他人を尊敬出来る人を育てる
日本で失われつつあるものの1つに、様々な職業に対する尊敬の念があると思うのです。
「日本を取り戻す」ということを聞くことがたびたびあります。そして教育改革が叫ばれています。日本人としての誇りを取り戻すために、道徳教育を復活させようとしています。
教育の中で偏った思想を教えるのを許してはいけません。しかし政府が言うがままの教育をするのがよいとも限りません。日本の戦後教育は戦前の間違いの上にも成り立ってきているのです。日本を取り戻すために、なぜ日本が戦争に突入したのかを学問的に検証する必要があるのだと思えます。
戦後教育を否定し道徳教育を復活させたい方々が、戦後日本を駄目にしたのは学校の先生方だと批判してきたのは大きな間違いだったと思うのです。
本来、学びの中で子供達は学校現場の教師や用務員、給食の方などを尊敬し、学問を受け入れるはずです。子供達にとって、その方々は家族以外で初めて接する年長者でもあるはずです。 教育現場の尊厳をなくし、子供達が最初に接する職種を政治家や親が否定するようになれば、大人になってもどの職種も尊敬することが出来なくなると思うのです。
学問を修め教育に携わる人々は、色々な世界のことを学び、人がどうあるべきかを大局的に考えることが出来る集団だと思います。 そこには金銭的なものや政治的なものではなく、学問の自由が保障される中で純粋に学問を通して、人間がどう生きるべきかを教える職種だと考えます。
子供達に、学ぶことの大切さ、それは「自分自身そして社会を豊かにするためにあること」を教えなければならないと思います。 自分の優越性を保つための学問ではなく、人間として他人を認めることを学んで欲しいのです。 大人になって、何かを成し得た場合は、やはり自分がこれまで来たのは自分だけでなく周りのお陰だと素直に言える人間に育てて欲しいと願います。
このようなことは学校教育を否定していては生まれて来ないはずです。戦後の日本の教育を否定してきた人々は、自身がそれを公言してきたことが、子供達の他者への尊敬の芽を摘んでしまったことに気づく必要があるのではないかと考えます。
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こんばんは。
拝読させていただき、「なるほど」と納得しました。
私の子どもの通う学校の先生は、
いったいいつ休んでいるのだろうと思うほど一生懸命子どもたちのことを考えてくださいます。
マスコミや政治家のいうままに、先生方を批判してしまったら、
尊敬の念はうまれませんよね。
omoromachi先生のおっしゃるとおりだと思います。
投稿: とんぼ | 2015年3月 1日 (日) 22時37分
とんぼさん、こんばんは。
今回教育や教師のことを考えたのは、首相が国会審議の際に野党にヤジを浴びせた件です。質問の内容と全く違う所で「日教組」とヤジが飛びました。きっといつも首相の頭の中では日教組への反感が渦巻いているのではないかと感じたのです。
自分と相容れないことへの許容なしに、教育現場にも足を突っ込もうとしている方の主導で教育がゆがめられることへの心配が生じたので、今回このようなブログを書いてみました。
どんな職種にも偏った人はいるでしょう。しかし、日本の教育が間違っていたから日本人が駄目になったと勘違いしている方々は、自分の責任は感じていないように思えます。
議論を尽くすのは構いませんが、実際に子供達を預けていいる方を公人が生徒の前で批判してはいけないと思います。それを聞いた子供は先生を信用しなくなります。 それでは教育が出来ません。 教育現場を非難して来た人達は、今一度自分の行為を振り返るべきと感じました。
とんぼさんが賛成してくれてホッとしています。
投稿: omoromachio | 2015年3月 2日 (月) 00時17分
omoromachi様、おはようございます。
納得しながら読ませて頂きました
私も同意見です。
大人が自分の教えている先生を
批判しているのを聴きながら育つと
先生は攻撃の対象ともなります
さらには学校自体が荒れてしまいます
最近ではもうないんですが、過度に
親が自分の子供に対して学校に
口出し過ぎるようなことが普通に
なってしまいました。
会社でもそうですが、お客様の
前では部下を叱ったりしないのは
当たり前です。
対立ではなくてお互いに学びながら
育って行くのが理想でしょうか?
