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2019年11月 3日 (日)

もう一度「上を向いて歩こう」

美しい首里城が燃えて崩れ落ちるニュースをみて、悔しさや悲しみや空虚さが襲って来ました。太平洋戦争で沖縄県、特に那覇市は戦前の面影もないほど破壊され、国宝にもなっていた首里城も瓦礫の山と化してしまいました。

戦前、父は首里城に隣接する師範学校に通っていて、時々首里城内部にも出かけることが出来たそうです。弟も首里城に近い一中(今の首里高校高)に通っていました。南部の実家からは通うことが難しく、首里に家を借りておばあちゃんもその家に通っていたとのことでした。おばあちゃんからは当時の美しい首里の街のことを何度も聞かされました。 戦争で当時学校の校長だったお祖父さん、父の弟の小父さん二人を亡くしました。 父は徴兵で満州で終戦をむかえ、やっと生き残って沖縄に戻って来た時にはおばあちゃんがあばら小屋に住んでいたとのことでした。

おばあちゃん子だった私は、おばあちゃんから「戦争は全ての美しいものを奪い去ってしまう。戦争だけはやっては駄目だ」と何度も諭されました。

Th__20191102135501

何もなくなり、戦後長い間、祖国復帰もはたせず、米国の占領下にあった沖縄。灰の中から、首里城が竣工され、美しい首里城正殿が出来た時には本当に嬉しく思いました。戦争で全てを失って、支えるものもなくなった沖縄の人々にとっては、この美しい荘厳な首里城を見上げて、やっと誇らしく思えたのです。おばあちゃんは既に他界していましたが、父はこの新しい首里城を見ることが出来ました。本当に嬉しそうにしていたのを覚えています。(上の写真は開園当時(平成4年)の写真です。デジタルではないので昔の写真をスキャナーで取り込んでみました。画像は悪いのですが、龍柱や階段が真新しく白く輝いています)

やっと首里城の全部が今年になって復元して、これからは当たり前にある建造物だと思っていました。昨日まであった美しい建物が一瞬で灰になったのです。 医師としては、戦争を経験した方にとって首里城崩落が戦争の記憶と結び付くトラウマにならなければいいなとも考えます。

この様な火災では残念ですが、しかし形あるものはいつか無くなるのです。無くなったことより、再復興に向けて上を向きたいと思います。

昨日、坂本九さんの「上を向いて歩こう」を唄いました。子供頃からこの曲は色々な場面で私を支えてくれた曲でもありました。もう駄目だと思った時に支えてくれて曲です。

昨夜、久しぶりにこの曲を唄いました。首里城の写真を入れて動画にしました。半分の写真は数名の方から頂いたものです。ありがとうございます。改めて首里城は世界に類をみない美しい建物だと思います。必ずまたこの姿をみることが出来ると信じています。

https://www.youtube.com/watch?v=9KKoCkrUTwQ&feature=youtu.be

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音楽」カテゴリの記事

コメント

omoromachi様、おはようございます。

首里城の火事のニュースをみながら沖縄の方々の
落胆された気持ちが痛いほど分かります

10年程前に沖縄の旅行の際に首里城を
見学しました。独特の沖縄の文化の高さを
読み取ることが出来ました。

omoromachi様のお父様も天国で
悲しんでいるかも知れませんね。

首里城の美しい写真とomoromachi様の
力強い歌声、本当に上を向いて行けると
感じました。
更にomoromachi様のファンになり
ました。復興を応援しています。

こんにちは。
お久しぶりでございます。
首里城の火災、
北海道在住の私ですら衝撃でしたのに、
沖縄の方々の心情を思うと言葉もありません。

40年近く前に学生の頃、
貧乏旅行で沖縄に行ったときは
守礼門がポツリとあっただけだったような記憶が
ありますが、
それ以降、他に見た事もないような
真赤なとても美しいお城を建てた
職人さんや沖縄の方々の気骨、歳月、願いを
考えると、残念でなりません。

