長の長いのが赤で、最も波長の短いのが紫で青(ブルー)はそれに近い光です。紫外線と似た障害がでるのではとの憶測もありますが、まだ短期間のためにはっきりとしたデーターは出ていないようです。

<メラトニンと寝る前のスマホ操作>

若い人(今や私のようなジジイもですが😅)に多く見られる睡眠効率を下げる行為のひとつに、寝る直前までスマホを見ていることが挙げられます。電子機器からはブルーライトという青い光がたくさん出ていますが、人間は青い光を見ると「昼だ」と脳が認識するため、メラトニンと呼ばれる睡眠ホルモンが減少してしまいます(前述の→睡眠傷害と眠りのホルモン
。それにより眠りに入ることを失ってしまう可能性もあります。スマホの使用は、寝る1時間前には控えるようにするのが理想です。遅くても30分前には見るのをやめるようにしましょう(私も含めて注意が必要ですね😢)。

2022年1月 3日 (月)

迷うことなく地道に歩んでゆけたら

昨年は12月31日まで仕事があり、元旦も仕事場に顔を覗かしました。しかしながら久々に2日連続で自宅でのんびりです。2日間仕事場に行かないのは2019年の旅行以来かも知れません。 1日中ダラダラとドラマを観たり、ギターを弾いたり、本を読んだり・・・昔のアルバムを見たりしました。

元旦に姉が自宅でコーヒー豆を焙煎したと持って来てくれました。出来たてのため豆自体からすごくいい香りがします。

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今日の那覇市は朝から快晴です。昼間まで寝ようかとも思いましたが、天気も良いし起きる事に😊 頂いたコーヒー豆を思いだし、ゆっくりと豆を挽いてコーヒーを淹れることにしました。 何時もはマシンのドリップコーヒーですが、久々に時間をかけてコーヒーを楽しむことに。 丁度手元にあったアデルの音楽を聴きながら飲む朝のコーヒーは最高です。 

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部屋に差し込む光を眺めて、外に出ると眩しく暖かい太陽の光です。

明日からは気分を変えて頑張りましょ。今年も色々なことがあるのでしょうが、1日1日を感謝しながら進めばきっと道は拓けてゆくことでしょう。そう信じて焦らずに生きてゆきたいのです💖 

2022年1月 1日 (土)

新年あけましておめでとうございます。

謹んで新春をお祝い申し上げます。 旧年中は大変お世話になり、誠にありがとうございました。 

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昨年は「人生なにがあるか分からない」と実感する年でありました。まさか2年越しのコロナ禍に見舞われるとは思いもしませんでした。私ごとになると、生きがいにしていた海外旅行も行けず、それどころかこの2年間は飲食店にも、衣服の買い物にも出たことがありませんでした。お陰で通販生活は上手になりました😊

コロナの影響で改めて人間は社会生活の中で生きる動物だと言うことが分かりました。日常の何気ない会話、食事を一緒に楽しんだり、笑顔をみたり、人の温もりの大切さを知ることにもなりました。色々なことは決してマイナス面だけではなくて、プラスに働くこともあると考えます。

今年は寅年です。オミクロン株と聞いても落ち込んでも仕方ありません。ピンチはチャンスに変えるきっかけになります。

虎穴に入らずんば虎子を得ず(危険を避けてばかりいては大きな成果は得られない)という諺は今年にぴったりかも知れません。

2022年(令和4年)も前(or上)を向いて歩いてゆきましょう! 今年もどうぞ宜しくよろしくお願い致します💖

2022(令和4年)元旦。

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