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2017年7月

2017年7月23日 (日)

世界を夢みて 57:リトアニアの第2の都市カウナス

朝早くリトアニアの第2の都市カウナスの杉原千畝記念館(旧日本領事館)を訪問(http://omoromachi.cocolog-nifty.com/blog/2017/07/56-e6bc.html )後、午前の僅かな時間でカウナスの旧市内観光を行いました。

カウナスは13世紀にドイツ騎士団の侵略を防ぐために、カウナス城と城壁が築かれた町で、15世紀半ばにはハンザ同盟の代表部が設けられて商業都市として発展します。第一次大戦から第二次大戦の間はポーランドによってヴィルニュスが占領されたため、カウナスがリトアニアの首都として暫く機能していました。

私達は旧市街の南側でバスをおり、暫く徒歩での散策となりました。木々も多く広々として心地よい風が通り抜ける街でした。

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バスを降りて直ぐの所に、15世紀にゴシック様式の建物があります。ここはかつては商人の館として使われていましたが、以前この場所は「雷神ペルクーナスを祀る神殿」があったと言い伝えられていた所です。19世紀の修復の際に、30Cm大のブロンズ像が見つかり、言い伝えは正しかったとの論争が巻き起こるのですが、残念ながらこのブロンズ像は消失してしまったとのことでした。

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暫くすると大きな市庁舎広場に出ました。旧市街の中心部で、周りにゴシック形式の博物館やギャラリー、教会が建ち、その中心部に旧市庁舎があります。 旧市庁舎は白鳥に例えられる綺麗な16世紀のバロック形式の建物です。現在は結婚登記所となっているとのことです。確かに美しい建物で、多くの方が記念写真を撮っていました。

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広場を曲がった直ぐに、これも綺麗な15世紀の赤煉瓦づくりの聖ペテロ&パウロ(ベトロイルポヴィロ)大聖堂が見えて来ます。第二次大戦で破壊されしまいましたが完全に修復されています。現在はリトアニアのカトリック司教座聖堂となっている教会です。

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ここは外観よりも内部の美しい教会でした。フレスコ画や彫刻、ステンドガラスが美しく、祭壇は特に荘厳で綺麗でした。

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静かに花を手向ける方がいました。とても静寂な世界です。この様な静寂さが好きで、暫くこの場所にいたいぐらいでしたconfident

教会を出ると、これから結婚式を挙げる花嫁さんやこの友人やご家族がにこやかに準備をされていて、写真を撮らせて貰いました(顔がはっきり分かるためブログに載せる事は出来ませんが、綺麗な花嫁さんでした)。結婚式でも配るのでしょうか?花嫁の父からカゴに入ったお菓子を私も頂きました(ありがとう!、お幸せにheart04

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広々とした通りを歩くと、以前のカウナス城の塔と城壁の一部をみることが出来ます。カウナス城は元々台形の城壁で囲まれ、4つの塔を持っていたそうですが、今ではこの僅かな部分が残っているのみでした。

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お昼は近くのレストランで、リトアニアの郷土料理の「ツェペリナイ」を頂きました。ツェペリナイはモチモチした厚めのジャガイモで出来た皮の中に、豚肉などの詰め物を茹でる料理で、この皮を創るのに時間がかかるようです。確かにモチモチして美味しい料理でした。

もう少しノンビリしたかったのですが、腹一杯になった後は6時間かけてポーランドのワルシャワへと向かうのでした。いよいよリトアニアそしてバルト三国ともお別れです。

2017年7月21日 (金)

今週の生け花(平成29年7月第3週)

夏本番、夏休みに突入した子供達も多いことでしょう。ギンギンぎらぎら太陽の下で遊ぶ子供達の歓声が聞こえて来そうです。それと逆に親御さん達のため息も聞こえて来そうです。これから子供達は長い夏休みです。存分に楽しんで欲しいです。                           Th_img_5545_2

