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前回のセビージャ観光の続きです。街のメルクマールとなるカテドラル・ヒラルダの塔を回り、アルカサル庭園の横を歩くとセビージャ大学があります。歳学にも沢山の庭園があるのですが、その横にも緑の生い茂ったマリア・ルイサ公園があります。その道を更に進むと目指すスペイン広場があります。 まあスペイン広場はイタリアにもありました、マドリッドにもあります。
木々に囲まれた公園ですので、熱い日差しを避けてはくれますが、8月に旅行した方から連日40度を超える暑さで、日中行動するのが辛かったと聞いています。真夏の旅行は気をつけないといけないかも知れません。日本のように湿度がないのでまだいいのでしょうが・・?
セビージャのスペイン広場はかつて宮殿の一部だった公園を、1929年開催のイベロ・アメリカ博覧会の会場として再開発された場所となります。
公園を通り門をくくり抜けると、大きな装飾タイルが目を楽しませてくれます。その中に入ると本当に美しい広場だと確信します。
建築家のアニバル・ゴンサレスが手がけた、半円形の建物のが美しいです。
この建物は沢山のアジュレージュ(絵タイル)に覆われ、本当のどれも美しいです。いくつもある区画はそれぞれにアンダルシア各州の紋章と歴史的な出来事や特徴を描いたタイルアートで構成され、観ているだけでも美しく飽きの来ない空間となっています。世界一美しい広場と言う方もいるほど本当に綺麗です(まあ、世界には沢山の「世界一美しい広場」というのがありますが・・・・まあどれも美しいです
)。
その広場にはボートも楽しめる池が巡らされ、ため息が出る程の美しい空間です。
この美しい広場は映画のセットでも使用されて、「アラビアのローレンス」ではイギリス軍が駐屯するカイロのホテルとして使われていますし、「スター・ウォーズ:エピソード2」ではアナキンとパドメがナブーに到着したときにR2-D2を従えて歩いた回廊のシーンで使われています。
もし、これらの映画をご覧になることがありましたら、このスペイン広場を思い出して観て下さいね。
スペインまだまだ美しい場所が沢山です
ジブラルタを後にして 海岸を西に北上すると、スペイン第4の都市セビリアに入ります。Sevilla を日本語でセビリアと書いたり、セビーリャ、セヴィージャと書いてあったりする場合もあり唯でさえ混乱するスペインの地名がこんがらかってしまいます。
おそらく日本ではビゼーのオペラ「セビリアの理髪師」が有名となり、その為「セビリア」と呼んでいる気がします(根拠はありませんが)。実際にスペイン人に聞くと「セビージャ」が一番近いとのことです。(日本でおなじみのパエリアPaella もスペイン語で「lla」はジャと呼ぶことが多ので「バエージャ」が近いのと同じ様です:スペイン語は全く知りませんが、ガイドさんが教えてくれました)
この都市は紀元前から港湾都市として栄え、アラブの支配、その後の大航海時代に貿易港として栄え、街並みの豪華さ、美しさでも特記すべき場所となっています。
街はローマ時代に遡り西ゴート王国の首都として栄えますが、ジブラルタル海峡を渡ってきたモーロ人によって700年代から500年間イスラムの支配下となり、経済的にも文化的にも栄えます。この時代の建物が街を形作っています。
国土回復運動によってイスラム勢力が衰退する時期と相まって、コロンブスが新大陸を発見します。 コロンブスはアメリカ大陸を最初はインドと勘違いしていました。 これが新大陸だと証明したのはセビリアで船団を率いたのがアメリゴ・ベスプッチ(イタリア人)でした。当時良港として栄えていたセビリアから軍団を率いて、コロンブスが達したのはインドではなくて新大陸であることを証明します。
コロンブスが初めて新大陸を発見したのでのに、彼はインドだと思ったまま、この世を去ります。コロンブスが航海して辿り着いたのはインドではないことを証明したのがアメリゴ・ベスプッチだったために、彼の名前を記して「アメリカ大陸」と呼バレるようになったのです。
まあ、名前はさておき、その為に新大陸との貿易独占権を確保します。この莫大な富によってセビリアはヨーロッパで最強の地位と財を手に入れるのです。 その為、新大陸発見後、さらに街自体が拡大し繁栄したのです。