そのような事をかんじました
色々な話題のあるブログです
これからも楽しい記事を書いて
くださいね
投稿: ツクシンボ | 2015年3月 2日 (月) 08時23分
ツクシンボさん、こんばんは。
子供の前では先生を批判しないことは、重要なことだと思います。この先生の評価ではなくて、学校の先生を全体的に批判する論調がありましたので、それによって同一に批判されるのはおかしな結果も招くと思います。
「会社でもそう」と書いていますね。これは管理者の心得と思いますが、お客(患者)さんの前で部下を怒ってはいけませんね。これはお互いに不信感を招くだけになります。
怒るときは二人きりになった時に、怒鳴るのではなくて理路整然と諭さなければならないと思います。
組合が良いとか悪いとかではありません。日本の教育を駄目にしたのは組合だという方がいました。子供達の前でこの発言する方も教育を駄目にした人間であると考え、このブログに書いてみたのです。
投稿: omoromachi | 2015年3月 2日 (月) 19時13分
今の学校教育に限界があるのも確かです。先生たちは教育以外のことで忙しすぎます。
子供との関わり以前に、保護者への対応に追われたりもしています。
そして、束ねるべき教育長には、
自治体の長に都合のいい人が任命されるようになっています。
道徳教育の大切さは否定しないのですが、
それを教科として評価することには、私は絶対反対です。
いろいろな人のいろいろな考え方をお互いに認め合えるようになることが大切なのに、
一つの考え方(恐らくは国家にとって都合のいい)を『正しい』としてしまうのは
あまりに危険です。
政治と教育は、できるだけ切り離したいですね。
投稿: saki | 2015年3月 2日 (月) 19時25分
sakiさん、こんばんは。
本当に今の日本の学校の先生方は大変だと思います。本来の教育の前に、保護者への対応、上司からの締め付け、様々な雑用が時間や気力を奪ってしまっている気がします。
自分が出来ない躾を先生のせいにする保護者も増えています。親が出来ない躾を学校でやれるわけないのです。
躾と言う意味で道徳教育は必要かもしれません。昔は周りの大人達が沢山いて、良い悪いを諭してくれたはずです。その代わりに道徳教育を利用することはいいのかもしれません。
ただ心の問題に国家が入って来てはいけません。同じ価値観で育てられて、皆が一斉に同じ方向に向く国家は危うくなるものです。 多様性とそれを認める社会になって欲しいものです。
投稿: omoromachi | 2015年3月 2日 (月) 19時39分
omoromachiさんの意見に全く同感です。でも、私は教育と政治について論ずる前に情けなくなりました。総理が人の発言中にヤジを飛ばすこと自体がおかしな自分の立場をわかってないことです。そしてその上にまったく根拠のないことをいったのですから、自分の妄想を暴露してしまったことであり、自分の品性のなさを全国に知られてしまったことですから総理としては恥ずかしいことであり、国民としては情けないことであり、これまたよその国に対してこれが総理かと思われるかと思うと恥ずかしいことだと思うのです。
前ならこんな嘘を総理が国会で言いでもしたら大問題になって辞任になるような大恥のうつけものでしょうが、今はだれも大声で正面から批判しません。かわいそうなのは総理ですね。国会議員としてとるべき正しい態度や教育と政治についての認識も国民の常識以下です、が、これを糺したり、教えてあげる人がいないのですから。自民党の中でも教えてあげないのでしょうか。自民党の中にもそういうことが分かっている人がいると思うのですが、総理はひとりぼっちで親友はいないのでしょうか。
投稿: はるか | 2015年3月 3日 (火) 22時08分
はるかさん、こんばんは。
この記事は、安部首相のこのヤジについて思い立って書いたものです。 はるかさんの仰る通りだと思います。今の与党には可笑しいことを正す重鎮もいなくなって、媚びへつらう方々が取り巻いているのでしょう。 裸の王様と同じです。
私がこの記事を書いたのは、全く脈絡もない場面で「日教組」と突然口から出てきたことです。 首相の頭の中には事実関係を調べたり、勉強もしないまま、既に「戦後教育は間違っていた」とすり込まれているのです。
雰囲気だけでものを言うリーダーはとても怖いことです。感情に流され、他を受け入れない方は非常に怪しく、思い違いで国が違う方向に進むのではないかと憂慮しています。
このブログの中ほどに学問について書いたのは、勉強して知識を得るなかで大局的に国を動かす人が重要と書いたのです。今の首相は頭より口が先のような気がします。
投稿: omoromachio | 2015年3月 3日 (火) 22時59分