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2021年8月18日 (水)

久々のギター録音:アビーロードの街(かぐや姫)

(今日は第3週の水曜日ですので会議のためにFM放送は担当ではありませんので医療ネタもありません。先週のFM放送内でかけたアビロードの街を動画編集しました。宜しければお聴き下さい)

昨年から続いているコロナとの戦いに追われてなんとなくギターを弾く気力もなくなっていたのですが、8月9日の今年限定の「山の日」の移動による振り替え休日となりました。時間も出来たので久しぶりにギターを弾いてみました。その中から今回は1973年(昭和48年)にリリースされたかぐや姫の「アビーロードの街」を録音してみました。

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この歌詞の後半に、10円玉を握りしめて公衆電話から彼女に電話をかける歌詞が出て来ます。如何にも昭和の中盤の時期だよなと思い返しました。 携帯電話なんてない時代だし、インターネットなんて言うことも考えたことのない時代でした。 相手への思いは手紙で伝える時代でした。 文を書いては書き直し、それを投函して相手がどのような思いで読んでくれるのか、果たして返事は来るのかと祈りながら待つ日々がその時代にはありました。 今では直ぐにネットで投稿し返信が直ぐ来ます。 携帯で直ぐに話を出来ますし、地球の裏側まで相手の顔を見ながらお喋りも出来る時代となりました。 凄く便利になったと思いますが、やはり今でも好きな人への連絡は勇気がいるでしょうし悩むことも昔となんら変わらないことがと考えています。

私は高校時代まで医学にゆくようなレベルの勉強をしませんでした。医学部に行くと見栄を張って東京の予備校に出かけ、そして自分の実力のなさを思い知らされました。何年も浪人しました。毎月1回仕送りの件で100円玉を幾つか握りしめて、沖縄の実家に電話をかけます。申し訳ないけど今月もお金を送って下さいとお願いしました。本土から沖縄に電話するのに100円玉でも直ぐに終わってしまいます。それでも両親やおばあちゃんが電話口に出て励ましてくれました。多くを失った私にとっては最後の砦でした。

・・・色々な思いが浮かんだ夜でした。

小さなレコーダーでの録音ですので、唄もギターも分離できませんのでバランスが悪いです。いつもの様に下手の唄を写真で誤魔化しています。よろしければお聴き下さい。

 

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音楽」カテゴリの記事

コメント

こんにちは。
今日もご多忙と存じますが、
懐かしいお歌で思い出も蘇りますね!
当時は公衆電話が唯一、すぐお相手に繋がる手段でしたね!
遠い沖縄へは100円玉ではすぐに途切れた事でしょう。
お優しいお母様、おばあさまに励まされ、
立派にドクターとして今は故郷でご活躍なさりご恩に
報われていらっしゃいます。♥
胸に迫りウルウル😭しました。

マコママさん、こんにちは。

今日はいつもと違う時間帯にブログをアップしました。早速聞いて頂きありがとうございます。 今日は午後の手術を終えて、これから緊急の手術があるために先にコメントの返事を書いております。

昔は携帯電話も勿論パソコンもありませんでしたので、遠い沖縄には毎月仕送りのお願いのために公衆電話から実家に電話をしていました。何年も落ち込んでいる私を家族は励ましてくれました。有り難いことです。

