東京都議会のヤジの根深さ
東京都議会でのあのような発言、今時こんなことを言ったら普通の企業ではすぐに停職になるはずです。
本来言葉を選んで話すのが政治家の努めだと思うのです。 恐らく単純な思考過程(セクハラの意味さえ理解していない)の中でのヤジだと思います。何でも野次ればいいものではありません。
セクシャル・ハラスメントが違法で、間違いであることは半世紀以上前からアメリカ・ヨーロッパ社会では当たり前だったでしょうし、人権侵害であることも当然と認識されていたと思います。 日本は性的な嫌がらせに対して、非常に鈍感で未だに、セクハラが人権侵害ではなく、女の人(異性)をからかった程度に扱われています。
この様な土壌で育った日本企業が外国で仕事をする場合に、セクハラ事件として沢山訴えらたことも納得出来ます。 私の記憶に残っているだけでも1996年の米国での三菱自動車や2006年の北米トヨタでの事例がありました。
しかし既に1989年(平成元年)に「西船橋駅転落事件」の判決があり、その年の新語・流行語大賞の中に「セクシャル・ハラスメント」があったのです。 その時日本人全体が真摯に学び社会を変革していれば、上記のアメリカでの訴訟もなかったのかも知れません。
セクハラは単に女性をからかった程度の問題ではありません。この根底を流れているのは、他人の痛みを理解しようとしない方々の心の問題なのです。
今回の東京都議会の件は魔女狩りで終わって欲しくないです。 私達日本人が全体主義に走らず、それぞれの個人において、自分の目線だけで物事を決めるのはなくて、相手の立場でものを考え、言葉にしろ、行動にしろ、あるいは視覚的な掲示物にしても、相手が嫌がることはないかと常に考えることが大切だと思うのです。 セクハラは人権侵害です。 慰安婦問題にしても諸外国と日本の政治家の人権侵害に対する認識の重さに違いがあります。
もっともっと、相手(男性でも女性でもその中間でも)に対して心を配る必要が私達日本人に求められているような気がします。 日本ではまだまだ女性の立場が弱いと考えます。 これを機に男性社会の政治の世界にも風穴を開けて欲しいと思います。 私達がセクハラに敏感になることができれば、これまで鈍感だった政治家も次の選挙のこともあり、自分の発する言動に注意がゆくと思います。 もっと品位のある議会、政治の世界になって欲しいです。
これから先、私も含め多くの日本人が人権に敏感にならなければいけないと思います。 他人を批判する前に自分(←私自身のことです)を律せねばならないですね。
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