先生の歌の背景の首里城を見させていただきましたが、
美しいですねえ。
あれだけの素晴らしい建造物、調度品、建具、瓦、等々
見て、あらためて、
大切な文化財を今の技術で
雰囲気を損なわないように
火災対策ができていたら、と今更ながら思ってしまいます。

上を向いて歩こう、
先生の歌声に一筋の明るさを感じました。
沖縄の方々がこの災難を乗り越えて、輝くことを切に願っております。

yumi.tanaさん、こんにちは。

パリのノートルダム大聖堂の火災もそうですが、美しい建造物が焼け落ちるのは心が痛くなります。

ノートルダム大聖堂の火災の時にパリの市民は大変だろうと思ったのですが、まさが首里城が焼け落ちると考えてもみませんでした。
私は海外旅行でした写真を殆ど撮りませんので、首里城は開園当時と友人が沖縄旅行に来た時の10年前と3年ほど前に行きましたが、余り写真を撮りませんでした。 なんでもっと沢山撮らなかったのかと後悔しています。

yumi.tanaさんも10年前に首里城を訪ねたのですね。日本でもない中国でもない独自の建物と漆喰などの美しさが目を引くお城だと思います。

いつか必ず再建して欲しいと願っています。

こんにちは。
 本当に衝撃的な「首里城炎上」でした。
沖縄の方々のお心を思うと残念の一言では
済まないと思います。
日本の世界の大切な遺産ですよね?
一日も早い復元へ向けて「上を歩いて歩こう」ですね?
院長先生の歌声と画像にも癒されました。
ありがとうございました。

monnaさん、こんにちは。

首里城は沖縄の歴史や文化の象徴でしたし、世界遺産でもありますので、日本の、そして世界の宝物です。これが一瞬で焼け落ちるのは観たくありませんでした。

40年前なら、まだ守礼の門と外壁が僅かにあった程度だと思います。 戦前から首里の町は首里城を中心に美しかったと父や祖母から聞いて育ちました。首里城からは遠く慶良間諸島も見えるのですよ(私の病院からも見えます)。

沖縄では地上戦が行われ、有形の文化財や首里城の資料も殆ど消失しました。首里城の復元には残っていた写真や生き残った人々や職人からの聞き取りでやっと、往年の綺麗な首里城が復興しました。 今年やっと城全体の復元が終えた年だったのです。

最初と比べて、復元をするための図面などは残っていてスムーズに行くと思いますが、復元をするための、木そのものや何万枚の瓦、漆喰など、簡単には手に入らないと考えます。

今回を教訓に二度と焼失させないと、多少パイプなどが見えたとしても耐火性の首里城にして欲しいです。

遠い北海道よりご支援ありがとうございます。上を向いて歩いて行きます。

マコママさん、こんにちは。

日本中、更には海外からも衝撃を持って、この首里城の炎上を悲しんだ方が多くいらっしゃいました。 

沖縄生まれの私にとってはとても悲しくて、その後やる気が起こらなくなってしまいました。 その為に昨夜に「上を向いて歩こう」を唄いました。 昔の写真を捜して、1992年に開園して間もない頃に行った写真を見つけてスキャナーで取り込みました。
その後の写真はデジタルでしたのでパソコンの中から捜しました。
夜景の写真はなかったため、使用許可の下りている写真を利用して動画を作成しました。 首里城の美しさを他の方にもみて欲しかったのです。

改めて首里城は美しいのだと再認識しました。
また「上を向いて歩こう」と決心しています。ありがとうございます💖

首里城の炎上には驚き、そして胸が痛みました・・・沖縄県民の皆様の心痛をお察し致します。何かの間違いか?映画のシーンか、ニュースを見ていて、一瞬そう思いました。アナウンサーの声もなく、冒頭に出た映像は本当に信じられないものでした。
思えば子ども時代、切手収集していた俺には「守礼門」の切手を得ることが憧れでしたし、職場の旅行で初めて沖縄を訪ねることが出来ました。今でも首里城に感嘆し、入った記憶がまざまざと蘇ります・・・
いつか復興出来る、そのことを信じて・・・いささかながらも募金をさせて頂きます。
「上を向いて歩こう」に込められている思いに、また涙してしまいました・・・