これからも真面目にコツコツとやって行きたいと思います。いつもコメント頂き感謝致します。

先生、こんばんわ。

沖縄から遠い東京に送り出して下さったご両親は
どんな思いだっったのでしょう。ご立派な方だと推察します。
それに応えた先生も立派です。

私も親と離れて、6年間一人暮らしをしました。
4年間は仕送りを受け、後の2年間は就職しましたので事なきを得ました。

当時は公衆電話しか話す手段がなかった事も懐かしい思い出です。

久しぶりに素敵な歌を有り難うございました。

こんばんわ・・・
午後からは緊急手術もあったようで、ご苦労様でした。
今晩は歌を聞かせて頂きました。俺もこの歌、車の中で鼻歌したことがありました。あの頃は”かぐや姫”の絶頂期だったでしょうか・・・
毎日まいにちニュースはコロナの事、直接関わっておいでの医療関係者にとって、気の休まることはないでしょう・・・まったくの市民でも日々を明るくなれないで、過ごしています。こんな中で、歌を聞くって良いですね。寸時であっても気を紛らわして頂きました。
omoromachi様は、苦学生だったようですね、それだから人の痛みに思いを寄せられる医師になられたのだと想像しています。俺は事情があって、合格した短大には進学しませんでした。電話は村に1軒あるだけ、人との交流はもっぱら手紙でした。それに酒の飲み合いでした。くだらない青春時代を生きてましたが、omoromachi様はその青春の日々を肥やしにされていたのですね・・・
おばあちゃんやご両親が、砦だったようで・・・胸があつくなりました。

こんばんは、素敵な唄声聞かせて貰いました。

私の方もかぐや姫の歌はよく聴いておりました。確かにこの曲の公衆電話の思いでは私達の年代ではとても懐かしい思い出です。地方から出て来た学友達は十円玉を握り締めて田舎の家族の元に電話をかけていました。電話もどちらかと言うと緊急の時で、主に手紙でのやり取りが殆どでした。当時は今のような通信手段が発展することは想像出来ない時代でした。今では私のように東京から隠居し田舎に住んでいていも、直ぐに電話も出来ますし、ネットで孫の顔を観ながら会話も出来る時代になりました。
当時東京から沖縄への電話も大変でしたでしょう。先生がいつも穏やかに情報を発信していらっしゃるのはご両親や祖母の愛情を持って育ったからなのかも知れないと思いました。

沖縄県の新型コロナウイルス感染症の爆発的増加に対して先生のことを考えながらニュースを観ております。大変な中いつも情報を発信していらっしゃることに感謝しております。

ガルボさん、こんばんは。

今日はこれまで緊急手術がありましたので、返答が今になってしまいました🙏  当時沖縄県には医学部がありませんでしたので、医学を目指すとなると本土に行かねばなりませんでした。高校まで田舎の公立高校でノンビリと過ごしていましたので東京の大都会、成績のギャップを目の当たりにしました。
ガルボさんも親元を離れて一人で頑張った時期があったのですね。娘さんが離れて暮らす方が親御さんにとっては心配だったのではないでしょうか。

私が小学校の頃は電話もなくて、急な用事は電話のある近くの家庭から呼び出して貰ったこともありました。 高校卒業後は月1回公衆電話をかけて皆の声を聴いていました。懐かしい時代です😀

でんでん大将さん、こんばんは。

緊急手術で23時に帰宅して、少し食べてシャワーを浴びて今になりました。大将さんもかぐや姫を聴いていらしたのですね。当時は反戦フォーク時代からかぐや姫のような楽曲のフォークソングに変わった時期だったと思います。
予想していた通りの感染爆発が起きています。ワクチンが行き届くまでは感染は人流を減らすしか対策はありません。 毎回のように「この1〜2週間が山場となります」・・・なんて何十回も聞かされると市民も緊張感もなくなり、自粛しようという気にもなりません。 もう少しメリハリをつけた対策が必要だと考えます。

私はいわゆる苦学生にはならないと思っています。私の間違いは自分の実力も知らないままに、医学部に行きたいという夢をみてしまったことです。私の周りに医学部受験をする方はいませんでしたので、医学部に進学する学生が子供の頃よりどれ程勉強をして来たかを知らなかったのです。 大将さんは自分が望んでいた進学先を諦めざるお得なかったのですよね。そして今があります。私にとっては大将さんは頑張ってこられたと感心しているのです。

色々なものを無くした中でも、両親やおばちゃんの励ましや期待を感じながら生きていました。自分で決めた道でしたので、今ある仕事をしっかりをやり抜くことが家族に報いることだと思っています。 もう少し頑張って行きたいです。

信州の隠居老人さん、こんばんは。

信州の隠居老人さんもかぐや姫を聴いていらしたのですね。今では小学生までもが携帯電話を持っている時代ですので、公衆電話そのものを見かける機会が少なくなりました。時代の移り変わりは凄いですね。

