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2017年8月16日 (水)

8月は青春だ

子供の頃から高校まで、夏休みがある8月が1番楽しい時間だった。

そこには紛れもなく私の青春があった。8月は眩しい程いつも光輝いていた。

Th_dsc017012 受験勉強もない田舎でのんびりと過ごして、青春を謳歌していていた自分が、よりによって医学部を目指し、上京。 どんなに頑張っても医学部の入学にかすりもしない成績。 大切なものも失い、沢山の重圧の中で過ごした日々。 泣きながら、心の中でずっと「もう許して」と叫び続けた日々。

医学部に入り必死で勉強し上位で卒業、医者になっても過去のトラウマを思い出したくなくて、ひたすら仕事をした。 あの輝いていた8月は消えてしまっていた。

今年も8月がやって来た。全てが熱く光輝いている季節、今もきっと輝いているはずだ。私が好きだった季節。 残りの人生をかけてゆっくりと思い出したい8月がここにある。

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

こんばんは。

わたしはいわゆる普通の学生?でしたので、
医学部に進む人(お医者様になる人・なった人)は
さまざまな困難を乗り越えられる強い心の持ち主…という印象がありましたが、
先生のようなご立派な方でも、大切なものを失った経験や、
泣きながら許してと叫びたくなることがあったのですね・・・。

先生に比べれば、わたしの人生経験は甘っちょろいものですが(苦笑)
でも、人間みな同じなんですね…
「さまざまな経験をする」ということを知る意味に於いては。。。

わたしも8月生まれで、なにかと想いの深い季節です
先生も日々お健やかに、ステキな8月をお過ごしくださいませ

アケさん、こんばんは。

私はいわゆる医学部に行くような初等教育を受けずに田舎の公立高校でのんびり過ごしていました。それこそ、高校3年まで畑の仕事の手伝いもしながら過ごしていました。

医学部に行く連中の勉強の仕方も知らないまま、これから医学部に行くぞとの気持ちだけで東京の予備校に通いました。予備校の選抜試験で医学部進学コースなどにも全く手の届かない状態で予備校では医学部に行きたいとさえも言えない成績でした。

何度も何度も諦めかけて、一人泣きそうになっていました。あの時の挫折感や不安感は今でも消えることはありません。 その代わり、これを乗り越えて少しでも強く、そして少しでも優しく患者さんに接して行きたいと思って仕事をしています。

いつかはこの呪縛から解放されて自由に8月を謳歌したいと考えています。アケさんは8月生まれなのですね。元気な子供だったのでしょうか?

お互いにこれからも頑張ってゆきましょう。

頭が良いから医者になったんだろうな、そんなふうに思っていましたが、必至の努力が頑張りがあって、新しい道を自らで開いたんですね。
改めてomoromachi先生の歩いた道のりを知ることが出来ました。
俺にも8月は思い出があるのです。それは職員としての資格であり、試験は8月下旬でした。結果的には、トップから嫌われましたが、怠けたくはない。目標に向かってがんばりたい。そんなことから、3級、2級、1級、さらには監査の試験など、今ではとても懐かしい8月です。

でんでん大将さん、こんばんは。

受験戦争もない田舎で過ごしていましたので、医学部受験がどれ程のものか想像出来なかったのです。 夢だけ持って、初めて沖縄を離れて、東京の予備校の生活が始まりましたが、想像以上の学力差に愕然としました。 それでも勉強すれば追いつくと考えていたのですが、周りの人以上に頑張っても全然成績が伸びなかったのです。

見栄を張って医学部に行くと、沖縄の地を離れたのに全然医学部に行くめども立たない状態で、前にも進めず、後ろにも下がれない状況となってしまいました。

でんでん大将さんも、この様な8月があったのですね。頑張り屋さんの大将だからこの様な困難を乗り越えられたのですね。

懐かしい8月を時間をかけて取り戻したいと願っています。

omoromachi様、おはようございます

いつも音楽を楽しみにブログを読まさせて頂いています
超エリートのお医者さんで子供の頃から進学校
に通って医学部に入られたと思っていました。

ブログのコメント欄を読ませて頂いて
omoromachi先生のことが少し分かる気になっています

普通といったら失礼ですが、私が描く外科医と違って
おられたのは、この様な経験や医学部に行く志が
独自だったからでしょうか・・・

先生の優しい歌声はこの様なことを乗り越えられた
賜でしょう。お忙しいと思いますが、どうかお体だけは
気をつけて(お医者様にいう言葉ではありませんが)
お過ごし下さい。

syiroyama.kさん、おはようございます。

いつも音楽を聴いて頂き有り難うございます。
今回はとても私的なことで、自分に言い聞かせるために書きました。私は塾もないような田舎で青春時代を過ごしましたので、医学部に行くレベルがどれほどだったのか分かりませんでした。

高校の進路指導が医学部受験の現状を知っていれば、おそらく高校卒業時に医学部は諦めさせられていたと思います。

これも自分で決めた運命です。未熟さゆえになし得たことですが、今でもトラウマとなっています。今はそれ以上に強くなって、弱い人々に救いの手を差し出せるような人間になりたいです。

先生の記事とそれぞれのコメントを拝読いたしました。
感動しました。
ありがとうございます。

しげまるさん、こんばんは。

読んで頂き有り難うございました。何も分からないのに、希望だけで医師を目指した愚か者のつぶやきです。 私の周囲に医師はいませんでしたし、周りに医学部を目指す方もいなかったため、どれほど勉強すればいけるのかさえ知らないまま、東京の予備校に通ったのです。

本当に心細くて、泣いても後に引けない状況は、本当に苦しかったです。あんな時代があったから今があるのさと簡単に言える日が来ることを祈っているのです。

戻ることは出来ませんが、今でも愚かなことだったと考えることがたびたびです。それでも前を向いて歩かないといけませんね。 もっと強くなりたいです。

私もomoromachiさんはお医者さんの息子かな、あの時代でお医者さんになるなんてきっと裕福な家庭の出なんだろうと思ってました。単純な私でした。
同窓会で、会社を作ったという幼馴染に会いました。ものすごく苦労したんだそうです。ほとんど寝ないで働いていた時があったそうです。でも、世話になった中学時代の先生に会いに東京まで行った話をしてくれました。私と話していても優しさが伝わってくる人になっていました。苦労をした人の優しさは本物です。omoromachiさんの言葉からにじむ優しさは本物です。

はるかさん、こんばんは。

私の回りに医療関係者はいませんでした。私の家族も皆、文系でしたので、末っ子の私は突然変異(単に本を読むのが苦手だけですが・・・)で理系が得意でした。

私が通っていた公立高校で医師になったのは私だけでしたし、医師になるためにはどれぐらい学力がないといけないのかさえ誰も分からなかったのです。

無謀にも医師それも外科医になると決めて、東京に出ました。予備校では志望校を医学部とも書けないほど惨めな成績でした。志を果たすまで故郷に帰らないと決めていたのにどうにも出来ず、途方に暮れている状況でした。とにかく必死で勉強しました。

大学に入った時に自分が入学したために、1人は合格できない方がいたわけですから、その方の分も勉強しないといけないと思っていました。お陰で6年間特待生で授業料免除で卒業することが出来たのです。

私はまだ本当の優しい人間にはなれていません。これからも苦しいことに逃げずに正直に生きて行きたいと考えたいます。死ぬ前には本当に優しい人間になれたらと願っています。

はるかさん、いつもありがとうございます。

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