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2014年11月

2014年11月24日 (月)

世界を夢見て7:乗り継ぎのハプニング?

私にとっての初ヨーロッパはウイーンそしてロンドンでした。

Th_ 日本からアンカレッジ経由で、まずはロンドンで乗り換えとなりました。英語が苦手で、ドイツ語の方が聞き取りが良かったので、ドイツ語が公用語のオーストリアを選ぶことにしました。 語学ができにないのに、一人旅となると緊張し、機内のアナウンスが流れるたびに聞き耳を立てることに・・・緊張して眠れなかったです

こんなに緊張している割には日本での確認を怠ったために、乗り継ぎのロンドンで冷や汗となってしまうのでした。 沖縄の旅行会社からは飛行機の便や滞在先のウィーンのホテルと帰りに立ち寄るロンドンのホテルは前持って手配して貰っていました。 「着いたら現地係員が空港でプラカードを持っていますからその人を見つけて、案内してもらって下さい」 ・・・ その時はハイハイ簡単だねっと思ったのでした。 それが冷や冷やの始まり・・・

「ロンドンで乗り継ぎ」となるのですが、今考えたら分かるのですが、適当に聞いていた私は、ロンドンの乗り継ぎの所に現地係員がいると思い込んでしまっていました。

さあ、アンカレジ経由でやっと着いた、ロンドン・・・ちょっと心配ながらも心はウキウキ  スーツケースはウィーンまで運んでゆくとのことは理解。 

さて飛行機を降りた所でプラカードを持っている人を捜そうかな〜・・・などと悠長に考えていましたが、誰もいません。 エッ! そんな〜、現地係員がいるんじゃなかったの? もう頭は混乱です。 今のように携帯電話やメールがあるわけでもなし、24時間対応の旅行社でもなく、電話番号は控えていても意味なし・・・

広い空港内で私の現地係員・・係員様・・・・最後は神様・係員様! と心で叫びながら捜すのです。 拙い英語で近くの航空会社のデスクに問うのです「私の現地係員を見ませんでしたか」と・・・当然分かるわけないのです・・・・いるとしたら空港を出た所よと・・・・

更に頭はパニック。 経由時間は4時間、既に1時間半経過・・・でも空港を出ると言うことはイギリスに入国して、現地係員に会って、再出国してウィーン行きの飛行機に乗り込む? ・・・あり得ない・・・しばし考え込む。

でも私は成田→ロンドンその後のロンドン→ウィーンのチケットは持っている。 イギリスで待っている現地係員も私を捜しているかも知れない。 「でも許して、私はひとりウィーンに行くの〜」と決死の覚悟で決めたのでした。

ウィーン行きの搭乗時刻まで30分。チケットと同じ航空会社のデスクを見つけて「ウィーン」行きは何番ですかと? ウィーン?? なにウィーン知らないの? オーストリアの首都ですよ! 天下のウィーンですよと口を尖らせながら質問? 時間も近いしこれはまずい。 仕方なくメモに「Wien (←ドイツ語でウィーンではなくてヴィーン); The capital of Austria(何故か英語)」と書いて示すと、 あっさり「Vienna(ウ”ィエナ)?のこと」と英語で答えられ、既に搭乗が始まっている反対側を指さされ、ダンケなのかテンキューと言ったのかは定かではないのですが、無事飛行機に乗り込んだのでした(ロンドンで待っている現地係員さんにはすまんと思いながら・・・)

2014年11月18日 (火)

てぃんさぐの花

人は自分の生まれ育った場所や環境、教育から学んで育ってゆきます。それを基に自分の経験を通して、それが正しいことなのかどうかを熟考し成長してゆきます。 沖縄の知事選が終わりました。Th_2 沖縄の民意は出ました。 沖縄の問題は一筋縄では解決出来ないはずです。どなたがなっても沖縄の知事になる方は大変な苦労をすると思います。

