慰霊の日に平和を願う。
今日6月23日は74年目の「慰霊の日」です。沖縄県では太平洋戦争末期の沖縄で組織的戦闘が終了した日を「慰霊の日」と定めています。
沖縄では悲惨な地上戦が行われ、非戦闘員が多数巻きこまれて犠牲となりました(以前のブログにも記載しましたhttp://omoromachi.cocolog-nifty.com/blog/2013/06/post-e44a.html )。
1945年(昭和20年)の4月1日に連合軍は沖縄本島中部に上陸後、日本軍・米軍の兵士だけでなく4人に1人の沖縄県民が命を失う泥沼の組織的な戦闘が6月23日まで続きました。6月23日に牛島司令官が自決し組織的戦闘は終わりますが、その後も7月2日までは連合軍は掃討作戦を続け、最終的な沖縄守備軍の降伏調印式は9月7日を待たなければなりませんでした。
命を失ったのは県民に4人に1人ですが、多くの方がその後身体的・精神的障害を持って生きなければなりませんでした。これまで平和だった島、自分が生活していた場所で長い間沢山の血が流されるのを目の当たりにした県民です。両親・親戚を失った孤児もその後を生きないといけなくなりました。
私にとってはお祖父さん、県立中学生だった二人の叔父さんが犠牲となった戦争でした。おばあちゃん子だった私は何かにつけ「戦争だけはやっては駄目、大切な全てが失われる」と諭されました。おばあちゃんにとってはまだ中学・高校生だった息子がこの梅雨の雨の中を、日本軍の為に、砲弾が降り注ぐ中を壕から壕への通信(食糧や弾薬を運ぶ役目として1番危険な任務)のために強制的に走らされたのです。本土上陸を少しでも先延ばしをするための時間稼ぎに、多くの子供達が爆弾の雨の中で命を落としたのが沖縄戦です。
・・・いつもこの慰霊の日に、叔父さん達のことを思い返します。梅雨の雨の中、泥まみれになりながら、壕から壕へ走らされた10代半ばの子供にとって恐怖はいかばかりだったかと想像します。私は怖くて仕方がありません。
毎年、この日に読み返す「ユネスコ憲章」があります。
戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。
相互の風習と生活を知らないことは、人類の歴史を通じて世界の諸人民の間に疑惑と不信を起こした共通の原因であり、この疑惑と不信の為に、諸人民の不一致があまりにもしばしば戦争となった。
ここに終わりを告げた恐るべき大戦争(第二次世界大戦)は、人間の尊厳・平等・相互の尊重という民主主義の原理を否認し、これらの原理の代りに、無知と偏見を通じて人種の不平等という教養を広めることによって可能にされた戦争であった。
文化の広い普及と正義・自由・平和のための人類の教育とは、人間の尊厳に欠くことのできないものであり、 かつ、すべての国民が相互の援助及び相互の関心の精神を持って、果たさなければならない神聖な義務である。
政府の政治的及び経済的取り決めのみに基づく平和は、世界の諸人民の、一致した、しかも永続する誠実な支持を確保できる平和ではない。よって、平和が失われないためには、人類の知的及び精神的連帯の上に築かれなければならない。
これらの理由によって、この憲章の当事国は、すべての人に教育の十分で平和な機会が与えられ、客観的真理が拘束を受けずに研究され、かつ、思想と知識が自由に交換されるべきことを信じて、その国民の間における伝達の方法を用いることに一致し及び決意している。
・・第二次世界大戦後、世界は平和の道を模索して来ました。しかし次第に戦争の記憶が失われる中で、ユネスコ憲章に書いてあることとは逆行することが世界的に広がりつつあります。
今日は令和初の慰霊の日です。どうかこれから令和の時代も平和であって欲しいと祈るのです。
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ハイサイ、先生。お疲れ様です。
糸満市の摩文仁の丘を望む平和祈念公園公園の「平和の礎」には24万1556人(令和元年6月現在)もの犠牲者の名前が刻印されているとのこと。想像を絶する犠牲者の人数に驚かされます。
戦争によって犠牲になるのはいつも弱者ばかりです。どんな大義名分があろうとも戦争を何一つ正当化できるものは有りません。
戦争ほど悲惨で恐ろしく愚かなものは有りません。愚かな指導者によって人が人の命を奪う。そんなことは絶対に許されません。
しかし現代においても未だ世界のどこかで戦争が行われ、愚かな指導者の為に多くの人々が犠牲となっています。
