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2016年1月17日 (日)

阪神淡路大震災と今

阪神淡路大震災から21年目を迎えました。当時大学病院に勤めていた私は、「阪神地方に大規模な地震があったようです」との一報をラジオで聞きながら車で出勤していました。そして自分の患者さんを診て、医局に戻るとテレビの中に映し出されたのは今現実に起こっているとは信じがたい光景でした。

Th_dsc02967 その日の午後に、教授からもしも医療支援の要請があったらいけますかと言われて「はい、行きます」と答えました。その後当直や手術、外の病院への予定も他の人に変わり、何時でも向かえる態勢を取っていたのですが、私の出番はありませんでした。もしも行っていたら人生観が変わったのかも知れません。

突然、普通の日常を震災、人災が襲い、これまでの人生が変わった方も多いと思います。どんなにか大変だったのだろうかと・・。

先日、スキーバスで多くの未来ある若者が犠牲になりました。特に若い方が亡くなるのを目のあたりにすると苦しくなります。突然、希望を抱いた若者達がいなくなるのは辛く悲しいことです。

この様なことを書いたらまだまだ若いのにと私より年配の方からお叱りを受けるかも知れませんが、私はこのような若者達をみるにつけ、自分はもう十分によりよく生きたと思うのです。私の叔父達が16、18才の年齢で沖縄戦で亡くなったという記憶と重なるのです。

このバス事故についての原因究明はこれからでしょう。ただ今の日本は成長のためといって、とても無理をしている様に思えます。 ○○ミクスで景気は良くなっている、税収も増えたと言っていますが、それは多くの方(企業)が無理をして、沢山の大切なことも削った結果ではないのかと考えています。

私が関わっている医療や福祉の分野でも、余裕がなくなっているのです。人が生きてゆくための最低限の部分が切り捨てられることで、生活への不安感が増しているのだと思うのです。

将来への不安があると、今ある生活、金銭に対してもいつ崩れるのかと恐怖心を抱いてしまいます。今の国策は民間に眠っている貯金を株や消費行動に結びつけよう誘導しています。しかし現状では無理してでも貯め込む方が優先となります。

あの大地震から21年の今、国民の多くは以前より将来に対して希望より不安を抱いている方が増えたのではないかと危惧しています。

もう少し余裕を持って生きて行けたらと思います。ゆとりは経済的な基盤も重要ですが、最も大きいのは心のゆとりです。行政に対しては最低限の生きるための保障を充実させ、人々が将来この国で安心して暮らして行ける施策をとって欲しいと願うのです。

支離滅裂な文書になってしまいましたが、お許しを

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コメント

omuromachi様
おはようございます。経済的なゆとりは
大切です。それにまして,心のゆとり,
大切ですね。バブルがはじけていこう
心のゆとりがなくなり,それが続いて
いるように感じています。
omuromachi様のように誰にでも
優しい人でありたいと思います。
今後ともよろしくお願いします

nadoyamaさん、おはようございます。

経済基盤がしっかりしていないと心もゆとりは持てないと思いますが、今の日本は困窮している家庭も多いのですが、それ以上に追い詰められている気になってしまいます。

バブルを経験して経済的成長より安全、安心の住みやすい日本になれればと思っていましたが、また経済一辺倒、それも困っている方々を置き去りにした政策になってしまっているように思えますね。

心の安定のためにも、先ずは困窮している方々に手を差し伸べて欲しいと願っています。

おはようございます
バス事故・・・
花も実もある前途洋々な若い人が
亡くなるという事は、本当にいたましく、残念な事です。
やはり、運転や業務に「大丈夫だろう」という慢心が
あったのではないでしょうか。
実は私も昨年の暮れに車をぶつけてしまい、
やはり、気の緩みがあったと反省しています。
こういう大変な事故を見るにつけ
もしかしたら私ももっとスピードが出ていたらと思うと、
恐ろしく思います。
日々気を引き締めて運転する方が、どれほど
楽な事だろうと思うのです。

こんにちは。今日茨城は大荒れです。雪でなくてよかった。風は台風みたいでしたが
午後は少し収まってきました。阪神大震災からもう21年・・・私もあの時はこれが
日本の受ける最大の災害かと思ってました。それから10数年後、東日本大震災
身近なところでは、鬼怒川氾濫と災害が多いですね。4年前の地震の時は
目の前の壁が崩れ落ちるのをみました。ここに暮らしてると世の中景気がいいのか
悪いにのか、さっぱりわかりません。贅沢はできませんがのんびりしてます

monnaさん、こんばんは。

事故は色々な要因が重なって起きてしまうと思うのですが、やはり一番多いのは単純ミス、慢心から来ることが多いと思います。後は単純整備不良からでしょうか。

monnaさんも危ない経験をされたのですね。 車は普通に乗っていますが、やはりスピードが出た車は凶器と一緒と自分に言い聞かせないといけませんね。

大変な経験をやはり今後の糧にしたいですね。お互いに気をつけながら運転してゆきましょう

フーミンさん、こんばんは。

あれから21年の歳月が経ったのですね。それ以降も地震列島の日本は色々な災害が起こりました。そのたびに多くの大切な命が失われたのを記憶しています。

茨城県も考えてみたら色々な災害に見舞われたのですね。やはりブログでお世話になっている方の地方のニュースが出るとその方と結び付けて考えてしまいます。

生きているだけできっと幸せで贅沢なのでしょう。フーミンさんがのんびりと生きてゆければ幸いと思います。

あれから21年。私はその揺れを震度3で経験しました。もしその揺れがもう少し北で起きていたら、私のボロ家屋は簡単に崩れて下敷きになっていたでしょう。当時高校生だった娘は今はもう2児の母親。もしあの時・・・。その後仮設被難所に救援隊として行きました。いろんな物資も送りました。でも、たくさんの帰らない命を目の当たりにしたとき、慰めの言葉もありませんでした。本当に怖かったです。いつ災難が降りかかってくるのか、事故に会うのか、病気になるのか、それらはだれにもやってくることです。自分の意志と関係なくやってくるのです。そんな状況の中でも生きていける、希望をもって生きられるという社会であってほしいと思います。そのための税金なら文句も言いません。ところが殆ど大企業に貢いでいるような今の増税の使い方ならこれから先の不安と恐怖で悪態もつきたくなってしまいます。
omoromachiさんの話を読んでいて、北風と太陽のお話を思いました。北風がいくら強く風を吹かせても、旅人はよけい身を固くしてコートを必至と抱えて、決して脱がないでしょう。今のやり方には太陽の暖かさはありませんね。寒い北風が吹くばかりです。

はるかさん、こんばんは。

あの地震ははるかさんにも近いところでしたので、揺れを大きく感じたことでしょう。娘さんの成長を確認するとやはり時の流れを感じるでしょうね。しかしその時に大切な方をなくされた方々には昨日のことのような出来事かも知れません。

私達は人災、天災にいつ遭遇するか分かりません。その時の災害に対する保険は税金を納めているのは私達ですので、本来なら国の制度だと思います。そのお金が今の政権は違う方向に使われていて、庶民はお金は出すけど安心は買えない状況となっています。

以前、ノルウェーに行った時に国がリタイア後は面倒みてくれるので退職金でヨットをかってこれから半年かけて南欧を旅行するという方に出会いました。日本でタンス貯金を消費や株に投資させたければ老後の心配をなくせば、貯める必要もなく消費すると思うのですが・・・・その方が景気は良くなる気がします。

イソップ物語の「北風と太陽」・・良い例えですね。コートを脱がすには周りを暖かくしてあげれば自分から脱ぎますよね

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