子供頃、おばあちゃんなどがよく唄っていた沖縄民謡(教訓歌)があります。長いけど載せてみます。もう一度自分を見つめ直すために必要なことが書いてある気がします。

てぃんさぐぬ花 :沖縄民謡 :作詞作曲:不詳〜

1:てぃんさぐぬ花や  爪先(ちみさち)に染(す)みてぃ   親(うや)ぬゆし事(ぐとぅ)や  肝(ちむ)に染(す)みり 

{てぃんさぐぬ花(ホウセンカの花)は爪の先に染めて親のいう事は心に染めなさい (昔、ホウセンカの花は爪の先にマニキュアのように染めて魔除けとしも使用してた)}

2:天(てぃん)ぬ群星(むりぶし)や 読(ゆ)みば読(ゆ)まりしが  親(うや)ぬゆし言(ぐとぅ)や 読(ゆ)みやならん  

{天に輝くたくさんの星は数えようと思えば数えられるけど、親の教えは数えきれないほど多くの事を教えてくれているよ}

3:夜(ゆる)走(は)らす舟(ふに)や 子(に)ぬ方星(ふぁぶし)見当(みあ)てぃ  我(わ)ん生(な)ちぇる親(うや)や  我(わ)んどぅ見当(みあ)てぃ  

{夜に沖に出る船は北極星を見守られ航行でき、私を生んでくれた親は私を見守ってくれている}

4:宝玉(たからだま)やてぃん  磨(みが)かにば錆(さび)す   朝夕(あさゆ)肝(ちむ)磨(みが)ち 浮世(うちゆ)渡(わた)ら 

Th_impatiensbalsamina_2 {宝物と言えども磨かないと錆びてしまう。朝夕と心を磨いて日々を生きて行こう}

5:誠(まくとぅ)する人(ひとぅ)や 後(あとぅ)や何時(いち)迄(までぃ)ん  思事(うむくとぅ)ん叶(かな)てぃ 千代(ちゆ)ぬ栄(さか)い 

{誠実に生きている人は 後はいつまでも願い事も叶い 永遠に栄えるだろう}

6:なしば何事(なんぐとぅ)ん なゆる事(くとぅ)やしが  なさぬ故(ゆい)からどぅ ならぬ定(さだ)み 

{成せば何事もなる事ではあるが、為さぬことは何時までも成らないだろう}

7:行(い)ち足(た)らん事(くとぅ)や  一人(ちゅい)足(た)れい足(だ)れい 互(たげ)に補(うじな)てぃどぅ  年(とぅし)や寄(ゆ)ゆる 

{一人で出来ないことは一人でやらずに助け合いなさい。お互いに補ってこそ 世の中は成り立っているのだ}

8:あてぃん喜ぶな  失なてぃん泣くな 人のよしあしや  後ど知ゆる

 {有っても喜ぶな 失っても嘆くな それが良いことか悪いことかは後々にわかることだ}

9:栄てぃゆく中に  慎しまななゆみ  ゆかるほど稲や  あぶし枕ぃ 

{栄えていくなかにも 謙虚でなくてはいけない。 稲も実るほどに  あぜ道を枕にして、腰を低くするではないか}

10:朝夕寄せ言や  他所(よそ)の上も見ちょてぃ 老いのい言葉の  余りと思な 

{老人の朝夕の言には 真摯に耳を傾けなさい 老い先短い者の与太話などと 侮るべきではない}

沖縄知事選に絡み沖縄のことを色々と考える機会ともなりました。 そして先人が教えた知恵から、人として生きる道を考えてみたいのです。

2014年11月 9日 (日)

ベルリンの壁崩壊後25年

2014年11月9日はベルリンの壁崩壊後25周年となったとニュースで報道されていました。

Th_dsc02871 私はベルリンが155Km高さが3メートルの壁で分断されたていた1980年代前半と壁が壊された翌年の1990年にドイツを訪問したことがあります。

最初のドイツの旅行では壁のある西ベルリンとロマンチック街道と言われるドイツの有名観光ルートを旅しながら、日本よりもっと第二次大戦で国土が破壊されたにもかかわらず復興をなしえたドイツの凄さを目のあたりにしました。 その時は壁の向こうで色々な問題が生じていることが東側からポツポツと聞こえて来た時代でした。

1989年11月9日大衆が押し寄せ、壁の一部が壊されるニュース報道を食い入る様に見たのを思い出します。 分断されたドイツが歓喜の渦のなかで統一を果たすことに、世界の希望を見いだした気がしました。 この状況を見てみたいと翌年にドイツを旅しました。 その時は旧東ドイツも回ることが出来、建物を見たり人々の生活を見るにつけて東西の格差を感じたものでした。

1年後に訪ねた時も、まだドイツ国内も興奮状態と現実の東ドイツの経済の立て直しの難しさに直面する混沌とした状況だったと思われました。 それでも希望で皆が輝いていることを旅行者の私も感じました。 あれから25年経ってもまだ旧西ドイツと東ドイツの格差の解消には至っていないようです。 沖縄で生まれ育った私にとって戦争、その後のアメリカの占領、復帰を成し得ても未だに簡単には格差が解消されないことを身をもって経験しています。そのことから少しは今のドイツの現状を理解出来るのです。                      Th__2_2

あれから25年世界は自由で豊かになったのでしょうか? ソビエトが崩壊し、いわゆる冷戦の時代は終わったかと思ったのですが、ウクライナ問題などでまだまだ豊かで歴史のあるヨーロッパ社会も色々な問題が台頭してきています。 