ごく最近、北方領土で戦争という言葉を簡単に使い挙句に果てに酔って騒いで大迷惑を掛けても議員辞職すらしない大馬鹿者がいます。悲しいですがそれが現実です。
どんな理由が有っても戦争を起こしてはならない。戦争によって憎しみは憎しみを生み多くの尊い命を奪う悲惨なものであるということを未来を担う子ども達に伝えていかなければいけないと思います。
犠牲となられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。
投稿: mosa | 2019年6月23日 (日) 17時16分
mosaさん、こんばんは。
こんな小さな島で74年前に戦闘員以外に子供から老人まで一般住民を巻き込んだ地上戦が3ヶ月間行われました。
戦争は政治(家)の失敗でしかありません。その失敗の責任をとらされるのはいつも若者たちであり、一般市民が巻き込まれてしまうのです。 政治家にとっては平和の維持より戦争の方が統治しやすいのです。 敵対勢力を作り、国内世論を煽る方が自分の票に結びつくのです。
北方領土に行って戦争で領土の解決やら、飲んで騒いだバカなヤツがいましたね。 このような輩は実際に戦闘が行われている地域に1〜2年反省するまで生活させてみたいです。 戦争がどんなことなのか脳天気な頭にも分かるかも知れません。
自分が戦争を経験しなくても、想像出来る頭があれば戦争に繫がることを避けたいと考えると思います。
今日、私の母からも12時前に電話があり、正午に黙祷するように促されました。 無念に亡くなった多くの方の為にも不戦を誓いたいと思います。
投稿: omoromachi | 2019年6月23日 (日) 18時38分
こんばんは。
戦争ほど悲惨なものはありません!
そして多くの沖縄の方々の犠牲には言葉もありません。
本の少しでも心安らかにとお祈り申し上げます。
愚かな指導者などはもういりません。
決して二度と戦争は起こしてはなりません。
日本の将来のためにも・・・。
戦前生まれの私たち夫婦もいくばくかの犠牲を
こうむっております。両親共々・・・。
投稿: マコママ | 2019年6月23日 (日) 20時02分
マコママさん、こんばんは。
戦争はどう考えても良いことはないのに、今でも繰り返し起こっています。 人は歴史から学ばず、人の都合で善し悪しを考え相手を攻撃してしまいます。
愚かな指導者が戦争を始めてしまうと良心的な市民でさえも、自分が生き残るためには相手を殺さないといけなくなるのです。
戦争は始まってしまっては後に引けません。ですから早めに戦争の芽を摘む必要があると思うのです。
マコママさんはいつもお若いので、以前戦前生まれと聞いた時にはビックリとしました。 どうぞいつまでもお元気ですごして下さいね。
投稿: omoromachi | 2019年6月23日 (日) 21時01分
omoromachiさま
先ずは沖縄で犠牲になられた多くの方々のご冥福をお祈りします。
私は戦争の残り香を味わった世代です。
小学校(東京)の同級生の中に沖縄から来た大城さんと言う同級生がいました。
校区にあった児童養護施設から通っていました。戦争の犠牲者だと思います。
そして1年後に「良い人にもらわれていった」という噂と共にいなくなりました。
随分遠い過去の出来事ですが時々思い出します。彼女の淋し気なお顔を。
今何処でどうされているのでしょう? お幸せだと良いのですが。
戦争の悲惨な記憶が遠のいて、『ゲーム感覚』で戦争を考える政治家が怖いです。
戦争は勝たんが為にどんな残酷なことも「お国のため」という大義名分が立ちます。
終戦後も国家間にも戦争犠牲者にも遺恨がずっとずっと残り続けます。
戦争は『平和』とは対極にあるものです。
国家権力者が全能感を持った時が怖いです。
自国中心主義になって、他国はどうでもよいと考えるトップが怖いです。
軍靴の足音が聞こえそうで怖いです。
omoromachiさまの身近に起きた事柄と比べると小さな小さな綿毛のような記憶ですが、 実体験はリアルです。語り継がねばと思います。
投稿: お黒ちゃん | 2019年6月24日 (月) 00時14分
お黒ちゃんさん、おはようございます。
東京で沖縄から来た大城さんを覚えていたのですね。 昨日の沖縄のニュースでも激戦地の糸満では沖縄に残った家族全員が死んで、疎開で本土に行っていた子供が帰った時には親・兄弟がいなく、親戚に預けられたことも多かったそうです。 この大城さんも疎開で東京に行かれてもしかしたら引き取り手がいなくなったのかもしれません。 その後元気でお過ごしでいることを願います。
