世界を夢みて(134); ベルギー:ゲント(ヘント:Gant)

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沖縄は今日は天気は回復しましたが、熱帯低気圧が台風に発達して四国や近畿では大雨になっている所もあるかも知れません。災害が起きないことをお祈りしています。 今日からは大阪でG20のサミットが行われるようですね。 自分だけ良ければのトップも集うので世界の人類のための共通の話題が処理出来るかは心配ですが、お金や警護をかけて日本に集う訳ですのでよい結果を出して貰いたいものです😅
今週も生け花クラブの皆様が2階のいつもの場所にお花を飾ってくれていました💖
今週の生け花は、深紅の大柄な花のシャクヤクが目立っていますが、スプレー菊がより気品に満ちた白さを放っています。
丸い形をした白い花器の上に乗っている小さな実はナナカマドの実となります。あまり沖縄ではみませんが、東北や北海道、山の散策で見返る広葉樹で、秋には紅葉や実が赤くいろずくので目立って来ます。 東北や北海道では街路樹としても植えられています。 和名の「ナナカマド」はこの木が燃えにくいことより、「7度竈(かまど)に入れても燃えない」ということから来ているそうです。 実際に燃えないかどうかは判りませんが😊
全体の構図からすると、やはり左右の上方にナナカマドの枝を伸ばしたために、こじんまりとせずに空に向かい広がりが出ている気がします。正面だけなく斜めから見るとまた雰囲気も違って来ますね。ワンポイントで紫のリンドウも色彩を豊かにしてくれています。どちらも素敵です💕
<花材:ナナカマド、シャクヤク、スプレー菊、リンドウ>
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今日のFMレキオはこれまでにも何度か放送したビタミンについての第1弾と言うことで話をしました。
今回はビタミンB1欠乏症の脚気について説明します。脚気は今では殆ど診られなくなりましたが、ビタミンB1が欠乏すると、手足のしびれ、動悸、むくみ、食欲不振が現れ、進行すると歩行困難となり最終的には心不全で死亡します。
今では誰もが知っていて、毎日のように見かけるビタミンについてはその存在が発見されてまだ100年しか経ちません。 昔は脚気は日本人にとって結核と共に不治の病と言われていました。 当時ビタミンについては誰も知りませんでしたので、脚気による死亡者が莫大でも、その原因は不明のままでした。 有史以来あった病気でしょうが、皮肉にも脱穀技術が進んだ江戸時代以降急速に増え国民病とまで言われました。
江戸時代、食生活は副食も殆どないのに、ビタミンを始め色々な栄養素を含んでいた玄米の糠や胚芽の部分を取り除き、白米にすることが出来る様になったため悲劇(脚気の蔓延)が起こったのです。
江戸時代の一般的な食事:江戸の初期は1日2食で、中期からは1日3食へと変化しますが、食事の内容は粗食で、一汁一菜でたまに汁に鰯(イワシ)が入る程度で、主食の米に偏った食事となっていました。現代のような栄養素のことなど考える訳でもありませんので、炭水化物偏重でその他の蛋白・脂質・ビタミン・ミネラルは不足している状態でした。それでも玄米や雑穀米のためその中のビタミン等にて救われていました。
江戸時代中期になると脱穀の技術が進んでくるも、当初は一般人ではなく、やはり位の高い人しか食べられませんでした。地方ではまだお殿様でも玄米(胚芽米)でしたし、副食はそれ程多くはありません。
江戸幕府による「江戸上り」が行われると、地方から大名や武士なども江戸の屋敷で生活するようになります。 江戸では、これまで食べたことはない「白米」を主食とすることも多くなります。 それでも副食はタクアンなど質素なものです。 すると次第にビタミンB1が不足しだして「足元が感覚なくなり、食欲低下、全身倦怠感」などどうも体の不調が現れるのです。勤務を終え地方に戻り元の食事を摂ると体調が良くなり、また江戸にゆくと体調が悪くなる・・・ですので当時は「江戸わずらい」と呼ばれるようになったとのこと・・・「恋わずらい」は聞いたことはありますが「江戸わずらい」は聞いたことがありませんでした・・・どうもこれは脚気による症状だったのです。
