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2015年7月20日 (月)

世界を夢見て12:ウィーン包囲網

ヨーロッパ各地を旅行すると、色々な国で対オスマン帝国とのいわゆるキリスト教とイスラム教との戦いに関することを見聞きすることがあります。またトルコを旅行すると東西の文化やイスラム教とキリスト教の色々な建造物を見ることが出来ます。

ヨーロッパの国々を旅するとオスマン帝国との戦いの場面を描いた絵画などを見ることがあります。以前ポーランドの田舎の教会の壁にもこの地域の誰々がトルコとの戦い出かけたなどの記述が残っていたりしていました。

これまでウィーンについての旅行記を書きましたので、これに関わる話です。 前回もウイーンとコーヒーに書いたのですが、何となくヨーロッパと言えば一般的な飲み物としてはコーヒーが一番ではないかと考えてしまいます。何となくウィーンの飲み物といえばコーヒーでしょうと私も考えてしまうのです。今回はその歴史について書いてみたいと思います(非常に大雑把ですので、間違いがあると思いますのでご了承下さい)。

Th_ 紀元前・後を挟んでヨーロッパの中心と言えば、ローマ帝国となり、その国教がキリスト教となることより全ヨーロッパがキリスト教の文化圏になるわけですが、4世紀に最後のローマ帝国の皇帝となるテオドシウス1世が息子二人に領土を分割し、長男が西ローマ帝国、次男が東ローマ帝国を統治することになります。 今ではイスタンブールと言えばトルコの首都で昔からイスラム圏のような気がしますが、それ以前は東ローマ(ビザンチン)帝国の首都コンスタンティノープルだったのですから、キリスト教の東の中心だったのです。15世紀にオスマン帝国がコンスタンティノープルを征服し、このイスラム教の首都になったのですね。

オスマン帝国は、これまであった大きな教会などは破壊せずにそのまま使ったため、今でもその当時の建物を見ることが出来ます。 イスタンブールでもひときわ目立つアヤソフィアも初めは教会として建てられ、壁画もモザイクでキリストなどが描かれていました。その後イスラム教のモスクとして利用されることになります。偶像崇拝を禁止するイスラム教のために壁のキリストや聖人画は漆喰で被われてイスラム様式の装飾により隠されてしまっていました(現在ではその漆喰が剥がされ、鮮やかなモザイク画を私達は堪能で来るのです)。 

Th__2 次第にオスマン帝国は勢力を拡大し、西へ西へと領土を拡大します。この巨大なイスラム帝国に立ち向かうため全ヨーロッパ(キリスト教者:厳密にいえばカトリックが主)の大きな砦となったのがオーストラリアのウィーンだったのですね。当時のウィーンは頑丈な城壁で囲まれた要塞都市で、オスマン軍をくい止める最前線だったのです(今ではこの城壁を壊してた後に出来たメイン道路のリングの上をトラムが走り、旧市街地を囲んでいます)。

その戦いは17世紀ですのが、今でもヨーロッパ各国でその戦いの足跡をみることが出来ます。逆に言えば如何にオスマン帝国(トルコ)が強大な国家だったのかが判ります。いまでもトルコの前進のオスマン帝国憎しの歴史観は中東欧諸国を中心にヨーロッパに残っているように感じることもあります。

それでも私が若い頃にヨーロッパ、エジプト、トルコを訪ねた後に感じたのはやはり文明は繋がっていて、お互いに影響し合っていたのだということでした。キリスト教からイスラム教への支配となったトルコ、その逆となったスペインなど、支配する前の遺産を破壊せずにいたおかけで沢山の世界遺産を私達はみることが出来ます。最近は全てを破壊尽くす対立も多くなっている気がします。以前の方が他の宗教にも寛容であったのでしょうか?支配した地域の文明にも敬意を払っていたように感じます。

ウィーン攻防戦の後に残った文化の1つがコーヒーだったのですが、余計なことを書きすぎて、書きたいと思っていた部分に辿りつけませんでした

次回はきっとウィーンのコーヒー文化の発祥について書けると思います。よろしければ次回まで(?)ウィーンの旅行記にしたいと思いますので、どうかお付き合いください。

(トルコに行ったのは、かれこれ25年も前だったのですが、観るところも沢山で人々もフレンドリーでした。あれからずいぶん変わったでしょうか? また行きたくなる場所です)

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旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

こんにちは

今回の世界の夢みては世界史のおさらいのような
感じですね。大学受験で世界史をとっていたのですが
いつもこんがらかってしまっていました

色々な国を行っていて羨ましいです
ririkaはまだヨーロッパは行ったことがありません
以前カナダのことが書いてあり是非行ってみたいと
思いましたが、ウィーンにトルコも良さそうですね。

これからも沢山紹介くださいね。
それをみながら参考にします
いけるとしたら新婚旅行? その前に
彼氏を捜すことが重要です

院長先生
お暑うございます。
いつも有難うございます。

私はトルコ、エジプトは行っておりませんが、
スペインへ行った折にイスラム教の事が
少しだけ分かりました。
次回のコーヒー文化も楽しみにしております。

ririkaさん、こんばんは。

済みません、私も書きながら歴史の教科書みたいと思ってしまいました。 私の方は遠い受験の時に地理と政治経済をとっていましたので、日本史・世界史など歴史は殆ど覚えていません。だだ旅行したお陰で色々と勉強にもなっています。

ririkaさんは、まだ若いのでこれから沢山いけるかもしれませんよ。いけなくても今はテレビでも沢山放送していますので、そこは想像を働かせて世界旅行を楽しんでくださいね。

そうでしたか、新婚旅行の前に彼氏でしすか・・・これは実に大きな問題かも知れません(笑)

マコママさん、こんばんは。

首都圏も梅雨明けと同時に猛暑で、熱中症で沢山の方が緊急搬送されたことがニュースになっていました。体調はいかがですか。

マコママさんは沢山の所を旅され、ブログにも詳しく書いておられましたので、私もマコママさんのブログを読まさせて頂きながら思い出すところも沢山ありました。

スペインはヨーロッパの方々からするとピレネー山脈を越えたらもうヨーロッパじゃないと言われるぐらいアラブの文化が影響していますよね。それだけ当時のイスラム国家は文化的にも発展していたと思います。 アルハンブラ宮殿やグラナダの市内など、無血開城してくれたお陰で沢山の世界遺産をみることが出来ますし、本当に人間の財産だと思いますよね。

次はコーヒーに歴史について書いてみたいと思います。これからも時々旅行についても書いて行きたいと思いまので、同じ旅行先もマコママさんとダブルかも知れませんね

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