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2021年4月

2021年4月30日 (金)

スロバキア共和国旅行記

(金曜日ですが、まだ生け花クラブは再開されていないようで、お花を紹介できません。世界を夢みてシリーズ以外の旅行記を紹介致します)

私がはじめてチェコスロバキアを訪ねたのは1990年でした。その後1994年、2011年に出かけたことがありました(ただし1994年は現スロバキア共和国には立ち寄っていません)。最初の頃はまだ東欧と呼ばれていた時代でしたし、チェコソロバキア共和国の時代でした。1993年にチェコスロバキアがチェコ共和国とスロバキア共和国に分離してしまい、チェコスロバキア共和国の国名は消えてしまいました。 スロバキア共和国となり、時々間違うのが旧ユーゴスラビアから分離独立したスロベニア共和国です。今では間違わないために「チェコ・スロバキア」と昔の名前を思いだして、この2つの国を区別するようにしています・・・昔の名前も役に立ちます😀

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現在はチェコ共和国とスロバキア共和国に分離していますが、もともとチェコ人が多いチェコ共和国と、ハンガリーとの結びつきがむしろ強いスロバキア人が多く住む地域を1918年に合併して建国したのがチェコスロバキアの始まりです。第二次世界大戦後は共産主義の東欧に組み込まれますが、ソビエトが崩壊後、この2つの共和国も、それぞれの民族の元で平和的に分離独立することになったのです。
旅行者の私からみるとやはりプラハを中心とした魅力ある都市を抱えたチェコを旅行先と考えても、初めからスロバキア共和国を予行先に選ぶ方は少ないと思います(→チェコについては)。 私の場合もチェコからハンガリーのブダペストを目指す時にバスで通過する場所で、半日だけで通り過ぎることが多かったのです😭(本当は私が知らないだけで素敵な箇所も多いと思いますが・・・)
1990年の旅行のアルバムを探したのですがプラハからブダペストに行く道中のバスの中からの写真しか見つかりませんでした。今回は2011年の旅行の写真を僅かですが載せてみます。

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オーストラリアのウィーンからドナ川に入ると直ぐに小高い丘の上にブラチスラヴァ城が見えて来ます。四角形の形に四隅に尖塔があることより「ひっくり返ったテーブル」とか「ひっくり返った寝台」とも呼ばれるようです😀
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近づくとかなり大きなお城であることが分かります。13世紀頃より城は作られたとのことで、現在の城は1531年〜1783年までハンガリー国王の主城として使われていたとのことで、かなりりっぱな建造物でした。壁面がスッキリとした作りで最近の建築物と言われても納得しそうなお城になっています。

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ブラチスラヴァ城のドナウ川に面した王冠の塔からはドナウ川が一望出来ます。この城にはあのマリア・テレジアも頻回に来城したと言われ、城の内部では乗馬なども出来たようです。
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城を降りてブラチスラバの市街地に入ると、このような可愛らしいトラムも走っていました。

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旧市街地に入る前の橋桁に大天使ミカエルが街を守っているかのように建立されていました(ミハエル門の反対側)。
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ヨーロッパの多くの都市は敵からの攻撃から守るために城壁で囲まれ、その内部に王様の居城や教会、人々の居住地が設けられています。ブラチスラヴァも城壁に囲まれかつては4カ所の門があったそうですが、3カ所は壊されて現存するのはミハエル門だけだそうです。旧市街への入り口ともなるのはミハエル門となります。門と言っても玉ねぎ型の尖塔を持つ建物の下に門が設けられた感じがします。手前の堀に架かる橋の上には立派な彫像のある欄干があり、足元にはミハエル門の文字が刻まれたプレートが埋め込まれています。
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旧市街地に入ると観光客相手の土産品店や食堂も多く、かなり人手も多くなっていました。

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旅行から随分たってしまったので、どの順に歩いたか波分かりませんが、上の建物はスロベニア国立劇場です。

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大きな歩道なのか公園なのか分かりませんでしたが、地図で見るとフヴィエズドスラヴォヴォ広場だと書いてありました。多くの市民や観光客で賑わっています。奥には噴水の前には銅像がありました。誰かは分かりませんでしたが、銅像になるぐらいの方ですから有名と思い写真を撮りました😅、「Pavol Országh Hviezdoslav 」と言うスロバキアの詩人だとのことです。


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ブラチスラバの大統領官邸は、白い大きなロココ調の建物です。この建物はもともと18世紀ハンガリー議会の長でマリア・テレジアの相談役を務めていたグラサルコビッチ伯の宮殿だったそうです。その後チェコと分離した際に大統領のための官邸に利用されるようになったとのことです。確かに大統領府と言うより宮殿の方が理解しやすい白亜の建物です。

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ミハエル門からそれ程遠くない場所にブルー・チャーチと呼ばれる教会があり、ここも観光スポットのようです。今回は車窓からの眺めだけとなりました。トルコのブルー・モスクは聞いたことはありましたが、ブルー・チャーチもあったのですね。可愛らしいおとぎの国の教会のようです。私は教会などがあると入るのが殆どでしたが、今回は半日しか滞在することがなく、昼食と写真を撮ってのスロバキア滞在となりました。
それでもスロベニア共和国はドナウ川の恩恵を受けた穏やかな風土と穏やかな人々が住む国の印象でした。いつの日かゆっくり滞在して観光してみたいです。

2021年4月28日 (水)

コロナ禍での運動量低下の影響(サルコペニア・ロコモ・フレイル)

この1年以上、新型コロナウイルスのために自宅で過ごして、運動不足になったと感じている方は多いと思います。新型コロナウイルスは老若男女を問わず、多大なストレスを与えていると考えます。特に高齢者に置いては運動不足による筋力低下、それに伴い身体異常の増加、引きこもりや外界との接触の機会の低下などで、認知機能の悪化やうつ状態の悪化なども指摘されています。  

「長寿科学振興財団が発表した資料」によると「コロナ禍における外出自粛により高齢者の身体活動の時間が3割減少した」と書いてありました。 それは確かに理解出来ますが、本来なら自粛期間でも公園や外での運動は可能であるはずですので、運動の制限をし過ぎかも知れません。ステイホームポリシーは健康のための外出については特に制限はしてないのですが、感染リスクを恐れて、高齢者の多くは外出を控えていたことが分かりました。