今週も生け花クラブの皆様が2階のいつもの場所にお花を飾ってくれていました。真っ青で灼熱な外と違い、この2階の場所は静かに時間が通り過ぎて行くように感じます。

今週の生け花はとても気品に満ちていますし、穏やかな表情をしています。

ナナカマドの茶色がった葉があっても秋をイメージは不思議としません。花器の色の移り変わりも全体を落ち着けています。大きくうねるクルクマの葉、普段は際立つ赤いガーベラもひっそりと咲いています。

Th_2973 花穂の先に白い花々を携えているのがチューベローズです。球根性の多年草で、夏から秋にかけて白いお花を楽しめます。 夜になると甘い香りを放ち、遠くからもお花の存在が分かります。 香水の原料にも使われるお花で、この匂いから日本では「月下香」、中国では「夜来香(イエライシャン)」「晩玉香(ワンユイシャン)」と呼ばれるそうです・・・ちょっと妖艶な綺麗な女性を想像してしまいます(私だけか?coldsweats01

暑さにへばりそうになるのですが、子供の時を思い出して「夏だ!やった〜!」と元気を出して行きましょう。

<花材:ナナカマド、チューベローズ、ガーベラ、クルクマ>

2017年7月19日 (水)

レモンに対する日本人と欧米人での違い

ずっと以前、ビタミンC欠乏症による壊血病について話をした時に、イギリス海軍は海賊よりも当時恐れられていた壊血病の克服に、長期航海で多量のレモンを積んで船員に与えたことで、壊血病を克服し世界の覇者となった記事を書いたことがありました(http://omoromachi.cocolog-nifty.com/blog/2013/03/font.html )。

そのためにイギリス海軍のことをレイミーと呼ぶ場合があることを知りましたが、それはスラングとしてもあまりいい意味ではないので使わない方がいいと教えられたのですが、理由は分かりませんでした。

Th_ 英語力のない私はその疑問を思い出したので調べてみました。

どうもレモンに関するイメージは日本と欧米ではかなり違うようです。特にアメリカ英語ではイギリス英語よりも厳しいようです。

私達日本人にとって多くは、レモンは「爽やか」「清々しい」イメージ、そして「青春」と重なります。しかし欧米ではレモンの皮は厚く硬く、また味も酸っぱくて印象はよくないらしく、レモンを目の敵にした表現が多いですcoldsweats02

「lemon」はバカバカしい人や物をさして表現します。主にアメリカ英語では故障ばかりする電化製品や車のことを「a lemon(不良品、欠陥車)」と呼んだりするようです。イギリス英語では物よりも人に対して「バカ」「ふざけた奴」として扱われるようです。like a lemon だと「出来損ない」「役立たず」を意味するようです。

私達日本人は頭に来るような上司がいても、反論出来ないことが多いので、その時はそっと「部長さんはレモンの様ですね」などと言いましょう。どういう意味?と聞かれたら、英語の意味は言わずに「爽やかですものね」と言えば怒られないでしょうか?(・・冗談ですよ、上司が英語が堪能なら左遷されますcoldsweats01)。

「do me a lemon」は「まさか」、「嘘だろう?」であり、「suck a lemon」は「失せろ!」「どこかで言ってしまえ」の意味となります。・・・・等とあまり言い表現ではありません。

ついでに「lemon」 と違い良い意味で使われることが多いのが「peach:モモ」です。

ですのでShe is a lemon.「彼女は嫌な奴(魅力的ではない)」となりますが She is a peach.なら「彼女はとても魅力的な女性」となります。 日本人男性諸君、レモンとピーチを使い分けないと欧米では痛い目にあいますので注意です。

壊血病のことは知っていましたが、英語力のない私はこの様な「lemon」の使い方は知りませんでしたweep

2017年7月16日 (日)