明日からAPEC会議が北京で開かれるようです。グローバル社会となり、自国だけのことでは世界は成り立たないのは、私達庶民の方がよく知っています。 世界のリーダー達はメンツや自己権利欲だけでなく、世界の人々さらには世界に住む生き物たちにに対しても配慮をして欲しいと願います。 やろうと思えば出来るはずです。それが人間なのです。

(上の写真はベルリンの壁のお土産です。まだ私の部屋にありましたので、今日写真を撮ってみました。今でもこの壁の一部はお土産にされているのでしょうか? 下の写真は1990年の写真をスキャナーで取り込みました。ベルリン壁のアート作品で有名なのが東ドイツの国家評議会議長ホーネッカと、ソ連最高指導者ブレジネフの熱いキスです。結構衝撃的でした・・色々な意味で

2014年11月 5日 (水)

肛門のパッキング機能

今日のFMレキオは痔について話をしました。 以前にもブログに痔の三大疾患のことは書きましたhttp://omoromachi.cocolog-nifty.com/blog/2013/10/post-30cc.htmlので、今日は私達がお尻を締め続けなくても便やおならが漏れないわけを真面目()にお話しします

私達の食べたものは1〜2日かけて便となって体外に排出されます。食物は、蠕動運動と言って私達が意識的にはコントロール出来ない運動によって消化・吸収を繰り返して直腸まで運ばれます。 直腸に達した後も意識下でコントロール出来ないと大変なことになります(あまり想像したくありませんが・・・)。

直腸内に便が入り込み拡張すると便意を感じて、トイレに入り外肛門括約筋を緩めて排便を促すわけです。 この肛門を締めている肛門括約筋にも2種類あり、内肛門括約筋は無意識下に排便のコントロール作用があります。外肛門括約筋は私達が意識下で肛門を締める筋肉です。 

Th__3 しかし、この筋肉だけで便が漏れない程、ましてやガスや水様な下痢便を止めることは不可能に近いのです。筋肉だけで漏れないようにすると筋肉が疲労困憊してしまいます。

やっとここで痔の疾患とも関係のある話しに移れます。 肛門の粘膜下の部分には血管や神経、支持組織が多く集まりクッションの役割をしています。 このクッションのお陰でおならや下痢便も漏れずにコントロール出来るのです。

このことを水道の蛇口にたとえるとわかりやすいです(これは私が言ったことではなくて色々な方が述べています)。 水道の蛇口にはゴムのクッションがあります。そのお陰で蛇口を軽く閉めても、水が止まります。金属同士なら目一杯締めないと水が漏れるはずです。 

このゴムのパッキングと同じ役割をしているのが、肛門の入り口の粘膜下のクッション機能なのです。 この部分は静脈が発達して鬱血が強くなると、必要以上に腫れ上がりイボ痔となります。クッションの支持組織が断裂したりすると脱肛や便漏れの原因になったりします。

私達のお尻の周りにも素晴らしい機能が備えられていて、人知れず(?)日々活躍しているのです

(2014/11/05のFMれきお「いきいきタイム」はこちらから視聴出来ますhttp://www.stickam.jp/video/182381643

2014年11月 3日 (月)

海は誰のもの

Th_dsc00076 子供の頃、近所の仲間と一緒に海にでかけ、小さな魚を捕ったり、干潟でカニを捕まえたりと、海は皆が自由に遊べる場所でした。 波の音、磯の香りも好きでした。 この海の向こうにある広い世界を夢みたものでした。

ニュースで何度も出てくる、辺野古の海について何かがおかしいと感じるのです。 沢山の沖縄の問題点が凝縮されています。 

気になったのは、辺野古の海は誰のものかということです。 辺野古に住んでいない自分が言うのは間違っているかも知れません。 辺野古に基地を造るために、漁民には保証金が支払われたそうです。 そのことを非難しようとはちっとも思っていません。国策に地域が分断されているのですから、迷惑料として国がくれると言うなら貰えばいいのだと思います。

 しかし、同じ辺野古の住民でも漁業に関わっていない人には何も出ないそうです。 商店などを営んでいても目の前には豊かな海が広がっています。それを子供の頃から見ながら、遊びながら育ったのだと想像します。

辺野古には美しい海が広がります。 Th_dsc00090 この海は今漁業をおこなっている人のものなのでしょうか? ましてや日本政府の、あるいは米国のものなのでしょうか? 

もしこの海に基地が造られたら、10年や20年後に基地が返還されても(そんなのはないでしょうが・・)、今の辺野古の環境は何十年、何百年も、あるいは永遠に元に戻ることはないのかも知れません。 辺野古の海が戻るまで、今お金をばらまいている方も(当然私もでしょうが)保証を受けた人々も誰も生きていないはずです。 

この豊かな海は過去から現在そして未来へと続きます。今のほんの僅かな期間、生きている人のものなのでしょうか? 沖縄で生まれ育った私は複雑な思いでこの豊かな海を眺めているのです。

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