ビタミンについても知らない時期に白米食が次第に全国に普及し、江戸後期から大正にかけて「脚気」は急速に増大し国民病とも言われるようになります。脚気は明治から大正にかけて日本人の死因の上位を占め、特に日露戦争では戦闘による死者の10倍以上の兵士を脚気で失います。
脚気は昔のことと思われるかも知れませんが、インスタント食品など非常に偏った食生活の学生さんなどで脚気になる方もいますので、今でも気をつけなければならないのです。
今日6月23日は74年目の「慰霊の日」です。沖縄県では太平洋戦争末期の沖縄で組織的戦闘が終了した日を「慰霊の日」と定めています。
沖縄では悲惨な地上戦が行われ、非戦闘員が多数巻きこまれて犠牲となりました(以前のブログにも記載しましたhttp://omoromachi.cocolog-nifty.com/blog/2013/06/post-e44a.html )。
1945年(昭和20年)の4月1日に連合軍は沖縄本島中部に上陸後、日本軍・米軍の兵士だけでなく4人に1人の沖縄県民が命を失う泥沼の組織的な戦闘が6月23日まで続きました。6月23日に牛島司令官が自決し組織的戦闘は終わりますが、その後も7月2日までは連合軍は掃討作戦を続け、最終的な沖縄守備軍の降伏調印式は9月7日を待たなければなりませんでした。
命を失ったのは県民に4人に1人ですが、多くの方がその後身体的・精神的障害を持って生きなければなりませんでした。これまで平和だった島、自分が生活していた場所で長い間沢山の血が流されるのを目の当たりにした県民です。両親・親戚を失った孤児もその後を生きないといけなくなりました。
私にとってはお祖父さん、県立中学生だった二人の叔父さんが犠牲となった戦争でした。おばあちゃん子だった私は何かにつけ「戦争だけはやっては駄目、大切な全てが失われる」と諭されました。おばあちゃんにとってはまだ中学・高校生だった息子がこの梅雨の雨の中を、日本軍の為に、砲弾が降り注ぐ中を壕から壕への通信(食糧や弾薬を運ぶ役目として1番危険な任務)のために強制的に走らされたのです。本土上陸を少しでも先延ばしをするための時間稼ぎに、多くの子供達が爆弾の雨の中で命を落としたのが沖縄戦です。
・・・いつもこの慰霊の日に、叔父さん達のことを思い返します。梅雨の雨の中、泥まみれになりながら、壕から壕へ走らされた10代半ばの子供にとって恐怖はいかばかりだったかと想像します。私は怖くて仕方がありません。
毎年、この日に読み返す「ユネスコ憲章」があります。
戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。
相互の風習と生活を知らないことは、人類の歴史を通じて世界の諸人民の間に疑惑と不信を起こした共通の原因であり、この疑惑と不信の為に、諸人民の不一致があまりにもしばしば戦争となった。
ここに終わりを告げた恐るべき大戦争(第二次世界大戦)は、人間の尊厳・平等・相互の尊重という民主主義の原理を否認し、これらの原理の代りに、無知と偏見を通じて人種の不平等という教養を広めることによって可能にされた戦争であった。
文化の広い普及と正義・自由・平和のための人類の教育とは、人間の尊厳に欠くことのできないものであり、 かつ、すべての国民が相互の援助及び相互の関心の精神を持って、果たさなければならない神聖な義務である。
政府の政治的及び経済的取り決めのみに基づく平和は、世界の諸人民の、一致した、しかも永続する誠実な支持を確保できる平和ではない。よって、平和が失われないためには、人類の知的及び精神的連帯の上に築かれなければならない。
これらの理由によって、この憲章の当事国は、すべての人に教育の十分で平和な機会が与えられ、客観的真理が拘束を受けずに研究され、かつ、思想と知識が自由に交換されるべきことを信じて、その国民の間における伝達の方法を用いることに一致し及び決意している。
・・第二次世界大戦後、世界は平和の道を模索して来ました。しかし次第に戦争の記憶が失われる中で、ユネスコ憲章に書いてあることとは逆行することが世界的に広がりつつあります。
今日は令和初の慰霊の日です。どうかこれから令和の時代も平和であって欲しいと祈るのです。
梅雨の最後のあがきなのか沖縄は土砂降りになったりしていましたが、今日は比較的天気も回復してきました。
