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2014年10月20日 (月)

「試したかった」の延長上の恐怖

中東が落ち着かない。
あるニュースのなかで、中東での戦闘に参加したという日本人のインタビューがありました。 その人が「戦闘(自分?)を試したかった」という理由で参加したとのことであった。

Th_ これを聴きながら背中が凍るような想いがした。 「・・がしたい」が人の行動や意志決定の最上位にあり、歯止めのかからないことに恐怖を覚えたのです。

私達は色々なことを「したい」と思っています。しかしそれをやったら個人的にも社会的にも許されない行為だと断念することも多いのではないかと考えます。「したい」と言う気持ちを実行した場合、私達はその結果起こりうることを想像できるわけです。 

 「命がけのことをやりたい」。 でもこれが戦争であれば実際に命の駆け引きとなり、自分が死ぬかもしれない、相手を殺すかも知れないのです。 しかし自分が向けた銃が近くにいた子供を殺してしまうのかもしれない、自分が死んだとき悲しんだり、迷惑をかける人がいるかもしれないと想像することが出来ないのでしょうか?

閉塞感や絶望感からの逃避、あるいは物事を深く考えれなくなった人間が「生」を実感するために、このような単純化された行為をとるようになったのでしょうか?

いずれにしても、このような想像力が欠けた状況で「したい」だけが突出したらどうなるのでしょうか。 人を殺してみたい、子供を誘拐して切断してみたい、女性を犯してみたい・・・そんな「してみたい」が想像力の無い世界で起こると、世の中が大変危険な状況になるのだと考えるのです。

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

omoromachi様、おはようございます。
この怖い感じが分かるような気がします。

最近、自分の都合のよいように解釈
(何処かの政治家もそうでしたが)
したり、自分を抑制することが出来ない
短絡的な犯罪が目につきます。

子供の頃から他人の痛みを理解
出来ていないことや、親や周りの大人が
躾をしてこなかったせいも
あるような気が致しました。

本当に恐ろしいとしか言いようがありません。
先日の事件も「相手は誰でもよかった」と言ったらしい犯人、やられた方はたまったもんでありませんね。それも先のある方が・・・被害者の家族を思うとやりきれない思いででしょう。

俺は松本清張のファンでした。社会派作家と呼ばれ、事件には必ず理由があり、彼の根底には貧乏から脱却するため、または、社会層の底辺にあって、そこを抜け出すために事件を起こすのが、多かったはずです。それが良いとはいいませんが、背景には頷くものもありました。
しかしながら、今は「誰でもいい・・・」「試したかった・・・」「・・・してみたかった」など、あまりにも自分中心の考え方が多いことに憂慮しています。その矛先を弱い立場や弱い人に向かうのがおそろしいです。

ツクシンボさん、こんばんは。

最近、短絡的で嫌な事件が多いような気がします。
ツクシンボさんが指摘しているように、一番大切な子供の時期に,他人の痛みに無頓着になっていることが原因の1つになっているのかも知れません。

今では難しいことですが、子供が間違ったことをしても周囲の大人は見て見ないふりで注意をしなくなってしまいました。 正しい躾はその後の人生にも大きな影響を与えかねません。 自分一人で生きているのではないことも教えなければいけませんね。

omoromachi様
こんばんは いろいろと考えさせられて
しまいますね。目の前の子どもたちに
対して、大人の感情を逆なでするような
発言をしている子がいます。その子を
適切に指導する方法や時間が見つかりません。
今を出来るだけ、問題が起きないように
過ごして、その中で、どうにか指導が
できないものかと思っています。
 
目の前の子どもたちが、大人になって
健全な世代をになえるように頑張って
いこうと思っています。

でんでん大将様、こんばんは。

私達は事件が起きた時に被害者のことや家族の方のことを考え胸が痛みます。それと同時に加害者についても考えることがあります。 大将さんが書いてありますように、松本流にその原因を解き明かすことで私達もある意味、その狂気の沙汰を理解し、自分を納得させるのだと思うのです。

しかし、最近の凶悪事件は、何の脈絡もない、理由も私達が理解出来ないことが多くなった気がします。 それに対して社会の歪みや人間的な根源の不気味さを感じるようになってしまい、私は背中が凍り付く気がしたのです。何も関係の無い、未来のある方が巻きこまれる事件を見る度に、どうにかならないものかと落ち込んでしまうのです。

nadoyamaさん、こんばんは。

今の教育現場は本当に大変だと思います。 多様化した価値観を持った親に育てられて、現場教育を自分の物のように割り込んでくる大人達の中で、実際に沢山の子供達を相手にしないといけない教師にはストレスがかかると思います。

本来、「三つ子の魂百まで」ではないのですが、基本的な躾は学校教育に上がる前に親が躾けなければいけないことと思っています。 

色々な子供達がいて、親がいる中で子供の躾を含めた教育は難しいと思います。 それでも最後の砦として子供達がその後、一般社会人として育ってゆくための教育を施す必要がありますね。 どんなに優秀な教員でも一人では出来ませんので、情報を共有し合いながら子供達の未来の為に頑張って欲しいと願います。

子供は親の宝物でもありますが、これからの日本の宝物でもありますね。子供達が人の痛みが分かる優しい子に育って欲しいと祈っています。

omoromachiさん、こんばんは。
若い世代には、それが人を傷つけたりする事でなければいろんな事を試してほしいです。
そしてたくさんの経験をして自分を高めていってほしいです。

でも、『戦闘』と言うのは人殺しです。試す事ではありません。
なぜそんな簡単な事がわからないのでしょう。
そういう場所にしか、自分の価値を見出せる場所が見つからなかったのでしょうか。
悲しい事です。
それぞれの人が相応の達成感を味わう事のできる世の中でなくなってしまって
人一人の命の価値がとても軽くなってしまっている…そんな風に感じます。

sakiさん、こんばんは。

本当にそうですね。若い人には沢山の経験をして欲しいです。その中から何かを掴んで欲しいと願っています。

若いから許されることもあります。それはやはり社会的許容範囲内のことです。人を傷つけて許されるはずはありません。

本来は若い人には夢や希望があって、それだけでも充分輝いている存在だと思います。 

その人の求める高さはそれぞれが違っていて、それぞれの高さを登りきれたらいいなと考えます。高いから良い訳ではありません、1人1人大切な個性です。

今の日本は格差が進んできて、人間的な価値もこれで決まるような風潮があります。それはいずれ1人1人の命の価値まで下げてしまう心配があります。

自分を認めて、相手も認める社会になって欲しいです。

拝読させていただき、事件に対する自分のモヤモヤが解消されました。
ありがとうございます。

とんぼさん、こんばんは。

自然をこよなく愛するとんぼさんにとっても、人間の不条理について考えさせられる問題だったのではないでしょうか?

以前とんぼさんのブログで「痛み」について書いてらっしゃしましね。 自分の痛みを知ることで他人の痛みを知ることが出来ると思います。 痛みが辛いことを教えれられた為に他人との接し方も判るようになるのかも知れません。

何処かでこの歯車が狂うと、自分も他人もどうでもよい存在になってしまうのかも知れません。 こんなことをつい考えてしまうのです。

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