その富を象徴するのが、カテドラルです。なんたってその建築の発想が凄いです。勢いがあるのはこうしたことでしょうか。「後世の人々が我々を正気の沙汰ではないと思わせるほどの巨大な聖堂を建てよう」と1401年の教会参事会で決定しするのです。この基礎はイスラム時代に作られたモスクの跡地を利用して奥行き116m、幅76mの巨大な教会が出来上がります。 スペインで最大の教会で、ヨーロッパの聖堂としては、バチカンのサン・ビエトロ寺院、ロンドンのセント・ポール寺院に次ぐ大きさだそうです。
確かに大きいです。周囲を歩くだけでも呆れる程大きいです。 ひときはそびえ立つのが高さ97mのヒラルダの塔です。 この様な形、アンダルシア地方でよく見かけます。 これも12世紀にモスクのミナレット(礼拝などの時間を告げる場所)を利用して造られたからなのです。
塔に天辺に聳えるブロンズ像が風を受けて回転することより、ヒラルダ(風見)と呼ばれる所以だそうです。風見鶏ではなくて女神像です。 この大きさにもビックリします。 このブロンズ像は高さ4mでなんと重さは1288kgもあるそうです。 こんな重いのが風を受けて回るなんて信じがたいのですが、実際に回るようです
今回の旅行では内部には入る時間がなかったので、24年前の内部の写真を載せて置きます。
内部は天井が高くステンドクラスや王室の礼拝堂などが眼に止まります。
ここカテドラルで有名なのが「コロンブスの墓」です。スペインに莫大な富をもたらしたコロンブスですのでここで丁重に葬られています。コロンブスの墓を担いでいるのは当時のスペインを構成した、レオン、カスティーリャ、アラゴン、ナバーラの国王達です。
カテドラルの展望台まで昇った記憶が全くなかったのですが、どうやら24年前には登ったようです(国会答弁とは違い、記憶より記録(写真)の方が正しいようです)
カテドラルの展望台(高さ70m)からはカテドラルの全体像やセビージャの街が見渡せます(24年前の写真をスキャナーで取り込んでみました)。
何故、都会のこんな小さな庭にメジロが巣を作るんだよと呆れながら、本当は嬉しいメジロの営巣なのです
メジロは巣作りから巣立ちまで本当に音を立てませんし、子育て中の雛の糞も親鳥が口に加えて他の場所に捨てるために、巣があっても全く気がつきません。(以前の動画はここからご覧になれます→https://www.youtube.com/watch?v=H75Zj69Xktc )
今年も花壇に水をやろうとして、見上げた直ぐ近くに、真新しいメジロの巣が作られています。 そうなるともう我が家は大変(?)です。 巣立つまでの期間、カーテンは開けられないし、外灯もつけられません。 とにかく家の主は静かに過ごす3週間となるのです(普段通りしていても大丈夫と思うのですが、それでも折角の営巣を邪魔する訳にはいけません)
10年程前に初めてこの木でメジロが巣作りをしているのを発見し、その後毎年のように巣を構えていました。1度この木が大きくなりすぎて途中から切ってしまい、その年には巣を作りませんでした。しかしその後また毎年のように巣作りをしています。 メジロの寿命は3〜4年と言われていますので、違うペアか、この場所から巣立った子供達がここで巣を作ってくれたらいいなと想像しています。
如何せん、低い位置にありますので、2階から見下ろすと丸見えですが、巣作り以降はこちらのカーテンは開けれません。なるべく遠くの窓より、カメラだけ出して望遠で撮影です。 10日ほどすると雛が孵ったようで、少し慌ただしくなります。しばらくすると雛が首を伸ばしてエサを貰うために、確認出来ます。 例年3(〜4)羽なのですが、今年は2羽のようです。
最初は羽が生えずに真っ赤な皮膚で、目も開いていません。その後は日に日に羽が生えて来、親からの食べ物も最初は水様の液を吐き出して与えているようですが、その後は次第に大きな昆虫や実などを一気に飲み込んでしまいます。
思ったよりもメジロの巣立ちは早く孵化から12から14日程度では巣から飛び出るようです。毎日観察したいのですが、仕事もあるので、何時もは巣立った後のもぬけの殻をみて、無事巣立ったということを気づくことが殆どでした。
今回は何と、朝起きたら1羽が飛び出し、もう一匹が飛び出す直前の写真が取れました。出かける示度をおえ、仕事場に向かおうとしたら、何と隣とのフェンスに小さなメジロ達が・・・慌ててカメラを取り出して、撮影に成功。親鳥と比べると毬のような感じですが、精悍な面構えですのでこれから試練を乗り越えてくれるでしょう。
メジロの親子の懸命さを感じながら命の大切さを教えて貰えるひとときでした