雨(森高千里)を唄ってみた

先月、梅雨時の帰りに、雨に照らされた街並みを見ながら運転していました。偶然ラジオから森高千里さんの「雨」が流れて来ました。 (高校卒業後、50代半ばまで音楽と無縁だった私も、何となく聴いたことのある曲でした)

単調なリズムの中で何度も繰り返すフレーズに「雨は冷たいけど、ぬれていたいの、思い出も涙も流すから」・・・・そうかも「人生には雨で流れて欲しいこともあるね」と思いながら車の運転をしていました。

Th_0 ちょっとググってなってしまったのです。私も年をとってきたので、この曲を素直に受け入れることが出来ますし、森高さんが作詞したことにリスペクトもします(昔なら、ゲッ!お前、森高が好きなの?と友人からからかわれたかもしれません)

まあ、こんな言い訳がましいことを書いても、この年になれば多少のことは許されのかと思っていますcoldsweats01

これまで森高さんの曲を聴いたことがありませんでしたし、サビの部分しか知りませんでした。テンポの取り方が難しかったですね。

あの可愛らしい森高さんの歌を禿げたオヤジが唄うギャップに怯えながらお聴き下さい・・・happy01

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2017年7月14日 (金)

今週の生け花(平成29年7月第2週)

Th_img_3748 今日は快晴の那覇市内でした。病院職員食堂の窓から遠くは慶良間諸島が見え、那覇飛行場への離発着の飛行機が行き交い、昼の時間帯に大型客船が入港する様子が見て取れました。昼食時の私のささやかな楽しみとなっています(以前撮影した写真を載せてみます)。

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この美しさに負けないぐらいに、いつもの2階の小さな場所に、今週も生け花クラブの皆様がお花を飾ってくれていました。

今週の生け花は、一瞬雲の上を飛んで行く天女の様な印象を受けました。黒い花器が宙に浮いているようで、ハランが左から右に風を受けて羽衣のようにひらめいています。 

赤紫のクルクマも白く柔らかい花をつけたトルコギキョウ糸菊紫アザミも同じ船に乗った仲間達でいます。皆が軽やかです。

Th_2972 正面からだけではもったいないので、私の短い足をう〜と伸ばして真上からも撮影してみました。生け花クラブの飾り付けの良さは、どこから観ても綺麗に仕上がっていることにあります。改めて、このブログで紹介する写真や私の説明では美しさ表現出来ないと思いました。

そこは皆様方の綺麗なフィルターを通して観て欲しいと思います。本土の方では大きな水害も起きていますので、気をつけて過ごして欲しいと願います。

<花材:ハラン、クルクマ、紫アザミ、トルコギキョウ、糸菊?>

2017年7月12日 (水)

夏カゼ

一般的に「風邪:カゼ」と呼ばれるのは、急性の上気道感染症の総称として呼ばれています。
空気中あるいは手指に着いた病原微生物が鼻や口から入り込んで、鼻から咽頭、声帯(喉頭)までの上気道に感染して炎症を引き起こし、クシャミ、鼻水、鼻詰まり、喉の痛み、咳、発熱、頭痛などの諸症状が出る病態をカゼと言うわけです。

この急性の病態を引き起こすのは主にウイルスに因るものです。カゼは冬場に起こることが多いと皆思っているはずですし、インフルエンザなどを考えても、寒くて乾燥した時に罹ったことを経験しているはずです(厳密にはインフルエンザと風邪は区別すべきですが)。

逆に、日本の夏は高温多湿です。しかしこの高温多湿を好むウイルスもいることより夏カゼの原因となるのです。ですので同じカゼでも夏と冬では原因となるウイルスに違いが出ます。