こんばんは、Kです。ご無沙汰しております

首里城の炎上には本当に心が痛みました
omoromachiさんがきっと悲しんで
いらっしゃることだと想像していました

omoromachi様の力強い歌声と
パンチの効いたギターが凄くマッチ
していて最高です👍
前を進めそうでよかったです

Kは5年前に訪ねたことがあります。
中国の様式を取り入れた独自の風貌
でした。内部の玉座が凄く綺麗だった
ことを思い出します。

音楽は癒やしにもなりますが、気持ちを
鼓舞もさせてくれますね
1日も早い復元をお祈り致します。

でんでん大将さん、こんばんは。

当日の6時前にテレビのニュースで首里城の炎上をみた時には夢であって欲しいと現実を受け入れがたかったです。 それから支度をして病院に向かい、病棟の回診をしましたが、殆どの患者さんはこのニュースを見ていて、涙を浮かべた年配の方も多かったです。

やっと全てか復元出来たと思っていましたのに、一瞬で灰となってしまいました。 でんでん大将さんは切手に描かれた守礼門で首里城を知ったのかも知れませんね。

炎上の日から昔の写真を捜しました。余りよく撮れていなかったり、人物が写っていて公開できる写真は少なかったのです。海外旅行の写真はいっぱいあるのに、足元の首里城の写真は多くないのです・・・とても辛く悲しいです。

それでも、多くの方に首里城の美しさをみて欲しいために、今回の動画に首里城を入れて編集しました。

でんでん大将さんを初め多くの方がこの悲劇に涙しています。那覇市の復興への寄付金が既に目標の1億円を超えたとのことです。本当に有難いです。

大将さん、沖縄県民としても本当に感謝申し上げます。

shiroyama.kさん、こんばんは。

ええ、本当に辛いことです。今でも夢であって欲しいと願うのです。今でもそこに行けば青い空に映える朱色の首里城が見れる気がしています。

Kさんも5年前に訪ねられたのですね。本当に玉座などの漆喰と金泊で作られた内部装飾は息をのむ美しさでした。

「上を向いて歩こう」は辛い時に口ずさんだ曲です。この悲劇を吹き飛ばすつもりで唄いました。

何度倒れても、またやり直すという思いでいっぱいです。

Kさんありがとうございます。

omoromachiさま

首里城の存在が沖縄の方々にとってどんなに大事だったか、omoromachiさまの言葉で良くわかります。 『心棒』だったのですね。

私は沖縄に行ったことがないのですが、何故か私には首里城が竜宮城のように思えていました。 琉球王朝ってどんな風だったのだろうと色々と想像していました。
やっと復元出来ましたのにね。惜しいことです。

でもきっと又復元出来ますよ。沖縄の歴史を刻んだあの美しい首里城の再現を望む声は沖縄の外にも大きく拡がり、それに向けてあちこちで動き始めていますから。
『上を向いて歩こう』を歌いながら待ちましょう。

ハイサイ、先生。。。

先生の「上を向いて歩こう」をお聞きしながらコメントしています。
首里城焼失、正直いまだに信じられません。
沖縄人の皆さんにとって首里城は心の支え、生きる支えであったと思います。
その喪失感は県外人の私には到底計り知れないものだと思います。
しかし力強い先生の歌声からは現実を受け留め、悲しみを乗り越え、上を向いて行かなければいけないという前向きなお気持ちが伝わって来ます。
いま日本国民が One Team One Spirit となって首里城復元の為に上を向いて頑張らなければならないと思います。
微力では有りますが私もその One Team の一員として応援していきます。

チバリョー沖縄!!