3度目のスペインで初めて訪れるジブラルタル、いったいどんな感じだろう? 中学の教科書から時々出てくるジブラルタル海峡、スペインの南の先端に飛び出したイギリスの海外領土・・・初めて訪ねる地にワクワクとしてします。
対岸はアフリカ大陸となる6.5キロ平米の小さな土地に3万人のイギリス国民が暮らしていいる街。経済的にはイギリス軍の駐屯地として成り立ち、ジブラルタル港が中継地として使用されたり、船舶の給油や造船業も盛んな土地、それでも自立するほどの経済圏ではないとのことをガイドさんが話していました。
今回私の方はロンダから小高い丘が繋がるスペイン南部アンダルシアの地方の山道を眺めながら進むと、途中からは次第に下って行きました。暫くすると、ジブラルタルのシンボルとなる高さ426mの巨大な一枚岩のザ・ロックが見えて来ました。
ヤシ並みが両サイドに植えてある如何にも南国の雰囲気のスペイン側でバスを降り、横断道路を渡るとジブラルタルとの国境に近づきます。 国境の近くは撮影が禁止となるため、残念ながら国境の通過は写真に収めることが出来ませんでした。
国境ですので、スペイン側とイギリス側にそれぞれ各々のパスポートチェックがあります。その対応の違いが実におかしいです。 スペイン側はジブラルタは我々の領土であるので「自分のところに入るのになんでチェックするの」という感じです。ですので一応パスポートは提示しますが、ほぼチェック無しです。
その小さな建物を出ると、直ぐにイギリス側のパスポートチェックと、荷物のチェックがありますが、ここはイギリスに入国とのことでちゃんとパスポートをみて通してくれます。アングロ・サクソンとラテンの気質の違いではなさそうです
それでも時間もかかりません。外に出ると、ここはイギリスとなります。
ヨーロッパの最南端イベリア半島のほんの僅かの場所ですので、イギリス領だとしても、車は他のヨーロッパ諸国と同じ様に左通行となっています。これは事故の防止のようです。この辺りは冷静です。
ここまで来るとやはりロックの岩肌が間近に迫って来ます。凄い迫力です。 小さなバスに乗り市内を走り、展望台に昇るロープウェイに向かいます。窓の外に小学生や高校生が歩いていたりしています。ここは高校までしかないため大学に進む場合はイギリス本土に渡らなければならないそうです。
これまで意味が読み取れないスペイン語からここでは英語表記となっていますので判りやすいです。止まっていた救急車も英語表記で英国と同じ仕様となっているとのことです。
ロープウェイは往復で大人で14.5ユーロ(約1900円)ですのでやや高い気もしますが、ここまで来たら乗るしかありません 殆ど待たずに乗れました。 結構急なロープウェイですが、眼下に広がる街並みやジブラルタル湾の展望が素晴らしいです。 面白いのは小さなチケットの裏に山頂で使えるWi−Fiのパスワードが書いてありました。余り長居しないので必要ありませんが・・・
展望台に着くと有名なザ・ロックの風景のある北向きに進みます。この日は天気も良く素晴らしいです。ここまで来た価値がありました。ここからはジブラルタル湾、スペイン方面、右は地中海と眺望が開けています。もう一つのジブラルタルの名物のお猿さん達も出迎えてくれています。 何処の国も猿もそうですが、エサなどを持っていると追いかけられます。食べ物を持たない、バックなどは前にちゃんと持ちさえすれば危険は少なくなると思います。
南側の展望台に移ると、今度はジブラルタル海峡を挟んでアフリカ大陸が見えて来ます。何となく地の果てまで来た気がして来ました。 素晴らしい景色です。海峡には大きな船舶が何隻も列をなして走行しています。この地が軍事的な意味合いもあってイギリスとスペインの領土問題になっているのも肌で感じることが出来ました。
ジブラルタルのロック周辺の多くは自然保護区となっていて貴重な動植物や渡り鳥などが暮らしているそうです。その中で1番目立っているのが猿になるのですが、ヨーロッパには猿は住んでいませんので、ヨーロッパで唯一猿が住む場所となっています。元々はアフリカから持ち込まれた猿が繁殖して現在250頭ほどが生息しているようです。いつしか「猿がいる限りイギリスの統治は続く」という伝説が生まれたために手厚く保護されているようです・・・・そう言えばイギリスを旅行した時にロンドン塔とカラスの関係を思い出しました。ロンドン塔では大切にカラスが飼育されています。これは「カラスがいなくなると、ロンドン塔もなくなり、英国も滅びてしまう」という伝説に基づいてだそうです。ジブラルタルとお猿の関係を似ています。イギリス人はこの様な言い伝えが好きなのでしょうか?
