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2021年3月11日 (木)

東日本大震災から10年

2011年3月11日14時46分 三陸沖を震源とするマグニチュード9.0の巨大地震が発生、地震の大きさだけでなく、巨大な津波が全てのものを破壊し、東京電力の原子力発電所の事故など私達が経験したことのない大災害が起きました。沖縄では地震の揺れも感じることがなく、ニュースでこの巨大地震のことを知ることに。次々とブラウン管に写し出される映像をみて凍り付く思いでした。あまりに巨大すぎて、揺れを感じない私にとっては実際に起きているこの惨状を現実として受け止めきれない時間帯がありました。1995年1月17日午前5時46分に起きた阪神・淡路大震災の時も遠く離れた沖縄でその日も何時ものように職場へと車で向かう途中で地震の第一報を聞きました。あの時もテレビに映った倒壊した建物や煙が上がる市街地を見ても、現実として受け入れられない気がしていました。 それ程この2つの地震の破壊力は大きかったと思ったのです。
阪神・淡路大震災の時には大学病院でしたので、教授から要請があれば第1陣として救援隊として入るように指示を受けていました。持って行くリストなども作成しました。その日から暫くは外勤の仕事や当直も他の医局員に交替して貰ったのですが、結局は大学からの派遣はありませんでした。東日本大震災の被災の規模や状況が次第に分かる様になり、これまで経験したことがない被災である事、原発で起こった水素爆発など医療者として出来ることを考えていました。沖縄からも医療ボランティアとして現地に向かうことになり、当院から5名が交換ずつ現地の医療を手伝うことになりました。皆使命を果たして元気で帰って来てくれました。しかし私は何もしていないのです。阪神・淡路大震災の時もこの東日本大震災時も私は何もしていないのです。私の心の中にはいつも申し訳ない気持ちがいっぱいなのです。
ずっと心に引っかかっていた場所に2015年の4月に土日を利用して、少しだけ見に行くことが出来ました。体験者の話を伺うことが出来ました。このブログでコメントのやり取りがあった現地にお住まいの方にも会うことが出来ました。本当に大変な苦労をなされたと想像しました。
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この地方を初めて訪ねたのは大学生の時の夏休みでした。東北の人々の優しさや歴史文化の高さ、山や海の幸の豊かさを知ることが出来ました。その後は学会などがある場合に訪ねることがありました。 2015年に震災後初めてこの地を訪ねたことで、色々な思い出が蘇りました。津波で分断された鉄道がありました。かつてこのローカル線を利用して豊穣な東北の海を眺め、泊まったホテルでは新鮮な海産物を味わったことがありました。それが今は何一つない場所がありました。かつて家々が立ち並んでいた場所が何もない真っ平らな土地へと変わり果ていました。 しかし住む人々はしっかりと耐えて新しいことをそれぞれが初めていました。
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東北地方の豊かさを支えてきた豊穣の海です。私が訪ねた時には穏やかな波で美しい海岸線でした。長い歴史の中でこの豊かな海も時として自然の脅威を見せつけてしまいます。 歴史はそのことを伝えていたはずです。 私達が住んでいる日本は海からの恵みも火山活動からの恵みも分けて貰っていることに感謝しながら、この規模の大地震はいつか確実に起こること、この災害にいつも備えるべきことを教えてくれたはずです。
自然災害ではない原発事故の人災についても、もう一度考えるべきだと思います。この事故処理はまだまだその工程でさえ分かりません。事故の処理も出来ない人間が新たに原発を許可すること自体が私には理解出来ずにいます。以前にも書きましたが、原発促進派は中国や北朝鮮の脅威論者でもある方が多いようです(あくまで私の感じることですが)。有事の際に原発は守ることが出来るのでしょうか? もしも原発が自然災害以外にテロや戦争時の標的になった時に日本は立ち退けることがで来るのでしょうか? ミサイル脅威論を言うならば原発脅威論も同時に議論すべきだと考えてしまいます。
あれから10年、もう10年、まだ10年、あの時から時計が止まった方もいるかも知れません。これは何が正しいかではありません。 1人1人が感じる違いだと思います。 それでも私達は生きてゆかねばなりません。 自分のためにも、震災で命を落とした彼らのためにも息をして、食べて、寝て、生きてゆかねばなりません。 少しでも犠牲となった方々に対して恥じない人生を送らないといけないと考える今日の日です。
ココロブの記事を中心にまとめた私のホームページでの記事は→https://dreams-nirai.com/blog/2021-03-11.html

