<世界を夢みて番外編> 1992年トルコ旅行記
<今日は第5週の水曜日でFM放送いきいきタイムは音楽放送としていますので、医療ネタはありません。私個人ホームページのニライの夢の中の「1992年トルコ旅行記 」に昔の旅行記も既にアップしていますが、折りをみてココロブにもアップしたいと思います>
五木寛之のイスタンブールや日本国内でもボスボラス海峡のCMがあったりした記憶があります。アジアとヨーロッパの架け橋のトルコには憧れがありました。
日本とトルコの関係の歴史は古くからあります。有名なのはエルトゥールル号」遭難という海難事故がありました。1890年、オスマン帝国(現在のトルコ)の船が、和歌山県沖で台風の被害を受け、沈没してしまいます。その時に近隣住民がトルコ人乗組員の救助を行い、政府も支援を行ったそうです。古くから好印象脱兎のことです。特に戦後は建国の父アタチュルクが日本を参考にした国づくりを考えたこともあり、トルコ国民も大変な親日家が多いのも旅行者にとっても有り難いことだと思っていました。
このことから今でもトルコの人たちは、日本に親しみを持ってくれています。このエルトゥールル号の恩返しとして、1985年のイラン・イラク戦争では、日本政府が動けない中で、トルコ政府が在イラン邦人を救出する際に救援機を派遣したことが記憶に残っています。
この時にはネット環境も良くありませんし、自分でトルコ国内の移動や宿泊施設を捜すのは大変だと思い、ツアーで出かけました。ツアーで出かけるメリットはなんたって安心・安全で自分で何もしなくても、観光地の要点や移動手段は抑えて組み込まれていることです。またツアーの仲間がよければ旅行が2倍も3倍も楽しくなることも多々あります。 大変ありがたい事です。 まだまだ観光地化されていない国を訪ねるにはメリットの方が断然高く、デメリットの部分を遙かに凌駕すると考えています。
エジプト旅行でも書いたのですが、当時はイスラム社会は非常に安心で、イタリアやフランスの観光地よりもずっと治安面でも良かった社会でした。トルコを旅行して感じたのは、子供から老人まで非常に親日家が多いことでした。特に地方などでは日本人と言えば歓迎される雰囲気がありました。
時間を見つけて今後、1992年の旅行記を書いてみたいと思います。
取り敢えず主な旅行先の写真だけでも記載します(紙の写真をスキャナーで取り込んでみました。画質は悪いのですが、これぐらいしか補正出来ませんでした😢)






























裁判所から左に進むとサント・シャペルの入口があります。かなり人が並んでいますが、以外と早く進みました。入口で簡単なセキュリティーチェック受けます。



























































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