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2017年11月 5日 (日)

世界を夢みて 65 : アウシュビッツ収容所 ・ ビルケナウ収容所

今回の旅のある意味の目的地アウシュビッツ収容所ビルケナウ収容所を訪ねることが出来ました。私に取って25年前のポーランドでは訪れませんでしたので、今回が初めてとなります。

今回のツアーの中で数人の方はカウナスでのショッピングのため、アウシュビッツを訪れない方がいました。こんなことを書いたら失礼かも知れませんが、ここまで来たらアウシュビッツを見て欲しかったです。 もしも外国の方が広島を訪ねたら、たこ焼きや買い物をするだけでなく、どうか広島の平和公園や原爆ドームを見て帰って欲しいと願うからです。現地のガイドさんも多くの方が負の財産だけどどうか見て感じて帰って欲しいと話をしていました。

その方に大変失礼と思いますが、同じ日本人として悲しく思いました。嫌なことに目を背けては正しい判断が出来ないと思うのです。私自身も旅行の後半で、この様なつらい場所をみる事に心が重くなりました。 しかし本当に訪ねてよかったです。 人間はこうも残酷になれること、それは私自身が残酷な人間にもなり得ることを思い知らされたのです。 そうならない為にはどうすべきか心の奥にこの場所を焼き付けて置きたいと願いました。

今回の旅行は比較的天気に恵まれていたのですが、この日は朝から雨模様で更に気持ちが暗くなりました。 バスを降りて入り口に向かうと世界中から老若男女を問わず沢山の方々が施設の入り口へと列を作っていました。入り口で1人1人チェックがなされて入ることが出来ます。

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アウシュビッツ収容所第1収容所の門にはドイツ語で「ARBEIT MACHT FRE!」(働けば自由になる)と書かれています。しかしここに入った殆どの収容者は悲惨な労働の後に帰えることはありませんでした。収容された方々はユダヤ人が多数を占めますが、政治犯、ロマ・シンティ(ジプシー)、精神障害者、身体障害者、同性愛者、捕虜、聖職者が含まれていました。

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入り口を振り返った写真です。もう2度と出ることが叶わない場所です

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中に入ると沢山の収容施設が並び、電気が流れた鉄条網に監視小屋があり、逃げ出すことは不可能でした。

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その一角に花束が置かれた「死の壁」と呼ばれる場所があります。この場所に何人もが立たされ銃殺刑に処された場所です。

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各地から集められた収容者は次々と増え、ナチスは効率良く殺す手段を研究します。それが毒室です。その小さな場所に入りきれない程詰め込めた後、毒ガスが注入されて殺戮されてしまいます。その後死体を効率良く移動するために、滑車がしかれています。人間は1度正気を失なうとこの様な事も行うことが出来るのです。これが戦争の正体です。

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アウシュビッツの建物の奥に大きな写真が棟の前に飾られていました。カトリック聖職者のコルベ神父の写真です。最後は収容所で「餓死刑に選ばれた男性の身代わりとなって」殉職した神父さんで「アウシュビッツの聖者」と呼ばれています。この様な方が居たお陰で私達人間は救われる気がします。この場所は人間の残虐さと崇高さを同時に味わう場所となりました。

コルベ神父は多くのカトリック教信者を抱えるポーランドで尊敬を集める神父さんです。実はコルベ神父は1930年から1933年まで長崎を中心に布教活動を行い日本のキリスト教関係者でもとても有名な方だったとのことでした。

アウシュビッツ収容所第1収容所(基幹収容所)だけでは収容できずに、アウシュビッツ市には次々と広大な収容所が作られて行きます。

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私達は今度はバスで15分ほど移動して、アウシュビッツの第2強制収容所(ビルケナウ収容所)に向かいました。この施設は東京ドームの37個分もある広大な収容所で、建設にはソ連兵の捕虜が使われ、その後各地から汽車でユダヤ人が強制収容されます。「死の門」といわれる場所です。列車ごとこの門をくぐり、強制収容されてゆきました。