高齢者が身体活動をしなくなると、肉体的にも精神的にも急激に衰えることは皆が知っている現実だと思います。

これを最初に医学的な見地から考えたのが1989年のヨーロッパ医学会で「加齢に伴う筋肉の衰えを疾患概念」として扱うように提唱し、サルコペニアと名付けたのが最初といわれています。加齢による筋肉の衰えにより、疾病が増加し、寝たきりや死亡率の増加も起こることに着目した概念で、内科学や老年医学会など使うことが多いようです。

一方、最近耳にする機会が増えた「ロコモ」は2007年に日本整形外科学会が、筋肉だけでなく、関節や軟骨、骨粗鬆症など運動器で衰えた場合でも日常生活が困難となり、要介護や寝たきりになることを考え「ロコモティブシンドローム」を提案しています。

いやいや運動器だけではなくて、栄養が取れないための体力低下、認知症の問題、社会的インフラの問題なども含めて高齢者の生活の質を落とす要素を幅広く含めてフレイル(衰弱・虚弱)と提唱する概念も出て来ました。

私のような部外者からみたら、どちらも重なっている部分が大きいと感じます。これをまとめると、こんなものでしょう😅(専門家らみたら怒られますが・・・そんな時には💨ます😊)

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どの考えも、身体的衰え肉体的衰えを少しでも遅くして健康寿命の維持や延伸を期待している訳です。この運動の促進や栄養管理などは各自で行うことが可能ですし、結果的には病院にかかる方も減ります。結果的には社会医療費の抑制となることより、国としてもバックアックしている訳です。
何となく大まかな考えてとなりますので、下図では実際にサルコペニアかどうかの簡易的な診断を載せてみます。

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歩行速度の1秒で1メートル以下の歩行はおおよそ「横断歩道で青に変わって歩き始めて青の間に渡りきれる速さ」とされています。
握力に関しては20とか25以下になると、ペットボトルのフタが開けにくくなる、あるいは開けれない程度の握力低下と言うことになります。
このいずれかがある場合は「虚弱高齢者」となりますので、意識的に運動や栄養を見直して健康増進を図らないといけないと思われます。
ある研究結果によると握力が低下することで、心血管疾患のリスクは17%、心筋梗塞リスクは7%、脳卒中リスクは9%、それぞれ増加したことが分かったのだそうです(勿論握力を鍛えたらいいというのではなくて、身体能力(握力も1つの指標)が落ちたことを意味しますので、普段から身体を動かすことを心がけることが重要です)。
サルコペニア、ロコモティブシンドロームなど色々な専門的な情報がネットにあるれていますので、気になる方は調べて下さいね。

コロナによる自粛も運動するなではありませんし、マスクも全てしないといけないと言う訳でもありませんので、場所や状況によって自分で考えて行動して欲しいと願います。

2021年4月25日 (日)

世界を夢みて(239):モンマルトルの丘とサクレ・クール寺院

・ココロブをまとめた私のHP→「ニライの夢」

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モンマルトル(Montmartre)は、フランス・パリで一番高い丘(標高130m)の一帯を指すそうです。パリでも有数な観光名所のサクレ・クール寺院がそびえていますので、昔からパリの中心地と思っていました。もともとはこの丘を含めた一帯のコミューン名が「モンマルトル」となっていたそうで、1860年にその1部がパリに合併されてセーヌ川右岸のパリ18区を構成する地域になったそうです。

「コミューン名」とあえて書いたのは意味があります。・・・コミューン(commune)はフランスにおける「基礎自治体」のことを指します。フランスには現在3万8千のコミューン存在するとのことですが、日本のように人口数を元にした市町村という単位が無いとのことです(詳細は分かりません)・・・ですからフランスの「パリ」はあっても「パリ市」とは本来ないようです。私達外国人が分かりやすくするために「パリ市」とあえて「市」つけているようです・・・にわか知識ですので間違いがあるかも知れません・・・😅

そんなんこと考えなくても「花の都パリ」を楽しみましょう✨️


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パリ・ピカソ美術館を見学して、パリの北川(セーヌ川左岸)からモンマルトルへと向かうことにしました。ここはパリの3区でしょうか? 建物の高さが統一されていて、パリに来た感じがします。

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近いのですが、周遊券を買っていますので、地下鉄のセントーポール駅から北に向かいます。

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パリの街はセーヌ川を挟んで右岸は比較的治安がいいのですが、左岸地区はセーヌ川から離れれば離れるほど治安は悪くなるとネットなどでは書いてありました。これまで2〜3回来たことがありますが、若者や有色人種の比率が高くなります。だからといってこれまでは危険を感じることはありませんでした。 シャルル・ド・ゴール空港から市内に入る1号線を利用した時、北からこの場所に入るのですが、結構大変でしたので慣れない観光客は注意が必要かも知れません。

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現在ではパリのシンボル的な寺院の1つのモンマルトルのサクレ・クール寺院(パリ)ですが、比較的新しい教会です。着工は1877年で1919年に完成となっています。ロマネスク様式・ビザンティン様式(←私には意味不明😅)の白亜のバジリカ大聖堂はパリの多くの場所から見える美しい教会です。
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サクレ・クール寺院の正面には2体の騎馬像が飾られています。むかって左手側が「ルイ9世像」、向かって右側が「ジャンヌ・ダルク象」となっています。ジャンヌ・ダルクはフランスではまだまだ人気が高いようです。



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最後の階段を登るのも結構大変だと思いますが、寺院に向かって左側に進むとケーブカーがありますので、利用してもいいと思いました。今回の旅行で気がつきましたので、25年前はなかったのかも知れません。私の場合は階段を登るのがきついと言うより、このような乗り物があるとつい利用したくなってしまいます😊(今回は周遊券を持っていますのでタダで利用出来ます)
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サクレ・クール寺院(パリ)に入る前を見上げるとやはりかなり高い天井部分ですが、モザイク等はありません。

