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2020年6月23日 (火)

沖縄慰霊の日:戦後75年

6月23日は沖縄県の条例による「沖縄慰霊の日」です。あの悲惨な地上戦の終決から75年を迎えました。沖縄県でも戦後生まれが人口の90%を越え、私のように親や親族から沖縄戦について直接聞いて育った世代も少なくなっています。

まだまだ人間は未熟です。積み重ねてきた「歴史から学ぶ」知性よりも「自分の体験」で物事を判断してしまうことも多いのです。

他人と関わってゆく中で、いざこざは当然起こります。家庭内でも意見の対立もあるはずです。それは1人1人が違う人間だからある意味仕方ないことです。意見は違っていても理性があるなら、相手を殺してまで自分の意見を通そうとは考えないはずです。

国家間の戦争は「政治の失敗」の結果です。 バカな政治家の失敗のツケを罪も無い末端の人々が負わされるのが戦争なのです。 多くの情報が得られ、政治を選ぶことが出来る今では「戦争を私達も当事者として」考えなければならなくなりました。



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第二次世界大戦後、勝者も敗者もなく戦争を経験して生き残った人々は「二度と戦争などしてはいけない」と考えてはずです。しかし体験や記憶が薄れる中で、またエゴが顔を持ち上げて来ています。

今、世界は多くの問題に直面しています。国家間の紛争に限らず、あらゆる差別、貧困、世界規模の感染症、自然災害、経済・金融格差など私達が生きてゆく上で克服しないといけない問題が山積しています。

75年前の沖縄戦で学んだことが今の時代に活かさなければ死んでいった人々が報われません。相手を理解することから始めなければまた同じ轍を踏みます。他者を尊敬して、博愛の心で人権や正義を守らなければいけないと考える沖縄慰霊の日です。

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

こんばんは。
沖縄慰霊の日でしたね。
高校生の「あの日、あの時」を聴きました。
沖縄の余りにも多くの犠牲者の方々に
心より哀悼の意を捧げるのみでお許し下さいませ。

院長先生の仰せの通り、今の世の中、
どこか?狂っているのかもしれませんが、
そこは人の愛、尊敬をもち、乗り越えて
決してもう戦争は起こしてはなりませんね。

拙い表現ですみません。

マコママさん、こんばんは。

慰霊の日の朗読を聞いて貰えてのですね。あのような悲惨な戦争の中でも命を繋いでくれて方々がいたお陰で今があるのですね。
私自身はお祖母ちゃん子でしたので、子供の頃より戦争しては駄目だと教えて貰いました。お祖母ちゃんは学校の校長をしていたおじいちゃんと学業が優秀な中学生(今の高校)の二人の息子をあの戦争で亡くしました。
私の子供が亡くなった叔父さん達の年齢になった時にこんな子供をにわか兵士として戦場に駆り出してはいけないと本当に思ったのです。

今世界中で、戦争の記憶が風化して負けるぐらいなら戦争を仕掛けるような雰囲気になっています。しかしひとたび戦争になれば全てを失ってしまうのです。

人と人が殺し合う戦争だけはしてはいけません。戦争は人の心も破壊してしまうのですから。

マコママさんも私も若い人達が戦争行くのはみたくないですよね。

omoromachi様、こんばんは。
慰霊の日についてニュースで
知りませした。
毎年のように子供達のメッセージは
素晴らしいものがありますね。
omoromachi様がいつも平和を願う
気持ちが伝わってきます。
私の周りは残念ながら戦争体験を
語ってくれる人はいませんでした。
人間はもっと歴史を学ぶ必要が
あると本当に思えます。

ツクシンボさん、おはようございます。

沖縄県にとっては慰霊の日は非常に重要です。あの大戦で4人に1人が命を落とし、それ以上に多くの県民が怪我を負いました。何ヶ月間に及ぶ地上戦で戦地を逃げ回り、死の恐怖を味わった住民の心は今でもトラウマとなって残っています。私は戦争体験者じゃありませんが、体験者から直接色々な話を聞いて育った年代ですので、次の世代にも繋がって欲しいと願っています。若者たちのメッセージは心強く思います。

自分もそうですが、感情に流されてしまうこともあります。しかしながらそれで殺し合いはしたくありません。これからも長きにわたって平和な日本であって欲しいと祈っています。

omoromachiさま

しばらくでございます。

「沖縄慰霊の日」が来るたびに、当時その後と沖縄の方々に負わせてしまった
ご苦労を想います。

この度の高校生高良朱香音さんの「平和の詩・あなたがあの時」は
素晴らしかったですね。

私自身は終戦の1年前生まれですので、戦争の記憶は殆どありませんが、
戦争の足跡は其処此処に残っており、あの詩のシーンは容易に想像できます。
物のない時代、復興期、成長期、そして残念ながら今は後退期?

