フォト
2024年12月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

« 眠れぬ夜の羊たち | トップページ | 胸が痛む:脳か心臓か? »

2015年1月12日 (月)

成人式:若さの特権

成人式のニュースでよく目にするのに、若者達が羽目を外した姿があります。 そんな若者達が単に幼稚だとは語りません。 ただ彼ら・彼女らの時間が惜しいと思うようになったのです。 そう感じるのは、既に残りの人生の時間を考えるようになった私達であり、時間の有限性を自分の体験から獲得した大人達の想いかも知れません。

Th_dsc00036 若いって何なんでしょう? 若いから何でも許されることでもなく、若いから責任を放棄されるわけではありません。 

しかし彼らは若いという特権の中で生きています。 それはまだどうのように変化するか分からない状態で、時間の制限なしに、望む場所に進むことが可能であるチャンスを持っていることなのだろうかと・・・・そして彼らをみる大人達も変わりゆくチャンスを長い目で許しているのだろうと。 

変わりゆくチャンスを有する若者の特権を自覚させるひとつが「成人の日」かも知れません。 それを期に若いという特権から卒業し、大人への転換を強要する儀式かも知れません。 

その様なことを書いたら、「成人の日」なんか喜べないよと仰るかも知れません。 いやいやそうではなくて、喜びも辛さも、強さも弱さも分かる大人へ、そして自分の小さい世界から大きな世界へ飛び込める場所に立てた喜びを感じて欲しいと願っているのです。

さあ、分別のある大人の世界へ「遠慮なくお入りなさい」

« 眠れぬ夜の羊たち | トップページ | 胸が痛む:脳か心臓か? »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

こんにちは。

そうですね・・・必ずといっていいほど、成人式の集いには
暴れん坊さん?が何人かいますね。

わたしの成人式(遥か昔ですが・・・笑)でも、
男性二人が取っ組み合いの大喧嘩をしていました。
翌日、テレビのニュースで、片方の人が亡くなったと知りました。
喧嘩の発端はわかりませんが、とても哀しい気持ちになったのを覚えています。

わたしも、ここに生きていることに感謝しながら、
これからの人生を大切に過ごしていけたらいいなぁと、改めて思いました。

成人の日
おめでたい日ではありますね。
大人になるということで、それなりに
責任と義務をはたさないといけない
のですね。
それを早く自覚し、行動に移せると
いいなぁと思います。私自身、大人として
行動したいです。

アケさん、こんばんは。

若い頃の暴れん坊は何処にもいますでしょうね。アケさんの体験談は悲しい気持ちになりますね。

その後、亡くなった方は勿論ですが、その家族、その方を殺めた方の周りの方々にも違う人生が訪れたのでしょうね。

1人1人が大切な命です。命の大切さをかみしめながら、これからの人生を歩んでゆきたいですね。

nasoyamaさん、こんばんは。

今日は成人式ですね。自分だけの世界で生きていると、成人式で暴れても当たり前と思ってしまうかも知れません。しかし世界に目を転じると、大人になるための過酷な儀式が待っていたり、戦争の中で20歳の日を迎える若者も多いと思います。

成人式で暴れる若者達が、同じ世代の世界の若者に目を向けて欲しいと願います。 彼らから自分の置かれている立ち位置を学んで欲しいと思うのです。

私達はそれなりに年をとってきたのでしょうから、大人として振る舞ってゆきたいですね。

先生こんばんは。
成人の日、阪神間では”20”の節目として、阪神大震災(1995、1、17)の年に誕生した子供たちの成人式が、大きく報道されています。
「震災で犠牲になられた人たちの話を聞きながら大きくなった。生まれてきたことに、感謝します。」と、新成人は一様に語っていました。
どうぞその気持ちを忘れずに、”命”を大切にして欲しいものです。
自分も他人の命も・・・。

 

神戸のomoroおばさん、こんばんは。

あれから20年なのですね。当時は大学病院に勤めていて、通勤途中のラジオで第一報が知り、その後医局のテレビを食い入るように見ました。本当に現実とは思えない映像でした。

その日の夕方、教授から呼ばれ「もしも要請があれば現地に行けるかと」と聞かれ、行きますと答えました。第1陣として1週間待機となり、直ぐにこの一週間の当直を外し、バイト先の病院も他の医局員に変更し、持って行く医療品の整備にかかりました。 結局は沖縄県から行ったのは3〜4週後で、私は行けませんでした。

あの頃に生まれた子供達が成人を迎えたのですね。あの大震災に影響を受けて育った子供達は、他の地域の子供達より命の重さを受け継いでいるかも知れませんね。

仰せのように、これから他人の命も自分命も大切にして欲しいと願います。

omoromachiさん、おはようございます。
「若者」ですか。。。私も、かつては若者でした。
大学の時、たいして勉強をしませんでした。
が、卒業してから何年か経って、ある資格を取るためにまた聴講生として大学で学んだとき、必死になって勉強しましたね。そして、思いました。「自分は、なぜあのときもっときちんと勉強しなかったんだろう」と。
若さゆえにわからなかった、、、。何だかそんな気がしています。

こんいちは!
自分の成人式のことの記憶は薄れています。しかし、騒ぎとかトラブルはありませんでした。秋田市での成人式も数年前に荒れたものとなり、逮捕者も出ました。そのことでは、大目に見たほうがいい、或いは毅然と対応すべきだなど、様々な意見が出されました。
成人式で騒ぐなどとは、俺も毅然と対応するべきだと思っています。成人式は、喜んで大騒ぎするものではないでしょう。責任と自覚を持って生きてもらうための、それを激励するための喜びなの日です。法律をみても、「大人になったことを自覚し、自ら生き抜こうとする青年であり、成人式だと思うのです。この節目を騒いだり喧嘩するのは若さの特権ではないのです・・・・

丸に橘さん、こんばんは。

丸に橘さんにも若い時があったのですね・・・(冗談ですよ

若い頃は青春のど真ん中を突っ走っていますので、何が重要で何が重要でないかさえ分からないと思います。 少し経験をすると勉強にしても恋愛にしても学習して要領を掴むことが可能かもしれません。

その後丸に橘さんは、資格を取るために再度大学で学んだのですね。 その時はきっと周りの若い学生さんをもう少し違う視点で見れたのかもしれません。 それはそれで貴重な経験でしたね。

でんでん大将さん、こんばんは。

仰ると通り、騒いだり周りに迷惑をかけることが若者の特権ではありませんね。 
恐らく特権と言えるのは、損得なしに真っ直ぐに突っ込んで行けることだと思います。 そこには若者らしい情熱があり、自分が描く理想に向かうことだと考えています。

もっと若者たちに考えて欲しいのは、騒いで目立つことではなくて、内に燃えるような情熱を持って、もっともっと意識を高め欲しいと思うのです。 そして自分をこれまで育ててくれた家族や社会への感謝を考えてみるのが成人式だと思っています。

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 成人式:若さの特権:

« 眠れぬ夜の羊たち | トップページ | 胸が痛む:脳か心臓か? »