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この教会はヨーロッパで人気の聖母マリアに捧げた教会ではなくて、イエス・キリストに捧げられ、守護を願って作られて教会です。教会内部の正面には手を広げたキリストが描かれています。

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美しいステンドグラスの窓は、第二次世界大戦1944年の爆撃によって破壊され、戦後直ぐの1946年に交換されたとのこと。比較的新しい教会ですので、修復と言うより新しく作り直したのかも知れません。
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サクレ・クール寺院からみたモンパルナスとパリ市内の眺めです。ここから眺めても大都市パリでありながら、あちらこちらで高層ビルが林立していることはありません。19世紀のパリ大改造の祭の都市計画に基づいて建築物の高さが制限され、現在のパリの美観が形成されて保たれています。

30年前と25年前には地図を頼りにシテ島からモンマルトルの丘まで歩いてきたことがその時の写真の横に書いてありました・・・私も若かったと思い出されます😊

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・・・今回のパリでは頼もしい助っ人をお願いしていました。と言うのは当時土日は「黄色いベスト運動」が活況(笑)を擁しており、いつ何時交通機関が麻痺したり、デモなどで不測の事態になることも考えられたために、現地在住の日本人の素敵なマダムに1日半のパリ観光を依頼していたのです。予想通り、急に地下鉄やバスの路線が止まったり、シャンゼリゼ通りが閉鎖になったりしました。身動きが出来ない事態となったと思いますが、彼女のお陰で実にスムーズに観光が出来ました。
彼女にも了解を得ましたので、パリ在住のigo_ksさんのインスタグラムを紹介しますね(パリ好きな方はフォローしてみて下さいね)→https://www.instagram.com/igo_ks/

2021年4月23日 (金)

四月の花と鳥


・ココロブをまとめた私のHPは→「ニライの夢」
4月に入り、新入職員のオリエンテーションや新しく導入したシステムのために、生け花クラブの活動の部屋が使用できない状況となっています。このブログに毎週金曜日に記載の生け花も紹介できずにいます😂

今週は第3週でも有り、水曜日のFM放送もなく医療ネタもありません。最近はこのブログが旅行ブログになっていましたので、今日は4月の拙宅の春らしい花や、都会の小さなスペースで時々雛をかえす鳥たちを載せたいと思います。

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ブーゲンビレアは南国らしい花の1つです。ほったらかしでも丈夫で長期間開花することから沖縄県でもよく見かけるつる性の熱帯花木です。実際は赤い部分は苞で、中心部に白色の小さな筒状の花をつけます。栄養管理が良すぎると青々と葉だけが繁茂しますので、私のようなズボラな人間でも(人間だからこそ?)赤い鮮やかな花(苞)をつけてくれます。

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知人から頂いた大輪のアマリリスです(私は初め「百合」と書いていましたが、「ばんび」さんから教えて貰いました。アマリリスの名前が出て来ませんでした😅)。 本当はちゃんと管理しないといけないと思いますが、ほったらかしていても、春になると球根から青い葉っぱが伸びてきて、4月後半ではあれよあれよという間に茎が伸びてきて花を咲かせてくれます。
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ハイビスカスも南国トロピカルなイメージを代表する花です。初めての白いハイビスカスです。黄色や赤いハイビスカスとも違い清楚な感じを受けます。ただこの種は夜から朝早くは咲いているのですが日中は萎んでしまうので、楽しめる時間帯が少ないです。左の黄色いハイビスカスは花の大きさが20Cm近くになる巨大な花を咲かせてくれます(品種改良したのでしょうか?)。

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このように並べると、拙宅では春は赤い花が多いような気がします。
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このラン(デンドレビウム?)は20年ほど前に山原に出かけた時に、公園の近くの見ず知らずのおじさんから「捨てるけど貰うね」と譲り受けたのですが、1昨年から突然この時期に花を咲かせてくれるようになりました(これまで花を咲かないと思っていましたが・・・😅)

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春の季節は鳥たちも活発に動き出すシーズンとなります。
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シロガシラはヒヨドリの仲間で頭が白いのでその名前がついたようです。実は台湾や中国などで生息していたのが次第に沖縄の南西諸島から、沖縄本島まで生息地地域を広げて来ているようです。人間にもあまり警戒心を抱かずに、比較的近くで見ることが出来る鳥のようです。しかし、農家にとっては露地野菜などの農作物を荒らす害虫として捉えられている鳥のようです。 何故か当家の屋上のブーゲンビリアなどの密集した木の中に巣作りをしているようです。昨年も今年も巣を見つけましたので、もう暫くは屋上には上れません。 メジロも小さな中庭に1本あるいっぺいの木で時々巣作りをしています。 この時期巣を見つけると、家主は息を潜めて生きてゆかねばなりません(笑)。 キジバトは日曜日のたびに見かけるので毎日きているのかも知れません。警戒心は強いのですがエサを撒いていると食べに降りてくるようです。 梅雨の前のつかの間の楽しい時間帯です💖

2021年4月21日 (水)

1990年デンマーク(コペンハーゲン)旅行

・ココロブをまとめた私のHPは→「ニライの夢」

(第3週のFM放送は会議のため担当ではありませんので、医療ネタもありません。昔の旅行の紹介をしたいと思います。今回はデンマークの旅です)

1990年の旅行は北欧3国と経由国のデンマーク(コペンハーゲン)を旅行先に選びました。北欧はこの旅が初めてでした。日本ではすっかり福祉国家に定着した国々ですが、実際にはどのような国なのか?興味津々です。 新しいページが始まります。

沖縄から最終便で羽田に行き、前泊して成田空港に向かいました。今の様にネット環境もよくありませんし、カード支払いも一般的ではなかったと記憶しています。どの紙幣に両替したかも覚えていませんでしたが、あの当時は海外旅行に行くにはトラベルチェックと言う、いわば旅行者向けの小切手の様なものに換えて出かけていました。 今の若い人達には知らない方が殆どかも知れませんね。 カード払いが一般的でなく両替がその都度必要ですが、日本円だとしても高額持ち歩くのは危険です。 その為に円をドルなどのトラベラーズチェック換えて持ち歩くことに。トラベラーズチケットは2カ所にサインする場所があり、換えた時に1カ所に自筆のサインを書いて、両替するところで、もう1カ所にサインをして交換することで他人が使うことが出来ないようにしていました。もしもなくしたとしてもトラベラーズチェックの番号を控えていれば再発行が可能でした。また有効期限がありませんので、また次の旅行で使用出来るわけです・・・旅行の写真を載せる前に懐かしい事を不意に思いだしてしまいました😄