お黒ちゃんさん、こんばんは。

人には恐らく有形無形の心の寄り何処とがあるかも知れません。沖縄の人々にとっては、あの大戦で有形のものは殆ど失われました。その後首里城が再建された時には目に見える形で沖縄文化の素晴らしさを直接目で確かめることが出来たのです。それが人々の誇りにもなっていました。

沖縄は海に囲まれていますので、首里城の内部はまさに竜宮城のような煌びやかさでした。

沖縄だけでなく本土でも復興に向けた動きが出ていますし、海外からも励ましのメールが沖縄県にも届いているようです。

復興されるまで、下を向かずに上を向いて頑張りたいと思います。

いつもありがとうございます。

mosaさん、こんばんは。

沖縄大好きなmosaさんにとってもショックだったかも知れませんね。私も最初は現実を受け入れられずに心の中に穴が開いたような喪失感でやる気が出ませんでした。

でも、落ち込んでも仕方ありません。悲しいですが前を向いて歩かねければ行けませんね。 

今回は自分を鼓舞するためにも「上を向いて歩こう」を唄いました。 

mosaさんを初め、多くの本土の方々からの温かいメッセージを頂きました。 本当に嬉しいことです。 「美しい」ものへの尊敬は場所や人類の垣根を越えていますね。 皆で一丸となってこの美しい建物を蘇らせて欲しいと願っています。

mosaさんもどうぞ一緒に夢をみて行きましょう!

 こんばんは。
 沖縄の象徴であり歴史の伝え手でもある首里城の火災、沖縄の皆さんの気持ちをお察しすると言葉もありません。
 私が首里城を初めて訪れたのは3年半前になります。京都の寺社とはまた雰囲気の違う朱の建物の偉容に心を奪われました。
 実は今年の12月に沖縄を訪問する予定があります。短い滞在ですが首里城にはもう一度立ち寄りたいと思っていたのですが、残念です。今は一日も早い原因の究明と、再建に向けた動きを待っています。猛火をかいくぐって残った文化財も多くあるようですし、再び歴史を目にすることができることをお祈りしています。

いかさまさん、こんばんは。

本当に辛い経験となっています。しかしながら多くの方々から励ましの言葉を頂いています。本当にありがたいことです。

各地を旅行なされている、いかさまさんは首里城も3年半前には見学なされたのですね。 日本本土の神社や城とも異なりますし、中国本土の作りとも異なる沖縄独自の様式の首里城でした。 城壁の作りは本土の城の城壁より更に古い時代から造られて様式となっています。

さる大戦で有形のものを殆ど失い、僅かに残ったものが今回の火災で数多く焼失しました。ただ防火性の倉庫に収められていた収蔵品が残っている可能性もあり少しでも元の状態であって欲しいと願っています。

今後どのように再建するかも含めてもう一度立ち上がって素晴らしい世界遺産を復元して欲しいです。

コメント頂き、励みになります。

先生、こんばんは。

いつもながら若々しい先生の歌声も然ることながら、
美しい首里城を様々な背景やアングルで見せて頂き、
改めて失ったものの貴重さを感じ、沖縄の方々の喪失感は如何許りかと思います。
それに私は3度程沖縄にお邪魔しましたが、残念ながら首里城には一度も行けなかったので、悔しい気持ちでいっぱいです。
「上を向いて歩こう」は先生や他の沖縄の方々のお気持ちだと思います。
日本中が応援していますので、必ずやまた復元出来ると信じています。
その時は耐火、耐震、全ての災害に揺るぎないような頑丈で美しい首里城を再建して欲しいと思います。

sharonさん、こんばんは。

聴いて頂きありがとうございます。 ご存じのように私は海外の旅行先では沢山写真を撮って来たのに、地元の世界遺産首里城の写真を余り撮っていなかったことが悔しくてたまりませんでした。

このように写真を提示すると、首里城は本当に美しい城だったことが分かります。 

このような事が起きても、上を向いて歩きたいと思いますし、sharonさんが書かれている様に耐火、耐震など優れた防災設備を備えた首里城にして欲しいです。


多くの方から励ましのコメントを頂き本当に有難いと思います。いつの日か再建されたら、その時にはsharonさんも沖縄にお越しの際は首里城をご覧下さいね。

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