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

こんにちは。
14時46分に黙祷を捧げたいと思います。
院長先生は被災地へ行ってらっしゃったのですね。
私は何もできず僅かな寄付をさせて頂いただけでした。
今は農産物で福島産が目にとまれば購入するように
しております。
一日も早い復興・復旧をお祈り申し上げます。

マコママさん、こんばんは。

私の方は少し長い手術の予定でしたので、お昼にアップすることにしました。マコママさんは黙祷を捧げてくれたのですね。ありがとうございます。

マコママさんの様に小さな寄付と気持ちがあれば東北の復興は速まると思います。利権のため、政治家の為の復興ではなくて、住んでいる人々の為の復興・復旧を祈りたいと思います。ありがとうございます💖

omoromachi様おはようございます。
私の場合はあれからもう10年経ったとの思いが強いです
その日は信州の山奥でも強い揺れを感じました。私の
従兄弟が石巻に住んでいて大変な被害を受けました。
幸い息子が仙台に居を構えていて、その後は仙台に
奥様も一緒に生活しておられます。
omoromachi先生は自分が直接行動をしていないことに
負い目を感じておられるような文面ですが、このように
毎年、この大震災の記事を書いておられることで十分に
その足跡を印していらっしゃられております。
この大震災の教訓を100年後も引き継いで欲しいと願って
おります。
いつも素敵な記事をありがとうございます。
コロナ禍で大変だと存じ上げますが、お体ご自愛下さり
地域医療を守って頂きたく感謝いたいます。

信州の隠居老人さん、おはようございます。
朝の回診を回って戻ってきました。
信州の隠居老人さんにとっては震災後の月日は「もう10年」だったのですね。従兄弟さんは石巻ですので大変な被害を受けたと想像致します。

私は口先だけで何も行動していないため何時も申し訳ない気持ちでいます。 せめて遠くにいてもあの大災害のことは忘れないようにしたいと思い記事を残しました。 本当に100年後の日本人にもあの記録を残して欲しいです。もしかしたらその間にも更に大きな地震が日本列島を襲うかも知れません。災害に強い日本をつくって欲しいです。

まだまだワクチンの接種もめどが立っていませんが、どうにか医療が崩壊しないことを祈りたいと考えます。こちらこそありがとうございます。

先生 こんばんわ。

あの日はテレビのニュースで、津波が家々を飲み込んでいく様子を見て、
絶句しました。
先生は現地に行かれたのですね。
私は福島県とは無縁ではなく、高3の一年間だけ、父の転勤で福島市に
住んでいました。
友人達の実家がどうなったか、大変気にはなったものの、連絡が出来ませんでした。
後に皆さんが無事だった事を知り安心いたしました。

阪神淡路大震災の時は夫が単身赴任で西宮に住んでいて被災しました。
新幹線が動くようになって、すぐに私も西宮に行きましたが、
言葉では言い表せない程の悲惨な光景を、目にしました。
今でも脳裏に焼き付いています。
ですから東北震災がどれ程のものだったのか想像がつきます。