 

成田からブリティッシュエアウエイズで夕方にロンドンに到着し、ロンドンで1泊してから翌朝ロンドン・ヒュースロー空港からコペンハーゲンに到着し、旅行開始です。

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順不同ですが、コペンハーゲンと言えばアンデルセンの「人魚姫の銅像」を思い浮かべる方も多いと思います。私も定番はちゃんと抑えていたようです😓
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このような運河に大小様々な船が係留されている風景はその後出かけたアムステルダムなどと似かよっていると感じました。オランダを旅した時に1990年のコパンハーゲンを懐かしく思い出しました。(→アムステルダムの旅

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車の形から年月を感じてしまいます。もう30年以上前の出来事だったのですから・・・私も歳を取って来た訳ですよ😀
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コペンハーゲンの救世主会教会の尖塔の形がユニークだっただめに写真を撮ったと思うのですが、どの教会だったかを曖昧でした。ネットで調べることに・・・なんと塗装が全然違う色になっていました・・・どちらが元々の色だったのでしょうか? 不思議です。


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記憶にはありませんでしたがローゼンボー離宮です。
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デンマーク王立図書館です。
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このゲフィオンの泉はカステレット要塞の南側にあるチャーチル公園の中にあります。デンマークに何故がイギリス首相のチャーチルの名前があるのですが、チャーチルによりナチスからデンマークが開放された記念に名付けられたそうです。大規模で大迫力の噴水です。
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クリスチャンスボー城:Christiansborg
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チボリ公園の近くにアンデルセンの銅像がありました。
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有名なチボリ公園です。この中で夕食を取りながら、閉館ギリギリまでここで遊んだ記憶があります。今でも旅行スタイルは変わりませんが、当時は今より体力があったのでもっとアグレッシブに旅行を楽しんでいたと思います・・・もう記憶の彼方です😅
次回もう一度訪ねることがあればじっくりと旅行記を記したいと考えています。それまで生きていたらよろしくお願いします😄

2021年4月18日 (日)

世界を夢みて(238):パリ・ピカソ美術館 No2


・ココロブをまとめた私のHPは→「ニライの夢」
パリのシケ島を散策後、ピカソ美術館(パリ)へ向かいました。パリ3区にある国立の美術館で、17世紀に塩税徴収官の邸宅であったことから「Hôtel Salé(オテル・サレ、塩の館)」と呼ばれるそうで、1985年からピカソ美術館として開館となっています。前回のブログの続きです(→ピカソ美術館No1 )。 収蔵もバライティーで沢山な貴重な作品が展示させ、見応えある美術館です。
沢山の作品が有りましたが、絵を理解出来ない私ですので、解説はなし(😅)で1部の作品だけ列挙します。皆様方も観たことがある絵があるかも知れません。
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Th_seated-woman-marietherese1937
Th_crane-de-chevre-bouteille-et-bougie-1
Th_reclining-woman-reading-1939
Th_fumees-a-vallauris-1957
Th_bacchanale-avec-chevreau-et-spectateu
Th_larbre-1907
Th_boisgeloup-sous-la-pluie-1932
Th_head-of-a-bearded-man-by-pablo-picass
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絵画だけでなく、このような彫刻作品も有りました。この猿の顔は車になっています。彼の自由奔放さが伺われる作品です。『猿の母子』 - La guenon et son petit (1951年10月)と呼ばれる作品です。


この美術館をみて回るとピカソが「20世紀最大の画家」と称される理由が分かる様な気になります。これまでの常識に捕らわれずに常に新たな境地に挑戦する多彩な才能を読み取ることが出来ます。これ程多くの作品を残した続けた彼の情熱に敬服いたしました。 

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ピカソ美術館にはピカソ自身が生前購入した多くの画家の作品も展示されています。ピカソは彼らからもインスピレーションを得ていたと思われます。

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印象派の大御所ルノワールからもピカソは影響を受けたと言われています。 ピカソと画風が異なると考えたのですが、柔らかな曲線と穏やかな色使いで美しさを追求したルノワールに対してとても敬意を払っていたとのことでした。

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ピカソ、ダリと共に前衛美術における世界的な巨匠の1人と呼ばれるジョアン・ミロ。ミロはバルセロナ出身で、同じスペイン出身の先輩にあたるピカソとぱりで交流を深めてたとのことです。ピカソも彼の作品を購入して持っていたようで上の作品などが展示されていました。
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マティスは1869年生まれで、ピカソは1881年に生まれですので12歳の差のある二人ですが、お互いに意識し競争し合った間柄だったようです。素人の私でも時々ピカソとマティスの絵画が重なって見えることがあるほどです。
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イタリア出身のモディリアーニには1906年にパリに移住し、ピカソとの交流も生まれたようです。貧困、病気、薬物依存で生前は絵画も殆ど評価されずに35歳で亡くなったモディリアー二の作品です。ピカソとはあまりにも生き方が違いすぎると思いますが、ピカソ美術館にモディリアーニ作品があったのは少し驚きがありました。
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ピカソの生涯はアグレッシブで美術界だけでなく当時の多くの著名人とも交流があり、手紙のやり取りなどあったようです。その中から面白い作品を紹介します。

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アンドレ・サルマン(フランスの詩人・小説家・美術評論家)の書いたビカソは少し滑稽な愛らしい感じがします。彼はアポリネールやピカソらとの交流があり、キュビスムの活動に積極的に参加し、ピカソの理解者だったようです。