Th_ 夏風邪の原因となるウイルスの代表として、エンテロウイルス(コクサッキーウイルス、エコーウイルスなど)やアデノウイルスがあります。

エンテロウイルスのエンテロとは大腸や小腸などの「腸」を示す医学用語で、アデノウイルスのアデノとは「喉」を示す用語です。

ですので、エンテロウイルスに罹ると、風邪症状以外に多くが腹痛や下痢などの胃腸症状が出ます・・・そのため、経験上夏風邪は「お腹にきやすい」と昔から分かっていました。
アデノウイルスの感染は喉の痛みや咽頭炎が強く出るために、の後の痛みが強く腫れて、食べ物や飲み物が喉を通らなくなることも多く、脱水になったり栄養補給が出来ずに、夏バテも助長する原因にもなるのです。

夏風邪の原因となるウイルスによって、夏風邪は「お腹に来る」「喉に来る」となるのです。

7月に入り、手足口病、咽頭結膜熱、A群溶血性連鎖球菌の感染症も増加しています。手洗い、うがい、などの基本的な感染症予防に努めるようにして下さいね。

2017年7月 9日 (日)

孤独の中で光を求めて生きている

私達は生を受け、死ぬまで親や家族、社会と密接に結び付いて生きている。

でも、ふと1人になった時、人は孤独の中で生きていることを実感する。

Th_img_3336 その深く閉ざされた部分は誰も知るよしもない。お前のことは全部知っているよと言われても、誰も知らないのだ。

自分の孤独を素直に見つめることで、冷静に相手を見ようとしている。しかし誰も自分を知らないように、実は自分も相手(世界)のことを知らないのだ。

孤独を超えることは出来ないことを知っている。一瞬でもこの孤独を消し去るために光を求めて妥協する。

孤独という感情の世界から、理性で光を求めて生き抜こうともがいている。 それでいいのだと自分に言い聞かせながら・・・・・

2017年7月 7日 (金)

今週の生け花(平成29年7月第1週)

いよいよ7月に入りました。台風による被害の地域の皆様方は、大変だと思いますが、どうか頑張って欲しいとお祈りしています。Th_img_5506

沖縄の方では晴れていますが、台風の影響なのでしょうか、湿度が高く蒸し蒸ししています。

それでも病院の2階のいつもの場所に、生け花クラブの皆様がお花を活けてくれていました。

今日の生け花は爽やかで元気の出る花材と竹で編んだ花器で出来ています。くっきりと三つのパートに別れた感じで、それでいて全体としてまとまっていますので、生け花クラブのセンスの良さが現れているのだと感じます。

Th_2971 上方には太陽に向かって輝くピンク色のグラジオラス、真っ黄色な、後ろにも真っ白な色のスプレー菊(糸菊?)が顔を覗かせています。

中央には夏の暑さを耐える程の強さを感じさせる菊の葉ドラセナトグサの深緑が配置されています。

更に下方には、竹で編んだ花器がとても清々しい気分になせてくれますし、この左下に枯れ木を配置することで空気が流れて涼しさを感じさせてくれます。

このお花達を観ながら、元気を出さねばと思う今日でした。

<花材:グラジオラス、トグサ、スプレー菊、糸菊、ドラセラ、枯木>

2017年7月 5日 (水)

乳がん検診はマンモグラフィーかエコー検査か

今日のFM放送は乳がんについて話をしました。

乳がんは女性が一生のうち罹る率が最も高い癌です。手術、ホルモン療法、抗がん剤、放射線療法を組み合わすことで比較的治療効果が出やすい癌(もちろん治療抵抗性のある場合もありますが)の一つで、癌による死亡数では、大腸がん、肺がん、胃がん、膵臓がんに次いで第5位となっています。
しかし、その他のがんと比べて、比較的若い年齢層から発症し、40代から50代でピークを迎えます。この若い世代の女性は、家庭でも職場でも1番中心となって頑張っている年代が多いのです。

乳がんは早期に発見できると90%の方が治癒する癌です。そのためには早期発見となる自己検診や検査が重要となります。特に乳がんは手で触れる場所、見える場所に発生しますので、自己で乳腺を触診することでしこりに気がつき、早期発見に繋がる可能性が高いのです。