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死の門から収容所内に伸びる鉄道引き込み線です。今は緑の生えた土地ですが、ここにヨーロッパ各地から汽車に立錐の余地もないほど詰め込まれたユダヤ人が降り立ち、身の回り品を没収され、働けるかどうかで選別されて行った場所です。

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収容所内は何段ものスペースが区切られそれぞれの段に何人もが不衛生な状態で寝て暮らし、強制労働を経て、暫くするとガス室へと送られた行ったのです。

ここまでご覧になって頂き有り難うございます。

気分の良いものではありません。しかし私はこんなひどいことが出来る人間でも、それ以上に素晴らしい人間が沢山いることを信じているのです。いつでも希望の光は私達の心の中にあると考えていたいのです。

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コメント

omoromachi様、こんばんは。

私の方はまだボーランドの地へ踏み出したことはありませんし、アウシュビッツについても展示会などでしか知り得ませんでした。私もこのことに関してどうしてあのようなことが出来たのかを考えていたこともありました。戦争は人を狂わしてしまいますね。そのことに関してドイツ兵が戦後の裁判でどうしてあのようなことが出来たのか分かりません。だだ行っていたのです・・・と証言されていました。 私達人間は戦争のような狂気の事態になると考えることも出来なくなってしまうようです。
いつも人間愛に満ちたブログの内容を読ませて貰っていました。人の死を間近にみてこられた先生の考えの原点のような部分が見えてくるようです。以前、被爆者の方が「良い戦争なんてない」と話をされていました。

ツアーで同乗された方の中で、辛いと思いますが、行けない日本人の分も観てきて貰いたかったです。もう海外へは行く体力が残っているか分かりませんが、私も行ってみたい場所となりました。

omoromachi様がこの様なブログを書かれていることに感謝致します。

こんばんは。

お写真、紹介してくださってありがとうございます。
わたしは歴史の教科書に載っていた程度のことしか知らなかったので
本当に貴重な写真を見せていただいたと感じています。

きっと、記事を書きながら、先生も旅を思い出し
心が締め付けられるような感じがしたと思うのですが、
先生が書いてくださったおかげで、わたしも少し歴史を掘り下げて
みる事ができたような気がします。ありがとうございます。

最後のくだり、わたしも先生と同じ気持ちです。
みんな光を携えて、明るい未来を進んでいけると信じています。

信州の隠居老人さん、こんばんは。
(おそらく私より目上の方ですのに、「さん」付けにさせていだだいたいます。以前ブログの方から「様」ではよそよそしいとの指摘を受けたことがあり、皆様に「さん」で呼ばさせて頂いています。ご了承下さい)

ヨーロッパは遠いですし、なかなかポーランドまでは足を伸ばせないと思います。私は運良く2回行くことが出来ました。
私も教科書でしか観たことがなかった収容所を今回初めて観ることが出来ました。負の遺産ですが心に焼き付けたかったのです。
このドイツ兵の様に戦争を行った指導者は一部の方を除いて戦争は勝った側も負けた側も皆被害者だと思います。戦争は本当に人間を狂気の沙汰の追いやります。私もきっとこのドイツの方と同じ状況なら同様なことを行っていたと思います。

被爆者の方が「良い戦争などないと」仰られているのはその実体験からなのでしょう。よい核爆弾なんかありません。

ツアーのなかで初めからアウシュビッツ観光は入っていましたので、気持ちは分からなくはありませんが、ここまで来たら観て欲しかったです。

私のような稚拙なブログを読んで頂きありがとうございます。

アケさん、こんばんは。

今回の旅行の中で、心が重いけど行ってみたい場所でした。やはり行ってよかったです。悲惨な現状だけでなく、自分自身と照らし併せて考える機会を頂いたことに感謝しました。