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フランスの著名な芸術家・詩人・小説家のジャン・コクトーのピカソの似顔絵も展示していました。 ピカソを余り知らない方でもパリにお寄りの際はこの美術館もお勧めです。
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・・・今回のパリでは頼もしい助っ人をお願いしていました。と言うのは当時土日は「黄色いベスト運動」が活況(笑)を擁しており、いつ何時交通機関が麻痺したり、デモなどで不測の事態になることも考えられたために、現地在住の日本人の素敵なマダムに1日半のパリ観光を依頼していたのです。予想通り、急に地下鉄やバスの路線が止まったり、シャンゼリゼ通りが閉鎖になったりしました。身動きが出来ない事態となったと思いますが、彼女のお陰で実にスムーズに観光が出来ました。本当に頼もしかったです。それにとてもチャーミングなマダムです😉。
彼女にも了解を得ましたので、パリ在住のigo_ksさんのインスタグラムを紹介しますね(パリ好きな方はフォローしてみて下さいね)→https://www.instagram.com/igo_ks/

2021年4月16日 (金)

チェコ旅行記(いつか詳細を書きたいと思います)

(今日は生け花クラブがありませんのでお花を紹介出来ません、以前訪ねたチェコを紹介致します)

プラハは「百塔の都」と言われるモルダウ(ヴルタヴァ)川を挟んだ古い街並み、カレル橋からの望むプラハ城の景色は本当に美しいものでした。

プラハを初めて訪ねたのは1990年、その後1994年、2011年に出かけたことがありました。最初の頃はまだ東欧と呼ばれていた時代でしたし、チェコソロバキア共和国の時代でした。1993年にチェコスロバキアがチェコ共和国とスロバキア共和国に分離してしまい、チェコスロバキア共和国の国名は消えてしまいました。

<いつか時間が出来たら、細かな旅行記を書いてみたいと思います・・・生きているか心配ですが・・😢> 取り敢えず写真だけでも

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チェコ共和国の首都プラハのシンボルであるプラハ城(プラハじょう、チェコ語:Pražský hrad)はかつてボヘミア国王や神聖ローマ皇帝の居城であり、現在はチェコ共和国(元チェコスロバキア連邦共和国)の大統領府として使用されています。ボヘミア国王の宝冠はここで保管されているそうです。
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プラハ城は世界でも最も大きい城のひとつだと言われるようです(「ギネスブック」によると、最も古くて大きい城と記載されているようです)。広大な敷地の広さは東西430メートル、南北70~140メートルで細長い形をしており、長さは約570m、平均の幅は約130mもあるそうで、既に10世紀にはこの大きさがあったというのですから、世界の名城の1つと言われるのも分かる気がします。



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旅行者の誰もがこヴルタヴァ川にかかる架かるカレル橋の上から写真を撮ることでしょう。カレル橋から眺めるプラハ城はいつも美しくそびえています✨️

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プラハの旧市街広場に建つヤン・フスの銅像を中心に周りも歴史的建物に囲まれ、中世の時代にタイムスリップしたように感じてしまいます。

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きっと広場に面する旧市庁舎のある天文時計の仕掛け時計が鳴る時間になると、今でも大勢の観光客が取り囲んでいることだと思います。
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今度はじっくりとプラハの街の中を散策してみたいです。

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プラハから少し足の伸ばせば世界遺産のまちチェスキー・クルムロフを訪ねることも出来ます。

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はやりプラハはもう一度ゆっくりと旅をしてみたい場所です💖

2021年4月14日 (水)

新しいタイプの下剤について

・ココロブをまとめた私のHPは→「ニライの夢」

 便秘についてはこれまでなんとか書いてきましたが、今回は比較的新しいタイプの下剤が日本でも承認されたために記載したいと思います。

まず慢性便秘症診療ガイドラインによると便秘とは、「本来体外に排出すべき糞便を十分量、かつ快適に排出出来ない状態」とし、便秘症の定義を「便秘による症状が現れ、検査や治療を必要とする場合」としています。その症状としては排便回数によるもの、硬便によるもの、便排出障害によるものに分類しています。

私の場合も慢性便秘症の方に関しては、生活習慣指導と塩類下剤(酸化マグネシウムなど)の投与から始めて、必要時のみセンノシドなどの刺激性下剤を併用することを基本として治療を行っています。これらは非常に歴史が長く扱い易いと思いますが、それでも副反応の確認のために、採血によるマグネシウム濃度の測定や定期的に大腸内視鏡を行い大腸黒皮症が生じていないかを観察することにしています。(下剤の長期投与よる注意点について→大腸黒皮症(大腸メラノーシス)

日本(世界ででも?)では長い間、上記の便秘薬が使われていました。何十年ぶりに新規の便秘症の薬が承認され使用されるようになりましたので、自分の頭の整理のためにも記載します。この新しい下剤以前の最も新しい下剤は・・・・となると・・・なんとラキゾベロンという薬が1980年(昭和55年)に発売されて以来、日本では新しい下剤は承認されていなかったのです(これも驚きですが)

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<最近承認された新しい下剤を記載します>

①ルビプロストン(アミティーザ:2012年承認):主に小腸に作用して腸管内への腸液の分泌を増加させる作用があります。それにより腸の中の水分の量を多くすることで便を軟らかくして排便を促進させて、自発的排便の改善に有効とされています。
高齢者の重症便秘への有効性が高いとされています。副作用として悪心・下痢が、また、妊婦・妊娠の可能性のある女性に対しては投与禁忌の特徴もあります。

②リナクロタイド(リンゼス:2018年承認):上記のルビプロストンと同じような働きの薬です。もともとは便秘型の過敏性腸症候群の薬とされていましたが、2018年から便秘薬として使えるようになりました。

③エロビキシバット(グーフィス:2018年承認):肝臓からは1日500ml以上の胆汁(胆汁酸が主成分)が分泌され消化を助けてくれます。胆汁酸は大腸の動きを促進し、水分の分泌を促す作用を持っています(=下剤と似た作用です)。その多くは大腸に入る前の小腸のおわりの部分(回腸末端部)で再吸収を受けて、大腸に流れるのは僅かになります。 この薬は、小腸での胆汁酸の吸収を抑制します。その結果、大腸に流れ込む胆汁酸が増加し、消化管運動を促進し、大腸内で水分を腸管内に分泌させるなどで便秘を改善する作用があります。主な副作用は腹痛・下痢となっています。