ザ・ロックを下りてジブラル半島を南下すると南端の岬の灯台がみえて来ます。この先はジブラルタル海峡で向こうはアフリカ大陸です。
壮大な景色の中で、教科書の中にあったジブラルタル海峡をみながら、感慨にふけってしまいました。旅行ってやっぱりいいいな!
1999年の作品で、伊勢正三さんが山本潤子さんのために作った歌だそうです。
伊勢正三さんは大分県の生まれで、おそらくその詩の中にある「みかんの花」と眼下に広がる海を見て育ったのだと思います。伊勢さんの原風景がその詩に含まれていると考えています。
きょうのFM放送は首や肩、手の痛みについて話をしました。
ブログでは「胸郭出口症候群」について記載します。私が学生の頃に重いリュックを担いで山に登ることがありました。その時に1度、2〜3日目から左手のしびれ感が出てきた、おかしいなと思いながらもそれ程ひどくもなく2〜3ヶ月で消失しました。
整形外科の臨床講義で、この「胸郭出口症候群」が出た時に、リュックサック麻痺とも呼ばれる病態を習い、初めて昔経験した左手の違和感はこれだったのだと学んだことを思い出しました。
長い間同じ姿勢でキーボードを叩いたり、猫背の姿勢でスマホをずっと見ていたり、あるいは長い間つり革に捕まったり、物干しの時など、あるいは私のようにリックサックを腰で支えるのではなくて、肩だけで背負ったため、肩当により鎖骨が押し下げられ、上肢のしびれや肩や腕、肩甲骨周囲の痛みを生じることがあります。
症状としてはしびれ感だけでなく、鋭い痛みの時もあります。しびれ、ピリピリ感などの知覚障害、手の握力低下や筋肉の萎縮などや細かい動作がしにくいなどの運動麻痺の症状が出るときもあるのです。
腕にいく神経(運動神経、知覚神経)や血管(動脈、静脈)の主なルートは鎖骨の後ろ側と胸の肋骨の前面の僅かな隙間の部分を通ります。左の図を見て欲しいのですが、要は鎖骨と肋骨の間を通るために、その間で押されるような状況になれば、神経も血管も圧迫されて異常が現れるのです。
そのように胸郭から出るところで神経や血管が圧迫されて様々な症状が出るために「胸郭出口症候群」と名前が付いたのです。
なで肩の女性、重いものを持ち運ぶ労働者、1日中スマホ姿勢で操作をしている肩やキーパンチャーなどで、手のしびれや違和感、運動障害などが出ればこの病気を頭の隅に置いていた方がいいと思います。
同じ症状を起こす病気は沢山あります(頸椎椎間板ヘルニア、頸椎症など)ので、このような症状があれば1度整形外科を受診されて、診断をつけて貰った方が良いかも知れません。
私の場合はこれまで自宅と病院の行き帰りが殆どの生活。思い切って休みを取る時には、ヨーロッパに出かけることが多いため、足元の沖縄のことを殆ど知らないで過ごしています。
この連休中に朝7時前に家を出て沖縄本島北部に向かいました。高速に乗るのも1年ぶりです。車にETCが付いているのですが、1年に1回程度しか使いませんので、毎回ちゃんと開くかどうかが不安にもなってしまいます
連休中は北部へ向かう車で昼前には大渋滞となります。今回出かけたのは沖縄本島北部の備瀬という集落です。福木の街路樹が繁茂する昔の面影を残す集落で、海洋博会場の近くにあり、対岸には伊江島がみえる綺麗な所です。
この場所を訪ねるのはおそらく20年ぶりだと記憶しています。 いまでは随分と整理されて、水牛が牽く観光牛車やレンタサイクルもあり、だいぶ変わっていました。素朴さは無くなりましたが、その分整理が行き届いていました。
この集落はサンゴ質の石垣や暴風対策として防風林として福木が家の周りに植えられ、白い砂地の道路を木々の葉が覆い被さるような自然なトンネルとなっています。 福木は常緑高木で樹皮は黄色染料として使われています。 昔の沖縄や離島の島々の面影を残しています。 まだ暑くはありませんが、真夏だとこの木陰はとても爽やかな風を運んでくれるのだろうかと想像しました。