楽しいこともいいのですが、嫌なことも見ない振りせずに、辛くても受け止めていきたいです。

アケさん、最後までご覧になってありがとうございます。最後に書いた言葉を胸に抱いて生きて行きたいのです。

院長先生
 こんばんは。
妹もポーランドへ行った折、ここへ寄り、
人間の残酷さをまざまざと知らされたといっておりました。
私も是非、ポーランドへは行きたかったですが・・・。

「シンドラーのリスト」や「戦場のピアニスト」などで
知ることもできましたが、以前、TVでも放映しており、
思わず目を伏せたシーンもあったように記憶しております。
戦争は人間を狂わしますね。絶対にするべきではありません!

こんばんわ!
大変な所をみて来られたのですね、カメラを周りに向けるのもさぞや辛かったのだと想像しました。
俺は沖縄の激戦地跡を一度だけ見たことがありました。広島には行ったことはありません。人は戦争になるとどのようにもなれるのですね。常ならばそのようなことはできない、するまいと思いますが、狂気に走らせるのが戦争と言うものでしょうか。でも、戦争が始まったら、俺自身もどうなるやら分かりませんね。だから、戦争はだめだし、過去から目を背けてはならないのだと思います。
写真を拝見しながら、辛くもなりましたが、omoromahi様も胸がいたんでしょうがなかっただろうと、…
有難うございました。

マコママさん、こんばんは。

妹さんもポーランド行かれて、この場所を訪れたのですね。25年前はいわゆる東欧を駆け足で訪れたために、この場所は行けませんでした。
今回ぜひ訪れたい場所でした。そうですね「シンドラーのリスト」や「戦場のピアニスト」に出てくるような場所です。それよりももっと目を背けたい写真などもありました。 

戦争は人を狂わします。狂わないと人を殺すことは出来ません。どんな戦争でもいい戦争なんてないのです。

でんでん大将さん、こんばんは。

この場所は楽しく訪れる観光地ではありません。しかしポーランドでこの近くまで来たら、見るべき場所だと思っていました。行ってよかったです。 人の残虐さ戦争の怖さをこの空間で感じることが出来ました。 私も戦争に駆り出されたら、同じことをやっていたと想像します。 皆弱いのです。 だからこそ戦争をすべきではないと考えているのです。

米国の政治家・著述家のフランクリンの言葉を思い出します。「良い戦争や悪い平和なんてあったためしがない」・・・本当だと思います。

こんにちは!
写真を見ながら当時行われていたことに想像を巡らせていたたまれない気持ちになりました。
戦争は理性を失ってしまうのですね。
この1年の間に沖縄に2度行く機会があり、高江や辺野古をはじめ嘉数高台を訪れました。人が大事にされる社会でありたいとの気持ちを強く持ちました。

こんにちわ。

先生のおっしゃることが身に沁みます。
人間は誰でも残忍になれる性質を持っているのですね。
戦争は正気を失い善悪の境を見失ってしまいます。
生きるか死ぬかに置かれると残酷な行為も厭わなくなるのでしょうか。
戦争は絶対やってはいけませんね。
本当に怖いです。

omoromachi先生、こんばんは。

以前風疹について質問したmiyamiyaです。ご丁重に返答頂き、検査も受けて抗体も十分あり安心しました。もう4年以上前になります。その後長男も誕生し忙しい日々を送っております。

子供ができて親になると平和について漠然としていたものが、この子を戦争に駆り立てては駄目だと思うようになりました。 私に取ってはアウシュビッツは歴史の教科書の中のことでしたが、先生はこちらも行かれたのですね。 先生の様な素晴らしい方が「自分自身も残酷な人になり得る」ことを書かれていて、びっりもしましたし、先生の仰られている意味もなんとなく理解出来るつもりでいます。 戦争は人を狂人にさせるのですね。