④ポリエチレングリコール(モビコール配合内用剤:2018年承認):元々は大腸内視鏡検査用の下剤として開発された薬です。ポリエチレングリコールと食塩、塩化カリウムが主成分で、浸透圧の差を利用して便中の水分量を増加させることで便が軟化し便容責が増大します。その結果、大腸を刺激し蠕動運動が活発になって排便が促されます。塩類下剤と異なり電解質異常を引き起こすことなく、体内にも吸収されないため安全性が高いとされています。

・・・これまでは便秘と言えば大腸に関わる下剤でしたが、今回の①、②、③の薬は小腸も関連性があることを視野に入れた新しいタイプの便秘薬となっています。④は大腸内視鏡検査の過程で生まれた下剤となります。

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便秘の方は非常に多く、それも慢性の経過を辿ります。下剤に関しては長い歴史の中で使い慣れた下剤を使用しながら、今後は4つの新しいタイプの下剤をどのように使い分けて行くのか、医師も患者も経験を積み上がることが必要になると考えています。

基本は食事を含めた生活習慣の見直しに、内服薬も自分自身に1番あう薬を見つけることが重要かも知れません。

2021年4月11日 (日)

世界を夢みて(237):パリ・ピカソ美術館1

・ココロブをまとめた私のHPは→「ニライの夢」

ピカソの作品を集めた美術館は多く、特にバルセロナとパリにある「ピカソ美術館」は世界的にも有名だと思います。 ピカソに関しては皆様方の方がよくご存じの方も多いと思いますので、墓穴を掘らない程度に😅(まあ、写真を載せるだけでですので大丈夫でしょうが)2回に分けて紹介したいと思います。もちろんピカソはスペイン出身ですし、1895年から1904年は多感な10代をバルセロナの美術学校で過ごしていましたのでバルセロナに「ピカソ美術館」が建てられるも当然です。 1900年から1904年は親友の死をきっかけに作品は暗い作風となり「青の時代」と言われています。1904年頃からはフランス・パリのモンマルトルに住み着くようになります。パリに移り住んでからは恋人も出来て、明るい作風となったために「バラ色の時代」と呼ばれています。

その後次第に彼の代名詞となる「キュービズム」の作風を生み出した行きます。私の頭では従来の2次元の遠近法の作品しか理解不能です😢 ピカソの作品は分解して解説して貰えなかればこの作風は理解出来ません。私達は今観ている画面を想像するのですが、ピカソは幾つもの角度や視点から捉えた光景を2次元のキャンパスに表現をするのですから、頭の中にスーパーコンピュータが入っていたのかも知れません。


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ピカソ美術館(パリ)はパリ三区にある国立の美術館で、17世紀に塩税徴収官の邸宅であったことから「Hôtel Salé(オテル・サレ、塩の館)」と呼ばれるそうです。歴史的建造物としてパリ市が購入し、改修後1985年からピカソ美術館として開館となっています。

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パブロ・ピカソ(1881〜1973年)はスペインのマラガで生まれて、大半をフランスで制作活動をします。91歳の長寿で比較的若い時代から認められた数少ない芸術家の1人かも知れません。
美術館に入ると、彼の多才ぶりがみて取れます。ピカソは生涯において油絵と素描で1万3500点、挿絵が3万4千点、版画が10万点、彫刻と陶器を300点も残しています。なんと最も多彩な芸術家として「ギネスブック」に登録されているとのことです。

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エントランスから中に入ると、ピカソの制作活動の大きな写真が展示されていました。情熱的で活動的だったピカソは多くの恋をして最後までエネルギッシュだったことが伺えます。
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2018年、2019年のピカソのポスターだけでも多数あり、今でも世界で絶大な人気を誇っています。
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この絵は初期の作品と思いましたが、以外と晩年の作品だったのですね。南仏カンヌの海をテーマにしているのでしょうか? 交流のあったマチスの影響が見て取れるような気がします。


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この作品になると、私がイメージするピカソのキュービズムの作品だと分かります(構図などはなんとなく有名なゲルニカに通じるものがあります)
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流石に昔の豪邸を改造して作っただけあって、2階に上がる階段も豪華です。

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この作品もピカソの青の時代の代表作でしょうか? 1901年に起きた友人の自殺も彼の心の暗い影を落として、しばらくは暗い青を基調とした作品が描かれています。 その後パリに移りしばらくすると作品にも変化が現れます。
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上の2作品は暗い青の時代を終えたのでしょうか、色も鮮やかで、楽しげで生命観に溢れる作品となっています。作品からピカソの嬉しさが溢れ出しています。
ピカソ美術館はかなり多くの展示がありましたので、次回有名どころの作品を紹介したいと思います。

2021年4月 9日 (金)

(世界を夢みて番外編)1999年サンクトペテルブルク(旧レニングラード)

(今日は新入職員のオリエンテーションのために、生け花クラブの活動場所が使用できずに生け花もありませんでした。以前の旅行記をアップしたいと思います)
ソビエト連邦崩壊後の1999年の旅行の写真です。いつかもう一度出かけることがあれば細かな旅行記を記したい思います。

もともとサンクトペテルブルクの名前はキリストの12使徒の一人聖ペテロから由来しています(→12使徒については)。サンクトペテルブルクは「聖ペテとの街」と言う意味でした。ロシア革命後、ウラジーミル・レーニンにちなんで1924年から「レニングラード」に改められ、私の子供のこの教科書ではレニングラードと覚えていました。 

ソビエト連邦崩壊を受けて、1991年に住民投票によってロシア帝政時代の昔の名称「サンクトペテルブルク」に戻ったとのことです。この旅行がしたかったのが、世界三大美術館に1つのエルミタール美術館を見たかったのと、旅行雑誌でも街の美しさが際だったために尋ねて見たかったのです。 モスクワ近郊で警察官の賄賂要求もあり、モスクワは余りよいイメージは持ちませんでした、サンクトペテルブルク旅行は満足出来た旅行でした。

今回は写真だけ載せたいと思います。

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ネヴァ川からみたエルミタール美術館。
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流石に世界3大(4大?)美術館の1つに数え上げられるエルミタール美術館は建物そのものも芸術品のような造りでした。
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エルミタール美術館
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エルミタール美術館

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エルミタール美術館:上段2枚の写真はレオナルド・ダ・ビンチの「リッタの聖母1490-1491年」(左)と「ブノアの聖母1478年」(右)。その他世界中で有名な絵画、美術品がいっぱいで1日では回りきれないほどの作品群です。

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巡洋艦オーロラ号:戦艦オーロラ号(アブローラ(防護巡洋艦)とも呼ばれる)は、1917年、この船から発した空砲を合図にロシア十月革命が始まりました。日露戦争でも参戦した、現存する2隻のうちの一つです。日露戦争、ロシア革命、第二次世界大戦の独ソ戦を戦い抜いた戦艦で、1948年からは記念艦してネヴァ川河畔に係留されています。今も在るのかな?