東京生まれでリタイヤされて信州に移動したとしても、今では通信手段が発達していますので、お孫さんともテレビ電話の時代ですね。地球の裏側の恋人達でさえも毎日のように顔を合わせて会話することも出来るようになりました。 でもその分有り難みが少なくなった気がします。 手紙は本当に思いを託してしたためたと思いますし、返書がくるまで心穏やかでない日々を送ったのかも知れませんね。

学生の時にも月に1回電話をかけて、お金を送って貰うように頼みました。それも昔は現金書留の時代でした。とても大切に使っていましたね。私が今でも贅沢が出来ないのはこのようなことがあったからかも知れません(今でも唯一お金を使うのは旅行でしょうか・・😀)。

いつもコメントを皆様方から頂くことで励みになっております。これからもよろしくお願いします。

こんにちは。
いつもながら、お上手だな、
お医者様なのに、ギターも弾けて、歌も歌えてすごいな、
と思っておりました。
でも、今回の記事を読んで、しんどい時もあったことを
知りました。
そういう時があったからこそ、人の気持ちに寄り添える、
すばらしいお医者様になられたのだなと思いました。
音楽はいいですね。
最近はお疲れのことが多いと思いますが、
どうぞ少しでも音楽を使われて、心身を癒してくださいね。

ふうちゃん組さん、こんばんは。

私よりも上手な医者は沢山いますし、ピアノなどでもプロ並みの方も沢山いらっしゃいます。私は見よう見まねでギターを弾いているだけです😅

今でもあの頃に戻れたら、絶対に医師を目指そうとは思わないと考えています。私の周りに医療関係者はいませんでしたので、医学部に行くことがどのようなことかを全く知らなかったのです。適当に予備校に行って勉強すれば医学部に入れると思っていた未熟な私だったのです。

ご存じのように沖縄県はコロナ感染では最悪な状態が持続しています。毎日のように感染者のクラスターが発生しないかが心配ですし、早めに予防的に検査を進めると費用が莫大になり経営上も苦しくなるのです。それでも今を乗り切るしかありません。

久しぶりにギターを弾きました。ギターを弾いて唄っている間はこれ以上のことは頭で処理出来ませんので、心配ごとも消えてしまうのです。音楽って有難いことです💖

今日のお話で
「5千円でいいから振り込んでおいて」と長男が学生アパートから電話をしてきたこと。
体を壊してボロボロになった次男が何年か後に「自分には帰るところがあって良かった」と言ったことなどを思い出し泣けてきました。

自分の青春を振り返れば恥ばかりを積み上げてきたように思います。
それは、努力しなかった自分への恥もあります。
先生は本当にお偉いと尊敬します。

かぐや姫の曲、初めて聞きました。
フォークが少し歌謡曲っぽくなり様々な世代の人に聴かれるようになった頃はもう、音楽を聴くことが少なくなりました。
最初に聴いた関西フォークは高校の文化祭でクラスメートの男子が歌った「受験生ブルース」です
のちに高石ともやさんで曲調がすっかり変わりましたが、原曲はボブディランのノースカントリーブルースの替え歌だったのですよ。
受験戦争真っただ中の自分達には切ないメロディでした。

おたまさん、こんばんは。

長男さんから緊急の振り込みの電話だったのでしょうか? 私の場合はまだ銀行口座は持っておらず、郵便の現金書留で送って貰った時代でした。

長男さんも次男さんも帰る場所、頼れる方が居たことは本当に幸せなことだと思います。

おたまさんは青春時代に沢山の経験を積んできたからこそ今があるのですよね。私からみたら素敵に年を重ねてこられたと尊敬します。

最初のフォークソングは関西フォークの方が勢いがありましたし、政治的であったり、メーセージー性の強い歌詞が多かったと思います。かぐや姫、ユーミン、オフコースなどが出てくると歌詞は内向きになりながら、曲調は洗練されて行った気がします。

高石ともやさんの「受験生ブルース」はテンポが速いので、その原曲がボブ・ディランの「ノースカントリーブルース」は言われないと分かりませんね。私の場合は精神的に余裕がなくて、受験生ブルースに対してはどちらかと言うと「おちょくるな」と思いながら怒りを込めて聞いていたのです😅🙇

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