世界を夢みて 60 : ワルシャワ市内観光No2
前回のワルシャワ市内観光の続きです。これまでの旅行記に写真を多く入れるとすぐに量が多くなってしまうために、分けて載せています。
ワルシャワ市民がこよなく愛しているショパン関連以外の観光を先にご紹介します。前回紹介したワルシャワ市民には不人気の文化科学宮殿から東のヴィスワ川に向かった辺りが新市街地区、更に奥が旧市街地域となります。特に多くの建物は第二次世界大戦時にナチスにより徹底的に街が破壊されますが、ワルシャワ市民の情熱で復興を成し遂げます。
新市街地区の中央には幅が50mもある大通りがあり、両サイドに高さを揃えた建物が並んで建てられています。レストランやカフェ、有名ブランドショップも並びますが、歴史的な教会や大学などもある、賑やで開放的な通りとなっています。
南側でマルシャウコフスカ通りからクラクフ郊外通りと名前を変える辺りに、コペルニクスの像が建っています。
25年前に立てられた時には周りが工事中ではなかったのですが、今回は周りの建物が工事中でコペルニクス像が上手く撮りにくい状況でした。1473年生まれのコペルニクスはクラクフ大学で天文学を学んだ後イタリアのボローニャ大学に留学し法律を学び、再度故郷のポーランドで司教となります。有名な地動説を研究しますが、天動説を唱える教会とは相容れない考え方で、彼は地動説を唱えた書「天体の回転について」の発表を死の直前で発表します。そのため彼自身は迫害は受けずに済んだのです。しかしその1世紀後のガリレオ・ガリレイは地動説を曲げずに宗教裁判で処刑されるのです・・ガリレイはちょっと可哀想です
コペルニクス像のすぐ近くにショパンの心臓を祀った聖十字架教会があります。
そこから3分ほど歩くとワルシャワ大学があります。1810年創立の総合大学です。25年前にこの場所で写真を撮ったのですが、今と違い髪がふさふさで我ながら月日の流れを感じてしまいました
今回はガイドさんがワルシャワ大学の出身で今でも関連があるとのことで、大学の校内にも入ることが出来ました。中では新学期に向けてのレセプションの準備などを行っていました。売店もあり、ワルシャワ大学のネーム入りのシャツなども購入可能のようです。やはりこの大学もドイツとの抵抗運動の場所でもあったため、ワルシャワ蜂起や教育禁止令により63人の教授が犠牲となり、キャンバスも60%が破壊され、さらに大学の所蔵資料も80%が燃やされたりドイツに持ち去られ、その後戻ることはなかったと言われています。
暫く歩くと大統領官邸がみえて来ます。入り口にはポーランドの英雄ユーゼフ・ポニャトフスキ像が立っています。
そこから大通りを旧王宮に向かうと、ため息が出そうな程綺麗な王宮広場があります。中央に立つとどこから写真を撮っても綺麗と思える景色があり、多くの観光客が集っている場所でもあります。
広場の中央には1596年にポーランドの首都をクラクフからワルシャワに移したジブムント三世の碑が建てられています。周囲は旧王宮、洗礼者ヨハネ大聖堂などの建物が整然と建っています。
王宮広場を少し下ってゆくと、これもナチスにより徹底的に破壊された旧市街広場に出ます。丁度ワルシャワ旧市街の中心地の部分となり、四方が四角い色とりどりの建物に囲まれ、多くの民芸品店やレストランなどが軒を並べています。
広場の真ん中にはワルシャワ市の紋章となっている「人魚像」があります。コペンハーゲンの可愛らしい人魚像と違い、この人魚像は楯と剣を持って筋骨たくましい人魚さんです。シッポの形も竜の様な感じです。昔話で、人魚がヴィスワ川の漁村のワルシャワを気に入り住み着きますが、最初は悪戯好きで漁民の網を破ったりしたそうですが、容姿も唄声も綺麗で次第に漁民達も人魚を受け入れます。しかし彼女を見せ物の商売に使用とした商人が罠を仕掛け、人魚を捕らえるのですが、それを聞きつけた漁民が彼女を助けます。それに感謝し、人魚は剣と楯でワルシャワを守ることを誓ったそうです。そのためにワルシャワの紋章となったそうです。道理で可愛い人魚さんではなくて勇猛果敢な感じを受けるわけです。
25年前の写真を見返すと、同じ様な人魚像がどう見ても旧市街広場ではないところ(城壁の近くでしょうか?)にあるのです。 そう思い色々な本を見てみると、なんとワルシャワ中心地にもう一つあるとのことでホッとしました。 25年の間に人魚姫が自分で移動したのかと思いました・・
ところがそれだけでなく、その時の旅行で買ったポストカードを見ると、旧市街広場の人魚像がないではないですか・・・Why?