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ニコライ1世の騎馬像とイサク聖堂


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血の上の救世主教会:外観からして如何にもロシアという雰囲気の教会です😊
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サンクトペテルブルクの夏の宮殿:贅を尽くした美しい宮殿で、噴水の数数が印象的な宮殿でした。
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エカテリーナ宮殿:エカテリーナ宮殿(エカテリーナきゅうでん、ロシア語:Екатерининский дворец)は、サンクトペテルブルク中心部から南東25kmの郊外の避暑地ツァールスコエ・セローに存在する、ロシア帝国時代のロココ建築の宮殿。内部の琥珀の間なども圧巻です。

時間を見つけて細かな旅行記を書きたいですが・・・いつになることやら😅

2021年4月 6日 (火)

下肢静脈瘤発生のメカニズムと症状

・ココロブをまとめた私のHPは→「ニライの夢」

今日のFM放送は静脈疾患について説明をしました。以前も同様な記事は書きましたが、久々ですので書き加えて記載致します。

人間の血管は動脈と静脈があります。私達の血液は心臓の拍動により作り出された圧力(血圧)によって全身の組織に送り出されます。この圧の高い状態を支えているのが動脈になります。組織に酸素や栄養を運んだ後に心臓に戻る血管が静脈です。

Th_血液が戻る時には心臓のような送り出すポンプ装置はありません。そのため動脈から送り出された血液が押し出されるようにして、ゆっくりと静脈の中から心臓に戻って行きます。 静脈の圧は低く、それだけでは動いた時などに逆流が起こってしまいます。 それを防ぐ為に、手足の静脈には動脈にはない凄く薄い逆流防止装置の静脈弁があるのです。

手も足も静脈が表面を走っているために静脈が目立ちます。もちろん手と足の静脈にも同じ様に弁があり、逆流を防いでくれます。しかし静脈瘤のようなコブが出来るのは足の静脈となります。

それには人間の進化(二足脚歩行)が原因となっています。

 

Th__2私達人間は進化の過程で二足歩行を選びました。静脈血は心臓に戻るためには、心臓との位置関係が問題となります。私達人間は四つ足の動物と比べると、心臓から手と足の高さには大きな開きが出来てしまいました。手は心臓の高さとそれ程違いはありませんが、足は極端に下方にあり、足の静脈はうっ血した状態を強いられいるのです。人間がずっと寝ていたり、四つ足歩行や逆立ちのままでいたら下肢の静脈瘤は発生しなかったかも知れません。

Th__3元々、動脈と比べて壁も薄い静脈ですので、圧が長年かかり続けると、血管が太くなってしまいます。静脈は太くなったとしても、その静脈弁は成長しません。次第に逆流装置が働くなったり、薄い静脈弁が疲弊して破壊が起こります(1番上の図参考)。 次第にうっ血がひどくなる悪循環にいたり、更に足の静脈は拡張、蛇行して目立ってくるのです。

 

これが多くの方に静脈瘤が起こる原因となります(女性で20〜40%、男性で5〜10%程度)。 女性に圧倒時に多いのはホルモンの関係などもありますが、妊娠すると骨盤内で足から入る静脈も子宮により押されてしまうため、更に足の静脈の圧が上昇して、静脈瘤を発症させます。

この様なことが下肢1次性静脈瘤の発症メカニズムです。

ですので同じ様な立ち仕事をずっと続けないように、時々足を上げたり、足の運動をすることでうっ血を防いだり、あるいは弾力のあるストッキングを利用して、静脈瘤の発生や伸展を防ぐようにして下さい。

下肢の静脈瘤の初期症状は静脈の蛇行やこぶ状に膨らんで来ることで、見た目だけの問題となります。 徐々に進行すると静脈のうっ滞が続くことで、だるさや足の重い感覚、疲れなどが出ますし、けいれん(こむら返り:他の原因も多いですが)が起こりやすくなります。

更に進行すると熱感や皮膚の色素沈着、かゆみや湿疹などが出て来ます。更に状態が悪化すると皮膚炎や下腿潰瘍などの重篤な病態になることもあります。

予防や軽度の場合には足を全体的に締め付けるような弾性ストッキングなどの着用を行います。現在は治療となるとそれぞれの病態に準じて、外科的切除(ストリッピング、高位結紮など)、血管内レーザー治療、ラジオ波、硬化療法などがあります。

気になる方は血管外科や循環器の先生にご相談されて下さいね。

2021年4月 4日 (日)

世界を夢みて(236):シテ島、ノートルダム大聖堂、パリ市庁舎、ルーブル美術館

早朝スペインのビルバオからパリに入り、このままパリ市内観光です。地下鉄でシテ島に入り先にサント・シャペル教会の見学を済ませて(→サント・シャペル教会)、シテ島をブラブラしながらノートルダム大聖堂やパリ市庁舎などを写真に収めて昼食を取る計画となっています。

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パリ発祥の地と言われるセーヌ川の中州のシテ島にはパリを代表とするノートルダム大聖堂があります。今回の旅行の計画を立てた時にはノートルダム大聖堂のバラ窓の写真なども綺麗に撮ってみたいと考えていたのですが・・・

