(前回ザグレブの教会について書いてのですが、ここで教会様式についてまとめてみたいと思います。今日はこの辺りを書きました。)
ヨーロッパ旅行をしていると絶対に見逃せないのは教会建築だと思います。無宗教家の私でもヨーロッパ旅行で教会内部の彫刻や絵画、或いは美術館などでキリスト教の主な人物達のことを知っていると理解しすいと考えています。以前そのことは記載しました(→教会の呼び名で混乱。→キリスト12使徒のシンボルがわかると・・ )
これと同時に宗教が中心的な役割を担ったヨーロッパ、イスラム圏ではその時代の建築の粋を集めたものが教会だったと考えています。ヨーロッパ旅行で教会を何度も廻って飽き飽きしたと言うことも旅行者の声としてよく聞こえて来ます。それでも建設様式や絵画や彫刻の意味が分かると少し教会回りも楽しくなるのではと思っています・・・まあ楽しみ方は人それぞれですので・・・😅
簡単にまず建築の大きな様式の変遷を図にしてみました。
①まずはギリシア建築について・・・(もちろんそれ以前の古代エジプト建築もありますが)。恐らくヨーロッパで初めて建築「様式」の確立がなされたのがギリシャだと思います。紀元前7世紀ごろから建築され、紀元前5世紀ないし紀元前4世紀頃にその頂点を迎えます。有名なのがパルテノーン神殿でしょうか。
②古代ギリシャ建築を引き継いだのは古代ローマ建築でしょうか。ローマ建築ではギリシャと違い神殿だけでなく、神殿やバシリカなどを全てを包括したフォルム(フォールム)として建造されています。またコロッセオに代表される様な円形闘技場、公共浴場、水道橋などの公共施設が有り、これはローマの属国となったヨーロッパの多くの国々で現在も見られる遺跡群として残っています。
③この頃よりローマでもキリスト教が国教と認められるようになりますが、教会もどちらかと言うと古代ローマ建築を改修して使われることが多い時代です(多神教だった古代ローマ帝国で正式にキリスト教が国教化となったのは392年で、それ以降はキリスト教以外の宗教、宗派を禁止となっています)。
④4世紀頃になるとローマ帝国が西と東のローマ帝国に分裂します(西暦395年)。経済的に恵まれた東ローマ帝国では、教会も「ビザンティン建築」として独自に造られて行きます。現在の西ヨーロッパ地域を支配した西ローマ帝国は次第に衰退します。
⑤東ローマ帝国の首都は今のトルコのイスタンブール(コンスタンティノープル)で、イスラム圏の優れて建築様式が加わることになり一気に発展します。これがビザンティン建築となり、東ヨーロッパ、イスラム圏にも影響を与えることになります。教会の代表作としては、トルコ、イスタンブールのアヤソフィア(ハギア・ソフィア大聖堂)で、その後このキリスト教会はイスラム教のモスクに利用される様になり、その後のイスラム建築もこの要素が含まれていますし、東ヨーロッパやロシアではロシア建築の要素も加わり新たな建築様式として発展します。
⑥勢力が衰えていた西ローマ帝国内においては逆に教会の権力が次第に増大し、教会建築も新たな段階を迎えます。これがロマネスク様式となります。時代区分としては、おおよそ1000年から1200年の教会建築で使われ、主にフランス、ドイツ、イタリア、イギリスなどで見ることが出来ます。 この時代の建築はまだまだ未発展で繊細さがありません。大きな教会を造るためには、壁を厚くして支えなかればいけませんし、窓も大きく造ることが出来ません→「壁が分厚くて、窓が小さい」→感じとしては「がっしり、どっしり」で内部は「暗い」「柱も太く、天井も丸い」と言った感じです。つまり繊細さがないのです😀
ロマネスクとは「ローマ風の」という意味ですが、美術史・建築史において、繊細さがないために当初は「堕落したローマ風の建築」という蔑称で使われたそうです・・・単に建築技術が追いついてないだけですのに、これは言い過ぎでしょって思ってしまいます😅
フランス:ル・トロネ修道院、サント・マリ・マレーヌ教会。イギリス:カンタベリー大聖堂。イタリア:ピサ大聖堂、サン・ミニアト・アル・モンテ教会。ドイツ:アーヘン大聖堂、シュパイアー大聖堂、ロルシュ修道院、マインツ大聖堂 など
⑦建築史における大進歩と言えるのが、ゴシック建築と言われています。当初フランス北部のゴート地方で造られたために「ゴード風の」と言う意味でゴシック建築と呼ばれるようになっています。フライングバットレスという、外部の柱で建物を支える技術が出来たために、教会そのものの壁を薄くすることができ、窓も大きく取れるようになり、大きなステンドグラスが利用でき内部に光が届く明るい教会となっています。また高さも確保出来るようになったために、垂直方向により高くより尖った印象の教会となっています。
