世界を夢みて 40 : 聖ニコライ教会 死のダンス
聖ニコラス教会内に世界的に有名な「死のダンス」と言う絵画があります。エストニアのタリン観光のガイドブックにも必ず入っているほど有名な作品です。
タリンの旧市街の市庁舎広場を通り抜けるとその裏手に聖ニコラス教会がでてきます。12世紀半ばにドイツ商人によって建てられた教会です。この教会を世界に知らしめたのはその中にある作品群でした。一つは15世紀後半のリューベック出身のベルント・ノトケの作品の「死のダンス」で、もう一つは正面の主祭壇を飾るヘルメン・ローデの作品の木製の祭壇です。
実は「死のダンス」はノトケがリューベックの教会とこの聖ニコラス教会(こちらは模写)に納めていました。 しかし第二次世界大戦でリューベック教会は完全に焼失します。この聖ニコラス教会も爆撃を受けたのですが、全長30メートルあったこの絵画の約4分の1の縦1メートル60センチ、横7メートル50センチが辛うじて戦火を免れて現在展示されているのです。
この絵画に描かれているのは法王、皇帝、皇女、枢機卿、国王という当時の上流階級の人々の間にそれぞれぼろ切れのまとった骸骨が一緒にダンスを踊る姿が交互に描かれています。消失した残りの部分を含めると当時のあらゆる階層の人々が50人以上描かれた大作だったそうです。
この絵画は画法的に優れているかどうかは分かりませんが、その絵の背景にあった時代を写している作品として貴重な絵画だと言えるのかも知れません。
14世紀にヨーロッパで黒死病と呼ばれたペストが大流行した時に、教会や墓地に「死の舞踏(ダンス)」と呼ばれる壁画が描かれるようになったそうです。生きている人物と死者(骸骨やミイラ)が一対になって描かれています。
当時、貧しい者も富める者も、宗教心の強さにかかわらず、周りの人々がペストで死んでゆきます。 原因も判らず対策もありません、明日は我が身と皆が考えていた時代です。 その時代背景がこの「死のダンス」の作品を描かせたのです。 当時ヨーロッパは既にキリスト教の社会だったはずです。その中で次々と死んで行く人々をみて「王様だろうが低層の人々であろうが信仰心が強かろうが死は誰にでも訪れてる」という無常感やあきらめにも似た気持ちがヨーロッパ社会を支配していたと思うのです。一時的に教会や王様の権威が喪失した時代だったかも知れません。
その後このペストの大流行や戦乱が収まると、宗教改革などを通してまた教会の権力が復権してゆきます。その頃になると、この死のダンスも権力者にとっては忌々しい思想だったと考えられます。 権力者によってその後は各地にあった「死のダンス」として描かれた作品は破壊されたり、その上から漆喰が塗られてほぼ消失したと言われています。
その意味でも聖ニコラス教会に僅かに残った作品が世界的に注目されていると言われています。
数年前に観た映画「キングダム・オブ・ヘブン」と言う映画の中で、生けし者とミイラが対となった「死の舞踏」が壁に描かれたシーンが出てきます。
これを観た時になぜこの様な絵画が描かれているのか意味が分からなかったのですが、今回の旅行で謎が解けた気がしました。 この映画は十字軍の時代のエリサレムを巡る宗教対立による戦争や和平を描いたいる作品です。監督は「エイリアン」「ブレードランナー」「グラディエーター」などを手がけたリドリー・スコット監督です。この映画の本質が実は「死のダンス」だったのだと今気がついたのです。(お時間があればこの映画をご覧になり、「死のダンス」の場面を見つけて下さいね)
誰にも死は訪れます。私自身、宗教を知りません。死後があるとも考えませんが、死ぬ前によりよく生きようと思うのです。結論は出ませんが、恐らく自分自身のために恥ずかしくない人生を歩みたいと思うのです。 この絵を見ながら色々と考えてしまいました。
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こんばんは
西洋の美術、宗教画などの中には
何故こんなグロテスクで
不気味な絵を描くのだろうと
疑問に思う事がありましたが、
先生の解説で一部ですが
意味が良くわかりました
この時代は死が身近にあったと言えますね
つい、目を背けてしまいがちですが、
死について考えることによって
先生と同じく、生き方について
色々と考える
きっかけになりますね。
投稿: monna | 2016年12月12日 (月) 23時32分
monnaさん、こんばんは。
絵画をなされているmonnaさんにとって、西洋の絵画にグロテスクで恐ろしい絵も沢山あることをご存じだと思います。
14世紀の十字軍の遠征から帰都の際に、ペスト菌を持ったネズミが入り込み、ノミが媒介して、人類が経験したことがないような世界的大流行が起こります。
特にヨーロッパでは人口の1/3が死亡し、社会全体がパニック状態となります。 原因が判らず目の前で高熱を出して死んで行きます。皮膚が変色して死んでしまうため黒死病として恐れられました。 富めるものも貧しいものも、高貴なものも下賤なもの、信仰心の高低にかかわらず、これに関わった人々が死んで行きました。
このような時代背景で「死のダンス」は各地で描かれたのです。
私は日常的に人の死と向き合っています。私達誰もが死は身近な存在です。 monnaさんが書いてありますように、死があるから生きることを学びますし、有限だからこそ私達の命は尊いのだと考えるのです。
本当、色々考えるきっかけになれたら嬉しいです。
投稿: omoromachi | 2016年12月13日 (火) 00時30分