お黒ちゃんが文面に書いてあるように、生の戦争を知ろうとしないで、軽々しく戦争という言葉を使う政治家も出てきました。怖いことです。
最近の国際情勢をみると、自分だけ良ければという風潮が突出して、不気味な怖さを感じがします。 何時か来た道、今度は地球が破壊しかねない核戦争も起こりえるかも知れません。
どうか、人間の知的な力、想像力で戦争を防いで欲しいと祈ります。
投稿: omoromachi | 2019年6月24日 (月) 07時55分
こんにちわ。
沖縄で何が起こったか、映像を見るたびに心が痛みます。
地上戦は多くの一般市民を巻き込みましたね。
断崖絶壁から身を投げたり、洞穴に逃げむ人たちに向かって火炎放射器で火を発射させたり、惨いシーンがありました。
日本の戦争の悲劇を一手に引受けたのは沖縄の人たちではなかったかと思い本当に気の毒に思いました。
愚かな指導者は国を滅ぼしますね。
ユネスコ憲章通り世界が動いたらこんな悲劇はおこりません。
人間は下等動物ですね。学ぶこと知らない。
今も戦争の影があちらこちらに見え隠れしています。
怖いですね。 戦争は絶対ダメです。
投稿: ぴえろ | 2019年6月24日 (月) 14時40分
ぴれろさん、こんばんは。
今しがた、手術を終え戻ってきました。返事遅れて済みません。
沖縄戦の動画や写真を見ると胸が痛みます。日本人や民間人は艦砲射撃を避けるために、壕や自然の洞穴(ガマ)に多くの方が身をひしめき合って隠れていました。しかし沖縄戦の後半では一つ一つの壕の入り口をブルドーザーで塞いで、石油を流して火炎放射器で焼き払いながら殺傷していったのです。
この辺りが同じ様に空襲で破壊された他の地域の戦争とは少し凄惨さが違うのかも知れないと想像します。
いずれにせよ、戦争は人間が起こす行為です。ぴえろさんが書かれている様に人間は「下等動物」かも知れませんね。動物達からみたら共食いと同じです。
それでも人間の理性を少しでも信じて生きてゆきたいです。私は戦争を経験していません。これからの子供達にも戦争を経験しないで済んで欲しいと願っています。
投稿: omoromachi | 2019年6月24日 (月) 20時01分
先生、こんばんは。
沖縄の方々の当時の状況は想像を絶するものだと思います。
戦争の犠牲になられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
県民が非難している壕をブルドーザーで塞いで石油を流して火炎放射器で焼き払うなんて残酷過ぎます。そんな恐ろしい事をされたとは初めて知りました。
本土でそんな惨たらしい史実を認識している人はどれ程居るでしょうか。
私も戦争を経験していませんが、戦争がもたらすものは悲劇しかないと思っています。
各国の指導者が自国の利益や権力ばかりを追求せず、常に世界の調和や平和を慮れば、戦争を回避出来るのではないでしょうか。
でも繰り返される戦争やテロの横行、人は学習していないんですね。
本土では広島、長崎と原爆を落とされています。
核も然ることながら武器のハイテク化、高精度化で次に戦争になった時には人類滅亡にも繋がり兼ねません。どうか各国の指導者には冷静になって、もっと平和について真摯に考えて欲しいものです。
投稿: sharon | 2019年6月26日 (水) 20時30分
sharonさん、こんばんは。
沖縄戦だけでなくきっと戦争とはそうゆうものだろうと思うのです。映画などでは戦闘員が住民を守りながら戦う様なことが多く見えますが、戦闘地域での住民は兵士にとっては邪魔にしかなりません。相手が非戦闘員かどうか分からない場合、油断したら自分も殺されてしまうことだってあるのです。
戦争は人を非人間化させてしまうのです。人の優しさなんてなんの役にも立たないのです。 ですから私は戦争になってはいけないと考えるのです。
人間とくに国を動かす政治家は権利欲だけ強い愚かな方が多いのは事実です。敵対して国民を煽る方が票を取れるのです。
もしも戦争になったら国民の多くは否応なしに戦争に駆り出されるのです。 そうならないために日頃から平和について考えて欲しいです。sharonさんと同じ意見です。
投稿: omoromachi | 2019年6月26日 (水) 21時56分