上のポストカードの中に人魚像がいない、やはり時々川に泳ぎに出かけているのでしょうか?・・・・この疑問も調べてみると、途中像の修復期間があったようで、上の写真は人魚像が修復に出された時の写真ではないかと想像しました。ワルシャワの守り神なのですから夜な夜な遊びに行っていてはこまります
ここから暫く歩くとかつての二重で出来た城壁の通り抜けてゆくと、旧市街から新市街地となります。
あまり目立たないのですが、キューリーの生家があり、現在は博物館として研究資料や写真などが展示されています。彼女はパリ大学へ進学し、そこでの研究で、世界で唯一ノーベル物理学賞(1903年)とノーベル化学賞(1911年)の2部門で受賞した方です。彼女もやはりボーランド市民が尊敬する方でもあります。
次回はポーランドで一番愛されたショパンについて書いて見たいと思います。
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院長先生
ショパン大好きですから、
こんばんは。
やはり美しい建造物がありますね?
人魚姫がここにもいっらしゃったとは?
コペンハーゲンが有名過ぎでしょうか?
25年前にもお出かけになられたのですね。
なんとも羨ましい~
次回を楽しみにお待ちしております。
モカラテさまのブログでコラボのお歌、
拝聴させて頂きました。
投稿: マコママ | 2017年9月 8日 (金) 20時28分
マコママさん、こんばんは。
ワルシャワは整然とした綺麗な街でした。コペンハーゲンの人魚姫は世界中の方が目にする可愛らしい感じでしたが、ワルシャワの人魚姫は勇猛果敢な格好でした。
25年前に当時東ヨーロッパと言われた国々を回ったことがありました。西側と比べて派手さはありませんでしたが、どの国も落ち着いた文化国家だったことを思い出します。
マコママさん、ショパンが好きなのですね。クラシックファンではありませんが、ショパンはやはり私も好きです。次回も読んで頂ければ嬉しいです。
モカラテさんのブログみました。この様にハモってくれると自分の唄ではないように思えました。本当に有難いことです。
投稿: omoromachi | 2017年9月 8日 (金) 21時21分
素敵な街ですね。
いつか行ってみたいものです。
私が学生時代は東西冷戦中で、ワルシャワというと
「ワルシャワ条約機構」というのが真っ先に覚えさせられました。
時代は変わったのですね。
投稿: しげまる | 2017年9月 9日 (土) 09時37分
omoromachi様こんにちは
ご無沙汰しております。
見所満載のワルシャワですね
1度行ってみたいです。
それにしろ25年前の人魚像
良く気が付きましたね。
人魚姫が遊び人だったら
あちこちに出没しているかも
しれませんね・・・
ショパン楽しみにしています。
投稿: ツクシンボ | 2017年9月 9日 (土) 12時31分
しげまるさん、こんばんは。
ええ、本当に素敵な街並みですよ。もしも機会があればバルト三国を含めポーランドも行かれて下さいね。
確かに、当時の受験勉強ではNATOに対してワルシャワ条約機構、西側のマーシャルプランに対して経済相互援助会議(コメコン)が出題されましたでしょうか? ・・・懐かしいですね。
冷戦時代が終わって地球が安定するかと思いましたが、多数の悪い奴らがはびこってますます地球の平和が脅かされています。いったい何が良かったのでしょうか?
投稿: omoromachi | 2017年9月 9日 (土) 14時21分
ツクシンボさん、こんにちは。
当時の東ヨーロッパを25年前に旅をしました。西ヨーロッパ諸国と比べても歴史も文化もひけをとりませんでした。食料難などもありますが、犯罪も少なく安心して旅行が出来る地域でした。
今ではどの大都市もスリや置き引きに注意しないといけませんし、最近ではテロも心配です。
昔の写真を振り返って、人魚姫の立地場所が違っていたのは思わぬ発見でした。その為に調べてみると色々なことが分かり新たな発見もありましたよ。旅行は何年経っても私に喜びを与えてくれています
投稿: omoromachi | 2017年9月 9日 (土) 14時27分