世界を夢みて 64: クラクフ市内観光 No2
城門を降りて、今度はクラクフの旧市街地へと向かいました。ポーランドの首都がワルシャワに移る以前の約500年間はクラクフが首都として発展していました(1038年〜1569年:ポーランド王国、1569〜1596年:ポーランド・リトアニア共和国)。
クラクフの旧市街を外敵から守っていた城壁は19世紀には取り壊されてしまいますが、その一部が残存しており、北の入り口のゲートがフロリアンスカ門で1300年頃に造られたそうです。
このフロリアンスカ門を防御する砦が1498年に建てられたバルバカンという円形の要塞となっています。
ヴァヴェル城の城門、フロリアンスカ門をくぐると美しく整備されたクラクフ旧市街に出ます。歴史的な建物と綺麗な石畳を歩くと、急に大きな広場にでます。
この広場がクラクフの中心地の中央広場となります。多くの観光客で賑わったいます。何となくベネチアのサンマルコ広場を思い出す雰囲気がありました。この広場の総面積は4万㎡で、中世から残存する広場としてはヨーロッパでも最大級だそうです。
広場の中央に真っ直ぐ並んで建っているのが、織物会館と呼ばれるルネッサンス様式の14世紀の建物です。当時ここで衣服や布地の交易所だったためにこの名前がついています。
現在は1階の中央部分はまるでアーケード街の様で、両サイドに民芸品やアクセサリー、刺繍などの店がぎっしりと並んでいます。買い物客や観光客でいっぱいです。2階はクラクフ王立美術館となっています。地下も地下博物館として2010年よりオープンしています。
中央広場に面して、1222年に造られたゴシック様式の大きな建物があります。広場に面した部分は二つの塔が建っていて、その左側の最上部の窓は開けられる様になっています。モンゴル軍がクラクフを襲撃した際に、襲撃を知らせるラッパがこの部分から鳴らされたのです。しかしその時にモンゴル兵の矢によりこのラッパを吹いた方は死んでしまいます。
そのことを悼んで、今でも1時間おきに、この窓が開いて,実際に本物のラッパ吹きが時間を知らせてくれます。このことを知っていて観光客もこの時間には集まって来ます。最初音は聞こえるのですが、高いためにどこにいるのか気がつきませんでしたが、吹き終わった後に私達に向けて手を振ってくれたのでこの場所が分かりました。
聖マリア教会は外壁は茶色で余り目立たないのですが、その中に入ると印象が一変します。ステンドグラスや目を見張る装飾品で飾られ、特に15世紀に作られたファイト・ショトーズ(Wita Stwosza)の祭壇は国宝に指定され、光輝く聖母マリアの被昇天を現しています。
ここで載せられないほど沢山の綺麗な風景がありますが、夜のクラクフの街もまた素敵でした。
柔らかい光の中で、中世の世界に迷い込んだようです。
綺麗に着飾った観光馬車もこの街に溶け込んだ風物詩のようでした。
沢山写真を撮った中でもお気に入りの一枚です。偶然夕食の待ち合わせ場所で気がついて慌てて写真を撮った場所です。ヤママテイキ広場の騎馬銅像(グルンヴァルト戦勝記念碑)がライトにアップされ、隣の建物に影となって投影されていました。一瞬この幻想的な景色に時間を忘れそうになってしまいました。
美しい空間に身を置くほど贅沢な時間はありません。
遙か東の国と思えたポーランドも13世紀にはモンゴルの襲撃をうけ、クラクフの街も破壊され、人口も減少しますが、次第に復興してゆきます。14世紀からは国王自らユダヤ人を積極的に招き入れ、国力を増してゆきます。そのためにポーランドにおいてユダヤ人が多く住むことになり、そのためにナチスによるユダヤ人の虐殺がポーランドを中心に行われていってしまったのです。
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