戦争の酷さを想うことの出来ない世代が各国で政治家になり、利権争いを始めると・・・
怖いですね。
思考に奥行きを感じられないことが気になります。

核家族化で歴史が語り継がれない時代に皆で先の戦争を思い起こす「慰霊の日」は貴重だと思います。
平和を心から願います。

お黒ちゃんさん、こんばんは。

あの大戦では皆苦労をされたと思います。その中で、沖縄、広島、長崎はその衝撃がより大きいと感じます。

首里高校三年生の高良朱香音さんの詩は良かったです。私の叔父はこの子と同じ首里高校三年生(昔は第1中学5年生)で鉄血勤皇隊に駆り出されて摩文仁で戦死します。死に場所も定かではありません(遺骨もありません)。
私はその叔父の名前を一字貰っています。その名に恥じないように生きてきたつもりです。お爺ちゃんや二人の叔父さんが生きていたらと思わずにはいられません。

お黒ちゃんさんは戦後の記憶しかないと思いますが、あの大戦を容易に想像出来る時代を生きてこられたと思います。

いま悲惨な戦争を想像出来ない政治家が増えています。私達も戦争は政治の失敗である事を心に刻まないといけないと考えます。

私も戦争の記憶を直接聞いて育った人間として死ぬまで平和の大切さを訴えたいと思っています。

遅れてのコメントになってしまいました・・・
辛い悲しい過去をお持ちの方々を思うと、とても書けそうになく考えこんで
いました。
俺は戦後生まれですので、戦争を体験した人間ではありません。しかし
映画や本を読んで、うっすらと想像するしかないのですが。父は満州に
出征しました。衛生兵だったとも聞いたことがありました。でもその父は
戦争を語ることはありませんでした。ただ、俺の記憶にあるのは年に何度か
戦友に会いに行き、俺を連れられて行ったことがありました。無事に帰ってきたことの
喜びもあったでしょうし、中には戦死をされた戦友もおられたようですから・・・それも。
今は兵器は使わない別な戦いが、世界中で起きています。すべてが「マイ・ファースト」
「マイ・国家」から生まれているような気がします。難しい事でしょうが、もっと
他を労わるような国、政治、個人にならねば、尊重し合わねばならないと思っています。平和を築くのは大変ですね、でも一声で戦いも始まりますから、かつて戦争で
亡くなられたり、亡くされた家族に思いを致したいものだと思います。

でんでん大将さん、こんばんは。

コメントに困る話題となってしまいましたが、私がきっと身内から直接の体験談を聞いて育った最後の年代と思いますので毎年書くようにしています。

そうでしたか、私の父も師範学校を出て2〜3年教員をした後に満州で兵役を務めました。その後捕虜となって帰国できたのはだいぶ後だったと聞いています。 沖縄に戻ると、父も2人の弟も戦死していなくなっていました。父は全く戦争のことを話さなかったのです。今思えば私は父からもっと色々と聞いておけば良かったと考えています。
今でも良く覚えているのは「自分の青春は戦争だけだった。お前が勉強出来るのがどんなに幸せなことか知りなさい」とボツンと話をしたのを覚えています。 だからこそ、人を殺すのではなくて人を助けることの出来る職業に就けたのは良かったと思っています。

戦争をするより平和を維持する方が大変です。今の政治家は自分のことしか考えません。政治の失敗=戦争が起こることよりも自分が当選しない方が問題なのです。

戦争はゲームの中ではありません。実際に人がバラバラに吹き飛ばされて死んで行くのです。その姿を想像出来ないとまたいつの日か戦争が起こることを危惧しています。

大将さんわざわざコメントを頂き本当にありがとうございました。

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