その細い道には、食事が出来たり、コーヒーを楽しんだり、小さな貝の細工などを売っているお店もありました。 直ぐに綺麗な海岸もあることよりペンション風のリゾート宿泊施設も何軒か点在していました。 何処も同じなのですが、私が子供の頃から訪ねた、慶良間諸島、石垣や西表も本土からの移住者が沢山いて、島や地域の魅力を発信しています。 この備瀬地区も道で会った方と会話しても、その方を含めて「本土から移り住んだ方々が沢山いますよ」とのことでした。 都会の喧噪から逃れてリタイヤ後はこのような場所で過ごすのもいいのかも知れません。
緑の小道を散策し海岸沿いに向かいます。急に目の前に海が広がります。対岸には尖った岩山が象徴的な伊江島が見えます。 なんと言っても海が透き通って綺麗です。 この日はやや曇り気味で、太陽の日差しは強くないのですが、それでも海の色が光の強さや海の深さによって違いが鮮やかです。遠くでは海と空が1つに溶け合うような景色です。
子供の頃に見た海の色がここにはまだあります。沖縄も次第に美しい沿岸が埋め立てられています。 開発(あるいは基地建設)で美しい自然が消えてゆくのは寂しく思えてしまいます。 これからもこの豊かな海が残ってくれることを希望しながら、12時には那覇へと帰りました。もう一般道路も高速も北に向かう道路は大渋滞でした。
今日で5月の連休も終わりです。鈍った身体を鍛え直して明日から頑張りましょう
ゴールデンウィークも後半となり、沖縄地方は天気が回復してきました。行楽地は一杯となり子供達の歓声も聞こえていると思います。
一方病院の方は未だ麻疹の終息が出ていませんので、面会者などの制限を続けている状況となっています。
今週は生け花クラブがないかと思っていたのですが、いつもの2階にお花が飾られていました
黒い花器に、圧倒的な大きさのシャクヤクの花が目立っています。
そういえば「立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花」ていう言葉を聞いたことがありましたね。 それぞれが1番綺麗に見える状態を指しているのでしょうが、女性の美しさにたとえる場合もありようですね。
確かに、芍薬は多年草で枝がすっと伸びて花が咲きますので、立ち姿がいいでしょうし、一方牡丹は花木で枝分かれして横に伸びて綺麗なことより座る姿勢にたとえたのかも知れませんね。 百合は屋外で咲きほこる姿が美しいのでそのようにたとえたのでしょうか? 関連が在りそうでないような組み合わせが気になってしまいますが・・・
小手毬の枝が前方に伸ばすことで、芍薬の花だけが目立つことを抑える効果がありそうです。それによってバランスが良くなっていると感じます。そしてす〜と伸びた菖蒲が愛らしいです。
花器の上に乗った小菊や後方の背景を作っている千年木は脇役に徹しているようです。
残りのゴールデンウィークも皆様、楽しんで下さいね
<花材:芍薬、菖蒲、小手毬、小菊、千年木>
あの大戦で、多くの国民が亡くなり、国土が焦土となることを経験した私達日本。日本だけでなく世界中の人々が戦争はもうこりごりで、世界の恒久平和を希望したはずです。
日本は戦後、戦前の反省から世界的にも画期的な積極的平和主義を打ち出し、憲法にも盛り込まれました。
私は沖縄に生まれ、戦争を生き抜いた両親や祖母などを通し、戦後の米国支配下での経験を介して平和とはどれ程貴重であり、それを維持するのは戦争より困難であることを肌を通して分かっているつもりでいます。
第二次世界大戦を経験した世界中の殆どの人々は敗戦国であれ、戦勝国であれ、もう2度と戦争はしたくないと考えたはずです。
しかし、人間はまだまだ未熟です。記憶が薄れ、自分で経験しなくなると、悲惨な戦争を想像できずに、少しでも他者が自分の意に反すれば力ずくでねじ伏せようと考える人が出てくるのです。
世界が混沌とする中で、政治家が他国と比べて自国の優越性を訴えると、私達も優越感に浸って引きつけられてしまうのです。次第に冷静さを失い、盲目的にそのような訴えを信じてしまうのです。
戦争は為政者同士の交渉の失敗によって起こります(もちろん狂人的な支配者に因っても起こりますが)。 憲法は偽政者が勝手な判断が出来ないための大きな足かせとなります。 自衛隊についても多くの国民に認知されていますし、存在を否定する方は少ないと思います。 自衛隊を明記するために憲法改正が必要なのでしょうか?