フランス:サン=ドニ大聖堂、パリ・ノートルダム大聖堂、シャルトル大聖堂、ランス大聖堂、アミアン大聖堂。イギリス:カンタベリー大聖堂、ウエストミンスター寺院、ソールズベリー大聖堂。ドイツ:ケルン大聖堂、聖エリザベート教会、マルデブルグ大聖堂。チェコ:聖ヴィート大聖堂。 イタリア:ミラノ大聖堂、サッサリ大聖堂。
高くて、尖った尖塔があればゴシック建築と考えても結構当たる確率は高いと感じます😅
⑧ルネサンス建築は、ゴシック建築を引き継ぐ感じでイタリアのフィレンツェで1420年代に始まります。この時代には余りに宗教的な価値観に被われて時代に反撥して文芸復興「ルネサンス」がイタリアで始まります。この時代に絵画を中心に芸術が一気に花開きます。建築においても人体比例と音楽調和を宇宙の基本原理とし、教会建築においても外観も内部も整然、均等比率、左右対象、水平指向、全体的にも正方形となったり丸形のドームが好まれるように変化します。またこの頃より地方の貴族や王族なども財力を持つようになり邸宅や礼拝堂などもこの様式で建てられる様になります。
イタリア:サン・ピエトロ大聖堂、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(フィレンツェ)、サン・ロレンツォ聖堂
⑨ヨーロッパにおいて1590年頃からバロック建築は始まり、盛んになった建築様式である。バロック建築の背景には、宗教改革によって著しく低下したローマ・カトリック教会の権威の失墜を、芸術活動によって補おうと企んだローマ教皇シクストゥス5世、パウルス5世等の活動により16世紀末から17世紀初期にかけてローマで始まった。このような背景によいてより教会を神秘的な空間として表現する必要になったのです。、「バロック」と言う語の語源はポルトガル語の‘Barocco’(歪んだ真珠と言う意味)と言われています。建築の特徴としては外観はうねり、ねじれ、ダイナミックさが重要視され、内部においては豪華な彫刻、彫像、レリーフがふんだんに配置され、壁も直線ではなくて凹凸うねりのあることが多くなっています。またこの時代は柱を2つに並べるダブルコラムの様式もよく見られるようになります。 要は一見ににして豪華絢爛、綺麗ですがゴチャゴチャとした印象を受けるのです。 教会のみでなく、ハプスブルク家の支配したヨーロッパなどの館や広場などでもこの様式を見ることが出来ます。「バロック」と言う語の語源はポルトガル語の‘Barocco’(歪んだ真珠と言う意味)といわれ、元々は余りに装飾が行き過ぎてグロテスクにみえた装飾美術に対する蔑称であったそうです。
サンピエトロ寺院のコロネード(列柱廊、バチカン)、聖カルロ教会(ローマ)、メゾン・ラフィット(パリ)、スペイン階段(ローマ)、トレヴィの泉(ローマ)、シェーンブルン宮殿(ウィーン)、ヴェルサイユ宮殿(パリ郊外)
⑩やがてイタリアでのバロック建築は衰退するが、ブルボン朝フランス王国に継承されてルイ14世太陽王の支配する宮廷に於いてバロックは絶頂期を迎えることになります。バロック様式は隣国のヨーロッパの各王国にも波及し、われ争って豪華な建物うが造られます。バロックの行き着いた建築様式としてロココ建築が有ります。その様式はロココと同じく女性的な曲線を多用する繊細なインテリア装飾などが特徴となります。しかし、あくまでも後期バロック建築の傾向を表現する用語であるため、この様式は独立した建築様式ではないと書かれていました。主な建築物には、サンスーシー宮殿などが挙げられる。
人の感覚は不思議なもので、ゴチャゴチャ感も行き過ぎると、見ただけで満腹になります。フランス料理のフルコースを何日も食べると(食べたことはありませんが・・😅)、きっとお茶漬けやカップヌードルが食べたくなるのと同じ?(←想像力がない😭)
⑪バロックまで行き着いた18世紀後期には、新古典主義建築が花開くことになります。この建築様式はもう一度原点に返り、古代ギリシアや古代ローマの古典建築にある荘厳さや崇高美を備えた様式に戻ろうと試みたのです。
⑫バロックの後はヨーロッパ全体に及ぶ建築は少なくなり、その国が主だったり、その建築家(ガウディなど)の特色があわれれた建物が多くなっているようです。バルセロナのガウディ建築のように、それぞれの建築者の個性が溢れる建築が多くなった気がします。
ヨーロッパの旅行では・・至る所で「何々様式の教会、何々様式の宮殿」などと説明を受けますので、旅のマメ知識としてまとめてみました。
服装でも同じですが、時代と共に進化しては元の形に回帰し、また新たな要素を加えて発展するような気がします。いま最先端と思っていたのがいつのまにか古くなり、古いと思っていたのが最先端に置き換わって行きます。技術は進んでも人間の感性はあまり変化しないのでしょうね😃
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