最近、検診の精度が問題となっていると報道されるようになりました。これで医学界や行政も新たに動く可能性も高いと私個人としては有難いと思います。

乳がんは乳汁を出す、乳腺組織(乳管と小葉)から発生します。おっぱいの大きさは乳腺組織だけでなくその周りの脂肪組織と関係が大きく、この脂肪の付き方によっても大きさがだいぶ変わります。

日本人は欧米人と比べて乳房内に脂肪が少なく、乳腺組織の密度の高い方が多いのです。おおよそ40%の方が乳腺密度の高い高濃度乳腺と考えられていますし、若い人ほど濃度の高い方が多いのが現状です。

レントゲン(マンモグラフィー)ではがんは白く写ります。しかし高濃度乳腺は全体的に白く強く移るため、乳癌の発見が難しいのです。これが注意すべき所で、乳癌のマンモグラフィー(以下MMC)の診断基準では現在では「正常」としか書くことが出来ません。

そのため、私自身は以前から乳がんを専門にしている先生方に「早期発見にマンモグラフィー」という啓蒙活動と共にMMCで写らない早期癌も多いことも明記して欲しいと希望していたのですが、聞き入れてくれない状況もありました。

これは専門医が悪いわけではなくて、日本人が欧米と比べてMMCを含めて乳がん検診を受けない方が非常に多かったために、まず乳がん検診を受ける率を上げることが日本では第1番目に求められていたからなのです。

現在、乳がん検診で有効性が確認されているのがレントゲンを使い乳房を挟み込んで撮すMMC検査です。あんなに挟み込んで痛くしなくてもいいのにと思っている方が多いと思います。レントゲンで撮すために、厚みが均一でないと判定しにくいのです。そのため思い切り挟み込んで、ブヨ〜ンと伸ばして均一の厚さにしているのです・・・痛いと思いますが、悪気があってからではないのですcoldsweats01

現時点では検診を行って癌患者を見つける優位性が出ているのはMMCですので、これが第1に行われいますが、エコー検査も非常に有用な検査です。

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ここでMMCとエコー検査のそれぞれの違いを話しておきたいと思います。

・MMCは均一に伸ばせば全体が写り、画像として正確に残すことが出来ます。エコー検査が乳腺組織を一回で移す訳にはいかない(最近この装置も出て来ましたがまだまだ普及には時間がかかりそうです)ので、何度か往復しながら乳腺をスキャンしてゆきます。そのために検査を行う医師や技師の技量により違いが出てしまいます。

それぞれに得意分野があり、MMCは微小石灰化を見つけやすく、エコーは小結節を見つけることに長けています。どちらも早期乳がんの検出には有効となります。

ここまで説明しましたので、現時点で検診はMMCが多いでしょうが、もちろん両方やればいいのですが・・・

検診でMMCを受けた場合に日本人で40%近くいる高濃度乳腺の方(多くは若年者〜中年)は癌の指摘を受けなくても、更にエコーを追加した方が良いと考えます。中年〜高齢者で乳腺が脂肪化している方はMMCで十分と思われます。

現在はMMCの判定基準で正常と思われても、私の方では先月より高濃度乳腺の場合は付記として「高濃度乳腺のためエコー検査の追加をお勧めします」と記載するようにしています。

2017年7月 2日 (日)

世界を夢みて 56 :杉原千畝(苦悩と決断)

バルト三国に行ってみたい1つの理由が杉原千畝記念館(旧領事館)訪問にありました。

地球で1番怖いのが人だし、1番優しいのも人だと思います。その恐怖の最たるものが戦争とそれに付随する差別や偏見、暴力です。しかしこの狂気の世界であっても救う人がいたことに感銘を受けます。 映画の「シンドラーのリスト」にもなったシンドラーについてはよく知っていても、20年前までは私自身は杉原千畝さんのことを殆ど知りませんでした。

