東日本大震災から7年目
あの大震災から7年目の3.11がやって来ました。
本当に未曾有な震災で、直後に起きた津波の破壊力、その後の原発のメルトダウンによる放射能により未だふるさとに帰れない多くの方々。
何も罪のない被害者がうけたその後の差別、健康被害・・・幾十の苦難に立ち向かって今を生きている方々が未だに多くいらっしゃいます。
時は川の流れのように戻ることはありません。私達は川の水の流れのように、沢山の場所から集まって一つになり、そして別れてゆきます。海へとなり世界中の全てのものが混ざり、そして水蒸気となって大地を潤し、川となってゆきます。その中に身を委ねることしか出来ません。
時は流れます。しかし記憶は後戻りが出来ます。その記憶のよりどころにふるさとがあります。その故郷をバカにしたり非難する方もいます。福島にしてもそうですし、私自身の住む沖縄に対しても自分と異質なものとして排除しようとする方も中にはいます。
故郷を変えることは出来ません。それは自分自身の存在を否定してしまうことになりかえないことなのです。
どこで生まれようが、どの肌を持っていようが、どの民族、どの宗教、どの言語を話そうが、私達は何も変わらないのです。全てを含んだ海の水が水蒸気となってどこに降り注ぐかは誰も知りません。それと同じで私達は偶然この地球のこの場所で生まれただけなのです。
私はあの東北大震災の時に沖縄に居て、地震も感じず、何も変わらない朝を迎え仕事をしていました。
しかし同じ時間に沢山の命が奪われ、故郷をなくした方々が沢山いたのです。その後も放射能事故のせいで一生故郷にも帰ることが出来ない方々も沢山いるのです。
地球の何処かで誰かに起こったことは私自身にも起こり得ることです。
今年も3月11日が訪れました。きっと今日の海は何事もなかったように穏やかに人々を迎えていると思います。また新たな気持ちで東北大震災で犠牲になった方々のご冥福をお祈りし、経験した方々の胸の内を想像したいと考えています。
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omoromachiさん、こんばんは。
あの日社内で揺れを感じ、外の電信柱が大きく揺れるのを見てTVを付けたところ、
この世の物とは思えない光景が目に飛び込んで来て、大地震のみならず津波の驚異を思い知らされました。
大勢の方が犠牲になり、原発も収拾がつかないままでゴーストタウンのようになってしまった町も・・・
残された方々も想像を絶する思いをされた事でしょう。
南海トラフ地震もいつ来てもおかしくないと言われていますので人事ではありません。
犠牲になった方々の御冥福をお祈りし、毎年この未曾有の災害の事を思い起こすのも大切な事ですね。
投稿: sharon | 2018年3月11日 (日) 18時43分
sharonさん、こんばんは。
私もあの時のテレビでの光景が映画が何かのシーンで、現実に起こっていることととは受け入れがたい感覚を思い出しています。
人は自然をコントロールすることは出来ません。しかしこのような大災害から学び取ることで犠牲を最小限に留めることは可能かと考えます。
南海トラフ発生時のシミュレーションを観ても、私達は自分のことのように感じてない方も多いと感じます。
明日は私自身が経験する災害かも知れません。どうかあの教訓を活かして欲しいと願っています。
投稿: omoromachi | 2018年3月11日 (日) 19時24分
omoromachi様、こんばんは。
もうあれから7年立つのですね。
本当に地震の後に押し寄せた
津波の映像にこわばったことを
思い出します。
先日テレビで震災後の子供の
心的な障害についての番組が
ありました。
子供にとってもあまりの大きな
出来事で、今でもトラウマになって
いる方も多いのですね。
写真の時期に被災地を訪問なされた
のですか?
まだまだ復興のめどの立っていない
地もありますね。
改めて原発が本当に日本に必要なのか
真剣に考えないいけないと思いました
投稿: ツクシンボ | 2018年3月12日 (月) 19時52分
ツクシンボさん、こんばんは。
本当に7年の月日が経っているのですね。この7年間を省みています。私は遠くにいてなにも出来ませんでした。
私もテレビで震災当時3歳ぐらいの子供の恐怖体験が未だに心に重くのしかかっている現実をみました。 それと小児における甲状腺腫瘍の発生件数についても危惧しています。 まだ結論は出ない問題ですが放射線ヨードを取り込んだ子供達が、この先一生に渡って心配し続けなければならないことに、同じ国民として申し訳ない気持ちで一杯です。
原発の再稼働無しに、どうにか日本はやれたはずです。あえて原発を動かす理由はもうないと思います。 福島の原発の処理は原発を進めている政治家が生きている間に解決出来ません。解決出来ない問題を後世の人々に負わせる無責任な態度では行けないと思うのです。
巨大地震や原発事故からもっと学ばないといけないと考えています。
投稿: omoromachi | 2018年3月12日 (月) 21時47分
omoromachiさん、こんにちは。
もう7年なんです。
が、まだ7年なんです。
私は住宅の再建をできましたが、いまだに仮設に暮らしている方も多くいらっしゃいます。
あの日失った、故郷の街の灯はまだ戻りません。
居住区域としてはようやく、盛り土ができた程度です。
水産加工工場などは再建が進み、建物は立ち始めていますが商業店舗が全然です。
実際に、多くは通販で手に入れたりもしています。
私の街はとにかく、時間とお金と努力で何とかなりそうな気がします。
でも、福島は簡単にいきませんね。
原発のいいとこばかりに恩恵を受けてきましたが、もともと廃棄物の問題も後世に棚上げしているだけで廃炉や燃料デブリの除去は目途すら立っていないのが現状です。
あの日、日本の地図から宮城・福島が消えたという人もいます。
地元の人々の思いは、なんとしても立ち上がろうと必死です。
風評に惑わされず、ご支援していただけたらなあって思います。
以前、私は瓦礫の処理で九州の方々が受け入れ反対のデモについて悲しいって書いたことがありました。
今度は県内で、汚染された瓦礫の試験焼却に反対って大騒ぎです。
科学的に証明された、低放射能汚染物の焼却を試験的にでも反対されて一体どうするんでしょうね。
大谷海岸の写真を見て、omoromachiさんとお会いした時のことを今でも覚えています。
とても懐かしいです。
投稿: EOSのパパ | 2018年3月14日 (水) 11時44分
EOSのパパさん、こんばんは。
7年の歳月が被災者の方々にとってはとても大きな7年だと理解しています。復興の進み方にもばらつきがあり、帰省の夢も叶わぬ方々も沢山いると存じ上げています。
地震が起こった時に駆けつけられなかったことを申し訳なく思いますし、当時私達の職員が5名ほど交換で現地で看護士として活動して貰いました。彼女達にも本当に感謝しています。
地震や災害は誰にでも起こりえることで、誰も好き好んでこの様なことを受け入れるはずはありません。しかしながらやはり自分にも起こることだと常に考えて行動しないといけないと考えます
あの時にEOSのパパさんが忙しいなか会って頂き感謝しています。私の思い出にある地震の前の風景とあの時の光景の違い、規模の大きさは行って初めて実感できました。
今回の写真は、パパさんと会った日の写真を掲載しました。有り難うございました。
投稿: omoromachi | 2018年3月14日 (水) 20時49分