最後のコメントの中で「良い戦争や悪い平和なんてあったためしがない」・・・私も本当にそう思います。 4年前のお礼も十分差し上げずに申し訳ありませんでした。
子育てと仕事の両立が難しく新米ママは悪戦苦闘していますが、どうぞお体をご自愛なされてもっともっと私の知らない世界を発信して下さいね。有り難うございました。

ゆうつぁんさん、こんばんは。

アウシュビッツの地に下りたって、その建物から当時のことを想像すると本当に恐ろしく思えました。 これが人間のやることかと思います。 戦争は人の殺し合いですが、殺すにしても尊厳を持ってやらなければいけないとも感じました。
戦争は理性を失わせてしまいます。私も同類だと思いました。

ゆうつぁんは社会的な眼をもって沖縄を観てくれていると思っています。損得ではなくて、正義とは何処にあるのだろうかと沖縄の地で思っているのです。

ぴえろさん、こんばんは。

ぴえろさんが書かれてあるとおりだと思います。生きるか死ぬかになると私の様に表面だけの人間は理性を失って自分だけ生き延びようとすると思っています。

どんなに勇ましいことをいってもいざ戦争になれば、人の優しさや思いやりは軍靴で踏み倒されてしまうと考えます。 戦争になれば人を殺さなければなりません。ですから戦争をしてはいけないと考えるのです

miyamiyaさん、こんばんは。

思い出しましたよ。お子さん生まれたのですね。おめでとうございます。
今回のブログの内容は面白いものではないのにコメント頂き有り難うございます。お母さんになると考え方もより具体的なると思います。

この愛しい子供を守らなければと自然に湧いて来ると考えます。日本は女性の社会進出が本当に遅れています。 政治の世界も好戦的な男性よりも友好的な女性が多くなる方が国が安定すると思います。

お子さんがすくすくと成長して、平和の中で生きて行く世界であって欲しいですね

こんばんは。
戦争とは恐ろしいものですね。
一人一人が
自分と同じ人間という事も
忘れてしまうのでしょうか。

酷すぎて、どうしたらこういう事ができるのか、
全く理解ができませんが、
考えてみれば日本も過去に戦争をし、
自分が正しい事をしていると、
信じて疑わなかったわけですし・・・。
嫌な事には目を逸らしてやり過ごそうと
してしまいがちですが、
このブログを見て
今一度戦争について向き合い、考える事の大切さを
を感じました。

monnaさん、こんばんは。

人はそれぞれ弱いものです。どんなに意志が強くても、これが当たり前だと教育されたり洗脳されると人を殺すことも行ってしまうと考えます。私自身も戦前に生まれていたら軍国少年だったのかも知れません。

皆嫌なことは見たくありません。日本が行った戦争でもひどいことをしてきたと思います。 今世界は排他的で憎しみあうように変化していると感じています。 今回アウシュビッツを訪ねて感じたのは、普通の人間が悪魔のようなことをやれるようになることです。その本質が何処にあるのかを考えないといけないと思います。

私達1人1人がかけがえのない存在です。他人を認めることは自分も認めてもらうことです。 人を殺さない、自分も殺されたくない・・・とてもシンプルなことが出来ていれば戦争なんて起こらなくて済むと思います。

ブログを読んで頂いた皆様方にも面白い記事ではないと思いますが、どうかこの様なことが同じ人間が起こしたことを記憶して欲しいと願っています。

大学院時代の教授が研究をされていて、
深く考えさせられました。
人間のおそろしさ、
誰もがそのようになる可能性があるのですよね。

しげまるさん、おはようございます。

朝の回診が終わって戻って来ました。
大学院時代の先生が研究されたテーマだったのですね。しげまるさんの思慮深さもこの様なことからお学びになったのでしょうか?

人間は理性を失うとどんな凶悪なことでも行ってしまうものと考えています。だからといって人間に絶望もしません。どんな状況下においても尊敬出来る生き方を貫く人がいると信じていますし、歴史がそれを証明しています。

私自身が残酷になり得る人間の一人であることを再認識した旅にもなりました。

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