今週も2階のいつもの場所に生け花クラブの皆様のお花が飾られています。今週の生け花は、真っ赤な直線的な花器に前方の伸びたストレリチアの存在が極まっています。ストレリチアの穂が鋭く尖っていて切れ味抜群です。
葉材として使われているのは後方の大きな葉は糸バショウで前方側に葉の周囲が黄色みがかつているのがイボタ(水蝋)です。
イボタは初夏に葉を広げる黄緑色の美しい木々で、木が堅くて楊枝や箸などの材料としても使われているそうです。
これは知りませんでしたが、水蝋の木には「イボタカイガラムシ」が寄生して、その虫がだす分泌液を「イボタ蝋(ロウ)」として家具のつや出しなどで使ったり、実際の様々な蝋(ロウ:ワックス)として使用しているそうです。
早く梅雨明けして欲しいと願いながら花々を眺めています。
(今日は病院全体の新入職員の歓迎会です。若い彼らが伸び伸びと成長して、患者に寄り添える医療職になって欲しいと願っています)
<花材:糸バショウ、紫陽花、ストレリチア、イボタ、菊>
金融庁の諮問機関が提示した、老後2000万円問題。自分の年金の額も知らない大臣が都合が悪い(?)報告を受理しない。 あまりにも身勝手で、大問題です。 都合の良いことも悪いこともフェアに明るみにして議論をする中で、よりベストな制度になるように努力するのが政治の義務だと考えるのです。 恣意的なことや忖度がはびこると、疑心暗鬼しか芽生えて来ません。 不安は不安を助長するのです。 日本人は一生懸命働いて税金もちゃんと納めてきたのに「働けなくなった老後も不安を抱えて生活をしないといけない」・・・日本って悲しい国だと思う。
毎年、国連がその国の「所得」「健康と寿命」「社会支援」「自由」「信頼」「寛容」などを要素を基準に「世界幸福度ランキング」を発表しています。
2018年の報告では 第1:フィンランド、第2位:ノルウェー、第3位:デンマーク、第4位:アイスランド、第5位:スイス、第6位:オランダ、第7位:カナダ、第8位;ニュージーランド、第9位:スウェーデン・・・・・第15位;ドイツ・・・第18位アメリカ合衆国・・・第26位:台湾・・・・
・・・・(オイオイまだ日本は出てこないの)
・・・・第46位:タイ・・・・(タイより後、おかしいんじゃない)
・・・・第50位:リトアニア・・・(世界第3位の経済大国日本が50以内にも入らない?、国連の統計が間違っているんじゃないの)・・・・
・・やっとこさ第54位で日本・・・・エッ!! 日本54位・・・・(いやいやこれは国連の策略で日本はもっと上だはず)・・・
上記のような声が日本人から聞こえてきそうです・・・これが現実であることを日本人は認めないといけないと思うのです。ある種の偏った方からは日本を貶めて何になるのという声が上がるのかも知れません。 私はもっと豊かになって欲しいと思い書いているのです。 だって多くの日本人がタイトルに書いたように「真面目に働いて税金も納めたのに老後に不安」って思っているのです。そんな不安を抱えながら幸せって難しいと思うのです。
私が若い頃(30年前)にデンマーク・フィンランド・ノルウェー・スウェーデンを旅行したことがありました。そのノルウェーのオスロで退職したご夫婦がヨットに乗ってこれから1〜2ヶ月間南ヨーロッパまでの船旅に出かける所でした。 二人は退職金の殆どをつぎ込んでヨットを買ったそうです。日本では考えられないことです。 「長年真面目に働いたのだから、退職後は国がみてくれるので、「全財産をヨットにつぎ込んでも不安がない」とのことでした・・・税金が高くても、老後の心配がないのは本当に豊かに生活が出来るんだと感心し、日本もそうなって欲しいと願ったのでした。しかし逆にこの30年で更に日本の幸福度は落ちてしまいました。
前述の一般常識のない大臣が、何年か前に「日本の老人はタンス貯金だけ貯めて、使わないから日本の経済が回らない」と嘆いていました。 それは逆なのです。老後の不安がなければ「タンス貯金も入りませんし、もっと自分の楽しみのためにお金を使うことが出来るのです」
税金が少ないことが幸せではなくて、生活に不安がないのが幸せであることを、日本人も幸福度ランキングの上位の常連国から学ばないといけないと思うのです。
