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2015年2月 1日 (日)

改めて冷静になるために:ユネスコ憲章

今日朝から気が重く辛いです。残念でなりません。怒りや虚しさや悔しさが心の中で循環しています。

テロに屈するわけにはいけません。当然です。同胞が捕らえられている以上は何遍も推敲に推敲を重ねて、言葉を発しないといけないと思うのです。配慮に配慮、熟考に熟考を重ねて行動しないといけないと思うのです。残念で残念で仕方ありません。

私達もここで冷静になる必要があると思います。テロに屈しないことと戦争をする事は一緒でないこと、殺されたから殺してやるではないはずです。悔しくても冷静にならなければならないと思います。

私自身も冷静になるため、以前読んだことのあるユネスコ憲章を思い出して読んでいます。

「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和の砦を築かなければならない」はユネスコ憲章の前文の一節です。 そして「人間の尊厳・平等・相互の尊重という民主主義の原理を否認し、これらの原理の代りに、無知と偏見を通じて人種の不平等という教養を広めることによって可能にされた戦争であった」と述べています。

Th_img_0587 ユネスコ憲章:前文

この憲章の当事国政府は、この国民に代わって次のとおり宣言する。
戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。
相互の風習と生活を知らないことは、人類の歴史を通じて世界の諸人民の間に疑惑と不信を起こした共通の原因であり、この疑惑と不信の為に、諸人民の不一致があまりにもしばしば戦争となった。
ここに終わりを告げた恐るべき大戦争は、人間の尊厳・平等・相互の尊重という民主主義の原理を否認し、これらの原理の代りに、無知と偏見を通じて人種の不平等という教養を広めることによって可能にされた戦争であった。
文化の広い普及と正義・自由・平和のための人類の教育とは、人間の尊厳に欠くことのできないものであり、 かつ、すべての国民が相互の援助及び相互の関心の精神を持って、果たさなければならない神聖な義務である。
政府の政治的及び経済的取り決めのみに基づく平和は、世界の諸人民の、一致した、しかも永続する誠実な支持を確保できる平和ではない。よって、平和が失われないためには、人類の知的及び精神的連帯の上に築かれなければならない。
これらの理由によって、この憲章の当事国は、すべての人に教育の十分で平和な機会が与えられ、客観的真理が拘束を受けずに研究され、かつ、思想と知識が自由に交換されるべきことを信じて、その国民の間における伝達の方法を用いることに一致し及び決意している。
その結果、当事国は、世界の諸人民の教育、科学及び文化上の関係を通じて、国際連合の設立の目的であり、かつ、その憲章が宣言している国際平和と人類の共通の福祉という目的を促進するために、ここに国際連合教育科学文化機関を創設する。

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

こんばんは。

わたしもいま、とても複雑な思いでいます。
怒りにまかせて相手を攻撃したら、それは自分自身も相手と同じになってしまうし、
先生の仰るとおり、こんな状況のときこそ、冷静になって言葉を選ばないと・・・と
思っていました。

争いは人の心の中からうまれるもの。。。確かにそうですね。
お互いが、お互いの違いを認め合うことができれば、
相手を思う気持ちや優しさは、意識せずとも自然に沸き起こり、
ともに歩んでいけるのかもしれないのになぁ・・・と感じます。

ユネスコ憲章前文、はじめてきちんと読みました。
シェアしてくださって、ありがとうございます。

アケさん、こんばんは。

本当に複雑な思いでいっぱいです。どう表現してよいのかさえ分かりません。

自分の怒りが込み上げて来そうになりました。しかし冷静に考えたら、私個人は本当の怒りなんかではないはずです。家族を亡くした方々への思いだったり、亡くなった人の無念を思うことなのだろうと考えるのです。

このような自分を考えたときに、以前読んだユネスコ憲章を思い出しました。今は自分の心の中に砦を築かないといけないと考えるようにしました。 まだまだ私は強くなれないのです。

コメント頂き有難うございました。

こんにちは!

大変重苦しい気持ちになったのは、俺もそうですし、国民の大方は同じ思いであったと思います。残念な残念な結果になったこと、とても哀しい思いです。
今回の件に限らず、世界的に人間同士の紛争が絶えないことも、また残念です。所謂民族間、宗教間など、認め合うことのない行為は残念なことです。
今回は併せて俺は、報道のあり方にも課題はなかったのかも考えるべきと思います。真実を伝えようとする報道の精神は崇高であります。でも、それだけではどうなのでしょう・・・俺はそのことも考えさせられました。

omoromachi様、こんにちは。

昨日は出張中でしたが、後藤さんのニュースでやはり心が痛みました。
会社の皆も同様に悔しい思いをしていました

今回の日本政府の対応は、人質救出よりもテロに屈しないとのメッセージが
前面に出すぎたのではないかと心配していました

通常でしたら「テロに屈しない」でいいと思いますが、人質がいるという
非常事態ではそのことを語るより、どんな条件でもまずは人質解放を
優先にするというメッセージを発するのが邦人救出の第一歩と思えます

人質となった日本人に剥けているのかアメリカに目を向けているのか
分からないような態度はおかしいです。 米国も自分達の捕虜とは
人質交換で解放したこともあるのに、日本には交渉するなというのは
内政干渉ですよ。日本人が死んでもアメリカは責任取りませんから

でんでん大将さん、こんばんは。

国民の心ある方々、無事解放されることを祈り続けたと思います。結果は一番最悪な事態となりました。 この怒りや虚しさを何処にぶつけたらよいのか判らなくなりました。

でんでん大将さんが仰るように報道の問題も考えさせられました。 報道に関して平時と緊急事態では対応が違うと考えられますし、その配慮が必要だと思います。 真実を出来るだけ早く伝えることは報道機関の使命でしょうが、しかし緊急事態の場合、逆に報道を控えるべきことだってあるはずです。

検証まで時間がかかることもありますし、記事に対する責任を含めて、速さだけでなく報道のあり方も検証すべきだと思いました。

ツクシンボさん、こんばんは。

本当に多くの国民が心を痛めたと思います。今回の事件に関して、勿論、この様な残虐行為を許すわけにはいけません。

でも日本はどうして人質解放が最優先でなくなったのでしょうか。 自分達の言葉1つで自国民が殺害されるかもしれない状況で何故先に「テロには断じて屈しない」と言うのでしょうか。 相手を刺激する言葉は人質が解放されてから言っても遅くないのです。

自国民の2人が犠牲となっているのに、先ずは解放できなかった自分を責めるべきです。どうして解放出来なかったかの検証をすべきでだと思います。その後でテロ集団に関してはどうすべきかを対応すべきです。 

相手を叩きのめすことは聞こえはいいのですが、当事者だけでなく戦争地域で子供達がその行為に巻きこまれる可能性も考えて行動しないと、後藤さんの死も無駄になってしまう気がしてなりません。

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