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2014年11月 1日 (土)

100年後1万年後の責任の取り方

豊かさの追求だけではなく、未来のこの国の子供達のために残せるものを考える必要があるのではないでしょうか。

戦後の日本は過去の反省も総括もせず曖昧にし、ある意味嫌なところは蓋をして、美味しいところだけを食べ尽くすことだけを考えているような気がしてしまいます。

核兵器は悪で、原子力の平和利用は安全で全て良いものだと私達は教え込まれて来ました。 福島の原発事故が起きてやっと原発に安全はないことも判るようになって来ました。 世界一安全な日本の原発と言われています。 しかし世界一安全でも事故が起こり得ること、ひとたび起きれば莫大で永遠の被害ももたらすことが判るようになりました。

Th_dsc00303 原発再稼働の理由として政府のお偉いさんは、火力発電用の燃料輸入増による貿易赤字拡大を挙げ、「これ以上電気料金が上がると、経営が立ち行かない中小零細企業がたくさんあるはずだ」とも指摘したそうです。 

しかし、それは単に電力供給のコストのみから火力発電と原子力発電を比較しただけです。 原発の事故処理、使用後の核の廃棄物に関するコストは含まれていないのです。 今日本は原発を再稼働させようとしています。 核のゴミの始末について何一つ解決出来ないのに、自分たちの世代が豊かになることしか考えていないのです。 それどころが福島の原発事故の処理さえ何一つ出来ていないレベルなのです。

原発の付けは私達の子供や孫、いやこんな短期間では済まず、今後日本に住み続ける人々に永遠に被害を与え続ける可能性を残しているのです。 未来の人が解決してくれるはずでは済まないと思います。 10年後あるいは100年後、いや10000年後、未来の日本人からこんな負の遺産はいらない「自分で制御出来ない厄介なのを作りやがって」と言われることを考えないといけないと思うのです。

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コメント

こんにちは
福島原発の廃炉計画が
変更になったと聞いています。
原子力の後片付けは とにかく
時間もお金もかかることが
歴然としてきました。
負の遺産は残したくないですね。

nadoyamaさん、こんばんは。

福島原発の廃炉はこれから気の遠くなる作業が待っていると思います。 汚染水の処理も全く出来ておらず、政府は公表したくないでしょうが、毎日沢山の汚染水が太平洋に流れていると考えます。 破壊された燃料棒の処理なんて何十年も先の話でしょうし、そもそも燃料棒は溶けて地下深くに拡散し回収するのは出来ないかも知れません。

日本だけでなく世界中のあらゆるところで、利益追求しか目のない人達の争いになっているような気がしました。 物事を行うときに、もしも出来ない場合は最後はこのようにしようと考えるのが普通ですが、原子力政策に関しては処理は後の人が考えてくれるはずと言う、他人任せの姿勢です。

このように自分でやったことを自分で解決出来ないことは初めからやっていは行けないことだと思うのですが・・・

こんばんは。

目先のことだけにとらわれて
安易な結論を出すのは、とても怖いですね。

フィンランドかどこかだったかしら…
(すみません、記憶が定かでなくて)
核燃料を地中深くに大量廃棄しているらしいですね。
それを知ったとき、背筋がゾッとしました。
わたしたちが生かされている この地球に
なんてことをしてるんだろうと…

少し話はそれますが、
昔、星新一の本にこんな話がありました。

世の中のありとあらゆる不要なゴミを
大きな大きな穴に捨て続けていたら、
捨てたはずのそのゴミが、天から降ってきた…。

いつかそんなことが起きても不思議じゃないかも…なんて
時々思ったりしてしまいます。

私たちがいましていることが、どれだけ地球の未来に影響するのか
今こそみんな目覚めて、気が付かなければいけない気がしています。

すみません、長々と失礼しました…

あけさん、こんばんは。

使用済みの核燃料を地中深くに廃棄することは安全と言っています。しかし百年、千年、一万年後の管理は誰がやるのでしょうか? 特に日本のような火山、地震地帯で安全な地下ってどこにあるのでしょうか? 

造る事は出来ても、その後廃棄する方法がなければ、多少不便でも造らないことが必要であると思うのです。

星さん小説ではありませんが、日本の場合は地下に埋めたはずの核燃料が火山の噴火で地上に降り注ぐ可能性も考えられ、笑える話ではなくなります。

利権がらみ、あるいは財政が厳しい地方で原発が再稼働したとしても、この核のゴミを未来永劫に自分達の足元の地下に埋める自治体はどこにもないと考えます。

目を覚まして、福島で起きていることから私達は学び取らないといけないと思うのです。

大方は「経済性」が云々で事が決められることに不安を抱きます。
原発も安全と言いながら、やはり経済的なものも根底にあったと思うのです。確かに経済的なものを国民も求めていることもあります。でも・・・それでいいのか!国民も自らに降ってくるかも知れない未来を考えたいものです。事が起きてはそれ以上の負担をおうことも含めて・・・。

でんでん大将様、こんばんは。

豊かになりたいとは皆が思っていることですし、決して否定はしません。 もしもの時に自分だけが責任を負ってすむことなら、どんどん豊かになる道を進めばいいと思います。

原子力については私などは学校の教科書でも、平和利用は素晴らしく、未来の希望のように教わりました。 しかし次第に核のゴミの問題を知るようになったらどうすればよいのかと考えるようになりました。 原子力船「むつ」というのがありましたね。いったいどれだけの予算を費やしたのでしょうか? この予算でどれだけ多くの自然エネルギーの開発が出来たでしょうか?

福島の原発事故は安全な原発など何処にもないということ、一度事故が起こればコントロール不可能な事態になること・・・これらを私達は考える時にきているとおもいます。 福島で起こったことは何処でも起こる可能性があるのです。

もう一度、事故が起こっても自分達で完全に対応か出来、放射性廃棄物の処理もきちんと出来ることがやれると判断出来て初めて、原発を再稼働させるかどうか是非を問えばいいと思うのです。 まだ原発再稼働は時期尚早だと感じます。

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