今この様な問題が明るみになったのは、決して悪くないと考えます。与野党を問わず全国民で考え直すチャンスだと思います。憲法を変えるより、国民が豊かになれる制度設計の方が優先事項だと思うのです。
しっかりとした制度設計があれば、ムンクの絵のように「老後の不安」を叫ぶ必要もないと考えるのです😱
2階にあがり、駅舎内にこの様な素敵な「LE ROYAL CAFE」があります。ちょっと写真を撮るだけでしたのでiPhoneでパシャリ、人が入ってしまいましたので一部カットしましたので全体のイメージが湧かないと思いますが、結構広いです。食事も取れますので、時間のある方は試しては如何でしょう
梅雨明けが近い沖縄と思いますが、例年のように梅雨明け近くには大雨になることも多く、沖縄地方も雨の日が続いています。
この様な天気にの中で、今週も生け花クラブのお花がいつも紹介している2階の角の小さなスペースに飾られていました。
紫陽花が梅雨らしい季節感を醸し出しています。今回の生け花は今しがたまで外にあった花を摘み取ってきた雰囲気です・・・と言うのも、写真を色々な方向から撮ったとしても、虫に食われたような葉っぱが写ってしまうのです。 逆に飾り気のない自然のままの雰囲気が出ていて、どこから見ても完璧よりも高感度がましてしまうのです(^_^)。 時々、野菜や果物が形や色で商品価値が下がってしまうことが気になっていました。 たとえ不格好でも味も栄養も変わらなければいいじゃない!と応援したくなってしまうのです😊
<花材:ストレリチア、紫陽花、雲竜柳、小菊>
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今日のFM放送は「腎臓の働きや尿検査の異常」ついて話をしました。このブログでは腎蔵の機能について簡単に説明したいと思います。
腎蔵は後腹膜というお腹の袋(腹膜)より背中側にある左右一対の、そら豆型をした握りこぶし程の大きさの組織です。
腎蔵についてはよく知っている名前だけど具体的には何をする所なのでしょうか?・・・オシッコを作る所、悪くなったら透析になる程度は判っていると思います・・・皆様方(私の😰)も知識のまとめとして簡単に書いてみたいと思います。
腎蔵には大きく次の5つの役割があります ①体の老廃物を処理する ②血圧を調整する ③赤血球を作る調整役 ④体液量・PH(ペーハー)・イオン濃度を調整する ⑤骨を強くする・・・多くの方は①は思いついてもその他は?ではないでしょうか。今日のブログはこれで十分ですが、少しだけ追記します😊
①老廃物を処理する
腎臓は 左右あわせても200〜300g程度しかありません。しかしこの小さな組織に血液の1/4(25%)が流入します。 私達が生きて行く過程で分解されたり、余分に余った物質が血液の中に貯まってしまいます。 この血液の中の不要な物質を濾過して、必要なものは血液に戻して、不要なものはオシッコとして体外に排出する役目が腎臓がになっていることより、この小さな血液濾過装置の中を体の1/4の量が順繰り順繰り回っているのです。 ですから腎臓の中で血液は99%が戻され、1%(おおよそ1.5リットル)がオシッコとして処理されているのです。
②血圧を調整する
②−1:腎蔵には水分と塩分の排出量を調整することで、血管の中の水分の量と塩分の量(浸透圧)を変化させ、血圧を調整する役割があります。血圧が高い場合には、水分と塩分をオシッコに多く出すことで血圧を下げます。逆に血圧が低い場合には水分と塩分の排出量を減らして、血圧を高くするようにしています。
②−2:また腎臓に入る動脈の部分には血圧のセンサーがあり、低い場合には腎臓から血圧を上げるエリスロポエチンというホルモンを出して血圧を上げるようにしています。
③血液を作る調整役
・血液成分(赤血球、赤血球、血小板)は骨髄のなかの細胞から作られるのはご存じかと思います。この中で赤血球の産生をコントロールするエリスロポエチンというホルモンは腎臓から作られます。貧血があると腎臓はこのエリスロポエチンというホルモン出すことで骨髄での赤血球を増やすようにして、貧血を是正してゆきます。 貧血などで一番多いのは鉄欠乏性貧血で鉄分の摂取が足りなかったり、女性で生理などで血液成分が失われる場合によく見かけますが、鉄分を摂取すれば比較的簡単に貧血は改善しますが、腎臓が悪くなると、エリスロポエチン産生されなくなり、腎性貧血になる場合もあります。