変える必要もない憲法に対して、戦後他国から押し付けられたからとか、制定後時間が経っているとかで「変えないといけないような雰囲気(空気)」に飲み込まれている気がしています。
何故いま憲法を変えないといけないのでしょうか? 本当に変えないと不都合があるのでしょうか? この憲法のお陰で、私達の生活で何か不自由なことがあったのでしょうか?
新しく取り入れたいことがあれば立法で足したら十分成り立つのだと思うのです。
政治家にとっては不自由さはあっても国民からこの憲法は不自由なのでしょうか? 政治家のための改憲なら必要ないと思うのです。 改憲よりもっとやることが山積している日本の現状だと思えるのです。
今一度、改憲の議論の前に、憲法の重要性を考えないといけないと思う「憲法記念日」です。
今日のFM放送はゴールデンウィークにお出かけの機会も多いと思いますので、虫刺されについて話をしました。軽いものから重篤なものまで様々な状態を引き起こしますが、多くは痛みと痒みが主の症状となるようです。
虫刺されによる分類としては①刺されると痒みを引き起こす場合:蚊、ダニ、ノミ ②刺されると痛みと痒みが起こる場合:アブ、ブヨ ③刺されると痛み、ショック症状を引き起こす可能性がある場合:蜂、ムカデ ④触れると皮膚炎を起こす場合:毛虫など
沢山ありますので、それぞれの対処法を調べて置くことがこれからの屋外で楽しく凄くことが出来ると思いますので、お出かけの前にネットなどでチェックして下さいね。
さてさて、今日のブログは何を書こうかと思ったのですが、子供の頃を思い出したので、少しローカル色が強いのかも知れませんが、「蛍光灯虫」について書いてみたいと思います。
田舎に住んでいると色々な虫がいて何らかの原因で虫刺されになることがありました。
特に、朝起きたら顔などに線状の火傷のような痛がゆい水疱を造ることがあり、私の田舎では「蛍光灯虫」と呼んでいました。地方によっては「やけど虫」と呼んでいる所もあるとのことです。
この「蛍光灯虫」の正体が分かったのは医学部に入ってからでした。これは「アオバアリガタハネカクシ」と言う小さな昆虫によるものだったのです。
体長7mmほどの小さな虫で、体の上をはっても問題ないのですが、夜中に体の上で動くと無意識に手で叩いたりして潰してしまったりしてしまいます。この虫の体液は有毒物質のペデリンを含んでいます。
ペデリンは直後に痛みが来るのではなくて、数時間して(朝起きたあたりから)から火ぶくれのような炎症を起こします。大体は掻いて引きずってしまうために、この体液も線を引いたように体に残ります。 ですので朝起きたら顔や体部に線状にミミズ腫れになっていることに気が付くのです。何が原因で起こったのか分からないままなのです かなり痛いです。
今思えば、昔「蛍光灯虫」と言われていたのは「アオバアリガタハネカクシ」が原因だったのです。 決してヤモリの尿で起こるわけではありません。
アフリカ大陸以外には生息しているとのことですので、この虫による線状の水ぶくれを経験した方もいらっしゃるかも知れませんね。 上のような虫が皮膚に止まっても叩いたりしないで、そっと逃がして下さいね。
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