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2019年4月にノートルダム大聖堂の中央部分が炎上し崩落するニュースが全世界を駆け抜けました(その後、私達の大切な首里城が火災による焼失を経験し、パリの人々にとってもその喪失感は大きかったと再認識しました)。ちなみに「ノートルダム」とはフランス語で「我らの貴婦人(=聖母マリア)」との意味です。ノートルダム教会とは聖母教会、聖マリア教会と同じですので、世界中でこの名前(ノートルダム、聖母、聖マリアなど)が付いた教会が多数あり、そのためその地名をつけて区別をする場合もあります。  
2019年の火災の時にパリの人々は聖歌の「アヴェ・マリア」を歌って祈りを捧げたとのことです。

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私が初めてパリを訪ねた1987年の写真が残っていました。まだ尖塔も綺麗に残っています。
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直ぐ上の写真は1995年の2回目のパリに出かけた時のアルバムの中にあったノートルダム大聖堂の写真です。まだこの時もデジタルではないので、アナログの写真をスキャナで取り込んでみました。首里城と同じですが、もしも叶うなら、もう一度その美しい姿を見たいです✨️

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シテ島から北に向かうアルコル橋を渡って、ルーブル美術館などが並ぶ1〜4区に入りました。
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橋を渡りきると、直ぐにパリ市庁舎の広場の前に出ます。1533年にフランス国王フランソワ1世がパリに相応しい市庁舎建設を命じ、イタリア人の建設家を招聘して進められたそうです。約100年かけて作られたとのこと。その後はフランス革命時に放火され殆どが焼失したそうですが、その後1873年から1892年の19年をかけて再建されたとのことです。500年近く様々な歴史の舞台となった市庁舎です👂

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・・・上のような写真のところに出たのですが・・・ここは何処だと思いますか? 美術館?・・・答えは次の写真(もう見えていますが😄)

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海外には素敵な地下鉄のホームが沢山あります。ロンドンも音楽が流れ素敵でしたし(https://dreams-nirai.com/blog/2021-01-01-4.html )、サンクトペテルブルクやモスクワの地下鉄も良かったです、ミュンヘンやストックホルムの地下鉄も独特でした。パリは少し雑然としている箇所もありますがやはり美を愛する国民性のために美術館のようなルーブルリヴォリ駅の構内でした。


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世界的に有名なルーブル美術館は今回はパスしました。
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30年前のアルバムを見返すと、モナリザの前には柵はありましたが、現在ネットで確認出来るような全面ガラス張りの威圧感のある展示ではなかったようです。人が多くて写真が撮れなかったのかも知れませんが、モナリザの写真は2枚程度しか残っていませんでした(残念)。
昔のアルバムを見返すと初めて行った時には今では違和感なく有名となったガラスのピラミットはなかったようです。


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2回目にルーブルを訪ねた26年前の写真の横に「以前はなかったガラスのピラミットがルーブルに出現(1989年にガラスのピラミットは造られてとのこと)」と書いてありました(書いたことも既に記憶にはなかったのですが・・・😅)・・・当時はデジタルではなかったので写真をスキャナで取り込んでみました。一応有名どころは見学していて様です・・・ミロのビーナスとモナリザは覚えていたのですが・・・後は遠い記憶の彼方です

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ガラスのピラミットが建つ前の写真を探してみたのですが、内部の写真はありましたが、入り口の外観部分は撮っていないか、紛失したのか判りませんが、ありませんでした。残っていたら貴重な写真だったかもですね😂
混雑が嫌いな私としてはルーブル美術館はパスしましたが、ピカソ美術館やオルセー美術館は毎回出かけています。 次回はピカソ美術館を紹介したいと思います。
〜・〜・〜 ・〜・〜・〜・〜・〜・〜
・ココロブをまとめた私のHP→「ニライの夢」

2021年4月 2日 (金)

(世界を夢みて番外編)1999年ロシア旅行(モスクワ)

(今日は新入職員のオリエンテーションにて生け花クラブの活動場所が使用されたために生け花は飾られていませんでした。今日は折角なので1999年のロシア旅行の第1段として首都モスクワの旅行記を紹介致します。)

 

東西冷戦さなかのソビエト連邦時代は、日本を含めて西側の旅客機もソビエトの上空を通過出来ませんでした(そのことは以前書きました→http://omoromachi.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/post-0373.html

その後経済状況が悪化する中で外貨獲得の為でしょうか、ソビエト上空の通過が認められる代わりにモスクワに一時立ち寄らなければならない時期がありました。その為初めてソビエトを土地に降り立ったのは経由のための殺風景の空港内でした。

1991年にソビエト連邦が崩壊し、新たにロシアが誕生しました。ロシア旅行をしたかったのはエルミタール美術館見学と本場のバレエが見たかったことでした。ただ当時ソビエトの経済が一番悪い状況で、警察官も含めて公務員の給与も払えないほどの状況だったのです。当時モスクワ、サンクトペテルブルク(旧レニングラード)市内ならいいものもそれ以外は警察官が賄賂を要求することもあると、注意喚起や旅行者のコメントでも確認出来ました。 

警察官は何も旅行者を拉致したり殺す目的ではなくて、本当に給料がなくて困っているとの情報で、その対応策も事前に調べていました。私は両方の足の靴下に10ドル紙幣を数枚入れていました。それは本当に現実となりました。2人の警察官がパスポートなどと言うのですが、ロシア語は分かりません。しかしその2人の警察官の横に英語の出来る仲間がいて、色々と言って来ました。 もう状況は察していましたので、一人頭10ドルを彼らの手に渡したら、このまま通過し旅行先で写真を撮って駅に戻っても今度は無視して通してくれたのです。 なんとなく私にとっては強烈な思い出になっています。これを払拭するためにもまたいつの日かモスクワ旅行をしてみたいです。

 

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赤の広場
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赤の広場
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赤の広場

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赤の広場
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赤の広場
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クレムリン内
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クレムリン
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モスクワ市内のアーケード街
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モスクワ大学
大変な思いもしましたが、初めてのモスクワ・・・興味津々で、これまでブラウン管でしかみたことがなかった「赤の広場」や「クレムリン」を実際に歩けたのは感慨深いものがありました。
(私個人的なホームページは「ニライの夢」として書いています)

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