④体液量・PH(ペーハー)・イオン濃度を調整する役目
私達は普段水分を何リットル飲むかどうか、決めずに喉が渇いたら飲んだり、時には飲み過ぎになるほど摂ることがあります。しかし腎臓が正常ならとった水分の量の合わせて尿の量をコントロールして体の水分量を調整しています。また体の酸性・アルカリ性のバランスやナトリウム・カリウム、カルシウムなどのイオン濃度も調整してくれています。
⑤骨を強くする作用
カルシウムの体内への吸収を促す、活性型ビタミンDは腎臓で作られます。ですので腎臓が悪くなると、骨粗鬆症にもなりやすくなってしまうのです。
腎臓って小さいけど沢山の機能を担っている大切な臓器です。普段から水分をとる塩分を控えるなど腎臓に負担をかけないように意識していきましょう✌️
昨日は久々にギターを弾いて録音、この曲も遠い昔の記憶に残っている曲でした。昭和40年に加山雄三さんが唄って大ヒットした曲で映画にもなっていたそうです(私の記憶にはありません)。 当時小学校の低学年ですので加山さんにも興味もありませし、その後もアイドルなどにも興味がなくすごしていました。ただ音楽は好きでどのジャンルの曲も聴いていました。いわゆる当時の歌謡曲は年の離れた従兄弟のお兄さんやお姉さんが聴いたり歌っていたのを覚えていたと思いますし、フォークソングなどは兄や姉からの影響をうけました。
「君といつまでも」の曲に関しては作詞の岩谷時子さんの名前で覚えています。従兄弟が持っていたレコード?の表紙に、やっと漢字を覚えたての頃に、「岩」「谷」「時」「子」と読める字があったことが嬉しかったことを思い出します。
更にこの頃の岩谷時子さんは多くの作詞や外国の歌詞を日本語に訳されていて、接する機会が多く印象に残っていたかも知れません。越路吹雪「愛の賛歌」「ラストダンスは私に」「サン・トワ・マミー」、ザ・ピーナッツ「恋のバカンス」、岸洋子「夜明けのうた」、弘田三枝子「夢見るシャンソン人形」、園まり「逢いたくて逢いたくて」佐良直美「いいじゃないの幸せならば」、ピンキーとキラーズ「恋の季節」・・・などなど
あの頃の唄には純粋に希望に燃え、明るかったり、時には激しい情熱が隠された歌詞が多かったように思えます。
映画の影響でしょうか、当時の曲には時々、セリフが途中に登場します。この曲も途中に加山さんが話すセリフがありますが、私が喋ると気持ち悪いだけ😵ですので止めておきます。 一応セリフはこんな感じ「幸せだなァ 僕は君といる時が一番幸せなんだ 僕は死ぬまで君を離さないぞ、いいだろ」 ・・恥ずかしくて喋れません😓
宜しければ、セリフはカットした私のバージョンの弾き語りを聴いて下さいね😉
那覇市は今日も比較的天気が良くて、太陽が眩しいです。それに30度と夏日になっています。早くも日本列島は暑い日となっている所も多く、この先の7月8月の気温が気になってしまいます。
やや赤みがかった茎から対象的に伸びる枝とその紫の蕾が美しいのですが、この花がどの名前か判りませんでした😂 生け花クラブが書いてくれた名前には「ブルティア」となっていたのですが、検索できませんでした。 まあ名前は兎も角としてこれが在るために、今週の生け花がエレガントに見えたのは確かです。
カラーの深紅も落ち着いていますし、グルクマも青系統の葉材と相まって落ち着いています。後方には黄色のシンビジュームと小菊がありますが、黄色の膨張色の割には柔らかい雰囲気を出すにとどまっています。丸い花器の使い方も絶妙です。
沖縄では旧暦の5月5日にハーリーが行われます。ハーリーは航海の安全や豊漁を祈願して、沖縄の伝統的な船のサバニで競漕を行う行事で、これが行われると沖縄では梅雨明けが近いと言われています。 これまではあまり大雨はありませんでしたが、梅雨の最後は土砂降りになることもありますので、梅雨明けまでは用心ですね。
<花材:ボルティア?、クルクマ、シンビジューム、小菊、カラー>
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今日のFMレキオは消化性潰瘍について話をしました。このブログでは消化性潰瘍の治療の変遷について書きたいと思います。