東北震災ではいまだに、行方不明の方がいます。
1日も早く見つかり、ご家族の方の元に帰る事を願っております。

こんばんわ・・・
テレビ・新聞等ではここ数日、震災に絡んだ番組が特集されていますね。映像を
観ては・・被災者の声を聞くたびに、こころが痛みあふれてくるものがあります。
被災者と同じ気持ちにはなれませんし、そのいたみなどはとても感じ取ること
出来ません。しかし、せめても寄り添えるような気持で生きたいものです。明日は
わが身かも知れません。後世に生きる人のためにも、この後に生まれてくる
子どもたちのこれを伝えなければならないと思います。

ガルボさん、こんばんは。

あの大震災で津波の恐ろしさを思い知らされました。水の破壊力は凄まじいです。
ガルボさんも高3の多感の時期に福島市にいらっしゃったら、思い出も深いと思います。その時の友人さんは家族共々無事でよかったです。

阪神淡路大震災ではご主人さんが西宮に住まわれていたのですね。あの時も本当に恐ろしいことだったと思います。余りにひどい状況ですと現実に思えない瞬間もありますね。

東北大震災では、多くの方が犠牲になり、未だ不明者が多くいらっしゃいます。どうか安らかに眠られることを祈りたいと思います。

でんでん大将さん、こんばんは。

あの未曾有の大震災から10年目を迎えました。この時間は様々な捉え方があるでしょうが、1つの時間の単位となりました。

色々なマスコミでこの地震のことが報道されています。私は何も出来ませんでしたが、あの恐怖や悲しみ、その後の苦労を経験されている方の想いを受け止めたいと思います。

私達に出来ることは、これを忘れずに、次の世代へも繋ぐことでしょうか。私も生きている限り忘れないようにしたいと願っています。

2015年と2016年の二度、フクシマへ行きました。
2016年は国道六号線がやっと全線開通をした直後だったので除染区域を北上しました。いわきをスタートし楢葉~富岡~大熊~双葉~浪江から南相馬へ抜けるルートです。私のblogにフクシマレポートとして何ページか書きました
現地の人の信じられない話。目の当たりにする被災地のことは大変なショックでした。
誤解が発生することを懸念して限定記事にしましたが沢山の方に読んでいただきました。 地震や津波の被害の上にフクシマは大きな苦しみを背負いましたね。
現場に行かなければ知らないことばかりでした。
自分なりに出来ることを続ける力になりました(大層なことはできませんが)

おたまさん、こんばんは。

2015年と2016年の2回福島を訪ねられてのですね。現地に行かないと分からないことがありますね。 私も南三陸町の方々に直接話を聞いたり、このブログで交流のある気仙沼の方にもお会い出来ました。

テレビでは何度もみた光景でしたが、はやりその現場に立って改めてこの規模の大きさに圧倒されました。

おたまさんはその時の感想(?)をもう一つのブログとして書かれたのですね。先ほどおたまさんのブログを見たのですが、今は公開されていないのでしょうか・・・いずれにしても恐らくおたまさんの感じたことを率直に書かれた文書なのかも知れません(私の想像です)

私は医療者として、月曜日から木曜日までは毎日手術に入っていますし、救急医療も行っているのですが、広域の非常事態の現場での経験がないのです。 病院長として部下を現場に送りながら自分は行かないことへの申し訳なさをいつも感じていました。

私の出来ることは、せめて今日のようなブログを来年も書き続けることが償いにもなると考えています。

私のフクシマレポートは旧ブログhttp://nurebumi.cocolog-nifty.com/blog/にあります。
先ほど、「限定記事カテゴリー」を公開設定をしましたので、お時間のあるとき、よろしかったらよんでやって下さい。
トップに持ってきています。2週間ほど開けておきます。
ご感想頂けたら嬉しいです。

おたまさん、こんばんは。

フクシマレポートを読み終えて、コメントはおたまさん宛に書きました。
多くの方に読んで頂きたいと思いました。
レポートの中で実際に行かねば分からない部分も感じることが出来ました。嫌なことも知る事で解決方法も出ると思います。改めて人間の本質は善なのか悪なのかも考えてしまうレポートの内容でした。

教えて頂き本当に感謝致します。

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