Th_dsc05420 日本でも最近、杉原千畝さんが本や映画などで話題になり、私も改めて杉原千畝さんに関心を持ちました。

ロシア語が堪能だった彼はソビエトに近いリトアニアの領事代理として家族と共に赴任します。初めはリトアニアの首都のヴィルニスに領事館はあるも戦況が緊迫する中で、カウナスの日本領事館に移動します。日本はドイツ、イタリアと同盟関係でしたが、ドイツにおいてはユダヤ人の虐殺が始まっていました。ユダヤ人というだけでドイツの占領下にいることは虐殺される状況に追い込めれていたのです。

1940年7月の朝、突然多くのユダヤ人がカウナスの日本領事館に殺到します。彼らは日本への通過ビザを求めて押し寄せたのです。これがあればソビエトを経由して日本に行け、その後、アメリカなどの第三国に亡命することが出来たのです。彼らにとっては命のビザだったのです。

当然、杉原千畝さんは日本の外交官です。ビザを認めることは同盟国ドイツに敵対する行為となります。分かっていても、杉原千畝は、日本政府にビザ発給の許可の電報を打ち続けます。しかしその都度「否」とされます。

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戦況が緊迫する中で、杉原千畝さんもリトアニアの日本大使館を出国しなければならなくなり、その日が刻々と迫って来ます。大使館員としての使命、しかし目の前にいる罪もない人々の命が自分の手に委ねられていることへの苦悩と葛藤はどれ程のものであったかと想像されます(・・・それを探りたくてこの場所を訪れたのです)。

出国期限が近づく中で杉原千畝は決断します。「私を頼ってくれる人々を無視するわけにはいかない。でなければ私は神に背くと・・・」 。その決断後の半月は昼夜を分かたず、ペンが折れ、手が動かなくなるまで書き続け、リトアニアを脱出する電車の中でも書き続けたそうです。

発行されたビザの数は1600人分、その家族も一緒に通過出来るために最終的にユダヤ人5〜6000人が彼のお陰で命を救われたのでした。まさに「命のビザ」を信念に基づいて書いたのです。

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終戦時、杉原一家はブカレストの大使館でソビエト軍に身柄を拘束され、その後命からがら日本に帰国します。当然、彼は日本のお上に楯突いてこのような行動をしたのですから、外務省も叱咤し退官に追い込ませます。戦後しばらくは彼の名誉回復はならず、外交官としての資料も殆ど廃棄されてしまっていました。

彼の名誉回復を計ってくれたのは、私達日本人ではなくて、彼が救ったユダヤ人達だったのです。カウナスで命のビザを受けた方が、新生イスラエル国の外交官となり、更に多くのユダヤ人達が杉原を戦後捜したのです。しかし「外務省の返答は」このような外交官はいないと、誠実には捜してくれなかったのです(彼の呼び方が日本語どおりでなかったのもありましたが)。

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命を救われたユダヤ人達はその後も熱心に命の恩人を捜し続け、やっと外務省と杉原との公式電文を入手し、杉原千畝を探し当てます。その時もユダヤ人社会はなぜ杉原千畝の名誉回復を日本政府が行わないのか疑問を投げかけています。

1985年(昭和60年)イスラエル政府より、多くのユダヤ人の命を救った功績にて、杉原千畝さんは日本人では唯一「諸国民の中の正義の人」として「ヤド・バシェム賞」を受賞することが出来たのです。

日本国政府による公式な名誉回復は彼が亡くなって14年経った、2000年10月10日でした。

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ヴィルニスには、彼の功績をたたえ、「スギハラ通り」と命名された通りができ、生誕100年を期に日本の桜が植樹され、2001年に彼が在籍した早稲田大学の手によって「杉原千畝記念碑」が建てられています。

もう一度自分がこのような状況になった時に、どのような決断ができるのだろうか? 千畝さんのように逃げずにやれるのだろうかと自問する旅でもありました。

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