歴史上、消化性潰瘍と思われる症状や治療の記載は、ヒポクラテス(Hippocrates:紀元前460年)の時代と言われています。 近代的な治療は1700年代後半からで、1800年代には消化性潰瘍の原因として胃液の研究が進み、塩酸やペプシンなどの過剰によるもの、胃の粘膜の血流障害説、迷走神経や自律神経失調などのストレス説など、現代に医療と結び付く説が学会で議論されるようになりました。
1963年に様々な意見を集約した形で攻撃因子と防御因子の破綻が潰瘍の原因とした説が認められ、現代まで支持されています。消化性潰瘍の原因を天秤にかけた状態でバランスが取れていたら潰瘍にならないが、何らかの原因で攻撃因子側に天秤が振れたときに潰瘍になるというモデルで、解り易いため現在でも説明に利用されています。
上の図のうち、潰瘍の治療薬の中心となるのは主に攻撃因子を防ぐことになります。
胃酸過多により胃痛や胸焼けなどの諸症状がおこり、内視鏡的観察では胃炎、潰瘍、逆流性食道炎などと診断されます。
<ここで胃酸の分泌が起こる仕組みについて書いてみます>
胃酸の分泌には「アセチルコリン」「ガストリン」「ヒスタミン」と呼ばれる神経伝達物質が主に関与しています。胃の粘膜組織にはこの神経物質を感じ取れる受容体が存在し、これらが出ると胃酸を分泌させる「プロトンポンプ」に作用して「胃酸の産生」が起こります。 これらの神経伝達物質は単独あるいは関連し合い胃酸の分泌を促進します。
例えば、空腹時に美味しい匂いを嗅ぐと「アセチルコリン」の分泌が起こります。アセチルコリンは胃の蠕動運動も促進しますので、「胃がグ〜」と動き出します(→側の人からも「お腹減ったの」と言われてしまいます😃)。 唾液の分泌も胃酸の分泌も促進されます。 今度は胃に食べ物が入ると、その刺激で胃壁から「ガストリン」が分泌されます。 アセチルコリンやガストリンは更に胃粘膜の細胞に作用して「ヒスタミン」を分泌させます。
この3種類の神経伝達物質は最終的に胃酸の分泌を起こす「プロトンポンプ」に作用して、胃酸が分泌されるのです。
<次ぎに、胃酸の分泌が起こるメカニズムが判ったはずですので、治療薬の話を続けましょう>
昔は胃酸の産生を直接抑制する薬はなく、潰瘍の治療は酸を中和する制酸剤と胃の動き等を抑える抗コリン剤が中心で、大きな潰瘍に関しては効果が少なく、長期入院や手術が必要でした。
しかし1982年に開発された潰瘍治療薬のヒスタミンH2受容体拮抗薬(H2ブロッカー:商品名としてはガスターが有名でしょうか)が開発され、これはそれまでの薬と比べ画期的な効果をもたらすことになります。
更に最近では、最終的に「プロトンポンプ」が胃酸の産生に関わることより、回りくどいことはせず、直接この「プロトンポンプ」の受容体をブロックしてしまう薬(プロトンポンプ阻害薬:PPI)が開発され、現在では潰瘍や逆流性食道炎の治療薬の中心となっています。
この薬が一般的に普及した1980年代後半からは、潰瘍による手術症例は激減し、今では出血、穿孔、狭窄の場合で内視鏡的な治療が効果がないと判断した場合に手術がおこなれています。 私より上の世代(70歳以上)の外科医は私達や更に若い世代よりも何十倍も胃・十二指腸潰瘍の手術を経験されています。 最近では更に胃酸の産生抑制効果の強いPPIが臨床で使われるようになり、大きな潰瘍も外来で治療可能となっています。
更に潰瘍と関係が深いピロリ菌の発見により、除菌療法も新たな治療として加わってきました。私がたかだか30年数年外科をやっているだけで潰瘍の治療も劇的に変化してきています(勿論その他の治療も劇的に変化してきていますが・・)。 医療が今後も進歩することで、様々な治療法が出てきたらいいなと願っています。 それでもやはり医療の中心は人です。 これからも禿げたオヤジ(←私です)はオヤジなりに頑張っていこうと思うのです
ピロリ菌は胃に住み着いて胃粘膜に慢性の炎症を起こすことより、萎縮性胃炎、胃潰瘍、胃がんなどの様々な病気を引き起こすために、ピロリ菌陽性の場合はまず除菌療法を行い、その他の治療を組み合わせます。
1867年まで印刷業に使用されていた建物は、その建築的価値と当時のヨーロッパ最大の印刷出版工房の生活と仕事の完全なる例証であることが評価され、2005年に世界文化遺産に登録認定されました。また同博物館所蔵の古文書は、2001年にユネスコの記憶遺産として認定を受けています。
最近のコメント