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2014年10月15日 (水)

ノーベル平和賞

誰にノーベル賞が与えられるのか、10月のノーベル週間は毎年楽しみにしています。 ノーベル物理学賞は思いがけず3人の日本人が同時に受賞しました。 村上春樹さんは賞を逃しましたが、また来年の楽しみが増えたと思って待ちましょう。

Th_img_1099 ノーベル賞のうち、疑問に思え、その選考基準が非常に曖昧なもに平和賞があると思います。 誰にあたえるのか、個人なのか団体なのか、国なのか国の代表なのか? その賞に値する人物なのか・・・色々な疑問が湧くことがあります。

今年は日本の「憲法9条」も候補にあるとのことで、いつもより期待して待っていました。 インドの児童労働撲滅に取り組むカイラシュ・サティヤルティさんとパキスタンのマララ・ユスフザイが決まった時に少しの驚きとよかったと言う想いが同時に起きました。

カイラッシュさんについては以前インドで児童の虐待や労働環境、教育を熱心に取り組んでいる人権指導者との記事を読んだこともあり、世界にはこんな方もいらっしゃるのだと感心しました。

マララさんに関しては女性の教育に反対するタリバンの銃撃を頭に受けながら、命を取り留め、その後もイギリスで身の危険を顧みず、教育の重要性を訴えて来られていました。本当に素晴らしい女性です。 ただ私が済まないと思うのは、17歳の少女がこんな目に遭わないですむ社会を私達大人が作れなかったことです。

まだ若いのです。若いから駄目というわけではありません。私なんかより何百倍も立派な方です。 でもやはり若いのです。 Th__3 これから更に教育を受ける権利もあるし、これから恋もして欲しいのです。 ノーベル平和賞の受賞は彼女に勇気と希望、そしてこれからの行く道を提示したかも知れません。 同時に彼女に大きな負担を強いたのも事実だと思います。 特に今後、彼女はさらに身の危険にさらされる機会が増えると考えます。 

ノーベル賞を与えた委員会だけでなくそれを賞賛する各国は自分の身のことのように彼女の身を守る必要があると思います。 少なくとも自分では声を上げず、17歳の少女に命を賭けさせた人は彼女の訴えに耳を傾け、彼女の楯になる努力を続けて行くべきだと思うのです。

私は何となくまた負い目を感じてしまっているのです

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コメント

平和賞を受賞するという事実に対して
別の観点から見ると大きな課題が見えて
来ることを初めて知りました。
私はそこまでの深い認識を持つこと、
出来ませんでした。

ものを丁寧に多面的に見ることができる
人になりたいと感じました。

nadoyamaさん、こんばんは。

色々な味方や感じ方があるので、良い悪いではありませんね。 たまたま私はこのように感じただけなのです。

正直、平和賞の候補としてはマララさんは考えていませんでした。 聞いた瞬間「それはまずいでしょう」と思ったのです。これは彼女の身を案じたからです。

彼女は確かにインパクトがあり、平和賞に値する人では当然あります。 私は怖かったという方が先でした。 決まった以上賞賛を送るべき方だと思います。 彼女が若い1人の女性として生活して欲しいし、小さな肩にこんな重荷を背負わしたらいけない存在とも思います。 

世界の心ある方々が、彼女の重荷も一緒に背負って欲しいと思うのです。 きっとその様な沢山の方が彼女を助けてくれるものと信じているのです。

omoromachiさん、こんばんは。
私は日本国憲法が授賞してくれないか、と期待していた一人です。
が、この憲法を素晴らしいと感じる国民がもっと増えなければ授賞できないだろう、
とも感じていました。
変えようとする動きに歯止めをかけたいという思いは私も同じなのですが、
ノーベル賞を政治的に利用しようとすることになりますから難しいかも…。
マララさんについては、omoromachiさんのブログを読んで、ああ、と思いました。
17歳の女性に背負わせるにはあまりに大きな重荷です。
私でもできる事を探して、彼女の荷物を少しでも軽くできれば…。
17歳でこれだけの活動をせざるを得なくした、この世界にこそ問題があるのです。
何ができるんだろう。日本人ができる事がたくさんあるはず。
1人でも多くの日本人が、気がついてくれますように。
長文でごめんなさい。

sakiさん、こんばんは。

世界中で紛争や戦争が起きているからこそ、日本国憲法の精神が輝き出したような気がします。

マララさんは素晴らしい女性ですが、やはり若いです。 私の17歳の頃なんて、対比したくない程幼かったのです。

私は何も出来ませんが、少しだけでも彼女に感心を持っていたいと思います。 sakiさんも無関心でさえいなければ何かがやれるのかもしれません。 関心を持つことで、sakiさんの好きな乗馬をされた時のように、視野が広がってゆくのかもしれませんね。

このようなコメントを頂きありがたく思います

わたしはこのマララさんのノーベル平和受賞を自責の念で聞きました。日本では義務教育として15歳までは学校に行けます。高校も無償にはなりませんでしたが、ほとんどの子どもたちがいきます。ところが日本でも教育を受けられない子もいます。私はそんな子に接して悩んでいます。17歳の彼女に平手打ちをされたような気分です。「しっかりしろよ」って。これはパキスタンの問題だけではありません。世界中の問題ですし私たちの隣り近所の問題です。より多くの人が身近にいる教育を受けられない子どもを何とかしようと考えたり行動することこそ、omoromachiさんの言われる彼女を支えることになると思います。

はるかさん、こんばんは。

やはりそうでしたか、はるかさんもきっと私と同じことを感じていると思っておりました。

人を育てるのはやはり教育です。それも子供の時の教育が大切ですね。 それは大学受験の為でなく、教育を受けることが出来る環境があるということが、子供達にとってなにより重要であると考えるからです。

日々の食事が取れない、初等教育を受けることが出来ない、これは遠い国のことだけではありません。身近な日本での問題も含んでいます。

マララさんのことを、私達の問題として捉えてくれる人が少しでも増えることが彼女を支えることになるのだと思っています。 私は何も出来ませんが、関心は持ち続けたいと思っています。

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